
パリのデパートは第2帝政期のナポレオン3世のパリ改造と軌を一にして急成長し、第3共和制下において続々と巨大な新館を築いたが、ゾラは30年におよぶデパートの発展の歴史を『ボヌール・デ・ダム百貨店』内の5年足らずの時間に圧縮して描き出してみせた。ゾラは本作執筆にあたって、パリのさまざまなデパートに対して綿密な取材調査を行なったが、デパートの管理経営についてはボン・マルシェ百貨店およびルーヴル百貨店の管理職から直接資料提供を受けたのだった。
デパートは何よりも私たちに贅沢を無料で見せてくれる場所である。まばゆい照明に照らされたデパートのスペクタクル空間で、世界各国から集められた豪華絢爛たる品々を自由に手に取ることができる。またデパートは欲望喚起装置でもある。デパートは純粋な資本主義的な制度であるばかりでなく、欲望という資本主義固有のプロセスは、まさにデパートによって発動された。デパートで人は必要によって買うのではなく、欲望によって買う。その特徴は直接モノに向かうのではなく、第3者の媒介によって駆動することである。誰かが着ていたからとか、雑誌や新聞の広告に載っていたとか、ディスプレイが幻惑的だったからとか。前段階資本主義が本格的な資本主義に移行した時期はデパートの誕生と一致する。それは19世紀の中ごろから20世紀の始めにかけてのことであり、フランス、イギリス、アメリカなどの大都市にデパートが次々と誕生するのである。
当時のデパートは単に商品を売るだけでなく、ライフスタイルの提唱ということをすでにやっていた。ライフスタイルを設定することで、まず新興中産階級の女性が持っていた豪奢への罪の意識を取り除いてやることが必要だったからだ。今の人間には理解できないだろうが、それが新しい消費生活に向かう際の最も大きな壁だった。それを贅沢への罪の意識を階級の義務を果しているにすぎないと合理化させるわけだ。それはアッパー・ミドルに対して憧れを持つ階層へのメッセージだった。もちろん、ライフスタイルを変えることは生活のすべてを刷新し、あらゆるものを買い換えることを意味している。

「この小説はまた、デパートに押し寄せる群衆や店員たちの詳しい描写を通して、階級の混交やブルジョワ層の底辺が飛躍的に拡大するさまを描いており、現代にいたる大衆消費社会の原点に屹立する作品となっている」(吉田典子「近代消費社会と女性」)
19世紀からの流れをどのように現在と接続するかだが、「階級の混交やブルジョワ層の底辺の飛躍的な拡大」は、私たちが生きている日本の総中流社会において理想的に実現され、爛熟した消費社会が花開くことになる。百貨店の現状を知るには、最近出た辻井喬と上野千鶴子の対談『ポスト消費社会のゆくえ』が興味深い。作家・詩人の辻井喬は西武グループを率いた堤清二の分身であり、最近では『おひとりさまの老後』で知られる社会学者の上野千鶴子は西武デパートの社史編纂に参加した経歴がある。
百貨店はフランスで19世紀半ばに誕生したが、新聞や雑誌や小説などの印刷文化と同様に、21世紀に入ってからの本格的なネット&モバイル社会の到来によって主役の座を追われつつある19世紀文化のひとつでもある。「階級の混交やブルジョワ層の底辺の飛躍的な拡大」によって人々は同じ価値観や常識やライフスタイルを共有することになるが、それが少数の特権者が描くモデルを刷り込む均質な下地になる。大多数の人々は同じモデルを注入され、そのコピーになる。近年起こっていることは、このようなコミュニケーション形式の崩壊と言えるだろう。
cyberbloom

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