2008年05月13日

吉田喜重 全作品

エロス+虐殺すでに最終週となってしまったが,3月26日よりポンピドゥー・センターで吉田喜重のレトロスペクティブが行われている.
エロス+虐殺」,「煉獄エロイカ」,「戒厳令」.魅力的なタイトルが並ぶ.

長い間ずっと興味を持っているものの,吉田喜重の作品で観たことがあるのは65年の「水で書かれた物語」と2003年の「鏡の女たち」のみ.

この2つの作品.
40年近い時差があるが,共に作品の冒頭,画面は人気のない通りを日傘を傾けて歩く岡田茉莉子を執拗に映し出していたように思う.

煉獄エロイカ例えば,夏の日に喫茶店で無為に時を過ごす.
目の前に置かれたアイスコーヒーの透明な氷が音を立てて崩れる.
ふと外に目をやると,日傘を傾けた女の人が通り過ぎる.
そうした瞬間,いつも吉田喜重の映画のことを思い出してしまうから不思議だ.

吉田喜重は,あるインタヴューで小津安二郎の「父ありき」について,ストーリーは忘れてしまったが,父と子が渓流で流し釣をしているショットのみ記憶に残っていると語っているが,吉田喜重の作品も,時に物語性を排除してしまうほどの,強い断片の美学によって支えられているのではないだろうか.




キャベツ頭の男@どうってことない風景

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN16.png
posted by cyberbloom at 07:55| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | どうってことない風景

2008年05月11日

テクニヴァル teknival

5月1日はメーデーだったが、その日に一部の若者たちにとって重要なイベントがあった。テクニヴァルである。「テクニヴァル」は tekno と festivalの合成語で、サウンド・システム(移動式の音響設備)を野外に施設して、数日間連続で野外パーティを催す。ひとつのサウンド・システムで48時間続ける「フリー・パーティー Free Party 」と、複数のサウンド・システムで3日から5日続けるテクニヴァルと区別されるようだ。このイベントは通常数千人の参加者(teufeur, teueuse というが、teuf は fête お祭りのひっくり返し言葉 verlan )を集める。国籍は問われないが、参加するためには何百キロも移動するはめになる者もいる。いくつかのテクニヴァルは伝統があり、特に元旦に行われるチェコのテクニヴァルが有名。フランスでは5月1日のメーデーにブルターニュで行われる teknoz と呼ばれるテクニヴァルが知られている。

フランスのテクニヴァルは以前無許可でやっていたが、「日常の安全に関する法律 loi sur la sécurité quotidienne 」が2001年5月29日に可決されたあと、国からの公認を受けるようになった。この法律(LSQと略される)は、911の影響によるテロの疑いのある武器の製造と所有や、社会的な迷惑行為を取り締まる。テクニヴァルは野外に多くの人間が集まり、大きな音を出すので、迷惑行為の代表として取締りの対象になった。それゆえにテクニヴァルを開催するには国の許可が必要で、その期間は警察の監視を受ける。

ちょうどTF1のニュースで5月1日のテクニヴァルをレポートしていた。場所はブルターニュではなく、パリの南西、シャルトル(大聖堂で有名)の近くのクリュセ Crucey という村。

Teknival : petit à petit, les teufeurs plient bagages
Plus de 25.000 teufeurs se sont réunis ce week-end en Eure-et-Loir. Grâce à un important dispositif de sécurité et de secours, peu d'incidents ont été constatés.

「今年は2万5千人集まり、大した事件もなく終わった。3日から4日のあいだ寝ずにテクノで踊り続ける若者たち。10人くらいに病院に搬送されたが、救急班が予想してたよりも少なかった。この手のイベントにはよくあることだが、1・5キロのマリファナ、3000錠のエクスタシーなどが押収され、73人が職務質問を受けた。テクニヴァルは国の許可を得て行われ、警察に囲まれながら行われた」

大体の内容はこんな感じである。ニュースは羽目を外す迷惑な若者たちに対する批判的な視点(やっと終わったかというニュアンス)からレポートしているが、このテクニヴァルという野外パーティーを理解するためにはいくつかの補助線が必要だろう。それには上野俊哉&毛利嘉孝著『実践カルチュラル・スタディーズ 』の中の「野外パーティー/レイブの文化と実践」が参考になる。これが書かれたときはまだテクニヴァルは存在せず、レイブ(rave)という野外パーティーがテーマになっているが、テクニヴァルはその延長線上にあるようだ。私も2000年くらいだったか、友だちにセーヌ河畔で行われていたレイブらしきものに連れていってもらったことがあるが、みんな格好も地味だし、冬の寒い日なのにビールだけだし、何かのりきれなかった憶えがある。ちょっと歳をとりすぎていたせいかもしれない。

