ちょうど3年前の2003年の秋、フランスを騒がせた事件があった。ある若者の集団がパリの地下鉄の構内に侵入し、大きな広告のポスターにスプレーで落書きして回った。そう聞くと、ヒップホップの落書きアート、グラフィティを想像してしまうが、それとは全く系統の違う、ある主張を持った組織的な活動だった。
パリの地下鉄の壁は広告のポスターで覆い尽くされている。乗客たちはそれに慣れていて、気にも留めない。しかし、同じような光景がどこの国でも見られる。
具体的な襲撃地点はパリ15区の La Motte-Piquet-Grenelle 駅だった。その駅には6号線、8号線、10号線のメトロが乗り入れている。この事件では3人の高校生を含む62人が逮捕され、地下鉄の会社に95万ユーロ(1億5000万円)の損害賠償を請求された。そういう結末を迎えることは、彼らもわかっていただろう。しかし、彼らはなぜそのような行動に出たのか。
ヨーロッパの若者のあいだには環境破壊に対して相当な危機感があるようだ。彼らは自然環境だけでなく、都市環境にも破壊がもたらされていると感じている。彼らの確信犯的な行動の裏には「街は企業のものじゃない、私たちのものだ」という強い権利意識がある。さすがはフランス革命の子供たちだ。
Laissez vos enfants rêver sans la pub!
−子供たちが夢見るのに広告は要らない!(写真)
これは広告の上に彼らが書き残したが書き残したスローガンのひとつ。つまりは、子供たちの想像力が広告に蝕まれているということだ。彼らはAnti-pub(広告に反対する運動、pubはpublicité=広告の略)と呼ばれる。この2003年秋の事件でフランス中に名を知られるようになった。
企業による広告の垂れ流しと、街の風景の汚染。私たちにも身に覚えのあるメッセージだ。エコロジーの観点からすると、広告のポスター自体がすでに紙を使っており、そのために木が切り倒されている。また街にはびこる広告に煽られ、過熱した物欲がめぐりめぐって南極の氷を溶かしているわけだ。
また広告が批判されるのは、それが公共空間や日常生活を侵略しているからだ。テレビ、ラジオ、ダイレクトメール、電話、新聞、映画、ウェブ、広告パネルなど、侵略的で攻撃的な方法を使う。ANTI-PUBは、広告が強い政治的なメッセージを発していると考える。すなわち、「消費しろ、汚染しろ、資源の枯渇に参加しろ」というメッセージだ。
広告はそれを見る人々よりも、メディア側に利益をもたらしている。売り手と消費者は広告によって非対称な関係に置かれる。売り手は消費者の行動や欲望や選択の基準に関して、明快で客観的な情報を持つことができる。それに対して、消費者は売り手から受動的に情報=広告を受け取るだけである。それは消費者の利益ではなく、売り手の利益になるように選択されたものである。今や広告には先端の社会科学を応用して練り上げられたテクニックが用いられている。
(à suivre)
cyberbloom
↑応援クリックお願いします!
★french bloom net-databaseへ





