フランスは第2次世界大戦後、経済復興のためにコルベール時代のような国家計画を実施した。それが栄光の30年と呼ばれる、1945年から75年までの経済的な繁栄をもたらした。そのような成功体験のおかげで、コルベールの精神が今も生きているのである。
コルベール的な計画経済が最も機能するのは公共インフラを整備する長期計画であろう。最近、サルコジ大統領は新しい地下鉄を作る10年計画を発表した。自動運転される新しい路線は、パリの郊外を経由し、主要な空港を結ぶ環状線になるようだ。さらにTGVの鉄道網も拡大を続けている。
フランス政府が原子力発電に力を入れることを決めたのは1970年代のことだ。オイルショックと石油不足に対応するためだった。フランスは現在電力の78%を原子力でまかない、電力の純輸出国になっている。フランス電力公社(EDF)とアレバ(Areva)という世界屈指の原子力関連会社を擁するフランスは、耐ミサイル、耐震の最新世代の原子力発電所 EPR を開発し、他国も同じデザインに倣おうとしている。
管理への衝動は、フランス国家の3つ目の役割にまで及んでいる。それは規制である。フランスはルール作りのチャンピオンである。ひとりの薬剤師が持てる薬局の数(一軒)も、パリ市内を走るタクシーの台数(1万5300台)も規制で決められている。大型トラックが高速道路の走行を許される時間帯(日曜日以外の)だけでなく、店がセールをできる期間(1年に2回、期間も役所が決める)も規制で決められている。2週間自由にセール期間を選んでよいという新しいルールが出来たとき、それは革命的な出来事として迎えられたほどだ。
それでも金融部門の規制は、現在の金融危機に対処するにあたって、役立ったと言える。フランスの大手銀行は多額の損失を出しているが、業績は確実に英米の銀行を上回っている。フランスでも不動産価格が急上昇したが、それは投機的な売買のせいではなく、人口の増加や、可処分所得の増加、住宅の供給が少なかったことが原因なのだ。
もっとも、規制の効果を算定することは難しい。フランスのある高官によると、半分は融資に慎重な伝統のおかげ、半分は規制が厳しいおかげだそうだ。フランス政府は自国の銀行に国際基準よりも厳しい自己資本規制を課している。金利負担が借りての所得の3分の1を越えるローンは組まないように推奨され、返済可能な額を超える債務を借り手に負わせてはならない法的な義務がある。制度が融資を慎重にさせる仕組みになっている。
フランス・モデルのおかげで、フランス人はクレジットカードで無駄遣いをすることもなかった。需要は支えられ、不平等はそれほどひどくはない。大聖堂は修復され、花壇にはきれいに花が咲いている。これらはフランス・モデルがうまく機能していることを意味しているのだろうか。落とし穴はないのだろうか。
その答えは、成長率の低さや失業率の高さという、失望的なマクロ指標にある。それはフランス・モデルが国家に割り当てている先の3つの役割から説明できる。
医療と福祉を支えるためには雇用主に重い社会保障の負担をかけることが避けられない。そのため、フランスの企業は雇用の創出に消極的で、インターンや派遣社員を使いまわすことも多い。フランスの失業率は現在8・6%で、アメリカとほぼ並んでいる。フランスがアメリカと違うのは好景気でも8%を切らないことだ。
つまり、フランスの労働市場は二分されている。一方は十分な給料をもらっている正規雇用の市場。正規雇用者は労働組合が交渉によって作り上げた業界慣習によって保護される。もう一方は保護されていない短期雇用者の市場。仕事に全くありつけない場合もある。とくに若者は労働市場から締め出されており、25歳以下の失業率は21%という驚異的な高さだ。イスラム系の多い郊外ではその倍にまで跳ね上がる。
コルベール流の国家計画は大規模な計画の立案や実行には有効だが、現場からアイデアを取り入れたり不安定な市場の動きに対応するのには向かない。それにフランスはベンチャー企業が少なく、中小企業も成長できない。パリ証券取引所に上場している企業の多くは創業50年以上だ。
確かに国家による規制はフランス経済を金融危機から守ったのかもしれないが、裏を返せば好景気になっても経済が活性化しないことを意味する。不況時に安定している経済は、好況でも活力がなく、ダイナミズムに欠ける。弾力性のないフランス・モデルは社会の連帯を守ることはできるが、活力ある経済成長ももたらすことはないのである。
以上が「フランス・モデル」(英「エコノミスト」掲載)の後半である。このレポートを読んでいて、フランス・テレコムの自殺騒動(結局24人が自殺)を思い出した。INFO-BASEでも書いたのだが、情報通信技術が時代の主役に躍り出て以来、企業において研究開発やイノベーションが重要になったが、これは国家レベルでも逃れられないことだろう。
レポートの中に「コルベール流の国家計画は、現場からアイデアを取り入れたり不安定な市場の動きに対応するのには向かない…それにフランスはベンチャー企業が少ない」と書かれているが、今の時代のイノベーションは事前に計画できるものではない。公共インフラの整備や製造業においては、目的は最初から決まっているが、情報通信産業では目的を試行錯誤によって探すしかないし、たとえ見つかったとしても、目的は次々と刷新されていく。この変化は産業構造だけでなく、その中に編成される人間のあり方まで変えてしまった。
フランス・テレコムの事件は、正社員が制度的に保護されているせいで、逆に精神的に追い詰められてしまうこと、つまり、新しい産業構造が流動性を求めているのに、国の方が古い制度を維持しているせいで、正社員の意識がそのあいだで引き裂かれていることを示している。しかし、日本のように、それが企業に過剰な流動化の口実を与えてしまいかねないことが難しい問題である。フランスといえばバカンスだが、バカンス制度を維持できるのもそういう保護主義があるからだろう。人間が人間らしく生きること。それは若者や移民など、一部の国民さえも排除しつつ維持されている面も大きい。グローバリゼーションの観点からすれば、フランスは既得権益の砦のように見えてしまう。
□関連エントリー「フランステレコムの自殺騒動」(9月25日、INFOBASE)
□「フランス・モデルの再評価(1)」
cyberbloom

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