2010年05月29日

Deux Amoures between the continents マチュー・アマルリック、自作を語る

Cannes-m01.jpg23日に閉幕したカンヌ映画祭。ベテラン勢の作品や話題作ではなく、タイの映画がグランプリを受賞するなど、今年もサプライズがしっかり用意されていましたが、個人的にうれしいオドロキだったのがフランスの俳優マチュー・アマルリックの監督賞受賞でした。(出品された映画“Tournée”(英語のタイトルは”On Tour”)も、賞を受賞しました)。

メガホンを取るのはこれで4本目であるアマルリック。脚本も手がけた上、主人公も演じるという八面六臂の活躍です。フランス国内の作品はもとより、ボンド映画で悪役も演じるなど、インターナショナルな映画俳優としての多忙な日々の合間を縫ってこつこつ製作を続け、8年近くかけて完成にこぎ着けた本作。愛着もひとしおのようです。

アマルリックが演じるのは、昔大物として鳴らしたテレビプロデューサー、ヨアキム。仕事も家庭も何もかもうちゃってアメリカへ渡り、新趣向のバーレスク・ショーを結成、パリでもう一花咲かせようと一座を故国へ連れ帰るのですが、事態は思わぬ方向に動き出して…という物語。たっぷりしたボディのいかにもアメリカ人なバーレスクダンサーのお姐さま方と、かつての栄光から見放されたフランスの中年男である団長、それぞれの過去を背負った一団の珍道中が繰り広げられます。
 
この映画がユニークなのは、フランス語と英語の2つのコトバが飛び交うこと。フランス語はからっきしダメという一座の女達と団長とのやり取りは、全編英語で、フランス映画でありながら「らしく」ないムードを醸し出しています(父がル・モンド紙のワシントン特派員だった都合で子供時代をアメリカで過ごし、アメリカが「遠くにありて思うもの」でないアマルリックだからこそ上手くこなせたのかもしれません)。また、一座のメンバーはもともと本物のバーレスクダンサーで、演技経験がないのもおもしろいところ。舞台のシーンは、演技ではなく、彼女達の至芸の記録でもあるのです。
 
アメリカ産ショーマンシップ映画へのオマージュとも取れるこの作品、意外なことに、創造のインスピレーションとなったのは二人のフランス人の存在でした。一人は、「芸人」だったころの小説家コレット。もう一人は、自殺した映画プロデューサー、アンベール・バルザン。困難にもめげず突き進む純粋な創造の力と、払われる犠牲の大きさについて、考えるきっかけになったそうです。
 
さて、自作について語るアマルリックの言葉を拾ってみました。

cannes-m02.jpg「一座の「彼女」達は元々ソロパフォーマーで、別々にステージを見てキャスティングしたんだ。踊りが一人一人の個性を表している。音楽的だったり、政治的なトーンがあったり、羽飾りを振り回す昔ながらのスタイルだったり、ポエティックだったり、スタイルはばらばらなんだけど、違うタイプをたばねてアンサンブルにするのが狙いだったんだ。」

「舞台のシーンの撮影のために、映画に出てくる街々で実際に公演したんだ。入場無料で、見に来たお客さんには、撮影されるのを許可すると一筆いれてもらった。大入り満員だったね。「彼女」達には本物のお客さんが必要だったし、同じショーでも、カメラだけを前にするのと、観客を前にするのとでは、盛り上がりが違うんだ。経費的にも安くついたしね。」

「「彼女」達がクリエイトした本物のバーレスクダンスをフィクションである映画にもちこむことで、映画の一部がドキュメンタリーになってしまうことについては抵抗感がないわけではなかったけれど、ドキュメンタリーならではの魅力をフィクションの一部として取り入れたいという気持ちもあったんだ。「彼女」達と顔合わせする前に、物語を固めておいたのがよかった。フィクションの登場人物として「彼女」達に演技してもらうためには、キャラクターの人となりからディティールまでイメージしておかなければいけないとわかっていたからね。」

「(これまで監督した3作ではカメラの前に立たなかったけれども)今回主人公を演じようと決めたのは、撮影開始の3週間前だったんだ。最初は、映画『オール・ザット・ジャズ』のロイ・シャイダーみたいにやれるフランス人の俳優を捜していた―あの映画のキャスティングのシーンでのロイ・シャイダーは実に魅力的で、いやなヤツだった。職業俳優では思い当たらなくて、ベテラン・プロデューサーのパウロ・ブランコならいけるんじゃないかと思ったんだ(注:17才のアマルリックに映画界での初仕事、アシスタントの仕事をくれた人物で、アマルリックにとっての「映画界のパパ」)。一座の「彼女」達もプロの女優ではないし、僕自身アルノー(・デプレシャン監督)に声をかけられるまで演技経験ゼロだった。人物そのものにピンとくるものがあれば、素人でも役者にしたてあげることができるものなんだ。スクリーンテストも上々だったんだけれど、撮影までにけっこうな時間が経過してしまった。今のパウロを使うと、「最後の」巡業についての映画になってしまう。若くもなく年老いてもいない、中年男が映画には必要だった。それなら自分が演じれば自然じゃないかと思ったのさ。映画で口ひげをはやしたのはパウロへのオマージュさ。登場人物になりきるためにも訳に立ったね。」

cannes-m03.jpg「(ヨアキムがジョン・カサヴェテスの映画“The Killing of A Chinese Bookie”の主人公で、経営するクラブと、バーレスクショーと、ダンサー達を愛する男、コズモ・ヴィテリを彷彿とさせると指摘を受けて)撮影現場でカサヴェテスへのあこがれとどうつきあうか―これはやっかいな問題だった。カサヴェテス作品のコピーをつくるつもりはない。けれども、でもカサヴェテスのことを考えずにおれるかい?結局、ごくシンプルな解決法を見つけたんだ。この映画を”互いに惹かれ合う二つの大陸についての物語“と考えればいい、とわかったんだ。
 
ヨアキムは70年代のアメリカ映画の見過ぎで、それだからこそアメリカにはまっている。ダンサー達はムーランルージュのショーについて、ジョセフィン・ペーカーについて、パリについてあれこれかじっている、だからこそフランスが大好きなんだ、とね。
 
だから、ヨアキムという人物ははコスモ・ヴィテリになりきりたいんだ。「彼女」達に何か大事な事を伝えたい時は、コズモがやるようにマイク越しに話しかけ、胸元のシャツのボタンはとめずにいたがる。そう発想を転換することで、カサヴェテスを意識しなくともすむようになったんだ。」

トレイラーはこちらでどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=NvoE-R8u3Dk

コズモ・ヴィテリとはこんな男です。
http://www.youtube.com/watch?v=GRrj60C24Y0




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2010年05月28日

ハローキティーの対照的な運命

ここ10年、国内ではうまくいっていないが、サンリオの有名キャラクターは世界的名声を謳歌している。

キティーは36歳の誕生日をむかえた。お菓子から婚約指輪をはじめとしたダイヤの装飾品など、あらゆる分野に商品化された「キティーちゃん」という日本のキャラクターは―そのボーイフレンドであるクールな性格の「ディア・ダニエル」にとってはどこ吹く風であるが―、最高と最悪の時を味わった。もはや年の衰えを無視できなくなったキティーは1974年にサンリオという会社が生みだしたキャラクターであるが、先日そのサンリオは10年連続して日本での売上げが減少しつつも取引高は6億5000万ユーロに達したと発表した。

キティは10年前から様変わりした。その関連商品は子どものみならず大人も対象としている。さらに真の「世界を股にかける人」となったが、これは人口問題に悩む日本にとって必要なことである。「海外での売上げは日本国内での売上げを越えています。もはや、日本のというよりは世界的なキャラクターになっているのです」と、CLSA社のアナリストであるナイジェル・マストンは指摘する。サンリオは成長をあてこんで、中東やインド、ロシアなどへの進出を目論んでいる。

