
ステファニー王女はハリウッド黄金時代の名花グレース・ケリーとモナコ公国のレーニエ大公の次女で、ゴシップ誌をにぎわし続けてきた人としても有名。ファッションモデル、ポップシンガー、スイムウェアのデザイナーという「お姫様らしからぬ」キャリアを歩んできたこともありますが、未だ終止符を打たない華麗な男性遍歴もその理由の一つ。映画俳優や有名人の息子といったセレブから、王女には相応しからぬタイプの男性(ボディーガードにサーカスのブランコ乗り!)とさまざまなタイプの男性が登場します。
そして王女自身の人生にも傷跡として残る、母の交通事故死。同乗していたハイティーンの王女は、ケガのために母の葬儀に参列できなかっただけでなく、事故原因を詮索する世間やマスコミに疑惑をかけられるという過酷な経験もしました。
姉のカロリーヌ王女も80年代に一号限りのヴォーグ特別編集長になりましたが、いろいろあったステファニー王女だからこそ、今回の一冊はなかなか興味深い。
まず、ファッション・アイコンとしてのステファニー王女。短期間ではあるもののプロのモデルとしてファッション雑誌のためにポーズをとったのはもちろん、歌手・話題の跳ねっ返りプリンセスとしてメディアに露出していた王女のイメージそのものに、スポットが当てられています。背が高く肩幅を感じさせる、アスリートのような体つき(カービィーな女性らしいボディの逆ですね)。ブルネットの短い髪に、ナイーブさと野生がないまぜになった不思議な面差し。そして、惜しげなく人目にさらした、いやらしさのない水着姿。ボーイッシュとも、中性的とも呼べない不思議なムードを漂わせたそんな王女の独特なイメージが80年代にもたらしたインパクトを、今の視点で表現しています。極めつけは、ミラ・ジョボビッチが誌上で演じるステファニー王女でしょうか。王女が当時着こなしていた、ショート丈の皮のブルゾンに、ごく色の薄いジーンズ(もちろんローライズじゃない!)の組み合わせを現代のアイテムで蘇らせ、一歩踏み外せばおしゃれと呼べないきわどい試みを見事成功させています。
最大の目玉は、ステファニー王女本人が登場するページ。代表を務めるエイズ予防と患者支援のための団体『ファイト!モナコ』の活動の紹介(今回のオファーを受けたのも活動の啓蒙・宣伝のためだそう)に、家族の写真、彼女の好きな物のコラージュ(好きな映画にフランス製時代物どたばたコメディを選んでいるのが、人柄をしのばせます)。そして、彼女へのインタビューと、現在の彼女がモデルとなった写真。それなりの年齢を重ね、いい意味で枯れた王女の素を覗かせた写真が、シングルマザーとして、チャリティの責任者としての生活を語る彼女の言葉とあいまって、深みを与えています。単なるビバ!80年代的な企画に終わらなかったのも、タトゥーも含め全てをさらけ出した王女に創り手も応えたからではないでしょうか。
いくら天下のヴォーグが持ち上げたとて、80年代にフランスでヒットした王女のポップソング“Ouragan”(ハリケーン)のビデオクリップは、見ている方が赤面しちゃう代物です。ただ、モデルとしても、シンガーとしても、王族のメンバーとしても器用に立ち回ったとは言えず、ただ自分に素直に生きてきた王女の存在感は、90年代以降に登場した、自在にイメージを変えファッション界でのポジションを守り続ける賢いスーパーモデル達にはない何かがあります。
□ステファニー王女のビデオクリップ(from youtube)
□ミラ・ジョボビッチの一連の写真はここでみることができます。
GOYAAKOD@ファション通信NY-PARIS

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謙遜で上品で周りに流されずに自分らしさを失わずに生きる彼女の姿にはすごく感心します。