2008年08月26日

When I went to Paris in the fall -二つのSomething Cool-

Something Coolじっとしているだけでも汗が吹き出る過酷な暑さもトーンダウンしてきた今、ご紹介したいのが夏にまつわるスタンダードナンバー、“Something Cool”。スタン・ケントン楽団のバンドシンガーとしても活躍したジューン・クリスティが50年代にヒットさせたバラードです。
 
タイトル通り、「冷たい飲み物」をおごってもらった女性が相手の紳士に自分のことを問わず語りに物語る、長尺の曲。「何か冷たい物をいただくわ、街中はほんと暑くて疲れちゃって」と会話だけで組み立てられた歌詞は歌いこなすのがなかなか大変。歌い手がどう料理するかで、この5分間に及ぶ曲の主人公の存在感がぐっと濃くなります。

この曲を最初に歌ったジューン・クリスティは50年代を代表するジャズシンガー。よくコントロールされたハスキーな歌声は台頭してきたクールなモダンジャズとも相性がよく、ジャズが抱くいい意味での退廃とは一線を画した、ある種の健康さと清々しさを備えた彼女の歌は、切りっぱなしの前髪とポニーテールの似合う可憐な容姿とともによき時代を体現してもいます。
 
ビッグバンドを従えて丁寧に歌い上げた彼女の”Something Cool”のヒロインは、言うなれば誂えたドレスが品よく似合う女性。毛皮は寒いときにとってあるの、という台詞がさりげなく説得力を持つ、育ちの良さが感じられます。知らない相手と一緒と言えど決して乱れない。バーテンが静かに仕事をする、空調の程よく効いた昼間のバーで話す過去(「数えきれないほど部屋のある屋敷に住み、15人もの殿方から舞踏会へ誘われたわ。想像できないかもしれないけれど、秋にパリにいったときといったら!」)も全くの作り話とは思われず。今現在はどうかしらねど華やかな人生を歩んできた彼女の話を、紫煙ごしにいつまでも聞いていたい、そんなキモチにさせる粋な仕上がりです。ビッグバンドのぶ厚い音が、謎めいた訳ありのヒロインの存在をゴージャスに引き立てているのも魅力的。

マイ・ファニー・ヴァレンタインさて数十年の時を経てこの曲をカバーしたのが、ロック・ポップス畑のヒトであるリッキー・リー・ジョーンズ。ライブのアンコール?の一曲としてリラックスした雰囲気の中、鍵盤楽器のみの伴奏で歌われた彼女の“Something Cool”は懐メロのリメイクとは一味違う、新しい物語に仕立てられています。
 
かわいいカエル(ケロヨン!))を連想させるファニーヴォイスのおかげか、彼女の歌が連想させるヒロインはもっとゆるい感じの、さりとて若いともいえない女性。舞台もきりっとしたたたずまいのバーではなく、もっとリラックスした場所。昼からお酒を出す西海岸のカフェといった感じでしょうか。ちょっと褪せたサンドレスをゆったり身にまとった、もうある程度できあがった印象の彼女は、おごってくれた知らない男に親しげに話しかけます。彼女の語る「過去」は、クリスティのバージョンと違って、笑っちゃうような作り話でしかない。西海岸では毛皮は着ないし、落葉舞散るパリを歩く彼女を想像できない。しかし、そんな夢物語を、アルコールの力を借りて、本当にあったんだといわんばかりにドラマティックに歌い上げ、「みんな昔の話、おもいでにすぎない」と嘆く「かわいそう」な彼女の姿を、リッキー・リー・ジョーンズは情景が浮かぶような描写力で一編のドラマにしました。パット・メセニーとの仕事で知られる名手ライル・メイズも加わった、さりげないけれどもツボをついたバッキングが、彼女の妄想に夢のようなきらめきを与えてくれています。
 
酔った勢いでつい独り語りををしてしまった相手に、「あなたは冷たい物をおごってくれた、親切な人でしかなかったわね。」ともらす最後の歌詞が、意外に甘いメロディーを持つこの曲をビターに締めくくります。故郷を離れ、街の片隅で見知らぬ他人に話しかけるヒロインの孤独の深さが覗くラストを、二人の全くタイプの違うシンガーがどう歌っているかも、お楽しみのひとつ。
 
好対照の2つの“Something Cool”。涼しい夜に、一献傾けながら、どうぞ。

※ジューン・クリスティの曲は同タイトルのアルバムに収録されています。リッキー・リー・ジョーンズの方はミニアルバム”Girl At Her Volcano”(邦題は「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」)のラストを飾っています。こういう声の好きなひとには歌よし選曲よしのたまらない一枚。かつてのパートナー、トム・ウェイツの手によるバラードもこれまた、ぐっときます。

SOMETHING COOL - JUNE CHRISTY


Something Cool
Something Cool
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June Christy
Capitol Jazz (2001-10-23)
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おすすめ度の平均: 5.0
5 今にはない雰囲気が
5 愛聴盤に加えておきたい
5 クリスティー、ただ一枚の名盤
5 Something Cool
5 いい時代の一押しCDです!





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2008年08月03日

読書感想文なんていらないし!夏のなげやりブックガイド

暑い!活字なんて見てられない!そんなあなたに敢えておすすめする2冊。「必読」「感動保証付き」とは無縁のチョイス。出来心で手に取ってもらえるだけでも十分です。

□『とうとうロボが来た! 』Q.B.B.
とうとうロボが来た! (幻冬舎文庫)最近は『孤独のグルメ』の遅まきブレイクで一躍知名度アップな久住昌之氏が、弟卓也氏と組んだ兄弟マンガユニット、Q.B.Bの出世作。少し昔の小学生、犬が飼いたくてたまらない新吉君の日常生活が爆笑4コマ形式で描かれています。
 
このマンガは、小学生であったころに五感で感じた、言葉にできない「あの」感じを生き生きと呼び覚ましてくれます。いつまでも終わらない風だった、長くて暑い夏の日、プールの帰りの寄り道のけだるい時間のながれ。あの頃の記憶が、手持ちぶたさな時の手遊びや仕草、噛みすぎて味のなくなったガムだとか、さりげない描写を通じてまさに皮膚感覚で蘇ります。(例えば、体育座りの姿勢で内股をぱたんぱたんさせたりしませんでした?そんなツボをこのマンガはびしびしついてくるんです。)単なる懐かしさ以上の、不思議な感覚を味わえます。『孤独のグルメ』でもおなじみ、兄久住氏のセンスの良い「細かさ」のなせるわざなんですが、弟久住氏のゆるーいタッチの絵も多いに貢献しています。
 
また、オトナが手がける以上仕方のない事ですが、コドモの世界=イノセンスでポジティブで素晴らしい、という見方がきれいにナイところもあっぱれ。オトナには謎なコドモじみた論理も、あほらしさも、いい悪いなくそのまま伝えています。オトナが「なんでそんなしょうもないことで泣いたりするの」とあきれ顔をする場面でも、コドモにはコドモの理屈があるんですよね。わかってもらえない焦燥感も、これまた身体レベルであますところなく書き込まれているのがウレシイ。もちろん男子小学生ライフにはお約束の下ネタも満載。イノセンス幻想や甘いノスタルジアを求める人にはちょっと向いていないかも。ただ読了後の幸せな感じはお約束します。
 
はまったら、同じユニットの他の作品もどうぞ。「人生で一番ダサイ季節」を描ききった姉妹編4コママンガ『中学生日記』もおすすめです。

※もともと青林堂から出版されていましたが、幻冬舎からも文庫として出ています。こちらの方が入手しやすいのでは。


□『エスプリとユーモア』河盛 好蔵 岩波書店
esprit01.jpg文化=親の本棚、だった子供の頃偶然であった一冊。標題に掲げられたテーマを、フランス文学者・文筆家としてしられた御大が、豊かな見識とひょうひょうとした語り口で解き明かす名著ですが、この本を推す理由は、実は本文ではなくおまけとして添えられた小文、「あるユモリストの話」にあります。
 
ベルエポックの頃に活躍、ムーラン・ルージュの踊り子を追っかけ回す青春時代を経て、フランス庶民のお腹をよじらせる事に人生を捧げ、死後綺麗さっぱり忘れ去られた後アンドレ・ブルトン等に見いだされた作家、アルフォンス・アレ。ユニークなその仕事と人生について、作者は程よい距離をたもちつつも限りない愛情と敬意を込めていきいきと描いています。アレの小粋な肖像も掲載されていますが、線であっさりまとめた絵とこのこじんまりとした評伝、簡潔だけれども見事に対象を捉え、互いに響き合っているかのようです。
 
この小品はまた、アレという一フランス人の人生を辿ることで、はからずもフランスという国の文化の芳醇さをもさりげなく伝えてくれます。コドモ時代の寝そべりながらの読書では、出てくる固有名詞はチンプンカンプンながら、今自分がいる畳の部屋とは時間も距離もかけ離れた、オンフール生まれの“アルフィ”がいた世界に胸をときめかせたものです。初めて嗅いだ赤ワインの香り、といったぐあいでしょうか。オトナのみなさまにはその芳醇さ、馥郁たる香りがもっと堪能できるのでは。
 
先頃岩波新書復刊フェアの一冊として再び本屋で手に入るようになりました。この評伝のためだけでも、買い、の一冊です。







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2008年07月05日

Fare you well, Mr. Saint Laurent!

saintlaurant01.jpg作家ジュディス・サーマンは、イヴ・サンローラン最後のファッションショーを取材したエッセイで、初めてサンローランの服—厚みのあるアルパカウールで仕立てた、セーブルブラウンのコサック風マキシスカート―を買った時の思い出を綴っています。ミニスカート全盛の当時としては一歩先行くデザイン、体型もカバーしてくれるすぐれものの一着を手に入れた時、彼女はイギリス留学中の学生でした。1969年のロンドン、家賃捻出のための家庭教師のアルバイトの帰り、最終セールのサインに吸い寄せられて、サーマンはボンドストリートにオープンした話題のブティック、リヴ・ゴーシュに初めて足を踏み入れます。

