2010年01月30日

「トウキョウソナタ」

トウキョウソナタ [DVD]2008年のカンヌ映画祭の「ある視点」部門で審査員賞を受賞した『トウキョウソナタ』を見た。キャッチコピーから、もっと淡々とした感じの映画かと思っていたら、シャレになっていないシーンも多く、かなり深い部分をえぐってくるような衝撃を感じた。しかし直視すべき映画である。派遣村の報道などでしばしば垣間見られる底の抜けた東京の現実。そして完全に破綻した世代間のコミュニケーション。

リストラにあった夫(香川照之)は46歳。微妙な年齢だし、微妙な世代だ。50代、60代と違って「昭和的価値観」で目と耳を閉ざしたまま逃げ切ることもできない。自分自身それに疑念を抱いているから、まるっきり張りぼてなのだ。子供に対して怒鳴ったり、殴ったり、旧態依然とした権威を振りかざすが、説教の内容は「おまえが言うな」って感じで、そのまま自分に返ってくる。むしろ子供たちが見ていてかわいそうだ。子供たちは今までよりもいっそう早熟にならざるをえないのだろう。なぜなら親たちの価値観ときたらまるで全く使いものにならず、逆に有害ですらあるからだ。人生の方向付けにアドバイスできるどころか、子供たちからは親たちの思考停止ぶりやバカさ加減がはっきりと見えている。だから早くから自分で自立と自活の道を模索しなければならない。

次の世代に何も伝えられない。生きる指針として伝えるものが何もない。これが最も深刻な事態なのだろう。下の世代からは「あんたたちはバブルで浮かれて、バブルの余力で生き残っているだけじゃないか」というふうにしか見えない。「父親の権威」なんて羽振りの良かった時期の、年功序列と終身雇用に裏打ちされた「男性正社員」という身分によって担保されていたにすぎない。それだって自分で考え抜いて選択したものではなく、時流に流されてきたにすぎない。それに代わるものがないから。オルタナティブについて考えてこなかったから、その虚像の上塗りを繰り返すしかない。。子供がアメリカの軍隊に志願しても、なぜそれがダメなのか説得力のあることが言えない。家族がセーフティネットになるか、泥舟になるかは、日ごろから話し合っていかに価値観を詰めておくってことだろうか。最後の砦である家族のあいだでコンセンサスがとれていないことは今の時代にあっては限りなくリスキーなことなのだ。私自身の、あるいは同世代の周囲の家族を見ていてもそれを実感させられる。

トウキョウソナタ(竹書房文庫た1-1)もうひとつ会社という組織の変化がある。前の会社で総務課長をやっていた自分が何で他の会社で受け入れられないのか。主人公の男は傷ついている。リストラされた会社でも、新しい会社の面接でも「あなたは会社のために何ができますか」と聞かれて何も答えられない。質問の意味すらわからない。新しいアメリカ式の人事は「すぐここであなたの能力を示してください」とまで言う。日本のサラリーマンの能力は、ある会社のある部署で培われるローカルな能力なので応用が利かないとしばしば指摘される。男は苦し紛れに「人間関係を円滑にできます」と言うが、そんなものは何の役にも立たない。「フランステレコムで何が起こったのか」で書いたことだが、今や労働者は与えられた仕事を従順にこなすことを求められているのではなく、潜在的な能力を持った人的な資本とみなされ、常にみずからの能力を開発しなければならないのだ。

小泉今日子はいい感じで歳をとっている。私と同い年だったと思うが、彼女が16歳でデビューしたときあまりにかわいくてファーストアルバムを予約してしまったほどだ。彼女と、リストラにあった夫と一緒に心中してしまったもうひとりの主婦とは、どこが違ったのだろうか。とにかく現状を受け入れようと開き直ったことだろうか。コミュニケーションが取れたわけでも、価値観を刷り合わせたわけでもない。その作業はこれからだ。ドビュッシーのピアノソナタが家族の再生を奏でる。

「トウキョウソナタ」公式サイト




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2010年01月28日

日本の子育てはフランスに追いつけるか(2)

ちょうど19日にフランス国立統計経済研究所(INSEE)が、2009年度のフランスの出生率(正確には「合計特殊出生率」、女性1人が生涯に産む子供の数)を1.99(暫定値)と発表した。08年の2.005から下落し、2年ぶりに2.00を割ったが、それほど大きな変化ではない。フランスの人口は1月1日現在6466万7000人で、前年同期比で34万6000人増加した。

先回の重要な論点は、もともとフランス人の女性は働いていたのではなく、1960年代まではフランスでも「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」というのが標準家庭だったということ。そして70年代以降、働く女性に優しい法律を策定することで、そのようなライフスタイルがここ30-40年のあいだで一気に変わったのだった。

それでは佐々木常夫さんの「日本の子育てはフランスに追いつけるか」の続きを。

「働くのは夫」という共通意識は日本企業を長時間労働に追い込んでいる一因でもある。それは「家で夫は何もしない」という前提だから、会社にすべてを預け、男の人生=会社になってしまう。この役割分担は明治の富国強兵の時代から始まり、高度経済成長の時代にはそれなりの幸せを生み出したのだろう。男たちは家のことが気になっていたのだろうが、会社が帰らせてくれない。しかし家で妻の訳のわからない話を聞いたり、気が重くなる子供の教育に関わるよりは、会社にダラダラいるほうが心地よいし、楽なのだ。

日本にフランス式が根付かないもうひとつの理由は、自己責任や自助努力という考えが日本に蔓延しているからだ。このアメリカ式の考え方が日本にも浸透して、親の経済力では大学に行けないとか、自分の稼ぎでは子供を育てられないという人が現実にいるのに、それを自己責任という理由で切り捨ててしまう。

佐々木さんの出身地の秋田県では07年に子育て新法の導入が議論されたという。4%の県民税に0・4%を上乗せして、年間25億円を集め、県独自の子育て支援に使おうという自治体初の試みとして注目を集めた。その内容は、保育料の半額助成、3人目以降の子供には奨学金を貸与することだった。事前の県民へのアンケートで、この策が秋田県の発展につながると70%が回答したが、一方で新税を負担したくないという回答が70%に上った。そしてこの計画は結局流れてしまう。つまり現実の生活や目先の損得が、長い目でみれば正しいであろう政策や理想を打ち壊したわけである。

