2011年04月30日

4月の一曲 『あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ』 Crazy Ken Band

春、それは動かなければならない季節。特に今年は、いろいろな意味でやならければならないことが積み上がっているように思います。そんな日々、聴いているのがこの一曲。

甘い日々/あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。上から大声で叫ばれても、叱咤激励されてもかえってめげちゃうものですが、すんなり耳に入ってきて、身にしみます。控えめな笑顔で「がんばらなくっちゃね!」と言われて、ついうなづいてしまう、そんな心持ち。

歌詞に秘密があるのかもしれません。さらっとしているようで奥が深い。例えば、登場する「君」とその「不在」は、聴く人の心持ち次第でいかようにも「読み替え」ができます(Sheでなくってもいいのかもしれない?!)。サビの「彼女曰く」の部分の微妙な言い回しの違いも、ニクいですね。相手へのパーソナルな気遣いも感じます。

やる事と、要求される努力との両方のプレッシャーに悶々とする夜が明ければ朝が来る。起きて、顔洗ってスカッとして、家を出る。玄関から一歩踏み出すちっぽけな勇気に、この曲は応えてくれます。あれこれ言うだけの人はほおっておこう。やるときゃやならきゃダメなのよ。

「思い切って見上げた明るい空」を音で描いてみせたのもこの曲のすごいところ。春のやわらかくて、どこまでもひろがってゆきそうな空と、軽やかな曲調がぴったりマッチします。

聴いてみたい方はここでどうぞ。

http://youtu.be/dwPGgpm5Gjc



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2011年04月27日

Une Anti-Actrice の死

アニー・ジラルドの死を伝える記事はあっけないくらい小さかった。彼女の残した仕事より、晩年の境遇(アルツハイマー病を患っていた)が目につく短文。しかし、それもしかたないことなのかもしれない。今、どこのレンタルショップを探しても、華やかに活躍していたころのアニー・ジラルドの代表作は棚にならんでいない。誰、それ?と言われて「こんな人です」と差し出せる DVD がないなんて。
 
anti-actrice01.jpgフランスでのアニー・ジラルドは、歌の世界のエディット・ピアフに比肩するとも評される、押しも押されぬ大女優。『パリ・ヴォーグ』90周年記念号で再録されたスター女優のインタビューでも、BB とリズの間に挟まれて登場していた。100本を超えるフィルモグラフィー(その多くが日本未公開)は、彼女がどれほどフランスの観客の心をつかんできたかを物語っている。
 
なにがアニー・ジラルドを「別格」にした? 役を選り好みしないひとだったから(特殊メイクをして、「猿女」と見せ物にされる毛深い女性を演じたこともあり)? 喜劇も悲劇もなんでも見事にこなす役者だったから? かざらないキャラクターも一役買っていたかもしれない(「シャネルやカルダンの服は持ってないけど、イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュではちょくちょく買物するのよ。」)しかし、彼女がいわゆる「映画スター」と一線を画する存在になれたのは、仕事に対する確固たる姿勢のおかげではないかと思う。
  
インタビューで、アニーはこう語っている。「私は「アンチ-女優」なの。ファム・ファタルとか演じる役柄にはこだわらない。現場で、プロフェッショナル達と一緒に仕事するのがとにかく好き。監督は、私の中から自分たちが欲しい、リアルなオンナを引っ張りだすの。」女優として銀幕での神秘的なイメージを大事にするのでなく、時代と創り手が求めるいろんな「生身の女性」を生きることを喜びとする―そんな彼女が演じた女達はとても自然で魅力的だ。闊達にしゃべり、笑い、煙草をふかす姿もさまになる、醒めた面差しが印象的なちょっといい女。若くはない女性を演じるアニー・ジラルドが若いとき以上に輝くのは、重ねた年月もひっくるめて丸ごと差し出す彼女のいさぎよさのおかげかもしれない。
 
スクリーンの中のアニー・ジラルドと出会ったのは、テレビの深夜放送。70年代の代表作『愛のために死す』だった。ハイティーンの教え子と恋に落ちた、シングルマザーの女教師に降り掛かる悲劇を描いた実録もので、ひとまわりの年の差をものともせず、これでもかという不幸にめげず純愛をつらぬくストーリー。ひとつ間違えば見てられないようなウソっぽい代物になる類いのものだけれど、恋愛モノの枠を超え、通俗的な恋人達の物語がある種の崇高な戦いを思わせる作品となったのは、ひとえにアニーの作り上げたヒロインのリアるな手触りのおかげだった。ショートカットに知的なまなざし。ちょっと寂しげな微笑み。苦しさを内に秘めて若い恋人をはげまし抱擁する姿は、お芝居を超える説得力があった。
 
70年代は娯楽作を含む数々の映画に出演し精力的に仕事をしてきたアニーだったが、80年代以降は仕事のペースが落ちる。世代交代した監督達から声がかからなくなってしまった。1996年に、盟友クロード・ルルーシュの作品で助演して2度目のセザール賞を受賞したときのスピーチは、不遇の時を耐えた彼女の慟哭そのものだった。「私がいなくて寂しい、とフランス映画界が思ったかどうかはしりません。でも、私は、フランス映画のことをただひたすらに、思っていました。どうしようもなく、気がおかしくなりそうなくらいに」。
 
主演作品を気軽に見れない今、Youtube にアップされていたアニー・ジラルドならではの一場面を紹介しておきたい。ルルーシュ監督とタッグを組んだ『あの愛をふたたび』(1970年)のラストシーン、台詞なしの数分間。空港で相手(ジャン・ポール・ベルモント)を待つも彼はついに現れず、不倫の恋の終わりを知るという設定。千々に乱れる感情を胸にただ立ち尽くすアニーの表情が、とにかく絶品。大写しにされた彼女の表情のほろ苦さがあるからこそ、フランシス・レイのべったり甘くておセンチな音の奔流も活きるのだと思う。

http://youtu.be/A6WrT3qIf90

アニー・ジラルドは歌も踊りも達者にこなすひとだった。駆け出しのころはレビューの舞台にも立ち、「女優になっていなかったら、ダンサーになって、フレッド・アステアとタップを踊りたかった」とインタビューで語っているほど。
歌声はやさしくて、演技とはまた別の魅力がある。

イタリア語で歌う彼女の歌はここで聴く事ができます。

http://youtu.be./hQs95KiGlFU



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2011年03月30日

3月の1曲 “You Are Not Alone” Mavis Staples

あの日。夜遅く帰宅して、テレビのスイッチを入れて、言葉を失う。ショー直前に解任されたデザイナーのことはどこかにいってしまった。あの日から、自分の中のピースがひとつ失われてしまったようです。

今はただ無力で、できる事はごくごく限られていて、報道される被災地を見つめていることしかないのだけれども、これからの長い日々、かかわってゆきたいと思っています。

メイヴィス・ステイプルズの豊かな歌声に、言葉にならなかったものを託したくて、この曲を選びました。

「あなただけではない
 夜はいつも
 あなたと同じ思いを抱えて過ごす
 みんなの顔をつたう涙の味は
 同じ

 夢破れ 心傷つき
 孤独で おびえている
 ドアを開けて! さあ踏み込むよ
 あなたにわかってほしいから
 ひとりぼっちではないことを。」

by Jeff Tweedy

こちらで聴いてみて下さい。http://youtu.be/cYCp98McUc8


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2011年02月28日

2月の一曲 “Love Has No Pride” Bonnie Raitt (1972)

もはや「ヴァレンタイン・デイの月」、になってしまった2月に、あえてトーチソングのクラッシックを選んでみました。

ずばりタイトル通りの内容。あなたにまた会えるのなら何だってする・・というリフレインだけでも切ないのに、胸揺さぶるサビのメロディがたまらない。「そういう状況」に身を置いていなくとも、しんみりしてしまいます。

歌い手をその気にさせてしまう曲なようで、この歌の作者も含め男女とりまぜいろいろなバージョンがありますが、ボニー・レイットの歌ったものが個人的に一番だと思います。

思い入れしやすい歌詞に、盛り上げてくれるメロディのおかげか、ついつい歌い上げ上滑りになったり、過剰に甘くなるパターンに落ちてしまうのが多い中、地に足の着いた歌いっぷりなのがまず違う。そして「説得力」がある。共感できない嘆きをえんえんとまくしたてられても困ってしまいますが、丁寧に、繊細に歌われる「痛み」にはつい耳を傾けてしまいます。

そして、歌の力で、歌詞が描くヒロイン像を超えたところを垣間見せてくれるのがいい。歌詞だけ読むと過去にしがみつく哀しいヒロインが浮かびますが、ボニー・レイットの歌には、やり直せるものなら・・・という言葉とは裏腹に、愛を失った事を受け入れまた歩き出そうとする姿が見いだせます。彼女の声にある、いい意味での「真面目さ」がそうさせてくれるのかもしれません。

