久々に映画館へ行き、新作映画を観ました(フランス映画ではないのですが・・)。クリント・イーストウッド監督が硫黄島を舞台にして制作した戦争映画二部作の第1部、「父親たちの星条旗」です。太平洋戦争末期、アメリカ軍が硫黄島への上陸作戦を展開するなかで撮られた歴史的に有名な写真にまつわる物語です。その写真は全くと言っていいほどドラマティックでない状況下で撮影されたにもかかわらず、そこに写る兵士たちは、アメリカ本国で「英雄」として祭り上げられ、戦争の資金を集めるための格好の材料とされてしまいます。写真に写っていた6名の中で、生き残って帰国した3人(ドク、レイニー、アイラ)は、「英雄」扱いとされることに違和感を覚えながらも、国債を販売して費用をかせぎ、いまだ最前線にいる戦友たちを助けなければならない、という思いで各地を回ることになりますが、何かにつけて戦地での経験がフラッシュバックしてきます・・
ブルーグレーがかった色調でかなりの時間を割いて繰り広げられる戦地でのシーンは、非常にグロテスクなものも多々ありますが、全体として淡々と描かれています。製作にスティーヴン・スピルバーグが参加しているので、このあたりではスピルバーグ色が強く感じられ、「プライベート・ライアン」などの作品と比較されることも多いようですが、感情的な要素は極力抑えられており、そのために名もなき兵士たちが、単なる「モノ」として扱われる悲惨さが強く迫ってきます。「戦死」とひとくくりにされる者たちのなかには、味方に見放されたり撃たれたりして命を落とす兵士たちもいて、これでもか、というくらい見せつけられるこの戦闘シーンにむなしさ、やるせなさをいやというほど感じさせられます。
生き残った3人を演じたのは、いわゆるビッグ・ネームの俳優ではありませんが、それぞれ感じのよい演技をしていました。中心人物となるドクを演じたライアン・フィリップはヒーロー扱いされてとまどっている普通の人、という役柄にぴったりだったと思います。また写真に写っていたなかで戦死した一人のマイク役のバリー・ペッパー(「25時」などに出演)も皆に慕われるリーダーを好演していました。なかでも胸を打つのはネイティヴ・アメリカンの血を引くアイラを演ずるアダム・ビーチで、彼の流す涙にもらい泣きした人も少なくないでしょう。来年のアカデミー賞候補になるのでは、と思っています。
戦闘時、帰国後、終戦後、そして現在、と4つの時間が交錯するために、特に最初のほうは物語を追うのに混乱するのと、終盤が少々長引かせすぎかな、というのが難ですが、終始ニュートラルな視点で戦争を見つめるイーストウッド監督の姿勢には感服します。このような内容の映画がいまのご時世でアメリカ資本で作られたことにも驚きですが、逆にこのようなスケールの作品はアメリカでしかできなかったでしょう。
第2部の「硫黄島からの手紙」は、早くもLA批評家協会最優秀作品賞を受賞しました。渡辺謙、二宮和也、中村獅童ら日本人俳優が出演するこの作品は、「父親〜」とは逆の日本軍の立場から作られたものです。「父親〜」では、日本軍はほとんど具体的に登場せず、「匿名」と化した存在だっただけに、こちらの映画ではどのように扱われているか興味深いです。この作品も近々鑑賞予定ですので、感想をまたお伝えできれば、と思っています。
exquise@extra ordinary #2
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今年度ある大学の授業でフランス映画を題材にしたテキストを使っています。そこでは色々な時代の作品が取り上げられていて、毎回その一部を学生さんたちとビデオで観ているのですが、フランス映画にはいわゆる「二枚目」というのが案外少ないなあと思います。美男子よりも印象深いとかアクが強いとかどこか特徴ある顔立ちの男優(そういう男優たちはおのずとキャラクターや演技も個性的なんですが)のほうが受け入れられるのでしょうか。そんななかで、逆に一人異彩を放っているのがジェラール・フィリップ Gérard Philipe でしょう。授業では彼の最も若い頃の出演作である「肉体の悪魔」(1947)を鑑賞したのですが、それから現在に至る60年近くの間にこんなにきれいな顔をしたフランス男優はそう出現していません。
