2010年02月28日

2月の音楽 “Dis quand reviandras-tu?”(いつ帰ってくるの)

Dis Quand Reviandras-Tu?フランスの自作自演の歌手、バルバラの曲を選んでみました。シャンソンというジャンルに分類される歌手ですが、時に甘く遊蕩の雰囲気すら漂わせる楽曲がシャンソンの陽の面とすれば、バルバラは影の面を代表する人。かのゲンズブールも初期の作品はシンプルな音で硬質な感じを漂わせていましたが、バルバラの作品もああいう感じと思って頂ければわかりやすいかもしれません。しかし、彼女のほうがよりストイックであり、クラシカルな訓練を積んだ静謐でよく伝わる声とほどよく乾いた叙情性をたたえたメロディの組み合わせは、ちょっと古楽を思わせるところもあります。春を待つ季節を過ぎ秋になっても戻ってこない不在の相手に向かって、一心によびかけるバルバラの歌は、祈りにもにた感じがします。

さて、この曲がまだ公開中のフランス映画『ずっとあなたを愛してる』(“Il y a longtemps que je t’aime”)のエンドロールに使われています。ただしオリジナルではなく、カバーヴァージョン。フランスのベテランロッカー、Jean-Louis Aubertの弾き語りです。本人も認める通り「歌の人」ではなく、とつとつと歌っているのですが、オリジナルの張りつめた感じとは違い、薄ぼんやりとした日差しのような暖かさがあります。

映画は、ある事件をきっかけに生きなが自らを葬ることにした中年女性が、長い刑期の後、少しづつ「生」の世界へ戻ってゆく様を描いていますが、カバーヴァージョンのぎこちない暖かさが主人公と彼女を囲む人々との手探りの人間関係と妙に響き合って、しっくりときます。できれば映画館で、ぜひ聞き比べてみてください。

Dis quand reviendras tu ?
Dis au moins le sais tu ?
que tout le temps qui passe
ne se rattrappe guère
que tout le temps perdu

バルバラの歌を聴きたい方はこちらをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=nUE80DTNxK4

歌詞を知りたい方は、英語の字幕があるバージョンを。
http://www.youtube.com/watch?v=6Llpdzx4dSU

映画で使われていた、Jean-Louis Aubertの歌はこちらで聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=wwcZrdwQvcw





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2010年02月26日

「昔々、西部の街で」…懐かしの70年代の名優たち(11)

ウエスタン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]『昔々、西部の街で』なんてそんなタイトルの映画はあったろうか、とお思いの方はいるかも知れない。この映画の英語タイトルはOnce upon a time in the West。日本では単に『ウエスタン』(1968)というタイトルで公開されたセルジオ・レオーネの最後の西部劇である。英語タイトルを見ればわかるように、実はこれは『夕陽のギャングたち』(1971)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)(レオーネの遺作)と三部作をなしている。『夕陽〜』の仏語タイトルはIl était une fois la Révolution(『昔々、革命がありました』の意)であって、仏語ではこの三本は全てIl était une fois…で統一されている。

『ウエスタン』という映画を初めて観た人は面喰ったことだろう。もともとレオーネの映画は型破りな作風で有名だが、この思わせぶりで勿体ぶった展開は一体何なのかと思ってしまう。クリント・イーストウッドが降板した結果、チャールズ・ブロンソンが主演を務め、ヘンリー・フォンダ、クラウディア・カルディナーレが脇を固める、という具合にキャスティングの点では申し分ない。しかし、何といっても、ヘンリー・フォンダが凄まじい。ネタばれになるので残念ながら詳細は明かせないが、ジョン・フォード監督『いとしのクレメンタイン―荒野の決闘―』(1946)で颯爽とした保安官を演じたあのフォンダが、この映画では極悪非道の人物を演じている。こんな役を彼がやっていいのか、と誰もが驚かされたのではないだろうか。

夕陽のギャングたち (アルティメット・エディション) [DVD]『ウエスタン』という映画は実は60年代の映画であり、70年代の映画を扱うこのブログにはふさわしくないかもしれない。だが、そうとばかりは言えないだろう。レオーネ+イーストウッドのコンビは60年代に数多くの西部劇の傑作を世に送り届けてきたが、『ウエスタン』はそのレオーネによる最後の本格的西部劇といえる作品である。その為か、この作品は妙に哀愁に満ち満ちている。モリコーネの音楽にしてからが、もう、西部劇の音楽とはとても思えない。これではまるでオペラの音楽であり、じっと聞いていると葬送行進曲のようにも聴こえてくる。レオーネは60年代の映画と西部劇というジャンルに、この映画で自ら終止符を打とうとしているようだ。実際、レオーネは『夕陽〜』以後13年ものあいだ映画を撮らなくなる。

西部劇というジャンルは1930年代から50年代にかけ(いやもっと以前から)、もっとも「映画的な」ジャンルであった、ということを否定する人はいないであろう。ジョン・フォード、ハワード・フォークスらによって鮮やかに切り開かれた裾野は、そのマニエリスム的再現といってもいい、レオーネを中心とする60年代のマカロニ・ウエスタンにおいてもその映画的魅力に衰えはなかった。もちろん、そこに投影されたネイティヴ・アメリカンの表象や暴力描写に関しては、現在の観点からは批判されても致し方ないものであろう。しかし、このジャンルに関わった者は純粋なる映画的楽しみ、アクションの追求という考えから西部劇を生み出していったのであり、そこに何らかの高邁な思想や社会に対する眼差しを取り入れようという気は初めからなかった。せいぜい「兄弟愛」や「仲間意識」といった程度の思想が盛り込まれる中で、これらの映画は作られていったのである。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ [DVD]だが、『ウエスタン』には、鉄道の建設というテーマが挿入されている点が特徴的である。アメリカの東部と西部を結ぶ大陸横断鉄道の建設が徐々に進んで行き、相互に孤立していた幾つかの町が一つに結ばれ、アメリカが一つの国になろうとする過程が映画の端々で暗示されるのだ。しかしながら、誰もが分かるように、そのようなテーマは全く西部劇的ではない。それはこのジャンルの中心をなす「アクション」を完全に封じてしまうような鈍重なテーマなのだ。このようなテーマを西部劇に持ち込めば、このジャンルが崩壊することは目に見えているのだが、レオーネはそれをせざるを得なかった。理由は「ネタが尽きた」からである。こうして、歴史学的、社会学的方向への転換を契機に、西部劇というジャンルは自己崩壊を起こしていく。

そういう意味で、この映画は西部劇というジャンルに惜別の思いを綴った作品であるといえよう。70年代以降、本格的な西部劇は姿を消す。幾ら、再起を図ろうと様々な試みをしたとしても(ローレンス・カスダン『シルバラード』(1985)など)、それらはことごとく失敗に終わらざるを得なかった。そして、数々の傑作に主演してきたイーストウッド自身が監督・主演した『許されざる者』(1992)によって、虫の息で生き延びてきたこのジャンルは完全に葬り去られることになるのだ。






不知火検校@映画とクラシックのひととき

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2010年02月25日

アンジュの新しいアルバムが発売中!

木は日曜日も働いている(直輸入盤・帯・ライナー付き)
アンジュ(Ange)
DUレーベル(ディスクユニオン)原盤
French/ Art disto (2010-02-13)
売り上げランキング: 133155

フランスのアンジュ(Ange 天使の意)といっても知らない人がほとんどだろう。70年代にデビューし、これまで600万枚のアルバムを売り、6枚のゴールドディスクを取り、3000のコンサートをこなしてきたバンドである。そのアンジュが今年バンド結成40周年を迎え、その節目の年に奇しくも40枚目のアルバムが発売された。その記念すべきアルバムのライナーノーツ=解説を書く光栄に預からせていただいた(DISK UNION さんとのコラボで、上記の「ライナー」を FRENCH BLOOM NET 名義で書きました)。フランスのロックの情報がほとんどない時代、奇特なレコード会社が3枚のアルバムを出していたが、そのライナーノーツだけがアンジュの輪郭をなぞる唯一の手がかりだった。時代は移り、今やアンジュのアルバムはアマゾンで買えるし、昔の貴重なライブ映像もyoutubeで見れるし、2ちゃんねるではアンジュのスレッドまで立っている。

DISK UNION ONLINE SHOP(プログレの在庫も豊富!)

1970年に始まった音楽の冒険の生存者は68年=団塊世代のクリスチャン・デカンだけだ。90年代半ばから彼の息子のトリスタン(キーボード)が加わり、親子2世代バンドになっている。40周年を祝うためにアンジュは「40回目の雄たけび―Ange: la 40ème rugissante」と銘打ったツアーを2009年11月から始めている。極めつけは1月31日にパリのオランピア劇場(日本で言うと武道館かな)で行われたライブで、アンジュの最初のコンサートからちょうど40年目の日にあたる。フランスでは相変わらず人気バンドのようで、チケットは10月に売り出されてすぐに完売し、追加のコンサートも予定されている。



新しいアルバムの中身だが、プログレ(Progressive Rock)というよりは、それをベースにしつつ、新しい音楽の要素を吸収した洗練されたロックになっている。そこが評価が分かれるところだろうが、アルバムは実に多彩な曲で構成されている。ビデオクリップ(↑)になっている2曲目の「Hors-la-loi 無法者」では、ハードなギターにのせて、革命家のチェ・ゲバラへの憧れを歌っている。頻繁に聞こえる Allez loups y a というリフレインは Alléluia (ハレルヤ)と音が重っていることに気がつくだろう。オーディションを模したPVだが、最後にタコ(poulpe)を投げつけられて身震いしている表情が笑える。

マッシブ・アタックを思わせるイントロで始まる@「蝶と凧 Des Papillon, Des Cerfs Volants」。タイトル通り、スペーシーな広がりと飛翔感を感じさせる。フランス語もメロディにきれいに乗っていて、思わず口ずさんでしまう曲。D「アウタルキーの旅 Voyage en Autarcie」では自給自足の国を夢見る。アウタルキーはフランス語で「オタルシー」と発音され、自給自足の経済ブロックを指すが、詞の中では一種のユートピアのように歌われている。E「孤ならず Jamais Seul」では、「昔は孤独が好きで、人と話すことをバカげたことだと思っていた。しかし今は孤独ではない。自分の心のうちを打ち明ける相手がいる」、そういう成熟した大人の境地が素直に告白される。いずれも団塊オヤジのロマン炸裂といったところだろうか。