ファンが株主になる
ところが国内においては、キティは過去の栄光の上にあぐらをかいている。キティは「リロ&スティッチ」といった新しいキャラクターに水をあけられるようになってしまった。株式市場では、サンリオの創業者・社長である辻 信太郎が社の資産運用に失敗してしまったのを期に、アナリストたちの恐怖の的となっている。「辻 信太郎は自らをウォーレン・バフェット(訳注:アメリカの著名な投資家)とみなしていた。彼は最高値のときに株を買い、最安値のときに売ってしまうのです」と、あるアナリストは皮肉っている。

2002年、東京でITバブルがはじけたときにサンリオは倒産寸前までいってしまった。いまや機関投資家からは見向きもされなったが、その銘柄は小口株式保有者(たいていはサンリオのファンである)にかこまれて輝きを取りもどし、またその彼らがグループの筆頭株主となった。

キティーは、任天堂のマリオやセガのソニック、ポケモンといった現代日本ポップカルチャーが生みだしたキャラクターたちの系譜の草分けである。

商社の丸紅は、ここ10年間での日本文化の輸出は3倍になったと見積もった。これは180億ドルにものぼり、その一方で工業製品の輸出は20%の伸びにとどまっている。日本は依然としてアメリカと並び、そのポップカルチャーが世界的影響力をもつ唯一の国でありつづける。


Les destins contrastés de Hello Kitty
Par régis arnaud
24/05/2010
Le Figaro



ガラパゴス化する日本 (講談社現代新書)訳者付記:いま『ガラパゴス化する日本』(吉川尚宏 講談社現代新書)という本を読んでいる最中なのですが、当記事とこの本をあわせて読むと、いまの日本の産業構造の一端が垣間見えるように思います(「ガラパゴス化」ってのはwikipediaの項目にもなっていて、それによると「生物の世界でいうガラパゴス諸島における現象のように、技術やサービスなどが日本市場で独自の進化を遂げて世界標準から掛け離れてしまう現象のことである」とあります)。いま現在の日本はアニメ、キャラクターグッズといったソフトコンテンツ産業は海外市場にも進出し順調に成長を遂げているようですが、その一方で『ガラパゴス化する日本』にあるように携帯電話や地デジなどいくつかの分野において「自閉」してしまっていることが問題視されています。また同書でも指摘されているように、最近の日本人の若い人たちの間では「ガラパコス化=海外離れ」が目立つようになったといわれますが、大学生のみなさん、国内で自足するのではなく、キティちゃんに負けずにどんどん海外にも目を向けて視野を広げてくださいね…。




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2010年05月26日

カンヌ映画祭結果発表

cannes101.jpg23日、第63回カンヌ映画祭の各賞が発表されました。下馬評ではマイク・リー監督の Another Year(アナザー・イヤー)、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の Biutiful (ビューティフル)、グザヴィエ・ボーヴォワ監督の Des Hommes et Des Dieux(人間たちと神々)、マチュー・アマルリック監督の Tournée (巡業)などの人気が高かったのですが、受賞結果にはちょっとしたサプライズがありました。


カメラ・ドール(新人監督賞):Ano Bisiesto (Année Bissextile)(うるう年/ Michael Rowe)

最優秀脚本賞:イ・チャンドン(作品:Poetry(詩))

審査員賞: Un Homme Qui Crie(叫ぶ男/Mahamat-Saleh Haroun)
        
最優秀監督賞:マチュー・アマルリック(作品:Tournée(巡業))

最優秀男優賞 : ハビエル・バルデム(作品:Biutiful(ビューティフル) /アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ)
エリオ・ジェルマーノ(作品:La Nostra Vita/ダニエレ・ルケッティ)

最優秀女優賞:ジュリエット・ビノシュ(作品:Copie Conforme (サーティファイド・コピー)/アッバス・キアロスタミ)

グラン・プリ:Des Hommes et Des Dieux (人間たちと神々/グザヴィエ・ボーヴォワ)

uncleboonmee.jpgパルム・ドール:Lung Boonmee Raluek Chat (Oncle Boonmee celui qui se souveint de ses vies antérieures)(前世を呼び出せるブーンミーおじさん/アピチャッポン・ウィーラセタクン)


『ブーンミーおじさん』は一部のプレスで絶賛されていたものの、パルム・ドール受賞はかなり意外だったようです。しかし、ティム・バートンが後に「この映画は私が見たこともない、ファンタジーの要素があり、それは美しく、奇妙な夢を見ているようだった」と語っているように、審査委員長の好みにはピッタリだったのではないでしょうか。主人公の前に死んだ妻や弟が幽霊の形、それも弟は類人猿となって現れる独創的な内容の映画にさすがのバートン監督も魅了されたようです。


タイ初のパルム・ドールという快挙を成し得たウィーラセタクン監督(タイの政情不安で来仏できるかどうか危ぶまれていましたが、当日会場ににこやかに登場)はこれまでもカンヌで高い評価を得ていました。しかし、以前審査員賞を受賞した『トロピカル・マラディー』は東京フィルメックスでも最優秀賞を穫ったにもかかわらず、いまだ日本で一般公開されていないとはどういうことなんだ! 今回のパルム・ドール受賞を機に、何らかの形で観られることを切に望みます。


cannes102.jpg最優秀男優賞と女優賞は実力派の俳優たちが受賞しました。ジュリエット・ビノシュは感謝と喜びの言葉を述べるとともに、今回イランで拘束されており、審査員で参加するはずだったジャファル・パナヒ監督のネームプレートを手に彼の解放を祈りました。一方ハビエル・バルデムは同席していた恋人のペネロペ・クルスに感謝のキスを送り、会場はこの美しいカップルにやんやと喝采を送りました。




cannes103.jpg場内がいちばん湧いたのはマチュー・アマルリックが監督賞を受賞したときでしょう。4本目(初監督作品ではありませんでした・・すみません)の作品での受賞です。「ショーの世界へのラブレター」と評されたこの作品の華やかさは壇上で彼を囲む出演女優たちを見ればわかりますね。今回は彼を含めてフランスの作品や映画人が多くの賞を獲得しました。


このところ政治的または社会的な主張があったり、アクの強い作品が各賞を受賞していたカンヌですが、今回は全体的に物静かな映画が多く選ばれたようです。監督賞の『人間たちと神々』も宗教を扱った作品ですが、大げさな演出はなく、あくまでも静かなタッチで描かれているようです。物議をかもした Hors La Loi や、イラク問題を扱い、ショーン・ペン、ナオミ・ワッツが出演したダグ・リーマン監督のFair Game(フェアー・ゲーム)といった一種「派手な」作品、そして名匠ケン・ローチやマイク・リーの作品も受賞を逃しました。


また注目を集めた北野武監督の『アウトレイジ』はその露骨な暴力描写のためか、「カイエ・デュ・シネマ」など一部のメディアには好評でしたがプレス全体の評価は芳しくありませんでした。審査員の面々を考えると今回賞に選ばれるのは厳しかったかもしれません。しかし多くのメディアに注目され、公式上映ではスタンディング・オベーションも起こるなど、フランスでの人気は相変わらず高く、監督自身も「コンペティションに選んでもらえただけで嬉しい」とカンヌへ参加した喜びを素直に語っていました。


palmdog2010.jpg最後に恒例のパルム・ドッグ賞はスティーヴン・フリアーズ監督の Tamara Drewe(タマラ・ドリュー)に出演したボクサー犬の Boss に、さらに審査員賞が監督週間に上映されたイタリアのMichelangelo Frammartino監督の Le Quattro Volte に出演したVuk (山羊飼いの犬:写真)に授与されました。Vuk君可愛いな〜。


