2009年08月03日

外国語と数

イントロ

今回のテーマは「数詞」についてです。ことばは現実世界を切りとる「色眼鏡」であるといわれますが、「数詞」を眺めてみるとこのことを目に見えやすいかたちでうかがい知ることができます。数そのものは人類普遍の共通概念であるものの(1はひたすら1でしかないという意味で)、その具体的な表記法は言語ごとに異なっており、しかもなかなかユニークなものもたくさんあります。こうした違いを眺めてみると、ある言語がどのように数をとらえ、どのように現実世界に反映させているかがよくわかります。
 
前置きはこれくらいにして、では具体的にみていきましょう。

足したり引いたりかけたり

数年前、東京都の石原知事が「フランス語は数も数えられないことばだ」といった旨の発言をして物議を醸したことがありました。常識的に考えてみただけで、世界有数の先進国の言語が数を数えられない仕組みになっていることなどありえないので(むしろ数を数えられないのにTGVを作ったのだとしたら、「フランス国民=超能力集団」になるんとちゃうか…)、発言にたいしてまともに取りあう必要はないと思いますが、日本人からみるとなかなかユニークな数の数え方をするのはたしかです。

10 :dix / 20 :vingt / 30 :trente / 40 :quarante / 50 :cinquante / 60 :soixante

ここまではいいとして、

70 : soixante-dix(60+10) / 80 :quatre-vingts(4×20) / 90 : quatre-vingt-dix(4×20+10)

と、70から99までは1から60までの数字を組み合わせて表現します。今年はじめてフランス語を履修した大学一年生のひとたちはまだ70以上の大きな数字を習っていないかもしれませんが、フランス語はこのようなちょっとびっくりする数のとらえかたをします。

ただこれはなにもフランス語だけの現象ではなく(くわしくはこちらhttp://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/numberj.htmlのページをご覧になってください)世界の言語を見渡してみるといろんな表現法があるのがわかります。

たとえば
*バスク語
→「2×20+10」で「50 (berrogei ta hamar)」

*デンマーク語
→「2,5×20」で「50( halvtreds)」、「3,5×20」で「70 (halvfjerds)」

*ブルトン語
→「0,5×100」で「50 (hanter kant)」

*アイヌ語
→「(-10)+3×20」で「50ワンペ・エレ・ホッネプ」

とおなじ「50」にしてもこれだけ数のとらえかたに違いがあるのですね。

また勘のいいひとは気がついたでしょうが、「20」という数がところどころに登場しています。これはどうも世界各地の言語でみられる事例で、モノを数えるとき「20」がキーナンバー、つまり「20」を足したり引いたりかけたりして、いろんな数を表す言語がたくさんあります。

その理由ですが、説明としてつかわれるのは、人間の手足の指が全部で20本になるので、これがキーナンバーになったという説(全部の言語をしらみつぶしで調査した研究成果があるわけではないので、もちろん断定はできませんが)。昔のひとびとは、筆記用具や電卓を持ち歩きませんから、おそらくモノを数えるときなどに指をつかい、そのため「20」が身体感覚をともなったひとまとまりの数になったという考え方です。たとえば「40」という数字なら「人間2人分の指」といったところでしょうか。

そしてその歴史はともかくとして、興味深いのはある一定の数のまとまりを、自分たちの都合のいいようにまとめあげているという点です。考えようによってはこうした数の分析的な表現には便利な側面があります。具体的にいうと、ある程度大きな数のイメージをつかむときに使い勝手がいいという点です。たとえば、目の前に100人くらいの人間がいたとして、これを一見して(一括して)すぐにその数を把握するのはむつかしいと思います。しかし、20人くらいならすぐに選別できますし、これを基準にしてポンポンポンと20きざみで計算すればけっこう手軽に100人前後という数字をはじきだせると思います。また、100人の人間をいま頭に思い浮かべろといわれてもなかなかイメージが湧きませんが、だいたい野球チーム10個分くらいといわれると、ぼくはなんだかリアルさをともなってその数をイメージできます。

実際、フランス語では正規の表現とはべつに「20 (vingt)」を倍数の単位としてつかう用法がありますし、その他、フランス語で「1100 (mille cent)」のかわりに「onze cents(11×100)」といういい方を許容していますが、これは英語でも「one thousand one hundred」のかわりに「eleven hundred」といえますし、こうしてみてくると日本語のように数の概念と表現が一対一対応のように張り付いてしまっているのは、どこか窮屈というか面白みにかけてくるような気がするなぁ…。

うちには一頭の子どもがいます

話はそれますが…。中国語との関連は無視できないものの日本語と数といえば、モノの数え方に特徴があります。

→うどん一玉、本一冊、車一台、紙一枚、新聞一部、靴一足、箪笥一棹、花一輪、花弁一片、騎馬一騎、飛行機一機、船一艘、雫一滴、家一軒、拳銃一丁、詩一編、地球一個、砂一粒…。

数えあげればきりがないものの、発音に注意していくつかピックアップすると、

→「ひと玉」「いっ冊」「いち台」

そもそも「一」の発音自体が一定していない。こんなややこしい言語をぼくもいつの間に覚えたのやら…。





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posted by cyberbloom at 07:12| パリ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | SUPER LIGHT REVIEW | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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