2010年12月13日

クラシック音楽、究極の一枚を探せ!(3)−マーラーは何を聴くべきか(前篇)

2010年はマーラー生誕150年、2011年は没後100年ということで、この2年間は再びマーラー・ブームのようなものが巷で沸き起こっている。来日オーケストラもマーラーをプログラムに採り上げることが多くなっているようだ。もちろん、今回のブームは1980−90年代のような狂騒的なものではないが、人々は再び静かにマーラーの音楽に耳を傾け始めたという印象である。それではマーラーの交響曲を聴くとしたら何を選べば良いのか。今回も独断と偏見で幾つかの録音を紹介して行こう。

マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」まずは「交響曲第1番『巨人』」。この曲は恐らくマーラー初心者に最も薦められる作品であろう。とにかく曲の完成度が高く、軽快で颯爽とした展開は聴いている者を飽きさせることがない。恐らく、指揮者にとっても演奏者にとっても最も演奏しやすい曲だろう。聴く側にとっても、指揮者、オーケストラを選ばない曲と言える。もちろん、人によって好みはあるだろうが、私はバーンスタインの指揮するニューヨーク・フィルの演奏をよく聴いていた。バーンスタインは最晩年のシューマンの演奏が白眉であって、得意としていたベートーヴェンなどは「やりすぎ」という印象が私にはあるが、このマーラーの『巨人』は比較的バランスが取れていると思う。

続いて「交響曲第2番『復活』」。マーラーは既に第2交響曲で途方もない長さと楽器編成を持つ曲を作曲することになる。私は20年ほど前、プロのオーケストラの裏方でコンサートの準備(楽器のセッティング)をするアルバイトをしていたが、『復活』をやる時は時間がかかって仕様がなかった。ベートーヴェンの時は30分で終わる仕事が、マーラーの『復活』の時は3時間以上かかるという有様である。使用楽器が多いのはもちろんだが、とりわけ、第5楽章でステージ袖から吹くトランペットの位置を決めるのに時間が取られるのである。それほど壮大な規模を持つ曲の録音として、今は亡きジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団の『復活』を挙げておこう。確か、1986年ごろの録音で今と比べれば録音技術には確かに問題があった。だが、演奏はそのような困難を凌駕するほどの精度を実現していると思う。特に第4楽章のブリギッテ・ファスベンダーによるメゾ・ソプラノの部分、終楽章の合唱の導入部などは鳥肌ものである。こういう演奏を聴くと、シノーポリの急逝が本当に惜しまれる。

マーラー:交響曲全集そして「交響曲第3番」。この曲はマーラーの交響曲の中で最長の作品として知られる(ほぼ1時間40分)。規模も相当なものだ。しかし、全体として聴いてみると『復活』や『千人の交響曲』ほどの重々しさ、一種の「くどさ」は感じられない。ここにはまだマーラーの持つ明るさ、軽快さのようなものが感じられる。特に第5楽章で児童合唱が入る辺りに、この曲の不可思議な魅力があるように感じられる。そのような曲を見事に統括した例として、小澤征爾指揮ボストン交響楽団の録音を挙げておきたい。小澤はボストンと組んでマーラーの全集を録音しているが、この曲の演奏は素晴らしい水準ではないだろうか。第4〜6楽章の完成度は極めて高く、小澤という指揮者の驚異的な集中力を堪能することができる。ジェシー・ノーマンのソプラノもこの頃が絶頂期であった。

マーラー:交響曲第4番さて、「交響曲第4番」は、マーラーの交響曲の中で最も明るく、軽快で伸びやかな作風の仕上がりで知られている。実際、初めて聴く人は「これがマーラー?」と思ってしまうほど、他の作品とは異なった雰囲気を醸し出している。そのような「明るいマーラー」の演奏として、ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウの録音を挙げておきたい。ハイティンクはこの曲を4回録音しているようだが、ここでは1967年の最初の録音を推したい。マーラーの場合、合唱や独唱が当然ながら重要となるが、この曲の有名な終楽章のエリー・アメリンクのソプラノ独唱はお見事と言うほかない。(ハイティンクといえば、1995年の第二次世界大戦終結50周年の際、ドレスデンの教会で『復活』を指揮し、その模様がヨーロッパのラジオで中継されたことがあった。廃墟と化したドレスデンの街の「復活」を祝う式典である。私はパリの狭い部屋でその演奏を聴いていたが、演奏終了後、拍手はなく、人々が静かに立ち去って行く音がかすかにラジオから聴こえて来たのが印象的であった…。)

マーラー:交響曲第5番今回の最期は「交響曲第5番」である。第4楽章「アダージェット」のおかげで、すっかり有名になった曲であるが、他の楽章も素晴らしい出来であり、また、長さ的にも適度なもので、1番と並んで最も薦められるマーラーの交響曲と言えるだろう。名演が多い中で、私が推したいのはジェームズ・レヴァイン指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏である。これもレヴァインの若い頃の録音ではあるが、オーケストラを完璧に統御し、隙というものを全く感じさせない、超高精度の演奏を実現している。この時点で既にこの指揮者が大物であるということが如実に窺える演奏であった。特に第5楽章の仕上がりは見事なものであり、これだけでも聴く価値があると言える。

今回はここまでにしておこう。もちろん、アバドやブーレーズの指揮するマーラーがお好みの方もあろうし、サイモン・ラトルなどの最近の指揮者の名前が入っていないことに不満もおありとは思うが、飽くまで筆者の好みなのでご勘弁願いたい。この続きは来年掲載する予定である。




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2010年09月30日

ドゥルーズはなぜ今でも読まれるのか?