60年代、アメリカの西海岸ではサイケデリック革命を唱えるヒッピーたちがロックを通して同じような対抗文化を形成していた。現代のレイブやテクニヴァルの父親世代にあたるこの運動は「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれていた。

まず自分たちで作るというテクニヴァルのDYI的側面。日本でDIYというと日曜大工を意味するにすぎないが、欧米では商品化、パッケージ化された消費文化からできるだけ距離をとって、なるべく自分でモノや道具、ひいては人間関係を作っていくという身振りや生き方を指している。そこではフリーマーケットや物々交換も行われ、ギフトエコノミー(贈与経済)の動きが見られる。完全に資本主義社会からドロップアウトするのではなく、企業や組織にべったり帰属するのでもないやり方で生きる、パートタイムの労働拒否とも言える。

野外で一時的に行われるというスタイル。このパーティーの時空は、一時的であり、絶えず移動していく。権力や一般の社会とぶつかりそうになったら次の場所に移動する。一箇所を起点にして最後まで戦うのではなく、逃げるというしなやかな選択もある。実際、パーティの場所を探したり、騒音問題などで地元の人との軋轢を避けるには、警察や地元の人々と臨機応変に渡り合う交渉力が求められる。権力と全面的に衝突するだけが闘争ではなく、交渉や折衝のプロセスもまた抵抗や闘争の形だという考え方である。実際、フランスでは前述のLSQという法律と折り合う必要があったようだ。

また野外パーティーというムーブメントには、反グローバリゼーション、エコロジー、反原発など、様々な社会運動との接点を持ってきた。パーティ自体は社会運動ではないが、パーティーは社会運動や、社会や日常生活を変えたり、それに働きかけたりする活動と間接的につながっている。野外パーティに参加することが、ある人々にとって社会運動の入り口になることもある。真面目で決断をともなう入り口ではなく、楽しみをともなった入り口なのである。もちろん、そんなの関係ねーという輩も多く、それはそれでいいみたい。

また以前のレイブと呼ばれたパーティでは国民国家のレベルで対立している国の若者たち(例えば、セルビア人とクロアチア人、イスラエル人とパレスチナ人)が一緒にパーティーを運営。「国家や民族」から降りて情動的な連帯意識をともなった別のつながりを作る契機になったという。

□サウンド・システム (Sound System)
移動式の野外ダンスパーティを提供する音響設備、および提供する集団を指す。ジャマイカの音楽史、とりわけダンスホールレゲエにおいては欠かすことのできない要素。ヒップホップの成立にも大きな役割を果たした。
Teknival de Crucey 4mai 2008
youtubeで検索をかけると山ほど出てくるが、レイブに比べると何かゆるい感じ。
□『実践カルチュラル・スタディーズ 』(ちくま新書)上野俊哉&毛利嘉孝



cyberbloom

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN16.png
posted by cyberbloom at 23:24| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー1週間

2008年05月08日

rien

4月某日。
サンジェルマン・デ・プレ。
映画館の地下トイレ。

rien01.jpg

手を洗おうと洗面台の前に立つと、 rien(無)という一言が俺の顔と重なり合った。
存在を否定されたようで軽い目眩を感じるが、なかなか見事な字体ではある。

こういう落書きって、日本では見かけませんよね。



キャベツ頭の男@どうってことない風景

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN16.png
posted by cyberbloom at 07:38| パリ | Comment(2) | TrackBack(0) | どうってことない風景