やはり日本ではフランスのような少子化対策は無理なのだろうか。政治家はもちろんのこと、知識人やメディアも一緒に信念を持って根気よくアピールことだと佐々木さんは述べている。

佐々木さんは現在、東レ経営研究所社長という立場だが、ご長男が自閉症で、かつお連れ合いがうつ病でご苦労なさったようである。朝5時に起きて家族全員の弁当を作るには、10時に寝る必要があり、当然、残業などやってられない。それで上司と何度もぶつかった。しかしそれを通して佐々木さんは働く女性の立場を理解・実感し、一方で自分が責任を持って家のことをやらないとこの家はダメになると思ったのだそうだ。会社に依存する男性たちを一方的に批判するのではなく、彼らはそういう立場になったことがないから知らないだけなのだと擁護する。

佐々木さんは『東洋経済』の次の号で日本企業の残業について書いている。もちろん誰も表立っては言わないが、正社員は残業手当や休日手当てを増やしたいから、進んで残業をやる。つまりわざとダラダラと仕事をして残業まで持ち込み、効率や生産性を落としているのだと喝破している。そういう男性社員は「家に帰ってもすることがない」と言う。つまり家庭にコミットするつもりもなければ、仕事以外の人生もない。それが多くの男性社員の人生観、生活態度なのだと。

『東洋経済』(1月9日号)にリチャード・カッツ(FTやNTに寄稿する知日派ジャーナリスト)が「子供手当論争から日本の病巣が見える」という興味深い記事を書いていた。そこで「日本の社会保障の衰退は日本の社会保障制度が国民全体を対象としていないことが理由だ」と述べている。つまり、社会保障制度が職業や会社の規模、婚姻などによって分割されているからだ。政府が社会保障を企業に丸投げしてきたせいで、どの組織に所属するかで給付される額や受けられるサービスがバラバラで、不公平なものになる。子育てに関しても、余裕のある大企業は子育て支援をするかもしれないが、中小企業はそれどころではなかったりする。相変わらず制度的に主婦が優遇され、働く女性がバカを見たりする。日本全体が潤っているうちはいいが、「貧すれば鈍する」の状況だとそれが顕在化して、自分と立場の違う人間に対する不満と不信が募り、社会的な連帯感が損なわれるとカッツは指摘する。

さらに問題なのは世代間の不信である。佐々木さんが挙げていた「秋田の子育て支援案」が流れてしまった例も、その側面が大きいのだろう。自分の子供や孫にはお金をやっても、他人の子供や孫のためには税金を払いたくないのだ。民主党が打ち出す「子供手当」に対する支持がそれほど大きくない(60%から徐々に下がっている)のはそういう連帯感の欠如が根本にあるのだろう。今や日本では高齢者を抱える世帯の方が、子供のいる世帯よりも多く、過去20年で子供のいる世帯が半減している事実がある。逆に言えば「子育てが自分の問題ではない世帯」がそれだけ増えたということでもある。同じように年金保険料を支払わない若者が増えている。それは高齢者を利するだけで、自分たちには見返りがないと思いが根底にある。

リチャード・カッツはこのような分断状態、あるいは分断から生まれる利己主義は、現在の制度や指導者の言動によって生まれたものだという。国の指導者はそのような国民の姿勢を変えるような状況を作りださなければならないと、佐々木さんと同じようなことを言っている。そのひとつがフランスでもやっている「所得制限なしの子供手当て」(所得制限をつけると富裕層は手当を慈善とみなすだろう)のような国民全体を対象にするような社会政策なのだという。市民不在の日本と言われるが、自民党と官僚に好き放題されていたことにようやく気が付いたところで、まだまだ道のりは遠い。




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2010年01月26日

ちょっとしたカルチャーショック

TAXi2 スペシャル・エディション [DVD]先日、授業中に映画鑑賞をしていたときのこと。ちょっと古い映画であるものの毎年学生さんの評判がいいので『TAXi 2』をよくとりあげているのですが、観劇中ふとあることに気がついてカルチャーショックじみたものを感じました。この映画では案外エゲツない描写がちりばめられてるんだなぁ、と。

まずその一つ目ですが、冒頭付近で主人公のダニエルが恋人のリリーの実家を初訪問する場面からはじまります。リリーの父親というのがフランス軍の幹部で、公私混同もはなはだしく普段から話す口調がやたらと軍人っぽくて、とっつきにくいところがある。ところが、飄々とした&物怖じしない性格のダニエルはエスプリの利いたやりとりで対応し、この父親と意気投合することに成功します。

そして、ぼくが気になったのはその直後で、リリーの父親がアルジェリア戦争での武勲を誇らしげに語る場面。この自慢話をリリーと母親はさんざっぱら聞かされているらしく、気もそぞろに聞き流している一方で、恋人の父親に配慮をしているのか、ダニエルはふんふんとそれなりに真剣に聞いている。ここで、「あ」と気がついたことがありました。

というのも、ダニエルはフランス旧植民地国の移民という設定であり、で、この(アルジェリアからの?)移民であるダニエルに対し、フランス軍の幹部がアルジェリア戦争の武勲を語るというのは、ある種のブラックジョークになるなぁ、と…。

このことに気がついてみると、さらにほかのところでもおなじようなブラックジョークではないかと思われるエピソードがみつかります。それは物語終盤で、ダニエルたちが日本のテロリストヤクザ集団を追いかけてマルセイユからパリに移動するときのエピソード。時間に余裕のないダニエルたちは、リリーの父親の操縦する軍用機をつかい、愛車もろともパラシュートをつかってパリに到着します。これって、アルジェリア戦争時、アルジェリア独立に反対する現地の進駐軍がクーデターを起こしてパリにパラシュート部隊をぶちこもうとし、フランス国民を恐怖のどん底に陥れたことを踏まえているんじゃないのかなぁ…。

このように外国映画ってのは、その国のことを知識としてある程度知っていたとしても、やはりその国民でないとすぐには気がつかないエピソードがかなりあると思います。みなさんのなかにも、ぼくとおなじように、外国映画で何気ないエピソードだと思っていたのが、あとになってそれになんらかの意味やメッセイジが含まれていると気がついたケースはありますか?