その他注目作品についてはまた後ほど。


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2010年05月23日

ジャン=リュック・ゴダール、最新インタビュー

挑発的で親密なインタビューのためにゴダールは私たちをスイスの自宅に招いてくれた。ロール Rolle にようこそ。ロールは世界の中心という場所ではない。ジュネーブから40キロ離れ、レマン湖に面した少々陰鬱な街に過ぎない。しかし税金逃れをしたい億万長者にとっての楽園でもある。私たちをジュネーブ駅で拾ってくれた愛想のいいタクシー運転手は、ほとんど税金を払っていない人々の地理を知り尽くしている。「あの丘のふもとの家はミヒャエル・シュマッハー(レーサー)の家です。そこにはピーター・ユスティノフ(作家)が住んでいて、向こうにはフィル・コリンズ(ミュージシャン)…」

「じゃ、ゴダールは?」と尋ねると運転手は答えた。「あるとき一人の日本人が私の車に乗り込んできました。そしてわたしにゴダールさんはどこに住んでいるのかと尋ねました。私は知っていると言い、彼をそこへ連れていきました。彼はちょっと待っていてくださいと言って、ゴダールの家の写真を3枚撮りました。そして駅に戻りました。ゴダールさんは日本にまで知れ渡っているんですよ」。

フランスに住民票があるので、ゴダールはそこで税金を払っている。彼はスイスで生活しているが、彼はそこで生まれたからだ。そこにあるいくつかの風景なしではいられないと言っている。いつも彼とのインタビューではそうなのだが、背景がパノラミックなのだ。4時間のあいだ、6つのスクリーンと彼が引用するVHSやDVDが詰まった棚のある仕事場のすぐ隣の、ちょっと雑然としているが、とても機能的なオフィスでインタビューは行われた。そこで私たちは歴史や、政治や、ギリシャや、知的所有権や、もちろん映画について話した。さらにはもっとプライベートな事柄、例えば健康とか死について。



インタビュア:なぜ、’Film Socialisme’ というタイトルなんですか。
ゴダール:私は前もってタイトルを決めます。タイトルが私が撮る映画の指標になります。映画のどんなアイデアにも先んじてまずタイトルがあります。それは音楽のラ(A)のようなものです。わたしはタイトル(titre)のリストをまるごと持っています。ちょうど貴族の称号(titres de noblesse)や有価証券(titres de banque)のように。今はむしろ有価証券ですね。私は「Socialisme」というタイトルで撮り始めました。撮影が進むに連れてそれは満足できるものではないように思えてきました。映画はコミュニスムやキャピタリスムと呼ばれてよいものでした。ところがある面白い偶然が起こりました。私がプレゼン用の小冊子を哲学者のジャン=ポール・キュルニエに送り、彼がそれを読んだときのことでした。それには制作会社の Vega Film の名前がついていて(※つまり Vega Film Socialisme と書かれてた) 、彼は映画のタイトルを Film Socialisme と勘違いしたのでした。彼は10枚以上もある長い手紙で、それがどれだけ彼の気に入ったかを書いてよこしました。私は彼が正しいに違いないと思い、映画のタイトルをそれに決めました。

インタビュア:地中海やホメロスのクルージングのアイデアはどこから来たのですか?
ゴダール:最初私はセルビアで起こるような別の歴史のことを考えていました。しかしうまくいきませんでした。そのとき私にガレージの中の家族というアイデアが浮かびました。マルタン一家です。しかしそれはロングショットでは持ちませんでした。ロングショットで撮れていたら、人々は登場人物になっていただろうし、そこで起こっていることも物語になったことでしょうから。対話や心理によって作られるフランス映画のような、ひとりの母親と彼女の子供たちの物語です。

インタビュア:その家族のメンバーは、普通のフィクションの人物たちとほとんど同じで、あなたの映画らしくありませんでした。
ゴダール:おそらくそうでしょう。しかしながら全くそうというわけではありません。彼らは登場人物になる前にシーンが中断します。彼らはむしろ彫像です。話す彫像です。人が彫像について話すときに、それは昔のものだと言います。そして人が昔というとき、旅に出かけ、地中海に船で乗り出します。クルージングのアイデアはそこから来ています。私は今世紀始めの論客レオン・ドーデの、『シェークスピアの旅』という本を読みました。彼はその本の中で若いシェークスピアの地中海の船旅の行程を追っています。シェークスピア自身はそれについて何も書いていませんが。

インタビュア:例えばアドピ法(La loi Hadopi)、つまりは違法ダウンロードの問題、イメージの所有権についてはどうですか。
ゴダール:私はもちろんアドピ法に反対です。知的所有権など存在しません。私は相続にも反対です。つまりアーティストの子供が彼らの親の作品の著作権の恩恵をうけることです。子供が成人するまではいいと思いますが、ラヴェルの子供たちが「ボレロ」の権利にタッチするのは当然のことではないと思います。

インタビュア:あなたの映画からイメージを拝借するアーティストに見返りを要求しないのですか。
ゴダール:もちろんしません。さらにそうしたあげくにネット上で公開する人々もいるでしょうが、一般的には良くないことです。しかし私は彼らが私から何かを取っているという感情は持ちません。私はインターネットを使っていませんが、連れのアンヌ=マリーは使っています。しかし二匹の猫のイメージ(※予告編にも一瞬出てくる)のように、私の映画にもインターネットから取ったものがあります。

インタビュア:あなたの映画は FilmoTV を介してネット上で見れます。映画館での上映と同時に。
ゴダール:それは私のアイデアではありません。予告編を作ったとき、私はそれを Youtube に流すことを提案しました。ネット配信は配給会社のアイデアです。彼らは映画にお金を出しているので、わたしは彼らの要求どおりにしました。もしそれが私の決定だったら、そんな形で劇場公開しなかったでしょう。映画を撮るのに4年かかりました。製作に関しては異例です。私はそれを Battaggia、Arragno、Grivas と一緒に4人で撮りました。それぞれが独自に始めてイメージを集めました。グリヴァスはひとりでエジプトに出かけ、何時間分ものフィルムを持ち帰りました。私たちは多くの時間を費やしました。私は映画の配給に関しては映画を作るのにかかった時間と同じ分だけ収益を得たいと思っています。

インタビュア:映画の最後から2番目の引用に、「法が不当なものであれば、正義は法に先立つ」というのがありました。
ゴダール:これは著作権に関することです。すべてのDVDは違法コピーを禁じるFBIの警告から始まります。しかしそのフレーズから別のことを知ることもできます。例えばローマン・ポランスキー Roman Polanski の逮捕を思い出すでしょう。

インタビュア:ポランスキーの逮捕があなたの国スイスで起こったという事実があなたには重要なのですか。
ゴダール:私はスイス人でも通るし、フランスに住民登録していて、税金も払っています。スイスには私が好きな、私にはなくてはならないいくつかの風景があります。私のルーツもここにあります。しかし政治的には多くのことにショックを受けています。ポランスキーに関して言えば、スイスはアメリカに従う必要はありませんでした。もっと議論すべきで、受け入れるべきではありませんでした。カンヌに行くすべての映画関係者はポランスキーのために動くべきす。スイスの裁判所は間違っていると主張して欲しかった。ジャファール・パナヒ Jafar Panahi を支持するためにそうしたように。イラン政府は悪い政府と言うようにスイスの政府もよくないと。

インタビュア:ギリシャの危機もあなたの映画に強く反響してますね。
ゴダール:私たちはギリシャに感謝しなければならないでしょう。ギリシャに対して借りがあるのは西洋です。哲学、民主制、悲劇。私たちは悲劇と民主制の関係を忘れがちです。ソフォクレスがなければ、ペリクレスもありません。私たちが生きているテクノロジーの世界はすべてをギリシャに負っています。論理学を考えたのは誰でしょう。アリストテレスです。これがこうで、それがそうなら、こうだ。これが論理というものです。これは強国がとりわけ矛盾を生じないように、ひとつの論理の中にとどまれるように、一日中使っている手です。ハンナ・アーレントがまさに言ったようにロジックが全体主義を生むのです。ギリシャのおかげで今みんながお金を稼げているのですから、ギリシャは巨額の著作権料を現代の世界に要求することができるでしょう。ギリシャにお金を払うことはロジックになかうでしょう。すぐに払うことです。

