まずは「交響曲第1番『巨人』」。この曲は恐らくマーラー初心者に最も薦められる作品であろう。とにかく曲の完成度が高く、軽快で颯爽とした展開は聴いている者を飽きさせることがない。恐らく、指揮者にとっても演奏者にとっても最も演奏しやすい曲だろう。聴く側にとっても、指揮者、オーケストラを選ばない曲と言える。もちろん、人によって好みはあるだろうが、私はバーンスタインの指揮するニューヨーク・フィルの演奏をよく聴いていた。バーンスタインは最晩年のシューマンの演奏が白眉であって、得意としていたベートーヴェンなどは「やりすぎ」という印象が私にはあるが、このマーラーの『巨人』は比較的バランスが取れていると思う。続いて「交響曲第2番『復活』」。マーラーは既に第2交響曲で途方もない長さと楽器編成を持つ曲を作曲することになる。私は20年ほど前、プロのオーケストラの裏方でコンサートの準備(楽器のセッティング)をするアルバイトをしていたが、『復活』をやる時は時間がかかって仕様がなかった。ベートーヴェンの時は30分で終わる仕事が、マーラーの『復活』の時は3時間以上かかるという有様である。使用楽器が多いのはもちろんだが、とりわけ、第5楽章でステージ袖から吹くトランペットの位置を決めるのに時間が取られるのである。それほど壮大な規模を持つ曲の録音として、今は亡きジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団の『復活』を挙げておこう。確か、1986年ごろの録音で今と比べれば録音技術には確かに問題があった。だが、演奏はそのような困難を凌駕するほどの精度を実現していると思う。特に第4楽章のブリギッテ・ファスベンダーによるメゾ・ソプラノの部分、終楽章の合唱の導入部などは鳥肌ものである。こういう演奏を聴くと、シノーポリの急逝が本当に惜しまれる。
そして「交響曲第3番」。この曲はマーラーの交響曲の中で最長の作品として知られる(ほぼ1時間40分)。規模も相当なものだ。しかし、全体として聴いてみると『復活』や『千人の交響曲』ほどの重々しさ、一種の「くどさ」は感じられない。ここにはまだマーラーの持つ明るさ、軽快さのようなものが感じられる。特に第5楽章で児童合唱が入る辺りに、この曲の不可思議な魅力があるように感じられる。そのような曲を見事に統括した例として、小澤征爾指揮ボストン交響楽団の録音を挙げておきたい。小澤はボストンと組んでマーラーの全集を録音しているが、この曲の演奏は素晴らしい水準ではないだろうか。第4〜6楽章の完成度は極めて高く、小澤という指揮者の驚異的な集中力を堪能することができる。ジェシー・ノーマンのソプラノもこの頃が絶頂期であった。
さて、「交響曲第4番」は、マーラーの交響曲の中で最も明るく、軽快で伸びやかな作風の仕上がりで知られている。実際、初めて聴く人は「これがマーラー?」と思ってしまうほど、他の作品とは異なった雰囲気を醸し出している。そのような「明るいマーラー」の演奏として、ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウの録音を挙げておきたい。ハイティンクはこの曲を4回録音しているようだが、ここでは1967年の最初の録音を推したい。マーラーの場合、合唱や独唱が当然ながら重要となるが、この曲の有名な終楽章のエリー・アメリンクのソプラノ独唱はお見事と言うほかない。(ハイティンクといえば、1995年の第二次世界大戦終結50周年の際、ドレスデンの教会で『復活』を指揮し、その模様がヨーロッパのラジオで中継されたことがあった。廃墟と化したドレスデンの街の「復活」を祝う式典である。私はパリの狭い部屋でその演奏を聴いていたが、演奏終了後、拍手はなく、人々が静かに立ち去って行く音がかすかにラジオから聴こえて来たのが印象的であった…。)
今回の最期は「交響曲第5番」である。第4楽章「アダージェット」のおかげで、すっかり有名になった曲であるが、他の楽章も素晴らしい出来であり、また、長さ的にも適度なもので、1番と並んで最も薦められるマーラーの交響曲と言えるだろう。名演が多い中で、私が推したいのはジェームズ・レヴァイン指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏である。これもレヴァインの若い頃の録音ではあるが、オーケストラを完璧に統御し、隙というものを全く感じさせない、超高精度の演奏を実現している。この時点で既にこの指揮者が大物であるということが如実に窺える演奏であった。特に第5楽章の仕上がりは見事なものであり、これだけでも聴く価値があると言える。今回はここまでにしておこう。もちろん、アバドやブーレーズの指揮するマーラーがお好みの方もあろうし、サイモン・ラトルなどの最近の指揮者の名前が入っていないことに不満もおありとは思うが、飽くまで筆者の好みなのでご勘弁願いたい。この続きは来年掲載する予定である。