2008年05月05日

ジョニー・アリデーあるいはギターの弾けない(?)ロックンロールスター

jeanphilippe02.jpg ジョニー・アリデーはフランスで最も人気のある歌手のひとりである。「ロックンロールの帝王」である。還暦をとうに越えてはいるが、現在でもアルバムを出せば必ずチャート初登場一位だし、コンサートも老若男女でつねに満杯だ。しかも、60年代前半以降ほぼ半世紀に渡ってトップスターの座を守りつづけているという、とてつもない存在である。だが一方で、彼を嫌うフランス人もたくさんいる。その理由は、ロックアーティストというよりは芸能人的な音楽にたいするスタンス、マッチョな外見や態度、政治的な立場(サルコジスト)、税金逃れのための国外移住などの行為...とさまざまだ。それでもとにかく彼は、フランス最高のセレブリティのひとりであることに間違いはない。ただ、フランスおよびフランス語圏の国以外ではまったくといっていいほど無名であるが...。

 彼は少なくない本数の映画に役者として出演もしてきた。古いところでは「アイドルを探せ」(1963/ミシェル・ボワロンMichel Boisrond)などが思い出されようし、「ゴダールの探偵」(1985)にも出ている。最近では「列車に乗った男」(2002/パトリス・ルコントPatrice Leconte)が話題になった。「ジャン=フィリップ」Jean-Philippe(2006/ロラン・テュエールLaurent Tuel)は彼の最近の主演作(日本未公開)である。

 このコメディ映画で彼は「ジョニー・アリデーになれなかった男」(!)を演じている。以下、あらすじを少し紹介してみよう。ジョニー・アリデーの熱狂的なファンである中間管理職の男ファブリス(ファブリス・ルキーニFabrice Luccini)が、ある晩殴られて意識を失う。気がついてみるとそこはパラレルワールドだった。その世界は元の世界とほとんど同じだが、最大の違いは彼の生きがいであるジョニー・アリデーがいないということ。ジョニーの不在に耐えられないファブリスは、ジャン=フィリップ・スメットJean-Phillippe Smetという本名を手がかりに彼を探し回る。ついに見つかったジャン=フィリップ(演じるのは当然ジョニー自身)は、人生のある時点まではもうひとつの世界のジョニー・アリデーとまったく同じ道を歩みながら、ある運命のいたずら(詳細は言わないでおく)のせいでスター歌手になることはなく、ボーリング場経営者になっていた。その彼をジョニー・アリデーに変身させるべく、ファブリスは奮闘を始める...。

100% Johnny Live a La Tour Eiffel バカみたいな話だと思われる向きも多いだろうが、じつはこの映画、娯楽作品としてはけっこうよくできている。ファブリス・ルキーニのいつもながらの芸達者ぶりは言わずもがなだが、人生に疲れた初老の男を演じるアリデーの演技だって悪くない。アリデーにかんする伝記的事実(多くのフランス人にとっては常識に属する)をうまく織り交ぜたシナリオもよく練られたものだし、細部のギャグも秀逸、最後のオチも楽しい。欠点といえば、ジョニー・アリデーが――またファブリス・ルキーニが――フランスにおいてどういう存在であるのかを知らない人間からすれば、この映画のおもしろさの多くが理解しにくいと言うことだろう。

 ただこの映画を、スーパースターが気軽に出演したコメディとだけ見てしまうと、どうも大事なポイントを見落としてしまうように思える。というのも、注意深く見るとこの映画は、ジャン=フィリップのジョニー・アリデー化を物語ることを通じて、現実のジョニー・アリデーの理想化、神話化を企てているようにも思われるからだ(それがアリデー自身の意向によるものなのかどうかはよくわからないが)。

 アリデーには、ロック歌手にとっては明らかにマイナスイメージとなりうるふたつの弱点がある。まず彼が基本的に「他人が提供した曲を歌う歌手」であり、アーティストとしての個性が希薄であるということ。自作の曲もあるにはあるが、代表作はほぼ他人の手によるものである。(彼のアイドルであるプレスリーも作詞作曲はしなかったし、自作曲を歌うのでなければロック歌手としてはダメだ、というつもりはさらさらない。あくまでもビートルズ以降のロック界のスタンダードの話ということでご了解願いたい)。もうひとつは、彼は「ギターが全く弾けないか、弾けるにしてもさほどうまくないに違いない」こと。彼の弾き語り映像のどれを見ても、指使い(とくに左手)と曲調が合っているようには見えない。頭のてっぺんからつま先まで自信に満ちあふれているように見えるアリデーだが、なぜかギターを弾くときの両手の指だけは、自信なげな空虚感を漂わせている。私は長年彼のギター演奏能力について疑念を持ってきたが、フランスでも気になる人はたくさんいるようで、この点を問題にしている掲示板やブログをネット上でよく目にする(たとえばこれ)。