superlight@super light review

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2010年01月25日

今月の一曲 浅川マキ 『それはスポットライトではない』

DARKNESSIV浅川マキさんが亡くなった。ステージに現れなかったことで、この世にバイバイしたことを皆に伝える事になったと聞き、そうか、と納得してしまいました。鈴木いづみの小説『ハートに火をつけて!(誰が消す)』に名前を変えて登場する、からりと皮肉の利いた handsome な歌手のイメージと、すっと結びついたからかもしれません。
 
死を伝える記事の見出しには「アングラの女王」といったいかにもな名詞が並んでいます。確かに、華やかな場所とは縁のない人でした。しかし、シンプルに、すぐれた歌い手であったことを強調しておきたい。特に、自己流に歌詞を訳して歌った「洋楽」のカバーは、言葉の選び方ひとつ、歌い方ひとつに浅川マキという人の個性と魅力が現れていたと思います。
 
とりわけ印象に残った一曲を選びました。原曲の歌詞にある「想う人との再会」の部分をばっさり切ることで、永遠に失ったもの−あんたの目に輝いていたあの光−を思っては悔やむ男の気持ちに焦点を合わせた彼女のバージョンは、作者であるオリジナルのジェリー・ゴフィンや、ロッド・スチュワート、ひいては彼女にインスピレーションを与えた御大、ボビー・ブランドのバージョンも軽く凌駕するものになりました。途中挟まれる原曲の英詩も味わい深いのですが、浅川マキの声と日本語詩は、色恋を超えた「おいら」の純な心を切々と伝えて、たまらない気分にさせてくれます。

それはスポットライトではない(It’s not a Spotlight)

日本人の歌う洋楽、という点からも、かなりのカッコよさだと思うのですが。




GOYAAKOD@ファッション通信NY-PARIS

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ラベル:浅川マキ 
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2010年01月23日

エリック・ロメールを偲んで―「映画とクラシックのひととき」番外編―

ヌーヴェルヴァーグの巨匠でフランスを代表する映画監督エリック・ロメールがこのほど亡くなった。享年89歳。大往生である。フランス映画を観ることに多くの歳月を費やした者ならば、ロメールを偲ばない訳にはいかないであろう。

エリック・ロメール コレクション 海辺のポーリーヌ [DVD]あれは2002年の5月頃だっただろうか。私はパリ第8大学哲学科の事務所の前に立っていた。隣には、背の低い、品のよさそうな老人がいた。私は尋ねた。「ルネ・シェレール教授をご存知ですか?」老人は微笑して答える。「もちろん、知っていますよ。私がルネ・シェレールです」私はいささか驚き、つまらないことを口走ってしまった。「あなたが、あのエリック・ロメールの弟なのですか?」しかし、シェレール教授は少しも嫌な顔をせず、満足そうな笑みを浮かべ、頷いてくれたのである。彼にとってもロメールは自慢の兄なのだ。私はシェレール教授のゼミ生になったが、その後、ロメールの話はしなかったように思う。

ルネ・シェレールは故ジル・ドゥルーズやジャック・ランシエールらと並ぶパリ第8大学哲学科の名物教授であり、その著書も何冊か翻訳されている哲学者だ。だが、彼がロメールと兄弟であり、なぜ、苗字が違うのかということは余り知られていないかもしれない。映画監督ロメールの本名はモーリス・シェレールであり、エリック・ロメールというのは全くの芸名(偽名?)なのである。何故、彼が名前を隠したのかといえば、映画を作り始めた学生時代、両親には「自分は医学を学んでいる」と告げていたためだ。その後も、親には医者になったと偽り続けたのだが、エリック・ロメールという名前はどんどん有名になっていく。その有名な映画監督が自分の息子と同一人物であるとは親はいつまで経っても気がつかなかったのだという。

実際、ロメールは医者にはならなかったが、高校(リセ)の教師になり、定年まで働き続けた(途中からは大学教授として)。その点では親を安心させたのかもしれない。世界的に知られるようになっても兼業を続けていたのは親に対する配慮からか。その職業ゆえ、在職中の彼の作品は当然ながら学校がヴァカンスになる夏休みと春休みにしか撮影されなかった。しかし、そのおかげでフランスの最も美しい季節がフィルムに収められることになったのであり、そしてそれらが1970年以降のフランス映画を代表する傑作の数々となっていったのである。われわれはロメールの「兼業」に感謝しなければいけないだろう。

レネットとミラベルの四つの冒険/コーヒーを飲んで (エリック・ロメール コレクション) [DVD]ロメール映画は日本にはかなり遅めに入ってきた。あくまで前衛を突き進むゴダールや、フランス映画の「伝統」に回帰し、良質の映画を提供するトリュフォーと比べて、ロメールの映画は長いあいだ分類するのが難しい類いの映画だったのだろう。彼の新作がリアルタイムで日本に輸入されたのは、『海辺のポーリーヌ』(1983)辺りからではないだろうか。このような瑞々しい感性の映画を撮る人間がフランスにはまだいたのか、ということで、俄かにロメール・ブームが日本のシネフィル達の間で巻き起こった。実際、この頃のロメールは最良の作品を生み出していたように思う。『満月の夜』(1984)、『緑の光線』(1986)、『友達の恋人』(1987)、『レネットとミラベル/四つの冒険』(1987)…。いずれもテーマなどはあってなきがごとしであり、男と女、女同士のたわいのない日常が描かれるばかりだ。しかし、その何も起きない中でのささいな出来事が、信じられないほどの驚きと悲しみと喜びを生み出すことがあるという展開。そういう映画をロメールは撮り続けたのだった。

二年ほど前、大阪の女子大学でのフランス語の授業で、久しぶりにロメールを観た。それは、『レネットとミラベル〜』の中の1エピソード「青い時間」だったのだが、久々に体験するロメール的世界に授業であるということを忘れ、酔い痴れてしまった。田舎で偶然出会った二人の女子学生が、「冒険」とはとても言えないような他愛もないことを経験するだけの物語なのだが、途中から虚構と現実の境界がなくなってくるところが面白い。例えば、散歩の途中に偶然出会った農家のおじさんが農業の話を延々と始めるのを、二人は黙って聞いている場面。あれは、現実にその場にいた農家の人をそのまま登場させたとしか思えない。そうでなければ信じがたい名演である。そして、ふいに吹き始める風、降り始める雨。自然のあらゆる偶然的要素がロメール映画には奇跡的に入り込んでくるのだ。

