2010年08月28日

8月の音楽 “Mambo Diablo” Tito Puente

マンボ・ディアブロ8月も終わろうというのにこの酷暑。9月へのインタールードになりそうなメローにやるせない曲をと考えていたのですが、ひんやり冷たい音を選んでみました。

ニューヨーク・ラテンミュージックの陽気な王様、ティト・プエンテがジャズのレーベルから出したアルバムのタイトル曲。豪快・痛快・切れ味バツグンなティンバレスのプレイで有名なティトですが、ヴィブラフォンの使い手でもあります。
 
もわわんと親しみやすい音だけれど、部屋の温度を数度下げてくれそうな冷たい感触も併せ持つヴィブラフォン。モダンジャズとも相性のいい楽器ですが、ティトのようなラテンビートがこんこんと湧き出るプレイヤーの手にかかると、クールなのにホット、という一粒で二度おいしい音楽が出来上がります。
 
粘りづよく繰り返されるラテンリズムに、タイトルがほのめかす(悪魔のマンボ!)危険な感じのメロディラインで斬り込んでいくティトのヴィブラフォーン。主旋律の楽器というより、メロディも取れるパーカッションという扱いで演奏しているのがよくわかります。氷に閉じ込められた、ゆらめく青い炎を連想させる一曲です。

http://www.youtube.com/watch?v=esa-jpG8Muo



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2010年08月22日

「聖☆おにいさん」 仏人も聖人も住みたくなるサブカル日本

聖☆おにいさん(1) (モーニングKC)女子学生から「これを読まないと現代っ子は理解できないですよ」と言われ、Wiki で検索したら、設定のあまりの奇想天外さに吹いてしまった「聖☆おにいさん」。早速その日に TSUTAYA で借りて読んでみた。「聖☆おにいさん」を読んでいて、「日本の良さが若者をダメにする」(NEWSWEEK 日本版)というレジス・アルノーの記事を思い出さずにいられなかった。その一部を引用する。

18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多くが選ぶのは(いや、ほとんどかもしれない)、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、郊外の電車に乗ってみれば、よく分かる。日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。フランスのこうした場所は、不潔で効率が悪くて、係員は攻撃的だ。2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。(…)日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく「日常生活にひそむ英知」だ。だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。

日本で育ったフランス人は日本に住むことを選ぶ。その理由は日本の「日常に潜む英知」に惹かれているのだという。仏人だけではない。仏陀もキリストもサブカル日本に住むことを選ぶのである。ふたりの「聖☆おにいさん」は天界からそれぞれ月13万円の仕送りをもらって生活している。風呂なしアパートで共同生活すれば十分にやっていける額だ。切り詰めればPCを買って、ブログというクリエイティブなこともやれる。「王様のような快適な生活」とあるが、重要なことは、彼らが労働から解放されていることだ。1日まるまる空いているのだが、それでも日常生活に飽くことがない。日本の日常に張り巡らされたサブカルの仕掛けに身を任せ、電子ガジェットを使いこなし、それらのティテールに耽溺することによって。あるいは聖書や仏典をネタにすること=サブカル化することで。過剰な労働の代価で家やクルマや、高価な既製品やサービスを買うのではなく(ある意味、これは極めて貧困な価値観だ)、リサイクル品を工夫して使ったり、ありあわせのものでブリコラージュすることで。そのクリエイティブな過程は生活そのものになる。またご近所付き合い(大家やヤクザ)というジモティ・ネットワークも生活を充実させる。

聖☆おにいさん(5) (モーニングKC)子供が勝手に「聖☆おにいさん」を読み始めたのでちょっとあわてたが、彼らの最もエッチな行為が「リア・ディゾンで検索」。そういう心配は全くなかった。さすが聖人たち。つまり聖人のストイックな生き方と、草食系の生き方が、絶妙に手を結んでしまったのだ。というより、聖人たちが厳しい苦行や戒律によって押さえ込もうとした欲望や煩悩が草食系においては最初からないか、著しく低レベルなのだ。