やはり目玉はアルバムのタイトル曲でもあるB「木は日曜日も働いている Le bois travaille meme le dimanche」だろう。いかにもプログレ的な展開を見せる12分半の大作だ。超越的な存在が人間に語りかけるという形式はプログレではときどき試みられるパターンである。ここでは「私は風」と言っている存在が、Je pense, donc je souffle…(私は考える、ゆえに私は吹く)と言う。これを聞くと、ムーディ・ブールスの『夢幻』(On the threshold of a dream, 1969)の導入部なんかを思い出す。そこでもデカルトの Je pense, donc je suis.(=I think therefore I am.) が引用されているが、『夢幻』ではヒッピー・ムーブメントの文脈で自然破壊や機械化がテーマになっている。今はそれがエコロジーの文脈で再登場しているわけである。歌詞の前半は口頭弁論 Plaidoyer、後半は論告求刑 Réquisitoire となっていて、人間が法廷に立たされ、告発されるという設定なのだろう。最後に、「人間よ、おまえの種を救え。人間よ、おまえは去らなければならない。ここはもうお前の場所ではない」と宣告される。それを機に曲調が急転回する。

The Moody Blues - In The Beginning / Lovely To See You (from On The Threshold Of A Dream)
The Moody Blues - Have You Heard / The Voyage(同アルバムの白眉)
Genesis - The Musical Box
ロック温故知新−英仏プログレ対決(1) ジェネシスVSアンジュ

アンジュはデビュー当時から「フランスのジェネシス」と呼ばれてきた。しかし、アンジュはプログレの世界全体ではマージナルな存在とは言え、ジェネシスと対等に扱うべきオリジナルなグループなのだ。クリスチャンの独特の言葉使いとボーカルのスタイルには、同時代のフランスのグループと一線を画すオリジナリティーがある。それをピーター・ガブリエルに比するのもいいが、同時にドラマティックに歌い上げるシャンソン歌手の巨匠、ジャック・ブレルやレオ・フェレの系譜を見ることもできる。またアンジュがベルフォールというドイツ国境の田舎町の出身で、ジェネシスがマザーグースを引用したり、英国色を色濃く打ち出していたように、初期の彼らも民話や童話のような土着的な世界を作り上げていた。アンジュはルーツ回帰から出発したという意味でも、(フランスでしか売れない?)国産バンドという意味でも、ロマン主義的なバンドなのであった。

Ange - Sur la trace des fées(live 77)

DISK UNION のプログレ担当のYさんによると、プログレに限らずCDを購入する世代が若年層に広がらず、CDの購入層は30代半ば〜50代が中心になっているようだ。youtube や iPod(ネット配信)で音楽を聴くデジタル・ネイティブにはプログレは馴染まないのだろうか。プログレはコンセプトアルバムであることが多いので、CD全体を通して聴かないと良さがわからないかもしれない。とはいえ、アンジュは貴重なフランスの文化遺産であることには間違いはないし、フランス語の勉強になるような良質なロックを見つけるのは意外に難しい。アンジュの70年代の名盤もぜひ聴いてみて(↓)。

Au Dela Du DelireEmile Jacotey



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2010年02月23日

フランスの英語教育事情

※SEESAAブログのメンテナンスが長引き、1日半ばかりブログの閲覧ができなくなっていました。表示速度の改善が目的だったようですが、まだ動きが悪いですね。

2月14日の FRANCE 2 にフランスの英語教育事情が紹介されていた。フランスには新しい英語教育をやるための設備を買うお金が不足しているらしい。大学改革をやろうとして教師や学生に総スカンを食らい教育相を辞めたグザビエ・ダルコス Xavier Darcos がフランスの子供たちを英語&仏語のバイリンガルにすると宣言していたが、外国語教育にはお金がかかるのだ。

■コンピュータの設備が学校で非常に遅れている。(ニュースで紹介されていた)この学校では毎週木曜にいつもと違った授業が行われる。ネット中継でふたり目のラシェル先生が授業をしてくれる。NYから直接話しかけてくれるのだ。ウェブカムによるインタラクティブな授業だ。去年から実験的に行われている。会話がとても弾み、手を挙げ発言することに誰も躊躇しない。楽しみながら英語を学んでいる。最初は半信半疑だった。確かに今では反論しようのない効果的なツールだが、まだこれから学習効果を明らかにしなければいけない。まだ揺籃期の段階だが、早く進むし、楽しくやれる。何よりも生徒の注意力をひきつけることができる。
■英語だけでなく、歴史や数学などの他の科目にも使えるが、導入するにはまだ十分な予算がない。コンピュータの部屋は7つに1つの学校にしか備わっていない。郊外の大規模校ではもっとひどい。600人の小学生が2つの小学校に分かれて通う地区で、ひとつのコンピュータの部屋をシェアしている。ネットの接続は気まぐれなのに、ネット回線が60人でひとつしかない。フランス全体では100人の生徒につき12・5台のPCしかない。PC の数が EU の27国中8番目、先生たちの PC の使いこなし度に至っては24番目と遅れている。イギリスでは学校がほぼ100%デジタル回線化されている。フランスは6%のみ。
■電車は出てしまったのだから、乗り遅れるわけにはいかない。まず先生を養成することが重要だ。イル・ド・フランスでは2400万ユーロを投資し、すべての高校がネット回線につながれる。出席や成績や宿題をそれで一括管理する。親たちもそれを見ることができる。まず先生たちがそれを使いこなさなければいけないのだが、それをいやがる教師たちもいる。

ところで、去年の夏、パリ第1大学(第1、3、4がソルボンヌ大学と呼ばれる)で法律を学んでいるいまどきのフランスの若者、ヴァンサン君がうちに遊びに来た。日本の大学を見てみたいというので、仕事先の大学に連れて行った。図書館に入って彼が驚いたのは、最新の mac が並んでいて、それを学生が自由に使っていることだった。液晶なんてありえないよ。フランスの大学はとんでもなくお金がないらしい。うちの大学なんてこれだよ。傍らにうち捨てられていた古い 変色したPC を指さして言った。こういうのが数台あるだけだよ。

日本の小学校(5&6年)でも英語が導入されようとしているが、中学になる前に英語に親しんでおこうという感じらしい。しかしうまくやらないと中学に入る前に英語嫌いを生みかねないという危惧もあるようだ。

大学では相変わらず多人数クラスで教師が一方的に文法を教えたり、みんなで訳読するという形式が踏襲されているケースが多い。一方で英語を中心に語学学習のツールは飛躍的に進歩している。ネットを見ても様々な学習ツールが無料で公開されているが、語学はオープンソース的に展開できる数少ない文系のリソースと言えるかもしれない。大学においてとりわけそうなのだが、語学はこれまで文学や思想の管轄下にあった。しかし今は脳科学や認知科学の領域になりつつある。辞書をひきながらダラダラと文学書を読んでいればいい時代は終わってしまった(私はその最後の世代だろう)。もちろん文法や訳読は不要なわけではないが、言語能力の一部に過ぎない(西洋に追いつくことが目標だった富国強兵の明治時代から20世紀末あたりまで意味はあったのだろう)。とりわけ今は「聞く、話す、書く」というコミュニカティブかつパフォーマティブなアウトプット技能が要請されている。

何よりも語学はツールであり、いかに効率的に習得するかが問われている。それは伝達のツールであるから、まず自分の専門や関心があり、それを発信しようという意志があって初めて意味を持つ。だから語学はむしろ最新の技術を創出し、発信している理系の学問と親和性が高いのだろう。最近、理系の側からの語学本もよく目にする。

また語学はどんな事態にも対処できる潜在的なコミュニケーション能力を底上げするものでもある。大学が産業界からの要請に応える機関だとすれば(たぶんずっとそうだった)、現在支配的になっているポストフォーディズム的な労働形態に対応する能力でもある。ネット広告では「いかに楽をして英語を学ぶか」というコピーが花盛りであるが、いかに語学習得が継続的な努力が必要な難しいことなのかもようやく言われ始めている。




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2010年02月20日

動物と人間の世界認識(1)

動物と人間の世界認識―イリュージョンなしに世界は見えない (ちくま学芸文庫)いろいろ本を読んでいたら、動物行動学に行き着いた。ローレンツをはるか昔に読んだ覚えがあるくらいで(村上龍が挙げていて読んだのだと思う)、この分野は全くの素人だが、日本では日高敏隆という先生が第1人者らしい(ドーキンスの『利己的な遺伝子』の翻訳もなさっている)。日高氏の『動物と人間の世界認識』という本を読んでみた。これがけっこう面白い。ところで、ネコやイヌをネタにしたブログや動画が花盛りだが、ネコ語やイヌ語というものも存在するらしい。それは動物が人間と同じように世界を認識していて、人間の欲望と同じモデルで動物の行動の意味を理解できるという考え方がベースにあるのだろう。

動物行動学の先駆的な研究家、ユクスキュルが1930年代に唱えた「環世界」という概念がある。私たちが環境と言うとき、それは私たちのまわりを取り囲むものである。従来の自然科学的な認識では、環境は客観的に存在するものであり、そこにどんな草や木や花や石があるか、全部記述することができる。そして人間が知覚するのと同じように動物の環境も存在する。しかし、ユクスキュルは印象的なダニの話を通して、それとは違った説明を試みた。それぞれの動物が固有の「環世界」を持っているという考え方である。