モード家の一夜/パスカルについての対談 (エリック・ロメール・コレクション) [DVD]ロメールが最も成熟した作品を撮っていたのは80年代後半から90年代後半までの10年間、「四季」をテーマにした作品群を撮っていた時期であろう。実際、『春のソナタ』(1989)にはロメール映画のすべての要素が凝縮されているように感じる。いまでも人気が高い『パリのランデブー』(1995)もこの頃に制作された作品だ。しかし、私がもしも一本だけロメールの作品を挙げるとしたら、『モード家の一夜』(1969)ということになろう。初期の作品ではあるが(と言ってもこの時すでにロメールは49歳なのだが)、およそ映画的緊張感というものをここまで漂わせる「恋愛映画」は滅多にない。ある謎の女との「近付きがたく、また離れがたい関係」をジャン=ルイ・トランティニャンが見事に演じている。この映画はアメリカでも高く評価されたようだ。

それにしても、2000年台になってもロメールが三本も映画を撮ったということは奇跡的なことではないだろうか。『グレースと公爵』(2001)、『三重スパイ』(2004)、『至上の愛』(2006)。それも、旧態依然たるやり方ではなく、一作ごとに新しい作風によって。この衰えを知らぬ創造のパワーには恐れ入るしかない。ロメールの両親も、ここまでやれば、医者にならなかった息子を咎める気にはならないであろう。ロメールは失われても、彼の映画は失われない。「ロメール映画を観る」という喜びは常にそこにあるのだ。





不知火検校@映画とクラシックのひととき

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2010年01月22日

Paris発、パウンド型で50のケーキ

先日書店の料理本コーナーで見かけたものです。

その場では内容を確認することができませんでしたが、基本のパウンドケーキを中心にした25のレシピと、今流行のケーク・サレ(cake salé 食事として食べる塩味のケーキ)などの25のレシピを掲載した本に、鮮やかなピンクの小さなシリコン型と木製スプーンがおまけに付いている、いわば「コフレ」ものでした。

ファッション誌でもおまけがメインともいえるムック本が流行っていますし、昨年の秋に売り出されたフランスでは、すでに5万部を販売しているらしく、確かに目を引く企画だなあと感心しました。

Amazon のレビューでは「型に釣られて買ってしまったが、思ったより型が小さい・・・」などのマイナスの意見もありますが、初心者にとって、シリコン型は焼く前に紙を敷く or バターを塗る面倒な手間も省けるし、大きさも学生のみなさんにはぴったりかもしれません。(最近のパウンドケーキはスリムな型のものが流行りですし・・・)

肝心の本ですが、奥田勝氏という渡仏経験のあるパティシエが翻訳・監修を担当し、日本で手に入りにくい材料を置き換えたり、注意事項を書き足したりと、工夫されているようです。

個人的には型はこれ以上要らないので、レシピ本のみ欲しいです。特に内容にある「サーモンとポワローの ケーク・サレ」や「ロックフォールチーズと洋梨のケーク・サレ」など味わってみたいです。

興味のある方は手に入れて、是非レポートをお願いします。


Paris発、パウンド型で50のケーク
Martine Lizambard=著
世界文化社
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2010年01月21日

日本の子育てはフランスに追いつけるか(1)

『東洋経済』12月12日号の「日本の子育てはフランスに追いつけるか」で佐々木常夫さんが、フランスと日本を比較しながら、日本の子育ての行方を論じていた。その内容を紹介してみたい。

1975年の出生率はフランスが1.96、日本が1.91とほぼ同水準だった。その後、日本は下降の一途をたどり、2005年は1.26まで下げた。一方、フランスは93年まで日本と同様に低下したが、1.65で下げ止まり、08年には2.00を越えるまで回復。今やパリの郊外で暮らす家族は子供3人は当たり前という状況にある。

何がここまでフランスを変えたのか、佐々木さんは3つの要因を挙げている。

@政府の積極的な所得配分政策によって人々の所得格差が小さく、低所得の人でも安心して子育てができること。
A職場での男女格差が小さく、仕事か子育てかの選択を迫られる女性が少ないこと。
B週35時間制により、労働時間が短く、男女とも育児や家事に参加できる。

これに対して「もともとフランス人は働かないからだ」という反論がある。しかしそれは事実とは異なり、彼らの父親世代は週50時間働いていた。1世代で労働時間が大きく減少したわけだ。また現在のフランスの女性は約80%が働いているが、これに対する「もともとフランス人の女性は働いていた」という反論も当たっていない。60年代まではサラリーマンの夫と専業主婦の妻というのが標準家庭だった。つまりフランスは日本と同じようなライフスタイルだったのが、この30年から40年くらいで急激に変化したのだ。

フランスは70年代に働く女性に優しい法律を次々に策定することで、その変化を促した。例えば、親権の平等化、嫡子・非嫡子の平等化、男女平等賃金法、人工中絶の合法化、妊娠を理由に採用を拒否することを禁止する法律、育児休業法などが挙げられる。

法定育児休暇は何と3年。子供が3歳になるまで、フルタイムから全休業まで、いくつかの働きが選択できる。毎月、約6・7万円を上限とする休業手当、しかも手当ての大半には所得制限がない。子供は3歳から保育学校に行けるが、無料。税制のバックアップも大きく、世帯の収入は家族の人数で割って計算するので、子供が多ければ多いほど課税される所得が減る。

現在、日本では少子化対策が急務と言われているが、佐々木さんは、フランスと同じことを日本でやっても無理だろうと悲観的だ。理由は2つある。

ひとつは日本人の持つ家族観に起因している。日本の標準世帯はいまだ働く夫と専業主婦というパターンで、「稼ぐのは夫、家事育児は妻」。所得税の計算でも配偶者控除があり、専業主婦は税金面でも有利。おまけに会社は配偶者手当をつける。そういう家族観は日本の企業に蔓延している。子供ができると育てる責任はつねに女性サイドにあるという常識が待っている。日本の女性は子供を生むときに母親として生きるか職業人として生きるかの選択を迫られる。その結果、約70%の女性が職場から去っていく。つまり、女性が働くインセンティブが働いていないということだ。
(続く)




