2008年06月26日

「無法バブルマネー終わりの始まり」(2) テクノナショナリズム

無法バブルマネー終わりの始まり──「金融大転換」時代を生き抜く実践経済学黄金の国ジパング、再び、と著者は宣言するが、現代の黄金は金そのものではなく、日本のテクノロジーのことだ。

今の世界状況は日本に有利に働いている。まずサブプライム問題。日本の金融機関はあまり打撃を受けていない。少なくとも日本の銀行システムは、アメリカのシティがやったような資本増強を必要としていない。金融鎖国的な体質が功を奏したというか、結果的にアメリカやヨーロッパが勝手にコケてくれて、相対的に日本の価値が上がった形だ。

そして原油の高騰。原油の高騰は著しいコストアップをもたらしているが、もし1バレル=200ドルになっても、それに耐えられるのは日本ぐらいだという。石油の確保という点で日本のエネルギー政策は脆弱そうに見えるが、日本のGDPに占める原油輸入の割合は1・76%(05年)にすぎない。1979年の3・33%に比べると半分になっている。それに日本はエネルギー効率が世界一高く、アメリカの2倍、中国と比べたら8倍以上。その象徴が都市部を隅々まで網羅し、しかもダイヤも正確な鉄道インフラである。都市部に住んでいればクルマに乗る必要はない。

日本人は1974年、78年のオイルショックを経験したおかげで、自国をいちはやく世界一効率のいい国に変えた。その過程で磨き上げられた日本の省エネルギー技術や代替エネルギー技術に世界から注目が集まっている。これが松藤氏の言う「現代の黄金」である。脱・石油、地球温暖化の流れは日本の技術にとって追い風になっているのだ。

水素を使った燃料電池、太陽光発電や風力発電に加え、環境に優しいエネルギーとして原子力発電も再評価されている(事故が起こったら優しいどころか環境は壊滅的になるが)。この分野も三菱重工、東芝、日立など日本企業が世界をリードしているが、日本発の究極の代替エネルギーとして「常温核融合」がある(すでに実験が成功している)。常温核融合の特徴は安全性にもあり、強い放射能を出し、半減期の長い危険な放射性同位元素を核変換によって安全な元素に変えることができる。原子炉や核実験施設の放射性物質による汚染を除去することにも活用できるようだ。まるで宇宙戦艦ヤマトのコスモクリーナーみたいな話だ。

そして当面のライバルと目されるアメリカは、サブプライム問題と住宅バブル崩壊で大打撃を受け、バブル崩壊後の日本のようなデフレ経済に突入。また隠されていた様々な問題が噴出し、北京五輪の実施すら危うい中国、原油価格の高騰にのみ依存しているロシアなど、松藤氏によると、恐れるに足らずということらしい。

かつては世界に冠たる「黄金の国」、今は「先鋭的なテクノロジー国家」、何て日本は凄いんだ!となるところだが、私たちはそういう日本と簡単に同一化できるのだろうか。

そもそも「1バレル=200ドルに耐久性のある日本」という場合、日本とは一体誰のことだろうか。1バレル=200ドルになれば庶民の生活に大きな影響を及ぼさないはずがない。この場合の日本とは、先端の省エネ技術を持ち、経営効率の良い、多国籍化している企業のことだろう。日本人の大半はその日本の中に数えられていないし、企業の方は日本の代表みたいな顔をしながら多国籍化している。このズレに気がつかなければならない。

いくら経済が拡大しても、格差だけが広がり、個人には何の恩恵もないことがだんだんと明らかになってきた。もとはと言えば小泉元首相だ。ネオリベ政策=構造改革を断行すれば、国民全体が豊かになれるという幻想をふりまき、若者たちの心までつかんだ。その結果、企業は収益を伸ばしたが、皮肉なことに彼が舵を切った雇用の流動化で、彼を支持した若い世代自身が締め上げられることになった。

高度成長期には、安定した雇用や賃上げによって、果実分配のメカニズムが機能し、経済成長の恩恵を感じることができた。テクノロジーが利益を生んで日本の隅々にまで配分されてこそ、技術立国日本に同一化することができたのだ。西洋の人々が東洋のテクノロジー国家に向ける、新しいエクゾティスムのまなざしをテクノオリエンタリズムと言うが(例えば、フランスにおける日本のマンガ・アニメブーム)、こちらはテクノナショナリズムと呼べるメンタリティーである。

ここで思い出されるのが、高度成長期の日本の代表的な経営者や技術者を神話化したNHK番組「プロジェクトX」(2000-2005年)である。あの番組を見ながらサラリーマンは、高度成長の物語に自分を重ね合わせ、自分もその屋台骨を支えてきた一員なんだと実感できたのである。もっとも、それはサラリーマンのオジさん限定の物語にすぎなかったのかもしれない。番組開始当初から「家庭を省みない日本人男性の姿を美化している」との女性の立場からの批判があった。また彼らは信長だの信玄だのと、戦国大名を引き合いに出すのが大好きだが、司馬遼太郎もまた歴史を動員しながら高度成長期のサラリーマンを盛り立てたひとりだった。彼は「大人の日本人男子」限定の歴史小説家と言われたものだ。

「プロジェクトX」の「やらせ」が発覚したこともあったが、ナショナリズムの物語はしばしば誇張され、「やらせ」もつきものである。また「一番子供に見せたい番組アンケート」では4年連続1位の実績があったが、将来、日本の子供たちが、そういう企業の工場に「派遣」され、最低の時給で働かされることも大いにありえる。現在、実際に起こっていることである。テクノロジーの夢にそういう形でしか関われない。それはもはや夢でなく怨恨であるかもしれないのだ。そういうナショナリズムの幻想を暴いてみせるのが左翼知識人の得意技だったが、今となってはテクノロジーの夢を再び日本人で共有したいという欲求が出てきても不思議ではない。




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posted by cyberbloom at 08:14| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | サイバーリテラシー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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