ゴダールの探偵 このふたつのマイナスイメージを、映画は巧妙に修正しているように見える。まず前者について。アリデーのレパートリーには、娘の誕生を題材にした「Laura」(1986)という曲があるが、この曲はじつはジャン=ジャック・ゴールドマンの作品である。ところが映画の中では、その事実は伏せられたまま、現実の世界で「Laura」が作られた頃、パラレルワールドのほうでもジャン=フィリップが息子の誕生に際し「Laurent」(!)という全く同じ内容の詩を書いていた、というエピソードが示される。要するにさりげなく、アリデーが自作派の歌手であるかのようなアピールがされているわけである(これは一種の「歴史修正主義」ではないか?)。また後者に関しては、まず、アリデーが若いころギターを習っていたという経歴がファブリスによってわざわざ語られる。さらにファブリスから「Quelque chose de Tennessee」(アリデーファンに最も愛されている曲のひとつ)のギターコード付きの歌詞を示されたジャン=フィリップが、初見で、ギターを弾きながらその歌を完璧に歌い上げるシーンがある。このときの彼の左手は、不思議なことにきちんと曲のコードに対応した動きをしている! ここでも「ギターが弾けないかもしれないロックンロールスター」というマイナスイメージが巧妙に修正されている(この場面は彼とこの曲の作者ミシェル・ベルジェの間にあった実話を元にしたものだという話もあるが)。

 映画のクライマックスで、ジャン・フィリップはギターを抱えてステージに現れる。そして自分にブーイングを浴びせかけるスタジアムを埋め尽くした観客たち(彼らのお目当てはほかにいる)を、その歌声であっという間に魅了する。ここにいたって彼はついに「ジョニー・アリデー」になるわけだが、その「ジョニー・アリデー」は、現実のジョニー・アリデーを越え、むしろ現実の彼がなりたいと考える――また、彼を嫌う人たちにも愛されるような――完全無欠のロックンロールスターに変身を遂げている...。さらにひとこと付け加えておくと、歌声ひとつで自分を知らない大観衆を征服する「ジャン=フィリップ―ジョニー・アリデー」の姿に、彼が熱望したにもかかわらず実現できなかった「アメリカ征服」という夢の残像を見るのも、あながち的はずれなことではないと思われる。

ジョニー・アリデーは昨年末、2009年に予定されているツアーをもってライブ活動から引退すると発表した。ステージ上の彼の姿が見られるのもあとわずかのあいだである。


■「ジャン=フィリップ」のDVDは仏盤/PAL方式のみ存在する。字幕は付いていない。

■ジョニー・アリデーのディスコグラフィは膨大すぎて、ベスト盤を紹介することさえ困難である。彼に興味を持たれた方には、まず最近のライブ盤DVDを視聴することをおすすめする。ゲストの多彩さ、選曲の良さ、野外コンサートの開放感を味わえる点などからいって「100% Johnny Live à la Tour Eiffel(2000)」(仏盤/PAL方式)が一押しである。アマゾンジャパンのカタログではリージョン1となっているがこれはたぶん2の間違いだと思う(確証はないが)。

■誤解のないように申し添えておくが、私はジョニー・アリデーが好きである。




MANCHOT AUBERGINE

rankingbanner_03.gif

↑クリックお願いします

FBN16.png
posted by MANCHOT AUBERGINE at 16:31| パリ | Comment(2) | TrackBack(0) | いろんなふらんす―音楽を中心に

2008年05月03日

第61回カンヌ映画祭

cannes08.jpg今年もまたカンヌ映画祭の季節になってきました。5月14日からの開催を前に、先月末プレス向けの発表が行われ、審査員や参加作品の全貌が明らかになってきました。ちなみに今年のポスターはデヴィッド・リンチの撮影した写真を使っているそうで、彼の映画作品と同じく怪しげな空気が漂っています。