「ブティックのカーペットの色はブラッドオレンジであったと記憶している。こじんまりしたモーヴカラーの椅子がいくつか置いてあり、近未来的な照明の下に、映画『欲望』風のサンローラン本人のモノクロームのポートレートが飾られていた。セール商品のラックにはもう数点しかなかったが、野生のネコの毛皮をあしらった、勇ましい騎兵を連想させる素晴らしいスカートが、15ポンドに値下げされて残っていた——ジッパーの一つは「難あり」だった。ポケットには一週間分のアルバイト代15ポンドが入っていた。(中略) そして、私は、サンローランの香水「オピウム」の広告の有名なコピーがうたっていた女達“Celles qui s’ adonnet á Yves Saint Laurent”—イヴ・サンローランに溺れる女達—の一人となったのだ。」(“Swan Song” The New Yorker 2002年3月18日号より)。
 
先月初めに他界したイヴ・サンローラン。各メディアが一斉にその死を報じ、伝説的な人生を紹介しました。急死したクリスチャン・ディオールの後を20才そこそこで継いでフランス・モードを代表するブランドを救い、独立後も、パンツやタキシードといった男の装いや民族衣装、シースルールックのような「ありえない」ものをエレガントな女性の服にしてみせるなど革新的なデザインで世界を席巻。「メンズライク」も「エスニック」も今や当たり前のファッション・キーワードとなりましたが、これも彼の大胆な挑戦と、革新を普遍化させるだけの説得力と魅力に溢れたデザインがあってこそだったのです。ファッション界に君臨した偉大な人物だけあって、逸話と業績が羅列されるだけでも十分興味深いのですが、どの追悼記事もどこか表面的でよそよそしい。既にファッション界から引退し、過去形の扱いであったからでしょうか。しかし、数十年前、サーマンが追想した熱狂の渦の中心に、サンローランは確かにいたのです。
 
saintlaurant02.jpg60年代、そして70年代。世界はサンローランの才気とクリエイティビティに魅了されていました。年に4回発表されるクチュールとプレタポルテのデザインは、新聞や雑誌と言った限られたメディアを通じて世界中の業界人に吸収され、インスピレーションの源、雛形となりました。本物に手が届かない人々の下にも、サンローランのデザインのエッセンスは届けられました。大手百貨店は悪びれる事なく堂々とコピー商品を売り、雑誌に掲載された写真をまねたスーツやドレスが町の洋裁店で仕立てられました。現在のような人気ブランドのバッグを持つこととは違う形で、人々の日々の装いに、ファッションに確実に浸透していったのです。雑誌やインターネットにはおびただしい情報やイメージが溢れ、ハイソもトラッシーもひっくるめて多様な質とデザインの服が日々消費される現代では、もはや実感を伴って理解されないかもしれません。しかし、当時のそんな「不自由」な環境も手伝って、サンローランの作品は、一握りの熱狂的なファンや有閑階級のクローゼットにしまい込まれず、様々なレベルで広く親しまれることになりました。
 
結婚式のための純白のスーツとドレスを誂えたミック・ジャガーとビアンカのような時代を代表するヒップなカップルだけでなく、都会の片隅でやりくりしながら精一杯オシャレを楽しむ普通の女達も、サンローランに全幅の信頼を寄せていました。75年にアメリカで出版された本『チープ・シック』は、流行に流されず限られた予算で自分らしいオシャレを楽しむ女性達をたくさん紹介していますが、彼女達がここぞとこだわったのが、サンローランのブーツだったり数年前に買ったコピー商品だったりするのが何とも興味深い。(ちなみに、この本の「ほんとうにクラシックなもの」の章でサンローラン本人のインタビューも読む事ができます。)彼がデザインするものは、ファッションの都、パリが送り出す「間違いのないもの」だったのです。
 
それほどの注目と期待にほんの若いうちから曝され続けたサンローランの人生が過酷なものでもあったことは想像に難くありません。新しいコレクションの発表前には、お守りがわりのバッグスバニーのおもちゃをいじって、わき上がる不安をなだめていたそうです。良き理解者であった彼の母は、インタビューで「ディオールの後継者となったとき息子の青春は終わった」と語っていますが、世間が付けた「皇太子」というあだ名に相応しい仕事を、振舞いを常に求められた彼が、アルコールやドラッグに走ったのも無理からぬことであったのではないでしょうか。徴兵された時に患った極度の神経衰弱も、もともと大変繊細な質である彼を生涯苦しめました。死は、ある意味、解放であったのかもしれません。
 
サンローランの仕事は、かつての恋人でビジネスパートナーであったピエール・ベルジェと設立した財団のウェブサイトで見る事ができます。今でも十分魅力的な街着から夢のようなドレス、各年代のショーのスナップと見るべきものは多数ありますが、特におすすめしたいのが、優れたファッションのセンスと華やかなパーソナリティで知られたアメリカ社交界の名華、故ナン・ケンプナー(写真、下)所有のドレスの写真です。サンローランとも親しく、また昔からの熱心なファンとして1000点を超えるアイテムを所有していたといわれるケンプナー。服そのものの写真もけっこうですが、もはや若いとはいえない彼女が自慢のドレスで着飾った写真をご覧頂きたい。着る人を輝かせるために人生を捧げてきた天才の仕事と、シックに生きる事を信条とし「装うこと」を心から愛した女性の素直な喜びが呼応しあって、ちょっと感動的ですらあります。たかがファッション、なんとセンチなと鼻白む方もあるかもしれない。しかし、ケンプナーの晴れやかな姿は、「着る事」の快楽をを知り尽くしたデザイナーと顧客の理想的な関係を象徴しているかのようです。


ピエール・ベルジェ・イヴ・サンローラン財団のウェブサイト

□興味がある方は、ベテランファッションジャーナリスト スージー・メンケスへのインタビュー記事をどうぞ。長きに渡りがイヴ・サンローランの人物と仕事を見てきた人ならではの鋭い洞察とコメントが読めます。





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2008年06月04日

Papa’s got a brand new project  A.P.C.のクリエイター 新たな挑戦

APC Tracks, Vol. 2フレンチ・シックの代名詞として日本でも人気の高いフランスのブランド、A.P.C.。デザイナー兼オーナーのジャン・トゥイトゥは、服のデザインだけにあきたらず音楽レーベルを立ち上げレコーディングスタジオまで拵えてしまうなど、56才の今も新しいことに挑むキモチを失わないことで知られています。目下彼が心血を注いで取り組んでいる最新プロジェクト、それは、全く新しい幼稚園をつくること、です。
 
そもそものきっかけは、3才になる娘リリーちゃんを通わせたいと思う幼稚園が見つからなかったこと。奥さんと二人、あれこれかたっぱしからあたってみたのですが、公立幼稚園では子供を教室に詰め込んで画一的なマニュアル教育しかしないし、近所のカソリック系私立幼稚園には、一神教について複雑な思いがある身としては通わせたくない(ちなみにトゥイトゥはチュニジア育ち、両親はユダヤ系)。それなら自分たちの理想の幼稚園を自前でこしらえてしまえばいい、となったそうです。
 
前の結婚でもうけた子供を、ヴァカンスでなく格差社会の現実を教えるためにインドへつれていくなど型破りなパパであるトゥイトゥですが、愛娘のために拵えた幼稚園、Ateliers de la Petite Enfance(略称A.P.E.)のカリキュラムもユニークそのもの。あくまで子供の個性、自主性を尊重し、大人があれこれ押し付けたり仕切ることは一切なし。厳密なルールもありません。
 
apcape01.jpgまた、子供の時から本物に、上質なものに触れさせるべきというトゥイトゥの信念を反映して、普通の幼稚園ではとても望めないような理想的な環境づくりもなされています。A.P.C.のショップ・デザインを手がけるローラン・ドゥローによる簡素ながら機能的で明るいインテリアの教室に配置されたのは、アルヴァ・アアルトがデザインしたコドモ用の椅子。お昼寝のブランケットはグレーのコットンカシミヤで、お絵描き用スモックはA.P.C.調のミニマル・シックなデザイン。親達の反応も上々で、25名の定員枠はオシャレ業界人の子供達で既に埋まってしまっているとか。
 
しかし、理想を現実にするには先立つ物が必要。1年分の授業料はなんと16,000ドル。優秀な先生(お絵描きはジェシカ・オグデンが担当)が児童数人に一人付く手厚いシステムで人件費がかかることもさることながら、パリ6区、リュクサンブール公園から数ブロックという立地のおかげで土地の賃貸料が馬鹿にならないのも高額な授業料の原因だそうです。
 
友人達から「常に時代の先を読んで行動する男」と評されているトゥイトゥ。幼稚園の分校を建設することも検討中だそうです。トゥイトゥモデルの幼稚園が主流になる日がくるかもしれません。
(「W」2008年4月号より)


□A.P.C. http://www.apc.fr/
□A.P.C.-JPN http://www.apcjp.com/jpn/
A.P.C.-MUSIQUE



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2008年05月22日

プリンセス気取りはまだ早い —子役・ティーン女優をめぐるファッション事情—

princess01.jpg女優達がきらびやかなドレスを競うレッドカーペット。ポーズを取る姿は世界中に配信され、その着こなしを吟味するファッションチェックのページは日本のファッション誌でもすっかりおなじみとなりましたが、この「儀式」はファッション業界にとっても絶好のパブリシティの機会。ハリウッド女優たちは、ブランドを世界に知らしめる最高の媒体なのです。
 
しかし、レッドカーペットを歩けるきらびやかなハリウッドの住人の数にも限りがあります。それならば、とにわかに業界が熱い視線を注いでいるのが、ブロックバスター映画に出演するティーン女優や子役達。作品によっては、主役級のスターとしてプレミア試写や映画祭でプレスのフラッシュを浴び、演技が評価されれば賞レースにだって参加できる。しかも、オトナの女優と違って、文句も言わない、すれてない。ファッションにいたっては、スタイルすらないまっさらな状態。まさに格好のターゲット、とばかりに有名デザイナーや一流ブランドが年若いハリウッド人種に群がり飾り立てようとやっきになっている現状について、アメリカのファッション誌「W」は眉をヒソメテいます(2007年11月号)。
 
