2009年10月31日

エッフェル塔

DSC00007.jpg「昨日は夏だった、今は秋!」
かつてボードレールが言ったように、フランスにおいて季節は何の前触れもなく変化する。
10月の間は連日20度を超える日が続き夏の名残りが強く感じられたが、11月に入ると急に寒くなった。
秋というより冬である。
最低気温は零下、最高気温は10度と急に10度近く気温が下がってしまった。

写真はべルトリッチのラスト・タンゴ・イン・パリの冒頭で、マーロン・ブランドがふらふらと歩いていたビル・アケム橋より撮影したもの。
至近距離にもかかわらずエッフェル塔も霞んでいる。
街はすでに灰色の世界に沈みこんでしまった。


CHANT D’AUTOMNE I par Charles Baudelaire

Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres ;
Adieu, vive clarté de nos étés trop courts !
J’entends déjà tomber avec des chocs funèbres
Le bois retentissant sur le pavé des cours.

Tout l’hiver va rentrer dans mon être : colère,
Haine, frissons, horreur, labeur dur et forcé,
Et, comme le soleil dans son enfer polaire,
Mon cœur ne sera plus qu’un bloc rouge et glacé.

J’écoute en frémissant chaque bûche qui tombe ;
L’échafaud qu’on bâtit n’a pas d’écho plus sourd.
Mon esprit est pareil à la tour qui succombe
Sous les coups du bélier infatigable et lourd.

Il me semble, bercé par ce choc monotone,
Qu’on cloue en grande hâte un cercueil quelque part.
Pour qui ? — C’était hier l’été ; voici l’automne !
Ce bruit mystérieux sonne comme un départ.






キャベツ頭の男

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2009年10月29日

10月の音楽 −2つの”Dark End of The Street”−

縮こまりたくなるような寒さが来るまでまだもうすこしある今時分、じっくり耳を傾けたい一曲を選んでみました。

ライヴ~モーメンツ・フロム・ディス・シアターサザンソウル・クラシックとして有名なバラード、”Dark End of The Street”。いわゆる Cheating Song で、平たく言えば「夜影の忍び会い」。あちらでもおなじみの主題なのですが、この曲がとりわけ印象的なのは、歌に出てくる二人の苦悩がしみじみと伝わるところ。明るい場所で一緒にいる人々が決して嫌いになったわけでなく、「戻れなくてももういいの(ベンベン)」と大見得きって開き直れない。しかし、罪とわかっていても、人の目を盗んでも会わずにはおられない、というまさしく Doomed Love の世界。本家本元であるジェームズ・カーのバージョンも味わい深くていいんですが、作者である白人ソングライター、ダン・ペンが渋い喉を聴かせるバージョンが、情緒に溺れず、この曲の持つ深みをもっともよく伝えていると思います。

http://www.youtube.com/watch?v=iGcM_tcJ6Tk

Boomer's Story誰が歌ってもじんとくるこの曲を、インストゥルメンタルとして再構築したのがライ・クーダー。アルバム『流れ者の物語』(Boomer’s Story)に収録されているバージョンには、詞が語るヘヴィな現実から、影から解き放たれ、純化した二人の心のありようを思わせる清らかさがあります。鳥肌もののスライドギターが堪能できますが、名ギタリストのプレイにありがちな唯我独尊の風はなく、原曲への敬意と思い入れが感じられます。

ライブバージョン(唄入り)がこちらで見れます。

http://www.youtube.com/watch?v=_-XeHmrNSoc




ファッション通信NY-PARIS

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2009年10月28日

電子ブックと書籍の未来(1) アマゾンのキンドル

週刊 東洋経済 2009年 8/29号 [雑誌]近年、革命的なテクノロジー体験が日常的なものになった。何千曲もの音楽をスットクし、指先で呼び出せるiPodしかり、自宅のパソコンから行きたいレストランの周囲の様子を見れるグーグル・アースしかり、どんなミュージシャンのレア映像も必ず出てくるyoutubeしかりだ。アマゾンの電子書籍「キンドル Kindle 」もそのひとつに加わるのだろう。カフェでビジネス書を読んでいたときに、ふと気になっていた小説が読みたくなる。キンドルの画面を数回タップするだけで、それが数分後に画面に現れるのだ。メールで請求書が届いたときには、小説の1章を読み終えているといった具合だ。

HOW TO USE KINDLE

本のデジタル化とは単にインクがピクセルに替わったということではない。本を読み、本を書き、本を売るということが根本的に変わったのだ。また本は「1冊」の中に完結しないものになり、読書という孤独な行為は共同的、社会的なものになりつつある。かつての文学理論(例えば、間テクスト性=intertexualityとか)において観念的に問題になっていたことが、現実になりつつある。19世紀のフランス文学者は代わり映えのしない白い紙と格闘し、自身の過剰な思考と想像力を受け止めてくれない「1冊の書物」という閉じた紙媒体の限界にいらだっていた。様々な媒体=メディアの限界を接合しながら新しい現実を切り開いて聞くテクノロジーに、今度は私たちの想像力が追いついていかない(このテーマは次回に切り込む)。

具体的な話をしよう。アメリカの出版業界は歴史的な転換の時期を迎えている。それを象徴する出来事が、全米最強の書店チェーン「バーンズ&ノーブル(B&N)」がアマゾンに全米首位の地位を奪われたことだった。B&Nとアマゾンは10年以上も前からライバル関係で、アマゾンがナスダックに上場したとき、アマゾン・キラーとしてオンライン書店「B&M.com」をスタートさせた。当時はすでに巨大な購買力と価格競争力を誇るB&Nがアマゾンを葬り去ると言われたが、アマゾンの独走を止めることさえできなかった。「B&M.com」はナスダック上場を果たすも、業績は低迷し、今や親会社B&Nの完全子会社になってしまった。現在B&Nの時価総額は11億ドル、一方アマゾンは360億ドルとその差は歴然としている。

オンライン書店最大手のアマゾンがリアル書店B&Nに完勝した中で電子ブック端末が急速に普及した。アマゾンが07年11月に売り出した「キンドル」が、09年2月の「キンドル2」、同年6月の「キンドルデラックス」によってさらに成長を加速させている。アメリカでは08年のインターネット経由でダウンロードされた電子書籍コンテンツの売り上げが1億1300万ドルで、07年と比べて68%伸びた。

日本では電子ブックが全く根付かなかったが、それはモノクロ画面で、ページをめくる時間がかかるなど、技術的な問題によるものだった。それは今も変わっていない。なぜアメリカではうまく行ったのか。ひとつはコンテンツの豊富さと安さである。ベストセラー小説をすべてキンドルで読めるうえに、安い。ふたつめの理由は持ち運びやすさである。アメリカのハードカバーは重くて持ち運びに不便。ペーパーバックは紙質が悪く長期間の保存に適していない。キンドルはデラックスで重さは535グラム。その中に3500冊のコンテンツを入れることができる。さらにアメリカ独自の問題もある。新聞業界の衰退のせいで新聞の宅配が止まったり、書店の数が減ったせいで近くで本が買えない人が増えたのである。キンドルならばどんな新聞もどんな本もあっという間にダウンロードできるのだ。

