イラク戦争では、91年の湾岸戦争時よりさらに進んだハイテク兵器が使われた。空爆の主体は、命中誤差が数10センチから10メートルという精密誘導弾で、投下後に軌道を修正しながら標的に近づく。この爆弾にも GPS が内蔵され、自律誘導で標的に達する方式が主流だった。湾岸戦争時には航空機から投下される爆弾の約1割が GPS 誘導弾だったが、イラク戦争では約9割まで増えたといわれている。GPS 誘導弾は、命中誤差が小さいだけでなく、天候や砂嵐等の気象条件に左右されないし、標的に接近する必要もない。撃ちっ放しが可能となり、しかも比較的安価なのである。

イラク戦争と並ぶ、近年の大事件といえば、アメリカで起こった911・同時多発テロである。フランスの思想家、ミシェル・ド・セルトーが911の舞台となった WTC の天辺から下界を見下ろしている。それは1980年代のことであり、そこが凄惨な同時テロの舞台になるとはセルトーとて想像もしなかっただろう(以下引用は『日常実践のポイエティーク』)。
「こうして空に飛翔するとき、ひとは見る者へと変貌するのだ。下界を一望するはるかな高みに座すのである。この飛翔によって、ひとを魔法にかけ、呪縛していた世界は、眼下にひろがるテクストに変わってしまう。こうしてひとは世界を読みうる者、太陽の眼、神のまなざしの持ち主となる。視に淫し、想に耽る欲動の昂揚。おのれが、世界を見るに一点にのみ在るということ、まさにそれが知の虚構なのである」

都市を歩く私たちはもはや盲目ではない。GPS によって神の視点とは言わなくても、衛星の視点を手に入れている。GPS によって複雑に入り組んだ場所でも自分の行動を読むことができる。私たちは迷えなくなってしまった。どこにいても補足される。私たちは GPS によってつねに現在位置を確認するが、それは自分で自分を捕捉することである。都市はいつのまにか Yahoo! や Google の地図に還元され、私たちはそのバーチャルな虚構の世界を受け入れている(Google Earth もリアルなイメージによって都市を制圧している)。そこでのスマートなふるまいは、時間と空間を可能な限り切り詰めること。迷うことなく、デートの場所に最短経路による最短時間によって到達することである。

都市はバーチャルな地図のようにクリーンな空間ではない。実際は猥雑で危険でノイジーな場所である。そこには様々な欲望を持った得体の知れない人々がうごめいている。都市の経験とはそのような見知らぬ人々との出会いであり、交渉だった。ボードレールは群集の楽しみとは街で出会う様々な職種の人々に感情移入することであると言い、E・A・ポーは『群集の人』の中で群集そのものが魅惑と陶酔の対象であることを示した。
(続く)
cyberbloom

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