例えば、かのシャネル。ハリーポッターの一連の映画に出演し一躍キッズの心をつかんだエマ・ワトソンや、エマ・ロバーツ(ジュリアの姪)、ティーンエイジャーだったころのカミーラ・ベルに、いち早くドレスの提供を申し出ています。ジョディ・フォスターのように、名子役から大女優へ開花する可能性を見越してブランドとの強い結びつきを作っておきたい、という「青田買い」的な狙いがこうしたオファーにはあるとささやかれていますが、オトナまであと一歩、なティーン女優だけでなく、子役にまでファッション業界の触手は伸びています。
 
princess02.jpg例えば、映画『リトル・ミス・サンシャイン』での好演で脚光を浴びたアビゲイル・ブレスリンちゃん。アカデミー賞にノミネートされ、コダック・シアターにブリブリのお姫様スタイルで登場したアビゲイルちゃん。いかにもなドレスのチョイスですが、その小さな足を彩ったのはジミー・チュウのピンクサテンのミュール(ハイヒールは未体験だったのでパス)!。キャンディーバーを偲ばせたクラッチバッグはスワロフスキー製。小さなお耳と首元でキラキラしていたのは、驚くなかれ、ハリー・ウィンストンのダイヤモンド!話題作りとはいえ、オンナを上げる小道具として大人の欲望をかき立てるあこがれブランドが、よってたかっていたいけな女の子を着せ替え人形にしてしまうのはいかがなものか、であります。
 
こうした世の動きに敏感に反応し、アビゲイルちゃんよりお姉さんな世代のティーン女優達は、大人のセレブを顧客に持つ有名スタイリストを雇い入れたり、ママの物でないブランドバッグを持ち歩いたり、「何を着るか」「他人の目にどう映るか」ということについて大人同様神経をすり減らしているようです。

しかし、やはりどんな美少女にも、年相応、はあります。ティーン女優が身にまとうビッグメゾンのドレスは、いずれも大人向けのものをコドモサイズに調整したもの。借り着感は拭えず、世間の受けもイマイチのようです。また、主にお仕事の場であるとはいえ、心も頭もまだ未成熟なコドモのうちからハイファッションにどっぷり浸かることの悪影響(歪んだ価値観を育む)も懸念されるそうです。「プラダに首までつかる生活を送ってきて、突然バナナ・リパブリックを試してみろといわれてもとても難しいでしょう」とは、児童心理学者の弁。
 
野暮ったく恥ずかしー若気のいたりな日々があるからこそ、オシャレ道は磨かれてゆくものではないでしょうか。どうあがいてもアバクロが似合わなくある日はやってくるのですから。過酷な競争を勝ち抜くためのビジネス上の戦略かもしれませんが、ファッション業界の方々にはオトナな態度で若きハリウッド人たちを見守ってほしいものです。

□ピンクのドレスはブレスリン嬢(写真、上)。黒いドレスがシャネルを着たエマ・ワトソン嬢(写真、下)。このルックのおかげで、エマは若干15歳でアメリカの有名ゴシップ誌のファッションダメだしページに登場するという栄誉を得てしまいました。



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2008年03月31日

Fashion chips -きままにつまもう海外ファッション雑誌からの小ネタ集-

marant01.jpg*セレクトショップでおなじみのフランスのデザイナー、イザベル・マラン。アメリカでも、あこがれのFrench Girlsのリアルクローズ、としてクリスティン・ダンスト、レイチェル・ビルソン(ドラマ「The O.C.」に出てるヒト)とハリウッドにもファンを獲得。トレンドを追わず本当に気に入った服しか着ないといわれるファッションモデル達のお気に入りとして、遅ればせながら注目を浴びつつあるマランを、アメリカの雑誌「W」2月号が取り上げています。
 
40歳になるマランは、パリ育ち。母はドイツ人、ステップマザーはカリビアン。ティーンエイジャーの頃からデザインを始め、クリストフ・ルメール(現ラコステのデザイナー)とのコラボレーション作品をブティックに持ち込み買い上げられたことからファッションを仕事にする事を決意。ミッシェル・クランのアシスタント等を経て若くして独立、1994年にフルコレクションを発表して以来、独自の路を歩んできました。
 
自分が着たいと思うものを形にするだけ、映画から引用したり、わかりやすいテーマを掲げてデザインする事は「ちょっとお勉強っぽくって」いやだというマラン。ただ、インスピレーションを与えてくれる存在がない訳ではありません。例えばセルジュ・ゲンズブール、イヴ・サンローラン(「私の内なるフランスらしさかしら」)。ポール・ポアレ(「エキゾチックな素材から新しいものを引き出す才能に惹かれます」)。子供のころに訪れたインド、アフリカ、アジア、カリブ諸国での思い出も、創作の源になっているとか。
 
フランスのファッション界の一翼を担うビッグメゾンの賑々しさ、華やかさとは一線を画し、デザインもビジネスも地道に我が道を歩んできたマランらしく、プライベートはいたって静か。週末には、パートナーであるバッグデザイナーのジェローム・ドレフュスと4歳になる息子とともに、パリから30マイル離れたログキャビン(水道も電気も引いていない!)で過ごすそう。世界中を自分の服で溢れかえらせたいとは思わない、といたって謙虚なヒトですが、叶わなかった望みもあるそうです。「シャネルで一年、サンローランで一年、アシスタントとして働く事ができていたらなあと思うわ。」
□Isabelle Marant
http://www.isabelmarant.tm.fr/

*フランス・ヴォーグ誌のBad Girl特集
katemoss01.jpg2月号のフランス・ヴォーグ誌のテーマは、Bad Girl。お騒がせスーパーモデル、ケイト・モスとナオミ・キャンベルが表紙を飾り、ピアフからサガン、ブリトニー・スピアーズにパリス・ヒルトンまでBad Girlの系譜をたどるとともに、テーマに相応しい写真も多数掲載しています。出色だったのが、グラミー賞を総なめにした入れ墨嬢、エイミー・ワインハウスをインスピレーションにした“L’idole”と(もちろん本人は登場しません)、ストリッパーから89歳の石油王の妻となり話題となったモデル・女優のアンナ・ニコル・スミス(R.I.P)を下敷きにした“Just Married!”。
 
トラッシーすれすれのファッションに例のアイメイク、入れ墨のチープさ加減までばっちり再現したほとんどワインハウス嬢なアイドルシンガーの倦怠と孤独を描いてみせたのはピーター・リンドバーグ。安さとゴージャスのせめぎ合い、が魅力的です。
 
玉の輿夫婦の写真を手がけたのはテリー・リチャードソン。金髪・長身の売れっ子モデル、ナターシャ・ポーリーにフランス芸能界の最長老、御年101歳の俳優Pierre Geraldをカップリング。水をはじく若さと勢いでシャネルの豪奢なドレスを見事に「征服」、身も心も思うままにできる夫に寄り添い車いすを押す新妻の虚と実を、タブロイドっぽい視点から描いています。ファッションが追求する「美」が、時にモラルや美徳をコケにしながら燦然と輝いてしまうこをあっけらかんと証明してしまっているのが何とも皮肉でおもしろい。
 
リスキーなテーマを選んでも、下品に落ちず作品として見せてしまうところ、さすが、フランス・ヴォーグ、です。

文中の写真は下記のアドレスで見る事ができます。
□“Just Married!” by Terry Richardson
http://teamsugar.com/group/803054/blog/1003621
□“L’idole” by Peter Lindberg
http://teamsugar.com/group/803054/blog/975827

*Young at Haute オートクチュールの若き顧客達
若くはないがおカネはある人々の贅沢、とみなされてきたオートクチュールの世界に変化が押し寄せている—「W」2月号は、そんな現象を取り上げ、シャネル・オートクチュールのクライアントである24歳の女子大生、ジェイド・ラウを紹介しています。
 
香港の不動産王、ジョセフ・ラウを父に持つジェイドはアメリカの大学院で修士号取得を目指す女子大生。父は有名な絵画コレクター(最近もクリスティーズでゴーキャンの名画を競り落として話題に)、亡き母はシャネルのジュエリーとプレタポルテの長年の顧客と大変なお嬢様ではあるのですが、オートクチュールの顧客になったのは一族の中でも彼女が最初だとか。絵画や宝石などは資産として長く命を保つ贅沢品であり「投資」と見なされてきたものの、つかの間の喜びのために少なからぬ額のカネを投じることはこれまでなかったそうです。(「私がきれいにしてハッピーでいて欲しい、それだけなのね。」とはジェイドの弁。)
 
着るもの全てがオートクチュールという訳にはいかず、誂えのコートの下にはアメリカの大手スーパー、ターゲットのTシャツと高低ミックスのお洒落を楽しむジェイド。ジュエリーにエルメスのバッグ、クリスチャン・ルブタンの靴のコレクションにはまっているという彼女のポートレートには、パパのお気に入りらしい少女の面影が漂っています。オートクチュールの若い顧客の数は近年増加の一途をたどっているそう。カール・ラガーフェルド曰く「金離れがいいし、冒険を恐れない」彼女達のセンスがファッション界に影響を与える日はそう遠くない?



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2008年02月26日

You’ve come a long way, baby −ヒップホップ界のスターと手を組むルイ・ヴィトン−(2)

vuitton-hiphop2.jpgただし、ルイ・ヴィトンがヒップホップ・ファッションをそっくり受け入れたかというとそうでもありません。マーク・ジェイコブスのアーティスティック・コンサルタント、カミーユ・ミチェリもデザイナーとしてプロジェクトに参加しており、マーク自身もお目付役になるなど、ファレルがこれまで志向してきたポップなデザインがそのまま持ち込まれる事は回避されています。また、ファレル自身も、映画になるようなタフな出自とは縁のない、クリーンでスマートなイメージの持ち主。、フランス版ヴォーグでのインタヴューでも、ラッパー=下品な車にビキニの女の子を侍らせたギンギン野郎という世間のイメージと一緒くたにされる事を嘆き、自分のデザインについて、「古くはキンキラ衣装で有名だったエンタメ系ピアニストのリベラーチェ、エルヴィスに、ヒップホップグループのN.W.A.と定期的に出現しては人々に愛されるキンキラ人脈の流れに組するもので、70年代のテレビスターの金ピカファッション(例えばドラマ『特攻野郎チーム』のモヒカン男、ミスターTのアクセサリー)や黎明期のラッパーから影響を受けた宝石・貴金属オタク(NERD)である自分の好みを出したもの」と説明しています。確かに、今回発表されたジュエリーは、「洗練された派手さ」が印象に残るデザインで、ルイ・ヴィトンの名を冠しても何ら問題はないように見えます。
 
