2009年03月15日

最近見たもの考えたもの――@「不況っていったい…」

エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」先日、ブログの管理人さんから「おもしろい動画がある」と紹介してもらったところ、その内容というのが『エンデの遺言』『エンデの警鐘』を扱ったものでした。エンデというのは「モモ」「はてしない物語」で有名なドイツの児童文学者のことです。

この両書をぼくは10年ほど前に読んでいました。で、「ああ、あの内容か。読んだことあるな」と思いつつ、いちおう動画を視聴してみるとめちゃくちゃ内容が面白い(読み返してみると、本もこれまた面白い)。二重の意味で、内容の面白さ&自分の読書体験の至らなさ、にびっくりしました。この本の面白さに気づかなかったのは、当時のぼくが「不況」の意味合いをよく理解していなかったか(いちおう大学で経済を勉強していました)、あるいは「不況」の意味するところを身にしみて感じていなかったからかもしれません。

ともかく両書は(あるいは「くだんの動画」。この動画はもともとNHKで放送されていたものをネット上にアップしたもので、そして両書はこの番組放送後に本のかたちにしてまとめられたものです)、現在の金融危機発の「不況」の根本原因を説明しているともいえるし、かなり内容が濃いと思います。

「お金=貨幣」がいったいどういうものであるのか。さらには、人類の発明した「お金=貨幣」というものには、どういうデメリットが内在しているのかを解き明かしています。ぼくなどに「すごくエライ人だった!」と誉めそやされて、草葉の陰でエンデがどう思うのかわかりませんが、「あたりまえ=お金」のことを疑ってかかっていたエンデにはほんとに恐縮します…。

そこで、きょうから「@不況とは」「A利子率とは」「B地域通貨の可能性」と、これらはすべて「お金=貨幣」にまつわるテーマとなりますが、本書を読んでぼくなりに感じたことを3回にわけて紹介していきたいと思います。

きょうはその一回目、「不況」についてです。

現在はたいへんな不況に見舞われていますが、そもそも不況とはどういうものでしょうか? 実際に目にするものといえば、企業活動の停滞、失業者の増大、先行き不安、株価暴落による資産損失といったものがあげられます。いままさにそんな状況ですね。ところが、その背後にはどういうカラクリがあるのかといえば、ずばり「お金によるコミュニケーションの不全」がすべてを貫いているといえます。

よくよく考えてみると、去年の秋頃から全世界的に景気が後退局面に入り、たとえば日本では、2008年10月〜12月の間に経済成長率が年率換算で10%程度減少したらしいのですが、なにが10%減ることになったのでしょうか? 

この間、ヒトやモノが10%減るかといえばぜんぜんそんなことはありません。経済の原動力であるヒトやモノが、不況に際して減少するなんてことありえません。さらに、生産者的サイドから見れば、モノはあることはあるし、それを加工してあらたな富を築くことのできるヒトもいる。消費者サイドからみれば、不況に際してもモノやサービスをできることなら享受したいと考えているはずです。つまり不況下においても、両サイドとも経済活動を望んでさえいます。

モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)そしてさきほどの疑問に戻りますが、10%減るのは、このヒトとヒト(=ヒトとモノ)の出会う機会だといえます。あるいはこうした出会いをつなぐお金のシステムになにか10%分だけ不具合が生じているともいえます。一方にモノやサービスを提供したいと思い、他方にそれを望んでいるヒトがいるのに、その出会いがなかなか思うようにいかないのが不況だといえるでしょう。

ここでさらに話を進めて、不況下における「お金=貨幣」について考えてみましょう。ここにおいて、現代貨幣制度の倒錯した側面があらわれています。結論からいえば、ヒトがお金をコントロールするどころか、ヒトはお金の奴隷に成り下がっていることがわかります(註1)。

このことを理解するのには、貨幣の機能に焦点をあてて説明してみるのがいいでしょう。
貨幣の機能とは大きくわけて三つあり、

@ 値の尺度
A モノやサービスの交換の媒介物
B 価値の保存

です。そもそも貨幣は、人間の営みにおいて最大の発見ともいえます。物々交換を前提にした社会では、モノやサービスのやり取りが制限されるため(自分が欲しいものを提供してくれる&自分の渡せるものを望んでくれるヒトに出会わないといけないからです)、経済活動がそれほど盛んにはなりません。ところがこうした三つの機能をもつ、貨幣の登場によって、モノやサービスのやりとりを活発に行うことのできる素地が整いました。

ところで、これらの機能はいずれも貨幣の本質を構成するものですが、そのうちのAに注目してください。ぼくらが普段目にするお金というのは「現金」、そしてこの現金をみていると、あんなモノを買ったりこんなモノが欲しいとか、またこのお金を働いていっぱい稼ぎたいものだとか、そのAの機能に意識が集中すると思います。ところが実際には、データによると2005年時点で、世界中に出回っているお金(マネーサプライ。現金のほかに預貯金、国債などがあります)1,400兆円のうち、現金はたった70兆円。つまり、おもに交換につかわれることに重きをおかれた現金は全体のたった5%にしかすぎないのです。もちろん現在の不況下においても、このパーセンテイジはそれほど変わりがないはずです。このことを知ったら、貨幣の誕生に立ち会った原始人はさぞ驚くことでしょう。そして、この数字の意味するところですが、人類は総体としてみれば「守銭奴」であり、つまりお金を「つかう」ためでなく「貯めるため」もっといえば「増やすため」に持ちたがる傾向にあることがよくわかります。

つまるところ、現代の貨幣とは、ヒトとヒトとのコミュニケーションを促す「Aモノやサービスの交換の媒介物」としての役割が十分機能しておらず、すべての富の源泉として(ある意味これは「錯覚」ともいえるのだが…)、その「B価値の保存」の機能に人々の意識が集中している状態にあるといえるでしょう。

今回はだいたい以上となります。 


註1*根本的には、「利子」の存在がこうした問題を引きおこす原因になるかと思いますが、この話は次回ということで。利子があるからこそ、銀行などを通じて企業にお金が集中し、企業がモノを生産することによって、結果的に人々はこれだけ豊かなモノ社会を享受できるようになったのはたしかで、これは利子のいい側面です。ただ、悪い側面もありまして、次回この問題に触れます。


【動画】「おかねの革命〜エンデの遺言」シリーズ 〜根源からお金を問う〜


エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」
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3 貨幣そのものではなく利子こそが問題である。
5 今こそお勧めの一冊です
4 お金についてそもそも考えさせられる
4 人間が捕われているもの
5 「お金」の矛盾に対する鋭い指摘






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posted by cyberbloom at 11:58| パリ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | SUPER LIGHT REVIEW | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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