ワークライフバランスとは…「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」ことを指す。




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2010年01月18日

狐野扶実子さんがブラジエ賞を受賞

konohumiko02.jpgすでに去年のことですが、狐野扶実子さんの料理本 La cuisine de Fumiko が2009年のウジェニー・ブラジエ賞 Le Grand Prix Eugénie Brazier を受賞しました。ブラジエ賞は女性が書いた料理本に送られる賞で、2007年に創設されたばかり。この賞はリヨンの有名なお母さん料理人、ウジェニー・ブラジエさんにちなんだ賞です。彼女は2つのレストランで3つ星を獲得した初めての女性です。

この料理本には狐野さんの120のオリジナル・レシピが、写真家による44枚の写真と一緒に掲載されています。『レクスプレス』の記者との対談もあります。狐野さんはアラン・パッサールの「アルページュ」でスー・シェフとして働いたあと、出張料理人になりました。今はアラン・デュカスの料理学校で愛好家の人たちに教えているようです。

翻訳が待たれるところですが、狐野さんの本を見て料理をするフランス人料理ジャーナリストの動画を見つけました。「サーモンのタルタル」のレシピで、本の中身もちょっとのぞけます。

Tartare de Saumon Grany Smith par Fumiko Kono

関連エントリー「料理人-狐野扶実子」





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2010年01月17日

PARIS クラピッシュとボードレールのパリ

PARIS-パリ- (通常版) [DVD]街ですれ違う他人の人生に感情移入する。それは19世紀の詩人、シャルル・ボードレール以来のテーマだが、このセドリック・クラピッシュの新作にはそのボードレールがしばしば引用される。彼は何よりも都市の遊歩者であり、群集の中の詩人だった。彼は散文詩「群集」の中で次のように書いている。

「孤独で沈思する散歩者は、この万人との合体から特異な陶酔を味わう。群集とたやすく結婚する者は、箱のように心を閉ざしたエゴイストや軟体動物のように監禁された怠け者には永遠に与えられないであろう、熱狂的な快楽を知っている。彼はその時々の状況が提供するあらゆる職業、あらゆる喜び、あらゆる悲惨をわがものにする」

「万人との合体」とはこの散文詩の前半に書かれているように、「思うままに自分自身であり、また他者でありうる」こと、「好きなときに個々の人格に入り込む」ことである。重い心臓病を抱え、家から出られないピエール(ロマン・デュリス)は窓の外を眺めながら、同じことを試みている。私たちもこの映画の中で同時進行する複数の物語に対して、感情移入したり、距離をとって批判的に見たりする。

ファブリス・ルッキーニが扮する歴史学の教授が、お金のために一般向けのテレビ番組でパリの歴史案内を務めることになる。その第1回目もボードレールの引用から始まる。自分を気に入ってくれている老教授に対して、「歴史の細部にこだわり、どうでもいいことをクドクドいいやがって」と悪態をつく。「マニアックで、偏執的で、哀れなやつだ、ああいうケチな野郎にはなりたくない」と批判するが、自分のスタンスにも自信がなくて鬱状態になっている。もちろん時代の変化に目と耳を閉ざす大学人よりも、危機感の中でもがき続ける彼の方がはるかに好感が持てる。いつも軽妙洒脱って感じのルッキーニだが(以前、ホテル・リッツのバーで映画の中と同じ身振りで女性を口説いているのを目撃したことがある)、この映画ではひたすら弱気である。自分から相談に行きながら、精神科医に食ってかかるも、その前で泣き出す始末。

melanielaurent01.bmpおまけに美しい女子学生に一目惚れして、ケータイでストーカーのようにボードレールの詩を引用したメールを送りつけ、ドン引きされる。フランスでも詩はすでに世代間ディスコミュニケーションの媒体にすぎなくなったようだ。女子学生役は「イングロリアス・バスターズ」でタランティーノに見出されたメラニー・ロラン。確かに魅力的だ。

時代遅れの詩を引用する一方で、こういうメールも送る。

suis a la fac avec toi t es bel j te kif tro grav

つまり、Je suis à la fac avec toi. Tu es belle. Je te kiffe trop gravement ということなのだが(kiffer=aimerの若者言葉)、フランスのオジさんもこういうメール(=texto)を書けるんだね。もちろん若作りしているわけだけど。とりあえずエッチまでこぎつけたはいいが、さらなるドツボにはまる。若い女性にウケをねらって涙ぐましい努力を重ねるが、若くてカッコいい恋人を見せつけられたり、サディスティックにふりまわされる姿が悲しい。オジさんは身の程を知らないと(自戒をこめて)。

男と女のあいだがうまくいかない。女性に対する偏見が壁になり、過去に受けた傷がトラウマになっている。恋愛の街、パリにも時代の変化が大きく影を落としている。このパリはすでにボードレールのパリでも、「アメリ」のパリでもない。まさにリーマンショックに見舞われたグローバル経済の時代のパリなのだ。映画の中で雇用状況にも言及される。「若者がつねに犠牲になり、社会運動は死んでしまい、パリは金持ちのための街になりつつある」と。みんな萎縮して、臆病になっている。その中でかすかな希望の光を手探りで探している。

ボードレールは19世紀のパリの貧しい人々を描きはしたが、それは特権者の一方的な表象にすぎなかった。私たちもまたボードレールの高踏的な態度に共感していたにすぎない。彼によって描かれた者たちはうめき声のような言葉を発するだけで、決して表現者となることはなかった。しかし「パリ」の登場人物たちは手ごたえのある確かな言葉で語り、日本にいる私たちですらそれに共感し、同じ感情を共有できるのだ。

エリック・サティの「グノシェンヌ」がメランコリックな「パリ」を演出しているが、Wax Trailer の Seize the day も映画の印象を決定付ける忘れられない曲である。メランコリックな女性ボーカルをフィーチャーしたエレクトロ・ヒップホップで、ラストシーンにも流れる。Wax Tailor こと Jean-Christophe Le Saoût はフランスのみならずヨーロッパ各国で絶大な人気とカリスマ性を誇るヒップホップ・DJ&プロデューサー。

Seize the day
I don't mind whatever happens
I don't care whatever happens

Wax Tailor feat. Charlotte Savary - Seize the day
Paris by Cedric Klapisch - trailer