高度経済成長時代にはみんなで共有できる大きな物語があった。日本人たちは金銭欲、名誉欲、食欲、性欲という人間の本質的な欲望をその中にぶちこみつつ、時代とともに邁進した。やることなすことが常に既視感にさいなまれる隣のバブルな中国では、愛人ブームとグルメブームだという。余計な金を手にした人間のやることは同じなのだ。

企業戦士として働くことが当たり前で、「働かざるもの食うべからず」とか「男はこうあるべき」とか、一昔前の倫理観が染み付いた人々には理解できないことかもしれない。草食系が中性的に見えるのは、男女の役割分担の外にいるからだ。男女の役割分担は最初からあったわけではなく、経済成長の時代が強制的に分割していたにすぎない。仕事というファクターが後退し、生活の内実に焦点が当てられたときに見えてくる男女のイメージは全く違ったものになるだろうし、同居人が男だろうが女だろうがもはや関係ないのだ。もちろん、「草食系の行き着く果ては孤独死」という指摘や、誰が彼らの社会的コストを払うのかという問題は出てくるだろう。しかし、完全雇用はもはや不可能で、若い世代は残された小さなパイをめぐって熾烈な競争を強いられる。政治もまた世代間で仕事をフェアにシェアするために社会を組み替えるつもりがないらしい。だったら最初からそこから降りてしまうことは合理的な選択のひとつになる。

「聖☆おにいさん」たちの天界から月額13万の仕送りをベーシックインカムと考えれば(極めて妥当な金額だ)、聖人のようにストイックに、草食的に、そしてサブカルという文化インフラが整備された日本をまったりと生きれば、それなりに幸せに生きられますというメッセージになる。熾烈なシューカツ戦争に嫌気がさした草食系の学生が「早くベーシックインカムが導入されないかな」と本音を漏らしていたが、これでベーシックインカムが実現なんかしちゃったら日本は本当の楽園になってしまうのかもしれない。




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2010年08月20日

ドゥルオのサヴォワ人たち - 競売独占権の終焉

Marketing Modernism in Fin-De-Siecle Europeその昔パリにいたころ古書好きの大学の先生にドゥルオ Drouot (メトロ8&9号線に駅あり)の競売会場に行ってカタログを手に入れて来いと言われたことがある。そこでは古本や絵画やアンティークが取引されるが、代々サヴォワ地方の出身者が競売を取り仕切る仕事についている。1860年、ナポレオン3世がサヴォワ地方をフランスに併合した際に、パリに移住してきたサヴォワ出身者にその仕事の独占権を与えた。そして赤い詰襟のある制服が栄誉ある仕事の象徴となったのだった。

2年前、「ドゥルオのサヴォワ人たち(Les Savoyard à Drouot)」というタイトルで彼らの仕事がTV番組で取り上げられ、脚光を浴びることになった。彼らは競売人の同業者組合 L'Union des commissionnaires de l'Hôtel des Ventes (UCHV) を築き上げ、1世紀半にもわたり、父から子へ、子から孫へと、世襲によって継承されてきた。競売人には110人の定員がある。それぞれに通し番号がついていて、その番号は制服の赤い襟に記される。欠番が出ると無記名投票によって新しいメンバーが選ばれるが、新しいメンバーはその役職を番号と番号に割り当てられた「あだ名」とともに買い取る。TV番組ではそれが伝統を守る美談となっていた。

しかし伝統につきものの古い閉鎖的な体質が伝統的な同業組合を自壊させることになってしまった。彼らに最初の疑惑の目が向けられたのは、2004年、クールベの盗品がサヴォワにある同業者組合の倉庫から見つかったときだった。さらにシャガールのリトグラフ数枚とピカソの絵1枚といくつかのダイヤモンドが見つかったとき、同業組合のトップを含む20人が取調べを受けた。競売にかけるべき美術品や美術作品を横領したという疑いによってだ。また盗品を隠していたという嫌疑も。伝統と一緒に悪習までもが綿々と引き継がれてしまったわけだ。既得権益内で自浄作用が全く働かなくなった象徴的な例と言えるだろう。