歌い手の個性と、それに引き合ういい歌とが結びついた時に起こるマジック・モーメントの例だと思うのですが、いかがでしょう。男子はナチュラルなコケットがあるリンダ・ロンシュタットの歌を好むようですが、女子が支持するのはやはりボニーのほうでしょう。


聞いてみたい方はこちらをどうぞ。ライブバージョンですが、弾き語りでじっくりと、聴かせます。

http://youtu.be/KbqXMQCq59U


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2011年02月02日

1月の一曲“Just a Little Lovin’” Dusty Springfield 

Dusty in Memphis寒い日が続くこの頃、聞きたくなるのがこの1曲。何かに例えるとすれば、寒い朝に頂く、いつもの一杯のコーヒーでしょうか。カップを両手で覆って、立ち上る香りと湯気に鼻をつっこみ、一口すする瞬間の、あの何とも言えない気持を形にしたのがこの曲だと思うのです。
 
実は歌詞の中にも「モーニングコーヒー」が登場します。早朝、世界が目覚める時に、コーヒーをかき混ぜながら思うこと。ほんの少しの愛があれば、この世の中は思っているほどひどいところでも悲しい場所でもなくなるのに・・そんな歌です。
 
朝のコーヒーというのは、まさにその”just a little loving’”だと思うのです。眠気を振り払いしゃきっとする Eye Opener として飲むものでもありますが、最初の一口をすする時、不思議と静かな気持になれます。今日片付けなければならないあれこれやら雑念とはちょっとの間脇に置いておいて、「空」な状態になる。そして、何気なく願う。「今日もみんな何事もなく過ごせますように。」朝の儀式のように朝のコーヒーを続けてきたのは、そんな祈りの瞬間を持ちたいと本能的に思うからかもしれません。
 
“loving”などと言われるとちょっと大げさで身構えてしまいますが、そんなほんの少しの「祈り」のキモチがを朝の一杯を楽しむ時にあれば、確かに世の中はもうちょっとばかり良い場所になるのではないでしょうか。ダスティの歌声はまさに、美味しいコーヒーだけが持つ豊かな味。朝の冷たい空気や目覚めゆく街の喧噪が聞こえてきそうなアレンジも、素晴らしい。


聞いてみたい人はこちらでどうぞ。
http://youtu.be/uz3znHG70dk


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2011年01月28日

See you soon, Carine! カリーヌ・ロワトフェルドが Paris Vogue を去る日

「カリーヌ・ロワトフェルドが Paris Vogue 誌の編集長を辞める」− 昨年12月、クリスマス前のにぎにぎしい時期に飛び込んできたヘッドラインに、目を疑いました。90周年記念の絢爛たる仮面舞踏会も成功させ、クリスマスには何をするのかと次の一手を待っていたというのに。

Carine-Roitfeld-01.png業界の人々だけでなく、カリーヌの身近で働いていたスタッフでさえも寝耳に水だったようです。発行元であるコンデナスト社がアナウンスする前にこのことを知っていたのは、リカルド・ティッシ、エディ・スリマン、アズディン・アライア、アルベール・エルバスといった親しい友人だけだったそうです。

辞職の理由について、インターネットではあれこれもっともらしい噂が流れています(ウィメンズラインを起ち上げる盟友トム・フォードともう一度タッグを組むため、最新号の内容がLVMHのトップの逆鱗にふれたせい、などなど)。しかし、どれも噂でしかないようです。カリーヌが最新インタビューで語っているように、「10年やった。もう十分。」というのが本当のところではないでしょうか。

痩せっぽち、ストレートヘアに、強い印象のアイメイク。唇と脚は基本裸のまま(女性版イギー・ポップと呼ばれたりもする)。そして口元にはいつも微笑み。スタッフを従え、彼女ならではの人目を引く着こなしで颯爽と現れるカリーヌは、一雑誌の編集長という立場を超えた存在でした。Tastemaker’s tastemaker と呼ばれ、何を着てくるかが常に話題となり、フラッシュを浴びていたあの人がショーのフロントロウに姿を見せなくなるなんて!

個人的には、カリーヌならではの誌面が見れなくなる事がとても残念です。大枚はたいて Paris Vogue を手に入れてきたのは、ここにしかない「自由」があったから。プロモーションにカタログめいた商品写真、シーン別着回しといったお役立ち情報にまみれた普通のファッション誌に食傷気味の身には、「私は私」を貫いて己の信じるクールネス、美しさを追求する Paris Vogue にはまさに解放区でした。ここまでやるか、という大胆な試みにドキドキさせられたものです。特に写真がすばらしかった。編集長の子供の名付け親でもあるマリオ・テスティーノを始め、有名写真家がこぎれいなファッション写真の枠をこえた作品をばんばん発表していました。

Paris Vogue Covers 1920-2009カリーヌの仕事の中で一番好きだったのが、ブルース・ウェーバーと組んで丸々一冊を作ったプロジェクト。このブログでもご紹介しましたが、プロンドのトップモデルと、黒い肌にあごひげを生やしたトランスベスタイトが、ミニのドレスを着て心底楽しげに笑っている表紙の写真は、まじりっけなしの Free Spirit そのものでした。世の話題になってやろうなんて姑息な計算高さとは無縁、「どう、いい感じでしょ?」という気持の素直な現れなのがありありで、とても気持がよかった。

雑誌での一連の大胆な仕事は、「自分はスタイリストである」というカリーヌの自意識のなせる技ではないかと思います。ハイティーンの頃モデルとしてファッション業界入りしてから、雑誌の編集にたずさわることはあっても、常にスタイリストとして仕事をしてきました。特に有名なのは、トム・フォードとともに、沈みかけていた老舗ブランド、グッチを再生させたこと。この大成功により、Paris Vogue のポストがオファーされたようですが、この時の仕事についてカリーヌはこう語っています。「トムは私を女の姿をした自分の片割れとして使った。デザインした服を、私ならどう着るか聞いてくるわけ。私は自分のことにかまけていればよかった。このシャツはどう着よう、どのバッグを選ぶ? ピアスをするならどんなタイプにする? そんなこと、がファッションの写真には大事なのね。シャツの袖をどうロールアップするか、どんな風にバッグを持つか、どうやって脚を組むか…そういった事がとても大きな違いを生むの。」編集長になっても、自分の雑誌のためのスタイリングをこなしてきたカリーヌにとって、ファッションとはつきつめたところ「素晴らしいもの、美しいものを、自分の感性に正直に装う楽しみ」なのかもしれません。
 
そんなスタンスを持つカリーヌに、Paris Vogue の編集長という肩書きはだんだん重たくなってきたのではないでしょうか。過去にもインタビューで、こう漏らしていました。「世界のファッションはちょっとばかり退屈になっているわね。お金、お金で、ショーに行くと、ハンドバッグをたくさん売りつけようとする空気を感じる。正直、私はハンドバッグが好きじゃない。ハンドバッグは持たないの。ハンドバッグを持った姿って、いいとは思わない。」ファッション雑誌の編集長なのに、そんなこと言っていいんですか!という発言ですが、今回の決断と全く無関係ではないように思います。(対極の存在と比べられてきたアメリカ・ヴォーグの編集長アナ・ウィンターとはそもそも、立ち位置が違う人なのです。世界中で120万部を売り上げる雑誌のトップという責任を負い、ハリウッドやセレブリティ、業界を巧みに仕切り話題と華やかな誌面を作り続けるウィンター女史と、スタイリストとしての自分にこだわり続けるカリーヌとを比べるのはお門ちがいというものでしょう。)
 
「ファッションとは、服のことじゃない。スタイルなの。」そんなモットーを掲げ、56年間の人生のほとんどをファッションの世界で生きてきたカリーヌ。編集長の職を辞したからといって、ファッションから離れることは決してないと信じています。片腕だったエマニュエル・アルトが後任に決まりましたが、任期が終わる1月末までの編集長カリーヌ・ロワトフェルドの仕事に触れてゆきたいと思います。




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2010年12月31日

12月の一曲 Lhasa “I’m going in”(2009)

Lhasa2010年の締めくくりに、この年の始まりの日に37才で他界したLhasa(ラサ)のこの曲を選んでみました。
 
乳がんを告知されてから約2年。繊細さと土の香りが同居する独特の声と英語、フランス語、そしてメキシカンである父の言葉であるスペイン語によるユニークな歌世界が評判を浴び、モントリオール発の新しい才能として世界的に知られるようになった矢先の死でした。
 