キンドルと対照的な事業展開をしているのが、ソニーの「リーダー」だ。リーダーはアイコンによって操作できるようにインターフェイスを工夫している。ビジネスモデルも対極的だ。アマゾンが自社の圧倒的な顧客基盤を背景に、キンドル独自のファイルフォーマットによってコンテンツを囲い込んでいるのに対し、ソニーは米出版業界標準のEPUBに対応している。このオープン戦略によって、グーグルが味方についた。7月末、ソニーとグーグルが保有する100万冊に及ぶ著作権フリーコンテンツがソニーのリーダーで読めるようになった。コンテンツの量ではアマゾンを凌駕した。

しかし、グーグルのポリシーもオープンであり、ソニーとだけ組むわけではない。グーグルとしては自身が蓄積しているコンテンツに自由にアクセスできる環境作りをしたいわけだ。グーグルは図書館にある著作権が切れた本のデジタル化を進めてきたが、それをケータイ、電子ブックなど、すべてのデバイスによって読めるようにする。さらにはそれをダウンロード販売するような方法も探っているようだ。

もちろん電子ブックには様々な問題がある。本質的なものとして、電子ブックのコンテンツは一体だれものかということだ。紙の本ならば買った人のものだが、アマゾンの購入契約では電子書籍コンテンツの権利はソフトウエアのライセンスに準じている。内容の変更や削除を行っても、コンテンツの購入者は文句を言えない。それは利用権にすぎないわけだ。

しかし、出版社にとってデジタル化の流れは大きなチャンスになるようだ。これまで紙の本は貸し借りできたが、デジタル化はそれを制限できるし、中古本のような2次流通も阻止できる。改訂作業も低コスト。表現方法も大きく変わることになるだろう。

ところで、日本といえば一度電子ブックの普及に失敗したが、キンドルは黒船のように現れた。日本の出版業界は、「出版社」「取次」「書店」というガチガチのシステムに守られてはいるが、それにも風穴が開こうとしている。
(続く)

□「電子ブック・キンドルが目論むデジタル新秩序」in 『週刊 東洋経済 2009年 8/29号 』を参照





cyberbloom

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2009年10月25日

『クレーヴの奥方』事件(1) - Je lis la princesse de Clèves!

去年、日本でスタンダールの『赤と黒』の翻訳をめぐって論争が勃発かと思われたが、あまり盛り上がらなかった。結局、研究者の内輪の議論の枠を越えられず、外部を巻き込むに至らなかった。一方、フランスでは『クレーヴの奥方』事件が起こった。こちらは同小説に対するサルコジ大統領の侮蔑発言に対して、ニュースのタイトルになっているように抵抗の象徴(une résistante)として祭りあげられたのだった



サルコジ政権は発足とともに「大学の自由と責任法」(通称ペクレス法 la loi Pécresse)などの法律を成立させ、フランスの大学の効率化に努めている。これは伝統的な大学の独立と自由を侵害するとして当初から大学関係者や学生の反対が強かった。さらに「教員兼研究者」の地位・労働条件の決定権を学長にゆだねる政令を教育相が発布したことをきっかけに、今年の2月2日、ソルボンヌで全国の大学教員の集会が開かれ、無期限のストライキに入った。教育相のグザビエ・ダルコスは改革を1年延期すると譲歩を示したが、大学はその後マヒ状態に陥った。ダルコスは密かに7月、教育相を辞任している。

クレーヴの奥方 他2篇 (岩波文庫 赤 515-1)その一連の動きの中で新しい抵抗の象徴がかつぎだされた。それが17世紀にラファイエット夫人が書いた『クレーヴの奥方』である。具体的な行動として、街角にマイクを立てて『クレーブの奥方』の輪読会が行われた。多くの教師、研究者、学生が参加し、街頭の朗読マラソンは6時間続いた。彼らの反発は、「役所の窓口で『クレーヴの奥方』をどう思うかなんて聞くことがあるだろうか。そんなことがあれば、ちょっとした見物だ」という、サルコジ大統領がまだ大統領ではなかった2007年2月の発言にまでさかのぼる。大統領は公務員試験に出題された無用な知識の例として『クレーヴの奥方』を挙げたのだった。

もちろん『クレーヴの奥方』はサルコジがケチをつけたから脚光を浴びたのであって、その内容が再評価されたということではない。『クレーブの奥方』は抵抗の象徴どころか、17世紀のセレブな文芸サロンの産物である。しかし、思いがけない宣伝効果で、『クレーブの奥方』は書店のスターになった。売上は07年から回復の兆しを見せ、08年は06年の3倍の部数が売れた。

パリ第3大学で教えているオリビエ・ブヴレOlivier Beuvelet氏がブログで興味深いことを書いていた。それはこの事件が知の転換の局面を示すというものだ。

La Princesse De Cleves (Le livre de poche: classiques)「この事件は確実に記憶にとどめられるだろうし、社会の中での知の位置の修正をもたらすだろう。一方が知を所有し、他方が知を求めるという関係は終わり、知はすべての人々の共有物、重要な楽しみとなるだろう。それまで知が届かないとみなされていた時空で、知が共有され、アクセス可能なものになった。ボルドーでは路面電車の中で翻訳の授業が行われ、公園では公開の輪読会が行われた。パリでは歴史的なデモが行われ、大学とは別の形の講義も行われた。最初それらは抗議行動だったが、個々の中にある知識欲を満たす、喜ばしい知の循環へと向かう文化の変化が、どのような条件のもとで起こり、どんな原理を持っているかを示したのである」

ところで、日本で文学作品のあらすじをまとめた本が売れているらしい。「あらすじ集」を読む動機を考えてみると、知ったかぶりをするために、あるいは大学入試や公務員試験に合格するためだろうか。もちろん、これから文学作品を読んでみようという人がとっかかりとして利用するケースもあるだろうが、多くの場合作品そのものを楽しむよりは、別の功利的な目的のために読まれていることを意味しているのだろう。

「サルコジの発言は文化一般の話だけでなく、窓口の受付係や秘書をしている人たちへの侮蔑にもなる。そういう人たちは良い本を読むのに適していないという意味にもなるから」とニュースの中でデモの参加者が発言している。確かにもっともな意見ではあるが、公務員試験は受験者の人格のすべてを測る必要があるのだろうか。公務員試験は担当する仕事をこなすのに十分な実務能力や適性を問えばいいわけで、その人がどのような文化的な関心や蓄積があるかは別の問題だという考え方もできる。つまり公務員(国家に関わる人材)の採用試験を通して、「あるべき国民の規範」が示されているわけだ。

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)日本にも教養試験があるので、「教養のある人間」がひとつの規範になっているのだろう。教養は未だにそれなりの力を持っていて、教養はないよりはあったほうがいいと思われている。それは「読書による人格形成」というモデルに基づいていて、相変わらず読むべき本のリストアップという形を取っている。

知ったかぶりや動機のない読書を増やさないためにも、サルコジとは違う意味で試験にそういう問題を出さないほうがいいのかもしれない。しかし、そういう義務をあてにしている人々もいるのだろう。もし、公務員試験に文学の問題を外してしまうと、強制力が働かなくなり、誰も文学作品を読まなくなる。それは文学の危機であると同時に、それで食べている人たちの仕事がなくなるというわけだ。