今回長編作品のコンペティション部門で審査委員長を務めるのはアメリカの男優ショーン・ペンになりました。「ミスティック・リバー」や「アイ・アム・サム」などでの演技が高く評価されている彼は、映画監督としてもすでに数本を制作し、プロデューサーとしての経験も持っており、豊かな視点からの選考が期待されます。とはいうものの、彼の性格からしてまた今回も硬派で堅実な路線の作品が選ばれそうな予感が今からしています。そのほか俳優ではナタリー・ポートマン、フランスのジャンヌ・バリバール、また監督ではアルフォンソ・キュアロンや、昨年「ペルセポリス」で審査員賞を受賞したマルジャン・サトラピなどが名を連ねています。


sean-penn.jpgシネフォンダシオンおよび短編映画部門では、台湾のホウ・シャオシェン、「ある視点」部門ではドイツのファティ・アキン、カメラ・ドール部門ではフランスのブリュノ・デュモンといった監督たちがそれぞれ審査委員長に選ばれました。


さて、今年のコンペ部門参加作品はカンヌ常連組や個性的な監督が多いようです。ラインナップには、ダルデンヌ兄弟、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、スティーヴン・ソダーバーグ、ヴィム・ヴェンダースといった歴代の受賞者、アルノー・デプレシャンやフィリップ・ガレルらフランスの気鋭、アトム・エゴヤンやウォルター・サレスといった実力派、そして発表する作品が世界の映画祭で高く評価されている中国のジャ・ジャンクーの名前などが見られます。


また今回の「大物」はクリント・イーストウッドでしょう。誘拐されて戻った息子が自分の子供ではないと疑う母親を描いた、アンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコヴィッチも出演するミステリーだそうで、非常にそそられます。さらに個人的には、チャーリー・カウフマンの初監督作品 Synecdoche, New York が気になります。「マルコヴィッチの穴」や「アダプテーション」など奇想天外な物語を送り出してきたこの脚本家がついに監督デビューを果たし、おまけに出演がフィリップ・シーモア・ホフマンだということですから、とても面白そう! カメラ・ドールの有力候補となることでしょう。


オープニング作品にはブラジルのフェルナンド・メイレレス監督の Blindness が選ばれました。ジュリアン・ムーア、マーク・ラファロ、ダニー・グローヴァー、ガエル・ガルシア・ベルナルといった有名どころに加え、日本の木村佳乃や伊勢谷友介も出演しています。この作品はコンペ部門にもノミネートされていますから、今年のコンペは注目作品が目白押しですね。


このほか日本関係の作品はといえば、「ある視点」部門に黒沢清監督の「東京ソナタ」が選ばれています。またこの部門ではポン・ジュノ、レオス・カラックス、そしてミシェル・ゴンドリーの Tokyo! も選ばれていて、文字通りこの3人の監督が東京を舞台にしたオムニバス映画だそうで、日本でも話題を呼びそうです。


次回のエントリーでは開会式の模様や、参加作品自体についてもっと詳しくお伝えできればと思います。


exquise@extra ordinary #2





rankingbanner_03.gif
↑応援クリックお願いします

FBN16.png
posted by exquise at 02:10| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | extra ordinary #2

2008年04月30日

森山大道,圧倒的な速度

犬の記憶 (河出文庫)東京都写真美術館において,5月13日(火)より大規模な森山大道展が開催される.
展示は2部構成となっており3階展示室では1965年から2005年まで,40年間の撮影活動を総括するレトロスペクティブが,2階展示室では2004年より撮影が開始され,昨年ようやく出版された「ハワイ」からの作品が展示される.

森山大道がそのエッセイで自らを示す際,しばし停滞したイメージを付与する.
例えば「犬の記憶 終章」の巻頭「パリ」で次のように語る.

「ぼくは東京に居ても普段,べつに映画館に入ることもなく,芝居や演劇を観にいくこともなく,コンサートなどを聴きにいくこともなく,評判の展覧会を観ることもないといった風で,およそそうしたことに関心がない.
こんな感じは,パリに居ても変わることがなく,見物らしきことや鑑賞らしきことなどなにひとつしなかった.
それはぼくにしても,ルーブルのごく一部とオルセーぐらい覗いたことはあるけれど,まあどうってこともなかった.
(…)
では毎日何をしていたのかといえば,結局街なかをふらふらとあてどなく歩いて街角にカメラを向けているか,どこかのカフェでぼんやりと煙草を吹かしているか,さもなくば駅へ遊びにいっていた.
(…)
いくつかの駅は,ヨーロッパ各国からの国際列車が到着するので,さまざまな国から来た乗客たちが駅にひしめく.
ごったがえすコンコースやプラットホームの人群れのさなかに,ぼくもそっとまぎれこんでみる.
スナップ撮影をするときもあるが,ただなんとなく一緒に歩いているだけのことが多かった」

それにしても,ここで描かれている滞留感とその作品が内包する圧倒的な速度との対比には,ただただ驚かされる.
写真とは,1/60秒であれ1/4000秒であれ,刻々と流れていく時間をフィルム上に静止させることによって成立するが,森山大道の作品を前にしたとき人が感じるのは,その作品が含む疾走感ではないだろうか.