PARIS-パリ- (通常版) [DVD]
CCRE (2009-08-26)
売り上げランキング: 1576
おすすめ度の平均: 4.5
4 心に残る映画だった
5 本音のパリジャン達
4 クラビッシュ版 『生きる』





cyberbloom

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2010年01月14日

オランダのワークシェアリング 働くことと幸福の関係

最近、就活中の学生と話す機会が多いが、やはり就職状況は厳しいようだ。よりによって何で就活がこんな不況時にあたってしまったのか、何で相変わらず採用が新卒に限定されるのか(つまりチャンスは1回切り)、不条理に感じているようだ。後者に関して言えば、それは終身雇用と年功序列の形骸のようなものだ。その根本がとっくに崩れているというのに。



上の動画はテレビで特集されていたオランダのワークシェアリングである。ワークシェアリングのベースには「同一労働同一賃金」があるが、ILOでは、それを最も重要な原則の一つとしてILO憲章の前文に挙げており、基本的人権のひとつとさえ考えている。

もちろん、オランダと日本では国の置かれた状況が違う。国の規模も違うし、日本は産業立国なのでワークシェアリングが技術力の低下を伴う恐れがあると指摘されたりする。そんなやり方で「責任」が取れるのかという声も上がりそうだ。それでも日本でもすでに3人に1人は非正規雇用になっている。また日本の労働生産性の低さは先進国で最低である。だから国際競争力に勝つためにさらなる流動化を、という議論になったりするが、一方では天下りや渡り、あるいは企業に居座る高齢のお偉いさんに象徴されるように、ほとんど働かずに高額な給料をもらっている人々もいるわけだ。

動画にあるようにオランダではパートタイムの方が人は集中的に働き、効率が上がっていると言う。経営側にとっては最終的に払う人件費が変わらなければ、むしろ雇用問題への取り組みをアピールするためにワークシェアリングを選択するモチベーションは十分にあるだろう(年金と保険の負担の問題はあるが)。むしろワークシェアリングの抵抗勢力は正社員の既得権益を守ろうとする一部の労働組合かもしれない。

オランダのケースはヨーロッパ的な合理性の徹底と言える。それを国と国民が一緒になって実行できたことが驚きですらある。さらにそれが新しい幸福のあり方の発見につながっていることも忘れてはいけない。ヨーロッパにこういう国が存在することを知っておくだけでも無駄ではないだろう。




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2010年01月13日

かもめ食堂

かもめ食堂 [DVD]フィンランドで「かもめ食堂」を開く日本人女性(小林聡美)が主人公。フィンランドと言えば、ムーミンの舞台になった美しい森と湖がトレードマーク。北欧の夏の淡い光も印象的で、それが映画に決定的なトーンを与えている。

小林聡美も、片桐はいりも、もたいまさこも全然好きな女優じゃないし、彼女たちのノリにも正直あまり馴染めない(昔やっていた「やっぱり猫が好き」というTVドラマを思い出す)。キャスティングからある程度展開と雰囲気が想像できたが、意外に面白かった。まるでみんなが何とはなしに「かもめ食堂」が気になり、引き寄せられていくように。

客はそのうち来るだろう、とりあえず迎え入れておけばそのうち何とかなるだろう。そんな主人公の軽やかな自信とオプティミズムが食堂というゆるい関係の場を支え、男っ気のない女性のあいだの淡々としたやりとりが続く。草食系の日本オタクのフィンランドの若者は出てくるが、日本人男性は全く出てこない。それが日本の男性社会をネガとしてあぶりだしているように見える。そのしがらみがない場所では、日本人女性はこういうナチュラルな空気と関係を作れるんだという驚き。それに日本人女性の洗練、清潔感、趣味の良さといったものが、北欧の空気に違和感なくなじんで映る。

それぞれ勝手な思い入れや偶然によって、フィンランドにやって来るのだが、人間関係はそういうものが折り合って、刷り合わさって出来ていく。外国との関係を取り結ぶときも、その国に対する勝手な思い入れから手探りで始まる。ガッチャマンとかムーミンとか、一見取るに足らないことも重要な結び目になる。最初、日本人とフィンランド人が並んでいる姿に違和感を感じたが、荻上直子監督の言語と文化の超え方にはそれなりの説得力があった。やはり食は重要な媒介だ。

「かもめ食堂」-trailer





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2010年01月07日

セントラムに乗ってみた

12月23日、富山市でセントラムが運行を開始した。セントラムとは市の中心部を周回する環状線を走る路面電車の通称だ。一周3・4キロの所要時間は約20分。路面電車としては初めての上下分離方式を採用し、軌道整備や車両購入は富山市、運行は富山地方鉄道が担当した。環状線は以前存在したが、路面電車の衰退にともない昭和49年に廃止されていた。

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30日に私も、にわか鉄ちゃんに変身して、小鉄を連れてセントラムに乗ってみた。車体には大きなDEBUT(デビュー:仏語)の文字が。沿線には三脚付のカメラを構えたマニア風の人たちの姿もがチラホラ見える。車内は子連れの家族でにぎわっていて、とりあえず話題の電車に乗ってみようという感じだった。

31日に正月の買い物にデパートに出かけた際にもセントラムに乗ってみた。そのときはガラガラだった。その日は大雪警報が出ていて、朝から雪が降りしきっていた。やはり雪が降るとみんな自家用車を使うのだろうか。確かに足元が悪くなると、ドアツードアで動きたくなる。雪景色の中を走るセントラムの姿は、「ここはストラスブールか」(笑)と見まがうほどで、カメラに収めたかったのだが、その日はデジカメを持っていくのを忘れてしまった。

富山市は路面電車によって街を活性化させている地方都市のモデルになっている。かつての赤字ローカル線あとに次世代路面電車、LRT(Light Rail Transit)をすでに導入していて、他県の地方自治体の視察も絶えない。とにかく車体のデザインがカッコいい。どこにでもあるような地方都市の風景を突き抜けるようなデザインだ。美しいデザインが見慣れた風景と組み合わさることでモンタージュのような異化作用もある。ローカルなものがグローバルに突き抜ける。地方都市の方が首都よりもヨーロッパに近いのだと思わせてくれる。

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富山市が参考にしたのが、フランス東部の町、ストラスブールだ。ストラスブールのユーロトラム構想には、電車は街の景観の一部であるというコンセプトがベースにある。停留所から軌道敷までが街のデザインになっている。オム・ド・フェール Homme de fer 広場の停留所を覆う大きなガラスのリングが象徴するストラスブールの衝撃的な変貌は、世界中の都市のアーバンデザインに影響を与えた。フランスではその後、モンペリエ、リヨン、オルレアンでも路面電車が開通し、その有効性が証明されることになる。つまりデザイン性によって街が変わり、市民の意識が変わるということなのだ。