教養なんて所詮は時代の要請による相対的なもので、その都度組み替えられてしかるべきものなのだ。竹内洋の『教養主義の没落』を読むと、教養は新興勢力の文化戦略でもあり、ひとつのイデオロギーにすぎないことがよくわかる(思考停止な大学人に対する竹内氏のいらだちも)。

文学や芸術を見栄のためや道具的に使うという行為と大学人も決して無縁ではない。それは俗物教養主義と呼ばれる。大正以降、教養=文化が新中間層の階級移動(つまり成り上がっていい暮らしをすること)や、都合の良い自己形成の道具として利用されたことはしばしば指摘される。大学の大衆化とともにその傾向はいっそう顕著になったが、学歴による立身出世のメンタリティと教養主義は表裏一体だった。それは、もっぱら無秩序な読書や高踏的な趣味の鑑賞に埋没する一方で、現実の問題に全く目を向けず、それどころかそれらを黙殺するような文化主義として現れた。
(続く)






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2009年10月24日

秋の音楽 Musique pour l’automne 2009

3つのエントリーに渡った9月上旬のビートルズ特集はアクセスに関しては普段通りだったが、友人や学生から反響があったのが嬉しかった。学生たちが自分のベストソングを教えてくれたりして、今の若い人たちにもビートルズが浸透していることを再認識。

KRAFTWERK - TOUR DE FRANCE



ところで、秋はスペーシーな音楽が合う。秋晴れの空はで澄み切っていてスペーシーだし、夜空には見事な月がかかっていたりして、宇宙を身近に感じる。クラフトワークはドイツのグループで、70年代にはドイツの高速道路「アウトバーン」をテーマにしたアルバムを出しているが、今の時代は自動車よりも、エコな自転車の方がいい。「ツール・ド・フランス」は夏のイベントだが、山あり谷ありのフランスの景勝地を巡る色のない映像と軽快なスピード感、そして無機的なフランス語のナレーションはとってもクール。クラフトワークの磨きがかかったテクノ・サウンドは深みのあるスペーシー感を醸し出し、秋の空気に著しくマッチする。

FLARE - CYCLING ROUND

90年代によく聴いたKen ISHI (=Flare) に Cycling Round という曲があったのを思い出した。この曲の浮遊感とグルーヴ感も絶品だ。


Tour de France Soundtracks
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井上陽水 - 「傘がない」「ゼンマイ仕掛けのカブト虫」

テクノとは全く対極的な音楽だが、最近なぜか井上陽水を聴いている。「傘がない」(「断絶」収録)が流行っていたころ、私はまだ小学生だった。「君に会いにいかなくちゃ」いけないのに「傘がない」、「君のこと意外は考えられなくなる」けど「それはいいことだろう」と歌っていて、政治の季節の終焉を告げた浅間山荘事件が起こった年に、若者の脱イデオロギーと生活重視(ガールフレンドのことなど)への転換を歌った象徴的な歌と言われている。つまり団塊世代の変わり身の早さと節操のなさってことか。

井上陽水「傘がない」(1972)

とはいえ、「君に会いにいかなくちゃ」という欲望の強度と、ストレートなリフレインが切り開く広がりには素直に感情移入できる。陽水は今もライブでこの歌を歌い続けているが、やはり若さ特有のヒリヒリ感をかもし出す72年のアルバムヴァージョンがベストだ。Tsutayaで陽水のCDを探していたら、J-Popのカテゴリーにどうしても見つからない。別に「大人の音楽」というカテゴリーがあって、そこに置いてあった。「大人の音楽」って何(笑)。基本的に青春の音楽であるロックやフォークを歌い続けること、そしてそれを聞き続けることの悲哀のようなものを感じてしまった。

1991年の共演ライブで、陽水と親交の深かった忌野清志郎がこの曲を歌っている。脂の乗り切った頃だ。「君に会いに行かなくちゃ」というリフレインが清志郎のために書かれたって感じがするくらいハマっている。ほとんど陽水の曲を食ってしまっていて、そばで陽水が呆然としているように見える。偉大なシンガーが失われたことを改めて思い知らされる一幕だ。

忌野清志郎「傘がない」(1991)

「傘がない」がグランド・ファンク・レイルロードの「ハートブレーカー」をパクったという説があることを最近知った。確かに「ハートブレーカー」をバックに「傘がない」が歌えてしまう。本人もそれを認めているという。陽水が何かの音楽番組でビートルズのある曲が自分のこの曲になったとギターを弾きながら解説していたのを思い出した。名曲をそっと人知れずズラしながら別の名曲を作り上げるのも天才のなせる業なのか。さらになぜか中国語のサイトに、「君に会いにいかなくちゃ」の「君」は実はグランド・ファンク・レイルロードのことで、陽水が伝説の来日コンサート(大雨の中で全員で「ハートブレーカー」を合唱したという)が始まるのを喫茶店で待っていたときのことがもとになっているとあった。このあまりに整合性のある話に妙に感動してしまった。

Wikiを見たら、陽水のカーリーヘアとサングラスというスタイルはミッシェル・ポルナレフの強い影響だと書かれていた(要出典の情報だが)。言われてみれば確かにそうだが、こんなところで陽水とフランスが結びつくとは思わなかった。

井上陽水「ゼンマイ仕掛けのカブト虫」(1974)

陽水は独特のシュール感を生み出す言葉のセンスが魅力だが、「ゼンマイ仕掛けのカブト虫」(「二色の独楽」収録)に勝る歌はないだろう。特にラストシーンには戦慄する。うちの子供と一緒に聴いていたら、コントローラーで動かせるプラモデルのカブト虫を、近所の友だちが「引きずり回していて壊れた」ことを思い出したらしく、「この気持ちよくわかる」とやけに感情移入していた。最後の部分で、「何で、君の眼が壊れるの?」と聞いてきたので、「実際に壊れたのは男の方なんだよ。まあ、大きくなったらいやでも経験するよ」と私(笑)。

関連エントリー「秋の音楽 2008」(by exquise)
関連エントリー「メークアップのための音楽」(by cyberbloom)




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2009年10月20日

Nuit Blanche 2009

去年、キャベツ頭さんが Nuit Blanche(ニュイ・ブランシュ、白夜)というイベントを紹介してくれた。2002年、パリ市助役のクリストフ・ジラールの提案により実現したパリ市主催のアート・イベントである。例年10月の最初の土曜の夜、一夜限りで開催され、今回で8回目になる。




「全ての人に芸術を」という主旨の下、街のあちらこちらにコンテンポラリー・アートのインスタレーションが出現する。去年はニューヨーク・パンクの女王と呼ばれたパティ・スミスのコンサートがサンジェルマン・デ・プレ教会の前で行われたが、今年はそういう目玉イベントは見当たらない。

「全ての人に芸術を」というのがいかにも国家主導型のフランスらしい。アートもまた再分配の対象であり、重要な社会インフラなのだ。国がちょっと馴染みのないアートと市民のあいだを取り持つコーディネイターの役割を果たし、市民もそれを楽しみながら理解しようとしている。また身近な場所が舞台になっているので、地元の再発見にもつながるようだ。動画の最後に出てくる、デコボコ・サッカーに挑戦した子供たちも楽しそうだ。

