
まずはこの引用からご覧ください。現在の経済不況に悩む人たちの度肝を抜いてしまうような指摘だと思います。
「たいていの人は、借金しなければ利子を支払う必要はないと信じています。しかし、私たちの支払うすべての物価に利子部分が含まれているのです。(…)例えば、いまのドイツでなら、1戸あたり18,000から25,000マルクの利子を支払っています。年収が56,000マルクあるとすると、その30%も利子として負担していることになるのです」(『エンデの遺言』p.66 強調は引用者)
これは1990年代末のドイツを直接的な話題としていますが、現在でも状況はそれほど変わってないことでしょう(むしろ悪化してるのかな?)(註1)。この記述をはじめてみた10年前のぼくも、おそらく驚いたことと思いますが、たぶん「へえ、社会ってこうなってるんだ」くらいの印象しかもたなかったのでしょう。ところが、現在の不況下において読み返してみれば、ちょっと見逃せない指摘です。つまり、今日日本人のほとんどは「借金まみれ」の生活をしているのですね。このことを別角度からみると、つまりかりに利子がなくなれば大多数の人々の実質所得がアップしてしまうことになるのです(註1)。
話を分かりやすくするためにモデルを単純化してみますが、ある社会において
個人の平均年収→400万円
個人の平均的所有資産→1000万円
個人年収のうち利子支払い分→30%×400万円=120万円
銀行の預金金利→1%
可処分所得→収入の75%
(※極力いま現在の日本の状況に近似させてみました。銀行の預金金利はもっと低いけど…。また「可処分所得」ってのは収入のうち財・サーヴィスの購入にあてる分です)

かなり単純化したモデルでの説明となりますが、もしも利子を撤廃した場合、平均的日本人は支払利子30%分、だいたい120万円を「借金の支払い」でなく、自分のために使えるようになるというわけですね。こうしてみると日本人のほとんどは「借金まみれ」の生活をしていることがわかります。もちろん別の側面から利子の恩恵を受けているのはたしかです。上のモデルだと1000万円×1%=10万円。と10万円分の所得もあるのですが、それを軽く凌駕する支払いをしなければならないのです。
まったく、「利子恐るべし!」ってかんじです。一般庶民が利子を身近に感じることがあるとすれば、貯金をするときか、家や車を買うために銀行からお金を借りるときぐらいでしょう。ところが、利子の奴ときたら、するすると日常品の価格にまでひっそり入りこんでさえいて、庶民の生活を圧迫します。
またこのことを別角度からみることも大事です。つまり、ではこの30%の恩恵を受けているのはだれかということです。支払う人がいるなら受けとる人もいるはずです。
答えはもちろんお金持ちです。より正確にいえば資産家や投資家であり、うえのモデルで説明すると支払利子よりも受取利子が多い人たちにです。たとえば、先ほどのモデルをつかいほかの条件は固定したままで、資産だけが異なる人物を想定しましょう。Aは1億円の資産もっていてこれをすべて銀行に預けているとしましょう。この場合、Aは1億円×1%=100万円ですから、受取利子と支払利子は、まぁ、ほぼおなじです。ところがBは10億円もっているとします。この場合、Bは1000万円の利子を受けとることになります。Bにとっては利子様様ですね。もちろん金持ちほど出費も多くなり、実際にはより多くの「支払利子(消費額がアップするほど支払利子もアップするので)」が発生しますが、とにかく、大多数の庶民は普段から「利子」を払いつづけ、ごく一部のお金持ちがこれを受けとっていることになります。
こうしたことを知れば、とある政治家の構造改革のせいで日本に「格差社会」が生まれたというのは正確ではなく、せいぜい「加速」させた程度ということがわかります。利子を前提にした社会にはそもそもシステム上、「格差社会」が内在しています。一方で、資産家=金持ちはなにもしなくてもお金を預ければどんどんお金が貯まります。そのなかにはMoney WorkならぬMoney Gameで、庶民の感覚では理解できない投機的なお金のやりとりで、数字が変動するのに一喜一憂してる人々もいます。他方で、大多数の庶民(=利子による儲けより損が多い人々)は働いて働いて苦労して家のローンのために利子を払い、さらに日常品を買う際にもそういったお金持ちのために利子を支払い続けます。まったくなんて世の中だってかんじですね。

ただ、以上もって「利子制度が、私たちの生活を追い立て圧迫する諸悪の根源だった!」といえば、それは間違いではありませんし、もう少し控えめに「結局利益を得るのは巨額の富をもつ投資家や資産家だけじゃないか!」というのならそのとおりですが、だからといって、利子を撤廃すればすべての問題にケリがつくかといえば、事はそう簡単ではありません。ここがむつかしいところです。つまり利子をなくせば大多数の人々は救われるのかといえば(とある信念の持ち主で、そう主張する人もいるでしょうか…)、ぼくは微妙だと考えています。
その理由ですが、たしかに利子率を撤廃すれば、現代人のほとんどは30%の「借金生活」から解放されます。現代人が生きているだけでなにか切迫した気持ちになってしまうというのは、潜在的にはこの「利子」のせいもあるんじゃないかなと個人的に思っているのですが、とにかく生きているだけで「負債」を負ってしまう社会からは解放されます。
ただ、その社会に住んでいると、しだいにモノがなくなっていくことを実感することになると思います。食べるモノ、着るモノには事欠かない社会になるかもしれませんが、たとえば車のような、莫大な資本を必要とする企業がつくる製品を所有する人々は確実に減ると思います。
その理由を説明しますと、利子率のない社会では大企業がなくなってしまうからです。大企業がなくなるって、いいことじゃないか(「普段からボロ儲けしやがって。いい気味だ」とかなんとか…)という人もいるかもしれませんが、べつの言葉で置きかえると、多額の資金が必要となるプロジェクトはほとんどなされなくなるはずです。