ダニは森や藪の茂みの枝に止まっていて、その下を哺乳類が通ると、即座に落下してその動物の皮膚にとりつく。ダニには目がなく、待ち伏せ先の木に登るときは全身の皮膚に備わった光の感覚に頼っている。哺乳類の皮膚から流れてくる酢酸の匂いをキャッチするやいなやダニは下に落ちる。酢酸の匂いが獲物の信号になる。ダニは敏感な温度感覚によって何か温かいものに落ちたことを知ると、毛の少ない場所を探し出し、血を吸う。光も匂いも温度も刺激なのだが、それが主体によって知覚されたときに初めて刺激になる。それぞれの信号を意味のある知覚信号として認知し、それに主体として反応する。ダニを取り巻く環境にはいろんなものがあるが、ダニにとっては先の3つの刺激だけが意味を持つ。ほかのものは意味を持たないのである。人間に比べれば貧相な世界だが、その貧しさがダニの行動の確実さを可能にする。ダニが生きることにとって環境の豊かさは意味がない。血を吸うに至るまでの行動の確実さの方が重要なのだとユクスキュルは考えた。

ネコはどうしてわがままか (新潮文庫)ちょうど著者はフランスに留学経験があり、フランスの動物にも言及している。フランスといえば、『昆虫記』を著した昆虫学者、ファーブル Jean-Henri Fabre の出身地である。昆虫のメスがある匂いを発してオスを遠くから誘引するという、ファーブルが100年前に書き記した性誘引物質(後に性フェロモンと呼ばれる)の話も興味深いが、ここでは日高氏がフランスに滞在中に飼っていたハリネズミの話を取り上げてみよう。

ハリネズミはヨーロッパでは極めて普通に生息している動物で、ユーラシア大陸にわたって生息し、朝鮮半島にまでいるが、日本では見かけない。確かにヨーロッパの童話なんかにハリネズミがよく登場する。英語で hedgehog (=生垣のブタ)というが家の生垣の下に生息しているからだ(フランス語では hérisson というが、hérisser=毛を逆立てるという意味の動詞から来ているのだろう)。見た目はかわいらしい生き物だが、名のとおり毛が針のように硬い。唯一鼻の上には針がなく、抵抗なく撫でることができる。ハリネズミもそこを撫でてやると喜ぶらしい。

ハリネズミの動画(確かにかわいい)

なぜ飼い犬に手をかまれるのか (PHPサイエンス・ワールド新書)ところで、パリの郊外にいくと車道でハリネズミがよく死んでいるのだそうだ。著者は最初、ハリネズミは目が悪くて遠くが見えず、道路を横切る際に車が来て轢かれてしまうのだろうと考えていたが、調べてみるとそうではなかった。

ハリネズミのケージの中にミミズの入ったボールを入れると、ハリネズミは匂いでミミズの存在に気がつき、鼻をヒクヒクさせながらあたりを歩き回る。しかしどこにいるかはわからない。ミミズが一匹ボールから枯葉の上に落ちてガサっと音を立てると、そこにまっしぐらに走ってきて、ミミズを一瞬にして食べてしまう。つまり音に反応しているのだ。匂いで近くにいることを把握できるが、最終的にどこにいるかを知らせるのは音なのだ。

枯葉のガサガサっという音には超音波が含まれている。その超音波にハリネズミは非常に敏感なようだ。ハリネズミは目が悪いので遠くが見えない。頼りになるのは音で、ミミズの姿ではない。匂いは視覚と聴覚のあいだで漠然とした世界を作っているにすぎない。

それではどうしてハリネズミは車に轢かれるのか。ハリネズミは匂いがして、小さな超音波を感知すると、それは餌の存在を意味する。しかし、地響きのような音がしたときは大きな動物が来たことを意味するので、ハリネズミはクルっと丸まって身を守る。そうするとトゲトゲの玉になるので、オオカミでも手が出せない。それではハリネズミが道路を渡るときはどうだろう。渡っている途中で地響きのような音を立てて車が走ってきたとき、ハリネズミは大きな動物が来たと思って丸まってしまう。ハリネズミが車に轢かれてしまうのはこういうわけなのだ。
(続く)




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2010年02月19日

カナダ、ケベック州のウィンター・カーニヴァル

1894年に始まったケベック市のウィンター・カーニヴァルは、旧市街にある広大なアブラハム平原で繰り広げられる。マスコットキャラクターは雪の男の子「ボノム」。2010年の今年も1月最終の週末から始まった。2004年には−25℃の日があった記憶があるけど、今年は−3℃から−8℃で暖かいこともあって大勢の観光客で賑わい、先週末2月14日に閉幕した。私は10日深夜にケベック市に到着したので快晴の写真日和の日を逃してしまった。わずかに夕陽の彫像などが撮れたのみ。

wcanival01.jpg

というわけで、カーニヴァルで人気の売店のご紹介。ケベックの早春の風物詩sirop d’érable(メープルシロップ)を収穫するcabin à sucre(砂糖小屋)が組み立てられた横で、雪を敷き詰めた台に煮詰めたシロップを落としてもらって、それをアイスクリームの棒のようなものに巻き取って食べる。口が寒さで感覚がないので口の中を噛まないように要注意。

wcarnival03.jpg 

また、Queues de Castor(ビーバーのしっぽ)というチェーン店の同名のお菓子は、オタワやモントリオールでも馴染みのあるもので、小麦の全粒粉に砂糖、牛乳、バター、生クリーム、卵、バニラエッセンスなどを混ぜ、ビーバーの尻尾のような形にしてフライパンでたっぷりのカノーラ油か大豆油で焼いたもの。トッピングはシナモンシュガーやジャムやチョコレートなどで、メープルシロップが一番人気。寒いカーニヴァルで熱々をほおばるのは最高の幸せ。

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氷のカウンターで氷のショットグラスに注いで売られるのはcaribou(トナカイ)というお酒。赤ワイン75%と強いお酒(ウォッカ、ウィスキー、ラム、ジンなど)25%を混ぜてある。温めて砂糖とスパイスを入れてもいい。横に焚火の休憩所もあるけど身体の中から温まってくる。
 
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そり、スライダー、スノーラフティング、4基の露天風呂など家族やグループの笑い声、パーカッションのグループなどの生演奏、観客の手拍子が雪原の会場に響き、寒い中でも心が温まるお祭り。

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関連エントリー「メープルシロップの里を訪ねて(1)」
関連エントリー「メープルシロップの里を訪ねて(2)」




Sophie@カナダ-ケベック便り

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2010年02月18日

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ!

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)何だか馴染みのある方言だと思ったら、舞台は自分の故郷からそう遠くない場所だった。田舎のからみつくような引力を振り切って、圏外に飛び出すには狂気じみたパワーがいる。東京の大学を受験するという安易な方法ではなく、女優になるとか、漫画家になるとか、そういうケモノ道を行く場合はなおさらのことだ(※ネタバレになるので、見ようと思っている人は見てから読んでね)。

究極の勘違い女、澄伽(すみか)を佐藤江梨子が演じる。見事な逆ギレぶりは逆に清々しさを感じるほどだ。地味でオタクな妹、清深(きよみ)も派手な姉に負けないくらいのパワーがある。自分の身に降りかかった最悪の不幸さえもホラー漫画でリアルに表現せざるを得ない。兄と姉の危険な関係さえも観察の対象にしてしまう、好奇心旺盛、ナチュラルボーンなアーティストなのだ。それに澄伽にとって自分の本当の価値を教えてくれたのは兄ではなく、いじめ倒していた清深だった。兄は物分かりの良い顔をしながら、家族の病理をひとりで抱え込み、延命させていだけ。「家族、家族」と言いながら、兄の気遣いは全く的外れで(死ぬ必要だって全くなかった)、それは結局家族を壊すことにしかならなかった。兄が死んで姉妹は自由になり、ようやくふたりで外に飛び出していけるのだ。

サトエリもハマリ役だが、待子(まちこ)役の永作博美の怪演も見逃せない。夫の姉妹たちとは逆に、東京に生まれ、東京で育ったが(コインロッカーに捨てられ、孤児院で育った)、結婚相談所を通して田舎に嫁いできた。そういう待子の微妙にずれた狂気をうまく演じている。ぶん殴られて畳の上をゴロゴロ転がったり、めんつゆをぶっかけられたり、処女のまま放置する夫に必死にセックスをせがんだり。それに彼女が作る人形の気持ち悪さときたら。ずっと孤独だった待子は家族を求めて田舎にやってきたわけで、彼女なりに自分の欲望を田舎の新しい家族に刷り合わせようと必死だったのだ。おせっかいながら待子のその後が非常に気にかかる。

CM監督から初めて映画を撮ったという吉田大八監督は、テンションの高いドラマの合間に、スタイリッシュに切り取られた田舎の風景をまるで洗練されたCMのようにはさみこんでいる。あの切り取り方は田舎にどっぷり浸かった人間からは出てこない。自分も田舎に帰ったときああいう風に田舎を見ようとするからだ。疎外感とノスタルジーのあいだに引き裂かれるような感情とともに。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ!【予告編】


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2010年02月16日

マヨルカ島とショパンとデヴィッド・アレン

Chopin: 24 Preludes Op.28世界中で愛される作曲家&ピアニスト、フレデリック・ショパン Frédéric Chopin が生まれてから今年で200年。ピアノの魅力を余すところなく追求した美しい旋律は、私たちの日常生活に溶け込んでさえいる。今年は生誕200年を記念したCDが発売され、地中海に浮かぶショパンゆかりのマヨルカ島 Mallorca(ス) Majorque(仏)にはファンがひっきりなしに訪れているという。

ショパンは1810年にポーランドで生まれ、ショパンは Chopin と綴る(フランス語に特徴的な ch の音と鼻母音が含まれる)。祖国をあとにしてウィーンやパリを転々とするが、1849年に39歳の若さで亡くなるまでポーランドの地を再び踏むことはなかった。ショパンは当時のパリの社交界の人気者で、ジョルジュ・サンド George Sand との逃避行など、ドラマティックな恋愛に身を投じたことでも知られる。

サンドとの逃避先がスペインのマヨルカ島だった。島の北西部にあるバルデモーサ村の日当たりの良い斜面にショパンとサンドが暮らしたカルトゥハ修道院が立っている。二人が暮らした眺めの良い部屋は現在資料館になっている。私は10年ほど前にそこを訪れたのだが、9月の地中海のまだ強い陽光が部屋の前に生い茂った蔦の葉のあいだからキラキラと漏れていたのを思い出す。