Des vidéos, des photos, à découvrir ici




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2009年10月17日

ブリジット・フォンテーヌ 「私は再び攻撃に転じる!」

France Yahoo!のトップにいきなり、ブリジット・フォンテーヌ Brigitte Fontaine の姿が。すっかりおばあちゃんになっているが(今年で何と70歳!)、ラディカルな左翼魂は健在だ。ヤフーのタイトルにも“Je repasse à l'attaque”(私は再び攻撃に転じる)とあって、ちょっと目を疑った。インタビューで、反乱 rebellion とか言って拳を振り上げている。とにかく息が詰まりそうな現状で、今起こっていること、禁止されていることに反抗するのだと。かっこいい。こういう一貫した態度には勇気付けられますね。彼女も68年の申し子なのだと改めて実感。


アルバムのタイトルは Prohibition 禁止。不法滞在 sans papier もいけないし、アルコールも飲めないし、タバコを吸える場所もなしい、デモもやりにくくなっている。そのうち空気も吸えなくなるわ。呼吸をすることは地球温暖化に寄与してしまうから(笑)。とにかく、何でもかんでも禁止しやがって、という歌のようだ。

Prohibitionブリジット・フォンテーヌといえば1969年の傑作「ラジオのように comme à la radio 」(⇒試聴)が知られているが、アート・アンサンブル・オブ・シカゴとコラボした(もちろんアレスキも)アルバムは「ブリジットIII」とともにレコードが擦り切れるくらい聴いた。80年代の後半に来日したときも見に行った。名古屋のライブハウス Electric Lady Land だったと思う。歌いながら客席に降りてきたブリジッドと握手をした。あの手の冷たい感触は今でも覚えている。ツアーのメンバーにゴング Gong のディディエ・マレルブも参加していて、彼のサックスを生で聴けたのも嬉しかった。

その後、パリでも見る機会があったが、大学の講義室のようなホールで、モンチッチ頭でボンデージのボディスーツを着て歌っていた。彼女の女性性は普通とズレていて、関節を外すような独特のユーモアのセンスがある。昔から男の私からしてもストレートに感情移入させてくれない。インタビューの映像を見ても、少女のような格好をしたおばあちゃんが拳を振り上げている姿は何だか妙にかわいらしい。とはいえ、赤を基調にしたアルバムのヴィジュアルは鮮烈だし、声がしわがれつつ凄みを増していく感じが晩年の Nico を思わせる。


Comme à la Radio
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2009年10月16日

Wall Street は史上最高額のボーナス

2009年10月15日20時の France 2 より

昨晩ダウジョーンズが、この一年来始めて1万ポイントを突破し、ウオールストリートは熱狂状態。なぜならトレーダー・銀行家は史上最高額のボーナスを受け取ることになるからだ。その額、2007年の記録をさらに上回る、1兆400億ドル。内訳はバンカメ300億、JPモルガン・チェース220億、シティグループ220億、ゴルドマンサックス220億、社員のボーナス平均は9万5600ドルに上り、昨年より1000ユーロ増しとのこと。バンカメに関しては今日7−9月期が10億ドルの赤字になったことが発表された。

フランスのエコノミストは「最悪なのは、税金で助けてもらった銀行が、再び、以前にもまして超投機的な行為で金をもうけて、企業や個人世帯は相変わらず損させられたままだ」と怒り心頭。三週間前のG20において各国首脳たちはボーナスについて上限を設けなかったが(サルコジ大統領が報酬の制限を強く主張していたにもかかわらず)、金融機関に対する介入の弱さを露呈した。驚くべきことにJPモルガンは前年2倍の収益を上げ、投資家たちに「全市場にとって良い兆候だ」と歓迎されている。また個人投資家たちがリスクを負う日々が始まる一方で、一般国民のかつてない厳しい生活は、終わる見込みすらない。アメリカの失業率は10パーセント、10世帯に1世帯はローンを返せないまま。

以上が "Les banaques americaines enregistrent plus de bonus qu'en 2007"の内容。ニューズウィーク9月21日号によれば、JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモンは「ウォール街を救った銀行家」なのだそうだ。当時の財務長官ポールソンが、ベア・スターンズの買収に続き、投資銀行モルガン・スタンレーの買収を、しかも完全無料で、引き受けてくれないかとダイモンに打診し、それをダイモンが引き受けたからなのだ。株価は2008年8月29日から10月10日の間に27パーセントも下落し、リーマン・ブラザーズはすでに倒産、メリルリンチはバンク・オブ・アメリカへと売られていた最中のことである。

某外資系銀行に勤める友人は「まあ、社員じゃなくなっても金融情報は入りますよね」とのたまっていた。社員のときは個人的に届けを出さないと株の取引ができませんが、辞めてしまえば縛りはなくなり、ノウハウだけが残ります。金融業界は流動性激しいですから。業界関係者にとって、暴落時は稼ぎ時ということなのです。
 
こんなのデキレースじゃないの、と叫びたくなりますが、フランスでもサルコジ大統領が若干23歳、まだ法学部2年の息子がパリ再開発の公共事業の要職に就くことを、堂々と擁護していたり、何だか生きること自体が、馬鹿馬鹿しくなってくるようなことばかり続いています。こうしたニュースの一方で、3人の子供の父で1ヶ月前から体調を崩して休職中だった、フランステレコムのエンジニアがまた自殺したニュースが流れていました。ここ1年半でついに25人目です。





noisette@ダマされない人生

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2009年10月15日

パリのカフェ的コミュニケーション(2) マクドナルドの硬い椅子

先回(2007年)、ギャルソンに微笑み、一声かけるという「パリのカフェ」的なコミュニケーションとは対照的に、日本には人間の介在を可能な限り排除し、消費者の欲望を即物的に満たそうとするシステムが張り巡らされていると書いた。レンタルショップ、コンビニ、ファミレス。様々な自動販売機。広い駐車場を備えた郊外型の店舗。それらには人間が介在するにしても、店員はマニュアル化された言葉使いと態度で客と接し、私たちも彼らの人格を無視するようにふるまっている。現代の利便性は、人間を介さない自動的かつマニュアル化されたシステムに媒介されることを意味し、私たちはそれらに身をゆだねていると。

一方「人間の介在を可能な限り排除する」システムも、言葉で説明するとか、説得するとか、交渉するとか、そういう人間的なコミュニケーション能力を客に期待していない。そのシステムは、人間を人間とみなさずに、快・不快に反応するだけの動物としてコントロールする。

その象徴が「マクドナルドの硬い椅子」だと言われている。椅子を硬くすることにより、客の回転率を高め、客の流れをコントロールする。椅子の硬さだけではない。冷暖房の温度、照明の明るさ、BGMのジャンルや音量、家具やインテリアの仕様や配置。これらも環境の中にさりげなく埋め込まれて同じ役割を果たしている。重要なことは、個人がその中で自由にふるまい、リラックスしている感覚を損なわずに、客をコントロールすることである。

