トランティニャンといえば、確かに1970年代を代表するフランスの俳優の一人だった。クロード・ルルーシュ監督の『男と女』(1966年)の驚異的な成功のために、主演のトランティニャンとアヌーク・エーメの名前はフランシス・レイのテーマ曲と共に世界中に知れ渡った。いま観直してみれば全ての場面が甘すぎて、殆ど出来のいいビデオクリップにしか見えないこの映画も、70年代には世界観を変えるほどのインパクトを観客に与えたようだ。主演の二人はこの映画でのイメージをいまだに引きずっているようにも見える。いまだに「フランス映画」といえば『男と女』とつぶやく人がいるくらいだから、一つの映画がもつイメージの大きさとは不思議なものである。しかし、トランティニャンといえば忘れられないのはベルトルッチの『暗殺の森』(1970)であろう。原作はアルベルト・モラヴィアの『順応主義者』。舞台は第二次大戦前のパリ。少年時代の不幸な経験が引き金となってイタリアのファシストの手先となったある男が主人公。反ファシストとして活動するかつての大学時代の恩師を暗殺するために彼は新婚旅行を装い、妻とパリにやってくる。教授夫妻と親しくなった男は暗殺の機会を伺うが、その機会はいつになっても訪れない。ついに、別の組織が暗殺を決行することになったため、それを妨害するために彼らを追跡に森へと向かうが、暗殺の場面で教授夫妻を見殺しにする。その数年後、イタリアのファシスト政権は瓦解。ついに彼は何もなすことが出来ず、何者も助けることも出来ず、何者も信じることが出来ず、ただ「順応主義者」でしかなかった自分自身の姿を知ることになる。
自らのなすことに決して自信を持ちえず、ただ与えられた使命に従って彷徨い歩くにすぎない病的な主人公。この複雑な役を演じられるのはトランティニャンを措いて他には考えられなかっただろう。それほど彼はこの役の中に同化していた。この映画はベルトルッチの演出、ストラーロの撮影が完璧と言ってもいいほどの高度な出来栄えを見せた映画だったが、それ以上にトランティニャンという俳優の存在は大きかった。彼を主役に得て、この映画は初めて実現可能になったと思える。これ以外では、エリック・ロメールの『モード家の一夜』(1969年)、フランソワ・トリュフォーの遺作『日曜日が待ち遠しい!』(1983年)なども彼ならではの作品となっている。
近年、我々が久しぶりにトランティニャンの姿を見ることが出来たのは、クシシュトフ・キエシロフスキ監督の『トリコロール』の中の一作「赤の愛」(1994年)であったから、それももう10年以上前のことになる。主人公の女性(イレーヌ・ジャコブ)に絡む、謎の老人の役をトランティニャンが演じていた。もう相当に顔に皺が増え、顔つきも幾分変わってしまったように思えたが、トランティニャンはやはりトランティニャンであった。
一見、とっつきにくそうな気難しい老人のようでありながら、様々なことに思いをめぐらし、深い人間性を湛えている男。しかし、その男の真の姿はやはり謎に包まれている…。こういう人物はやはりトランティニャンでなければ演じきることが出来ないだろう。トランティニャンが画面の中に現れるだけで、作品内の空間自体が奥行きを増して行き、物語は観客のあずかり知らぬ遥かかなたへと向かっていくように思われる。そこにいるだけで映画自体を変えてしまう男。それがジャン=ルイ・トランティニャンなのだ。「赤の愛」が『トリコロール』三部作の中で最も不可思議な魅力を持つ作品になったのは言うまでもない。
近年のフランス映画がつまらないのは彼のような俳優がいないからではないか?ドパルデューはもちろんのこと、ダニエル・オートゥイユらの演技は余りにも分かり易すぎるのだ。ヴァンサン・ペレーズやブノワ・マジメルにトランティニャンの境地を目指せというのは酷かも知れないけれども…。
不知火検校@映画と音楽のひととき
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「燈台守の恋」と「トリコロール/赤の愛」そして「ふたりのベロニカ」を見て彼女達の素晴らしい演技を拝見しました。
クシシュトフ・キェシロフスキ監督の大ファンなので、今でももし今彼がまだ健在に生きていればと残念に思います。