じっとしているだけでも汗が吹き出る過酷な暑さもトーンダウンしてきた今、ご紹介したいのが夏にまつわるスタンダードナンバー、“Something Cool”。スタン・ケントン楽団のバンドシンガーとしても活躍したジューン・クリスティが50年代にヒットさせたバラードです。タイトル通り、「冷たい飲み物」をおごってもらった女性が相手の紳士に自分のことを問わず語りに物語る、長尺の曲。「何か冷たい物をいただくわ、街中はほんと暑くて疲れちゃって」と会話だけで組み立てられた歌詞は歌いこなすのがなかなか大変。歌い手がどう料理するかで、この5分間に及ぶ曲の主人公の存在感がぐっと濃くなります。
この曲を最初に歌ったジューン・クリスティは50年代を代表するジャズシンガー。よくコントロールされたハスキーな歌声は台頭してきたクールなモダンジャズとも相性がよく、ジャズが抱くいい意味での退廃とは一線を画した、ある種の健康さと清々しさを備えた彼女の歌は、切りっぱなしの前髪とポニーテールの似合う可憐な容姿とともによき時代を体現してもいます。
ビッグバンドを従えて丁寧に歌い上げた彼女の”Something Cool”のヒロインは、言うなれば誂えたドレスが品よく似合う女性。毛皮は寒いときにとってあるの、という台詞がさりげなく説得力を持つ、育ちの良さが感じられます。知らない相手と一緒と言えど決して乱れない。バーテンが静かに仕事をする、空調の程よく効いた昼間のバーで話す過去(「数えきれないほど部屋のある屋敷に住み、15人もの殿方から舞踏会へ誘われたわ。想像できないかもしれないけれど、秋にパリにいったときといったら!」)も全くの作り話とは思われず。今現在はどうかしらねど華やかな人生を歩んできた彼女の話を、紫煙ごしにいつまでも聞いていたい、そんなキモチにさせる粋な仕上がりです。ビッグバンドのぶ厚い音が、謎めいた訳ありのヒロインの存在をゴージャスに引き立てているのも魅力的。
さて数十年の時を経てこの曲をカバーしたのが、ロック・ポップス畑のヒトであるリッキー・リー・ジョーンズ。ライブのアンコール?の一曲としてリラックスした雰囲気の中、鍵盤楽器のみの伴奏で歌われた彼女の“Something Cool”は懐メロのリメイクとは一味違う、新しい物語に仕立てられています。かわいいカエル(ケロヨン!))を連想させるファニーヴォイスのおかげか、彼女の歌が連想させるヒロインはもっとゆるい感じの、さりとて若いともいえない女性。舞台もきりっとしたたたずまいのバーではなく、もっとリラックスした場所。昼からお酒を出す西海岸のカフェといった感じでしょうか。ちょっと褪せたサンドレスをゆったり身にまとった、もうある程度できあがった印象の彼女は、おごってくれた知らない男に親しげに話しかけます。彼女の語る「過去」は、クリスティのバージョンと違って、笑っちゃうような作り話でしかない。西海岸では毛皮は着ないし、落葉舞散るパリを歩く彼女を想像できない。しかし、そんな夢物語を、アルコールの力を借りて、本当にあったんだといわんばかりにドラマティックに歌い上げ、「みんな昔の話、おもいでにすぎない」と嘆く「かわいそう」な彼女の姿を、リッキー・リー・ジョーンズは情景が浮かぶような描写力で一編のドラマにしました。パット・メセニーとの仕事で知られる名手ライル・メイズも加わった、さりげないけれどもツボをついたバッキングが、彼女の妄想に夢のようなきらめきを与えてくれています。
酔った勢いでつい独り語りををしてしまった相手に、「あなたは冷たい物をおごってくれた、親切な人でしかなかったわね。」ともらす最後の歌詞が、意外に甘いメロディーを持つこの曲をビターに締めくくります。故郷を離れ、街の片隅で見知らぬ他人に話しかけるヒロインの孤独の深さが覗くラストを、二人の全くタイプの違うシンガーがどう歌っているかも、お楽しみのひとつ。
好対照の2つの“Something Cool”。涼しい夜に、一献傾けながら、どうぞ。