マヨルカの冬男爵夫人でパリの社交界の花形だったサンドは、若く才能豊かな作曲家に惹かれる。ショパンもまたはっきりと自己主張する政治的な女性作家に興味を抱く。社交界はふたりのうわさで持ちきりとなり、醜聞から逃げるようにサンドの子供2人とともにマヨルカ島に向かったのだった。本来の目的は結核の療養だったが、折りしも季節は雨季でショパンの体調を悪化させることになる。しかし、ショパンはサンドの看護に支えられ、創作に励み、そのときに完成したのが「雨だれ」を含む前奏曲集である。サンドも後年マヨルカ島での体験をもとに「Un hiver à Majorque」(「マジョルカの冬」1842年)を著している。

Vladimir Horowitz plays "Raindrop"

今のマヨルカ島はどうかというと、空港に降り立ったときからスペイン語表記と同じくらいのドイツ語表記であふれていた。意外なことに、そこはドイツ人バカンス客の植民地と化していた。ドイツにはバカンスの海がないからだろう。日本人にとってのハワイのようなものなのかもしれない。マジョルカ島のマジョリティーは「不凍港」ならぬ「不凍海水浴場」を求めるドイツの南下政策の結果なのだった。

ところで私はショパン好きが高じて(上にはポリーニのショパンを挙げておいた)、はるばるマヨルカ島というマイナーな観光地まで足を運んだわけではない。パリの旅行会社(Nouvelle Frontiere だったかな)で安いチャーター便のチケットを買ったが、今にも墜落しそうなボロボロの飛行機だった。隣にあるハウスミュージックの聖地、イビサ島にも行きたかったんだけど、それは断念。

Good Morning私の永遠のヒッピーアイドルである、デヴィッド・アレン Daevid Allen というミュージシャンがいる。そのうち「英仏プログレ対決」シリーズでも書くつもりだが、アレンはまずソフト・マシーン Soft Machine というイギリスのバンドのメンバーとして活動していた。しかしビザが切れていてツアー先のフランスからイギリスに再入国できず、フランスで新たにゴング Gong というプログレ&サイケなプロジェクトを立ち上げた。1968年、フランスで五月革命が勃発した際にアレンは学生側に加担するパフォーマンスを行い、このことで警察に追われる身となった。警官にテディベアを配り、ピジンのフランス語で詩を朗読しただけなのだが、影響力のある危険人物とみなされたようだ。そのときの潜伏先がスペインのマヨルカ島のデヤ Deià(ス) Deya(英)という村だった。ショパンと同じようにパリに居られなくなって逃れてきたわけである。

アレンが1976年に出したソロアルバム「Good Morning」のジャケットの裏側に、山道を歩いているアレンの写真がある。そこには「マヨルカ島のデヤにて」と書かれていて、その牧歌的な風景とアレンのヒッピーな姿に私は一瞬にして魅了された。そしていつか必ずそこに行ってみようと心に決めたのだった。私が高校生のころである。

アルバムの曲が youtube で見つかったので紹介しておく。ユング的なタイトルだが、ミニマルなマリンバが心地よいスピリチュアルな曲である。

Daevid Allen - Wise man in your heart(from Good Morning)

それは20年後に実現した。人生なんてそういう適当な思い込みで方向が決まるものだ。同じように、ピンク・フロイド Pink Floyd にサントロペ San Tropez (仏 Saint Tropez)という曲(Meddle 収録)があって、そのお気楽な詩に何となく惹かれて、いつかサントロペに行こうと思っていた。それはマヨルカ島の数年後、21世紀に入って実現した。サントロペは地中海に面したフランスの超高級リゾート地で、フランスの芸能人も集ってくるような場所だ。そこはヨーロッパの階級社会の彼岸のような場所だった。港に巨大なクルーザーが軒を連ねていて、デッキでは金持ちの一家が、「下々の皆さん」(笑)って感じで観光客を見下ろしながらシャンパンを飲んでいた。ピンク・フロイドの曲をバックに流した下のスライドはサントロペの観光案内になっている。もうひとつ、デルフィーヌという素敵なお姉さんがサントロペの街を案内してくれる動画も。街の魅力が十分に伝わってくる。

Pink Floyd - San Tropez
Delphine Visits Saint-Tropez




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2010年02月14日

『卒業』とアメリカの68年(1)

卒業(1967) 【プレミアム・ベスト・コレクション\1800】 [DVD]結婚式の真っ最中に花嫁を奪う。これほどドラマティックな出来事はないし、花婿や両親に対するこれ以上のダメージはない。言うまでもなく、ダスティン・ホフマンの出世作となった『卒業』(1967年)のことである。また音楽とラストシーンがこれほど印象深く結びついている映画もない。サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」のことである。最近、main blog で「映画の文化的、時代的な背景」がちょっとしたテーマになっているが、『卒業』もまたその時代背景を理解すると印象が一変する映画だ。私が『卒業』を見たのは高校生のころだったが(もちろんリアルタイムではない。思えば、私が初めて見た洋画はイレーン役のキャサリン・ロスが出ている「レガシー」だった)、それがアメリカの世代間の文化戦争の反映だと知る由もなかった。

すべてをぶち壊しにした自分たちの行為に酔っていられる時間はそう長くはない。ラストシーンでベンとイレーンはバスの後部座席でどうしたらいいのか途方に暮れる。そもそもベンは映画の始まりから自分が何をやりたいのかわかっていなかった。しかし、はっきりとわかっていたことは、大学を卒業して家に戻ってきたとき、両親から受け継ぐべき世界が、自分の求めるものではないということだけだった。その後、ベンははっきりと自分の進むべき道を見出す。ちょっと強引な言い方をすれば、マイクロソフトのビル・ゲイツやアップルのスティーブ・ジョブスは彼のなれの果てなのだ。

「卒業」というタイトルだが、問題になっているのは大学からの卒業である。小熊英二が『1968―若者たちの叛乱とその背景』で日本の大学の1968年を描き出しだしたように、アメリカの68年もその後のアメリカを見る上で興味深い転換点になっている。アメリカの68年は日本とは違って、その後の世界の趨勢にまで多大な影響を与えただけでなく、現在の支配的なライフスタイルの原型を作ったのだから(詳細は次回以降)。

ベンの表情は今見ても感動的だ。こういう表情を今の映画では撮ることはできない。虚飾に満ちた大人の世界をがむしゃらに突破しようという情熱。今の世の中は草食系ばかりが話題になり、そういう若者の情熱と出会わない。若者が時代を食い破るような情熱を持てない世界は衰退していくしかないのだろう。

卒業-オリジナル・サウンドトラックとはいえ、次の時代への脱皮の準備をしたのは大人たちだった。今のままではアメリカはもたないという意識から出たことだったのだろう。当時アメリカの大学は大きな変化の中にあった。ハーバード大学を例に挙げるなら、一地域のエリートのための閉じた大学から、アメリカの優秀な頭脳を集めた活気のある大学に変貌していた。1952年のハーバード大学は北東部の社会のエリート限定で、新入生はほとんどがWASPだったが、1960年にはアメリカ全土から学生を受け入れるようになっていた。ハーバードの学生は昔から優秀だったわけではなく、学力もこの時期に飛躍的にアップしたのだ。ハーバードだけでなくアメリカの有名大学が同じ時期にその門戸を血統や縁故ではなく、知能によって切磋琢磨するメリトクラットたちに大きく開いたのだった。多くの大学でユダヤ人(ダスティン・ホフマンはユダヤ系である)や女性に対する割り当て制限も撤廃され、大学の民主化も著しく進んだ。

そのような環境の中で、新しい成り上がり者たちは旧勢力にとって変わろうとした。WASP的な文化を破壊し、個人の実力を基準とした新しい気風でアメリカを塗り替えようとしたのである。いつの時代もそうだが、消えゆく運命にある既得権益層は、新興勢力を脅威として感じれば感じるほどますます意固地になる。最後のベンの行動を阻止しようと必死につかみかかる親たち。ベンはそれをかわして教会の扉を十字架でふさぐ。そしてイレーンの手を取り、彼らの目の前を軽やかに駆け抜けるのだ。1960年代の後半の若者たちの文化革命を右派は天災と言い、左派は奇跡と言ったが、それは1955年から1965年のあいだにアメリカの大学で起こったトレンド転換の必然的な帰結だった。

『卒業』ではプロテスタントのエリートたちの生活が情け容赦なく暴露されている。当時のWASPたちがどういう価値観を持ち、どういう暮らしをしていたかはデイビッド・ブルックスの『アメリカ新上流階級 ボボズ』に活写されている。豪奢なバー、モノグラム入りのゴルフシャツ、金時計、白い壁と白い家具。これらは浅はかさと偽善の象徴である。実際彼らは映画の中で人形かロボットのような印象を受ける。昔見た特撮人形劇「サンダーバード」(1965年のイギリスの作品)を思い出させる。そしてミセス・ロビンソンの姿を通して、カクテル三昧の生活に隠された絶望が暴かれる。ベンとミセス・ロビンソンの不倫関係が明るみに出るだけで、すべての仮面がはがれ、すべての虚像が脆くも崩れ去る。それらがいかに危ういバランスの上に成り立っていたかを証明するように。

ベンがイレーンを連れ去れる教会はサンタ・バーバラのプレスビテリアンの教会(長老派と呼ばれるWASP的な教会)である。花嫁を奪われる男は典型的なWASPタイプのくそ真面目なブロンドの医者。イレーヌに対する「僕たち、素晴らしいチームになれるよ」というプロポーズの言葉には、WASP文化の軽薄さと感情の冷淡さ、そして体育会系の執拗なスポーツ志向が表れている。(続く)

The Graduate - End Scene




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2010年02月13日

鯛のポワレ 白ワインソース filet de daurade poêlé, sauce vin blanc

伝統的なフランス料理はたっぷりの焦がしバター(beurre noisette)をソースにしたり、生クリームを加えたソースにさらに仕上げにバターを加えて(monter)コクをつけることが多く、お世辞にも健康的とは言えません。