しかし、18金のブラックベリー用ケースを自慢する、ヒップホップ的bling-blingを体現する存在であるファレルを、デザイナーとして未知数であることを承知の上でわざわざ指名し、数年間もの準備期間を経て商品を発表したルイ・ヴィトンの経営陣には、ヒップホップ・ファッションを取り込んだという自負だけでなく、ヒップホップで育った消費者をターゲットにしようとするしたたかさが感じられます。フランス文化を、ヨーロッパ発ファッションを代表する老舗が、恐れを知らないヒップホップ・ファッションにひざまづいたというより、手なずけてしまったとでもいいましょうか。ファッションブランドからグローバル企業へと進化したルイ・ヴィトンの「次の一歩」であることを実感するとともに、ヒップホップ・カルチャーの変節を感じずにはおられません。ニューヨークの5番街にSean Johnのショップがオープンする等、「洗練と高級化」が進んでいる事は報じられてきましたが、ビッグ・メゾンが接点を見いだせるほどに落ち着きつつあるのかと思うと、複雑な思いにかられます。70年代に数多く制作された、『スーパーフライ』を初めとするブラックエクスプロージョン映画のヒーロー達が、その独自な着こなしもひっくるめてキワもの扱いされていたことを思うと、とうとうここまできたのか、と感慨ひとしおです。
 
ジュエリーのCMにいつもの緩いカジュアルスタイルではなくヴィトンのメンズウェアを着て登場し、自らデザインした作品をお披露目するファレル・ウィリアムズの姿には、わかりやすいヒップホップの気配は感じられません。アメリカのヒップホップ界が、そしてヒップホップ文化を消費する世界中の人々が、共感とともに身につけるのか、それとも反発するのか。商品が店頭に並ぶ春には、どんな反響を呼ぶのでしょうか。

□ファレルが着ているのは、本人がデザインするカジュアル・ファッションブランド「ICE CREAM」と「Billionaire Boys Club」の製品です。ウェブサイトはこちら
Louis Vuitton 公式サイト



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2008年02月24日

You’ve come a long way, baby -ヒップホップ界のスターと手を組むルイ・ヴィトン-(1)

vuitton-hiphop1.jpgルイ・ヴィトンは今月、ヒップホップ界の売れっ子プロデューサーチーム、ネプチューンズの片割れ、ファレル・ウィリアムズのデザインによるジュエリー”Blason”(「紋章」)を発表しました。アフリカ美術、アール・ヌーボーからデザイナー本人の刺青まで様々なインスピレーションから作り上げた26点は、まだ一部しか公開されていませんが、石座がリバーシブルになるしかけの指輪など、ゴージャスかつ凝った仕上がりです。
 
音楽以外にもジュエリーやカジュアルウェアのデザインを手がけ、多彩なスタートして知られるファレル。ルイ・ヴィトンとは、パーティで演奏したり、日本のファッションデザイナーNIGOと共同でアイウェアをデザインするなど関わりはありましたが、最低2000ドルは下らない最高級のアクセサリーを発表するとは。驚天動地、とまではいきませんが衝撃的なニュースです。
 
マーク・ジェイコブスのクリエイティヴ・ディレクター就任後、ルイ・ヴィトンは確かに「冒険」を続けてきました。例えば、村上隆を初めとする現代美術のアーティストとのコラボレーション。今話題の女優を国籍を問わず起用する広告キャンペーン(「ヴェルサーチのきわどいドレス」で有名になったジェニファー・ロペス含む)。ゴルバチョフ等非ファッション界の有名人を使った広告も記憶に新しいところです。これまでの保守的なおハイソイメージに揺さぶりをかけ、ポップでリアルな「今」のブランドへ世間の抱くブランドイメージを改めさせる、有効な戦略といえます。しかし、今回の「冒険」は、これまでのチャレンジに比較して格段の重みがあります。本流のファッション業界の旗頭である老舗が、亜流とみなされてきたアメリカのヒップホップ・ファッションを公に認めたことになるからです。
 
ラップが世界のヒットチャートに食い込むようになってから、ビデオクリップに登場するラッパー達のファッションは時に音楽以上に世間の注目を集めてきました。スポーツブランドのアイテム等、デザインが主張しない出来合いのアイテムを組み合わせたストリート流の着こなしと、成功の証として誂えたbling-bling(ギンギラ)なアクセサリーの悪趣味寸前なコンビネーションは、従来のファッション業界にとって思いもつかない、インパクトのあるものでした。また、「人と違う常識破りのスタイル」をラッパー達が競ったおかげで、ヒップホップ界のファッションから、これまでの常識やトレンドをひっくり返す発想も生まれました。例えば、毛皮への執着。動物愛護の観点から野暮の象徴とされていた毛皮を着倒し、ティファニーのギフトボックスのような青やスニーカーとお揃いの赤に染めてみたり、スリーブレスのフーデッドパーカなど毛皮である必然性がないものわざわざ毛皮であつらえたり。ヒップホップ界のスター達が立ち上げたファッション・レーベル(パフ・ディディのSean John、ジェイ・ZのRocawear等)は、業界も無視できないほどの売り上げと人気を誇っています。
 
今や世界レベルのトレンドでヒップホップの要素は欠かせないものとなっており、程度に差こそあれ、ファッションブランドは何らかの形で意識し、また取り入れざるを得ない状況にあります。スポーツウェアブランドの格上げや、それを意識したデザインの登場はもちろんのこと、ヒップホップ・ファッションを表面的にいただいたりつまみ食いしたようなデザインは今やそう珍しい物でなくなりました。しかし、ヒップホップ界のファッションと本流のファッションとは依然として住み分けされています。地位と名誉を手にしそれなりの洗練を求められるようになったヒップホップ界のスターたちも、オーダーメイドで自分のテイストを誇示するか、自分好みのビッグ・メゾンの商品を取り入れる程度で、ファッション業界とヒップホップの世界との表立った提携はありませんでした。そうした状況で、ファレル・ウィリアムズのデザインによるジュエリーが、フランスを代表するビッグ・メゾンであるルイ・ヴィトンから発表されることはいろいろな意味で大きな一歩と言えます。


Pharrell Williams×Louis Vuitton =“Blason”Jewelry
(CM from youtube)


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2008年02月10日

Not a Greedy Girl‐ダスティ・スプリングフィールド BBC秘蔵映像DVDリリースによせて

1966年から翌67年にBBCで放映されたダスティ・スプリングフィールドのワンマンショーのDVDがリリースされました。ブリティッシュ・インベンション女子代表として世界的なヒット曲(「この胸のときめきを」)にも恵まれ、名実ともにイギリスでナンバーワンの女性歌手であった、「絶頂期」を記録した貴重な記録です。

映像はモノクロですが、20分弱の番組のために毎回複数のアレンジャーを起用、ストリングスを含むフルオーケストラに、番組専属のバックヴォーカルグループまで抱えた豪華な内容で、BBCの力の入れようが伝わってきます。
 
そんな期待にダスティは見事に応えます。持ち歌より他人の歌をたくさん歌うという挑戦的な趣向もなんのその。モータウンからシャンソン(例のジャック・ブレルの曲)、ブロードウェイの最新ヒット曲からトラッド、ブロッサム・ディアリーが得意とするようなジャズ小唄まで、いいメロディ、という条件で選ばれた雑多な楽曲を汗もかかず歌いこなしてしまいます。その完成度たるやライブ映像だとはとても思えないほどで、どんな曲も自分のものにして完璧に歌い上げるのだからオドロキ。こういうのを無敵の状態というのでしょうか。
 
その反面、いわゆるエンターテイナーになりきれないでいるのも興味ぶかい。踊れるでなし、トークも苦手らしく、決められた口上を言うのがせいぜい。観客の万雷の喝采にもどう応えていいのかわからず、手を胸の前で組んで小さく礼をするのがやっと。どうやら大変にシャイな人柄、のようなのです。
 
しかし、歌となると別人に変身。バラードのストリングスにもアップテンポのビートにもすっと身を委ね、時に奔放に、時に細心の注意を払って声を重ねてゆきます。音楽の一部となる喜び、歌う喜びをここまで率直に「見せて」しまうシンガーは見た事がありません。かといってスターにありがちな自己陶酔はみじんもなく、そんな振舞いを禁じるストイックさすらも漂わせているのです。スターにもエンターテイナーにもなりきれない、しかし音楽に対してだけはどこまでも貪欲に、そして誠実でありたい—そんな真摯な姿勢には、大げさに聞こえるかもしれませんが感動すら覚えます。
 
翌1968年にはアメリカ深南部へ乗り込み、ホワイト・ソウルの金字塔的アルバム『Dusty In Memphis』を製作。しかし移り気な世の中はまたたくまにダスティを過去の物にしてしまいました。享年59歳、セクシュアリティやドラッグ等の問題のせいで波風の耐えない短い人生でしたが、後に残った音楽は今でも傾聴に値するものです。お気に入りの持ち歌 ”Some of Your lovin’” で「私はよくばりじゃないわ、少しでいいからあなたの愛を分けてちょうだい」と歌ったダスティ。スターとして栄光を手にした時代は決して長くはありませんでしたが、彼女が真摯に追い求め作り上げた音楽は今も輝きを失っていません。


ライヴ・アット・BBC / ダスティ・スプリングフィールド(DVD)


Dusty in Memphis
Dusty in Memphis
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5 ダスティを買うならまずこれっ!