スポーツクラブでもそういう感覚を味わったことがある。溜まる場所がなく、移動し続けることを余儀なくされるような。お風呂もサウナも広いし、ジャグジーも充実しているし、施設に不満はないが、ふとした瞬間に、何か構造的に行動をコントロールされているような気がしてくる。

そういう外的な構造や快・不快の刺激でどのくらい人間をコントロールできるかはわからないが、監視社会論の中でこういう議論をよく目にする。従来の規律訓練的な管理に対して、環境型管理と呼ばれている。

一般的に管理社会というと、人々を強制的に束縛した状態に置く社会をイメージする。その最たるものは「1984年」(村上春樹ではなく、ジョージ・オーウェル)で描かれている世界だ。しかし、新しいタイプの管理が必要になっているのは私たちが自由に行動するからだ。この管理は自由を抑圧し、否定しているのではなく、逆に自由を条件としている。私たちは多様な趣味嗜好を持った消費者として行動する。自由に動く個人の行動を補足するために、マーケティングや顧客情報の管理が必要になる。これも同じタイプの管理である。

新しい管理は何よりも監視カメラと抱き合わせになっている。「ギャルソンに一声かけ、微笑む」という人間関係の蓄積がないので、どんな人間が店に入って来るかわからないからだ。店の中に限らず、マニュアル化された社会は人間の流動性が高い (つまり誰が誰だかわからない) ので、監視カメラが欠かせない。私たちもセキュリティーの確保のためにそれが必要だと信じている。

人間的なコミュニケーションをあてにしない。言葉による説得や交渉を最初から諦め、放棄する。不快感に訴えたり、居心地の悪い造りにして排除する。最近、ある自治体が公園が荒らされるのを防ぐために、「若者たむろ防止装置」を設置して話題になった。それはモスキート音と呼ばれる17KHz以上の高い周波数音を出す音響装置で、10代から20代前半の若者にはよく聞こえ、不快感を与えるが、それ以上の大人には聞こえにくいという特徴がある。何よりもそれは「選別的」だ。この出来事は自治体が公表したので問題になったが、公表されずに何らかのアーキテクチャーに埋め込まれる可能性もあるだろう。知らないうちにある場所から排除されているということが日常的に起こっていても不思議ではない。

モスキート音装置に頼るのは警備員を雇うコストが高いからと言っていたが、問題はコミュニケーションの放棄にある。かつては言葉によって当事者のあいだで解決できたような問題も、権力やシステムにあっさり譲渡してしまう。日本でやたらと機械が喋るもの、「あーしろ、こーしろ」というアナウンス(特に電車の中)が多いのも、監視カメラを要請するのと同じ構造、つまり自ら管理を外部のシステムに任せている結果なのだ。

一方で、動物的な管理が全面化しているとも思えない。そのような管理が客の回転率を調整しているのであれば、それに抵抗することもできる。

駅前にあるドトールへよく行く。ドトールが「硬い椅子」のシステムを敷いているのは知らないが、一方で「読書や物書きによる長時間の席の独占はご遠慮ください」と、「コーヒー飲んだらトットと帰れ」みたいに書かれた小さな張り紙があちこちにある。とりあえず、言葉による説得という形を取っている。しかし、無視して何時間も居座る客も多い。空いているときは私もときどきそうする。

一律に動物的な管理が有効と言うわけではなく、人間的な部分にプレッシャーをかけてみたりと、人間と動物を組み合わせているのだろう。私のよく行くドトールには高齢者の仲良しグループが集って、何時間も居座っている。回転率を考えると個人客よりもそっちの方が問題なのではと思うが、やはりターゲットにされるのは若い個人客なのだ。流動性が高まっていく日本社会の象徴とみなされ、かつ自己管理=社会化がうまくいっていないとみなされ、しばしばバッシングの対象になる人々だ。これも若者恐怖症が根底にあるのだろう。




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2009年10月14日

< モンブラン > Mont-blanc

毎年秋になり、スーパーで大きな栗を見つけるとたくさん買い込んで渋皮煮を作ります。秋のお楽しみ、といったところでしょうか。

今年はその渋皮煮を使ってモンブランを作ってみました。写真ではわかりませんが、中に大きな栗を入れています。

montblanc01.jpg

モンブランの正式名称は Mont-blanc aux marrons 。フランスではメレンゲの台にマロンクリームを絞るのが基本のようです。ルーツはイタリアのピエモンテ州に伝わる栗を使ったお菓子「モンテビアンコ」(こちらの見た目は真っ白です。)といわれているようです。

今回はマカロンを焼いて、台にしましたが、スポンジを1cm厚さにスライスして丸い型で抜いたものや市販のタルトカップで作っても美味しいと思います。

このモンブランは濃厚なので、あっさりしたものがお好きな方は、市販のマロンクリーム200g+8分だてにした生クリーム100g+ラム酒大さじ1 を絞り出してみてください。


crememarron02.jpg*材料*
「マカロン生地」
卵白 ・・・・2個分
グラニュー糖 ・・・・30g
アーモンドパウダー ・・・・90g
粉糖 ・・・・150g

マロンペースト ・・・・240g
バター ・・・・50g
ラム酒 ・・・・小さじ2
生クリーム ・・・・100cc
グラニュー糖 ・・・・10g
粉糖 ・・・・適宜


*作り方*
crememarron01.jpg1.卵白をボールに入れてほぐし、ハンドミキサーで泡立てる。軽く泡立てたら分量のグラニュー糖を3回に分けて加えながらしっかりしたメレンゲを作る。アーモンドパウダーと粉糖をふるいながら加え、ゴムベラで粉っぽさがなくなり、生地につやが出るまで混ぜる。

2.1cmの丸口金をつけた絞り袋に生地をいれ、オーブンペーパーをしいた天板に直径4cmぐらいの円形に間隔をあけながら絞り出す。5分ほどおいて生地の表面を乾かし、200℃に予熱したオーブンに入れる。(出来れば天板は2枚重ねにする。)

3.少し生地が持ち上がってきたら170℃に下げて10〜12分焼く。焼けたら天板ごとオーブンから出し、粗熱が取れたらオーブンペーパーからはずす。

4.マロンペーストをボールにいれ、ラム酒を加えてゴムベラで少し練り、柔らかくしておく。室温に戻したバターを少しずつ加えて混ぜ、均等に混ぜ合わせる。出来たクリームはモンブラン用の口金※をつけた絞り袋に入れておく。生クリームはボールに入れてグラニュー糖を加えたら、ボールを氷水に当てながら泡立て、9分だてにしておく。→クレーム・シャンティ。

5.組み立てる。
マカロンにマロンクリームを少し塗り、栗をのせたら、クレーム・シャンティをナイフなどでひとすくいのせてドーム型にならす。マロンクリームを下のほうから絞り出し、仕上げに粉糖をふる。

※モンブラン用の口金がないときは先の細い丸口金を使ったり、絞り袋もない場合は厚手のビニール袋にクリームを入れ、底の角をはさみで少し切って絞り出すのもOK。




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2009年10月10日

フランス・モデルの再評価(2) フランス・テレコムの自殺騒動が語ること

フランス・モデルの最大の特徴は、必要最低限の生活に不可欠なものを国家が提供するという点にある。国家は、いざというときの備えを提供し、富を再分配し、景気が悪いときは需要を下支えする。しかし、フランスの場合、必要なものを国民に提供するのはもちろんのこと、さらに計画と規制と言う二つの役割まで担っている。