ひと昔前に比べると生クリームやバターの量を減らしてあっさりとしたソースが好まれるようになりました。魚を焼く時にもオリーブオイルを使って焼くとヘルシーです。

今回の白ワインソースはイタリアンのシェフに教えてもらったソースで、生クリームを入れていませんが、最後の少しのバターは魔法だと思って必ず冷たいものを入れてください。濃度もついて魚にからみやすくなります。

poelevinblanc01.JPG

*材料*(2人分)

鯛などの白身魚の切り身      ・・・・・2切れ
スナップ(スナック)えんどう   ・・・・・10個
トマト(小)           ・・・・・1個
塩、こしょう           ・・・・・少々
オリーブオイル          ・・・・・適量

☆ 白ワインソース ☆
白ワイン      ・・・100cc
魚のだし汁     ・・・200cc(インスタント可。表示の分量のお湯に溶かす) 
ベルギーエシャロット   ・・・ 1/2個
シャンピニオン(白マッシュルーム)・・・3個
粒黒こしょう    ・・・15粒
バター       ・・・40g
塩         ・・・少々

*作り方*
1.白ワインソースを作る。
  ベルギーエシャロットとシャンピニオンはみじん切りにする。
小さめの鍋に白ワインとだし汁、粒コショウ、みじん切りにしたものを入れ、中火にかける。1/3量になるまで煮詰めたら目の細かいざるなどで濾し、鍋に戻しておく。
2.スナップえんどうは筋を取り除いて塩ゆでして、ざるなどにあげる。温かいうちに開いておく。
トマトは湯むきをして、1pぐらいの角切りにしておく。(concasser)
3.厚手のフライパンを熱し、オリーブオイルを少し加えたら、塩・こしょうした魚を皮目から中火で焼く。出来るだけ触らないようにして、7割がたそのまま火を通す。裏返したらさっと火を通す。
4.白ワインソースを火にかけ、熱くなったら、冷たいバターを加えて鍋をゆすり濃度をつける。塩で味を調える。
ゆでたスナップえんどうを皿に盛り、その上に焼いた魚をのせ、トマトの角切りを飾り、白ワインソースをかける。




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2010年02月12日

カイエ・デュ・シネマのトップテン 2009年度編

cahier652.jpg昨年公開された映画のベストテンが各メディアを賑わすなか、フランスのカイエ・デュ・シネマ誌でも発表されました。編集者が選んだ10本を下にご紹介します(日本公開および公開予定のものはタイトルを『 』で表しています)。






herbesfolles.jpg


1. Les Herbes folles , Alain Resnais (ぼうぼうの草 アラン・レネ)
2. Vincere , Marco Bellochio(ヴィンチェレ(勝利) マルコ・ベロッキオ)
3. Inglourious Basterds , Quentin Tarantino (『イングロリアス・バスターズ』 クエンティン・タランティーノ)
4. Gran Torino , Clint Eastwood (『グラン・トリノ』 クリント・イーストウッド)
5. Singularités d’une jeune fille blonde , Manoel de Oliveira(ある金髪娘の特異性 マノエル・デ・オリヴェイラ)
6. Tetro , de Francis Ford Coppola(テトロ フランシス・フォード・コッポラ)
7. Démineurs , Kathryn Bigelow (『ハート・ロッカー』 キャスリン・ビグロー)
8. Le Roi de l’évasion , Alain Guiraudie(逃走の王 アラン・ギロディ)
9. Tokyo Sonata , Kiyoshi Kurosawa (『トウキョウソナタ』 黒沢清)
10. Hadewijch , Bruno Dumont( Hadewijch ブリュノ・デュモン)


日本各誌のベストテンとはまたずいぶん違っていますね。1位に輝いたアラン・レネ監督作品は昨年のカンヌ映画祭でも好評で特別功労賞を受賞しました。ある女性がバッグを盗まれたことから変化していく人間模様を描いたもので、話だけ聞いているとちょっとコーエン兄弟が撮りそうな内容ですね。

2位のマルコ・ベロッキオもカンヌ出品組で、ムッソリーニ時代のある封印された物語を扱ったもの。3、4位はここでも紹介された映画で、フランスでも人気が高い。5位のマノエル・デ・オリヴェイラ監督は何と御年101歳! しかその精神はまだまだ若く、静かながらも前衛的な作品を次々と発表しています。8位はゲイの独身中年男性が若い娘と結婚してしまうコメディードラマ。10位は狂信的な娘が危険な方向へ進んでいく話・・とバラエティ豊かな作品が挙がりました。嬉しいことに黒沢清監督の作品も9位にランクイン。彼はフランスでは評価が高く、この作品はカンヌでもある視点部門の審査員賞を獲得していました。

またカイエの面白いところは、娯楽性の高い映画もベストテンに入っていること。6位のコッポラ作品はヴィンセント・ギャロ主演(!)のミステリー仕立てのドラマ、7位は爆弾処理班の青年を描いたアクション作品。この『ハート・ロッカー』は今年度のアカデミー賞にも多くの部門でノミネートされていて、日本では3月公開(ちなみに彼女の元夫は『アバター』のジェームズ・キャメロン監督)。


さらに今年は2010年ということもあり、2000年からの10年間ベストテンも発表されました。

mulholland.jpg


1. Mulholland Drive, David Lynch(『マルホランド・ドライブ』 デヴィッド・リンチ)
2. Elephant, Gus Van Sant(『エレファント』 ガス・ヴァン・サント)
3. Tropical Malady, Apichatpong Weerasethakul(トロピカル・マラディー アピチャッポン・ウィーラセタクン)
4. The Host, Bong Joon-ho(『グエムル 漢江の怪物』 ポン・ジュノ)
5. A History of Violence, David Cronenberg(『ヒストリー・オブ・バイオレンス』 デヴィッド・クローネンバーグ)
6. La Graine et le mulet, Abdellatif Kechiche(粒とボラ、アブドゥラティフ・ケシシュ)
7. A l’ouest des rails, Wang Bing(『鉄西区』 王兵(ワン・ビン))
8. La guerre des mondes, Steven Spielberg(『宇宙戦争』 スティーヴン・スピルバーグ)
9. Le Nouveau monde, Terrence Malick(『ニュー・ワールド』 テレンス・マリック)
10. Ten, Abbas Kiarostami(『10話』 アッバス・キアロスタミ)

全体的にカンヌに出品された作品が多いようです。1位、2位は納得の順位。私も大好きな2作品です。3位はタイの作品で、2004年のカンヌ映画祭で審査員特別賞、さらに東京フィルメックス最優秀作品賞を受賞。中島敦の「山月記」(中国の人虎伝)をモチーフにタイの男性カップルの生活をドキュメンタリーとフィクションが交錯したような独特なスタイルで描いたものだそう。

『グエムル』が4位というのもすごい。ポン・ジュノ監督は新作『母なる証明』もよさそうだし、今韓国で最も注目すべき監督でしょう。8位の『宇宙戦争』や9位の『ニュー・ワールド』も驚きですが、ハリウッドの娯楽作品だからといって妙な偏見も持たないのがカイエのいいところ。一方で中国東北部瀋陽の廃れゆく地域を三部構成で描き出した9時間(!)におよぶ長編ドキュメンタリーである『鉄西区』が7位に選ばれています。

残念ながら日本の作品は入っていませんが、3、4、7、10位はアジア系というのもカイエならではでしょうか。それに対してフランス人による映画は、マグレブ系のアブドゥラティフ・ケシシュ監督の作品(6位)のみ。自国の映画には厳しいのかな・・


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2010年02月11日

ハイチからの声

フランスと深い繋がりのあるハイチを襲った大地震からはや1ヶ月。この国が直面している現実のひとつひとつを、やりきれない気持ちで見ています。なんとも歯がゆい。
 
また、いたしかたのないことかもしれませんが、ハイチについての報道は、取材する側の目線で作られ、困難の最中にある人々はひたすら被写体であることを強いられているように感じます。
 
ハイチで生まれ、アメリカで生活する作家、エドウィッジ・ダンディカット(写真↓)が『ニューヨーカー』誌に寄せた一文を、一部紹介したいと思います。テレビのニュースからは読み取れない、人々の声です。


danticat01.jpgマキソの遺体(作者の従兄)が掘り出されたころまでには、携帯電話がようやく通じだし、絶望の声が嵐のように押し寄せてきた。従姉は頭に裂傷を負い、出血が止まらない状態だった。別の従姉は背骨を折り、レントゲンを撮ってもらうためだけに野外病院を三つも回らなければならなかった。別の従姉は、家の中で寝ることができず、ひどい喉のかわきを訴えていた。ひどくショックを受け、声が出なくなってしまった子がいた。親戚のひとりは、飲んでいた血圧の薬がなくなってしまった。数日間、ほとんど誰も、何も口にしていなかった。住んでいた街が完全に破壊された友人や身内の多くとは、連絡さえ取れなかった。
 
どの電話の声も、薄気味悪いくらい、静かだった。だれも叫ばない。「どうして私が」「私たちは呪われている」などと言う人もいない。余震がまだ続いている状態でも、「また地面が揺れてる」と、それがあたりまえのことのように言う。ハイチの外にいる身内がどうしているか、聞いてくる。年取った親戚、赤ん坊、私の一才になる娘。
 
私は泣き、謝る。「一緒に居てあげられなくてごめんなさい。」私は言う「赤ん坊のことがなければ・・・」
 
美人コンテストに優勝したことがあり、ナオミ・キャンベルというニックネームで呼ばれている、6フィート近い背丈の21歳になる従妹、「食べるものがない、夜は薮の中で死体と一緒に寝ている」と訴えていた彼女が、私の嘆きを遮った。

「泣いちゃダメ」彼女はいう「これが人生よ」
「いいえ、人生はそんなもんじゃない」私は言う。
「そうであってはいけない。」
「そんなものなのよ。」彼女は言い張る。
「そういうものなの。人の生ってね、死と同じで、ほんのつかのまの出来事なのよ。」


