リュシエンヌは、パリの大学を出てベイルートでミッション・スクールの教職に就いた。パリでルームメートだった一人がフランス系カナダ人であった。カナダをはじめ、広い世界を見たいと思いが募っていたところ、職場の上司から縁談を勧められ、断るには外国に行くしかないと知人を頼って領事館に飛び込んだ。通常手続きに5年かかると言われた時代に、特別な計らいで3週間後に出発、フランス語の幼児クラスの教師として派遣されることとなった。条件は家族の誰かが同伴することであった。1歳半違いの妹ミレイユを説得し、1956年に、二人で見知らぬ土地ケベックにやって来た。共に午前と午後にクラスを持ち、きれいなフランス語を話すことで、学校の看板になり、ケべック市の多くの人が顔を覚えてくれたらしい。働くためにではなく、広い世界をちょっとだけ見にカナダに来たつもりが、一年後に父が亡くなり、家を建てて母を呼び寄せ、3人の暮しとなった。母に家事を任せて昼間に語学学校で教え、夜に大学院に通い、姉妹ともにフランス語教育の分野で博士号を取り、ラヴァル大学に職を得た。フランスで受けた教育を取り入れた授業を行ったので、希望する学生が年ごとに増えた。ミレイユは無類の猫好きで、1匹だった猫が、やがて25匹になって、最初に建てた家は手狭になり、ラヴァル大学に近い今の広い家に引っ越した。母はケベックに来て14年後、76歳で亡くなった。その後、家事に専念してくれていたミレイユは病に倒れ、12匹の猫を残して1999年に69歳で亡くなった。スイスに住み、国連の仕事をしていた4歳下の弟ミシェルは毎年のように訪ねて来ていたが、昨年亡くなった。彼が数年前にパソコンで編集した、家族のルーツが分かる写真集がリュシエンヌの手元に残る。また、ベイルートからの世帯道具は大切な思い出の品々である。
送り出してくれた父、共に暮らしたやさしかった母、仲の良かった妹弟、家族同然の猫達が次々と召され、3年前にラヴァル大学の職を辞し、今は6匹の年老いた猫との暮らしである。ドイツに住む末の妹とミシェルの妻は、ケベックに訪ねて来る様子がない。独り身を憂いながら、ミレイユの愛した猫達を大事にし、母が好きだった庭を手入れしておくのが日々の心の支えである。「人生は神様からの贈り物。でも、それには毒が入っている。」リュシエンヌが語る今の心境。重い一言である。青空市場で今が季節のブルーベリーを買って訪ねた日(写真、下)、帰り際に指輪を下さった。リュシエンヌ先生!弱気になってはダメ。まだまだお話を伺いに来ますよ。猫の日記も続けて下さいね。
Chère Lucienne, bon courage! Je reviendrai.
Sophie(2008年8月ケベックにて)
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