インタビュア:ギリシャは嘘つきと非難されています。
ゴダール:小学校で習った古い3段論法を思い出します。エパミノンダスは嘘つきだ。ところでギリシャ人はすべて嘘つきだ。したがってエパミノンダスはギリシャ人だ。人はあまり進歩していないですね。

☆Les InRocks.com に掲載されたジャン=リュック・ゴダールのインタビュー "Le droit d’auteur ? Un auteur n’a que des devoirs"(著作権だって?作家には義務しかない)を部分的に訳出してみました。ロメールに言及した箇所もあったのですが、残りは時間があったら。

"Le droit d’auteur ? Un auteur n’a que des devoirs"
Un entretien avec Jean-Luc Godard
Les InRocks.com
18 mai 2010



☆”Film socialisme”は今年のカンヌ映画祭の「ある視点 Un Certain Regard」部門に出品されたが、5月17日と18日の2日間、映画館での封切りに先駆けて、そしてカンヌ映画祭と同じ日にVOD(=Video On Demand)で配信された。
http://www.filmotv.fr/



cyberbloom

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2010年05月18日

ギリシャ危機って?

このところメディアで騒がれている「ギリシャ問題」。これが複雑でよくわからないとの声をよく聞きますので、きょうのエントリーではできるだけわかりやすく解説してみたいと思います。

*「ギリシャ危機」を短くまとめてみると?
→ギリシャが財政破綻を起こし&国の借金が返せなくなり、これが世界経済に悪い影響を与えかねないという問題です。

*では、そもそもギリシャが財政破綻をした理由は?
→3つほど挙げられています。
@手厚すぎる社会保障制度…たとえばEUで1番の経済大国であるドイツでさえ年金支給開始年齢が63歳であるのに、ギリシャは58歳から。
A多すぎる公務員…公務員をはじめ、その他公的機関に勤める人々が全労働人口のうち1/3〜1/4を占め、さらにその地位が優遇されている。
B常態化する脱税…脱税が常態化しており、本来期待されている税収の1/3が脱税によって失われているといわれています。

さらに付け加えると、「頻発するストライキ」というのも挙げられるかと思います。これはTVなどでご覧になられた方も多いかと思いますが、↑のような状況で国が財政破綻しているのなら、国民がとるべき合理的選択は「粛々と労働&納税すること」になるはずなのですが(ストにより経済がマヒ→よりいっそうの国内の混乱→生活水準のさらなる悪化→さらなるストライキ、と悪循環になっています…)、まぁこのへんはお国事情も絡みますから難しいところですね…。

*国の借金が返せないと、具体的にどのようなことになるのか。
→国内と国外の2つの側面からみてみましょう。借金を返せなかった場合、まずギリシャ国内においてはその後しばらくかなり厳しい経済状況に追いこまれることが予想されます。というのも、借金を返せなかった国への信用はガタ落ちになりますから、だれもギリシャの国債を買わなくなる、つまりギリシャは「経済対策」のために国債を発行するという選択肢も奪われてしまうことになります(借金はできる状態→借金すらできない状態)。ただでさえ財政難なのに、税収その他の実収入のみでやりくりをせねばならなくなり、ギリシャにとって状況はますます厳しくなるでしょう。
 また国外的な影響ですが、ギリシャの人たちには申し訳ないものの、国際社会はむしろこちらを懸念しています。具体例に即していうと、この危険なギリシャの国債を、おもに他のヨーロッパの銀行が保有しているといわれていて、もしもギリシャがデフォルト(債務不履行)してしまえば、これら銀行がもつ国債が紙屑になってしまいます。これに端を発して、EU圏に信用不安が広まり&ユーロの信認が下落すれば、瞬く間に国際経済にも悪影響を与えるでしょう。まさしく、アメリカ発サブプライムショックならぬEU発のギリシャショックを引きおこしてしまうといったところでしょうか。

*以上のような問題にたいして、どういう対応策がとられているのか?
→このようにギリシャの財政破綻はたんにギリシャ一国のみですまされる問題ではないため、EU諸国では対策に乗りだしています。具体的には、先日、1100億ユーロ(13兆円)をギリシャに融資することを発表し、また世界の通貨の安定を図る国際通貨基金(IMF)も300億ユーロ(3,5兆円)を用意することになりました。ギリシャはこの4,5月に、一部国債の償還期限を迎える&ギリシャ単独では支払いができない状態になっていましたが、これにより当面の危機は回避されることになりました。

*以上のような問題にたいして、どういう対応策がとられているのか?
→このようにギリシャの財政破綻はたんにギリシャ一国のみですまされる問題ではないため、EU諸国では対策に乗りだしています。具体的には、先日、1100億ユーロ(13兆円)をギリシャに融資することを発表し、また世界の通貨の安定を図る国際通貨基金(IMF)も300億ユーロ(3,5兆円)を用意することになりました。ギリシャはこの4,5月に、一部国債の償還期限を迎える&ギリシャ単独では支払いができない状態になっていましたが、これにより当面の危機は回避されることになりました。

*では、事態は解決の方向に進みそうなのか? 今後の展望は?
→残念ながら問題は山積みです。今後注目すべき展望としては、EU発の世界同時不況を回避することができるか、さらには単一通貨としてのユーロを維持していくことができるかといったところでしょうか。以下項目別に問題点を整理しておきましょう。

@ギリシャは本当に立ち直れるのか?…他のEU諸国の支援もあり、当面の最悪のシナリオであるデフォルトは回避できました。さらに財政健全化に向けて、日本の消費税にあたる付加価値税のアップ、公務員の年収の3割カット、年金も大幅に支給を減らすなどのアナウンスを行っています。ところが、さきほども触れたストライキなど、国内では政府への反発が強まっており、順調に財政健全化が進むかどうかは不透明なところがあります。もしも財政改革が進まなければ、EU&IMFはいずれギリシャを見限るでしょうし、その場合、ギリシャはいよいよ窮地に追いこまれるでしょう。そしてもちろん世界経済へもかなりの悪影響を及ぼすでしょう。今後のギリシャの財政改革に注目が集まります。

AEU内の不協和音…ギリシャ危機をめぐって、EU内に不協和音が広がっています。たとえばこちらの記事などもご参照ください。ここではドイツとギリシャの対立が触れられていますが、ドイツとおなじようにほかのEUの支援国からすると、自分たちも財政的に厳しいままなんとか規律を守ろうと努力しつつ支援を行っているのに、当のギリシャで改革が進まないとすれば、支援国の納税者たちが反発するのは当然でしょう。このように、ユーロはヨーロッパ統合の象徴として導入された制度なのにも関わらず、皮肉なことに、互いに反目しあう原因にもなりかねないという弱点を露呈してしまいました。つまり、EU諸国は通貨統合をして経済体制を強化しようともくろんだものの、その通貨の信認を脅かす国がでてくれば、「なかば自国にも関わる問題」として支援をせざるをえないという現実に直面することになってしまったのです。
またさらに、ここにいたってはギリシャ側からしてもユーロ圏に属することのデメリットを意識しているかもしれません。極端なことをいえばたとえば、もしもユーロ圏に属していなければ、国内のインフレリスクを覚悟のうえで、ばしばし紙幣を刷って借金を帳消しにしてしまうといったある種の金融政策(?。もちろん、国内経済は混乱するし政府の信用も失われますので、せいぜい一回限りの「禁じ手」扱いとなるでしょうが…))をとることができますが、通貨発行権はヨーロッパ中央銀行(ECB)にあるので、ともかく通貨発行や金利操作などで危機に対応するという手段がないことのデメリットをギリシャ側としては感じているかもしれません。