□雑誌『ニューヨーカー』2010年2月1日号掲載 「A Little While」より




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2010年02月10日

音楽で観るフィギュアスケート バンクーバー五輪男子シングル編

前回の女子編に引き続き、バンクーバー・オリンピックに出場する男子フィギュアスケーターのなかから、音楽とプログラムが印象的な選手何人かをご紹介します。

A Day in the Life by The Beatles - Jeremy ABBOTT (USA)

Jeremy.jpg全米選手権2連覇で見事初のオリンピック代表となったジェレミー・アボット選手。もともと彼は音楽表現に優れていて、毎年素敵なプログラムを披露してきましたが、ビートルズの人気曲を使ったこのプログラムは、今シーズンのベスト・ショートプログラムだと思います。特に曲調が変わる部分から始まる2種類のステップシークエンスを滑り切ってスピンへ移行し、最後のあの「ジャ〜ン」という音で終わるまでの盛り上げ方が素晴らしい。彼は毎年雰囲気が変わるのだけれど、去年のロマンティックな王子様風から今年は爽やかな好青年風へと変わったのもこの曲に合わせてのことでしょうか。シーズン後半にかけてジャンプも安定してきたので、オリンピックではメダル争いに加わってきそうです。ちなみにコーチは日本人の佐藤有香さんです。

Jeremy ABBOTT Short Program




Wish Me Well by Willi Dixon, Memphis Slim / Whammer Jammer by The J. Geils Band - Samuel CONTESTI (ITA)

samuel.jpgもともとフランスの選手でしたが、トリノオリンピック出場をめぐるいざこざからイタリアへ移住し、そこから急に頭角を現してついにイタリア代表にまで上り詰めたサミュエル・コンテスティ選手。コーチと振付けは奥様だそうで、まさに愛の力が実を結んだのでしょう。彼はいつもユニークなプログラムで会場を沸かせてくれますが、今回もカントリー風の出で立ちでブルース音楽をバックに、エキシビションのような楽しい演技を披露してくれます(アンデスの音楽を使ったフリーも個性的)。豊かな表情に加えてダイナミックなジャンプも魅力で、観客を味方につけるのがうまい選手です。


Samuel CONTESTI Short Program





Go Chango by Les Baxter / Harlem Nocturne by Earle Hagen and Dick Rogers /Topsy by Eddie Durham - Vaughn CHIPEUR (CAN)

vaughn.jpgカナダ選手権で2位に入り、オリンピック出場を果たしたヴォーン・チッパー選手(名字の表記にちょっと迷いましたが、選手権では「チッパー」または「チップール」と聞こえるアナウンスがされていました)。すごい速さで滑ってきては豪快なジャンプを飛び、168センチの身長がひとまわりもふたまわりも大きく見えるダイナミックな演技をする選手です。彼のようなガッチリ体型のパワフルスケーターは今の男子選手ではあまり見られないので、ジャンプを決めてグイグイ押してくれば逆に目立つ存在となるでしょう。荒削りな部分も見られ、繊細さには欠けるかもしれないけれど、今季の「ハーレム・ノクターン」といったムーディーなジャズ音楽を使ったプログラムでは彼のよさがうまく活かされています。

Vaughn CHIPEUR Free Program




Teardrop by Massive Attack / Insane in the Brain by Cypress Hill / Smack my bitch up by Prodigy - Adrian SCHULTHEISS (SWE)

adrian.jpgスウェーデン代表となったアドリアン・シュルタイス選手は、金髪のソフト・モヒカンと口ピアス姿でシニアの大会に登場してきたときから、ちょっと気になる選手でした。外見も個性的ながら、プログラムに使う曲も他の選手とは少々異なっています。今季のフリーでは、マッシヴ・アタックといったエレクトロニカやヒップホップ系の音楽を組み合わせたものを使用していて、特にエンディングに聞こえるクレイジーな笑い声が印象的。彼自身もこういう曲が好みのようで、クラシックや映画のサントラを使ったプログラムよりもこういう音で滑っているときのほうが生き生きとして見えます。ルックスと比べると、演技はまだ薄味、という感じなんですが、これからも自分のキャラクター色を押し出したプログラムを期待しています。

Adrian SCHULTHEISS Free Program




La Strada (soundtrack) by Nino Rota - Daisuke TAKAHASHI (JPN)

daisuke.jpg怪我による1年のブランクを経て高橋大輔選手がこのフリープログラムを滑ったとき、全身からスケートができる喜びがあふれているように見えて、思わず目頭が熱くなってしまいました。以前は自ら語っていたように「エロカッコいい」路線だったので、イタリアのフェデリコ・フェリーニ監督の名作「道」のサントラを選んだのは少々意外でしたが、彼のコミックな一面が新たに開拓されていて、演技者としてさらに深みが増したように思います。映画の内容に沿うように、大道芸人のパントマイムを織り込んだこのプログラムは、ちょっと物悲しく、でもしみじみとあたたかいニーノ・ロータの音楽にしっくりマッチしていて、何回見ても大好きなフリー演技です。あとは4回転ジャンプが決まってくれたら・・

Daisuke TAKAHASHI Free Program




実力が伯仲している男子シングルですが、前回のメダリスト、プルシェンコ選手とランビエール選手も参戦してますます状況が混沌としてきました。個人的にはアボット選手と高橋選手にメダルをあげたいんですが、こればかりはどうにもなりません。せめて実力を出しきって悔いのないオリンピックにしてもらいたいですね。


exquise@extra ordinary #2





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2010年02月08日

「エリ、エリ、レマサバクタニ」 Eli, Eli, Lema Sabachthani ?

エリ・エリ・レマ・サバクタニ 通常版 [DVD]以前から気になっていた青山真治の「エリ、エリ、レマサバクタニ」(第58回カンヌ映画祭ある視点部門出品作品)を見た。タイトルは十字架にかけられたキリストが息を引き取る前に叫んだ言葉だ。最初から既視感と今さら感が抜けなくて、30分くらいで見るのをやめようと思った。人間を自殺させるレミング・ウイルスの蔓延だって?ノイズの轟音は80年代にさんざん聴いたので今さら驚きもない(暴力温泉芸者の中原昌也が俳優として出演している)。2006年に撮る映画なのだろうかと。しかし陰気な顔をした宮崎あおいが登場したあたりから少し空気が変わった。気を取り直して続きを見た。

エリ、エリ、レマサバクタニ(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)。神に見捨てられることは、最終的なセーフティーネットにさえ見捨てられるということだろうか。確かに今の時代ほど不透明な空気に満ちていて、人間の存在が根っこから見捨てられる感覚にとらわれる時代はない。レミング病が流行らなくても、すでにうつ病や自殺の時代になっている。一方で去年インフルエンザが大流行して、目に見えないウィルスの恐怖(メディアティックな伝染も含めて)を私たちは身をもって感じた。

レミング病を治すには、二人が奏でる音楽を聴くしかない。今では音楽療法が一般化していたり、「癒しの音楽」と呼ばれる音楽があったり、音楽の治療的な側面が注目されるようになっている。音楽は音を方向づけ、安定と調和を表現する。そもそも人間の文化は荒々しい自然を反復と形式の中に押し込めることで成立し、それが人間の生活に安心を与えてきた。音楽はノイズ(無秩序な音)のコントロール&オーケストレーションという意味で人間の文化の象徴だった。

しかし人間を守っていた文化=音楽が崩れ始めている。人間を保護膜のように包み、精神を安定させていた音楽が失われつつある。私たちは剥き出しの自然と宇宙に直接向き合い、それらが放つ生々しい音を聴かなければならない。本来、音(楽)を聴くことはそういう経験だったはずだ。ノイズミュージックは壊れた音楽なのではない。人間が分化する以前の、原初的な音楽なのだ。泡立ち騒めく細胞の音、生命が飛躍する瞬間の絶叫のような。

最近新聞で読んだのだが、ウィルスの侵入が従来考えられていた以上に、生物の進化に大きな影響を与えてきた可能性があるらしい。人間のDNAにもウィルスの遺伝子が組み込まれていて、人類の生命に根本的な変化をもたらしてきた。人類のDNAを書き換えるのがウィルスだとすれば、新しい音楽に対する感受性を呼び込むのもまたウィルスなのかもしれない。

不治の病を治す音楽を設定することは、音楽に絶対性を持たせることになる。キリストの死に全人類の贖罪の絶対的な瞬間を求めるように。しかしそういう絶対的な瞬間を失った代わりに、それを埋め合わせるために、私たちはそれぞれ音楽を聴いている。相対化された音楽を孤独に消費している。それは楽園を追放された人間の宿命なのだ。ノイズミュージックもまた趣味性の高い音楽で、感情移入できる人間はむしろ少数派だろう。音楽を共有することは難しく、音楽を介した共感はそう簡単に起こることではない。ましてや万人が陶酔できるような絶対的な音楽なんて不可能に近い。それでも人間はそれを夢見ずにはいられない。

長髪の浅野忠信が近未来のキリストを演じる。広い青空の下の黄色い平原でノイズギターをひきまくる。ノイズによって罪を贖うキリストだ。十字架のように屹立する縦長のスピーカー。目隠しをした黒衣の宮崎あおい。このシーンを見せてもらっただけで十分だ。監督もこれを撮りたかったのだろう。何かピンク・フロイドの「ライブ・アット・ポンペイ」を思わせる神々しさがあった。

「エリ、エリ、レマサバクタニ」公式サイト 




cyberbloom@サイバーリテラシー(200本目記念エントリー)

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2010年02月07日

音楽で観るフィギュアスケート バンクーバー五輪女子シングル編

いよいよカナダのバンクーバーで冬季オリンピックが開幕します。楽しみな競技はいろいろありますが、やはり皆の関心を集めるのはフィギュアスケート。メディアでは連日有力選手が特集されていますし、ジャンプなどの技術の紹介もよく見かけますので、ここではまた音楽という観点から選手をご紹介したいと思います。五輪シーズンということもあり、今季はフィギュアで定番のクラシック音楽や、有名な映画のサントラを用いる選手が多いなか、個性的な音楽や、自分のキャラクターに合った曲を使っているスケーター何人かに注目してみましょう。