亡くなる前の年にリリースされたサードアルバムに収められているこの曲で、Lhasaは、遠からず訪れる自分の「死」について率直に歌っています。嘆きでも、お別れの歌でもありません。「生」の世界から、未知の「死」の世界へ向かうことを前向きに捉えています。自分を囲む人々の事を切り捨ててしまった訳ではない。しかし、今の私は旅立つ事に心を傾けたい、と。たんたんとしていて、それでもこちらの顔をしっかり見ているような歌声に、はっとさせられます。
 
この曲のことを教えてくれたのは、同じカナダのシンガー・ソングライター、ルーファス・ウェインライト。彼は今年1月に最愛の母、ケイト・マクギャリグルを病で失っていますが、この曲を聴いて死に引き寄せられつつある母の立場がどんなものかを感じることができた、とインタビューで語っています。家族の事を思ってか、「死」について口にせず「生きる」ことに前向きな姿勢を取り続けていた母の、表に現れない内面について思いを巡らせることができたのは、この曲のおかげだと。

世の中が、当然の事のように、2011年へと脇目もふらず突き進む今このときに、Lhasaが残したこの歌を聴くと、違った景色が見えてきます。

“Don’t ask me to reconsider
I am ready to go now”

http://youtu.be/6CEjujV8FtM



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2010年12月02日

11月の一曲 Juliette Gréco “Accordéon”(1962)

冬の始まりに、シャンソンを選んでみました。若きセルジュ・ゲンスブールの作。哀愁のメロディーに軽快なアコーディオン、といかにもフランスでなければ出せない音で音楽としてだけでも楽しめるのですが、歌詞カードを見ながら聴くともっとおもしろい。

greco01.jpg街を流して歩くアコーディオン弾きが相棒のアコーディオンと別れるまでの歌です、というとなんだかセンチメンタルに聞こえますが、これが実にサツバツとしています。

まず、この歌のアコーディオン弾きは、生きるためにきゅうきゅうとしている。演奏するのはパンを稼ぐためで、路上であっても自分の音楽を思うがままに演奏できればシアワセ、というハッピーなストリートミュージシャンとはほど遠い。

アコーディオン弾きと楽器との間もきれいごとなしで生々しい。へべれけの時も、豚箱に放り込まれる時も一緒。「楽器のボタンを壊してしまったら上着のボタンを取って間に合わせ、ズボンがずり落ちないように楽器のベルトを拝借したりする」というフレーズは、楽器と人とのいい関係というより、長年連れ添った男女の仲のような生身の近しさを感じさせます。

だからこそ、別れのそっけなさには驚かされます。ある日突然、ただ同然で古道具屋に売り飛ばされるアコーディオン。弾けなくなったかららしい、というぐらいしか理由は明らかにされませんが、この「急転」が歌を深いものにしています。どんなに濃いつきあいも、思いがけなく終わりが来るもの―そんな醒めた感じが、いかにもゲンスブールらしい。

一方で、やさしい情景も織り込まれています。「静かな夜が過ぎて朝がくると、アコーディオン弾きはアコーディオンの肺を少し膨らませてやる」というフレーズは、白く明けてゆく街角で独り小さく音を鳴らす男の姿を描くだけでなく、男とアコーディオンとの静かな対話を見守るゲンスブールのまなざしを感じさせます。

お得意のコトバ遊びも光ります。「どうぞアコーデオンにお恵みを(“Accordez Accordez Accordez donc / l’aumône à l’accrodé l’accordéon”)」というリフレインは、フランス語の「アコーディオン」の音とダブるようにしつらえてあります。こういった離れ業をさらっとやってのけるところも、にやりとさせられます。

コンパクトで密度の濃い曲なので、グレコのように気を入れて歌わないと上手くいかないようです。手振りを交えてシアトリカルに歌うバージョンでどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=Uad03ciLaPo




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2010年10月31日

10月の一曲 “Je te veux” Jessye Norman の歌で

Jessye Norman - Classics言わずと知れた、エリック・サティーの名曲。もはやミューザックの定番。メロディーを聞けば「あ、知ってる」と言われるような耳馴染みの曲となり、歌もの、インストゥルメンタルといろんなタイプの演奏があるのですが、個人的に大好きなのはソプラノ歌手、ジェシー・ノーマンのもの。

本来のこの曲は、喧噪と紫煙の中、アダっぽい女性がさっと歌うような、フランス小唄なのだと思います。歌詞もあからさまではないけれど、淫らな空気を漂わせている。だから、オペラチックに歌い上げるのは似合わないし、あまりお行儀良く可憐に歌われてもピンとこない。だからといって、あまりコケットを強調しすぎると、曲が壊れてしまう。サティーのメロディは、歌謡曲のそれのたくましさは持ち合わせていない。どうやっても上品、なのです。明るくて馥郁とした色香があって、下品に落ちない。歌い手にはなかなか手強い曲なのです。
 
ジェシー・ノーマンは場末のカフェなんぞ全く似合わない雰囲気のベテラン正統派ソプラノ歌手。上品なのはもちろんですが、フェミニンを強調しないゆたかな声であるのもプラスに働いています(コンサートでシューベルトの『魔王』を歌ってしまうようなひとなのです)。そして、何よりも印象的なのが彼女の歌いっぷり。もともとたっぷりとした容姿のひとなのですが、いつもの貫禄を忘れて、目の前の愛するあなたを食べちゃいたい、てな勢いではじらいと余裕が入り交じったふうにに歌うとき、この歌の持つ官能性がさらに清らかな甘さに昇華されるように思います。スタジオレコーディングではなく、ぜひ、コンサートの映像をご覧あれ!

□きれいな映像ではありませんが、こちらでどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=yEC-qikckCY




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2010年09月26日

9月の一曲 “Variety Is The Spice of Life” Greg Perry

One for the Road [12 inch Analog]ようやく、やっと、秋になってきました。オーブンの中の食材のキモチがちょっとわかるような熱風におさらばできて、何より。個人的に、季節の変化を最も感じるのは、空の色。振り仰ぐのもためらわれる、ぎんぎらぎらの青から、奥へ奥へと吸い込まれるような穏やかな色に変わっています。
 
そんな気持ちのいい空の下で聞きたい曲を選んでみました。70年代にゴキゲンなソウル・ミュージックを量産した名門レーベル、インヴィクタスを影で支えた才人グレッグ・ペリ―。彼が独立後発表したファースト・ソロアルバムの、はじめの一曲。コーラスを巧みに織り込んだ凝ったアレンジが、気合いのほどを感じさせます。心地よいグルーヴの中にある適度な緊張感が、まさにこの曲のスパイス。聞くたびに、ぱあっと視界が開けてゆくような、不思議な高揚感に包まれます。窓を開けて、車をどんどん走らせたくなる、そんな一曲です。

聞いてみたい方はこちらをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=0XucL0_4DjE



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2010年08月28日

8月の音楽 “Mambo Diablo” Tito Puente

マンボ・ディアブロ8月も終わろうというのにこの酷暑。9月へのインタールードになりそうなメローにやるせない曲をと考えていたのですが、ひんやり冷たい音を選んでみました。

ニューヨーク・ラテンミュージックの陽気な王様、ティト・プエンテがジャズのレーベルから出したアルバムのタイトル曲。豪快・痛快・切れ味バツグンなティンバレスのプレイで有名なティトですが、ヴィブラフォンの使い手でもあります。
 
もわわんと親しみやすい音だけれど、部屋の温度を数度下げてくれそうな冷たい感触も併せ持つヴィブラフォン。モダンジャズとも相性のいい楽器ですが、ティトのようなラテンビートがこんこんと湧き出るプレイヤーの手にかかると、クールなのにホット、という一粒で二度おいしい音楽が出来上がります。
 
粘りづよく繰り返されるラテンリズムに、タイトルがほのめかす(悪魔のマンボ!)危険な感じのメロディラインで斬り込んでいくティトのヴィブラフォーン。主旋律の楽器というより、メロディも取れるパーカッションという扱いで演奏しているのがよくわかります。氷に閉じ込められた、ゆらめく青い炎を連想させる一曲です。

http://www.youtube.com/watch?v=esa-jpG8Muo



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2010年08月19日

2010年夏の読書感想文

『あつい、あつい』 垂石眞子 こどものとも年少版 2008年8月号 (福音館書店)
chaudchaud01.jpg 暑い。暑いです。どうにかしてくれ!という気分をなだめるのにオススメしたいのがこの絵本。動物たちが、大きいのも小さいのも連れ立ってちょっとでも涼しいところをもとめてさまよい、みんな大満足の場所にたどりつきましたとさ、というごくシンプルなお話ですが、それを補ってあまりあるのが、絵のすばらしさ。表紙の、汗みずくのペンギンをご覧あれ。いま暑さにあえいでいるものの心をわしづかみ、です。かんかん照りをひいひいいって歩く姿、ちょっと涼しいところをみつけてどっと弛緩する表情。読んでるこっちも、そのまんま、その通りなんです!だからこそ最後のカタルシスは、胸がすく爽快感。裏表紙の、動物たちの至福の姿が、これまた心地よい。ボサノヴァも、冷えたシャンパンも、いまいち効かなかったあなたに・・・。