B破綻危機に瀕しているのはギリシャだけではない…さらに、EU圏で財政破綻の危機が懸念されているのはギリシャだけではありません。ポルトガル、イタリア、アイルランド、スペインはギリシャと同様に財政状態が不安視されており(これら5カ国の頭文字をとって、Piigsと名づけられています)、もしかりに連鎖破綻でも起きればEU圏はもとより世界経済が大混乱に陥る可能性が大きくなってしまいます。こうした懸念も踏まえ、EUでは7,500億ユーロ(90兆円)とかなりの規模の緊急支援措置を打ちだしていますが、こちらの記事を読むと、ギリシャ、スペイン、ポルトガルなどが財政再建に向けて動きだすことによって、今度は「欧州経済の成長が遅れるとの見方が投資家の間で強まる」など、今後しばらくユーロは構造的な不安定要因に悩まされつづけることになることが予想されます。

とだいたい以上です。




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2010年05月17日

ユーロ危機が浮き彫りにするアリとキリギリス

新聞や雑誌に「ユーロ=欧州崩壊」という見出しが躍る今日この頃であるが、ギリシャ危機をめぐるニュースで先週最も注目されたのは、スペインの新聞が報じたサルコジ大統領のユーロ圏離脱発言だった。サルコジ仏大統領は、ギリシャ支援を協議した7日の欧州首脳会合で、欧州全体が支援に関わらなければフランスはユーロ圏から離脱すると発言し、支援合意に消極的だったメルケル独首相にプレッシャーをかけ、支援を決断させたという。

ドイツでは国民の大多数がギリシャ支援に反対していて、「ギリシャ人は無人島を売って債務返済に充てろ」とか「アクロポリス神殿も売ってしまえ」とか言う与党国会議員の発言も飛び出している。欧州最大の黒字国であるドイツは、赤字国は規律回復を通じて国際収支を調整すべきだと考えている。ドイツの黒字は血のにじむような企業努力によって国際競争力をつけた結果であり、対独赤字が累積するのを嫌がる国はドイツと同じくらいの努力をすべきで、ドイツに対して輸出を減らして内需振興に励めと言うのは本末転倒というわけだ。

しかしその議論をユーロ圏内で行うと通貨切り下げという選択肢は消えるし、ギリシャのような加盟国が経常赤字縮小のために緊縮財政を敷くことは相当な社会的コストを伴う。ドイツにしてみれば、そのコストに耐えられない国はユーロから脱退すべきで、フリーライドは許されないと。そしてドイツは欧州のメンツや利益よりも自国の利益を優先してIMFを引き込んだ。

一方、フランスのサルコジ大統領はドイツとは全く逆にEUに財政規律の緩和を求め、さらに ECB にユーロ高を容認していると公然と批判してきた。ドイツが憲法改正でさらに厳格な財政規律を課した同じ時期に、フランスは景気対策を優先して財政支出する方針を打ち出し、EU の2大国のコントラストが鮮明になった。

このようにドイツは EU の優等生として発言力も増しているわけだが、実際、世界的に失業率が増加する中、ドイツの失業者数は当初の予想を大幅に上回る320万人にとどまっている。基幹産業の受注が落ち込み、先進国の中でも特に金融危機の影響を強く受けたはずだが、失業率は前年に比べて0.5%上昇したにすぎない。フランスやスペイン、アメリカと比べるとその差は歴然としている。なぜドイツの労働市場は痛手を受けていないのか。

それは柔軟な労働時間の設定が失業率の増加に歯止めをかけているからである。ドイツには労働組合、経営協議委員会、企業のトップが合意して取り決める「労働時間口座」、そして従業員を解雇する代わりに労働時間を短縮する「時短勤務のシステム」がある。この制度を導入している企業では好況期に超過勤務をした場合、従業員は残業代を受け取らず、その分の労働時間を口座にためておく。不況で時短勤務になった際に口座に蓄えておいた労働時間を使えば、好況期とほぼ同額の給料をもらえるという仕組みになっている。たとえば「ダイムラーでは2009年のトラック部門の販売台数が09年に比べて半減したものの、この制度を利用して早くから危機に備えていたおかげで、ドイツ国内ではひとりも解雇せずにすんだ。このように好況時と不況時の労働時間を柔軟に設定する制度が整った国はあまり多くない。フランスなどは企業内に対立する労働組合が複数存在して、労働時間を変更しようとすると反対する組合が出たりして企業側が結局解雇という選択肢しか取れなくなることがある。

フランスも雇用の増大を目的に週39時間労働を35時間に短縮したが、フランスの時短はドイツのように不況時のクッションとなるような柔軟な制度ではなかった。ちょっと古い英「インデペンデント」誌の去年の12月の記事だが、35時間労働制がいかにフランス人を怠け者にしてしまったかを伝えている。こういう論調は何かギリシャの現実と重なり合うものがある。用意周到に史上最大の金融危機を乗り切ったドイツと比べると、アリとキリギリスというか、北と南というか、非常に対照的で、気質的に相容れないように見える。

昼食はゆっくりとる。家に帰る前にカフェでアペリティフを一杯ひっかける。クリスマスの買い物も週末にあわててする必要がない。35時間労働制はこのような優雅なフレンチライフを演出し、保証してきた。早朝から満員電車に乗り、夜遅くまで残業をする日本人にとっては考えられない制度だ。しかし、制定から10年以上たった現在、厳しい批判にさらされている。サルコジ大統領は、「もっと働き、もっと稼ごう」を大統領選のスローガンにしていたが、この制度を「歴史的な過ち」"historic error" としてこきおろしていた。社会党の党首として法制定を進めたリヨネル・ジョスパンさえも、「経済的な失策」"economic error" と認めざるを得なかった。この制度は雇用を生み出さなかっただけでなく、仕事の効率を下げ、国際競争にもマイナスに働いた。週35時間制は雇用の増大が目的だったが、調査機関によると、97年から02年のあいだに生み出された35万人の雇用は経済成長によるもので、時間短縮のおかげではなかった。

国家予算の面でもフランスは余暇を満喫したツケを払わされている。02年度に比べて09年度の歳入は150億ユーロも減少。労働時間短縮のせいで企業の人件費は10%もふくらみ、そのせいで法人税が減った。07年の大統領就任直後、サルコジ大統領は35時間制度の改革に着手した。残業分の人件費に対する減税措置を講じ、労使ともに残業がより経済的に見合うようにした。それでも従業員が10人以上のフランス企業の週平均の労働時間は35.6時間。従業員の10%しか38時間を越えて働くことはなかった。フランス人の1年の労働時間は1542時間。これはアメリカ人よりも250時間も少なく、イギリス人よりも111時間少ない。短い労働時間に慣れてしまったフランス人に「もっと働こう」と言っても聞き入れるはずがなく、ましてや失業率が10%に上昇した経済危機に遭遇しながら仕事を死守した人たちにとって、そういうことが魅力的に思えるはずがないだろう。

★ところでイソップ童話の「アリとキリギリス」の物語はギリシアで編纂された原話では「アリとセミ」だった(ギリシャ人はやはり気質的にはキリギリスなのだろうか)。緯度の高いヨーロッパでは、地中海沿岸を除き、セミは生息しておらず、物語が伝播する過程において、北方でも生息する「キリギリス」に置き換えられた。ちなみにフランスでは「アリとキリギリス」の物語は、原話の通り「アリとセミ」の物語。ラ・フォンテーヌの寓話集に収められており、フランスでもよく知られている物語のようだ。

France paying the price for 'historic error' of 35-hour week
Geneviève Roberts
15 December 2009