1972年に出版された中平卓馬との「写真よさようなら」など30年以上経過した今日でも圧巻だが,90年代,特にヒステリック・グラマーからの写真集を契機に表舞台へ復帰した後の作品でも速度は全く落ちていない.

年齢を重ねても鋭利であり続けるその創作は,まるでゴダールの映画のようだ.

大阪では,梅田 HEP FIVE 8F HEP HALL にて,5月16日(金)より「凶区」展開催.

□森山大道 HP
http://www.moriyamadaido.com/top.html
□写真美術館インタヴュー
http://www.syabi.com/topics/t_daido.html
□写真美術館詳細
http://www.syabi.com/details/daido.html



キャベツ頭の男

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN16.png
posted by cyberbloom at 22:54| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | どうってことない風景

2008年04月29日

ルネッサンス RENAISSANCE

renaissance01.jpg「ルネッサンス」は近未来のパリを舞台に、タフな男と謎の美女が活躍する陰謀と暴力のドラマ。従来のSF作品はしばしば華やかなテクノロジーを強調してきたが、ここで描かれるパリは真夏の闇夜のような美しいモノクロ。まるでフィルム・ノワールと攻殻機動隊が出会ったような、衝撃的でオリジナルな世界だ。確かにこんな映像は見たことがない。「ルネッサンス」はCGアニメと実写の組み合わせ、そして白と黒だけを使っている。日本のアニメの影響を受けつつ、フランスが先導するホットなジャンル、グラフィック・ノベルの先鋭的な産物と言えるだろう。

「舞台は2054年のパリ。この設定がクリスチャン・ヴォルクマン監督とスタッフたちの腕が最高に冴えている部分だ。このフランスの首都は容易にそれと認められるが(エッフェル塔とモンマルトルのサクレクール寺院が二大ランドマーク)、典型的な建築物には、いかにも近未来的なタッチがたっぷりと加えられている。広々としたガラス張りのペントハウスからノートルダム寺院前の何層にもなった透明な歩道まで、夜の場面が多く、雨が頻繁に降り、フィルム・ノワールの表現において光の都は文字通りのものとして幾度となく示唆されている」(アマゾンの解説より抜粋)

光の都を白と黒によって表現する「ルネッサンス」の魅力が的確に表現されている。ヴォルクマンは影響を受けた作家として押井守を挙げるが、「攻殻機動隊」のアジア的な近未来の廃墟(ある意味どこでもない場所)とは違って、不朽の記号群と化したパリを斬新に描くのは至難の技だ。その永遠の観光都市を全く新しい平面において描き出すことに成功している。他には大友克弘の名前を挙げ、また宮崎駿の生徒を自認する。リドリー・スコットの「ブレードランナー」や20世紀初頭の表現主義の影響も色濃い。確かにキャラクターの造形やストーリーが弱い印象を受けるが(ここが賛否の分かれるところ)、それは今後の宿題にしてもらって、長編第一作目は映像のインパクトを味わいたい(難を言えば、慣れない映像のせいか目がちょっと痛くなるし、黒が多いシーンではキャラの動きがわかりにくい)。

ヴォルクマンはフランスで大人のためのアニメを作り始めた先駆者の一人だ。彼が言うには、フランスでは大人がアニメを見る習慣がない(「アニメと子供の発見」参照)。アニメはまず子供の、あるいは家族のためのものである。大人だけの世界では相変わらずリアリズム(現実を舞台にするという意味での)が重視される。あくまで現実のみが公共性を担う場なのだという堅固なコンセンサスの反映なのだろう。映画のセザール賞にはアニメ部門はなく、アニメ映画を正しく評価するという土壌が全くない。それを徐々に変えていきたい、とヴォルクマンは力強く宣言する。