『語るに足る、ささやかな人生語るに足る、ささやかな人生』 駒沢敏器 小学館文庫
torunitaru01.jpg ネットにアクセスすれば旅行記にあたる、とまでは言いませんが、色とりどりの写真で飾られた、様々な国での旅の記録をやすやすと見ることができます。しかし、旅した地へのそれなりの関心と旅人へのそれなりの共感がなければ、読み通すことはむずかしい。なるほど、あなたは確かにそこにいたのでしょう。で、それで?という問いかけに、答えを返すことができるものがどれほどあるでしょうか。旅を他人に伝わる言葉にすることは、なまなかなことではないと思うのです。しかし、すぐれた書き手による旅行記は、豊穣なひとときを約束してくれます。
 ふた夏をかけて、スモール・タウンを数珠つなぎ的に巡りアメリカを横断した記録であるこの本は、「旅もの」の棚においておくにはもったいない豊かな一冊です。アメリカ文化へのなみなみならぬ愛情と造形の深さで知られる著者による、地に足の着いたアメリカ論であるとともに、アメリカの片田舎で今を生き考える人々と出会える「場」でもあります(相手に近づきすぎず離れすぎない、作者の絶妙な距離の取り方のなせる技)。短い文章に綴られた町での体験はとても密度が濃く、よくできた短編小説を読んでいるような錯覚すら覚えます。
 アメリカの田舎で著者が見聞きしたことが、2010年夏の日本とすっと結びつくのもおもしろい。一見平和そうな小さな街で数を増している児童虐待、家庭からお母さんの味が失われていく理由、小さなコミュニティの生滅を分けたもの。国境を越えた、他人事ではないリアルがそこにあります。
 この本はまた、ポエティックな文章とは何かを教えてくれます。確実に選んだ言葉をつみあげた簡素な文章なのですが、風景描写ひとつとっても、ダッシュボード越しに目撃しているかのような気分になります。写真にして見せられれば特に感想も出ないような光景なのでしょうが、優れた書き手はその何もなさがどんなものか、読む人の五感に直接伝えることができるのです。
 ここではないどこかを移動するパッセンジャーとしての経験を満喫させてくれる一冊です。この夏は旅と無縁だったとお嘆きのあなたに。アメリカのサブカルチャーにに多少なりとも関心のある向きには、めくるめく一時をお約束します。


『虫と歌 市川春子作品集』 講談社 アフタヌーンコミック
虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC) ヒトではないものたちの生と死をめぐる、小さな物語を集めた一冊。文字だけで表現するとがっちりSFなお話ですが、ゆるい線が印象的な浮遊感のある絵が、言葉にするとたじろいでしまうような場面もすんなりと読ませてしまいます。収録されている一編、「日下兄妹」は、そのいい例。甲子園への道を閉ざされたひとりぼっちの高校生の生活に突然出現した、一夏だけの「妹」のお話ですが、見るからにアヤシい人外の「妹」ヒナがだんだん愛らしく見えるようになるのは、まさに絵のおかげ。カラーページは一枚もありませんが、眺めていると「色」を感じます。
 また、絵に織り込まれた、登場人物たちの会話が楽しい。ちょっと浮世離れしているけれど、独特の間合いと言葉のセンスでクセになりそうです。(「日下兄妹」の高校生とチームメイトとのたあいのないやり取りでは、少女マンガの王道コメディのおいしいところがたっぷり味わえます。)何気なさそうでいて、一語たりとも無駄にしていないところに、作者の美意識を感じます。
 一見ばらばらな収録作品の底に流れているのは、小さな世界を生きる登場人物達への思いです。花は咲いた時の姿を選べず、成虫が次の季節まで命をつなぐことができないように、登場人物はみな一方的に与えられた運命や寿命を受け入れ、せいいっぱい生きている。「もののあわれ」という視点ではなく、コドモの頃道ばたの植物や葉の上を動く昆虫へ寄せたまっすぐな共感に通じるところがあるように思います。生が燃え盛る夏の今こそ、読むのにぴったりかもしれません。読み終えた後、カバーイラストの緑の色が、胸に染みます。






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2010年07月26日

7月の一曲“Silky Soul” Maze featuring Frankie Beverly

灼熱かどしゃ降りか、たった2つしかないお天気メニューにうんざりのこの頃、気持ちだけでも爽やかにしてくれる曲を選んでみました。
 
Silky Soul日本ではなぜか知名度が低いのですが、アメリカでは長年にわたり根強い人気を誇るグループ、メイズが故マーヴィン・ゲイに捧げた曲。まさにタイトル通りの歌声と音楽、スマイルで短い生を駆け抜けたマーヴィンの魅力を数分間に凝縮してしまいました。トリビュートした相手が思わずにっこりしてしまうような、お見事な仕上がりです。歌詞はもちろん、マーヴィン・ゲイの代表曲の一番おいしいところを巧みに組み合わせ、「これぞマーヴィン!」なサウンドを響かせているところも魅力ですが、ヴォーカル、フランキー・ビヴァリーの、パッションを秘めたこれまたスムースな歌がこの曲を単なるトリビュート以上のものにしています。売り出し中のグループの飛躍に一肌脱いでくれたマーヴィン・ゲイへのパーソナルな思いもこの曲の原動力になっているようですが、ヴォーカリストの持ち味であるしなやかな真摯さが効いています。
 
何より、マーヴィン・ゲイへのトリビュート・ソングと知らなくてもSilky Soulの何たるかを堪能できる一曲です。滞留した暑い空気をキモチだけでも爽やかに変えてくれます。日差しが落ち着き夜がやってくるころに、冷たい飲み物といっしょにどうぞ。

You Tubeにはオリジナルの足下にも及ばないカバーヴァージョンしかないのですが、どんなメロディか、オリジナルを手に入れる前に試してみたい方はどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=JvoJXlvuJ74




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2010年06月30日

6月の音楽 “Telephone” Shelby Lynne

雨に降り込められた休日の午後。何にもやる気が起こらなくて、ぼんやりする。そんな時についかけたくなるのが、この1曲。

Identity Crisisカントリーとロックをまたぐ形で活躍するシェルビー・リンをone & onlyな存在にしているのは、その声だ。どろどろやじめじめや媚び媚びをみじんも感じさせない、1本筋の通ったドライな声。かといって、単にさばさばした印象だけのザツな歌い手ではない。歌に向かう姿勢はとても繊細だ。メロディーや言葉とつかずはなれずのいい関係が作れる。(これは訓練によるコントロールではないと思う。)アホらしい例えかもしれないけれど、シェルビーの歌声には、飾らない魅力の理屈抜きにいいオトコを見かけた時の「お」というあの感じに、通じるところがあると思っている。(シェルビー本人も耳から知った人を裏切らないルックスの持ち主なので、歌う彼女の姿は、いやなかなか。)

酔っぱらって昔の誰かさんについ電話をかけてしまい、出ると思わなかった相手に言い訳している、そんな内容の歌だけれど、シェルビーが歌うと、電話をかけてしまった「わたし」がふっとはまりこんでしまったエアポケットのようなひとときがリアルに伝わってくる。寂しいとか孤独とか、そんなわかりやすいもんじゃないんですよ。

「わたし」がつかまった無為と、自分が過ごす無為がどういうわけかすっとつながって、「まあそんな日もあるよね」という気分にさせてくれる。音楽にはいい意味でのwaste of timeという働きがあるけれど、この曲はまさしくそういった類いのものだと思う。

でこぼこの少ないあっさりしたメロディーに絡む、アコースティックギターがじゃかじゃか鳴るリラックスしたバックの音。遠くで夢のように囁く間の手コーラス隊も加わって醸し出される、インティメイトなムードもいい感じ。

アルバムに収録された曲をそのままお楽しみください(味もそっけもない画像ですが)。

http://www.youtube.com/watch?v=lqBQWldyLhI

この曲が入っているアルバムの別の曲を歌うシェルビー。

http://www.youtube.com/watch?v=zVUAE2ggUvU




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2010年05月29日

Deux Amoures between the continents マチュー・アマルリック、自作を語る

Cannes-m01.jpg23日に閉幕したカンヌ映画祭。ベテラン勢の作品や話題作ではなく、タイの映画がグランプリを受賞するなど、今年もサプライズがしっかり用意されていましたが、個人的にうれしいオドロキだったのがフランスの俳優マチュー・アマルリックの監督賞受賞でした。(出品された映画“Tournée”(英語のタイトルは”On Tour”)も、賞を受賞しました)。