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2008年01月29日

その後のGolden Marie - シモーヌ・シニョレ -

signoret_1952.jpgDVD発売のおかげで久しぶりに見る事ができた映画『影の軍隊』。圧倒され、沈黙してしまったのはこれまでと同じでしたが、新たな「発見」もありました。女性活動家を演じたシモーヌ・シニョレが何とも魅力的なのです。
 
シニョレが演じたのは、ハイティーンの娘を持つ母親でありながら、家族に知らせずにレジスタンス活動に身を投じた中年女性、マチルド。活動グループの中心的存在として実績を積んできた「驚くべき女性」で仲間からもマダムと呼ばれ一目置かれる存在。しかしその外見はいわゆる女闘士とはほど遠い。細い脚とは対照的な、がっしりと厚みのある上半身。年輪が刻まれた顔。結婚指輪だけが光る、よく働いた手。ソックスを履くような地味で慎ましい服装。無線機を隠した買物用のバッグにカモフラージュのための薪を詰めてアジトを後にする姿は平凡な主婦そのもの。「ジャック・ベッケルの映画”Casque d’or”で匂い立つようなGolden Marieを演じた、あのシニョレもこうなるのか」という感慨がまずあったのは否めません。
 
しかしそれなりの年月を経て再び接したシニョレについての印象は、あきれるほど大きく変わりました。すっくと立った姿勢。無駄のない所作。年期の入った煙草を吸う仕草。お洒落を感じさせるアイテムはゼロに等しいのに、女性らしさと気品を失わない着こなしの良さ。変装して厚化粧の商売女に化ける短いカットでのあだっぽさ(板についている、という点がマチルドという女性の過去をちょっと連想させもします)。こういっちゃ何ですがいちいちが実に「カッコよい」のです。
 
そして極め付きは深みのある瞳の表情。もともと大きな瞳の持ち主ですが、相手をじっと見つめる淡い青のまなざしが、口にする事のできない思いを雄弁に語ります。アクターズスタジオ的ないかにもの演技が大嫌いと公言するメルヴィル監督の、抑制されたミニマムな演出の成果とも言えるのかもしれませんが、この瞳なくしてはこの映画の魅力は半減していたといっても過言ではありません。
 
若いとはいえなくなってからのシニョレの魅力を貫禄、姉御肌と称すひともいますが、個人的にはちょっと違う感じがします。清濁併せ飲む凄みというより、曲折を経てなお残った清々しさとでもいいましょうか。
 
左翼的な映画人であり続け、アルジェリア戦争への発言で夫イヴ・モンタンと共にフランス芸能界から閉め出され、アメリカでの生活を余儀なくされた時代もありました。モンタンとマリリン・モンローの不倫関係に傷つき自殺未遂を起こした過去も。亡くなるまで保ち続けた「発言する女優」のスタンスも、数カ国語をこなす国際派女優でもあった彼女のキャリアに常にプラスに働いたとは言い難いところがあります。しかしそんなあれこれを「私は私」とくぐり抜けてきた人生の姿勢が、女優シモーヌ・シニョレの魅力をつくる助けとなったのではないか、とも思います。
 
豊かな金髪を結い上げ「ルーベンスの絵から抜け出たような」はちきれんばかりの女性美を体現していたGolden Marie としてのシニョレは歳月を経て失われました。しかし、時を刻み変容したシニョレでなければ、平穏な人生を捨て敢えて活動を選んだ、きびしさを抱いた中年女性を造形することはできなかった。過去のイメージを遠くはなれて手にした「美しさ」に、この映画を通じてぜひ触れて頂ければと思います。



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2008年01月08日

浮かれ気分はもう結構 一味違う年始を過ごしたい方のお買い物ガイド

お正月の浮かれ気分と縁を切りたいあなたに、とっておきのアイテムをご紹介します。

<DVD>
□『影の軍隊』(“L’armee des ombres”)(1969年)

フレンチ・ノアールの巨匠、ジャン・ピエール・メルヴィルが渾身の思いで作り上げた「戦争映画」。昨年アメリカで初公開(?)され、映画ファンを驚嘆させました。

ジョゼフ・ケッセル(『昼顔』のヒトですね)の小説をもとにナチ占領下のフランスのレジスタンス達を描いた本作は、原作者・監督どちらも活動に身を投じ修羅場をくぐってきたということもあり、細部にわたりリアリティに満ちています。
 
フランス解放という先が見えない目標のために、日常生活にまぎれて任務を果たし、時には仲間を手にかけねばならない。そんな極限状態にある人々の姿が、センチメンタリズムを排した冷静な語り口と、息詰るテンポでたんねんに描かれています。ヒロイックで讃えられるべきものとして語られるレジスタンス活動の記録ではなく、過酷な結末を承知で身を投じた無名の活動家達の「私」の部分、達観したはずなのに揺れ動く生身の人たちの姿を徹底して描きたい、そんな監督の執念がはしばしに感じられます。 
 
胸苦しくなるような緊迫した場面も多く一級のサスペンス作品ともいえるのでしょうが、偽名を名乗ったまま口を割る事なく命を落とした人々へのひりひりするような思いと気迫がそう呼ばれることを拒否しています。直接的な暴力シーンを極力避け、美しい自然描写も織り込みつつ、独特な寒色系のトーンの映像でまとめあげられたこの作品は、メルヴィルからの「手向けの花」といってもよいのではないでしょうか。
 
地味ですがリノ・ヴァンチュラやシモーヌ・シニョレ等フランス映画界を代表する名優達が出演。特にシニョレの存在感は圧倒的です。レンタルなし、1500円のお買い得価格。フランスにかつてそんな苛烈な日々があったことを知る格好の機会であることはもちろん、メルヴィル監督の最良の一本として映画好きも必見。

※字幕の一部に問題があるとの指摘あり。これにひきずられてパッケージのあらすじも妙なことになっています。「ヴァンサンのパパは臆病者ではない」ので念のため。

<本>
□『墓の話』 高橋たか子(講談社) 
墓の話敬虔なカソリックでフランスでの滞在経験もある、高名な純文学作家(ご主人は故高橋和己)の最新作品集、と説明したら食指が動かない方もいるかと思います。私もそうでした。しかし読まず嫌いは一生の損とはまさにこのこと!
 
作者のフランスでの経験に緩く基づいた、小説と随筆どちらにもカテゴライズできない不思議な手触りの短編が納められています。いずれも作品も死と戦争が通奏低音になっており、最後の一編(世界大戦による苦難を予言し涙を流す聖母のヴィジョンを見てしまった子供達について)を読み終わったときには、収録された作品全てが互いに響き合っていたのがわかります。
 
わき上がった感興を徹底的につきつめて、明晰な言葉で形にしたらこうなった、とでもいいましょうか。一作ごとに、静謐で澄んだ、散文でしか綴り得ない世界が立ち上がってきます。無駄のない、翻訳調を思わせるちょっと固めの文体で丹念に磨き上げられた作品は、読む人にとても豊かなひとときを与えてくれる事請け合いです。例えるならば、こんこんと湧き出る湧き水でしょうか。
 
読後、何ともいいようのない気持ちのざわめきと静かな高揚感に包まれます。

「珠玉の掌編集」といったコピーとは無縁の作品群ですので、念のため。


□『ハルビン・カフェ』 打海文三(角川文庫)
今年鬼籍に入った寡作の作家の代表作。大藪春彦賞受賞、いわゆるハードボイルドです。(作者の紹介は、上原隆のノンフィクション『喜びは悲しみの後に』にゆずります。) 

ハルビン・カフェ (角川文庫)難民流入と暴動を経て、中国・韓国・ロシアのマフィアが台頭する日本海側の架空の都市「海市」が舞台。抗争により殉職者を多数出した地元警察関係者が秘密組織を結成、報復テロに出たことを振り出しに繰り広げられる「近未来」小説です。設定が徹底的に作り込まれ、それなりに分量が割かれた抗争の歴史だけでも読みでがあります。ハードボイルドというより、個人的にはJ・G・バラードの近作群に近しいものを感じます。
 
作者特有のクセ(例えば聡明な美少女へのある種のオブセッション)もあり、最初の数ページで投げてしまう人もあるかもしれません。しかしそんなマイナス面を承知で薦めたくなるような、さらっと読み飛ばされる事を拒否する強靭な想像力の成果がここにあります。映画畑出身らしくスペクタクルな情景描写も魅力です。主人公と目される人物の「ことの起こり」が説明されつくされないところも、この小説をいっそう複雑にしています。
 
最晩年の作品が一番という声もありますが、この一冊からスタートするのもよいのでは。



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2007年11月24日

ウェーバーの 「SON REVE AMERICAIN」 - フランス版ヴォーグのブルース・ウェーバー特集

vogue_novembre_2007.jpgフランス版ヴォーグがやってくれました!11月号の半分近くのページを写真家ブルース・ウェーバーの好きにさせてしまったのです!

ラルフ・ローレンやカルヴァン・クライン等アメリカを代表するファッションデザイナーのために長年仕事をし、「そそるアメリカ」のイメージを発信し続けてきたウェーバーに全てを任せたということは、ファッションの総本山フランス版ヴォーグからの「アメリカなるもの」へのオマージュと言えます。

名物編集長カリーヌ・ロワトフェルドの大胆な提案を受けて、ウェーバーが表紙のために撮影したのは、ビンクとブルーのヴィヴィッドな色のミニドレスに身を包み破顔一笑するサニー・アメリカン・ガール、キャロリン・マーフィーとファッション業界で注目を浴びているトランスヴェスタイトの黒人スタイリスト、アンドレ・J!いわゆるおネエ系なのに密集あごひげ有り、という不思議キャラクター、アンドレがスーパーモデルと美脚を競い合うオドロキの趣向もさることながら、ヴォーグのいつものおすましイメージを突き崩す写真の突き抜け加減が実に心地よい、のです。

衝撃は表紙だけにとどまりません。アメリカを代表するもう一人のスーパーモデル、ダリアをTV出演で有名になった現役の賞金稼ぎ、ドゥエイン・ドッグ・チャップマン(見るからにヘルスエンジェルスなおっちゃん)と強面の仲間達に混ぜ込み、リアリティーショウ風フォトストーリーを作ってしまいました(モノクロ写真のみで構成、というところが一味違います)。

もちろん、ウェーバーお得意のクールな官能性とインティメイトかつイノセントな雰囲気の作品も満載。アメリカ文化の象徴であるミュージカルとストリップティーズを下敷きにした挑発的で躍動感溢れるフォトセッションから、おなじみの題材「大自然の中で戯れる普通の少年少女たち」による作品もしっかり用意。また、ラルフ・ローレンやエスティー・ローダーの孫娘といったアメリカのファッション界のアイコンも取り上げ、盛りだくさんの内容です。

とりわけ魅力的なのは、撮りおろし作品に挟み込まれた、ウェーバーのコラージュノートからの抜粋。”I know it’s a little bit crazy, but…”というタイトルが示す通り、彼の目に留まった雑多なイメージ群は実に刺激的。好きな物を集めてみました、という一見とりとめのない内容ですが、ウェーバーの紡ぎだす独特の世界の原型であると同時に、彼の抱く「アメリカなるもの」という大きなヴィジョンの一部とも読み取れる、興味深いページです。