その根拠としては、お金を貸す人々が激減するだろうからです。友人、知人にならともかく、見ず知らずの人に「利子もなく」お金を貸すなんてことなんて、まずしなくなるでしょう。余裕のある金持ちならともかく、貧乏人ならなおさらです。というのも、その社会ではお金を貸す行為自体に「損」が内在しています。つまり人に貸すお金があるなら、そのお金をつかって英会話学校に通うなりして自分のスキルを磨いたほうが、将来より多くの収入をえられる可能性が高くなるからです。このように利子のない世界では、お金というのはそれこそ「タダでは貸さない!」つまり自分のためだけに使うほうが得という性質をもつようになり、この意味で、現代社会において種々様々なモノを提供してくれている大企業が発生しにくくなってしまうのです(註2)。
もちろんこの社会においても自分に身近な人たちには、家族愛や友情、義理などから、お金を貸すこともあるでしょう(これは、私たちも普段から実践していますよね?)。けれども、見ず知らずの他人に貸すとするなら、むしろ「施し」に近いものとなります。「(自分の利益=成長を省みず)見ず知らずの他人が成長するのを助けてあげる」というわけですね。もちろん、もしも「他人の成長」が「社会全体ひいては自分の利益」に合致するようなものであれば、人々はこの社会でも他人にお金を貸すこともあるでしょうが、いずれにしても借りるほうからすれば現在よりも「資金調達」がかなりむつかしくなるはずです。このように、利子率のない社会では、一方で人々は日々「借金」に追われることはなくなるでしょうが、他方でなにかの事業をしようにもなかなか資金が集まらないということになってしまいます。つまり皮肉なことに、現代の私たちは「借金生活」を代償として「モノにあふれた豊かな社会」に住むことができているというわけですね。
つまるところ、一般庶民にとって利子は「諸悪の根源!」でも「ないと困ってしまう…」となんとも罪作りな必要悪であることがわかりますが、じゃあ、この問題をすこしでも改善する道はないのだろうか。ここで登場するのが「地域通貨」です。いろいろな制約があり、万能薬とまではいえないのですが、すくなくとも「人と人との出会い」がむつかしくなった現在の不況下にある私たちにとって、一考に価するアイディアになると思います。
これについては次回に。
註1:「この利子30%ってなんのこっちゃ?」ついで「なんでこんなにあんねん?」という疑問がでてくると思いますが、ぼくもそうでした。ということで、なぜそのようになるかを考えてみました。
最初の疑問についてですが、「借金しなければ利子を支払う必要はないと信じています。しかし、私たちの支払うすべての物価に利子部分が含まれているのです」ということは、住宅ローンなどはこの文脈によれば「利子分」には含まれないことがわかります。ということはモノやサーヴィスを受けるときの対価、つまり「生活必需品」や「ぜいたく品&サーヴィス」を消費したときに支払う対価に「利子分」が含まれているということでしょう。つまり、モノを買うときに利子を支払っているということです。
ついで、「モノを買うときにまで利子を払っているとして、それが数%ならならまだしも、30%てどういうことや」と第二の疑問が出てくるわけですが、これを理解するために以下のようなモデルを考えてみました。結論からいえば、利子のある世界ではモノのやりとりのたびに利子分が累積され、そのため現代ではそれが30%になっているのではないでしょうか。
ある社会の銀行利息率が年率10%で固定されていて、さらにどの企業も銀行からの借り入れで事業を開始するとします。おなじくこの社会における企業はいずれも良心的で、生産費用(人件費とか)と利息分だけを製品価格に反映するとします。また企業は「利息分10%」とほぼおなじ程度成長しているとします(「自然利子率(社会の成長)」と「名目金利(銀行の利息)」の問題になるのでしょうが、以上の記述がややこしいと思う人は、要は企業が自然=社会の成長にしたがっていてそれ以上の損も得もしていないモデルだと考えてください…)。
この場合各企業は損をしたいのでもなければ、製品価格に利息分をモロ上乗せします。まずA社は銀行から利息10%で10,000円を借り、材料(価格10,000円)を仕入れます。これがたとえば自動車業界をモデルに以下のように続いていくとすると…
A*孫孫孫受け自動車部品製造業者:原価10,000円 →販売価格11,000円
(A社の支払う利子1000円)
B*孫孫受け自動車部品製造業者 :原価11,000円 →販売価格12,100円
(B社の支払う利子1,100円)
C*孫受け自動車部品製造業者 :原価12,100円 →販売価格13,310円
(C社の支払う利子1,210円)
D*自動車メーカー :原価13,310円 →販売価格14,641円
(D社の支払う利子1,331円)
となります。この場合、消費者は販売価格のうち4,641円(約30%)を利子分として支払うことになるのが分かると思います。(内容を分かりやすくするために利子率を10%にしたので、たった4回の取引で利子が膨張してますが、現実社会ではより低い利率で、よりたくさんの取引で「30%」になっているはずです)。
註2:「大規模なプロジェクトは、国家プロジェクトとして国に任せればいい。そのための国家じゃないか!」という人もいるかもしれませんが、「ソヴィエト連邦」など似たようなことを実践していた国家の多くはすでに崩壊してしまったことを忘れてはならないと思います。当書においてエンデは「マルクスの最大の誤りは資本主義を変えようとしなかったことです。マルクスがしようとしたのは資本主義を国家に委託することでした」(p40)と述べています。ぼく個人の意見では、人間が「性善説的」であれば共産主義はパラダイスだと思いますが、実際はなぁ…。みなさん、そもそも「国」を信用できます?
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