Pirates of the Caribbean - Dead Man's Chest (soundtrack) by Hans Zimmer / Fragile Dreams by Joe Hisaishi / He's a Pirate (from Pirates of the Caribbean) by Klaus Badelt and Hans Zimmer - Mirai NAGASU (USA)

mirai2.jpgアメリカ代表は10代の若い2選手に決まりましたが、その1人長洲未来(ながすみらい)選手はご両親が日本人ということもあり、私たちにも親近感がわく選手。「パイレーツ・オブ・カリビアン」のあのおなじみのメロディーに合わせて、屈託のない笑顔でのびのびと滑る彼女を観ていると、こちらも元気がわいてきます。ここ1、2年で身長が急激に伸びたために、昨年はジャンプに体を合わすのに苦労していたようでしたが、今季はそれも調整し、スラリと長い手足を逆に武器にしていよいよ実力を発揮してきました。美しいスパイラルや軸のぶれないスピンにぜひご注目ください。


Mirai NAGASU Short Program




Fever by Davenport - Elene GEDEVANISHVILI (GEO)

elene.jpg4年前のトリノ・オリンピックで、ショートプログラムで次々とジャンプを決め、フリー演技の最終滑走グループに残ったエレーネ・ゲデバニシビリ選手。当時はあまり知名度はなかったものの、その愛くるしいルックスが記憶に残った人も多かったはず。今回もグルジア代表で出場です。プログラムには明るくてかつ色っぽい感じの曲がよく使われていて、彼女の溌剌とした演技や健康的なセクシーさにぴったりです。最近はジャンプに失敗が多いので最終成績が今ひとつなのですが、決まってくれば上位をおびやかす存在になるでしょう。


Elene GEDEVANISHVILI Short Program





Air by Bach / Cello Concerto by Antonio Vivaldi - Carolina KOSTNER (ITA)

carolina.jpgスケート技術で常に高い評価を得ているイタリアのカロリーナ・コストナー選手。びっくりするほどのスピード感と女の子らしい振付けが魅力的なスケーターです(コスチュームもいつも素敵)。彼女はいつもその可憐な雰囲気に合うクラシック曲を選ぶことが多いのですが、今季のフリープログラムではバッハの「G線上のアリア」とヴィヴァルディのチェロ・コンチェルトを選びました。ゆったりしたストリングスをバックにすると、逆に彼女のスピードがより感じられるようです。彼女もジャンプに苦しみ、イタリア代表になれるかすらも危ぶまれる状況でしたが、1月の欧州選手権で優勝してようやく代表に決まりました。この上がり調子のままでオリンピックに臨んでほしいです。


Carolina KOSTNER Free Program




Adios Nonino performed by Gary Burton / Fuga y Misterio performed by Gary Burton - Laura LEPISTÖ (FIN)

laura.jpg以前、 「秋の音楽」でご紹介したアストル・ピアソラの「アディオス・ノニーノ」をプログラムに使っていたのは、フィンランド代表のラウラ・レピスト選手でした。お人形のようなノーブルな顔立ちの彼女がタンゴのメロディーに合わせて演技しているといつも見とれてしまいます。赤い衣装の彼女が踏むキビキビとしたステップや、急速に回転するスピンは、真っ白い氷に実によく映えます。彼女も一昨年の欧州チャンピオンですので、最終滑走グループでこのフリー演技を観られる可能性は大いにあるでしょう。


Laura LEPISTÖ Free Program




Prelude No. 3 op. 2 ("Bells of Moscow") by Sergei Rachmaninov - Mao ASADA (JPN)


mao.jpgショパンの名曲でニンフのように軽やかに滑っていた浅田真央選手が、今季このラフマニノフの曲を選択したとき、果たしてこの「重々しさ」を彼女が表現しきれるのだろうかと不安でした。昨季から彼女は同じ旋律が繰り返される、悪く言えば「一本調子の」曲をフリープログラムに使用しているのですが、それは「動ー静ー動」といったわかりやすい構成の曲を敢えて避け、微妙な音の変化をいかに演技で表現するかという挑戦でもあると思うのです。オリンピック・シーズンであっても、今の状態に甘んぜず、常に新しいことに果敢に挑む彼女の姿勢には本当に感服させられます。その成果がバンクーバーで遺憾なく発揮されますように。
いつもトリプル・アクセルばかりがクローズアップされていますが、このプログラムでは最後のストレートライン・ステップがすばらしい。彼女がすごい速さでクルクルと旋回する姿を観ていると、自然とトゥルビヨン(tourbillon つむじ風)という単語が頭に浮かんできます。


Mao ASADA Free Program




女子シングルでは、今季圧倒的な強さを見せる韓国のキム・ヨナ選手や地元カナダのジョアニー・ロシェット選手などが有力視されていますが、ここでご紹介した選手たちも、持っている力を十分に出せばメダル争いに加わってくることでしょう。皆のすばらしい演技を期待しています。

次回は男子シングル編をお届けします!


exquise@extra ordinary #2





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2010年02月05日

ファイナルファンタジー

トヨタがずっこけ、今後の日本経済はどうなるものやと気をもんでいる最中、さきほどたまたまこんな動画をみつけました。

http://www.youtube.com/watch?v=zHlE48D3moA

人気ゲーム『ファイナルファンタジー』(以下、FFと略)の実写版パロディです。詳しいことはわからないのですが、どうもイタリア人らしきグループが作成し、それが英語版としてyou tubeにアップされた模様です。FFをご存知の方なら、けっこう笑える&微笑ましい動画だと思います(個人的には「コンフュ」状態になったキャラが味方に攻撃する場面が笑えました)。

ところでまぁ、びっくりするのがこの動画へのアクセス回数です。おおよそ160万回を超えており、FFって世界中でこんなに注目度を集めるコンテンツやったんやとぶったまげました。これだけに限らず、ぱらぱらリンク先を調べてみると海外発信のFF関連の動画でアクセス数が100万回以上なのがザラにあり、これを考慮に入れれば国境を吹きとばして世界中で潜在的に「FFコミュニティー」なるものが形成されてるんだなぁと妙に感心しました。日本人の方でも国産ゲームのFFなんか知らんという人がたくさんいると思いますが、そのおなじ日本人でFFをプレイした人は知らず知らずのうちに、世界中のFFファンとおなじ空間を共有することになり、こういうところにもグローバル化の一側面を見出すことができますね。

なお、FFはシリーズ10作目からはキャラクターにボイスが入るようになっていて、もしかするとフランスで発売されるFF10はボイスがフランス語になっているのかなと思いきや…。

http://www.youtube.com/watch?v=G9zrjkrz8-o

調べてみると、こんなふうにボイスは英語で字幕部分のみフランス語になってました。もしもフランス語ボイス版があれば、聞き取り教材としてオススメしたかったのですが…。





superlight@super light review

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2010年02月04日

2009年の3点(映画編)

昨年の年末企画のエントリー期間に間に合わず、2月に入ってようやく2009年度のベスト映画の発表です。何を今さら、と思われるかもしれませんが、どうぞおつきあいください。例年通り、去年何らかの形で発表されたもののなかからベスト3を選びました。


第1位
クエンティン・タランティーノ『イングロリアス・バスターズ』

inglorious.jpg第1章の冒頭から、スケールの大きな映像が目前に迫ってきて、何が次に起こるんだろうと自然とワクワクさせられる・・ ぽつりと建つ家の横で洗濯物を干したり、薪を切ったりする人々や、その家から草原へ駆け出していく少女をとらえた場面を見ていると、舞台はフランスであってもこの作品が西部劇へのオマージュであることがしみじみとわかってくる。

マカロニ・ウェスタンのリメイクと聞いていたが、こんなにヒネリのあるリメイクだとは思わなかったし、戦争映画という体裁をとっていても、いたるところに「映画」への言及が散りばめられていて、やはりこの作品は「映画のための映画」なんだなあと思う。タランティーノという監督はこの媒体が本来持っている魅力をじゅうぶんに知っていて、近年の作品では私たちにも存分にそれを味わわせてくれている。『デス・プルーフ』ほどのはじけっぷりはなかったものの、長丁場を感じさせない楽しい作品だった。

もちろん、この面白さは、黒カナリアさんも指摘していたように、クリストフ・ヴァルツの怪演に寄るところも大きい。カンヌ映画祭で男優賞を獲得したのも納得の、ブラピがかすんでしまう存在感だった。アカデミー賞でも助演男優賞にノミネートされたし、ぜひオスカーも穫ってもらいたい。


第2位
ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』

limits2.jpg待望のジャームッシュの新作は、ロードムーヴィーというおなじみのスタイルでありながら、これまでになく抽象的で難解な作品であり、ファンの間でも好き嫌いが分かれたようである。事実、ネット上に載せられたいくつかの感想を見ても、あまり好ましいものがなかったし、一緒に観に行った家人ですら横の席で何度かウトウトしていたほどである。

私は『デッドマン』やジャームッシュ作品で最も好きな『ゴースト・ドッグ』、果てはデビュー作『パーマネント・バケーション』を思い出させる雰囲気と、非常にスタイリッシュな空間を背景に、クールなスーツを着こなして黙々と歩く殺し屋の姿に魅せられて、退屈することはなかった。ラストに現れるメッセージが示すように、想像力は何の制限も、何の制御も課せられるべきものではなく、「映画でできないことは何もない」ということを体現したかのような作品だった。

アレックス・デスカス、ビル・マーレイそして工藤夕貴など、これまでのジャームッシュ作品に出演してきた俳優たちが次々と登場してくるのも嬉しいが、今回はブリジット・バルドーへのオマージュと思われる謎の女性、パス・デ・ラ・ウエルタが大変印象的だった。


第3位
クリント・イーストウッド『グラン・トリノ』

gran-torino12.jpg80歳を過ぎてさらに活動が加速化しているイーストウッド監督、次から次へと映画を撮影しているが、それがどれも一定のレベルを保っているのがすごい。投稿させてもらった『チェンジリング』もよかったが、現代のアメリカが抱える諸問題をこんなにもさりげなく取り込み、無理に力むことなく軽やかに描ききったこの作品は、今まで観た彼の作品のなかでもベスト3に入る(アメリカでは2008年公開なのだが、なんでこの映画が昨年のオスカー候補になっていないのか??)。あんな結末を迎えたにもかかわらず、観終わった後は実にすがすがしい気分だった。とくに今回は脚本が秀逸で、会話の場面の多くが記憶に残っている(なかでも床屋のシーンはどれもよい)。

憎まれ口ばかり叩いて終始渋面の俳優イーストウッドもよいが、何といってもこの映画ではモン族の姉弟を演じた二人の少年少女たちが光る。映画に負けず劣らず若々しくのびのびとした演技だった。


今回はすべてアメリカ映画になりました。昨年は、ほかにも惜しくもここに入らなかったけれども、mandolineさんの選んだ『ラースと、その彼女』や『ベンジャミン・バトン』などアメリカ映画に面白いものが多かったです。今年はフランスやヨーロッパものをもっと観たい。まずはペドロ・アルモドバル監督の『抱擁のかけら』を観に行きます!