もしこの事件が組織的ではなく、個人の犯罪にすぎなかったとしても、長い伝統に終止符が打たれてしまう。競売人の同業組合(UCHV)が長年にわたる独占権を失った結果、競売業界は大きな変化に見舞われることになった。競売には他の取り扱い業者、流通業者も競売に参加できるようになった。しかしUCHVは完全に閉め出されたわけではなく、かつての名称は使わずにひとつの業者として競売に参加することは許されている。







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2010年08月19日

2010年夏の読書感想文

『あつい、あつい』 垂石眞子 こどものとも年少版 2008年8月号 (福音館書店)
chaudchaud01.jpg 暑い。暑いです。どうにかしてくれ!という気分をなだめるのにオススメしたいのがこの絵本。動物たちが、大きいのも小さいのも連れ立ってちょっとでも涼しいところをもとめてさまよい、みんな大満足の場所にたどりつきましたとさ、というごくシンプルなお話ですが、それを補ってあまりあるのが、絵のすばらしさ。表紙の、汗みずくのペンギンをご覧あれ。いま暑さにあえいでいるものの心をわしづかみ、です。かんかん照りをひいひいいって歩く姿、ちょっと涼しいところをみつけてどっと弛緩する表情。読んでるこっちも、そのまんま、その通りなんです!だからこそ最後のカタルシスは、胸がすく爽快感。裏表紙の、動物たちの至福の姿が、これまた心地よい。ボサノヴァも、冷えたシャンパンも、いまいち効かなかったあなたに・・・。


『語るに足る、ささやかな人生語るに足る、ささやかな人生』 駒沢敏器 小学館文庫
torunitaru01.jpg ネットにアクセスすれば旅行記にあたる、とまでは言いませんが、色とりどりの写真で飾られた、様々な国での旅の記録をやすやすと見ることができます。しかし、旅した地へのそれなりの関心と旅人へのそれなりの共感がなければ、読み通すことはむずかしい。なるほど、あなたは確かにそこにいたのでしょう。で、それで?という問いかけに、答えを返すことができるものがどれほどあるでしょうか。旅を他人に伝わる言葉にすることは、なまなかなことではないと思うのです。しかし、すぐれた書き手による旅行記は、豊穣なひとときを約束してくれます。
 ふた夏をかけて、スモール・タウンを数珠つなぎ的に巡りアメリカを横断した記録であるこの本は、「旅もの」の棚においておくにはもったいない豊かな一冊です。アメリカ文化へのなみなみならぬ愛情と造形の深さで知られる著者による、地に足の着いたアメリカ論であるとともに、アメリカの片田舎で今を生き考える人々と出会える「場」でもあります(相手に近づきすぎず離れすぎない、作者の絶妙な距離の取り方のなせる技)。短い文章に綴られた町での体験はとても密度が濃く、よくできた短編小説を読んでいるような錯覚すら覚えます。
 アメリカの田舎で著者が見聞きしたことが、2010年夏の日本とすっと結びつくのもおもしろい。一見平和そうな小さな街で数を増している児童虐待、家庭からお母さんの味が失われていく理由、小さなコミュニティの生滅を分けたもの。国境を越えた、他人事ではないリアルがそこにあります。
 この本はまた、ポエティックな文章とは何かを教えてくれます。確実に選んだ言葉をつみあげた簡素な文章なのですが、風景描写ひとつとっても、ダッシュボード越しに目撃しているかのような気分になります。写真にして見せられれば特に感想も出ないような光景なのでしょうが、優れた書き手はその何もなさがどんなものか、読む人の五感に直接伝えることができるのです。
 ここではないどこかを移動するパッセンジャーとしての経験を満喫させてくれる一冊です。この夏は旅と無縁だったとお嘆きのあなたに。アメリカのサブカルチャーにに多少なりとも関心のある向きには、めくるめく一時をお約束します。