メガホンを取るのはこれで4本目であるアマルリック。脚本も手がけた上、主人公も演じるという八面六臂の活躍です。フランス国内の作品はもとより、ボンド映画で悪役も演じるなど、インターナショナルな映画俳優としての多忙な日々の合間を縫ってこつこつ製作を続け、8年近くかけて完成にこぎ着けた本作。愛着もひとしおのようです。

アマルリックが演じるのは、昔大物として鳴らしたテレビプロデューサー、ヨアキム。仕事も家庭も何もかもうちゃってアメリカへ渡り、新趣向のバーレスク・ショーを結成、パリでもう一花咲かせようと一座を故国へ連れ帰るのですが、事態は思わぬ方向に動き出して…という物語。たっぷりしたボディのいかにもアメリカ人なバーレスクダンサーのお姐さま方と、かつての栄光から見放されたフランスの中年男である団長、それぞれの過去を背負った一団の珍道中が繰り広げられます。
 
この映画がユニークなのは、フランス語と英語の2つのコトバが飛び交うこと。フランス語はからっきしダメという一座の女達と団長とのやり取りは、全編英語で、フランス映画でありながら「らしく」ないムードを醸し出しています(父がル・モンド紙のワシントン特派員だった都合で子供時代をアメリカで過ごし、アメリカが「遠くにありて思うもの」でないアマルリックだからこそ上手くこなせたのかもしれません)。また、一座のメンバーはもともと本物のバーレスクダンサーで、演技経験がないのもおもしろいところ。舞台のシーンは、演技ではなく、彼女達の至芸の記録でもあるのです。
 
アメリカ産ショーマンシップ映画へのオマージュとも取れるこの作品、意外なことに、創造のインスピレーションとなったのは二人のフランス人の存在でした。一人は、「芸人」だったころの小説家コレット。もう一人は、自殺した映画プロデューサー、アンベール・バルザン。困難にもめげず突き進む純粋な創造の力と、払われる犠牲の大きさについて、考えるきっかけになったそうです。
 
さて、自作について語るアマルリックの言葉を拾ってみました。

cannes-m02.jpg「一座の「彼女」達は元々ソロパフォーマーで、別々にステージを見てキャスティングしたんだ。踊りが一人一人の個性を表している。音楽的だったり、政治的なトーンがあったり、羽飾りを振り回す昔ながらのスタイルだったり、ポエティックだったり、スタイルはばらばらなんだけど、違うタイプをたばねてアンサンブルにするのが狙いだったんだ。」

「舞台のシーンの撮影のために、映画に出てくる街々で実際に公演したんだ。入場無料で、見に来たお客さんには、撮影されるのを許可すると一筆いれてもらった。大入り満員だったね。「彼女」達には本物のお客さんが必要だったし、同じショーでも、カメラだけを前にするのと、観客を前にするのとでは、盛り上がりが違うんだ。経費的にも安くついたしね。」

「「彼女」達がクリエイトした本物のバーレスクダンスをフィクションである映画にもちこむことで、映画の一部がドキュメンタリーになってしまうことについては抵抗感がないわけではなかったけれど、ドキュメンタリーならではの魅力をフィクションの一部として取り入れたいという気持ちもあったんだ。「彼女」達と顔合わせする前に、物語を固めておいたのがよかった。フィクションの登場人物として「彼女」達に演技してもらうためには、キャラクターの人となりからディティールまでイメージしておかなければいけないとわかっていたからね。」

「(これまで監督した3作ではカメラの前に立たなかったけれども)今回主人公を演じようと決めたのは、撮影開始の3週間前だったんだ。最初は、映画『オール・ザット・ジャズ』のロイ・シャイダーみたいにやれるフランス人の俳優を捜していた―あの映画のキャスティングのシーンでのロイ・シャイダーは実に魅力的で、いやなヤツだった。職業俳優では思い当たらなくて、ベテラン・プロデューサーのパウロ・ブランコならいけるんじゃないかと思ったんだ(注:17才のアマルリックに映画界での初仕事、アシスタントの仕事をくれた人物で、アマルリックにとっての「映画界のパパ」)。一座の「彼女」達もプロの女優ではないし、僕自身アルノー(・デプレシャン監督)に声をかけられるまで演技経験ゼロだった。人物そのものにピンとくるものがあれば、素人でも役者にしたてあげることができるものなんだ。スクリーンテストも上々だったんだけれど、撮影までにけっこうな時間が経過してしまった。今のパウロを使うと、「最後の」巡業についての映画になってしまう。若くもなく年老いてもいない、中年男が映画には必要だった。それなら自分が演じれば自然じゃないかと思ったのさ。映画で口ひげをはやしたのはパウロへのオマージュさ。登場人物になりきるためにも訳に立ったね。」

cannes-m03.jpg「(ヨアキムがジョン・カサヴェテスの映画“The Killing of A Chinese Bookie”の主人公で、経営するクラブと、バーレスクショーと、ダンサー達を愛する男、コズモ・ヴィテリを彷彿とさせると指摘を受けて)撮影現場でカサヴェテスへのあこがれとどうつきあうか―これはやっかいな問題だった。カサヴェテス作品のコピーをつくるつもりはない。けれども、でもカサヴェテスのことを考えずにおれるかい?結局、ごくシンプルな解決法を見つけたんだ。この映画を”互いに惹かれ合う二つの大陸についての物語“と考えればいい、とわかったんだ。
 
ヨアキムは70年代のアメリカ映画の見過ぎで、それだからこそアメリカにはまっている。ダンサー達はムーランルージュのショーについて、ジョセフィン・ペーカーについて、パリについてあれこれかじっている、だからこそフランスが大好きなんだ、とね。
 
だから、ヨアキムという人物ははコスモ・ヴィテリになりきりたいんだ。「彼女」達に何か大事な事を伝えたい時は、コズモがやるようにマイク越しに話しかけ、胸元のシャツのボタンはとめずにいたがる。そう発想を転換することで、カサヴェテスを意識しなくともすむようになったんだ。」

トレイラーはこちらでどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=NvoE-R8u3Dk

コズモ・ヴィテリとはこんな男です。
http://www.youtube.com/watch?v=GRrj60C24Y0




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2010年05月14日

“Living in a waking dream” ファッションモデル バチスト・ジャビコーニの出世街道

baptiste001.jpg「なんだか醒めない夢の中にいるみたいな感じ」とファッション雑誌『W』のインタビュアーにうち明けるのは、20歳の人気ファッションモデル、バチスト・ジャビコーニ。華やかな世界で今飛ぶ鳥を落とす勢いの人物が口にしそうな、よくある台詞と思われるかもしれません。しかし彼の来し方を見ると、それなりにリアリティのある言葉なのです。
 
3年前、バチストは、マルセイユにあるヘリコプターの組み立て工場で働いていました。コルシカ出身の父親は整備士というワーキングクラスの出で、学校は16才でドロップアウト。将来はおカネを貯めてピザのトラック屋台を買って商売してみたいなあ、とつつましい夢をもつごく普通のお兄ちゃん。
 
しかし、仕事の後筋トレにはげんでいたジムで声をかけられてから、平凡な日々を生きるはずだったバチストの人生は一変します。地元のプロカメラマンの紹介とポートフォリオを抱え、パリの一流モデルエージェンシーの戸をたたいたところ、採用。細かな仕事をこなしてゆくうち、イタリアの雑誌に掲載された写真が、『皇帝』カール・ラガーフェルドの目に留まり、即呼び出し。ラガーフェルドと対面したその日から、彼の人生はまた大きく変転します。
 
ワークアウトで鍛えた腹筋が目を引く細身のボディに、甘さの中に本のひとつまみ「毒」を孕んだマスクを持つ若者は、御大の創造力をいたく刺激したようです。ファッションフォトグラファーとして、自分が手がけるブランドの広告だけでなく、ファッション誌の依頼で撮り下ろすラガーフェルドは、ありとあらゆる機会にバチストを起用、写真を撮りまくりました。
 
baptiste002.jpg着ても脱いでも見応え十分なのに加え、年上の女に甘える若い“シェリ”にバービー人形をエスコートするボーイフレンド、フォークロアな衣装の似合う田舎のボーギャルソンといろいろなタイプの男になれるのが彼の強み。「与えられた役柄を見事に演じ、変幻自在に自分を変化させる稀な能力がある」というのが皇帝の評。思い描くイメージを形にしてくれるにとどまらず、その存在が新しいイメージを、ストーリーを喚起させてくれるようです。
 
