■エルメスが東京・丸の内に直営店を開く。83年には西武百貨店と共同出資でエルメス・ジャポンを設立。芸術性に富んだ華麗なウィンドウ・ディスプレイが丸の内のOLを魅了。
§1978年
■セント・ジェームズのボーダーシャツ上陸。□『GOLDORAK』(原題『UFOロボ・グレンダイザー』)がフランスに上陸、日本のアニメがフランスのテレビに初お目見え。
§1977年
■最初のヴィトン・ブーム。パリの本店に日本人の行列ができ、問題化する。海外で日本人のブランド品買占めが話題になり始める。背景には、この時期に急激に円高が進み、日本人の購買力が上がったことがある。また内外価格差が大きく、パリで買った方が安かったため。この年、ドル円相場は1ドル=200円を突破し、さらに1978年末頃には一時1ドル=180円を突破。
§1976年
■渋谷に屋台のクレープ屋<マリオンクレープ>がオープン。直後の竹の子族台頭とあいまって空前のブームとなる。
§1975年
■『エマニュエル夫人』公開。監督はファッションフォトグラファーだったジュスト・ジャカン、主演はシルビア・クリステル。初の女性向きソフトコア・ポルノとして宣伝され、特に日本で女性中心に大ヒット。以後シリーズ化される。■ニュートラ誕生。第1次ブランドブーム。定番はイブ・サンローランの「船底」シューズ、エルメスのスカーフ、セリーヌ、ヴィトン、ディオールのバッグ。上流階級しか使わなかった伝統的なブランドがファッションアイテムとなる。その後、偽物も横行するようになる。
■フランス書院、翻訳もののポルノ小説出版会社としてスタート。フランス=エロのイメージの一翼を担う。
■朝日放送系列の児玉清司会のクイズ番組「パネルクイズアタック25」が放送開始。オープニング映像にエールフランスの旅客機が飛び立つ映像が使われ、海外旅行は初回から「エールフランスで行くパリ」。
■『ベルサイユのばら』が宝塚大劇場で初演を迎える(8月29日)。大ヒットとなり、以後宝塚歌劇団の代表作の一つに(2006年1月9日には通算上演回数1500回を突破、同年3月17日には通算観客動員数400万人を記録)。宝塚歌劇団月組初演を皮切りに3組で上演。俳優の長谷川一夫の演出という事も加わりファンが急増、空前の宝塚ブームを巻き起こす。
§1972年
■池田理代子の『ベルサイユのバラ』週刊マーガレットで連載開始。■フォークロア・ファッション人気。高田賢三もそのひとり。フォークロアとは、民俗風習、部族の衣装の特徴を用いたファッション、あるいは、そこからヒントを得て生み出したスタイル。「混ぜるのが好き」という高田賢三の作風は、いくつかの異文化のオリジナリティが融合したもの。彼の融合的な作風は、フォークロアとして、ブランド史、ファッション史で大きな位置を占める。
§1971年
■ミッシェル・ポルナレフ「シェリーに口づけ」でデビュー、オリコン6位まで上昇。日本で40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなった。CBSソニーよりシングル「シェリーに口づけ(Tout tout pour ma chérie)」と、ファースト・アルバムに「シェリーに口づけ」を追加収録したアルバム「愛と青春のトルバドゥール/ミッシェル・ポルナレフ1」が発売。異様に大きなサングラスのルックスでも話題を呼び、股間のみを帽子で隠したヌードも披露。■大久保清逮捕。フランス帰りの画家を装い、「絵のモデルに」と女性を誘惑し、8人殺害。ベレー帽を被ってルパシカを着てスポーツカーに乗りながら片っ端から女性に声をかけていたことから、逮捕当時、「ルパシカを着た色魔」とマスコミで表現された。
■「ルパン3世」テレビで放映開始、モーリス・ルブランの有名な探偵小説シリーズの主人公、アルセーヌ・ルパンの孫という設定。ちなみに「リュパン」と読むのが正しい。原作者のモンキー・パンチは現在、大手前大学メディア芸術学科教授。■フランシス・レイの「ある愛の詩」が人気に。フランシス・レイが作曲したアメリカ映画『ある愛の詩』(1970年公開、アカデミー賞音楽賞受賞)のテーマ曲。日本では1971年の1月に発売された。フランシス・レイ本人の来日やアンディ・ウイリアムス盤の発売により徐々に火がつき、5月、6月にはアンディ・ウイリアムス盤(オリジナル・日本語)とともに4週間にわたり3曲同時にBEST10にランクされるという快挙を達成。
§1970年
■『anan』創刊!(平凡出版、現・マガジンハウス))。同年早速ルイ・ヴィトンのバッグが紹介される。パリ、ニューヨークの着こなしを提案するが、とりわけパリジェンヌのおしゃれスナップが好評。誌名は創刊当時モスクワ動物園で飼育されていたパンダの名で、一般公募で選ばれた。男性向けファッション誌「平凡パンチ」の女性版として創刊、60万部売上。翌年創刊された『non-no』とともに、女性向け情報誌として人気に。両誌による街や観光地特集や反響を呼び、雑誌片手に各地に押し寄せる読者たちは「アンノン族」と呼ばれ多くの流行を産む。誌面を飾った山口小夜子、甲田益也子らのモデルも懐かしい。■大阪万博でフランスのブランド17社紹介をするパビリオン、ブティック・ド・パリが大成功を収める。エルメス、シャネル、ディオールの小物類が集められ、万博のシールが貼られた香水が飛ぶように売れる。当時で1億2000万円の収益。
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「フレンチ・ブーム年表‐1980年代‐」
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