ちょうど19日にフランス国立統計経済研究所(INSEE)が、2009年度のフランスの出生率(正確には「合計特殊出生率」、女性1人が生涯に産む子供の数)を1.99(暫定値)と発表した。08年の2.005から下落し、2年ぶりに2.00を割ったが、それほど大きな変化ではない。フランスの人口は1月1日現在6466万7000人で、前年同期比で34万6000人増加した。
先回の重要な論点は、もともとフランス人の女性は働いていたのではなく、1960年代まではフランスでも「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」というのが標準家庭だったということ。そして70年代以降、働く女性に優しい法律を策定することで、そのようなライフスタイルがここ30-40年のあいだで一気に変わったのだった。
それでは佐々木常夫さんの「日本の子育てはフランスに追いつけるか」の続きを。
「働くのは夫」という共通意識は日本企業を長時間労働に追い込んでいる一因でもある。それは「家で夫は何もしない」という前提だから、会社にすべてを預け、男の人生=会社になってしまう。この役割分担は明治の富国強兵の時代から始まり、高度経済成長の時代にはそれなりの幸せを生み出したのだろう。男たちは家のことが気になっていたのだろうが、会社が帰らせてくれない。しかし家で妻の訳のわからない話を聞いたり、気が重くなる子供の教育に関わるよりは、会社にダラダラいるほうが心地よいし、楽なのだ。
日本にフランス式が根付かないもうひとつの理由は、自己責任や自助努力という考えが日本に蔓延しているからだ。このアメリカ式の考え方が日本にも浸透して、親の経済力では大学に行けないとか、自分の稼ぎでは子供を育てられないという人が現実にいるのに、それを自己責任という理由で切り捨ててしまう。
佐々木さんの出身地の秋田県では07年に子育て新法の導入が議論されたという。4%の県民税に0・4%を上乗せして、年間25億円を集め、県独自の子育て支援に使おうという自治体初の試みとして注目を集めた。その内容は、保育料の半額助成、3人目以降の子供には奨学金を貸与することだった。事前の県民へのアンケートで、この策が秋田県の発展につながると70%が回答したが、一方で新税を負担したくないという回答が70%に上った。そしてこの計画は結局流れてしまう。つまり現実の生活や目先の損得が、長い目でみれば正しいであろう政策や理想を打ち壊したわけである。
やはり日本ではフランスのような少子化対策は無理なのだろうか。政治家はもちろんのこと、知識人やメディアも一緒に信念を持って根気よくアピールことだと佐々木さんは述べている。
佐々木さんは現在、東レ経営研究所社長という立場だが、ご長男が自閉症で、かつお連れ合いがうつ病でご苦労なさったようである。朝5時に起きて家族全員の弁当を作るには、10時に寝る必要があり、当然、残業などやってられない。それで上司と何度もぶつかった。しかしそれを通して佐々木さんは働く女性の立場を理解・実感し、一方で自分が責任を持って家のことをやらないとこの家はダメになると思ったのだそうだ。会社に依存する男性たちを一方的に批判するのではなく、彼らはそういう立場になったことがないから知らないだけなのだと擁護する。
佐々木さんは『東洋経済』の次の号で日本企業の残業について書いている。もちろん誰も表立っては言わないが、正社員は残業手当や休日手当てを増やしたいから、進んで残業をやる。つまりわざとダラダラと仕事をして残業まで持ち込み、効率や生産性を落としているのだと喝破している。そういう男性社員は「家に帰ってもすることがない」と言う。つまり家庭にコミットするつもりもなければ、仕事以外の人生もない。それが多くの男性社員の人生観、生活態度なのだと。
『東洋経済』(1月9日号)にリチャード・カッツ(FTやNTに寄稿する知日派ジャーナリスト)が「子供手当論争から日本の病巣が見える」という興味深い記事を書いていた。そこで「日本の社会保障の衰退は日本の社会保障制度が国民全体を対象としていないことが理由だ」と述べている。つまり、社会保障制度が職業や会社の規模、婚姻などによって分割されているからだ。政府が社会保障を企業に丸投げしてきたせいで、どの組織に所属するかで給付される額や受けられるサービスがバラバラで、不公平なものになる。子育てに関しても、余裕のある大企業は子育て支援をするかもしれないが、中小企業はそれどころではなかったりする。相変わらず制度的に主婦が優遇され、働く女性がバカを見たりする。日本全体が潤っているうちはいいが、「貧すれば鈍する」の状況だとそれが顕在化して、自分と立場の違う人間に対する不満と不信が募り、社会的な連帯感が損なわれるとカッツは指摘する。
さらに問題なのは世代間の不信である。佐々木さんが挙げていた「秋田の子育て支援案」が流れてしまった例も、その側面が大きいのだろう。自分の子供や孫にはお金をやっても、他人の子供や孫のためには税金を払いたくないのだ。民主党が打ち出す「子供手当」に対する支持がそれほど大きくない(60%から徐々に下がっている)のはそういう連帯感の欠如が根本にあるのだろう。今や日本では高齢者を抱える世帯の方が、子供のいる世帯よりも多く、過去20年で子供のいる世帯が半減している事実がある。逆に言えば「子育てが自分の問題ではない世帯」がそれだけ増えたということでもある。同じように年金保険料を支払わない若者が増えている。それは高齢者を利するだけで、自分たちには見返りがないと思いが根底にある。
リチャード・カッツはこのような分断状態、あるいは分断から生まれる利己主義は、現在の制度や指導者の言動によって生まれたものだという。国の指導者はそのような国民の姿勢を変えるような状況を作りださなければならないと、佐々木さんと同じようなことを言っている。そのひとつがフランスでもやっている「所得制限なしの子供手当て」(所得制限をつけると富裕層は手当を慈善とみなすだろう)のような国民全体を対象にするような社会政策なのだという。市民不在の日本と言われるが、自民党と官僚に好き放題されていたことにようやく気が付いたところで、まだまだ道のりは遠い。
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posted by cyberbloom at 18:02| パリ 🌁|
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