表紙の写真ははやくもファッションピープルの物議をかもしていますが、スターの美麗ポートレートに豪華商品カタログ的な編集、とものたりなさが蔓延すファッション雑誌の世界において、フランス版ヴォーグが投じた「一石」は個人的にとても痛快。久しぶりにおもしろいものを見せて頂きました、という感じ。手書きのイラストで紹介されている、ブルース・ウェーバー特集を支えたチームのみなさん(ウェーバーの愛犬5匹を含む)と、実験の場を用意した編集長様に拍手!です。


VOGUE.COM
video(quick time)
photos


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2007年10月26日

「マダム・ビザール マリー=ロール・ド・ノアイユのパトロン人生」(2)

MLN02.jpgそして更なる「事件」が彼女を見舞います。夫がインストラクターと同衾しているのを目撃してしまったのです。頼りとしていた夫に裏切られ、世間からも手ひどい仕打ちを受けたマリー=ロール。自分の足で歩き始めることを余儀なくされた彼女は、見事な変貌を遂げます。

自らの意志でパトロネスとしての人生を選び取るのです。おカネを出すだけにとどまらず、これと見込んだ芸術家の衣食住全ての面倒を見、時に愛人にしました。指揮者・作曲家でディアギレフともゆかりの深いイゴール・マルケヴィッチとの関係は特に有名で、病に倒れたマルケヴィッチを転地療養させ、自ら看護婦役を買って出たといいます。

また、歯に絹着せぬ物言いで有名だった母方の祖母の血を受け継いだのか(Merdeという言葉を人前で口にしたフランス初の社交界のマダムとして有名)、言動も大胆不敵、過激になってゆきます。シャネルのシンプルなスーツを制服のように身にまとい、きわどい会話を楽しみ(晩餐の席で大人のおもちゃの話を公然と口にしたといいます)、美男にはとことん甘く、女達にはとてつもなく厳しい。これがマリー=ロールのスタイルでした。

晩年、ルイ・マルと恋人関係にあった話題の女優、ジャンヌ・モローがナポレオン家の末裔と連れ立って歩くのを観て、こんなことをいったそうです。”Elle va de mal en pire”(「彼女はひどくなる一方だね」・・・マル(mal=Malle)と皇帝(empire=en pire)をひっかけたマリー=ロール流の皮肉です)。遠い先祖であるマルキ・ド・サドの事を誇りにし、シュールレアリストの友人達に、『ソドムの120日』を音読させては楽しんだそうです。
 
気に入ったものには節操なくのめり込むひとでもありました。愛人が左翼であれば、「赤い子爵夫人」とあだ名されるほど熱心に左翼の集会に出席する一方、占領下のパリでナチの将校とも関係を持ちました(「彼はオーストリア人なんだから」というのがマリー=ロールの弁明だったそうですが)。世間は世間、私は私、という超然とした貴族的な態度が彼女の魅力であったと身近な人々は語っています。
 
戦後はでっぷりと太り、シャネルをあきらめお腹を隠すために農婦の着るようなスカートに籠というお洒落とは言い難いスタイルに落ち着いたマリー=ロール。服装倒錯趣味のルイ14世みたいと評され、「きれいになるには十数回手術しなくちゃね」と我が身を茶化す一方で、1970年に68歳で生涯を閉じるまで生き方は変えませんでした。最晩年に観た500人の若者からなる軍のパレードに「見て!目の保養が500人も通り過ぎて行くわ!」と歓声をあげたという逸話が残っています。彼女の愛したパリの邸宅はイタリアのクリスタルメーカー、バカラの美術館として一般に公開されています。室内はフィリップ・スタルクによってすっかり改装されてしまったものの、当時の面影をしのぶことができます。

(了)


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2007年10月24日

「マダム・ビザール マリー=ロール・ド・ノアイユのパトロン人生」(1)

MLN001.jpg芸術の陰に芸術家たちの苦闘ありとは申しますが、アトリエで、書斎 で芸術家がじたばたすれば芸術作品が生まれるかというと必ずしもそうではない。絵を描くにも絵具が、キャンバスがいるように、芸術作品の完成にはおカネが必要。美術館で観る事ができる作品の大半は、パトロンが気前よく解いた財布のヒモのおかげでこの世に存在しているのです。

20世紀を代表する芸術様式、シュールレアリズムの陰にもやはりパトロンの存在がありました。スキャンダラスで挑発的な若い芸術家たちの試みを支えたのは、マルキ・ド・サドの血を引くフランスのマダム、マリー=ロール・ド・ノアイユです。

由緒正しきフランス貴族の母と、裕福なドイツ系銀行家一族の父との間に生まれたマリー=ロールは、生後18ヶ月で父を、7歳にして父方の祖父を失いヨーロッパでも指折りの資産を相続します。家庭教師と修道院付属の学校で教育を受けた、ボードレールを暗唱する青白い文系箱入り娘が社交界へのお披露目後に嫁いだのは、フランス社交界きってのダンディ、ノアイユ子爵でした。
 
結婚当時、・ド・ノアイユ子爵は2つのことに情熱を注いでいました。一つはスポーツ。南仏の別荘にフランス初の全天候型プールを設置。専属のスポーツインストラクターを雇い入れ、男性の招待客の部屋には水着と運動着が用意されていました。(60を超えてお招きを受けたアンドレ・ジイドも、もろ肌脱いで汗まみれでバレーボールに興じたとか。)
 
もう一つは前衛芸術。独身時代にも既にピカソの絵を購入していた子爵は、結婚後積極的に当時の前衛芸術家達の作品を買い求め、活動を援助します。ダリ、マックス・エルンスト、コクトー、マン・レイ(マリー=ロールのポートレイトも手がけました)、ピカビア、モンドリアン、ブランクーシにジャコメッティ。別荘の設計をル・コルビジュエに打診したり、プーランク等作曲家達にも作品を委嘱したりもしました。ジャン・ミシェル・フランクによる、装飾性を徹底的にはぎとったモダンデザインの室内に、遺産相続した古典芸術の至宝と新たに買い求めた前衛芸術が一緒くたに展示された子爵夫妻のパリの邸宅は、前衛芸術家のサロンとなります。
 
洒脱な夫に付き従い、プーランクを”Poupoule”と戯れに呼んでみたりする無邪気で幸せな若奥様、マリー=ロールにやがて転機が訪れます。夫が出資したダリとブニュエルの映画「黄金時代」のスキャンダルです。カソリックを徹底的にからかった、シュールレアリズムを代表する映像作品は法王はもちろん社会の轟々たる非難を浴び、子爵夫妻の名誉と評判は泥にまみれてしまいます。傷心の子爵は別荘で庭いじりに没頭し、社交の場に現れる事はありませんでした。

(続く)



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2007年09月28日

「TinseltownのElleたち -ハリウッド映画におけるフランスの女優たち- デルフィーヌ・セイリグの場合

windmill01.jpg夏の名残の苛烈な日差しもようやくトーンダウンしてきましたが、こんな時期に聞きたくなるのが映画『インディア・ソング』のテーマ。けだるくやるせない中毒性のあるリフレインは、夏と秋にまたがったどっちつかずな雰囲気にぴったりだと思うのですが。
 
言わずと知れたマルグリット・デュラスの代表作であるこの作品でヒロインを演じていたのがデルフィーヌ・セイリグ(1932-1990)。背中が大きく開いたドレスを身にまといダンスに興じる彼女の存在そのものが、演技力といったわかりやすい物差しでは計れない、強烈な印象を残します(銀幕の奇跡、なんて大げさな言葉で讃えたくなるぐらい)。現世との繋がりを感じさせない、この世のものならないムードがこの女優さんにはあります。
 
事実「謎めいた」という言葉は、セイリグのフィルモグラフィーを読み解くキーワードになります。妖精や吸血鬼など異界の住人にも扮していますし、生身のヒトを演じても不可解であったりする。例えば、サスペンス大作『ジャッカルの日』で演じた上流階級の未亡人。同情されるべき役回りなのですが、暗殺者に利用される女性の哀れさより、承知の上でずるずると危険に巻き込まれてゆくワカラナさ加減のほうが印象に残るのです。
 
ハリウッドの職人監督としてキラリと光る仕事をし、「監督」クリント・イーストウッドを育てたドン・シーゲルが、自ら製作も務めた映画『ドラブル』(1974)にセイリグをキャスティングしたのも、そんな「謎めいた」魅力に惹かれたからかもしれません。
 
舞台はロンドン、そしてパリ。マイケル・ケイン扮するイギリス諜報部員が謎の組織に息子を誘拐され、単身捨て身の作戦に打って出る、というお話で、セイリグは主人公を翻弄する組織のメンバーとして登場します。犯罪組織の一味の女、というと色仕掛けでヒーローを陥れようとする衣装も見かけも豪勢な美女を連想しがちですが、彼女が演じるのは年増のボヘミアン風の女。ヴィジュアル的なインパクトはあまりありません。
 
しかし、いわゆる「危険な香り」とは違うベクトルのきなくささを、この映画のセイリグは濃厚に漂わせています。彼女の演じる女性、シールが属する組織は思想も目的も判然としない謎だらけの存在。それだけでもうさんくさいのに、彼女が組織の一味である理由がわからない。仲間の男に惚れているらしい、とかろうじて臭わされるだけで、本当はきなくさい雰囲気が心底好きだからなんではないかという印象すら与えるのです。セイリグがキャスティングされた理由は、そんな読み解けない役柄故かもしれません。
 
監督の期待に応えて、セイリグは心の琴線なぞとうに切れてしまった犯罪者を喜々として、魅力的に演じています。誘拐したコドモを哀れむ素振りは一切なく、時に非情ですらあるのですが、「何が彼女をそうさせた?」と考えさせる余地を与えないウラオモテのない清明な悪人ぶりは、清々しささえ感じさせます。
 
ことに、主人公をハメるべくアジトで偽装工作をするシーンにはぞくぞくさせられます。ファンキーなビートの音楽に載って、真っ白なカシミヤのトレンチ風コート姿で颯爽と登場するプラチナブロンドの悪女が何をするかは見てのお楽しみ!唖然とすること請け合いです!
 