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2010年05月15日

カンヌ映画祭開幕

cannes10affiche.jpg第63回カンヌ映画祭が12日に開幕しました。今年コンペティションの審査委員長をつとめるのは、新作『アリス・イン・ワンダーランド』が日本でも好調なティム・バートン監督(左下の写真の左から4人目、写真をクリックして拡大してご覧下さい)です。開会式にはバートン監督を初めとする審査員の面々と、オープニングを飾ったオリヴァー・ストーン監督の『ロビン・フッド』に出演したラッセル・クロウ、ケイト・ブランシェット(今は亡きアレクサンダー・マックイーンのオリエンタルな雰囲気のドレスでレッドカーペットを歩く彼女は本当に美しかった!)などが登場して華やかな雰囲気に包まれました。




cannes10jury.jpg今年のコンペの審査員はその他ケイト・ベッキンセール、ベニチオ・デル・トロといった俳優陣の名も見られますが、個人的に注目したいのはスペインのヴィクトル・エリセ監督(左の写真右端)です。『ミツバチのささやき』『エル・スール』といった美しい作品を世に出しながら、あまりにも寡作であるためなかなかメディアに登場しない彼が、こういう形で姿を現してくれただけでも嬉しい。しかしいつも以上に今年は審査員に統一感が見られないので審査結果の予想がまったくつきません(笑)。このほか短編映画部門ではカナダのアトム・エゴヤン監督、「ある視点」部門ではフランスのクレール・ドゥニ監督が審査委員長に選ばれています。


さて、今回のコンペについて日本で最も話題になっているのは何といっても北野武監督の『アウトレイジ』が選ばれたことでしょう。北野監督というと、ベネチア映画祭の常連というイメージが強いですが、11年前に『菊次郎の夏』を出品したほか、第60回を記念して製作されたオムニバス映画『それぞれのシネマ』にも参加しています。久々のバイオレンスもの(それもかなり徹底した形で描かれているもよう)で、椎名桔平、加瀬亮、三浦友和といった個性的なキャストも気になるところ。


hommesetdieux.jpgコンペにはその他アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、マイク・リー、アッバス・キアロスタミ、ダグ・リーマン、ニキータ・ミハルコフなど有名監督の作品が数々登場しています。またフランスからの作品も多く選ばれているのも特徴的です。フランス勢で気になるのはグザヴィエ・ボーヴォワ Xavier Beauvois 監督の Des Hommes et Des Dieux(人間たちと神たち)。90年代、アルジェリアのとある修道院で平和に暮らすキリスト教とイスラム教修道士たちの物語で、スチール写真の美しさに惹かれました。また俳優のマチュー・アマルリックのおそらく初?監督作品 Tournée (巡業)。ストリッパーのチームをアメリカから引き連れてフランスを巡業してまわる男の話で、アマルリックは脚本も担当したうえ、主演もしています。俳優ではその個性が印象的な彼がどんな映画を作ったのか早く観てみたいですね。


今回はアジアからの参加作品も多く、北野監督のほか、韓国のイ・チャンドン、イム・サンス監督、中国のワン・シャオシュアイ監督、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が出品しています。ウィーラセタクン監督はインスタレーションや写真などアート作品も手がける映像作家で、かつてカンヌの審査員賞を受賞した『トロピカル・マラディー』は、「カイエ・デュ・シネマ」誌の2000年以降のトップ10にも選ばれていましたね。今回のLUNG BOONMEE RALUEK CHAT(ブーンミーおじさんは過ぎ去った命を呼び戻す)でも余命僅かの男性のもとに死んだはずの妻と失踪した息子の幽霊が現れる話だそうで、斬新な映像が期待できそうです。


chatroom.jpg「ある視点」部門は、大御所ジャン=リュック・ゴダールやマノエル・デ・オリヴェイラ監督から、カンヌの常連ジャ・ジャンクー、そして若手にいたるまで世界各国からヴァラエティに富んだ内容の作品が集められました。そのなかには日本の中田秀夫監督の作品も選ばれていますが、今回彼はイギリスからの出品。Chatroom(チャットルーム)と題されたこの映画は、アイルランドの作家 Enda Walsh の脚本によるインターネットをテーマにしたホラー作品だそうで、アーロン・ジョンソンをはじめイギリスの俳優が出演。スチール写真からすでにそそられます。


受賞式は23日。結果発表およびその他気になる作品をまたそのときにご報告します。


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2010年05月14日

“Living in a waking dream” ファッションモデル バチスト・ジャビコーニの出世街道

baptiste001.jpg「なんだか醒めない夢の中にいるみたいな感じ」とファッション雑誌『W』のインタビュアーにうち明けるのは、20歳の人気ファッションモデル、バチスト・ジャビコーニ。華やかな世界で今飛ぶ鳥を落とす勢いの人物が口にしそうな、よくある台詞と思われるかもしれません。しかし彼の来し方を見ると、それなりにリアリティのある言葉なのです。
 
3年前、バチストは、マルセイユにあるヘリコプターの組み立て工場で働いていました。コルシカ出身の父親は整備士というワーキングクラスの出で、学校は16才でドロップアウト。将来はおカネを貯めてピザのトラック屋台を買って商売してみたいなあ、とつつましい夢をもつごく普通のお兄ちゃん。
 
しかし、仕事の後筋トレにはげんでいたジムで声をかけられてから、平凡な日々を生きるはずだったバチストの人生は一変します。地元のプロカメラマンの紹介とポートフォリオを抱え、パリの一流モデルエージェンシーの戸をたたいたところ、採用。細かな仕事をこなしてゆくうち、イタリアの雑誌に掲載された写真が、『皇帝』カール・ラガーフェルドの目に留まり、即呼び出し。ラガーフェルドと対面したその日から、彼の人生はまた大きく変転します。
 
ワークアウトで鍛えた腹筋が目を引く細身のボディに、甘さの中に本のひとつまみ「毒」を孕んだマスクを持つ若者は、御大の創造力をいたく刺激したようです。ファッションフォトグラファーとして、自分が手がけるブランドの広告だけでなく、ファッション誌の依頼で撮り下ろすラガーフェルドは、ありとあらゆる機会にバチストを起用、写真を撮りまくりました。
 
baptiste002.jpg着ても脱いでも見応え十分なのに加え、年上の女に甘える若い“シェリ”にバービー人形をエスコートするボーイフレンド、フォークロアな衣装の似合う田舎のボーギャルソンといろいろなタイプの男になれるのが彼の強み。「与えられた役柄を見事に演じ、変幻自在に自分を変化させる稀な能力がある」というのが皇帝の評。思い描くイメージを形にしてくれるにとどまらず、その存在が新しいイメージを、ストーリーを喚起させてくれるようです。
 
ラガーフェルドにとってバチストがいかに特別であるかは、彼がシャネルのショーや広告、PR用ショートムービーに使われていることからも伺えます。男性向け商品のお取り扱いはごく少ないこのプランドで、男性モデルには商品を着てもらってアピールする役目はないわけで、ビジネス面で目に見えてプラスとなる効果はありません。にも関わらず、「女達の引き立て役」以上の使われ方をしています。例えば、フランス版ヴォーグ誌のシャネル特集の最初を飾る一枚として、ラガーフェルドが撮り下ろした写真。ピンヒールにシャネルジャケットの特徴を誇張したオーバーサイズのジャケット(マルタン・マルジェラのデザイン)だけを身にまとったバチストを撮影しています。時代を超えて受容され、たとえ素っ裸の美男が着たとしても、その独特のエレガンスは揺らぐ事はない―シャネルのデザインの影響力と偉大さを大胆に伝える写真ですが、一歩間違えればキワものに落ちるアイデアを形にすることに踏み切らせたのも、「この被写体だからできること」への期待と信頼があってこそといえます。
 
baptiste003.jpgラガーフェルドのクリエイターとしての欲望を燃え立たせるオトコ版ミューズとしてだけでなく、プライベートでも親しい間柄で、ラガーフェルドの近くに住み公の場でのツーショットもめずらしくなくなったバチスト。「皇帝のお気に入り」という立場は、他の有名フォトグラファーとの仕事も続々と呼び込み、これまで女性のファッションモデルが独占してきた「ファーストネームで親しまれる、誰もが知っているアイコン」になるのも時間の問題。モデルのキャリアを足がかりにしたステップアップも、望めば実現しそうです。「ピザの屋台なんてケチな事言わないで、ピザのフランチャイズを丸ごと手に入れてもおもしろいかもね」と昔のささやかな野望を振り返るバチストですが、彼の目下の野心は、俳優としてキャリアアップすることにあるとか。(ちなみに、彼はアラン・ドロンの映画のファンなんだそう)。
 
最近は、ラガーフェルドがプロデュースした“皇帝仕様”のコカコーラ・ライトのための広告写真で、“コカコーラを運ぶボーイさん“としてコミカルな面も披露しています。味のある俳優は数あれど、世界中でもてはやされる正統派の美男俳優がいないフランス映画界。バチストは、映画スターへの扉を開く事ができるでしょうか?