ラガーフェルドにとってバチストがいかに特別であるかは、彼がシャネルのショーや広告、PR用ショートムービーに使われていることからも伺えます。男性向け商品のお取り扱いはごく少ないこのプランドで、男性モデルには商品を着てもらってアピールする役目はないわけで、ビジネス面で目に見えてプラスとなる効果はありません。にも関わらず、「女達の引き立て役」以上の使われ方をしています。例えば、フランス版ヴォーグ誌のシャネル特集の最初を飾る一枚として、ラガーフェルドが撮り下ろした写真。ピンヒールにシャネルジャケットの特徴を誇張したオーバーサイズのジャケット(マルタン・マルジェラのデザイン)だけを身にまとったバチストを撮影しています。時代を超えて受容され、たとえ素っ裸の美男が着たとしても、その独特のエレガンスは揺らぐ事はない―シャネルのデザインの影響力と偉大さを大胆に伝える写真ですが、一歩間違えればキワものに落ちるアイデアを形にすることに踏み切らせたのも、「この被写体だからできること」への期待と信頼があってこそといえます。
 
baptiste003.jpgラガーフェルドのクリエイターとしての欲望を燃え立たせるオトコ版ミューズとしてだけでなく、プライベートでも親しい間柄で、ラガーフェルドの近くに住み公の場でのツーショットもめずらしくなくなったバチスト。「皇帝のお気に入り」という立場は、他の有名フォトグラファーとの仕事も続々と呼び込み、これまで女性のファッションモデルが独占してきた「ファーストネームで親しまれる、誰もが知っているアイコン」になるのも時間の問題。モデルのキャリアを足がかりにしたステップアップも、望めば実現しそうです。「ピザの屋台なんてケチな事言わないで、ピザのフランチャイズを丸ごと手に入れてもおもしろいかもね」と昔のささやかな野望を振り返るバチストですが、彼の目下の野心は、俳優としてキャリアアップすることにあるとか。(ちなみに、彼はアラン・ドロンの映画のファンなんだそう)。
 
最近は、ラガーフェルドがプロデュースした“皇帝仕様”のコカコーラ・ライトのための広告写真で、“コカコーラを運ぶボーイさん“としてコミカルな面も披露しています。味のある俳優は数あれど、世界中でもてはやされる正統派の美男俳優がいないフランス映画界。バチストは、映画スターへの扉を開く事ができるでしょうか?

□コカコーラのための写真はこちらで見れます。

□動く姿はこんな感じ。写真でのイメージと違います。
http://www.youtube.com/watch?v=aWpIdy_GcgE





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2010年04月26日

4月の音楽“Cançāo de amor” Elizete Cardoso

A_Meiga_Elizete-thumb.jpgカレンダーは確かに4月なんですが、寒かったり温かすぎたり、体感的にはすっきり「春がきた」とよびたくないこのごろ。どうなってるの、とぼやく朝も、通勤途上で見かける草花は新しい季節の到来を満喫しているようです。手入れされた庭、道ばたと様々な容姿で私を見て!とアピールする花々を見るたびに、寒い暑いと右往左往する人の事情を微笑ましく眺める、大いなる天然の存在を感じます。
 
花の生のみずみずしさから連想したのが、ブラジル音楽の名華、エリゼッチ・カルドーゾのデビュー曲、『愛の歌』。清々しさと、内に情熱を秘めた何とも言えない可憐さがあって、うっとりさせられます。フルメイクの蠱惑的な微笑ではなく、「素」の笑顔にやられてしまう、あの感じ。バックの枯れたサクソフォンの音色は、春霞のように、これから大輪の花を咲かせることになるエリゼッチのういういしい声をやさしく包み、気分をいっそう盛り上げます。

ご紹介した曲はインターネット上では試聴できませんが、若いエリゼッチの声はここで聴く事ができます。

http://www.youtube.com/watch?v=mlTnl41_Sxs


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2010年03月30日

3月の音楽 “Complainte Pour Ste Catherine” Kirsty MacColl

ショーウィンドウの中はもう春一色。本番まであと一歩、なこの時期にふさわしい、うきうきする曲を選んでみました。
 
Kiteロンドン出身のシンガー・ソングライター、カースティ・マッコールによるカバーで、アルバム“Kite”の最後を飾るナンバー。日本では、ポーグスのクリスマスクラシック、“Fairytale of New York”のデュエットのお相手として認知されているようですが、本人名義のアルバムもなかなかすてきなんです。
 
オリジナルはカナダのフォークデュオ、ケイト&アンナ マッギャリグルのローカル色あふれる一曲(ケイトはルーファス&マーサ・ウェインライト兄妹のお母さん。先頃闘病の後召されました。R.I.P.)Ste Catherineは、乙女・女学生の守護聖人ですが、この曲ではモントリオールの目抜き通り(サントカテリーヌ通り)にもひっかけていて、激寒(マイナス30度!と歌詞にあり)の街をうろつく彼女のひとりごと、的な内容。ちょっと野暮ったいけれどウォームな伴奏にのせしみじみ歌っていたのが元々のスタイルでしたが、カースティは真逆の音をぶっつけて、全く違うイメージの曲に仕立てています。
 
彼女が選んだのは、西アフリカの音楽、ハイライフ。にぎにぎしいホーンセクションを引き連れ、疾走するエレクトリック・ギターが印象的な音楽です。童謡を思わせるメロディーに、カースティの色気を感じさせないイノセントな声がマッチして「無邪気なばか騒ぎ」の音楽が誕生しました。
 
天駈ける勢いのギターの音色が、ゆるんできた3月の空にすいこまれるようで、爽快。桜一色の春のうたもけっこうですが、こういうからっとしたのもまたよろしいんじゃないでしょうか。
 
Youtubeでは残念ながら試聴できません。収録されているアルバムは、上質の甘酸っぱいギター・ポップがいっぱい詰まっていて、いい感じの「女の子っぽさ」にも満ちています。ぜひお試しあれ(ちなみにこの曲ともう一曲だけ、フランス語で歌っています。 

□同じアルバムでの彼女はこんな感じです。
http://www.youtube.com/watch?v=lOKWqtocXWs
http://www.youtube.com/watch?v=46pfPVE5q1o

□The Smithsのカバーもやってます(ギターはジョニー・マー本人!)
http://www.youtube.com/watch?v=2Ic5PlEwivk&feature=related




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2010年03月15日

I DreamYou Love Me Still The Same A. マックイーンの死に思う

アレクサンダー・マックイーンの訃報から一ヶ月が経ちましたが、いまだに実感が湧きません。まだ40才。パンク以降の新しいイギリス発ファッションを世界中に認知させた立役者としたデザイナー、スコットランド系のルーツを大事にするワーキングクラスヒーロー(ロンドンのタクシードライバーの息子でもありました)として広く知られた彼の身に何が起こったのか。
 
alexander-mcqueen-1.jpg母を亡くしたばかりで、死を選んだ日は葬儀が執り行われる事になっていました。スター・デザイナーとして華やかな日々を生きる一方、マックイーンは普通の人である家族との絆を大事にする人だったようです。640,000 ポンドもするフラットに住みながら、下町にある実家に帰っては両親のためにお茶を入れ、クッキーをつまみくつろぐ時間も大事にする。そんなマックイーンにとって、家族の死は深い悲しみであったのは想像に難くありませんが、母の喪失は特別の意味があったようです。
 
社会科の教師をしながら6人の子を育て上げたマックイーンの母、ジョイスは、この「ちょっと変わった」末っ子をずっと支えてきました。16才で学校をドロップアウト。伝統的なイギリス紳士のスタイルを守り続けてきた仕立街、サヴィルロウで仕立職人見習いとして働き始め、ロイヤルファミリーのスーツを手がけるまでに腕を磨いた後、多くの著名デザイナーの出身校として有名な芸術大学、セント・マーティンズ・カレッジで初めて正規の教育を受ける — 他のファッションデザイナーと比べても異色の経歴です。マックイーン自ら、自分のことを”一家のPink Sheep”と称していたそうですが、人と違う道を行く息子を、母はずっと応援してきました。最初のコレクションでは材料の購入資金を援助するだけでなく、針を持ってビーズの飾りを作るのを手伝い、成功した後もコレクションのバックステージで息子を気遣っていたそうです。ゲイである事をカミングアウトしても、最終的に受け入れてくれました。新聞の企画で母からインタビューを受けた際、面と向かって「(あなたを)誇りに思う」と言い切ったマックイーンにとって、その死は計り知れない悲嘆をもたらしたのでしょう。
 
isabella-blowolllkko.jpgこの母とは違うやり方で理解し、支えてくれた人を、マックイーンは3年前に失っています。イギリス・ファッション界の名物スタイリスト/エディター、イザベラ・ブロウ(→)。マックイーンの卒業制作コレクションを、偶然見たのが事の始まりでした。表面のキラキラにまどわされず、真の輝きを秘めた才能の原石を掘り出すことで有名だったブロウのアンテナが反応します。「空いている席がなく、私は階段に腰を下ろしてショーを眺めていた。そして突然思った。素晴らしい。今見せられた作品をみんな手元に置いておきたい。」ブロウは結局、このコレクションの作品全部を買い上げることにします。お値段は、一着300ポンド。デザイナーの卵にしては強気な値段です。さすがにまとめて支払う訳にゆかず、毎月1着ずつ購入することになりました。マックイーンは毎回作品をゴミ袋(!)に入れて持参し、ブロウが代金を銀行のキャッシングコーナーで引き出すのに付き合ったそうです。
 
