L’important, c’est pas la chute, c’est l’attérrissage.

何千台もの車が焼かれた2005年の秋の暴動はまだ記憶に新しい。警官に追いかけられた郊外の少年が変電所に逃げ込み、感電死した事件をきっかけにフランス全土に広がった。1992年に、パリの交番で18歳のザイール出身の若者が殴り殺されるという、同じような事件があり、マチュー・カソヴィッツが「憎しみ」を撮る強い動機になった。カソヴィッツは同じ1992年に起こったアメリカのロス暴動を念頭に置いていて、アメリカでは激しい抗議が起こったが、フランスでは何も起こらなかった。その埋め合わせを映画でやったのだと言っている。皮肉にも彼が「憎しみ」でカンヌ映画祭の最優秀監督賞を受賞して10年目にそれが起こった。そのあいだも、バンリュー(=郊外)の若者は、高失業率のままに放置され、ホスト国からよそ者として蔑視され、常に犯罪予備軍として警察の監視下に置かれ続けた。そういう状況下で、方向性のない憎しみを鬱積させる若者をヴァンサン・カッセルは見事に演じた。
しかし、五月革命(1968年)のデモがユートピア的なヴィジョンに基づいた反乱であったとすれば、2年前の暴動は何ら建設的な未来を主張することがなかった。暴動に加わった移民の若者たちにマイクを向けても、サルコジ(現大統領)の「くず racailles」発言が許せないと言うだけだった。組織化や連帯どころか、言語化すらままならない漠然としたルサンチマンに突き動かされて、彼らは自分たちの存在の承認を求めていた。また世界を驚かせたのは、そのような差別的事態が、労働者の権利が手厚く保護されていることで名高い国で起こったことだった。
破壊はむしろ彼ら自身に向けられていた。燃やされた車や学校は裕福な地域のものではなく彼ら自身が属する階層が苦労して手に入れたものだった。また、彼らは宗教的、民族的なコミュニティとしての特別な立場を主張したわけではない。フランス市民でありながら、そのように扱われていないことに対して、「俺たちを無視し続けることはできない」と知らせること。暴力が必要だったのはこの点においてのみだった。
印象的なシーンがある(動画)。主人公のヴィンツが鏡に映る自分に向かってガンをとばし、「オレに言ってんのか?」と自分に言いがかりをつける。攻撃性は明らかに自分自身に向けられている。自分の鏡像に拳銃を真似た指をつきつけ、トリガーをひく。消してしまいたいのは自分自身だ。つまり、自分たちを無視し、蔑む人間たちと同じ欲望を共有しているのだ。ヴィンツの攻撃性は彼の傲慢さを示すどころか、ヴィンツの情けなさ、惨めさ、無力さの裏返しだ。本来ヴィンツは小心な男で、でかいことをやるのは、いつも彼の想像の中だ。映画はそれをうまく見せている。
ヴィンツは結局、拾った拳銃をユベールに託したあと、私服警官の拳銃で撃たれて死ぬ。「憎しみの果てに」というよりは、思いがけない人間から偶発的な事故のような形で命を落とす。明快な憎しみと復讐のドラマを夢見ていたヴィンツは最後までそれに見放される。手に負えない憎しみの強度と、それに翻弄される人生の救いようのない軽さ。そのコントラストを強烈に印象付けてこの映画は終わる。(続く)
□「憎しみ」 LA HAINE (2) バンリューの現実とは
□「憎しみ」LA HAINE (3) メディアと憎しみ
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