
18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多くが選ぶのは(いや、ほとんどかもしれない)、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。日本とフランスの両方で税務署や郵便局を利用したり、郊外の電車に乗ってみれば、よく分かる。日本は清潔で効率が良く、マナーもいい。フランスのこうした場所は、不潔で効率が悪くて、係員は攻撃的だ。2つの国で同じ体験をした人なら、100%私の意見に賛成するだろう。(…)日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく「日常生活にひそむ英知」だ。だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。
日本で育ったフランス人は日本に住むことを選ぶ。その理由は日本の「日常に潜む英知」に惹かれているのだという。仏人だけではない。仏陀もキリストもサブカル日本に住むことを選ぶのである。ふたりの「聖☆おにいさん」は天界からそれぞれ月13万円の仕送りをもらって生活している。風呂なしアパートで共同生活すれば十分にやっていける額だ。切り詰めればPCを買って、ブログというクリエイティブなこともやれる。「王様のような快適な生活」とあるが、重要なことは、彼らが労働から解放されていることだ。1日まるまる空いているのだが、それでも日常生活に飽くことがない。日本の日常に張り巡らされたサブカルの仕掛けに身を任せ、電子ガジェットを使いこなし、それらのティテールに耽溺することによって。あるいは聖書や仏典をネタにすること=サブカル化することで。過剰な労働の代価で家やクルマや、高価な既製品やサービスを買うのではなく(ある意味、これは極めて貧困な価値観だ)、リサイクル品を工夫して使ったり、ありあわせのものでブリコラージュすることで。そのクリエイティブな過程は生活そのものになる。またご近所付き合い(大家やヤクザ)というジモティ・ネットワークも生活を充実させる。

高度経済成長時代にはみんなで共有できる大きな物語があった。日本人たちは金銭欲、名誉欲、食欲、性欲という人間の本質的な欲望をその中にぶちこみつつ、時代とともに邁進した。やることなすことが常に既視感にさいなまれる隣のバブルな中国では、愛人ブームとグルメブームだという。余計な金を手にした人間のやることは同じなのだ。
企業戦士として働くことが当たり前で、「働かざるもの食うべからず」とか「男はこうあるべき」とか、一昔前の倫理観が染み付いた人々には理解できないことかもしれない。草食系が中性的に見えるのは、男女の役割分担の外にいるからだ。男女の役割分担は最初からあったわけではなく、経済成長の時代が強制的に分割していたにすぎない。仕事というファクターが後退し、生活の内実に焦点が当てられたときに見えてくる男女のイメージは全く違ったものになるだろうし、同居人が男だろうが女だろうがもはや関係ないのだ。もちろん、「草食系の行き着く果ては孤独死」という指摘や、誰が彼らの社会的コストを払うのかという問題は出てくるだろう。しかし、完全雇用はもはや不可能で、若い世代は残された小さなパイをめぐって熾烈な競争を強いられる。政治もまた世代間で仕事をフェアにシェアするために社会を組み替えるつもりがないらしい。だったら最初からそこから降りてしまうことは合理的な選択のひとつになる。
「聖☆おにいさん」たちの天界から月額13万の仕送りをベーシックインカムと考えれば(極めて妥当な金額だ)、聖人のようにストイックに、草食的に、そしてサブカルという文化インフラが整備された日本をまったりと生きれば、それなりに幸せに生きられますというメッセージになる。熾烈なシューカツ戦争に嫌気がさした草食系の学生が「早くベーシックインカムが導入されないかな」と本音を漏らしていたが、これでベーシックインカムが実現なんかしちゃったら日本は本当の楽園になってしまうのかもしれない。
cyberbloom

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