シャブロル逝去の記事を日本の複数の新聞で読んでみると、代表作はデビュー当時の作品と『主婦マリーがしたこと』(Une affaire de femmes, 1989)、『ボヴァリー夫人』(Madame Bovary, 1991)の2作品であるかのように書かれている。しかし、これではシャブロルについて何も説明したことにならない。日本の大手新聞がフランス文化について関心を払わなくなったことの証しが、これらの記事には如実に表れている。そこで、ここでは日本の新聞記事を訂正し、シャブロルを正しく追悼したい。「今夜はシャブロルだ」という一言は、フランスの家庭では「今夜はミステリー映画だ」と同じ意味を持つ。それほど、シャブロルは「ミステリーの巨匠」としてフランスでは絶大なる信頼と尊敬を集める存在だったのだ。実際、シャブロルのフィルモグラフィーは膨大なミステリー・犯罪もので埋め尽くされている。
ヌーヴェル・ヴァーグの根幹にあるのは「ホークス=ヒッチコック主義」と言われる理論であった。彼らはハワード・ホークスの「明晰さ」とアルフレッド・ヒッチコックの「サスペンス」という映画技法を自らの作品の根幹に据えたのである。実際、映画批評家時代の彼らはホークスやヒッチコックに直接インタビューを敢行し、彼らとの対話によってその技術を習得しようとやっきになったものである。この点に関しては、トリュフォーが行った50時間に亘るインタビュー『ヒッチコック=トリュフォー 映画術』(山田宏一・蓮実重彦訳、晶文社)、ゴダールらによるインタビュー集成『作家主義―映画の父たちに聞く―』(奥村昭夫訳、リブロポート)を紐解けば詳しい。
その中でヒッチコックを最も敬愛してやまなかったのがシャブロルであった。他の多くの映画監督がそれぞれの作風を確立して行く中、犯罪、探偵、ミステリーだけを一途に撮り続け、その分野の頂点を極めたのがシャブロルである。その彼の最高傑作が『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』(La Cérémonie, 1995)であった。荒んだブルジョワ家庭とその使用人、そしてそこに絡んでくる郵便局員の心理が巧みに描かれる。女主人はジャクリーヌ・ビセット、使用人はサンドリーヌ・ボネール、郵便局員はイザベル・ユペールである。抑圧されていた使用人の心が、最後になって爆発し、殺人事件へとなだれ込んでいく過程の描写は凄まじい。実際、ミステリーというジャンルはフランス文化の中でも中枢に位置するほどのものであるが、そこに君臨するシャブロルは単なる映画監督でなく、現代フランス文化の精髄を牽引した存在なのだと言っても過言ではないのだ。そうした面が日本の報道では全く無視されてしまうのは残念という他ない。
『ジャガーの眼』(Marie-Chantal contre le docteur Kha, 1965)を始めとする映画を撮っていた時期、シャブロルは商業主義に傾斜したのではないか、と批判されたこともある。実際、ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの多くはその実験精神に翳りが見えた時期を経験したが、シャブロルの「ヒッチコック主義」は停滞するということを知らなかった。批判に対して、「それでも私は映画を撮る」Et pourtant je tourne (1976)という著書まで出したシャブロルに迷いは全くなかったようだ。
『愛の地獄』(L’enfer, 1995)、『嘘の心』(Au coeur du mensonge, 1999)、『石の微笑』(La demoiselle d’honneur, 2004)など、90年代から晩年に至る彼の作品群は、その「ヒッチコック主義」がもっとも洗練された形で開花したものと言っても間違いないであろう。彼はヒッチコックの精神を受け継ぎながら、紛れもなく彼でなければ撮ることのできないミステリー映画の世界を完成させたのである。映画監督を離れた実際のシャブロルは、しかし陽気な人間であったようだ。フランスのテレビ番組に出て来て滑稽なパフォーマンスを披露し聴衆の爆笑を誘う姿は、日本の映画監督でいうと鈴木清順のあり方に近い。そういえば、清順も日本よりも国外での評価の方が圧倒的に高い存在であった。その作風からも、シャブロルと清順には似た部分があるかもしれない。
シャブロルの本当の評価はこれから始まるだろう。ヌーヴァル・ヴァーグの貴重な一員としての評価もさることながら、「ミステリーの巨匠」として彼が映画史に残したものは決して侮ることの出来ないほど重要なものなのである。
不知火検校@映画とクラシックのひととき
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シャブロル監督の作品をずーっと楽しんで来ましたが、その人となりについてを知る機会はありませんでした。
こちらで、その機会を得て感謝しています。
日本の監督で言えば、鈴木清順さんですか〜〜!?
この喩えで、シャブロル監督に少し近付けたようでうれしいです!
ライターさんに伝えておきます。
私にとっても目からうろこの記事でした。
これからもよろしくお願いします。
トリュフォーやロメールにくらべて、日本では生前も今もシャブロルが余り話題にならなかったことは残念です。しかし、これから続々と関連書が出て、シャブロル再評価の機運が高まることを期待しています。
これからもよろしくお願いします。