私の好きなジェラール・フィリップの出演作は、その明るい一面が見られる「夜ごとの美女」(1952)です。周囲の人々や生徒たちに馬鹿にされる、貧しくてさえない音楽教師クロードが、夜ごとに見る夢のなかではさまざまな時代の美女たちと恋を楽しむ、というストーリーで、下町で暮らしているという設定ながらもどこか育ちのよさを感じさせる青年の役柄が楽しそうに演じられています。ルネ・クレール監督の映像や笑いのセンス(「昔はよかった・・」という老人のセリフとともに時代が逆行していくところなどは秀逸です)も冴えていて、コメディ映画の傑作といえるでしょう。「愛人ジュリエット」(1950)のような不幸な青年役(この映画も泣けます)や、「狂熱の孤独」(1953)のような汚れ役も魅力的ですが、南仏育ちの彼にはやっぱりこういう屈託なく若々しい役がぴったりだと思います。
奇しくも今回の投稿日はボジョレー・ヌーヴォー解禁の翌日。最近のフランスではワイン離れが目立っているというし、先日の
昨今の映画界においても最も勢いがあるのは、おそらく中国でしょう。北京五輪に向けて急速に発展しつつある国の内情を反映するがごとく、新しいタイプの作品が次々と生み出され、世界各国の映画祭でノミネートされる数も少なくありません。日本でもおなじみのチャン・イーモウ(代表作:「初恋のきた道」「HERO」「
ジャ・ジャンクー作品では、激変する中国社会に生きる若者たちがたびたび取り上げられていて、この作品の主人公シャオジイとビンビンもそうです。大同という地方都市に暮らし、北京へのあこがれを抱きつつもやはりこの土地を離れられない二人の顔にはなんと生気がないのでしょうか。職にもつかず行き当たりばったりにその日を暮らす彼らには、未来への期待も希望もあまり感じられません。都市が活気づき豊かになるなかで、「今」をただ生きるしかない若者たちの姿を象徴しているのが、この二人のうつろな眼差しなのです。二人を演ずるのは素人の役者なのですが、彼らを選んだ決め手となったのは、強い印象を与える彼らの目だったと監督はあるインタビューで語っています。
実はこの作品は北野武監督の映画プロダクションであるオフィス北野がサポートしています。かつてジャ・ジャンクーは「あの夏、いちばん静かな海。」に感動したそうで、彼の作品にも北野作品に通じるクールさが感じられます。一方で、映画終盤にはゴダールの「気狂いピエロ」のラストシーンを思わせる場面があるのですが、その後の展開はあまりにもお粗末で、二人はジャン=ポール・ベルモンド演ずるフェルディナンのようにカッコよく自分の生活にケリをつけることもできません。そのようにクールなまま映画を終わらせないこの若い監督のセンスに、これからも大いに期待したいです。

ロバート・ワイアットは1945年イギリス生まれ。もともとソフト・マシーン、マッチング・モウルというジャズ・ロックグループのドラマーでしたが、73年に転落事故に遭って下半身不随の身となりました。車椅子での生活になってから、彼はソロ・シンガーとして新しい音楽人生をスタートさせ、今でもすばらしいアルバムを発表し続けています。
ミニュイ社 Les Éditions de Minuit は、かつてアラン・ロブ=グリエやミシェル・ビュトールといった「ヌーヴォー・ロマン」の作家たちや、『ゴドーを待ちながら』のサミュエル・ベケット、また最近では日本でもおなじみのジャン=フィリップ・トゥーサンやジャン・エシュノーズなどの、ユニークな作家の作品を世に送り出してきた出版社です。白地に青い星印のシンプルで美しいその装丁の本は、モード写真の小道具としてたまに登場していますから、書店ならずとも、雑誌で目にした人も多いかもしれません。
さて先日、今年のサマーソニック出演者の紹介番組を見ていたら、気怠くてどこか懐かしい感じのする音が、おそらく中国人と思われるカップルを扱った退廃的な映像とともに流れてきました。それは