フランスは第2次世界大戦後、経済復興のためにコルベール時代のような国家計画を実施した。それが栄光の30年と呼ばれる、1945年から75年までの経済的な繁栄をもたらした。そのような成功体験のおかげで、コルベールの精神が今も生きているのである。

コルベール的な計画経済が最も機能するのは公共インフラを整備する長期計画であろう。最近、サルコジ大統領は新しい地下鉄を作る10年計画を発表した。自動運転される新しい路線は、パリの郊外を経由し、主要な空港を結ぶ環状線になるようだ。さらにTGVの鉄道網も拡大を続けている。

フランス政府が原子力発電に力を入れることを決めたのは1970年代のことだ。オイルショックと石油不足に対応するためだった。フランスは現在電力の78%を原子力でまかない、電力の純輸出国になっている。フランス電力公社(EDF)とアレバ(Areva)という世界屈指の原子力関連会社を擁するフランスは、耐ミサイル、耐震の最新世代の原子力発電所 EPR を開発し、他国も同じデザインに倣おうとしている。

管理への衝動は、フランス国家の3つ目の役割にまで及んでいる。それは規制である。フランスはルール作りのチャンピオンである。ひとりの薬剤師が持てる薬局の数(一軒)も、パリ市内を走るタクシーの台数(1万5300台)も規制で決められている。大型トラックが高速道路の走行を許される時間帯(日曜日以外の)だけでなく、店がセールをできる期間(1年に2回、期間も役所が決める)も規制で決められている。2週間自由にセール期間を選んでよいという新しいルールが出来たとき、それは革命的な出来事として迎えられたほどだ。

それでも金融部門の規制は、現在の金融危機に対処するにあたって、役立ったと言える。フランスの大手銀行は多額の損失を出しているが、業績は確実に英米の銀行を上回っている。フランスでも不動産価格が急上昇したが、それは投機的な売買のせいではなく、人口の増加や、可処分所得の増加、住宅の供給が少なかったことが原因なのだ。

もっとも、規制の効果を算定することは難しい。フランスのある高官によると、半分は融資に慎重な伝統のおかげ、半分は規制が厳しいおかげだそうだ。フランス政府は自国の銀行に国際基準よりも厳しい自己資本規制を課している。金利負担が借りての所得の3分の1を越えるローンは組まないように推奨され、返済可能な額を超える債務を借り手に負わせてはならない法的な義務がある。制度が融資を慎重にさせる仕組みになっている。

フランス・モデルのおかげで、フランス人はクレジットカードで無駄遣いをすることもなかった。需要は支えられ、不平等はそれほどひどくはない。大聖堂は修復され、花壇にはきれいに花が咲いている。これらはフランス・モデルがうまく機能していることを意味しているのだろうか。落とし穴はないのだろうか。

その答えは、成長率の低さや失業率の高さという、失望的なマクロ指標にある。それはフランス・モデルが国家に割り当てている先の3つの役割から説明できる。

医療と福祉を支えるためには雇用主に重い社会保障の負担をかけることが避けられない。そのため、フランスの企業は雇用の創出に消極的で、インターンや派遣社員を使いまわすことも多い。フランスの失業率は現在8・6%で、アメリカとほぼ並んでいる。フランスがアメリカと違うのは好景気でも8%を切らないことだ。

つまり、フランスの労働市場は二分されている。一方は十分な給料をもらっている正規雇用の市場。正規雇用者は労働組合が交渉によって作り上げた業界慣習によって保護される。もう一方は保護されていない短期雇用者の市場。仕事に全くありつけない場合もある。とくに若者は労働市場から締め出されており、25歳以下の失業率は21%という驚異的な高さだ。イスラム系の多い郊外ではその倍にまで跳ね上がる。

コルベール流の国家計画は大規模な計画の立案や実行には有効だが、現場からアイデアを取り入れたり不安定な市場の動きに対応するのには向かない。それにフランスはベンチャー企業が少なく、中小企業も成長できない。パリ証券取引所に上場している企業の多くは創業50年以上だ。

確かに国家による規制はフランス経済を金融危機から守ったのかもしれないが、裏を返せば好景気になっても経済が活性化しないことを意味する。不況時に安定している経済は、好況でも活力がなく、ダイナミズムに欠ける。弾力性のないフランス・モデルは社会の連帯を守ることはできるが、活力ある経済成長ももたらすことはないのである。


以上が「フランス・モデル」(英「エコノミスト」掲載)の後半である。このレポートを読んでいて、フランス・テレコムの自殺騒動(結局24人が自殺)を思い出した。INFO-BASEでも書いたのだが、情報通信技術が時代の主役に躍り出て以来、企業において研究開発やイノベーションが重要になったが、これは国家レベルでも逃れられないことだろう。

レポートの中に「コルベール流の国家計画は、現場からアイデアを取り入れたり不安定な市場の動きに対応するのには向かない…それにフランスはベンチャー企業が少ない」と書かれているが、今の時代のイノベーションは事前に計画できるものではない。公共インフラの整備や製造業においては、目的は最初から決まっているが、情報通信産業では目的を試行錯誤によって探すしかないし、たとえ見つかったとしても、目的は次々と刷新されていく。この変化は産業構造だけでなく、その中に編成される人間のあり方まで変えてしまった。

フランス・テレコムの事件は、正社員が制度的に保護されているせいで、逆に精神的に追い詰められてしまうこと、つまり、新しい産業構造が流動性を求めているのに、国の方が古い制度を維持しているせいで、正社員の意識がそのあいだで引き裂かれていることを示している。しかし、日本のように、それが企業に過剰な流動化の口実を与えてしまいかねないことが難しい問題である。フランスといえばバカンスだが、バカンス制度を維持できるのもそういう保護主義があるからだろう。人間が人間らしく生きること。それは若者や移民など、一部の国民さえも排除しつつ維持されている面も大きい。グローバリゼーションの観点からすれば、フランスは既得権益の砦のように見えてしまう。

関連エントリー「フランステレコムの自殺騒動」(9月25日、INFOBASE)
「フランス・モデルの再評価(1)」





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2009年10月09日

フランスから見た日本

姉妹ブログ FRENCH BLOOM NET‐INFOBASE の方でフランスのメディアの記事の中から「フランスから見た日本」をテーマにしたものをピックアップしています。superlight さんに翻訳してもらって、私がときどき解説を加えるという形でやっています。「なぜ日本女性は子供を生まないのか?」から始まったこの企画は、話題の Twitter にひっぱられたりして、かつてないアクセスを呼んでいます。

そして「草食系男子」の命名者である深澤真紀さんが、「日経ビジネス associé 」に掲載されたインタビュー記事(10月8日)で、「フランスの雑誌が紹介する日本の草食系男子」(9月9日、FBN-INFOBASE)にリンクを貼ってくださいました。さすがにメジャー媒体からのアクセスは桁が違います。