『虫と歌 市川春子作品集』 講談社 アフタヌーンコミック
虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC) ヒトではないものたちの生と死をめぐる、小さな物語を集めた一冊。文字だけで表現するとがっちりSFなお話ですが、ゆるい線が印象的な浮遊感のある絵が、言葉にするとたじろいでしまうような場面もすんなりと読ませてしまいます。収録されている一編、「日下兄妹」は、そのいい例。甲子園への道を閉ざされたひとりぼっちの高校生の生活に突然出現した、一夏だけの「妹」のお話ですが、見るからにアヤシい人外の「妹」ヒナがだんだん愛らしく見えるようになるのは、まさに絵のおかげ。カラーページは一枚もありませんが、眺めていると「色」を感じます。
 また、絵に織り込まれた、登場人物たちの会話が楽しい。ちょっと浮世離れしているけれど、独特の間合いと言葉のセンスでクセになりそうです。(「日下兄妹」の高校生とチームメイトとのたあいのないやり取りでは、少女マンガの王道コメディのおいしいところがたっぷり味わえます。)何気なさそうでいて、一語たりとも無駄にしていないところに、作者の美意識を感じます。
 一見ばらばらな収録作品の底に流れているのは、小さな世界を生きる登場人物達への思いです。花は咲いた時の姿を選べず、成虫が次の季節まで命をつなぐことができないように、登場人物はみな一方的に与えられた運命や寿命を受け入れ、せいいっぱい生きている。「もののあわれ」という視点ではなく、コドモの頃道ばたの植物や葉の上を動く昆虫へ寄せたまっすぐな共感に通じるところがあるように思います。生が燃え盛る夏の今こそ、読むのにぴったりかもしれません。読み終えた後、カバーイラストの緑の色が、胸に染みます。






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2010年08月15日

フランス発、広告パネル付バスシェルター

最近目にするバス停がフランスっぽくてオシャレだなと思っていたら、国交省がバスシェルターへの広告設置を許可したのを受けて、フランスの会社(日仏合弁)が横浜・名古屋・神戸市などに広告パネル付バスシェルターを設置していたのだった。雨をしのげる屋根、ガラスの風防、広告のパネルを供えたデザイン性の高いバスシェルター。オシャレなバス停を日本全国に広げている仕掛け人は、フランスの広告会社と三菱商事の合弁会社であるエムシードゥコー(MC Decaux)。それはパリのレンタル自転車ヴェリブを富山市に移植した会社でもある。

fujiwara4-2.jpg

エムシードゥコーの親会社、ジェーシードゥコー(JC Decaux)が創業したのは1964年、フランスのリヨン。それ以後、世界中に徐々に広告付きバス停を浸透させてきた。同社はバスシェルターだけでなく、公衆トイレ、無料貸出自転車、音声認知フロアガイドなどを屋外広告として活用する事業で世界的地位を築いている。広告付きバス停は同社が初めて考案したビジネスモデルで、バス事業者と契約を結び、バスシェルターを無償で設置・維持管理を行い、そのコストを広告収入でまかなっている。同社とバス事業者は標準で20年という長期契約を結び投資回収を行う。初期費用は200万前後。広告は2週間ごとに切り変わる。自治体やバス会社はいっさい負担せずにバス停を再生できるのが、このビジネスモデルの強み。多くの公共交通機関が公営である西ヨーロッパでは、PPP(パブリック・プライベート・ パートナーシップ、公民連携事業:公共と民間の連携・協働によって公共性の高い事業をよりよく進める手法)としてこうしたビジネス・モデルが1960年代 から発展してきた。

日本での合弁会社、エムシードゥコーの設立は2000年。このビジネスの定着のきっかけは規制緩和の動きだった。設立当時は通行の妨げになるとして広告付きバス停の設置が禁じられていた。しかし03年に歩道の幅の確保など、一定の条件を満たせば設置を認める方向へと転換。これを機に導入が進んだ。エムシードゥコーの手がけるバス停は03年の岡山が第一号。現在は全国37都市1200箇所に広がっている。しかし、地域によってはバス停のデザインがオシャレすぎるあまり、全体の景観からやや浮いてしまっているケースもある。バス停のデザインの担当者はバス停の背景となる街の広告の規制をきちんとやるべきだという。パリにある広告付きバス停が周囲の景観とマッチしているように。つまり新しいバス停の設置を街の景観を再考するきっかけにしようというわけだ。

