姉妹の芸能界デビューは1959年(昭和34年)。最初は浅草姉妹という芸名で、「こまどり」姉妹(鳥の名前が取られているのは、美空ひばりからの連想)となるのは、翌60年のことである。筆者もこの頃は幼くて、さすがにデビュー当時の姉妹のことは知らないが、その後、大きくなるにつれてテレビで二人の姿をよく見かけるようになった、と言うよりも、親がテレビをつけるといつも歌っていたと言った方が正確かもしれない。もちろん、他にも橋幸夫(1960年デビュー)や仲宗根美樹(同)といった歌手もいたはずなのだが、何故か記憶に残っているのは、こまどり姉妹なのである。どうしてだろうか。親がファンだったから。もちろんその可能性は否定できないが、さらに親の世代(1930年前後生まれの世代)が、世代として支持したからと言いたい。それをこの作品は教えてくれる。釧路の貧しい炭鉱夫の家庭に生まれた双子の姉妹は、門付けをして歩く母親の後をついて回り、やがて子供ながらに歌うようになる。そして、13歳で上京(1951年)、21歳でレコード・デビューをはたし、その後は紅白にまで出場する人気歌手となる。この略歴を見てわかると思うが、二人のメジャー化の軌跡は日本の高度経済成長の過程とほとんど重なっているのである。貧しいときは、貧しい生活の歌を歌い。生活に余裕が出てからは、それをまた歌のテーマとする。こまどり姉妹とは、日本の経済成長を地で行くデュオだったのである。しかもそれをメロディーに乗せて歌い続けていたのである。ここに、私の親たちの世代がこまどり姉妹を聞き続けた(支持し続けた)理由があったのだということを、片岡の作品は教えてくれる。
映画は、二人の昔の写真や記録フィルムを映し出すだけでなく、その時代、時代の彼女たちの持ち歌を聞かせてくれるのだから、高度成長する日本とともに育った世代の人間にはたまらないノスタルジーである。ましてや、今のおじいちゃん、おばあちゃんの世代においては、こうした感傷はなおさらのことであろう。作品の枠としては、1組の芸能人の軌跡を追うことによって、そこに当時の日本の姿を浮かび上がらせるという形式が取られているのだが、この映画は人間の創造行為が時代の流れとは切り離せない営為であったことをひしひしと感じさせてくれる作品であった。
人の営為が時代を作り出してゆくという意味においては、年末に封切られたミヒャエル・ハネケの『白いリボン』(2009年、ドイツ/オーストリア他)は、両大戦間のドイツのある村で起こった不可思議な事件(農夫の妻の死、村医者の事故、少年の虐待など)を描いて、それらの事件が来るべき次の時代(ナチスの時代)を準備するものであったということを描き出す秀作であった。
劇中で次々と事件が起こるその村は、一見ミス・マープルの登場しないセント・メアリーミードを思わせてのどかなのだが、ハネケはいつもの通り、それらの事件に解決を与えるつもりは毛頭なく、映画はカフカの作品世界を思わせて幕を閉じる。
ハネケを未発見の人にぜひ見ていただきたい1本である。
MU@投稿-weekend cafe
↑クリックお願いします





