
パリという国際的な観光都市が、凱旋門やルーブル美術館、エッフェル塔などのように歴史と密接に結びついたモニュメントに彩られているのは対照的に、バンリューには超ポストモダンというべき、つぎはぎの光景が広がる。「憎しみ」に次のようなシーンがある。団地のコンクリートの壁に、19世紀の詩人、ボードレールの肖像がグラフィック調に描かれている。それを背景にアラブ人のサイードがアメリカのコミック・ヒーロー、バットマンの話をしている。この組み合わせは、「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」どころではない。
移民の若者たちの現実は世界の大都市にどこにでもあるようなスラム化した高層住宅団地だ。そして娯楽情報としてアクセスしやすいのは、バットマンが象徴するグローバルなポップカルチャーなのだろう。彼らのルーツ(イスラムやアフリカ)から来るものでもない、彼らのホスト国、フランスの伝統でもない、彼らの第3の文化的な選択だ。彼らの文化的なアイデンティティーの構成にも興味が惹かれる。彼らが支持するフランスのヒップホップのあり方もその一面を見せてくれるだろう。
憎しみをめぐってはいくつかの論争があった。その中で興味深いものに、「パリ原色図鑑」を撮ったジャンルイ・リシェによるカソヴィッツ批判がある。「カソヴィッツは自分が経験していない世界を利用している。バンリューの映画はそこに住んでいる人々によって作られるべきだ」と主張し、「憎しみ」はサイエンス・フィクションだと言い放った。リシェ自身はバンリューの出身だという理由で、自分の映画こそが真のバンリュー映画だと主張している。
それに対してカソヴィッツは「3ヶ月前からロケ地に入って地元の人々と交流した」と反論している。エドワード・サイードはこのような直接的な経験を「経験の所有」という言い方をしている。抑圧され、差別される立場を特権化し、優位性を主張するという価値の転倒である。ヒップホップがその典型的な例で、荒廃と暴力のレベルが高いほど、憧憬の的になるということが起こる(少なくともヒップホップの初期においては)。映画の評価やその後の反響において「憎しみ」はリシェの作品をはるかに凌いでいるのに、カソヴィッツが苦しい言い訳をしなければならないのは、よそ者であるという引け目の意識から逃れられないからだ。
ところで、リシェの主張する正当性とは何だろうか。バンリューという客観的な現実があり、バンリューの住人でなければ、その現実がわからないということだろうか。しかし、リシェは結局ある実体論的な固定物としてバンリューを捉え、自己言及的に自分と自分の作品を権威付けているだけである。それは何も変えないだろうし、それどころか共同体をマイナーなものとして固定し、維持させる力として働くだろう。バンリュー映画が存在するとすれば、誰もが関心を持てるように外に開かれるべきではないのか。カソヴィッツについて言えば、他者としてバンリューにどう向き合い、そこに何を読み取っているか。そしてそれをどのような形で見せているかが問題なのだ。
バンリューという現実があるとしても、それは個々の経験によって不断に設定され、積み上げられていくものだ。またバンリューの暴力をひとつの抵抗として美化すべきではないし、暴力が告発や顕揚としてのみ表現されるべきではない。
一昨年の秋の暴動が明らかにしたように、バンリューは共同体的な一枚岩ではないし、そこで起こった暴力も抵抗と連帯の結果では必ずしもなかった。しかし、そこにある問題は私たちが決して理解できないものではなく、私たちが抱えている問題と共通するものさえ見出せる。(続く)
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