ところで「フランス人は数を数えられない」と発言した石原慎太郎都知事が、フランス生まれの広告付きバス停にもケチをつけたと言う。いつもの記者会見で「フランスの会社ごときが生意気にもだね」と東京に進出しようとしたエムシードゥコーを突っぱねて、東京都は交通局が民間を採用せず、独自に広告パネル付きバスシェルターを設置することを決めたようだ。エムシードゥコーは、長年にわたって蓄積されたノウハウを持つ同社のサービスを採用してもらえれば,自治体は税金を他の行政サービスに回すことができるし、シェルターの設置や整備のスピードを格段に高めることができると売り込みを続けている。

□写真はパリのバスシェルター:「バスを待ちながらバス停で雨宿り。ガラス張りの屋根に大粒の雨が叩きつける」





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2010年08月11日

「パリへ行ったことがあるかい?」と曽我部恵一は歌う

ローソンのテレビCMで使われている「パリへ行ったことがあるかい?」という曲を聞いたことはあるかい?
パリへ行ったことはあるが、まだ訪れたことのないパリがあるはずだ、
そんな気分になってコーヒーを入れるのも悪くはない。
そういうCMである。

http://www.lawson.co.jp/movies/index.html




キャベツ頭の男@どうってことない風景

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2010年08月08日

カタルーニャで闘牛禁止‐動物愛護か文化的アイデンティティか

7月10日のニュースだが、闘牛反対派にとっては歴史的な勝利になった。カタルーニャ(カタロニア)の州議会の投票結果は68対55で闘牛の禁止に軍配があがった。カタルーニャは闘牛を禁止するカナリア諸島(1991年に禁止)に次ぐスペインの第2の州になった。投票の何ヶ月も前から、賛成派と反対派が二分し、新聞が論争の媒介をした。主要紙 El Pais はネット上に議論の場を提供した。

闘牛擁護派は5億ユーロに上る経済効果を失ってしまうと強調し、もし禁止されれば闘牛業界の保証のために4億ユーロが必要になると試算した。一方、バルセロナ大学の経済学の教授によると、損失はカタルーニャ人ひとりにつき57ユーロに過ぎないと言う。カタルーニャ州で闘牛はすでに縮小傾向にあって、08年には16回しか行われていない。同じ年にマドリッドでは343回も行われているにもかかわらずだ。

闘牛禁止でカスティーリャ(マドリッド)とカタルーニャ(バルセロナ)の対立が先鋭化している。France 2 を見ていると、マドリッドの闘牛好きの親父は「カタルーニャ人のアホどもめ!闘牛が嫌いなやつはくたばってしまえ」と怒り心頭。『カルメン』の舞台になったセビリアのあるアンダルシア州の首長も闘牛の禁止はありえないと発言している。カタルーニャの決定がこれからスペイン全体にどう波及するかが注目される。闘牛反対派はこれに勢いづき、他の自治州でも闘牛が禁止されることを期待している。

スペインの象徴的な文化である闘牛さえも世界的な動物愛護の流れには逆らえないようだ。フランスの南部でも闘牛が行われているが、これを受けて禁止の方向に向かうだろう。またスペインには牛の角に松明をつけたり、牛を追って虐待したりする風習も残っており、それらも槍玉に上がっている。だいぶ前から物愛護団体 PETA が闘牛と牛追い祭りに「裸で」抗議する様子がニュースになっていた。日本でも動物虐待と見られかねないものが少なくない。しかし本来祭りとはそういう過剰を孕んだものであり、動物を殺したり虐待したりする供犠性は祭りの本質ですらあるはずだ。

和歌山県太地町のイルカ漁を批判した映画『ザ・コーブ』に対する反論として、欧米の残虐な文化の例として闘牛がしばしば挙げられていた。欧米人だって残虐なことをやっているじゃないか。なぜ日本のイルカ漁ばかりが叩かれるのかと。『ザ・コーブ』の立場(つまりアメリカ人)からすると、日本のイルカ漁をバッシングすることは、イラクや中東問題、環境問題などとは違って、自分たちには跳ね返ってこない非近代的で野蛮な風習を叩けばいいわけだから、うしろめたさなしに正義を振りかざすことができたわけだ。