□「なぜ日本女性は子供を生まないのか?」
http://cyberbloom.seesaa.net/article/127297922.html
□「なぜ日本女性は子供を生まないのか?−につっこみを入れる」
http://cyberbloom.seesaa.net/article/127820670.html
□「フランスの雑誌が紹介する日本の草食系男子」
http://cyberbloom.seesaa.net/article/128385171.html
□「ユニクロがパリに旗艦店、柳井正インタビュー」
http://cyberbloom.seesaa.net/article/128965582.html

ついでに最近アクセスが特に多かった記事をふたつ紹介します。このふみこさんがテレビに出演したこと、シャルロット・ゲーンズブール主演の「アンチキリスト」がどこかで話題に上ったことが原因のようです。

□「料理人―狐野芙実子(このふみこ)」(by mandoline)
http://frenchbloom.seesaa.net/article/104404613.html
□「カンヌ映画祭受賞結果」(by exquise)
http://frenchbloom.seesaa.net/article/120237399.html





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2009年10月06日

フランス・モデルの再評価(1) The French Model

フランスでは地上50メートルの高い場所で景気刺激策が行われる。13世紀に立てられたゴシック大聖堂の大掃除である。職人たちがブラシを使って屋根の汚れを落とすのである。フランス政府は現在、景気対策の一環として総額260億ユーロのプロジェクトに取り組んでいるが、大聖堂の修復工事もそのひとつ。アメリカから景気刺激策をやるようにうるさく言われたが、フランス政府の対策はインフラの整備を前倒しで実施するだけであった。いかにも国家主導主義の伝統を持つフランスらしいやり方だ。

フランスは弱者には優しいが、その分、税が重く、規制も多く、保護主義色が濃い。このような国はヨーロッパでは珍しくないが、フランスは際立っている。なにしろルイ14世の財務総監を務めたコルベール Jean-Baptiste Colbertの時代から国家主導で、道路や運河や大工場が建設されていたのだから。

フランスの経済・社会モデルは漠然と「フランス・モデル The French model 」と称されている。このフランス・モデルは近年、経済成長や雇用創出も満足にできない制度として厳しい批判にさらされてきた。

批判していたのはイギリスやアメリカだけではない。フランスの大統領ニコラ・サルコジも批判者のひとりだった。サルコジ大統領はいまでこそ自由放任型の資本主義は終焉したと主張しているが、彼が大統領選で勝利できたのは、停滞するフランスモデルに代わるものとして、アングロサクソンモデルを賞賛していたからだ。今でこそ、カーラ夫人のせいで左傾化しているとさえ言われているが。

フランスは他国と同じように世界的な景気後退の大打撃を受けている。今年2月の失業率は8・6%に達していた。とはいえ、フランス経済が受けた打撃は他国に比べて弱かった。これまで何かと財政浪費で非難されてきたフランスだが、財政赤字もかなり低く抑えられている(フランス6・2%、イギリス9・8%、アメリカ13・6%)

フランス人は貯蓄に励む傾向が強く、無理な住宅ローンを組んだり、クレジットカードを使って散財したりしない。フランスでは政府が銀行を救済する状況に陥る気配すらない。
最近イギリス人やアメリカ人はフランス的な言動をするようになっており、それをフランス人は面白がっている。例えば、オバマ大統領はアメリカ国民に対して節約や貯蓄、モノつくりを奨励し、富の再配分と医療サービスの充実を訴えている。金融立国として名を馳せたイギリスはサブプライムのダメージも大きく、ブラウン首相が「自由放任主義型経済の時代は幕を閉じた」と宣言。財界人は「金融の蜃気楼」に頼るのではなく、まともな産業政策を実施するよう政府に要求している。ル・モンド紙は「かつて酷評されたフランスモデルが、危機の到来で再び脚光を集めている」と書きたてた。

確かに失業への不安は感じられる。その一方で景気がさらに悪化しても公共部門と社会福祉システムが下支えしてくれるだろうという安心感がある。公共部門で働く雇用者はフランス全体で520万人いて、就労者全体の21%にあたる。景気後退の影響をわずかに受けるだけで済む就労者と定年退職者は50%近くにまで達する。フランス・モデルは不況の衝撃を緩和する役割を果たしている。加えて、フランスには手厚い社会保障制度がある。失業手当は前職の給与の70%ももらえることもある。子供手当てなど、家庭を支援する各種手当ても充実している。フランスの医療制度は官民の双方が負担し、誰でも医療サービスが受けられる。民間の医療保険に加入できず、医療費を払えない人には、資産調査をしたうえで国家が医療費を負担する。

ラガルド財務省は、こうした安定装置が需要を下支えする効果を発揮しており、景気刺激策のひとつとみなせるという。「フランスではもともとショックへの緩衝材が備わっていたので、それを利用するだけで充分でした。私たちは雇用制度や医療・福祉制度を作り直す必要がなかったのです」



以上は、「フランス・モデルの再評価」(英『エコノミスト』掲載)の前半部の抄訳である(ちょっと補足も加えた)。それまで評価の低かったことが金融危機の際に再評価されるという論調は、日本に対してもあった。例えば、日本はバブルの崩壊の教訓を生かして、いくら欧米の金融機関に金融デリバティブを買えと言われても、金融危機の引き金になった悪魔の商品に手を出さなかった(「サムライの復讐」in『ル・モンド』紙)。つまり日本の金融鎖国的な態度(それは規制の産物にすぎなかった)によってサブプライムの直撃をまぬがれたというわけだ。その後、三菱UFJがモルガンスタンレーに出資したり、野村がリーマンの欧州・中東部門を買収したり、日本の金融機関は余裕があるかのように見えていたが。

日本とフランスの大きな違いと言えば、フランスが国家主導で社会インフラを整備してきたのに対し、日本の福祉に対する公的支出は先進国の最低の水準にとどまり、その代わりに企業が従業員の福利厚生を丸抱えしてきたことである。終身雇用、年功序列型賃金制度に支えられた日本型雇用は、経済成長が続く限りはうまく回っていたが、そのシステムが崩壊して、従業員が外に放り出されたとき、それを受け止めるセイフティネットが何も用意されていないことをさらけ出してしまった。もちろんフランス・モデルにも負の側面もある。それは次回に。

「フランス・モデルの再評価(2) フランス・テレコムの自殺騒動が語ること」


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2009年10月05日

9月の音楽 Dedicated to Miss Chris Connor

クリス・コナー(+2)(完全生産限定盤)外資系レコードショップの歌ものジャズのコーナーには、毎月ニューフェイスの「彼女達」のアルバムが並びます。さりげなく巧みなアドリブを聴かせるひと、楽器のように声を操るノリノリなひと、耳に心地よくいい気分にさせてくれるコケティッシュなひと。しゃれたデザインのジャケット同様、音の方もとても洗練されています。ジャズの歩みとともに、「彼女たち」もまたアップデートされていっているのでしょう。
 
そんな彼女たちの音楽を変幻自在なファッションモデルに例えるとするならば、先頃亡くなったクリス・コナーの音楽は、「昔の映画女優」でしょうか。誰が見ても美しいけれど、「今」な感じではない。美貌も時に重く、野暮ったく感じられてしまうものです。
 
