このたび、ロシア政府が夏時間を取りやめる方針を発表した。正確には冬時間の廃止と言ったほうがよい。3月に夏時間に切り替え、そのまま戻さない、ということらしい。したがって、時差は標準時より常に1時間進んでいるということになり、時差計算は多少ややこしくなる。ニュースによると、「季節によって時間を切り替える生活は国民の健康に好ましくない影響を及ぼす」というのがその理由らしい。これに対して、慣れ親しんだ時間を変えないで欲しい、という不満の声が挙がっているという。http://bit.ly/fEefWw
北欧で白夜になるように、緯度が高いほど、夏の日照時間は長くなる。モスクワの日照時間を調べてみると、夏至の日の出は5時前、日没時刻は22時頃である。これに夏時間を加えると、夜は23時に訪れるということになる。ちなみに冬至は日の出が10時、日の入りが17時となっている。僕はロシアを訪れたことはないので、いまいちイメージできないのだけれど、夏と冬のこの極端な日照時間の差が、そこに住む人々のメンタリティに大きく影響するだろうということは容易に想像できる。北欧では冬の自殺率が上昇すると聞いたことがある(いわゆるSAD=季節性情動障害)。
フランスに住んでいたとき、夏時間が終る直前の11月下旬、大学へ行くのがとてもつらかったことを思い出す。授業は8時30分からスタートするのだが、これは実際には7時30分であり、家を出るのはさらに30分前だったので、外はまだ真っ暗だった。白い息を吐きながら、うつむき加減で地下鉄の階段を足早に下りていく人たちにまぎれながら、ひしひしと孤独を感じたものだ。逆に夏時間に入る日を忘れていて、しっかり1時間遅刻してしまったこともある。
ちなみに、日本では過去に4年間だけ夏時間が実施されたことがある。第二次大戦直後、米軍占領下にあったとき、アメリカ流に夏時間が導入された。しかし、日本人には馴染まなかったのか、占領終了とともに廃止された。終戦直後の日本人には余暇を楽しむ余裕などなかっただろうし、日本の夏はむしろ夜の方が過ごしやすい(『枕草子』の「夏は夜」から久隅守景の「夕顔棚納涼屏風」まで)ため、昼を延ばすのは、労働効率から言っても、あまり意味がなかったのかもしれない。
夏時間を経験して強く感じたのは、時刻というのは、結局は人間が太陽の出没を基準に目盛りを付けて区切っているに過ぎない、という当然の事実である。ベルクソンは、時計は時間を空間化して表現しているに過ぎず、本当の時間体験は持続性のなかにこそある、と説明した。それはそうなのだが、その批判は、空間化する必要が人間の歴史を貫いていることまでは説明してくれない。
時刻とは慣習である。24進法に従っているのは古代メソポタミアに倣ってのこと、中国では長らく12進法で1日を区切っていた。フランス革命期には、有名な革命暦だけでなく、10進法の時計も作られた。同じく10進法のメートル法は普及したが、10進法の時間はすぐに廃れた。これはいったいどういうことなのだろうか。「伝統」と言ってしまえば簡単だが、不思議なことである。たぶん24進法がフランス人の身体の奥まで浸透していたのだろう。夏時間を採用するか否かという問題も、結局はそれが身体化されれば、誰も文句を言わなくなるはずだ。
しかし、ロシア政府の言い分には、少し疑問が残る。ロシア人の健康を蝕んでいるのは、「季節によって時間を切り替える生活」よりも、アルコールであるような気がするが。いずれにせよ、政府が強引に廃止した場合には、最初は朝の日射しの違いに違和感を覚えるだろう。しかし、結局は慣習なのだから、ちょうど明治の人々がだんだんと24分割された1日に慣れていったように、ロシア人も夏時間から離れていくだろう。
ところで、標準時より進めた際に失った1時間はどうなるのだろうか。深夜零時のはずが、もう1時になっているわけだから、どこかに1時間を落としているはずだ。この1時間は、冬時間に戻らない限り、取り返せない。その1時間で何ができるわけでもないけれど、そのことが妙に気になる。
bird dog@すべてはうまくいかなくても

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