スペインの闘牛がここまで追い込まれ、かつ国内で賛成派と反対派に別れて激しい議論を戦わせているのを見ると、動物愛護は地球温暖化などとともに世界的な潮流であり、グローバルに共有される価値観になりつつあるのだろう。しかしスペインの闘牛もまた動物愛護の問題で割り切れるわけではない。

カタルーニャはスペインの一部でありながら強烈な文化的アイデンティティーを持つ。今ではカタルーニャ語は地方公用語として認められているが、フランコ政権下で大幅に使用を制限された歴史的経緯がある。過去にスペイン語(=カスティーリャ語)を強制的に押し付けられた抑圧の歴史が (それもつい最近のことだ)、逆にこの地方のアイデンティティーを強める結果となった。この事情を知らないと、レアル・マドリッドとFCバルセロナ戦の異様な盛り上がりも理解できない。

闘牛もサッカーと同様にこの歴史的・政治的対立と無縁ではいられない。カタルーニャの場合、闘牛は右派とフランコの記憶と結びつく。フランコはかつて闘牛をいろんな国の寄せ集めであるスペインの求心的な文化として利用した面があった。それでも闘牛愛好家によれば、闘牛はカタルーニャのアイデンティティの一部なのだ。やはり文化とアイデンティティの議論は動物愛護派ではなく、闘牛擁護派によって進められた。それは重要な社会的な機能を果たしており、闘牛を誹謗中傷するものたちは政治的な理由でそうしているに過ぎないと思っている。つまり中央政府とカタルーニャとの対立というロジックだ。カタルーニャ当局は態度を保留し、闘牛をカタルーニャと中央政府の政争のネタにしないように要求してきた。闘牛を歴史的文化の問題ではなく、動物愛護の問題にしておいた方が面倒がないのだろう。

しかし闘牛によって文化的一体感を感じられることには変わりはない。日本から見ても闘牛の禁止はひとつの伝統ある文化の終焉と映る。あるカタルーニャの作家は闘牛の禁止は文化に対する攻撃であり、フランコ時代のカルナヴァルの禁止に比するべきものだと言う。フランコの真似をして自分の首を絞めるのかというわけだ。また二人の有名なスペインの闘牛士が新聞のコラムで表明したところによると、闘牛の禁止は自由に対する侵害であり、分離独立派を勝利させ、中央政府に亀裂を入れ、スペイン国内の不和を生むことにつながる。この法律は何の解決にもならないとエル・パイス紙も書いている。なぜならカタルーニャには他にも動物を虐待する祭りがあり、それはどうなるのかという問題を宙吊りにしているからだ。




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2010年08月02日

フランスの鉄道自殺事情 - 運転士のメンタルケア

森巣博が書いていたが、以前、飛び込み自殺が比較的少なかったとき、鉄道会社は2 時間以上電車を止めて遺体を回収したそうだ。最近は大まかに回収して15分くらいで運行を再開してしまう。だから沿線のカラスはまるまる太っていると(まるで鳥葬だ)。自殺が増えているにもかかわらず電車がスムーズに動いていると感じるのはそのせいだと森巣は言う。

確かに電車が遅れるといらだつし、急いでいるときはいい加減にしろと思う。すべての自殺者が社会に抗議しようとしているわけではないにしろ、人身事故による電車の遅延は、年間の自殺者が3万人を超える時代を個人が身をもって体感する機会になっている。しかし最近は毎日のように起こるので、ひとつの日常と化し、何か酷いことが起こっているという感覚が麻痺してしまうほどだ。日本の2008年度の鉄道自殺は647件で、遅延や運休が出た列車は3万5300本と、2004年度の1万9700本から1.8倍に増加している。このうち首都圏が2万1100本と、全体の6割を占め、死亡者数が最も多い路線はJR中央線ということだ。 