※ジューン・クリスティの曲は同タイトルのアルバムに収録されています。リッキー・リー・ジョーンズの方はミニアルバム”Girl At Her Volcano”(邦題は「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」)のラストを飾っています。こういう声の好きなひとには歌よし選曲よしのたまらない一枚。かつてのパートナー、トム・ウェイツの手によるバラードもこれまた、ぐっときます。
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文化=親の本棚、だった子供の頃偶然であった一冊。標題に掲げられたテーマを、フランス文学者・文筆家としてしられた御大が、豊かな見識とひょうひょうとした語り口で解き明かす名著ですが、この本を推す理由は、実は本文ではなくおまけとして添えられた小文、「あるユモリストの話」にあります。
作家ジュディス・サーマンは、イヴ・サンローラン最後のファッションショーを取材したエッセイで、初めてサンローランの服—厚みのあるアルパカウールで仕立てた、セーブルブラウンのコサック風マキシスカート―を買った時の思い出を綴っています。ミニスカート全盛の当時としては一歩先行くデザイン、体型もカバーしてくれるすぐれものの一着を手に入れた時、彼女はイギリス留学中の学生でした。1969年のロンドン、家賃捻出のための家庭教師のアルバイトの帰り、最終セールのサインに吸い寄せられて、サーマンはボンドストリートにオープンした話題のブティック、リヴ・ゴーシュに初めて足を踏み入れます。
60年代、そして70年代。世界はサンローランの才気とクリエイティビティに魅了されていました。年に4回発表されるクチュールとプレタポルテのデザインは、新聞や雑誌と言った限られたメディアを通じて世界中の業界人に吸収され、インスピレーションの源、雛形となりました。本物に手が届かない人々の下にも、サンローランのデザインのエッセンスは届けられました。大手百貨店は悪びれる事なく堂々とコピー商品を売り、雑誌に掲載された写真をまねたスーツやドレスが町の洋裁店で仕立てられました。現在のような人気ブランドのバッグを持つこととは違う形で、人々の日々の装いに、ファッションに確実に浸透していったのです。雑誌やインターネットにはおびただしい情報やイメージが溢れ、ハイソもトラッシーもひっくるめて多様な質とデザインの服が日々消費される現代では、もはや実感を伴って理解されないかもしれません。しかし、当時のそんな「不自由」な環境も手伝って、サンローランの作品は、一握りの熱狂的なファンや有閑階級のクローゼットにしまい込まれず、様々なレベルで広く親しまれることになりました。
また、子供の時から本物に、上質なものに触れさせるべきというトゥイトゥの信念を反映して、普通の幼稚園ではとても望めないような理想的な環境づくりもなされています。A.P.C.のショップ・デザインを手がけるローラン・ドゥローによる簡素ながら機能的で明るいインテリアの教室に配置されたのは、アルヴァ・アアルトがデザインしたコドモ用の椅子。お昼寝のブランケットはグレーのコットンカシミヤで、お絵描き用スモックはA.P.C.調のミニマル・シックなデザイン。親達の反応も上々で、25名の定員枠はオシャレ業界人の子供達で既に埋まってしまっているとか。
女優達がきらびやかなドレスを競うレッドカーペット。ポーズを取る姿は世界中に配信され、その着こなしを吟味するファッションチェックのページは日本のファッション誌でもすっかりおなじみとなりましたが、この「儀式」はファッション業界にとっても絶好のパブリシティの機会。ハリウッド女優たちは、ブランドを世界に知らしめる最高の媒体なのです。