しかも、同時期に活躍した白人ジャズシンガー、アニタ・オデイやジューン・クリスティが、それぞれ粋な艶っぽさ、可憐さで今でも人気を誇っているのに、クリスの歌はそんな「華」がない。ノスタルジアとともに語られる美人歌手ではありません。
 
それでも、まじめな深いアルトの声で一心に歌う若いクリスの歌に耳を傾けるたびに、モダンジャズという音楽への彼女の溢れんばかりの気持ちに胸をうたれます。これまでの享楽的な楽しさから一歩踏み出し、新しい地平を目指していた同世代のジャズのクールネスを、シンガーである前に、一個人として愛していたのでしょう。単なる歌伴にとどまらずスウィンギーに、ブルージーに我が道を行くコンボを相手に歌う彼女は、その音楽に単に乗っかるのでなく、一緒になって更なる高みへ登りつめてゆきます。抑制が効いているけれど、いつのまにか聴き手の胸をしっかりおどらせる、ホットなやり方で。50年代、20代のクリス・コナーが、フルートにトロンボーンといった軽やかな音の布陣と一緒に吹き込んだアルバム、”This is Chris”は、まさに、これこそジャズのクールネス、という瞬間に満ちています。のびのびと、高く、高く舞い上がる感覚。これぞ、クリス・コナーの真骨頂。
 
クリスはまた、一級のバラード歌いでした。技巧に走らず、独りよがりに陥らず、細やかな心情をごく自然に表現する彼女の歌は、ジャズ好きでない方にもぜひ聴いていただきたい。特に、秘めた胸の内をテーマとする歌は、絶品。バンドシンガー時代にヒットさせた”All About Ronny”は、彼を慕う娘心というかわいらしいレベルを超え、尋常でない深遠を感じさせます。「ワインはいらない、空のグラスがあればいい。だってあの人はシャンパンなのだから」というくだりは、陶然とさせられてしまう。彼女が歌で作り上げたヒロインは、なぜここまで一心に思い詰めるのか・・・あれこれ妄想してしまうほどです。
 
ベストのテイクではありませんが、”All about Ronnie”はここで聴けます


60年代のライブ盤に収録されているテイクは個人的にお気に入り。同じアルバムで聴けるお別れバラード、”Don’t Worry About Me”も、すばらしい。




GOYAAKOD@ファション通信NY-PARIS

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2009年10月03日

夏休みのフランス語講座F 「汚れた血」でフランス語!

誰かを好きになったとき、その気持ちを音楽に代弁させようと思ったことはないだろうか。自分の貧困なボキャブラリーに比べてはるかに音楽は雄弁だ。ただ聴かせるだけでは十分ではない。それに運命的なものを感じさせなければならない。

偶然に流れてくる音楽にも運命的なものを感じることがある。例えば街の中でふたりでいるときに、たまたまふたりともよく知っている音楽が流れてくる。一瞬にしてふたりの意識はシンクロする。音楽にはそういう力がある。

しかし、いつもうまくいくわけではない。偶然とか運命を味方につけるなんて至難の業だし、音楽ほど趣味性(好き嫌い)に左右されるものはない。男と女が音楽を通して深い共感に至ることは奇跡に近いことなのかもしれない。

映画「汚れた血 Mauvais Sang 」の主人公アレックスもそういうことを目論んでいる。この時期のフランス映画の名シーンとして名高い、アレックスがデビッド・ボウイの「モダン・ラブ」に合わせて疾走するシーンがあるが、そこに至るまでのシーンの中でのことだ。「汚れた血」は1986年の映画なので、CDもまだ普及していない(フランスは日本よりも遅かったはず)。音楽の媒体はレコードとラジオだ。

動画の40秒あたりから見てください。



Alex :J’arrive pas à choisir. Je vais mettre la radio. J’aime bien la radio. Il suffit d’allumer. On tombe toujours pile sur la musique qui nous trottait tout au fond. Tu vas voir. C’est magique. Attention! Pas de chance. Dis-moi un chiffre, Anna. Au hasard. Vite, Anna, un chiffre.
Anna :Quoi?
Alex :D’accord, trois. Un…deux…trois… Voilà. Ecoutons. Les sons vont dicter nos sentiments.

設問
@近接未来(近い未来)の文を抜き出しましょう。3つあります。
A命令法の文を抜き出しましょう。2つあります。
Bふたりのやりとりのあいだに誤解が生じています。それはどういうことでしょう。


@近接未来は aller + 不定法で表されます。
Je vais mettre la radio. ラジオをつけるよ。
Tu vas voir. 見ててごらん。
Les sons vont dicter nos sentiments. この音が僕らの気持ちを語ってくれるだろう。

A命令法は現在形の主語をとって作ります。
Dis-moi un chiffre.(→Tu me dis un chiffre.) 僕に数字を言って。
me が動詞の前にある場合、moi に換えて、ハイフンで後ろにつなげます。
Ecoutons.(→nous écoutons.) 聴こう。

☆J'arrive à choisir.=Je n'arrive pas à choisir.
arriver à 不定法:首尾よく…する
訳)結局選べなかった。
☆Il suffit d’allumer.
Il suffit de 不定法:…するだけで十分
訳)スイッチを入れるだけで十分だ
☆On tombe toujours pile sur la musique qui nous trottait tout au fond.
tomber pile sur :ちょうど偶然出会う
qui:主格の関係代名詞
trottait :trotter の半過去
訳)僕たちはいつも心の奥底にしみついた音楽に偶然出会う。
☆Pas de chance.=Je n’ai pas de chance. 
訳)ついていない。運がない。

Bアレックスは、音楽をかけようとしたが、どのレコードを選んでいいかわからず、次にラジオに賭ける。アンナに好きな数字を言わせ、その回数だけ、チューニングのコントローラーを回すつもりだ。しかし、アンナはアレックスの話を聞いていない。Quoi? (何?)って聞き返したのをtrois (3)と聞き違える。3度回したところで、チューニングが合う。

「聴こう、この曲が僕らの気持ちを語ってくれる」

たとえどんな曲がかかっても、アレックスはそれに運命を読みとるだろう。偶然を強引に味方にひきいれることで、思い入れをさらに強化しようとしている。しかし残念なことに、それはアンナには伝わっていない。あとのシーンが象徴するように、ひとりよがりな暴走でしかない。

「汚れた血」のストーリーを駆動するエンジンのひとつは、アンナという仕事仲間の女に対するアレックスの過剰な思い入れである。つまり横恋慕。若さというものはつねにはた迷惑なものであるが、そうせざるを得ないのも若さである。個人的には、夜の底にまどろむような、ちょっと重たげなアンナ(ジュリエット・ビノシュ)よりも、夜の街を長い髪とスカートの裾をなびかせて軽やかに駆けるリーズ(ジュリー・デルピー)のシルエットに魅了された。

偶然チューニングの合ったラジオ番組はリスナーからのリクエスト方式で曲をかけている。昔聴いていた深夜番組が懐かしい。今もこんな形式のラジオ番組は残っているのだろうか。

関連エントリー「音楽で観る映画『汚れた血』」


★今回をもちまして「夏休みのフランス語講座」は終了です。




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cyberbloom(thanks to tatin)

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