田舎は車がないと生活できない。刷り込まれたようにうちの親なんかもそう言うが、モータリゼーションによって車がないと生活できないように仕向けられたにすぎない。アメリカでは自動車会社が鉄道会社を買収して、鉄道を潰した。そうやってクルマしか使えない社会に改造していった。モータリゼーションとは車しか使えないように、社会やライフスタイルを変えていくことだ。日本の地方都市の郊外化にもこの力学が強く働いている。

ヨーロッパやアメリカでは自動車中心のライフスタイルが郊外化を促進し、中心街が廃れ、環境や治安を悪化させた。多くの地方都市は自動車を運転できる人のための街でしかない。自動車を持たない人には極めて住みにくい。つまりそれは市民としての最低の権利であるシビルミニマム civil minimum を満たしていないことになる。自動車の利用を前提とした地方都市の姿は、社会的に見て非効率で、サステナブルではない。環境や高齢化に対応できていないからだ。高齢化に対応するためにも、行政サービスを効率化するためにも地方都市は構造をコンパクトにする必要がある。

社会の構成員のすべてが自動車を使いたいわけではないし、使えるわけではない。多様な好みや立場に対する多様な選択肢が必要なのだ。また街を利用するのはそこに住む人々でだけではない。観光やビジネスで街を訪れる人々もいる。住人とって不便ということは外来の人々にとっても不便な街ということだ。外から来る人々のことを考えることは観光の振興にもなり、街の魅力を高めることにもつながる。

centram03.JPG

ストラスブールでは「トラムか地下鉄か」を選択する市長選挙があり、市民が自らの意志としてトラムを選択したという決定的な出発点がある。そういう市民の一般意志が政治に反映され、市民は決定されたことに関しては協力する。日本にいるとそういう明快な政治の手続きが奇跡のように思えてしまうが、日本では路面電車が導入されるとしても、それはあくまで行政主導である。先見性のある首長や企業を持てるか否かにかかっている。一般的にシビルミニマムという概念にも馴染みはないだろう。

車を運転する近親者や街で耳にした声を聞くと、相変わらず路面電車を自動車の障害物と考えている人も多いようだ。早速、セントラムと自動車の接触事故も起こっていた。しかし、こうして富山市は貴重な公共の財産を得たわけで、路面電車に対する様々な考え方をローカルメディアや広報で提示していくしかないのだろう。自動車に乗りたいという欲望は終わらないだろうが、ちゃんとした理屈があれば人は動くのである。富山市が市民とのコンセンサスをどうやって取っているのか、市民に対する広報活動はどうなっているのか、そのうちFBNでも取材・調査をしてみたいところである。

動画でセントラム




cyberbloom@サイバーリテラシー

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2010年01月06日

ダジャ単 シ・ル・ヴ・プレ―フランス語だじゃれ単語集

ダジャ単 シ・ル・ヴ・プレ―フランス語だじゃれ単語集昔からお世話になってる杉村氏・小林氏・加藤氏がタッグを組んで駄洒落で覚えるフランス語単語帳「ダジャ単」なるものを上梓された。

だじゃれ(おやじギャグとも言う)というジャンルは、いまいち女性に理解を求めるのは難しいジャンルであるような気がする。「ま〜おもしろい、すてき!」というリアクションよりは、「・・・」(沈黙)で迎えられることの方が多いのではないだろうか。

例えば、

もうすぐお昼、昼食でじゅね(déjeuner デジュネ)
夜に縫い(nuit ニュイ)ものをおそわる(soir ソワール)
金曜は手が汗ばんどるでい(vendredi ヴァンドルディ)

「・・・」

しかしながら、そのようなリアクションをものともせず、だじゃれのパワーはとどまるところを知らない。世の男性たちの、だじゃれへの愛は並々ならぬものがあり、それは年齢を問わないということに、実はちょうど、最近気づかされ愕然とさせられているところだった。

連れ合いがそうである分にはまだ良かった。「くっだらな〜い」と冷たい視線を投げつけていれば良かったのだから。

ところが、うちの小学1年生の子供が、原ゆたか(「怪傑ゾロリ」の作者。小学校低学年くらいの男の子たちに圧倒的支持がある)のおやじギャグにすっかりのめり込んでしまったのだ。

彼は原ゆたかの本を読み漁り、そのおやじギャグを熱心に研究し、次々とその成果を披露して、日々母を脱力させている。先日も一つ年上の見るからに賢げな女の子に鼻で笑われていた。(「○○クンったら、犬みたいね」とか冷ややかに言われていたし(汗))

子供にこんなにもおやじギャグが受けるなんて想像もしていなかった。もっとクールな子供に育てるはずだったのに・・・っ。

・・・。はっ!でも、ということは、原ゆたかの代わりに、この「ダジャ単」を与えれば、フランス語の単語もらくらく覚えてしまうのでは。

ああ、今まで気がつきませんでしたよ。さっそく実践してみよう!(18禁単語とかないですよねっ!?)

というわけで、真面目くさったフランス語の授業に飽き飽きしてる学生の皆さん、必帯の一冊です!先生に質問もできちゃうかも黒ハート




ダジャ単 シ・ル・ヴ・プレ―フランス語だじゃれ単語集

駿河台出版社
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おすすめ度の平均: 4.0
4 笑って楽しむフランス語
4 約500のフランス語単語に対し
オヤジギャク(ダジャレ)約500発。(^-^);;




noisette@ダマされない人生

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2010年01月05日

勝間和代『目立つ力』を読んでみた

目立つ力 (小学館101新書 49)勝間和代は2009年に最も注目を集めた人物のひとりと言えるだろう。管直人副総理に「リフレ政策」を提言し、「がんばらなくていい」と主張する香山リカとの論争も話題になった。勝間を目標にひたすら自分を磨く熱烈なファンは「カツマー」と呼ばれ、2009年度流行語大賞の候補にも挙げられた。外資系で働く友人は、これまで勝間のような働く女性のモデルがなかったと言っていたが、彼女の功績は自身の成功体験を徹底的にマニュアル化したことなのだろう。