このところ、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズGilles Deleuse(1925-1995)関連の邦訳書、研究書の出版が相次いでいる。2008年に『シネマ』の邦訳(法政大学出版局、原著は1983-85年)が2巻本で完結したと思ったら、2009年から2010年にかけて檜垣立哉『ドゥルーズ入門 』(筑摩書房)、ライダー・デュー『ドゥルーズ哲学のエッセンス』(新曜社)、フランスワ・ドス『ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』(河出書房新社)、澤野雅樹『ドゥルーズを「活用」する!』(彩流社)、ピーター・ホルワード『ドゥルーズと創造の哲学』(青土社)など、研究書、評伝、入門書の類いの出版はとどまるところを知らない。極めつけはステファヌ・ナドー編フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(みすず書房)の刊行だろう(もっともこれはガタリ本だが)。すでに15年も前にこの世を去ったフランスの哲学者に関する本がこれだけの勢いで刊行されているのは不思議な気がする。

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)シネマ2*時間イメージ (叢書・ウニベルシタス)アンチ・オイディプス草稿

20世紀の日本が、フランス思想を一つの流行として捉えてきたということは改めて言うまでもない。確かに、1960年台に一世を風靡したサルトルの実存主義哲学は、その読者を哲学の専門家に限定せず、あらゆる文化の領域に多大な影響を及ぼした。また、それに続く70年台から80年代にかけて、レヴィ=ストロース、フーコー、デリダらの思想も一時的ながら大きな勢力を持つことになったことも間違いない。ただ、日本のフランス思想研究者がそれらの思想を貪欲に摂取して行ったことが確かだとしても、これらが現代社会に持つ意味・意義が真に吟味されたことは一部を除けばなかったように思う。それらは余りにも速く「吸収」され、「消化」され、またたく間に忘れ去られていったのである。ドゥルーズもまたこのような流れのなか「消費」されていった哲学者の一人であるかのように思われた。

実際、ドゥルーズが自ら命を絶った1995年、「ポスト構造主義」とひと括りで呼ばれたこれらの思想は完全にその勢いを失い、人文科学の世界はそのような英雄的哲学者を追い求める時代ではなくなっていた。その年に起きた阪神大震災や地下鉄サリン事件といった未曾有の大惨事も、人々の心の在り処を完全に変えてしまう。世紀を越えても状況は変わらず、9.11やイラク戦争といった明日をも見えぬ混沌状態に直面した人々は、もはや個人の思想に心の拠り所を見出そうとはしなくなった。人文科学は実証主義だけが生き残り、事実だけを追い求めようとする動きの中でディシプリンとして社会学が隆盛を極め、「公共性」がキーワードの一つとなる。そこに個人の解放を説こうとする哲学にもはや居場所はないはずだった。

しかし、にもかかわらず、ドゥルーズは読まれ続けている。かつての流行を知らない新しい読者を生み出し、研究者も世代交代をしながら、彼について語る者、聞く者は後を絶たないようだ。一体、ドゥルーズ哲学の何が現代の人々を引きつけるのだろうか。

ドゥルーズを「活用」するドゥルーズ哲学のエッセンス―思考の逃走線を求めてドゥルーズと創造の哲学 この世界を抜け出て

まず、何よりも魅力的なのはドゥルーズ哲学に漂う「根拠不明の明るさ」だ。ドゥルーズはどのような局面を前にしても、ペシミスティックな思考に陥ることはない。そこにあるのは「運動」であり、「生成変化」であって、「静止」したもの、「同一」なものは決して取り上げられない。重視されるのは「創造」であり、「想像」であって、「内省」や「沈思黙考」ではない。つまり、過去の歴史的災厄がトラウマになって先に進めなくなるということが彼の思想には全くないのだ。彼の哲学にあるのは常に未来という時間だけなのだといっても良い。あらゆる状況が停滞している現代には、このようなドゥルーズの思想が魅力的に見えるのかもしれない。

また、どうみても「学者的」哲学ではないところもドゥルーズの魅力かもしれない。哲学史への膨大なる引用(カント、スピノザ、ヒューム、ニーチェ、ベルグソン、ハイデガーなどなど)は確かにあるのだけれども、自分自身の哲学的出自は巧妙に曖昧にし、体系化を徹底的に拒絶する。加えて、これら過去の思想を直接知らなくても読めるように書かれていることも魅力の一つではないだろうか。実際、ドゥルーズの著作はどこからでも読めるように書かれている。彼の本は一冊まるまる読まれることを必ずしも望んでいないようだ。誰かがあるページをめくり、そこに綴られた言葉から何らかのインスピレーションを得てくれればそれだけで構わない、という風に。

