
68年、ジョン・レノンは離婚したあげく、薬物所持で逮捕され、左翼からは若者の暴力的な反抗に日和見的な態度をとったとして批判を浴びる。一方で、メディアは街頭での喧嘩も辞さない反逆児を気取るミック・ジャガーをもてはやすようになった。愛を語る時代はすでに終わり、ジョン・レノンは消え行くアーティストとみなされていた。当時の若者たちはベトナム戦争に対する名状しがたい怒りを抱いていた。ミック・ジャガーを含む数千人をブログナー広場に向かわせたのもこの情動だった。
68年は激動の年だった。まるで世界全体が革命に飲み込まれる寸前だった。パリの学生蜂起とプラハの春。アメリカではベトナム戦争反対やロバート・ケネディとキング牧師暗殺に講義する運動が全国的に展開していた。世界の怒れる若者たちはロックンロールを聴いた。ロックはまさに世界転覆を企図した新しい世代の音楽だった。ロックは情動を何かに転換したり、すり減らしたりすることなく、そのままの状態で、表現として方向付けることができる唯一の方法だったのだ。

ミック・ジャガーや映画のプロデューサーは「悪魔を憐れむ歌」の完成バージョンを入れて再編集することと、映画のタイトルをゴダールが決めた「ONE PLUS ONE」ではなく、「悪魔を憐れむ歌」とすることをゴダールに求めた。そして68年11月29日、ナショナル・フィルム・シアターでのプレミアム上映が終わると、ゴダールはプロデューサーの顔面を殴り、制作陣をファシスト呼ばわりし、観客に向かってチケットの払い戻しを要求するように訴えたのである。
ミック・ジャガーはその後、オルタモントの悲劇(警備を担当した HELLS ANGELS が演奏の最中に殺人沙汰を起こした)を乗り越え、20世紀を代表するロックスターに変貌する。70年代にはドラッグ漬けの退廃的なセックスシンボルを、その後はローリング・ストーンズという10億ドルビジネスを運営するブレインとなった。しかし、彼が68年に作り上げた暴動に参加するロックスターという革命的なイメージはまだ消えていない。
2006年に発売されたDVD「ワン・プラス・ワン/悪魔を憐れむ歌」にはゴダール版「ワン・プラス・ワン」とプロデューサー編集版「悪魔を憐れむ歌」の両作品が収録されている。いずれにせよ、これはゴダールとストーンズの奇跡的な出会いだ。ジャケットのデザインがすでに買いだ。ミック・ジャガーのまさに悪魔的な、シャープなシルエットを見よ。オヤジバンドには用はない。
□「1968 JAGGAR VS LENON」(英インデペンデント誌:「COURRIER JAPON 6月号」に収載)を参照。
□ONE PLUS ONE -trailer
□SYMPATHY FOR THE DEVIL - In The Studio
★予告編と映画からのワンシーン。この曲、むちゃくちゃカッコいいです。久しぶりに堪能しました。
□SYMPATHY FOR THE DEVIL - Live 1969 Altamont
★オルタモントの悲劇-時代の証言的映像。
□Chanson Mao Mao in 「中国女 La Chinoise」(1967年)
★ストーンズとは全く関係がないが、ゴダールの「中国女」で流れる「毛沢東のロックンロール」(勝手に命名しました)も当時を象徴する珍曲。それにしてもこの映画の色彩感覚とグラフィックなセンスは圧倒的。
ワン・プラス・ワン/悪魔を憐れむ歌
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ドキュメンタリー映像です。良いです。

“ハプニング”と“カオス”

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