きっぱりしたボブの黒髪に、発想の限界に挑戦する斬新な帽子(自ら発掘した帽子デザイナー、フィリップ・トレーシーの手によるもの)、流行や虚栄と一線を画した着こなしがトレードマークのエキセントリックな才女は、デザイナーとして一歩を踏み出したマックイーンを励まし、業界の泳ぎ方を教えました。ファーストネームの“リー”ではなくミドルネームの“アレクサンダー”を名乗るよう進言したのもブロウでした。また、押し掛けPRとして、独自の人脈を駆使しマックイーンの売り出しに尽力します。ジバンシーのデザイナーに就任したのも、グッチ・グループ傘下にマックイーンのブランドが入ったのも、ブロウの力添えがあったと言われています。
 
Honor_Fraser_0.jpg強い個性と挑み続ける姿勢はもちろん、笑いのツボから繊細さまで似通ったところの多かった二人は、20才ほどの年の差や階級の違い(ブロウは由緒正しい貴族の出)を乗り越え、友情を超えた強い絆で結ばれていました。マックイーンの両親ともお茶を楽しむ間柄であったようです。しかし、ファッションビジネスの世界は、二人の関係に影を落とします。一般の目には奇抜にしか見えないものにも美を見いだし、世間のファッションの許容度を変えてきたブロウの心意気は、利益を上げていかねばならないビジネスの世界にはしっくりこず、骨を折ったにもかかわらず、「デザイナー」マックイーンと仕事をする機会はついに与えられませんでした。(オードリー・ヘップバーンのお召し物として名を馳せたジバンシーのデザイナーになることが決まった時、ブロウは新生ジバンシーの顔として、イギリスのモデル、オナー・フレーザー(↑)を起用することを考えていたそうです。しかしこの興味深いプランも実現しませんでした。)  
 
名声は得ても実を手に出来ないもどかしさ、失意を味わい続けたブロウは心を病みます。プライベートでの悩みとガン発病が追い打ちをかけ、追いつめられた彼女は、ある日致死量を超える除草剤を飲んで倒れているところを発見されます。徐々に臓器の機能を弱らせてゆく毒のせいで、緩慢な死への時間を耐えなければなりませんでした。お気に入りのマックイーンのドレスを着せられて、ブロウは旅立ちます。
 
マックイーンは、霊媒師をやとってあの世のブロウとコンタクトを試みていたことがあるそうです。ブロウは上機嫌でした。「こっちではみんな元気でやってるわ。でも、ママは私の帽子と靴がどれも気に入らないみたいで、借りようとしないのよね。」今頃、二人で問題解決のために知恵を絞っているのでしょうか。R.I.P.





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2010年02月28日

2月の音楽 “Dis quand reviandras-tu?”(いつ帰ってくるの)

Dis Quand Reviandras-Tu?フランスの自作自演の歌手、バルバラの曲を選んでみました。シャンソンというジャンルに分類される歌手ですが、時に甘く遊蕩の雰囲気すら漂わせる楽曲がシャンソンの陽の面とすれば、バルバラは影の面を代表する人。かのゲンズブールも初期の作品はシンプルな音で硬質な感じを漂わせていましたが、バルバラの作品もああいう感じと思って頂ければわかりやすいかもしれません。しかし、彼女のほうがよりストイックであり、クラシカルな訓練を積んだ静謐でよく伝わる声とほどよく乾いた叙情性をたたえたメロディの組み合わせは、ちょっと古楽を思わせるところもあります。春を待つ季節を過ぎ秋になっても戻ってこない不在の相手に向かって、一心によびかけるバルバラの歌は、祈りにもにた感じがします。

さて、この曲がまだ公開中のフランス映画『ずっとあなたを愛してる』(“Il y a longtemps que je t’aime”)のエンドロールに使われています。ただしオリジナルではなく、カバーヴァージョン。フランスのベテランロッカー、Jean-Louis Aubertの弾き語りです。本人も認める通り「歌の人」ではなく、とつとつと歌っているのですが、オリジナルの張りつめた感じとは違い、薄ぼんやりとした日差しのような暖かさがあります。

映画は、ある事件をきっかけに生きなが自らを葬ることにした中年女性が、長い刑期の後、少しづつ「生」の世界へ戻ってゆく様を描いていますが、カバーヴァージョンのぎこちない暖かさが主人公と彼女を囲む人々との手探りの人間関係と妙に響き合って、しっくりときます。できれば映画館で、ぜひ聞き比べてみてください。

Dis quand reviendras tu ?
Dis au moins le sais tu ?
que tout le temps qui passe
ne se rattrappe guère
que tout le temps perdu

バルバラの歌を聴きたい方はこちらをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=nUE80DTNxK4

歌詞を知りたい方は、英語の字幕があるバージョンを。
http://www.youtube.com/watch?v=6Llpdzx4dSU

映画で使われていた、Jean-Louis Aubertの歌はこちらで聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=wwcZrdwQvcw





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2010年02月11日

ハイチからの声

フランスと深い繋がりのあるハイチを襲った大地震からはや1ヶ月。この国が直面している現実のひとつひとつを、やりきれない気持ちで見ています。なんとも歯がゆい。
 
また、いたしかたのないことかもしれませんが、ハイチについての報道は、取材する側の目線で作られ、困難の最中にある人々はひたすら被写体であることを強いられているように感じます。
 
ハイチで生まれ、アメリカで生活する作家、エドウィッジ・ダンディカット(写真↓)が『ニューヨーカー』誌に寄せた一文を、一部紹介したいと思います。テレビのニュースからは読み取れない、人々の声です。


danticat01.jpgマキソの遺体(作者の従兄)が掘り出されたころまでには、携帯電話がようやく通じだし、絶望の声が嵐のように押し寄せてきた。従姉は頭に裂傷を負い、出血が止まらない状態だった。別の従姉は背骨を折り、レントゲンを撮ってもらうためだけに野外病院を三つも回らなければならなかった。別の従姉は、家の中で寝ることができず、ひどい喉のかわきを訴えていた。ひどくショックを受け、声が出なくなってしまった子がいた。親戚のひとりは、飲んでいた血圧の薬がなくなってしまった。数日間、ほとんど誰も、何も口にしていなかった。住んでいた街が完全に破壊された友人や身内の多くとは、連絡さえ取れなかった。
 
どの電話の声も、薄気味悪いくらい、静かだった。だれも叫ばない。「どうして私が」「私たちは呪われている」などと言う人もいない。余震がまだ続いている状態でも、「また地面が揺れてる」と、それがあたりまえのことのように言う。ハイチの外にいる身内がどうしているか、聞いてくる。年取った親戚、赤ん坊、私の一才になる娘。
 
私は泣き、謝る。「一緒に居てあげられなくてごめんなさい。」私は言う「赤ん坊のことがなければ・・・」
 
美人コンテストに優勝したことがあり、ナオミ・キャンベルというニックネームで呼ばれている、6フィート近い背丈の21歳になる従妹、「食べるものがない、夜は薮の中で死体と一緒に寝ている」と訴えていた彼女が、私の嘆きを遮った。

「泣いちゃダメ」彼女はいう「これが人生よ」
「いいえ、人生はそんなもんじゃない」私は言う。
「そうであってはいけない。」
「そんなものなのよ。」彼女は言い張る。
「そういうものなの。人の生ってね、死と同じで、ほんのつかのまの出来事なのよ。」


□雑誌『ニューヨーカー』2010年2月1日号掲載 「A Little While」より




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2010年02月01日

It’s My Piaf, not yours マーサ・ウェインライトの試み

エディット・ビアフ・レコードワールドミュージックのコーナーで、”フランス”の棚を見るたび複雑な気持ちになります。フレンチ・ポップスとシャンソンとの“断絶”が埋まる日は来るのだろうか、と。ディスプレイやジャケットといった見た目の点でも、品揃えも、あきらかに違う。ふらりと立ち寄って、そそられるのは、やはり前者の方でしょう。しかし、後者を聴かず嫌いしてしまうのは、もったいない・・・両方とも楽しい身には、何とかならないか、と思うのです。
 
