
1920年代のアメリカ。シングルマザーとして電話会社で働くクリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)が、ある日仕事から帰ってくると息子のウォルターがおらず、母親の懸命の捜索にもかかわらず数ヶ月行方不明だった。ある日警察からウォルターが見つかったとの知らせが入り、喜び勇んでクリスティンが駅へ迎えに行くと、そこに現れたのは息子とは別人の少年だった。彼は息子ではないと彼女は再三訴えるが、警察は全く取り合わない・・
無理がありすぎ、と思えるこの物語が実話である、というのですから驚きです。無駄のない冷静な語り口で、当時の警察の権威主義や腐敗が徐々に暴かれていくさまはさすがイーストウッド!という感じで、「許されざる者」や「硫黄島からの手紙」でのように、「正義の味方=善」だとか「敵=悪」というような固定化されがちなイメージを打破しつつ、ものごとを客観的に見つめる姿勢は今回も変わりません。しかし、この映画は単なる社会派ものというわけではなく、子供の失踪事件がやがて別の大きな事件へと繋がっていき、思いもよらぬ結末へと至るサスペンス映画でもあり、一級の娯楽作品として成立しています。

逆に彼女のもうひとつの特徴である厚い唇は真っ赤なルージュで強調されていて実に表情豊かです。ウォルターにキスする唇、不安や驚きであっと開かれた唇、子供の手がかりを求めて終始受話器に寄せる唇、そして「私の息子ではない!」と低いながらも強い声で叫ぶ唇・・・言葉を発する発さないにかかわらず(クリスティンは決して「おしゃべり」ではありません)彼女の唇は常に何かを語っています。
そしてその「何か」とは、必ず自分の息子に関わることです。クリスティンは警察の過ちや虐げられている女性たちのために行動を起こしますが、もともとそれはただ息子を見つけたいがためで、いつ何時でもウォルターのことを忘れることはありません。支援する人々が(神父さんですら)あきらめの態度を見せても、彼女だけは息子の生存を信じています。そのような意志の強さと愛情の深さを備えた母親役は、日頃から子供たちに対する関心の高いアンジェリーナ・ジョリーにはまさに適役でした。

exquise@extra ordinary #2

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