去年10月に出たカツマ本のひとつ、『目立つ力』を読んでみた(2009年の1冊に挙げようと思っていたが間に合わなかった)。要は「ブログのススメ」である。ブログは単なる日記を書くツールではない。ブログを書くことはそのまま思考することにつながり、ブログを作るプロセスそのものが自分との対話になる。そのプロセスがブログを通して自分にも、他者にもわかるように可視化される。ブログは思考の公開訓練場というわけだ。

また人とつながるためには自分を開示して自分のことを理解してもらうことが必要だ。そうやって「応援団を集め、自分営業(=自分の売り込み)のコストを徹底的に下げる」のだ。注意しなければならないのは、コストを下げるというからには、応援団をダシに使うという意味でもある。応援団は仲間ではなく上下関係を示唆しており、成功者を支える存在でしかない。そして応援団は「もしかしたら次は私が成功者に…」と可能性を信じている人たちだ。ネオリベラリズムは意図的にであれ、結果的にであれ、いつもこの「可能性という餌」を巧みに使って、搾取する。当然のことながらみんなが成功できるわけではない。成功者はいつも少数なのだ。ある意味、情報の「ネズミ講」と言えるかもしれない。

確かに「目立つこと」は重要である。黙っていたら、無視されてしまうシビアな時代に私たちが生きていることは間違いない。声に出すこと、手を挙げること、メッセージを発すること。自分の能力を開示しなければ、それがあるのか自分でも確認できないし、他人にわかってもらえない。一方で「目立つ作法」は日本人の最も苦手な、最も教えられてこなかったことでもある。勝間は「目立つことは目的ではなく、手段」というが、最終目的は経済的な成功ということなのだろうか。しかし、この本には何をすればいいのか具体的なことは書いていない。「あなたにもひとつくらい得意なことがあるでしょう」「コンテンツはあなた次第」というが、これが素人には最大の問題なのだ。

勝間はブログやツイッターをもてはやすが、それらのツールを生かせるのは彼女が外資系金融で、あるいはネットの黎明期にいち早く培ったキャリアがあるからだ。ブログやツイッターそのものに力があるわけではない。勝間の言っていることは、コンテンツなんてどうにでもなる。試行錯誤に耐えられるような地力、潜在力をつけろ、ということなのかもしれない。忘れていけないのは、ブログやツイッターはあくまで潜在力を具体化、顕在化させるためのツールだということだ。またブログにおいて「続けること」は何よりも重要な指標だが、ブログを続けられる確信は自分の潜在力に対する手応え以外何からも得られない。

潜在力をつけることは気の利いたブログのテーマを見つけることより、はるかに難しい。それは途方もない努力を要することだ。ブログを続けることは、日常生活のすべてをネタにしながら、日々リテラシーを鍛え、潜在力を高めることだ。ブログを薦める「目立つ力」のベースにあるメッセージは、「他者のプレゼンスを前提にし、対人的なコミュニケーション能力に基礎を置け」ということだ。それは勝間が活躍してきた金融の世界を支配するイデオロギーであり、厳しいリストラを促すコンサルタントの論理だ。そしてコミュニケーション能力とは、予期せぬ事態にピンポイントで対処できる、つまりその都度顕在化する臨機応変な力であり、潜在力のことなのだ。就職戦線は今年も厳しいようだが、就職が厳しくなり、賃金が削られる一方で、現代の労働にはこのような潜在力がますます要求されるようになっている。いくら香山リカが「がんばらなくていい」(所詮本人はがんばらなくても何とかなる恵まれた人間なのだ)と言ったって、勝間がもてはやされてしまう理由はここにある。




cyberbloom@サイバーリテラシー

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2010年01月04日

『アカデミア・サバイバル』―『高学歴ワーキングプア』から抜け出す

『アカデミア・サバイバル』(中公新書ラクレ、水月昭道著)、(やっと)読みました。

アカデミア・サバイバル―「高学歴ワーキングプア」から抜け出す (中公新書ラクレ)前作『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』(光文社新書)に引き続き、現在の大学博士号修得者たちの就職問題が、現在の日本を取り巻く雇用の問題と実はリンクしている状況に鋭いメスを入れ、ますますパイが縮小する中で人を蹴落とすことに躍起にならざるを得ない大学を取り巻く環境に、どうしたら「いい空気」を少しでも取り込むことができるのか、具体案もたくさん盛り込んだ力作です。

読後の感動を早速著者の水月氏にメールでお伝えしたまでは良かったのですが、感動すると相手の迷惑も考えず暴走するくせがあるので、女性研究者の問題はどうお考えなのかもご意見を聞いてみたくなり、それに関しても長々とコメントしてしまいました。大学問題について語られる時って勝ち組男性目線からのことが多いような気がするのですが、「こんなアンフェアな日本(大学含む)なんて沈没してしまえ、海外で幸せをつかもう!」と考える人が増殖していることについては、いかがですか、と。

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/ (日本の同調圧力に押しつぶされそうな人はこのブログを見る価値アリかと)

一握りの女性企業家はもてはやされる様になってきましたが、日本の労働環境は本当に女性に冷たい。しかし、実はさらにさらにひどいのが大学なのだ!なのだったらなのなのだ(@きっこ)。特に非常勤事務職員の方々への待遇がひどい。水月氏も今回大きく扱われている「くびくびカフェ」の方々には本当に頭が下がります。

http://extasy07.exblog.jp/ (あまりな日本の労働環境に対し、ついに立ち上がった人々のブログ。あきらめきった若者たち、いやすべての人たちに勇気と希望を与えるはず)

前にも書いたように水月氏に一度お会いしたことがあるのですが、文章にもそのお人柄が表れている様に大変謙虚な方です。思い切り引かれてしまったのかもしれません。丁寧なご返事をいただいたのですが(折りしも、大晦日に送りつけるという迷惑さ)、「アカデミア・サバイバル」の書評をブログで扱ってよろしいでしょうか、とお尋ねした部分には触れてありませんでした(涙)。

でも勝手に書いてしまいます(あ〜あ)。どうやったら儲かるか、という本が相変わらず席巻する今の世の中で、大学で学ぶことが人間として幸せに生きることにどのように役立つのか、と学びの重要さを問いかけた稀な本です。ご専門が「子どもの道くさ」なのも納得です。学歴信仰がすでに伝説と化してしまった現在、自分の価値を偏差値で図ることから自由になれるかも知れない、そんな一冊、学生の皆さんは必読です!!




noisette@ダマされない人生

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