□『ドラブル』(原題は”The Black Windmill”)
この夏ついにDVDが発売されました。主たる舞台がロンドンという事もあり地味ではありますが、引き締まった小味な娯楽作品です。昨今の大げさな謀略物と違って楽しめる事請け合い。


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ドラブル
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2007年08月16日

Tinseltown の Elle たち - ハリウッド映画の中のフランスの女優たち - カトリーヌ・ドヌーヴの場合

hustle03.jpgフランスの女性美の象徴としてマリアンヌにも選出されたブロンドの美女、カトリーヌ・ドヌーヴ。今なお大スターとして映画界に君臨する、大輪の薔薇といった存在ですが、世界各国で上映された彼女の作品のほとんどがフランス製であったといったら驚かれる方も多いのではないでしょうか。確かに彼女のフィルモグラフィーをひもとくと、代表作と言われるものの多くがフランス映画。いわゆるハリウッド映画への出演はほんの数本にすぎません。あえてハリウッドに打って出ようとしなかったことが、彼女をフランスの、ヨーロッパの名華として世間に印象づけることになったのかもしれませんが…。


さて、数少ないハリウッドでの出演作で今回取り上げるのが、1975年の「ハッスル」。相手役は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのミスター・セクシー、バート・レイノルズ。監督はレイノルズと組んで「ロンゲスト・ヤード」をヒットさせたばかりのロバート・アルドリッチ。ファンが待ち望む次回作の相手役にと担ぎだされたのが、ドヌーヴでした。舞台はカリフォルニア。ロス市警のマッチョな殺人課の刑事と暮らすパリ育ちの高級コールガール。ちょっとありえない二人の愛の顛末が、砂浜に打ち上げられた若い女の死体を巡る物語を背景に語られるのですが・・・作品そのものはちと残念な出来映え。矛盾した二人の関係の微妙さ・複雑さを説得力をもって描ききれなかったということもありますが、主演女優の存在が大きすぎたことにも原因があるようです。(ヒロインが絡まない犯罪映画としての部分だけなら、それなりに見せ場もあるのです。)ラフな野郎どもの生命の輝きを描かせたら天下一品なアルドリッチも、フランスから来た典雅な美女を前にして調子が狂ったのでしょうか。いつもの豪快なタッチも押さえ気味で、らしくない映画、なのです。


いつもと勝手が違うことに苦しんだのはドヌーヴの方も同じだったかも知れません。ハリウッドが、アメリカの観客が望むステレオタイプなキャラクターの造形(レイノルズと一緒に「男と女」のリバイバル上映を見に行くシーンなんてある)、3人もスタイリストがついているのにイマイチな衣装、美しく撮るどころか皺のひとつまで見逃さないぞという勢いの、度重なるクローズアップ。そして犯罪ものの表紙イラストのような、監督独特のヤスさ加減(これがヤミつきにさせてくれるところでもあるわけですが)と彼女の持ち味との相容れなさ。個人の努力でどうにかなるものではありません。割り切ったのか、ドヌーヴは与えられた役をきっちり演じる事に徹しています。しかし、出来上がった作品中の女優ドヌーヴは、意外にも見応え十分、なのです。
 

当時32歳のドヌーヴの色香は、まさに圧倒的。引退をほのめかす女盛りのコールガールとしての存在感もたっぷり。当時彼女自身がイメージキャラクターを務めていたシャネルの香水を思わせる、濃厚な雰囲気が画面に漂います。豊かなブロンドの髪をブラッシングするシーンだけで魅せてしまう女優さんは、そうはいません。特に印象的なのが電話のシーン。愛人との会話に、商売そのものに!とこの映画でドヌーヴはやたらと電話をするのですが、この何気ない場面が実に素晴らしい。見つめ返す相手役もなく、カメラに曝されっぱなしの受け身な状態で、見えない「彼」に向かって囁き、髪をかきあげ、微笑みかける彼女の姿から、シナリオや映画そのものが語り得なかったヒロインの複雑さ、パリからカリフォルニアに「移住」し愛する男とともに再びヨーロッパへ帰る事を夢見るニコールという女性の重さが見事に伝わります。まさに映画だけが与えてくれる至福の瞬間です。


“Hustle” (1973) 日本でのDVD発売はなし。深夜枠でのテレビ放映を気長に待つしか見る方法はないようです。脇を固めるのはアーネスト・ボーグナイン、エディー・アルバートにベン・ジョンソンとイイ顔の俳優たち。ポール・ウィンフィールドが演じる同僚の刑事の演技が印象に残ります。後にドラマ「爆発!デューク」でデイジー役としてブレイクしたキャサリン・バッハがチョイ役で出ているのもご愛嬌。


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2007年07月20日

スパイダーマン役を打診された男…デヴィッド・ベルの驚異の世界

先ほどまで公開されていたハリウッド映画「スパイダーマン3」。スターさんがカメラの前に立つのはちょっとだけ、あとはCGにお任せ!なシーン満載のこの映画で、スパイダーマンが活躍するとんでもない場面を生身の人間に演じさせる予定があった、といったら信じていただけるでしょうか?ハリウッドにそんな無謀なことを思い立たせた人物が、フランスにいるのです。
 
davidbelle01.jpg

生まれ育ったリースに暮らす、一見どこにでもいそうな風体の若者、デイヴィッド・ベル(David Belle)に白羽の矢が立ったのには理由があります。それは彼が編み出した移動術、「パルクール」です。パルクールとは、平たく言えば「いかなる道具も用いず己の肉体を駆使してあらゆる種類の建造物を登り降りし、建造物の間を移動する術」のこと。ちょっとロッククライミングを思わせるところがありますが、パルクールの魅力はなんといっても現場が自然とは縁のない街頭であることにあります。公園の柵の上からアパートの壁まで、本来人間が素手で登り降りし動き回るために作られていないあらゆる建造物に、外観の美醜を問わず挑戦し、「やっつけてしまう」姿は何とも痛快。「都会のジャングル」という使い古された言葉も、ビルからビルへ飛び移り、壁をするするとよじ上るベルのパフォーマンスにはまさにうってつけのキャプションです。
 
父は伝説の消防士(ヘリコプターからロープでつり下げられノートルダム寺院の鐘楼に引っかかったベトナム国旗を取り外した逸話で有名)、兄も消防士というDNAを持つ落ち着きのない少年デヴィッドが、仲間との遊びの延長から始めたパルクール。現在の至芸へと洗練されるには、「師」が必要でした。ベルが巡り会った素晴らしい「師」…それは、インド放浪中に出会った野生のサルの群れでした。枝から枝へ自在に飛び移る流れるような身のこなしは、インスピレーションの源となったとか。しなやかで無駄のないベルのパフォーマンスを見ると、彼がいかに多くをサルから学んだかがわかります。
 
BBCなどのCM出演のほか、ハリウッド映画のアクション演出も手がけるなど活躍の場を広げているベル。コドモ時代のヒーロ、スパイダーマンを演じるという夢のようなオファーは断ってしまいましたが、リュック・ベッソンのプロダクションと組んでベル本人のパフォーマンスを世界中で披露していく予定だとか。日本にやってくる日も遠くない?
 
YouTubeにはデヴィッド・ベルのパフォーマンスが多数アップされています。関心のある方はチェックしてみてください。

David Belle - Rush Hour Le Parkour(BBC)
Parkour-David Belle–Yamakasi(TF1)


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2007年06月16日

Mr. Lagarfeld, Who are you? −知っているよで意外に知らないあの方のこと−

Vogue Presents: Karl Lagerfeldカール・ラガーフェルド。ファッション界で知らぬもののない大物。シャネル、フェンディ、そして自身の名を冠したブランドでの仕事はもちろんのこと、写真・挿絵・出版業といった畑違いの分野でも活躍。あっぱれな仕事振りだけでなく、デザイナー本人もワールドワイドな有名人としても広く認知されています。しかし、銀髪に若いコむけのディオール・オムをぴっちり着込んだインパクトのあるあの姿(ダイエット前は黒い扇がトレードマーク)は浮かんでも、ラガーフェルドという人物について知っている方は意外と少ないのではないでしょうか?例えば、彼が68歳で戦前のドイツに生まれたという基本的なことさえも。
 
業界入りのきっかけとなったデザインコンテストで、ラガーフェルドはコート部門、17歳のサンローランはカクテルドレス部門でそれぞれ第一席となった、ときけば、彼がどの世代に属しているのか実感がわいてくるのではないでしょうか。大物オートクチュールデザイナーのアシスタントを務めた後、フリーのデザイナーとしてシャルル・ジョルダン、クロエ等を手がけ「服だけでなく靴から小物、文房具まで」何でもござれの仕事ぶりで業界での地位を確立。フェンディのトレードマークである毛皮を大胆に処理した仕事で名を挙げ、ココの死後「香水のブランド」でしかなくなっていた「死に体」の老舗シャネルを見事に蘇生。今や年商数億ドルといわれるビジネスにした彼の手腕とサクセスストーリーはあちこちで語られている通りです。
 
しかし、メディアにあれだけ露出しているにも関わらずいわゆる「誰もが知ってる成功話」からはみ出た生身のご本人が見えてこないのは、他人にしっぽをつかませたくないという強い意志の現れなのかもしれません。わかりやすいビジュアルイメージも、リアルな私を隠す煙幕でしょうか。
 
「ニューヨーカー」誌(2007年3月19日号)が取材したラガーフィールドにまつわるあれこれを並べてみました。アビエイターサングラスに隠された素のラガーフェルドがみえてきます?それともかえって幻惑されるだけ?

i-pod Nanoを全色そろえている。
・仕事中はダイエットコーラを愛飲。
・パリの有名セレクトショップ、コレットで音楽誌やらCD等これから来るものをあれこれ「お買い上げ」している。
・ファーストファッションチェーンH&Mとのコラボレーションで、宣伝用につくられた等身大のポップアップを自邸に飾っている。
・母親に「指の形が美しくない」といわれたのでタバコには手を出さないことにした。ケミカル系のものとも縁がない。
・「とても幸せだった」子供の頃の自室を自邸に再現した。7歳の頃母から贈られたヴォルテールの絵が飾られている。
・フィッティングの時の微妙な調整も絵に描いて指示する。
・ペーパーバックは読んだページをどんどん破り捨てる。
・ミック・ジャガーのことを“ミッキー”と呼んでいる。
・携帯はもっているが使わない。連絡はもっぱらファクスで。
・取り巻きの一人はNYで出会ったロックミュージシャン、キャットパワー。
・自分自身の記録は一切残していない。デザイン画は描いた端からゴミ箱往き。
・Mac G5を持っているがネットサーフィンはしない。でも新聞の第一面はきちんと目を通す。
・クレジットカードは使わない。
・自邸の部屋の多くは本、雑誌、CD、写真等で覆い尽くされているが、どこに何があるかはちゃんと頭に入っている。
・デザインをするときは白いスモックを着用する。
・ポール・レオトーやコレットが描くパリが好き。
・孤独でいられることは最高の贅沢だと思う。