そんなドンづまりな状況を変えるヒントになるようなアルバムに出会いました。カナダのシンガー、マーサ・ウェインライトが、かのエディット・ピアフの曲だけを集めたアルバムをリリースしたのです。ニューヨークのライブハウスでお客を入れて収録した、一発取りのレコーディング。アコーディオンのような定番伴奏楽器に、エレクトリック・ギターやホーンも加わった、変則的なバンドを従えての、かなり大胆な試みです。お兄さんのルーファス・ウェインライトも、メジャーなゲイ・アイコンであるジュディ・ガーランドのショウを再演して世間をあっといわせましたが、マーサの挑戦はより難易度が高かったようです。
 
まず、英語の訳詞を採用せず、フランス語で歌っている事。モントリオール育ちで、フランス語のこなれ具合は普通の非フランス人と比べても、本人曰く「けっこういけてる」マーサですが、インタビューで告白しているように、イントネーションがちょっとヘンだったり、完璧とは言えない。音としてのフランス語の美しさを超人的な歌唱力でもって世界に宣伝したピアフをカバーするのにそれでいいのか、と眉をひそめる人も少なくないと思います。実際、マーサの歌いっぷりは、ピアフのそれとはだいぶ違う。生まれた時からロックがあった世代の、ガッツ溢れるアプローチは、ピアフ本人の歌に固執するシャンソンのファンにはオドロキ以上のインパクトだと思います。
 
wainwright01.jpgまた、マーサ本人に、歌手ピアフに対し強い思い入れがない。彼女にとってのピアフとは、まず、子供の頃の思い出に結びつく存在。歌詞の意味も知らずに兄と一緒にがなっていた『ミロール』を歌った人。素晴らしいシンガーとしてリスペクトするけれども、エディット・ピアフの人生についてはよく知らないし、知ろうと思わない。マリオン・コティヤール主演のピアフの伝記映画も見てない(!)そうです。距離を置いた立ち位置から選んだ曲目は、よくあるピアフのベストアルバムのそれとほとんどかぶっていません。「熱心なピアフ・ファン」でないからこそできたことだと思います。マーサの狙いは、ピアフをよく知る人々にオリジナルと聴き比べてもらい拍手をもらうことではなく、戦後のフランスで生まれた「歌」として魅力的な作品を、同じく歌い手である自分の気持ちのおもむくままに歌うことにあるのです。
 
さて、肝心の音のほうですが、賛否両論あると思います。好みもあるでしょう。フランスが生んだ最高のソウル・シンガー、ピアフはやはり大きい存在で、曲によってはオリジナルを引っ張りだして聴きたい衝動にかられます。しかし、マーサの試み自身はなかなかおもしろいと思います。
 
音楽とは、結局、純粋な衝動がなければ始まらない。かっこいい、ステキ、と感じたら、シノゴノ言わずにやってみる、歌ってみる。世界のあちこちで起こった、そんな行動の積み重ねが、音楽を深く豊かなものにしているのではないでしょうか。
 
シャンソンの魅力の一つに、歌詞の素晴らしさがあることは否定しません。往年のピアフの動画を、歌詞の字幕ありで見た場合と、なしで見た場合では、受けとめるものの大きさが全然違います。それでも、たとえ歌詞がわからなくても、耳を傾け、口ずさんだり真似したくさせる、音楽のかっこよさが減ることはないと思うのです。歴史もバイオグラフィーも、辞書もいったん脇において、解説を忘れて、音楽にかじりつき、自分なりのレシピであの美味しさに迫ってみる。そんなアティテュードが、シャンソンとフレンチ・ポップスとの断絶を埋める鍵なのかな、と思います。

マーサによるピアフは、こんな感じです。




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2010年01月25日

今月の一曲 浅川マキ 『それはスポットライトではない』

DARKNESSIV浅川マキさんが亡くなった。ステージに現れなかったことで、この世にバイバイしたことを皆に伝える事になったと聞き、そうか、と納得してしまいました。鈴木いづみの小説『ハートに火をつけて!(誰が消す)』に名前を変えて登場する、からりと皮肉の利いた handsome な歌手のイメージと、すっと結びついたからかもしれません。
 
死を伝える記事の見出しには「アングラの女王」といったいかにもな名詞が並んでいます。確かに、華やかな場所とは縁のない人でした。しかし、シンプルに、すぐれた歌い手であったことを強調しておきたい。特に、自己流に歌詞を訳して歌った「洋楽」のカバーは、言葉の選び方ひとつ、歌い方ひとつに浅川マキという人の個性と魅力が現れていたと思います。
 
とりわけ印象に残った一曲を選びました。原曲の歌詞にある「想う人との再会」の部分をばっさり切ることで、永遠に失ったもの−あんたの目に輝いていたあの光−を思っては悔やむ男の気持ちに焦点を合わせた彼女のバージョンは、作者であるオリジナルのジェリー・ゴフィンや、ロッド・スチュワート、ひいては彼女にインスピレーションを与えた御大、ボビー・ブランドのバージョンも軽く凌駕するものになりました。途中挟まれる原曲の英詩も味わい深いのですが、浅川マキの声と日本語詩は、色恋を超えた「おいら」の純な心を切々と伝えて、たまらない気分にさせてくれます。

それはスポットライトではない(It’s not a Spotlight)

日本人の歌う洋楽、という点からも、かなりのカッコよさだと思うのですが。




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ラベル:浅川マキ 
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2009年12月30日

12月の音楽 “What’s so funny’ bout Peace, Love and Understanding?” Nick Lowe

いよいよ2009年も終わろうとしています。一年前はどうだったか思い返すと、世界を覆う影はこれほど濃くなかったのではないでしょうか。
 
しんどいことの多かった今年を締めくくり、来年へつなげる一曲を選んでみました。30年以上前に生まれた歌ですが、そのメッセージは、時を超えより切実に響きます。

   このひどい世の中を僕は行く
   狂気の闇の中 光を求めて
   自分の胸に聞いてみる
   希望はもうすっかりなくなってしまったんだろうか?
   あるのは憎しみと痛み、苦難だけ?
   こんな気持ちになるたびに、知りたいと思うことがひとつある。
   平和、愛、理解することの何がオカシイんだい?

きれいな銀髪になってしまったニック・ロウが、テンポを落とし一言一言噛み締めるように歌うこの曲は、2010年へ踏み出す私たちの胸をノックするかのようです

Understanding, Brother! Understanding, Sister!

http://www.youtube.com/watch?v=P7txCdLCP9U




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2009年11月30日

11月の音楽 –2つの国の言葉で聴く”Dream a little dream of me”–

せちがらい世の中、ひとときでもゆったりのほほんとした気分にさせてくれる曲はないかな、と思いセレクトしたのが”Dream a little dream of me”。
 
ママス&パパスのオリジナルとばかり思いこんでいましたが、最初に世に出たのは何と1931年。リッキー・ネルソンのお父さんが最初に吹き込んだそうです。(聴くたびにそこはかとした昔懐かしさを感じていましたが、なるほど、そういう訳でしたか!)その後もポップス、ジャズ、ロックといろいろなジャンルで歌い継がれ、本国アメリカはもちろん世界中で親しまれています。
 
Carry on up the Charts: The Best of the Beautiful Southエトランゼの吐息


さてこの曲、フランス語のヴァージョンもあるんです。イギリスのバンド、ビューティフル・サウスが吹き込んだもの。メグ・ライアンがメグ・ライアンらしかった頃のチャーミングな映画『フレンチ・キス』で使われています。(最近では『プラダを着た悪魔』でもちらっと流れていましたね。)実は元々フランスのシャンソンだったんです、と言われても信じてしまうぐらい違和感のない仕上がりで、エンゾ・エンゾやシルヴィー・ヴァルタンといったフランス人のシンガーにも歌われています。
 
ちなみにフランス語ヴァージョンでは全く新しい歌詞が付いています。(タイトルも“les yeux ouverts”となりました。)オリジナルの歌詞が、現在進行形の甘い恋を歌うのに対し、フランス語の歌詞は「あなたとのあの素晴らしい思い出」をテーマとしたいささかビターな内容。どちらの歌詞をのっけてもまた違った世界が開けるのは、よくできたメロディのおかげでしょうか。

個人的な正調。ママ・キャスのたっぷりした歌声に包まれ夢見心地。
http://www.youtube.com/watch?v=ajwnmkEqYpo

ビューティフル・サウスのフランス語版。
http://www.youtube.com/watch?v=P1JhKQBSyuk

フランス人によるバージョン。エンゾ・エンゾの歌でどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=wLpB9xx2sHE





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