例えば、映画『リトル・ミス・サンシャイン』での好演で脚光を浴びたアビゲイル・ブレスリンちゃん。アカデミー賞にノミネートされ、コダック・シアターにブリブリのお姫様スタイルで登場したアビゲイルちゃん。いかにもなドレスのチョイスですが、その小さな足を彩ったのはジミー・チュウのピンクサテンのミュール(ハイヒールは未体験だったのでパス)!。キャンディーバーを偲ばせたクラッチバッグはスワロフスキー製。小さなお耳と首元でキラキラしていたのは、驚くなかれ、ハリー・ウィンストンのダイヤモンド!話題作りとはいえ、オンナを上げる小道具として大人の欲望をかき立てるあこがれブランドが、よってたかっていたいけな女の子を着せ替え人形にしてしまうのはいかがなものか、であります。
*セレクトショップでおなじみのフランスのデザイナー、イザベル・マラン。アメリカでも、あこがれのFrench Girlsのリアルクローズ、としてクリスティン・ダンスト、レイチェル・ビルソン(ドラマ「The O.C.」に出てるヒト)とハリウッドにもファンを獲得。トレンドを追わず本当に気に入った服しか着ないといわれるファッションモデル達のお気に入りとして、遅ればせながら注目を浴びつつあるマランを、アメリカの雑誌「W」2月号が取り上げています。
2月号のフランス・ヴォーグ誌のテーマは、Bad Girl。お騒がせスーパーモデル、ケイト・モスとナオミ・キャンベルが表紙を飾り、ピアフからサガン、ブリトニー・スピアーズにパリス・ヒルトンまでBad Girlの系譜をたどるとともに、テーマに相応しい写真も多数掲載しています。出色だったのが、グラミー賞を総なめにした入れ墨嬢、エイミー・ワインハウスをインスピレーションにした“L’idole”と(もちろん本人は登場しません)、ストリッパーから89歳の石油王の妻となり話題となったモデル・女優のアンナ・ニコル・スミス(R.I.P)を下敷きにした“Just Married!”。
ただし、ルイ・ヴィトンがヒップホップ・ファッションをそっくり受け入れたかというとそうでもありません。マーク・ジェイコブスのアーティスティック・コンサルタント、カミーユ・ミチェリもデザイナーとしてプロジェクトに参加しており、マーク自身もお目付役になるなど、ファレルがこれまで志向してきたポップなデザインがそのまま持ち込まれる事は回避されています。また、ファレル自身も、映画になるようなタフな出自とは縁のない、クリーンでスマートなイメージの持ち主。、フランス版ヴォーグでのインタヴューでも、ラッパー=下品な車にビキニの女の子を侍らせたギンギン野郎という世間のイメージと一緒くたにされる事を嘆き、自分のデザインについて、「古くはキンキラ衣装で有名だったエンタメ系ピアニストのリベラーチェ、エルヴィスに、ヒップホップグループのN.W.A.と定期的に出現しては人々に愛されるキンキラ人脈の流れに組するもので、70年代のテレビスターの金ピカファッション(例えばドラマ『特攻野郎チーム』のモヒカン男、ミスターTのアクセサリー)や黎明期のラッパーから影響を受けた宝石・貴金属オタク(NERD)である自分の好みを出したもの」と説明しています。確かに、今回発表されたジュエリーは、「洗練された派手さ」が印象に残るデザインで、ルイ・ヴィトンの名を冠しても何ら問題はないように見えます。
ルイ・ヴィトンは今月、ヒップホップ界の売れっ子プロデューサーチーム、ネプチューンズの片割れ、ファレル・ウィリアムズのデザインによるジュエリー”Blason”(「紋章」)を発表しました。アフリカ美術、アール・ヌーボーからデザイナー本人の刺青まで様々なインスピレーションから作り上げた26点は、まだ一部しか公開されていませんが、石座がリバーシブルになるしかけの指輪など、ゴージャスかつ凝った仕上がりです。
DVD発売のおかげで久しぶりに見る事ができた映画『

フランス版ヴォーグがやってくれました!11月号の半分近くのページを写真家ブルース・ウェーバーの好きにさせてしまったのです!