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2007年05月20日

ファッションの王様 ポール・ポアレ再び(2)

poiret01.jpgレ・アールの生地商人の子として1789年に生まれ、洋傘商の奉公人から身を立て若くして時代の寵児となったポアレ。その後半生は、過酷なものでした。第一次世界大戦後、軍服作りにかまけてファッションの現場を離れていた彼を待っていたのは「時代遅れ」の烙印でした。戦中に女性のライフスタイルは劇的な変化を遂げ、活動的な美しさ、実用の美が求められるようになっていたのです。ビジネス上の失敗もあり店を閉めたポアレは忘れ去られ、困窮のうちにドイツ占領下のパリで世を去ります。生活のためバーテンダーとなり、布巾で自分の服を拵えていたと伝えられています。


徒弟時代の唯一の楽しみは、作業場に打ち捨てられた絹の端切れで妹にもらった木の人形のドレスを拵えることだった、とポアレは語っています。夢の衣装をまとった人形を相手にきらびやかな世界を夢想した孤独な少年は、ついに夢幻を現実のものとしました。自らあだ名したように、ポアレは、恐れを知らぬ「ファッションの王様」としてあの時代に君臨したのです。


最新号のヴォーグUS版は、彼のデザインにインスピレーションを受けた現代のデザイナーの作品をトップモデル、ナターリアに着せて「ポアレの時代」を蘇らせようと試みています。服自体はポアレのオリジナルではありませんが、展覧会でみる美術品としてのドレスからは想像し難い、ベル・エポックの活きた雰囲気が濃厚に感じ取れる好企画です。

http://www.style.com/vogue/feature/050107

Paul Poiret (Metropolitan Museum of Art Publications)また、同誌のウェブサイトでは、ポアレの特集を組んでいます。当時の写真、イラストもふんだんに盛り込まれポアレの全体像を知るには最適です。20世紀初頭のフランス、ヨーロッパ文化に関心のある方は、ぜひチェックしてみてください。

http://www.style.com/trends/stylenotes/043007

ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されているポワレの展覧会の図録も近々発売されるようです。

Paul Poiret (Metropolitan Museum of Art Publications)



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2007年05月18日

ファッションの王様 ポール・ポアレ再び(1)

poiret02.jpg20世紀の初めに彗星のように現れ、第一次世界大戦まで一世を風靡したファッションデザイナー、ポール・ポアレに今、再び熱い視線が注がれています。女達をコルセットから解き放った立役者、オリエンタリズムの代名詞。これまでファッションの歴史を飾る「大物」としてのみ語られてきたポアレを多面的に捉え直そう。この5月からニューヨークのメトロポリタン美術館で開催されている展覧会はそんな風潮の顕著な例と言えます(スポンサーはバレンシアガ。ポアレへの業界内の関心の高さが伺えます。)
 

スポットがあたっているのは、現代のファッションデザイナーのひな形とでも呼べそうな、ポアレその人の多面性です。野心家であったポアレは「淑女のための仕立て屋」に甘んじず、生活全てについて素晴らしいデザインを提供することを理念に掲げた企業家でもありました。娘の名を冠した香水からインテリアデザイン、学校経営まで、手がけたビジネスは多岐にわたります。
 

またPRマンとしても手腕を発揮します。史上初のファッションショーを仕掛けたのみならず、トレンドセッターとして様々なイベントを企画、ミューズである妻のドニースに最新作を着せ送り込んだのです。最も有名なのが、千夜一夜物語の向こうをはって開催した「千夜二夜の宴」で、スルタンの寵妃に扮したドニースを初めポアレのデザインの特徴であるオリエンタル調の豪奢な服に身を包んだ人々で、会場は溢れかえりました。(ドニースは、単なるアイコン以上の存在、ポアレを解き明かすキーパーソンとして高く評価されています。)
 

芸術家と呼ばれることを望んだ最初のデザイナー。それもポアレでした。同時代のきら星のごとき芸術家と交わりパトロンとなることに飽き足らず、美の追求のために自らも世の常識に挑戦しました。足を見せること、は彼が手がけた挑戦の最たるものです。色鮮やかなストッキングに包まれた足がスリットからちらちら見えるドレスをデザインしたポアレは、モデルにこのドレスを着せ社交場であるロンシャン競馬場へ出向きます。身の危険を感じるほど観客の怒声罵声を浴び、モデルと我が身を守るために杖を振り回し這々の体で退散したそうです。(A SUIVRE...)


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2007年05月04日

C DE C ファッショニスタが手がけるフランス発おしゃれ子供服

aquagirl01.jpg低下する一方の出生率と裏腹に加熱する一方の子供服市場。某国産モード誌ではお洒落ママのための子供服のページが設けられ、かのヴォーグでさえキッズ特集を組むご時世。有名デザイナーが子供服を手がけるのももはや珍しいことではなくなりましたが、フランス発の新たな子供服のブランドが注目を集めています。

仕掛人は、二人の子供のママであるコーディリア・ド・カステラーヌ。まだ20代後半ですが、ハイティーンの頃からエマニュエル・ウンガロのもとでプレスとして働いてきた筋金入りの業界人です。酒造メーカー、バカルディー社会長を父に、オナシス家のインテリアを手がけたデザイナーを母に持ち、叔父はデザイナーのジル・デフュールという恵まれた環境に生まれた彼女。

ほんの子供の頃から、当時シャネルでカール・ラガーフェルドの右腕として働いていた叔父の仕事場に出入りし、華やかな世界の舞台裏を遊び場にして育ちました。(「叔父さんとこのスーパーモデルみたいになりたい!」とメイクした上ハイヒールで小学校へ登校、シスターから大目玉を食らったこともあるとか。)

贅沢な衣装を日々楽しめる身であるけれども、ファーストファッションチェーンのラインナップにもチェックを入れずにはいられない。クローゼットにはディオールのヴィンテージのファーコートが何枚もあるけれど、チープな服で有名なアパレル大手H&Mの大物デザイナーとのコラボ商品は行列してでも手に入れる。

そんなファッションの申し子であるカステラーヌが、これまで培ってきた美意識と哲学を活かす場として、従姉達と立ち上げたのが、自身の名を冠した子供服のブランド、C DE Cです。

“C DE C”のコレクションは、いわゆる普通の子供服とは一線を画しています。

ひらひらフリフリとは無縁なすっきりしたラインに、繊細で遊び心のある細部。コドモらしい元気な色を避けた、独特の甘い色使い。大人の間でトレンドになっているバレーシューズも数種類取り揃えるなど、ツボを押さえたラインナップも見逃せません。しかもお値段は、上質の素材で仕立てられているにも関わらず50ユーロ以下、とお手頃。「子供の服って破れたり汚れたりするもの。すぐに大きくなって着れなくなるものだし」というデザイナーの実体験に即した値段設定だそう。ただし、フランチャイズ化する計画は毛頭ないのだとか。

ママのベンチャー企業として立ち上げられたばかりの“C DE C”は、販売経路もウェブサイトと委託した個人によるトランクショーに限定されるなど、ブランドが世界のママたちの間に浸透していくにはまだまだ時間がかかりそうですが、コレクションはますます充実していく模様。ニットのデザインを叔父さんに、従姉であるヴィクトワール・ド・カステラーヌ(ディオールのアクセサリーデザイナー)におもちゃのアクセサリーのデザインを任せることも検討中だとか。今後の展開に目が離せません。


C DE C:http://www.cordeliadecastellane.com


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2007年03月28日

仏蘭西のアメリカ人A−私は私のスタンスで日常を楽しむゲイ作家

sedarispix.gifフランスに住み始めて6ヶ月。でもフランス語は上達せず、語学学校に通うのもやめてしまった。会話の内容はなんとか理解できるけれど、きちんとわかっているのか心もとない。でも、「何とおっしゃいました?」を連発するのはきまりが悪い。だからついついあの魔法の決まり文句、“D’accord.”が口を付いてしまう…。“D’accord.”言ってしまったばかりに我が身に降りかかった思いがけない体験を在フランスのアメリカ人作家、デビッド・セダリスはエッセイ”In The Waiting Room”に綴っています。

病院でナースに「服を脱いで下着だけになってください。」と命じられ、気軽に例のヒトコトで応じたものの、ちょっと待てよと思ったがあとの祭。どこかに去っていったナースは他にも何か言い残したようだが聞き取れず…。かくして、中年、やや長髪ぎみのアメリカ人は、ナースの指示した通りの格好で、普通の身支度の患者とともに待合室で一時を過ごすはめに陥るのです。
 
悪夢のような自身の体験を、クリームのように滑らかに、明るいユーモアをこめて描いた上で、セダリスはこう締めくくります。不完全なフランス語の語学力と“D’accord.”は、こんどはどんな冒険を、お楽しみを用意してくれるのだろう?

DSedarisbook.jpg人気作家としてThe New Yorkerを始めメジャーな雑誌に頻繁に寄稿しているセダリスは、ゲイである自分のアイデンティティーや年下のパートナーとの生活、中流家庭に育った幸せな子供時代の思い出にこだわったエッセイを多数発表しています。フランスに住んでいても、彼の作品は異国の香りをさほど感じさせてくれません。(日本のフランス発のエッセイがいやおうなしにフランスを語るものとなっているのとは対象的、面白いですね。)異邦人であることを強調せず、コスモポリタンであることを自慢せず、誰しもの身にも起こりうる日々の暮しのあれこれから得た思いや意見を軽妙な筆致で描きだす。そんな作風がアメリカでうけている理由なのかもしれません。異国にあってぶしつけに振舞わないけれど、卑屈にもならない、よい意味でアメリカ人らしいフランクな雰囲気がセダリスの作品の魅力となっています。作品中で作り上げられた彼のイメージは、アメリカの読者が楽しみ羨む、理想的な「パリのアメリカ人」のように思います。
 
彼の作品は雑誌やペーパーバックなどで手軽に読むことができます。子供時代の思い出を綴った物も絶品で、特に子供の頃に出くわした「恐怖のベビーシッター」の話は抱腹絶倒ものです。


*David Sedaris
"Dress Your Family in Corduroy and Denim"
"Holidays on Ice"
"Je Parler Francais"


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