一方フランスでも2008年のデータで、1日2件のペースで自殺が起こり、年間500人以上というから日本に匹敵する数字だ。しかし人口比を考慮するとフランスの頻度の方が高いことになるだろうか。フランスでも人身事故が起こると、乗客たちはまずその場で足止めを食らい、ときにはバスの代替輸送で予期せぬ場所に連れて行かれることになる。人身事故の増加に見事に適応してしまう日本の鉄道会社とは違って、フランスの鉄道システムはひとたび混乱すると日本の比ではなくなるようだ。SNCFは自殺によって引き起される著しいダイヤの乱れにしびれを切らし、2009年2月、自殺の手段として鉄道を選ばないようにと注意を呼びかけた。自殺を試みた10人に1人は生存し、その場合、麻痺や障害を負い、一生誰かに依存しなければ生活できなくなると。しかしどうみても説得力がない。

もちろん最大の悲劇は亡くなった人の家族や友人に訪れる。しかし電車の運転士にとっても悪夢の始まりなのだ。日本ではこの視点から事件が伝えられえることはほとんどない。『リベラシオン』の記事「Suicides en tête de train」に登場する運転士、ダニエル・ルクレルクは、その日、遠くに線路を横切ろうとするシルエットに気がついた。彼は軽率な若い男がふざけているのだろうと思った。しかし突然、若い男は140キロで走る電車の前に立ちはだかった。「私は彼と目が合い、それは2秒のあいだ続きました。それは2004年10月、私が42歳のときでした」。実はルクレルクはそれより7ヶ月前に別の自殺に遭遇していた。「それは昼過ぎのことで、線路の両側に電車を待つ人たちがいました。ひとりの女性が前に進み出るのが見えました。彼女が地面に落ちたのが早かったのか、電車に跳ね飛ばされたのが早かったのか、わかりません。鈍い音が聞こえました」。

SNCFでは一日かけてこの問題に関する研修が行われるが、運転士の研修の責任者であるファビアン・トゥルシュは「自殺者の数と運転士の数を比較すれば、運転士の誰もがこの悲劇に直面する可能性があることに気がつくでしょう」と言う。彼もまた研修中にRERのC線で同じ悲劇に出会ったが、そのときの状況を事細かに覚えている。バレンタインデーの前日の2月13日で、2000人の乗客が乗った朝の通勤列車で、指導員に付き添われての運転だったという。先頭車両がプラットホームの4分の3の地点でまで来たとき(速度はまだ時速45キロあった)、ひとりの男が走ってプラットホームから飛び降り、電車に轢かれた。同じように彼もそのシーンは「2秒のあいだ」続いたと言う。「死亡事故の当事者になってしまった運転士は自分が悪いことをしたのではと自問することになる。たとえ彼が完璧に仕事をこなし、責められるべきことは何もしていなかったとしても」。罪悪感が沸き起こっては、事故が起こる直前の行動を振り返り、それが運転士の精神をむしばむ。SNCFでは事故の当事者になってしまった運転士は自動的に交代させられる。医師の診察を受け、2日から5日の休養を命じられる。それからメンタルヘルスのサポートを受けながら、医師に復職が可能か判断してもらう。「復職して最初に運転席に座る際には行動や態度が正常かどうか見極める専門家が付き添います。運転席に座ることは再び事故に遭遇する可能性を引き受けることなのです」
 
36歳の運転士、ガブリエル・ルフェーブルは赤いセーターの女性のイメージにとりつかれてしまった。それは彼がパリとアミアンのあいだを走る列車を運転しているときに目撃した女性だ。「遠くからは線路を修理する職員のように見えました。彼らは赤いゼッケンをつけています。警笛を鳴らしましたが、その人は逃げようとしませんでした。私はもう一度警笛を鳴らしましたが、彼女は動きませんでした。彼女は線路上で私に面と向かって立ちました。赤いセーターを着た栗色の長い髪の女性でした。衝撃があり、身体が引き裂かれる音がしました。彼女は私の脳裏に刻み込まれました。家に帰っても何もできませんでした。テレビも見れないし、PCも触れませんでした。頭の中でその出来事が何度も映画のように再現されました」。ガブリエルが事故にあったのは2008年6月のことだったが、普通に仕事ができるようになるまで数ヶ月かかった。彼は妻に、家族に、同僚に、友人に事件のことを何度も話すことで克服したようだ。「その後、初めて事件現場を通過したときブレーキに手をかけてしまいました。その女性の姿が見えた気がしたのです。幻のように」。







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