そして更なる「事件」が彼女を見舞います。夫がインストラクターと同衾しているのを目撃してしまったのです。頼りとしていた夫に裏切られ、世間からも手ひどい仕打ちを受けたマリー=ロール。自分の足で歩き始めることを余儀なくされた彼女は、見事な変貌を遂げます。
芸術の陰に芸術家たちの苦闘ありとは申しますが、アトリエで、書斎 で芸術家がじたばたすれば芸術作品が生まれるかというと必ずしもそうではない。絵を描くにも絵具が、キャンバスがいるように、芸術作品の完成にはおカネが必要。美術館で観る事ができる作品の大半は、パトロンが気前よく解いた財布のヒモのおかげでこの世に存在しているのです。
夏の名残の苛烈な日差しもようやくトーンダウンしてきましたが、こんな時期に聞きたくなるのが映画『

フランスの女性美の象徴としてマリアンヌにも選出されたブロンドの美女、カトリーヌ・ドヌーヴ。今なお大スターとして映画界に君臨する、大輪の薔薇といった存在ですが、世界各国で上映された彼女の作品のほとんどがフランス製であったといったら驚かれる方も多いのではないでしょうか。確かに彼女のフィルモグラフィーをひもとくと、代表作と言われるものの多くがフランス映画。いわゆるハリウッド映画への出演はほんの数本にすぎません。あえてハリウッドに打って出ようとしなかったことが、彼女をフランスの、ヨーロッパの名華として世間に印象づけることになったのかもしれませんが…。

レ・アールの生地商人の子として1789年に生まれ、洋傘商の奉公人から身を立て若くして時代の寵児となったポアレ。その後半生は、過酷なものでした。第一次世界大戦後、軍服作りにかまけてファッションの現場を離れていた彼を待っていたのは「時代遅れ」の烙印でした。戦中に女性のライフスタイルは劇的な変化を遂げ、活動的な美しさ、実用の美が求められるようになっていたのです。ビジネス上の失敗もあり店を閉めたポアレは忘れ去られ、困窮のうちにドイツ占領下のパリで世を去ります。生活のためバーテンダーとなり、布巾で自分の服を拵えていたと伝えられています。
20世紀の初めに彗星のように現れ、第一次世界大戦まで一世を風靡したファッションデザイナー、ポール・ポアレに今、再び熱い視線が注がれています。女達をコルセットから解き放った立役者、オリエンタリズムの代名詞。これまでファッションの歴史を飾る「大物」としてのみ語られてきたポアレを多面的に捉え直そう。この5月からニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されている展覧会はそんな風潮の顕著な例と言えます(スポンサーはバレンシアガ。ポアレへの業界内の関心の高さが伺えます。)
低下する一方の出生率と裏腹に加熱する一方の子供服市場。某国産モード誌ではお洒落ママのための子供服のページが設けられ、かのヴォーグでさえキッズ特集を組むご時世。有名デザイナーが子供服を手がけるのももはや珍しいことではなくなりましたが、フランス発の新たな子供服のブランドが注目を集めています。
フランスに住み始めて6ヶ月。でもフランス語は上達せず、語学学校に通うのもやめてしまった。会話の内容はなんとか理解できるけれど、きちんとわかっているのか心もとない。でも、「何とおっしゃいました?」を連発するのはきまりが悪い。だからついついあの魔法の決まり文句、“D’accord.”が口を付いてしまう…。“D’accord.”言ってしまったばかりに我が身に降りかかった思いがけない体験を在フランスのアメリカ人作家、デビッド・セダリスはエッセイ”In The Waiting Room”に綴っています。
人気作家としてThe New Yorkerを始めメジャーな雑誌に頻繁に寄稿しているセダリスは、ゲイである自分のアイデンティティーや年下のパートナーとの生活、中流家庭に育った幸せな子供時代の思い出にこだわったエッセイを多数発表しています。フランスに住んでいても、彼の作品は異国の香りをさほど感じさせてくれません。(日本のフランス発のエッセイがいやおうなしにフランスを語るものとなっているのとは対象的、面白いですね。)異邦人であることを強調せず、コスモポリタンであることを自慢せず、誰しもの身にも起こりうる日々の暮しのあれこれから得た思いや意見を軽妙な筆致で描きだす。そんな作風がアメリカでうけている理由なのかもしれません。異国にあってぶしつけに振舞わないけれど、卑屈にもならない、よい意味でアメリカ人らしいフランクな雰囲気がセダリスの作品の魅力となっています。作品中で作り上げられた彼のイメージは、アメリカの読者が楽しみ羨む、理想的な「パリのアメリカ人」のように思います。