□コカコーラのための写真はこちらで見れます。

□動く姿はこんな感じ。写真でのイメージと違います。
http://www.youtube.com/watch?v=aWpIdy_GcgE





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2010年05月09日

GW も富山に シクロシティ&セントラム

やはり富山のバイクシェアリング・システムはパリのヴェリブそのものだった。ヴェリブの富山版を運営するのはシクロシティ社だが、それはパリで「ヴェリブ vélib 」を運営するフランス、ジェーシードゥコー JC Decaux 社の子会社だった。写真(↓)はセントラムの停留所。背後にレンタル自転車の列が見える。

centram04.JPG

パリの「ヴェリブ」など、バイクシェアリング・システムはヨーロッパを中心に普及が進んでいる。日本では社会実験としての取組みを始めた都市がいくつかあるようだが、本格的に導入されるのは富山市が初めて。利用者は事前に登録を済ませ、市内中心部15箇所にに設置された「ステーション」から自由に自転車を利用し、また任意のステーションに返却することができる。「自転車市民共同利用システム」や「大規模レンタサイクル」、「コミュニティサイクル」とも呼ばれ、環境にやさしい自転車による公共交通として、注目を集めている。

centram03.JPG

今回はちょうど建築家の隈研吾がデザインしたセントラム(↑)が走っていた。「富山芸術環状線 ART GO ROUND」というイベントが5月21日(金)〜23日(日)に行われ、デザインはその一環らしい。停留所にもそのポスターが貼られていた。でも車体にゴチャゴチャと余計なものを描かない方が良い気がする。桜の花のデザインのようにシンプルなものは良いが。

centram05.JPG

GW から市内電車の1系統(南富山駅前−富山駅前)を新しい電車、サントラム santram (↑)が走り始めた。既存車輌の老朽化に伴い1編成を導入。価格は約2億4500万円で、4分の3を国と県、富山市が補助した。全長約16メートル。3車体を二つの台車で支える「3連接構造」を採用。3両連結に見えるが、中間の車体には車輪がなく、その分だけ床を低くでき、高齢者や車椅子利用者にも使いやすい。

【動画】シクロシティ ステーションから自転車を利用




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2010年05月07日

ゴダールの新作 ”Film socialisme”がネットで配信!

ジャンリュック・ゴダール Jean-Luc Godard の長編新作 ”Film socialisme” が5月17日と18日の2日間、映画館での封切りに先駆けて、そしてカンヌ映画祭と同じ日にVOD(=Video On Demand)で視聴できる。

ゴダールの新作はカンヌ映画祭の「ある視点 Un Certain Regard」部門に出品されるが、それと同じ日に Filmo TV のサイトで試写会に参加できるのだ。19日の一般公開を前にである。



すでに映画祭に出品され、上映されている有名な映画監督の作品が通常の試写会とは別枠でネット上で配信されるのは初めてのこと。この企画は配給会社 Wild Bunch と2009年に設立された Wild Bunch のプラットフォームである Filmo TV の編集者たちによって進められた。ゴダールはこのやり方にすぐに興味を示した。そして新しい映画の配信方法を推し進め、インターネットよりもシネマテークに慣れている映画通の聴衆層を拡大することを狙っているという。

新作 "Film socialisme" は3章から成り、3楽章構成の交響曲のようである。それは多様なコンテクストの中でのいくつかの政治的、精神的な価値の意味について問うている。すでに4月22日に予告編が発表されているが、クイックモーションと音楽で構成され、作品とは別物である。いくつかの地上と海の風景、顔、身体が性急に動くのをとても簡潔に読みとることができる。これはWEB2.0のコミュニケーションなのだろうか。

Filmo TV では今月、ゴダールの回顧配信もやっている。「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」「軽蔑」「アルファヴィル」などのメジャーな作品を配信している。VOD は知的で映画狂の媒体としてその地位を確立するだろう。

http://www.filmotv.fr/





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2010年05月04日

新卒偏重採用のワケ

就活状況をメールしてくれる学生がいて、ようやくひとつ内々定をもらったとメールが来た(FAを狙っていたようだが、いきなりJALが経営危機に)。何だか自分のことのように嬉しかった。それほど彼女のメールからは悪戦苦闘を強いられる就活の厳しさがひしひしと伝わってきていた。

4月28日付の朝日新聞のコラムで小林慶一郎氏(経済産業研究所上席研究員)がなぜ企業の新卒偏重の採用がなぜなくならないかについて書いていた。

あるアメリカ人経済学者が、日本社会はふたつの階級(正社員と非正社員)に分断されつつあると警鐘を鳴らしている。日本で望まれるべき良い方向とは、画一的な正社員システムをもっと多様な働き方を認めるように変えること。正社員、非正社員の区別なく、広い雇用者層でワークシェアリングする。雇用の全体量を守るとともに、賃金の低下を広く浅くシェアして、不況の痛みを社会全体に公平に受け止める方向である。企業も労働分配率を上げるように努力する。これはワーク・ライフ・バランスの考え方とも一致するし、多様な価値観を実現することにもつながる。

しかし日本の現実は全く逆を向いている。企業の成長が見込めない中で、正社員の処遇や雇用条件を維持するために正社員の数を減らし、大量の非正社員を調整弁として雇用するという方向だ。経営者と正社員が多くの果実を取り、非正社員は景気が悪いときに切り捨てられる。

このような状況では新卒時のシュウカツが人生をかけた熾烈な競争になるのは当然だし、学生たちはまだ世の中のことが良くわからないうちに人生の唯一の切り札を切らされる。それにしてもなぜ日本の企業は新卒の正社員にこだわるのか。なぜ新卒時という一点だけに選択圧力が集中するのか謎だし、それが経済的な合理性にかなうとはどうしても思えない。それに対して小林氏はひとつの答えを示していた。昔は社内教育でその企業にあった人材を育てたので、新卒採用に意味があった。しかし今は社員教育にコストをかける余裕はないので企業は即戦力を雇いたいはずである。しかしそうならないのは日本の企業が「囚人のジレンマ」に陥っているからだという。相手が裏切るなら、自分も裏切らざるをえないという状況である。

つまりこういうことだ。企業が新卒採用で人材を囲い込む社会では優秀な人材は転職市場に出てこない。すると企業は「転職者よりも新卒者を雇う方が、能力があり適性にあった労働者に当たる」と思い込む。そのために新卒採用で社員を雇うことが企業にとって合理的な選択になり、中途採用はますます締め出される。つまり他の企業が新卒を囲い込む社会では自社も新卒にこだわるのが合理的な行動になる。結果的に、優秀だからこそ会社を飛び出した人材が正当に評価されなくなってしまう。逆に言えば、もし他の企業が新卒採用にこだわらないなら、自社も新卒採用にこだわらなくなる。ジレンマから解放されるのである。そういう方向に日本社会を持っていく必要があると小林氏は主張する。

そのためには企業が経済団体などを通じて就職協定を結び、学生を奪い合うのではなく、オープンで公正なルールにしたがってインターンとして雇い、適正をじっくりと見極める仕組みが作るのが良い。それに加え、企業は新卒よりも社会人経験のある人間を採用するべきで、中途採用者は他の会社や他の業界で身につけた異文化を持ってくる。それが社内の活性化にもつながる。新卒採用+終身雇用は明らかに高度経済成長時代の遺物で、これを続けている限り、ポスト産業主義社会の流れに適応できないし、新しい条件下での生産性の向上を望むべくもない。いくら正社員・非正社員の階級社会でいったん勝ち組になっても日本社会全体が沈没しては元も子もない。

