![大人は判ってくれない [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/212J736HEHL._SL160_.jpg)
自分自身にそう問いかけてみると、最初に頭に浮かんだのはフランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」(59年の映画だが...)。
「大人は判ってくれない」という題名なのだから、主人公は当然大人ではない。
この映画で主役を務め、後にヌーヴェルヴァーグを代表する俳優となるジャン=ピエール・レオは当時13歳だったそうだが、もしも松山ケンイチが13歳で映画に出演していたなら、このような演技をしたのではないかとふと思ったわけである。
ただインパクトは充分だがいささか感傷的に訳された感があることも否めない邦題に反し、この映画の中心は大人/少年という2項対立にあるわけではない。
「街を歩けばアントワーヌ・ドワネル風の若者たちを見つけることができる。ある者は洒落た洋服を着て、いかした恋人の肩を抱き歩く。ある者は何も語らず恋人とふたり並んで歩く。またある者は不格好に煙草を吸い、さみしげな瞳で信号が変わるのをそわそわと待っている。そしてぼくが街でアントワーヌ・ドワネル風の若者を見つけるたびにいつも思い出すのは『大人は判ってくれない』の中で通りを駆け抜ける、あの飢えたようなアントワーヌの最初の姿である。彼は世界と折り合いを付けることが出来ずに終始スクリーンをうろつき、楽しもうとしてみたはいいが大きすぎる代償を払い続ける。それは全く持って人生そのもののようで、アントワーヌ・ドワネルはやはり生まれたときから人生の本質の中にいたのである」。

言うまでもなく世界と折り合いを付けることが不得手であることに年齢は選ばない。
ある者は年を重ねれば重ねるほど世界と折り合いを付けることに困難を覚えるかもしれない。
ある者は年を重ねることで世界と折り合いを付ける術を学んでいくかもしれない。
そう考えてみると、この映画のタイトルはどこか本質的な部分を取り逃がしているような気もしてくる。
とはいえ13歳の少年が世界と折り合いをつけることが出来ないとき、それは20歳の青年や30歳の男が直面する困難と決して同じものではないだろう。
トリュフォーは「大人は判ってくれない」をシリーズ化し「アントワーヌとコレット/二十歳の恋」、「夜霧の恋人たち」、「家庭」、「逃げ去る恋」と計5作品撮っているが、果たしてアントワーヌ・ドワネルは世界と折り合いをつけることを学んだのだろうか。
「大人は判ってくれない」の重々しいトーンから一転し、次作の「二十歳の恋」では陽気な雰囲気が主調音となることから判断すると、アントワーヌ・ドワネルは年を経て処世術を学ぶタイプの人物だといえるかもしれない。
ただ後の「家庭」や「逃げ去る恋」では浮気や離婚といった俗っぽい題材が扱われ「夜霧の恋人たち」までにあった新鮮さが失われていくのも確かである。
そういう意味でアントワーヌ・ドワネルは人生の本質から少しずつ逸脱していったのかもしれない。
いずれにせよ少年であるアントワーヌ・ドワネルが駆け抜け、そして時に立ち止まるのは1959年のパリの街だ。
その街並みは少年にとって世界がそうであるようにモノトーンの色彩を欠いた街並みであるわけだが、その色彩を欠いた街並みが50年後の今日でも新鮮に映ってしまうことは全く驚くべきことではないだろうか。
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