不知火検校@映画とクラシックのひととき
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ドキュメンタリー映画の巨匠、フレデリック・ワイズマン(1930年〜)の新作が再び、日本の映画館のスクリーンにかかり始めた。『パリ・オペラ座のすべて』と題されたその作品はタイトル通り、パリのオペラ座のダンサー達、スタッフ達の日常風景を84日間にわたって丹念に追い、その芸術活動の核心部分に迫ろうとするドキュメンタリーである。この題材と手法はワイズマン映画の真骨頂であろう。
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何よりも特徴的なことは、この映画には職業俳優が一切登場しないことだ。すべての俳優が演技経験の無い素人であるため、そこに劇的な表現などはありようも無い。不思議な事件も奇怪な人物によってもたらされる騒動も何も起こらない。あたかも、どこにでもある村のごく普通の日常的な風景を捉えたかのようにすべての物語が進行していく。村人の食料となる家畜を殺す場面と、それを恐々と見つめる子供たち。長い並木道を歩く村人を遠景から捉える場面。そして、緩やかに進行して行く若い男女の婚礼の場面。こうした場面に一切の劇的処理は施されていない。![かつて、ノルマンディーで [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/515o60JuhaL._SL160_.jpg)
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「イザベル」とくれば「アジャーニ」と答えるのが普通のフランス映画ファン。そこでもしも「ユペール」と答えてくれると、「お、この人は映画をよく観ている」ということになり、映画好き同士の話も弾むというもの。実際のところ、アジャーニと比べればユペールは地味で前者のような華々しさはない。だが役者としての実力は段違いであろう。もちろん、ユペールのほうが遥かに上。彼女は本当に様々な役を演じていて、その演技の幅は計り知れない。まさに「職人」と呼ぶに相応しい女優の一人である。
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しかし、当時無名のロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューというその後のアメリカとフランスの映画界の中心人物となる二人の俳優を主役に抜擢した監督の先見の明。また、ドミニク・サンダとステファニア・サンドレッリというフランスとイタリアを代表する若手美人女優を準主役に起用するという商売の上手さ。そればかりか、バート・ランカスターとスターリング・ヘイドンという1950年代を代表するアメリカの役者をイタリア人として演じさせる配役の巧みさ(B・ランカスターの場合、既に60年代にヴィスコンテイの『山猫』に出演した経歴があるとはいえ)。加えて、いまやベルトルッチの手足と化した撮影監督ヴィットリオ・ストラーロの鮮やかなカメラワーク。そして一度聞いたら忘れることの出来ないエンニオ・モリコーネの叙情性きわまるテーマ音楽。こうした点を数え上げていくと、やはりこの作品の映画史における位置は不動のものに思えてくる。
しかし、この映画の本当の魅力は先ほど挙げたいずれの俳優をも凌ぐ存在感を見せた、一人の俳優にあったといっても過言ではない。それがドナルド・サザーランドである。彼が演じたのはアッチラという不気味な男だった。大地主の屋敷のしがない使用人にすぎなかったこの男はファシスト党に入党すると共にその残忍な本性を表し、その土地の至る所で悪逆の限りを尽くす。猫を殺し、子供を殺し、女を殺すばかりか、その罪を小作頭の息子(ドパルデュー)に着せようとする。我々はこのアッチラの姿を通して、およそ「悪」と呼ばれるあらゆるものが限界に至るまで描き出されるのを見ることになる。それにしても、この狂気的な役を演じられるのはサザーランド以外にはいなかったのではないだろうか。というのも、この圧倒的な演技の為、主役の二人は完全に見せ場を奪われてしまったのだから。デ・ニーロとドパルデューがその後役者として急成長するのはこのサザーランドの演技を見たからなのかもしれないと今となっては思える。



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