フランスでは、国王フランソワ1世(在位1515−1547)の命を受けたジャック・カルティエが、1534年にフランスのブルターニュ地方のサン・マロの港から出航、ニューファンド島を探検し、プリンス・エドワード島を発見した。そして、さらにセントローレンスの河口、ガスペ半島に到達し、十字架を建ててフランスの領有として、付近を「ヌーヴェル・フランス」(Nouvelle France)と名付けた。カルティエは翌年、現在のケベック州都ケべック市(仏語:Ville de Québec、英語:Quebec city)、さらにモントリオール島付近まで河を遡り、越冬している。
1608年、アンリ4世(在位1589−1610)の意向に従って、サミュエル・ド・シャンプランが、ケベックに植民地を建設した。フランスでは当時、貴族の栄誉を表すのに毛皮の礼装用帽子が流行していた。北米大陸のビーヴァーは、毛が密ゆえに、その毛皮は上質だった。ケベック植民地は、主に毛皮交易の居留地となった。1642年に出来たヴィル・マリー(のちのモントリオール)の毛皮交易所は、五大湖にまで水路で辿れることから、先住民との取引の中心地となり、フランスの探検家の拠点になった。
「太陽王」と呼ばれたルイ14世(在位1643−1715)の時代に、フランスは絶対王政の最盛期を迎える。ルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿を建てたことで有名だが、植民地にも大掛かりな投資を行い、1663年には「ヌーヴェル・フランス」を王領直轄地とした。ルイ14世にとって、植民地は重要なフランスの財産であり、関心事だった。植民地は、五大湖周辺から、さらにミシシッピー川流域に拡大した。その一部であった現在のアメリカの州、ルイジアナは、ルイ14世の名に因んでいる。ケベック市の旧市街、Place Royale(王の広場)は、毛皮交易所のあった場所でケベック市発祥の地。その中心には、ルイ14世の若き胸像がセントローレンス河の方を向いて建っている(写真、上)。毎夏8月初めの「ヌーヴェル・フランス祭り」の期間には、フランスの建築様式の建物に囲まれた旧市街は、ルイ14世時代の衣装を着た人達で賑わう。フランスの貴族、聖職者、村娘、薬草売り、毛皮商人など(写真、中下)。貸し衣装あり、自前ありで、ケベックの住民、観光客が一緒に、古き良き「ヌーヴェル・フランス」時代を偲んで楽しい時を過ごす。
ルイ15世(在位1715−1774)は、曽祖父ルイ14世の積極政策を引き継ぎ、ヨーロッパでの戦争に参加して、領土の獲得に励んだ。ヨーロッパでの英仏間の緊張は、やがて、北米の地で、オハイオ川の支配をめぐって、1755年にフレンチ・インディアン戦争として勃発、1760年のイギリス軍勝利により終結した。1763年パリ条約で、フランスは「ヌーヴェル・フランス」を失った。しかし、1774年のケベック法でイギリス支配下のフランス系住民の宗教の自由・言語が守られ、イギリス連邦加盟国カナダのケベック州においては、公用語はフランス語で、フランスの文化、生活習慣が、今も息づいている。Sophie
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