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2010年02月02日

フランスで弁当ブーム! 

リーマンショックに端を発した今回の金融危機で高級レストラン以上に打撃を受けているのがフランスの街角のビストロだ。2008年の上半期だけで3000以上のビストロが経営破綻した。破綻の数としては過去最多で、その後も件数は増えている。金融機関の貸し渋りだけでなく、材料費の高騰も追い討ちをかけている。フランス人のランチにかける金額も大幅に減り、定番の食後のエスプレッソを削る人も目に見えて増えているという。



フランス人は昼休みを2時間たっぷりとり、ビストロで優雅にランチを食べると言われたものだが、ここ数年、企業がグローバル化の影響を受けたり、金融危機に見舞われたりして、そんなことは許されなくなった。古き良きビストロの倒産は残念だが、グローバル化や金融危機はフランスの外食産業を時代に合った形に変える契機になっているようだ。フランス人が子羊のシチューの代わりに口にするようになったひとつが、マクドナルドだ。フランスにあるマクドナルドは1134店舗。マクドナルドはフランスの食文化に近づこうと、2003年から店舗のインテリアを大幅に変え、メニューにサラダやヨーグルト、一口サイズのスナックを取り入れてきた。2008年にはマクドナルドのフランスでの売り上げが大幅に伸び、過去最高の33億ユーロ(4150億円)を記録したが、その後も店舗を増やす計画を立てている。

マクドナルドの盛況とパラレルに、サンドイッチ・ブームも起こっている。サンドイッチ自体は昔からあるが、03年から08年のあいだにサンドイッチ市場は規模にして28%も拡大。バゲットで作る伝統的なものから、イギリス風の食パンで作る三角形のサンドイッチまでバリエーションは豊かになり、ランチはオフィスで席についたままサンドイッチを食べるという光景も珍しくはない。

mespetitsbento01.jpgさらに新たな庶民の味方が加わった。それは日本生まれの「弁当」である。一昨年あたりからフランスで弁当が流行っていて、雑誌のELLEなんかも弁当特集をやっているという噂はボチボチ耳にしていた。弁当はすでにマンガを通して知られていたようだ。学園マンガでは早弁シーンが定番ですからね。リーマンショック後の不景気で会社員の昼食時間が削られ、さらに昼食代を削るために、節約しつつ早く食べられるということ弁当が普及したようだ。bento もすでにフランス語として定着している。「弁当箱」も注目の対象になっていて、その洗練された機能美が賞賛されている。フランス人の友だちができたら、小じゃれた弁当箱をプレゼントするのもいいかもしれない。

弁当はまさに日本のイメージにぴったりなのだろう。弁当は一種のスノビズムであり、個人の創造性が発揮される盆栽のような小宇宙なのだ。重要なイベントにはおかずを豪華にして、漆器の弁当箱を使うとか、弁当なら栄養のバランスやダイエットやアレルギーにも配慮できるとか、弁当の利点が多面的に紹介されている。とはいえ、弁当は何よりも節約のアイテムであることを忘れてはいけない。弁当が評価されるのは不況が恒常化した時代との親和性にある。弁当のおかずには前の日の残り物や冷蔵庫の余り物をうまく使うべきで、その点にこそ創造力が発揮されるべきなのだ。下に紹介した Bento Blog にはJ'ai plein de restes dans mon congélateur c'est parfait pour un bento ! (私の冷凍庫は残り物がいっぱいで、弁当作りに完璧!)と書かれていて、弁当の本質をきちんと捉えている。

Mes p'tits bento par Audray(フランスのオドレーさんによる弁当ブログ)

上の動画ではフランスの弁当事情が紹介されている。おにぎりも流行のようで、おにぎりの型も売っているようですね。動画で弁当料理教室をしているシェフは「アンチ残り物派」で「弁当は残り物で作るのではない。私は弁当のためにわざわざ買い物をしてフルコース仕立てにする」と言っている。これは日本のやり方とも一致すると言っているが、なんでデザートがマカロンなわけ?そこまで言うなら、使い捨て紙パックではなく弁当箱にいれなきゃ。

ちなみに私が得意な弁当は雉丼弁当。ときどき子供に作ってやります。雉丼と言っても使うのは鶏肉で、ご飯の上に海苔を敷き、鶏肉の照り焼きとダシ巻き卵を載せ、絹サヤを添える。白、黒、茶、黄、緑と、色どりもきれい。タレの染みたご飯も美味しい。「かんたんフレンチレシピ」のmandolineさんに「フレンチ弁当レシピ」をお願いしてみようかな。試食会もついでに(笑)。

フランスで弁当ブーム Boom du Bento en France



cyberbloom

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posted by cyberbloom at 20:13| パリ ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | サイバーリテラシー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

It’s My Piaf, not yours マーサ・ウェインライトの試み

エディット・ビアフ・レコードワールドミュージックのコーナーで、”フランス”の棚を見るたび複雑な気持ちになります。フレンチ・ポップスとシャンソンとの“断絶”が埋まる日は来るのだろうか、と。ディスプレイやジャケットといった見た目の点でも、品揃えも、あきらかに違う。ふらりと立ち寄って、そそられるのは、やはり前者の方でしょう。しかし、後者を聴かず嫌いしてしまうのは、もったいない・・・両方とも楽しい身には、何とかならないか、と思うのです。
 
そんなドンづまりな状況を変えるヒントになるようなアルバムに出会いました。カナダのシンガー、マーサ・ウェインライトが、かのエディット・ピアフの曲だけを集めたアルバムをリリースしたのです。ニューヨークのライブハウスでお客を入れて収録した、一発取りのレコーディング。アコーディオンのような定番伴奏楽器に、エレクトリック・ギターやホーンも加わった、変則的なバンドを従えての、かなり大胆な試みです。お兄さんのルーファス・ウェインライトも、メジャーなゲイ・アイコンであるジュディ・ガーランドのショウを再演して世間をあっといわせましたが、マーサの挑戦はより難易度が高かったようです。
 
まず、英語の訳詞を採用せず、フランス語で歌っている事。モントリオール育ちで、フランス語のこなれ具合は普通の非フランス人と比べても、本人曰く「けっこういけてる」マーサですが、インタビューで告白しているように、イントネーションがちょっとヘンだったり、完璧とは言えない。音としてのフランス語の美しさを超人的な歌唱力でもって世界に宣伝したピアフをカバーするのにそれでいいのか、と眉をひそめる人も少なくないと思います。実際、マーサの歌いっぷりは、ピアフのそれとはだいぶ違う。生まれた時からロックがあった世代の、ガッツ溢れるアプローチは、ピアフ本人の歌に固執するシャンソンのファンにはオドロキ以上のインパクトだと思います。
 
wainwright01.jpgまた、マーサ本人に、歌手ピアフに対し強い思い入れがない。彼女にとってのピアフとは、まず、子供の頃の思い出に結びつく存在。歌詞の意味も知らずに兄と一緒にがなっていた『ミロール』を歌った人。素晴らしいシンガーとしてリスペクトするけれども、エディット・ピアフの人生についてはよく知らないし、知ろうと思わない。マリオン・コティヤール主演のピアフの伝記映画も見てない(!)そうです。距離を置いた立ち位置から選んだ曲目は、よくあるピアフのベストアルバムのそれとほとんどかぶっていません。「熱心なピアフ・ファン」でないからこそできたことだと思います。マーサの狙いは、ピアフをよく知る人々にオリジナルと聴き比べてもらい拍手をもらうことではなく、戦後のフランスで生まれた「歌」として魅力的な作品を、同じく歌い手である自分の気持ちのおもむくままに歌うことにあるのです。
 
さて、肝心の音のほうですが、賛否両論あると思います。好みもあるでしょう。フランスが生んだ最高のソウル・シンガー、ピアフはやはり大きい存在で、曲によってはオリジナルを引っ張りだして聴きたい衝動にかられます。しかし、マーサの試み自身はなかなかおもしろいと思います。
 
音楽とは、結局、純粋な衝動がなければ始まらない。かっこいい、ステキ、と感じたら、シノゴノ言わずにやってみる、歌ってみる。世界のあちこちで起こった、そんな行動の積み重ねが、音楽を深く豊かなものにしているのではないでしょうか。
 
シャンソンの魅力の一つに、歌詞の素晴らしさがあることは否定しません。往年のピアフの動画を、歌詞の字幕ありで見た場合と、なしで見た場合では、受けとめるものの大きさが全然違います。それでも、たとえ歌詞がわからなくても、耳を傾け、口ずさんだり真似したくさせる、音楽のかっこよさが減ることはないと思うのです。歴史もバイオグラフィーも、辞書もいったん脇において、解説を忘れて、音楽にかじりつき、自分なりのレシピであの美味しさに迫ってみる。そんなアティテュードが、シャンソンとフレンチ・ポップスとの断絶を埋める鍵なのかな、と思います。

マーサによるピアフは、こんな感じです。




GOYAAKOD@ファッション通信NY-PARIS

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