RENAISSANCE 公式サイト(英)
※trailer をクリックすれば映像が見れます。サイトもかなり凝ってます。
RENAISSANCE 公式サイト(仏)
※ENTREZ DANS LE SITE DU FILM というバナーをクリック。さらに videos をクリック。
RENAISSANCE-TRAILER(long version)


ルネッサンス
ルネッサンス
posted with amazlet at 08.04.29
Happinet(SB)(D) (2007-12-21)
売り上げランキング: 7215
おすすめ度の平均: 3.0
2 映像は革命的 ストーリーは三流すぎ
4 ヨーロッパ調のシン・シティ(?)。
都市のデザインは一見の価値あり。
5 全シーンが芸術
2 きたいはずれ。
1 映像革命ですか。




cyberbloom

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN16.png
posted by cyberbloom at 15:45| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | メディアリテラシー

2008年04月26日

< アプリコットのクラフティ > clafoutis aux abricots

桜の花が散ってしまったら、今度はさくらんぼの季節。

フランスの伝統菓子のひとつに「さくらんぼのクラフティ」というのがあります。タルト型にさくらんぼを並べて、小麦粉の入ったプリン生地を流して焼いたような素朴なお菓子ですが、その起源は陶器の生産で有名なリモージュ付近で古くから作られていた「フォニャルダ」というお菓子だといわれています。

abricot01.jpg

今回は家にあったアプリコットを入れてみました。甘い生地の中に甘酸っぱいアプリコットがアクセントになって思ったより美味しかったです。

「さくらんぼのクラフティ」を作るときはブラックチェリーといわれるものを使います。日本では生のものは手に入りにくいので、缶詰がお手軽です。そして「キルッシュ」というさくらんぼのお酒を是非使ってください。

* 材料*(12cmの陶製のタルト型×4)
卵 ・・・・・2個
グラニュー糖 ・・・・・80g
牛乳 ・・・・・200cc
生クリーム ・・・・・100cc
小麦粉 ・・・・・60g
塩 ・・・・・一つまみ
バター ・・・・・30g
あれば、杏露酒(あんずのお酒)・・・大さじ1
アプリコット(缶詰・半割り) ・・・・・16個
粉糖 ・・・・・適量

* 作り方*
1.卵をボールに割りいれ、ビーター(泡だて器)でほぐしたらグラニュー糖を加え、泡立てないように溶けるまで混ぜる。人肌に温めた牛乳と生クリーム、塩を加えて混ぜたら、ふるった小麦粉を加えて、粉っぽさがなくなるまで混ぜる。
2.バターは溶かしバターにして加え、混ぜたら、シノワ(または万能ざる)で漉す。(あればここで杏露酒を加える。)
3.アプリコットの汁気を切って、型に各4個並べ、静かに生地を9分目まで流し入れる。
4.190℃に温めたオーブンで30分焼く。(途中、倍ぐらいの高さまで膨らむので、生地は入れすぎないこと。)
5.オーブンから取り出して、人肌まで冷めたら粉糖をふる。(冷めてしまったら、少し温めて食べると美味しいです。)




mandoline

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN16.png
posted by cyberbloom at 08:11| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 投稿−WEEKEND CAFE

2008年04月24日

パリの初夏、それはマロニエ

4月末から5月初旬にかけてパリを彩る花、それはマロニエである。

大きいものになると高さ30メートルを超えるこの木、街のいたる所で花を咲かせている。

marronier01.jpg

白い花をつける木が多い中、ときおり見かけるのがこのピンクの花。

青い空に乾いた空気。

風に花が揺れると初夏。




キャベツ頭の男@どうってことない風景

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN16.png
posted by cyberbloom at 23:55| パリ ????| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー1週間

2008年04月23日

フランス人は傘をささない

フランスにも雨は降る。
しかし、傘をさすフランス人は非常に少ない。
何故か。
夏の間は雨が降ってもすぐに止むから。

pluie01.jpg

5月某日午後4時。
バスを待ちながらバス停で雨宿り。
ガラス張りの屋根に大粒の雨が叩きつける。

同日午後5時。
バスを降りるとこの青空。

pluie02.jpg

雨宿りをすれば、雨は止む。
パリとはそういう街である。




キャベツ頭の男@どうってことない風景

rankingbanner_03.gif
↑クリックお願いします

FBN16.png
posted by cyberbloom at 18:48| パリ ??| Comment(0) | TrackBack(0) | どうってことない風景