最後に小林氏は「就職活動でがんばる学生のみなさんには、社会人になってからは現状のシステムを守るのではなく、雇用環境をもっと公正で柔軟なものに変える側に立って欲しい。そのためにも、就職活動に良い結果が出ることを祈る」とメッセージを残している。もちろん心から賛同したいが、小林氏自身を含めた上の世代には自浄作用は望めないということなのだろうか。それまで若い世代に押し付けるつもりなのだろうか。今の若者が発言権を持つにはさらに20年以上かかるだろう。あなたの世代がまず先鞭をつけなきゃ取り返しがつかなくなる問題でしょと言いたくなるが。

「囚人のジレンマ」は日本のいろんな局面に存在しているのだろう。誰かが動かなきゃと自分では思いながらまわりを見渡しても誰も動こうとしないので自分も動けない。ここ数日で一気に気温が上がったが、気温が上がるといきなり電車にエアコンが入る。キーンと冷えた夏の車内はスーツを着たオジサンたちには快適かもしれないが、女性たちには冷えすぎとすこぶる評判が悪い。スーツのためのエアコンのコスト。もちろんスーツだけが悪者ではないが、既得権益内の同質圧力が透けて見える象徴的なものだ。「囚人のジレンマ」と言えば聞こえが良いが、「オレも我慢しているんだから(我慢してきたんだから)オマエも我慢しろ」の果てしない我慢大会のようにも見える。

経団連のお偉いさんたちも「主体的に行動し、自己責任の観念に富んだ、創造力あふれる人材」、「他者の定めた基準に頼らず、自分自身の目標・意思に基づいて、進むべき道を自ら選択して行動する人材」を推奨するのであれば、デイビッド・ブルックスの『アメリカ新上流階級 ボボズ』でも読んで新しいスタイルが何たるかを学んだほうが良い。スティーブ・ジョブズは決してスーツでプレゼンしない。





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2010年05月02日

GPS(2) GPSとiPod

音楽において GPS の役割を果たしているのは iPod ということになるだろうか。CD が出現したとき音楽がデジタル化されたが、同時に曲の進行時間が残り時間とともにデジタル表示されるようになった。これがLPからCDに移行したとき個人的に最も違和感を覚えたことだ。iPod に至っては一曲一曲が直線の座標軸として表示される。音楽には終わりがあるのだが、聴いているときのそれぞれの瞬間はある意味、永遠を孕んでいる。例えば、音楽のクライマックスはその部分だけ聴けば経験できるものではない。それまでの音楽の展開を確実に追い、経験的な時間を積み重ねていかなければ味わえないカタルシスなのである。特にクラッシクやジャズを聞く場合はそうであろう。iPod ではクリックホイールの操作で曲の各地点を簡単に特定し、そこに飛ぶことができる。しかし、その地点に下りることは、その地点の体験を得ることにならない。そこには蓄積がないからだ。iPod で音楽を聴いて盛り上がっているとき、ディスプレイの残り何分何秒という表示が目に入って急に興ざめしてしまったという経験はないだろうか(アナログ時代をひきずったオヤジの戯言?)。

denavan01.jpg

もっとも LP 時代にはそんなことを考えることすらなかった。ステレオのまん前に座って最初から最後まで聞く必要があったから(途中から聴けないことはなかったが、面倒だし、レコードを傷つける恐れがあった)。先々月、ピンク・フロイドの「アルバムに収められた曲をバラバラに切り売りするな」という主張が裁判で認められたが、今や個人の手でひとつの曲を微分的に切り刻めるのだ。

ある人々はこのような事態に対して、街で迷い不安を感じる権利、音楽をアナログに楽しむ権利を主張するかもしれない。このような権利を確保すること、つまりリスクが計算できないものに対する寛容さが自由の空間を保証するからだ。それは人間が老いて、死にゆく存在であることと大きく関係している(「不死の機械の身体を拒否する人間」はよくある SF 的なテーマだ)。自由は計算不可能だから自由なのだし、音楽も計算不可能だから音楽なのだ。それは生活のあらゆる場面がデータ化され、解析され、リスク管理の資源としてシステムへとフィードバックされる新しい管理社会に抵抗しようという議論につながっていく。

しかし、一方であまりに拡大した自由(=選択肢の過剰)はもはや私たちに自由の感覚を与えてくれない。とりわけ情報が氾濫した現代社会に生きている立場からすると、自由は逆に忌まわしいものだ。GPS は明快な行程と最短距離を示してくれるし、iPod は何千曲もあるレパートリーを管理し、曲を適当に選んでくれさえする。私たちはこのような自由を逆に制限してくれる価値中立的な情報処理に依存し始めている。

先回のボードレールやポーの話に戻るならば、私たちはバーチャルな世界によって群集から逃れ、群集体験を失ったわけではない。相変わらず目的地に行くために雑踏や交通渋滞をかきわけなければならないし、いまだに満員電車と縁を切ることはできない。

ネットの世界の先端で生きている人間はすでにネットとリアルを区別しなくなっている。区別すると理解できないくらい感覚的に2つの世界は接合している。実際、脳は一般的に考えられているよりもはるかに柔軟性があり、高次知覚ではそもそも幻想と現実の区別などはないのだという。ネットとリアルの二分法はネットを使わない人間の思考法なのだ。彼らにとって2つの世界は並列したまま、決して交差することはない。ネットとリアルは交代するのではなく、境界領域が生まれていると言ったほうがいい。そこには2つの世界が複雑に入り組み、かみ合ったフロンティアが開けている。

1980年代に流行した都市論では、文学テクストと都市空間との対応関係がよく論じられたが、現実の都市がネット空間と接続し、そのイメージが大きく変わってしまった以上、これまでの文学的なレトリックも使い物にならないし、文字による文学的な表現そのものも映像&音声文化に浸食を受けている。その境界領域をとらえる新しい批評の視点が必要なことは言うまでもない。

GPS を導入しているタクシーにもだいぶ増えたが、それによって裏道を知り尽くしているタクシーの運ちゃんの経験的な価値が下がっただろうし、利用者からすれば運ちゃんに対する不信(近道と言いつつ遠回りしているのではないか)も多少は払拭されたことだろう。タクシーにGPS標準装備の某タクシー会社は料金の安さで知られているが、同時にドライバーの管理=監視にGPSを使っているらしい。10分以上タクシーが動かないとサボっているとみなされる。まさに自由に動き回る労働者の管理の典型的なモデルである。

オランダでは GPS によって車の走行距離をチェックし、それに比例した納税を義務付ける制度が発足した。走行距離100kmにつき、0.03ユーロ(約4円)が課税される。2018年には倍額に引き上げられる予定だ。税額は走った道路、時間帯、混雑状況によっても変わり、クリーンな車種だと税が減額される。つまりドライバーが混雑していないルートと時間帯を選ぶことにインセンティブを働かせてある。GPS 装置にかかる費用は政府から補助金が出る。この制度はオランダのドライバーにおおむね支持されているが、問題は走行記録のデータがプライバシーを侵すかもしれないということだ(つまり車でどこに行っていたかバレてしまう)。税の納付通知書に記載されるのは走行距離と課税額だけらしいが、その部分をブラックボックスにすると逆に不満も生まないだろうか。

GPS はアートにもインスピレーションを与えている。砂漠や砂浜に巨大な絵を描くジム・デネヴァン Jim Denevan というアーティストがいる。その作品はまるでナスカの地上絵か、ミステリーサークルだ。スケッチを元にGPSで距離を測りながら、トラックを走らせて巨大な絵を描く(写真↑)。その壮大なアートは飛行機に乗って空から確認するしかない。

□The Art of Jim Denevan http://www.jimdenevan.com/




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