『ある愛の詩』(1970年)という映画を語る人はいまや皆無に近いのではないだろうか。一昔前まではテレビでもよく放送されていたが、最近は観ることはまずない。忘れられつつある映画の一本である。しかし、今にして思えばこれこそ究極の70年代映画と呼ばれてよい作品かもしれない。主人公はハーバードに通うエリート大学生。しかし、恋に落ちた相手が白血病のため余命幾ばくもないということを知ると、周りの反対もよそに献身的に彼女に尽くし、その愛を貫く…。こうして書くと殆ど近年流行した韓国ドラマの設定であるが、この映画を世界中の人間が深い感動と共に観たというのだから、まこと70年代というのは良い時代であったと思う。アメリカという国はかつてこういう映画を作ることも出来たのだが…。さて、この映画で主役の青年を演じ、一躍世界に名を知らしめたのがライアン・オニールという俳優であった。そう、1970年代とはまたライアン・オニールの時代でもあった。
その後、オニールが愛娘テイタム・オニールと共に出演したピーター・ボグダノビッチ監督『ペーパー・ムーン』(1973年)も娘の天才的演技も話題となってこれまた大ヒットとなり、ライアン・オニールは飛ぶ鳥を落とす勢いとなる。娘のテイタムも様々な映画に出演し(懐かしの『がんばれ!ベアーズ』(1976年))、一時オニール父娘はアメリカ映画界の命運を握る存在とまでもてはやされた。そんなライアンが何かの間違いで出演してしまったのがキューブリックの『バリー・リンドン』(1975年)であった。
キューブリックとライアン・オニール。片や映画界の鬼才。片や実力よりも人気が先走る若手俳優。これほど不釣合いな組み合わせも珍しい。しかし、天才キューブリックにとっては役者が誰であろうが問題はなかった。彼の世界に染まれるものならば、ジャック・ニコルソンであろうが、トム・クルーズであろうが役者は誰でもかまわないのである。そして作品は大方の予想を超えて傑作として仕上がるのである。
2007年の冬、パリのMax Linder Panorama(9区、ポワソニエール大通り24番地)その他の劇場においてニュープリントで再公開された『バリー・リンドン』はいまでも伝説的な映画として語りつがれる一本である。18世紀のヨーロッパが舞台。片田舎で生まれたバリーは軍隊生活や貴族の執事など様々な運命の変転を繰り返す。何の因果か美しい貴族の未亡人と結婚をし、人も羨む裕福な生活を手に入れるが、運命は過酷な最期を彼に突きつける…。サッカレーの小説を自在に作り直したキューブリックの映画は、その映像の美しさで常に賞賛され続けてきた。当時の技術では不可能であった蝋燭の灯りの中での撮影を、NASAの機材を借りて実現したという話は映画ファンならば誰もが知る有名な話である。とある貴族の館の晩餐会でのトランプ遊びの場で主人公バリーがリンドン夫人と劇的な出会いを果たす場面は、その類い稀なる美しさゆえに映画史上に名を成す場面であり、マーチン・スコセッシを始めとする映画監督をも驚嘆させてきた。確かにこの場面を見るだけでもこの映画を観る価値はあるかもしれない。また、リンドン夫人を演じるマリサ・ベレンソンの美しさには誰もが息を呑むのではないだろうか。彼女はこの作品を超える作品にその後出演していないのだが、それでも十分なのではないかと思わせるほど、この映画は彼女にとって究極の一本となっている(それでも1990年のイーストウッド監督作品『ホワイトハンター・ブラックハート』で彼女を見ることが出来たときは感動したものだ。さすがクリントである)。
『バリー・リンドン』は『博士の異常な愛情』(1964年)や『2001年宇宙の旅』(1968年)、『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)などと比べれば、キューブリックの映画としては地味な方かも知れない。しかし、歴史公証の正確さと細部へのこだわり、前編にちりばめられたユーモアと皮肉、あらゆるショットの完璧さ、美へのこだわり、そして一人の人間の生き様を飽くまで突き放したように描こうとする点からして、やはりキューブリックの映画にしかない独自性があるといわざるを得ない。ライアン・オニールはこの奇跡的な物語の主人公を見事に演じきっている。彼はこの映画に出たことにより、映画史に名を残すことになったと言ってもいいだろう(かつてフランスの歌手ジョニー・アリディがゴダールの『探偵』(1985年)に出たときにつぶやいたと言う。「これで俺の名前も永遠になった…」)。
あの頃の栄光に比べて、最近のライアン・オニールの凋落振りはどうしたことだろう。昨年、オニールが自宅で息子に発砲したというニュースが流されて、悲しい気分になった。最近はテレビで活躍しているそうだが、どうかもう一度、スクリーンの中であの姿を取り戻してもらいたい。
不知火検校
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