
オスマンは19世紀半ば、大規模な都市改造で混沌としたパリを一望監視できる均質な空間に変貌させることに成功した。相変わらずパリは歴史的モニュメントが絶妙に配置された小さな箱庭のように見えるが、今やその中をかつてありえなかった様々な人々が行き来し、そこで生まれる多様な関係性が、パリを近代とは別の次元へと導いている。18の作品が相乗りするオムニバス形式はそれを多面的に捉えるひとつの有効な方法だろう。最後にそれを結びつける仕掛けも用意されている。(この先は映画を見てからお読みになることをお薦めします)
■12区、バスティーユ
まさか、赤いコートのポスターがこんな話だとは思わなかった。夫は妻の特異性に惹かれた。変な女は妙に気になるのだ。女の妙な仕草や癖は思い切りツボにはまり、離れられなくなる。最初それが最も許せない部分であったなら、なおさらのことだ。それは理屈ではない。死の病はきっかけでしかなかった。それにハマってしまったら、美しくて若い客室乗務員の愛人さえ問題にならないのだ。
女の好きな小説はハルキ・ムラカミ(それも「スプートニクの恋人」)、好きなブランドはアニエス・べー。それもバーゲンで買う。つまり、赤いコートはアニエス・べーで、こういう外見に無頓着な女が何とかのひとつ覚えで着るようなブランドになってしまったのね。
妻は自分ではデザートを注文しないのに、夫の分を食べてしまう。それで夫は妻の好みのデザートを注文するようになり、自分の好みがわからなくなってしまった。デザートに何を選ぶかというのはフランス人でなくとも、アイデンティティーを賭けた重要な選択なのだ。個人的にもこういう苦々しい思いを知らないわけではない。そう、それは十分に離婚の理由になりえるのだ。
また別れを決めるときのように、感情が絶対的に高まっているときは、どちらの方向にも簡単に振れやすい。感情は容易く反転する。憎しみや嫌悪、愛情や親密さ。対立し、矛盾する感情も結局は絶対値で計られる。別れ話をするつもりで会ったのに、なぜかそこで結婚を決めてしまったという友人の話を思い出した。
こういう男の哀愁が身にしみる歳になってしまった。バックに流れる音楽も哀愁たっぷりだ。日本だと寺尾聡の「ルビーの指輪」(古い)なんかが流れてきそう。
■5区、セーヌ河岸
イスラム女性の口から語られることに青年は新鮮な驚きを覚える。ジーンズをはき、へジャブ(スカーフ)をかぶる今風のイスラム女性だが、これほどミステリアスな存在はない。彼女たちがどのように現代の神なき資本主義社会と折り合いをつけているのか、非常に気になるところだが、青年や彼の友達のように、常に男性の支配下にあり、強制的にヘジャブを被らされているという偏見を抱きがちだ。また彼女たちは常に慎ましく、何よりも「語る主体」ではないと思いがちだ。しかし、彼女はヘジャブについて次のように力強く語る。
Si je veux être jolie, c'est pour moi. Quand je les(=hijjab) porte, j'ai un sentiment d'avoir une foi, identité. Je me sens bien, et je pense que c’est ça, la beauté…
それにしても主人公の爽やかな好青年ぶりと、女性の美しさと芯の強さが、ちょっと出来すぎかなという印象を与える。どちらかというとこの先の展開が重要だろう。このテーマで1時間半とか2時間の映画が撮れるだろうか。(続く)
□公式サイト(フランス版、予告動画あり)
□公式サイト(日本版、予告動画あり)
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