加えて、文学(『カフカ』、『プルーストとシーニュ』、『マゾッホとサド』)は言うに及ばず、映画(『シネマI 、II』)、絵画(『感覚の論理―フランシス・ベーコン』)、演劇(『重合』)など、彼が哲学的思索の対象とするものの幅の広さも魅力の一つであろう。メルロ・ポンティにおける絵画のような例が過去にあったとはいえ、これほど様々なジャンルに対し、専門家をも瞠目させるような該博な知識を駆使して、それぞれの対象の本質に肉迫して行った哲学者はこれまで存在しなかったのではないだろうか。哲学に関心のない人までをも惹きつけてしまうドゥルーズの魅力の一端はそこにあるのだろう。

しかし、こんなことは昔から言われていたことではないか。ドゥルーズの不思議なところは、いざ、その哲学の特徴を説明しようと思うと言葉に窮し、似たりよったりの貧弱な表現しか出てこないところだ。これは今も昔も全く変わっていない。ドゥルーズの思想は安易な要約を拒み続ける。にもかかわらず、いやだからこそ、ドゥルーズは現在でも読まれ続けているのかもしれない。

「20世紀はドゥルーズ的なものになるであろう」とはフーコーの言葉であったが、これだけドゥルーズが読まれている現状を察すれば、彼の予言は「21世紀は〜」と修正されなければならないかもしれない。しかし、いま人々がドゥルーズの思想から何を掴みだそうとしているのか。そして、そのことによって世界の何が変わろうとしているのかは相変わらず曖昧なままだ。それでも確かなことは、存命中の話題や流行とは関係なしに、時代を越えて「読まれ得る思想家」が20世紀後半にもいたということだ。そのことの意味が今後問われていくことになるだろう。




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2010年09月22日

クラシック音楽、究極の一枚を探せ!(2)チッコリーニの『前奏曲集第二巻』

ドビュッシーといえば、言わずと知れたフランスを代表する作曲家だ。それでは、彼の音楽を演奏するピアニストといえば、誰の名前が挙がるだろうか。

ドビュッシー:前奏曲集 第1巻、映像第1集、第2集まず、最初に来るのは『前奏曲集第一巻』の不滅の演奏を残したアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)であろう。イタリアが生んだ世界最高峰のピアニストによる演奏は、細部の「ぶれ」というものが全くなく、機械のように完璧なものだ。この完璧さは弟子のポリーニを越えているのではないだろうか。ミケランジェリの精緻なドビュッシーは確かに素晴らしい。しかしながら、そこに深い味わいがあるかと尋ねられるといさかか疑問に思う。それは彼のベートーヴェンの演奏でも同じであった。

他方、私は長いことサンソン・フランソワ(1924-1970)の演奏するドビュッシーを好んで聴いていた。これはミケランジェロの対極にあるかのような演奏で、まさにフランス風の優美な演奏。技術的には間違いだらけともいえる。しかし、彼はそんなものは気にせず、全く自分の気分で音楽を押し進めてしまう。「雰囲気」というものをこれほど大切にしたピアニストはいないだろう。そして、彼はフランス音楽を演奏する時に最良の能力を発揮した。ラヴェルの『ピアノ協奏曲第一番』(クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団)はそんな彼の真骨頂ではないだろうか(そういえば、この曲は映画版『のだめカンタービレ』の主人公も弾いていましたね)。

ドビュッシー:ピアノ曲集第1集~前奏曲集ミシェル・ベロフ(1950-)というピアニストも、ドビュッシー演奏家として一時代を築いた人だった。彼の人気が高かったのは、1980〜90年代だから、ミケランジェリやフランソワの黄金時代と比べてみれば、比較的最近の出来事である。貴公子然としたその風貌から人気が高く、日本ではピアノ・レッスン番組の先生もしていたこともあるようだ。彼の演奏はフランソワよりも一層、繊細な雰囲気を醸し出すドビュッシーと言える。技術的には何の遜色もないのだが、特徴と呼べるものがあまりないのが難点と言える。

ベロフと同世代のドビュッシー演奏家としては、他にパスカル・ロジェ(1951)、ジャン=フィリップ・コラール(1948-)がいる。二人とも世界的に知られ、活躍を続けているが、いずれもベロフと似たような傾向であり、独自の境地を築き上げるという所にまでは辿りついていないようだ。

となれば、残るはヴァルター・ギーゼキング(1895-1956)を措いて他はあるまい。これは文字通り「天才」と呼べる数少ないピアニストの一人であり、本来、ここに挙げたピアニストたちとは比べるべきではないのかもしれない。実際、EMIから出された『ドビュッシー/ピアノ曲全集』などのCDを初めて聴いた人は、その余りの素晴らしさのために腰を抜かすのではないだろうか。

ドビュッシー:前奏曲集『前奏曲集第一巻』の一曲目「デルフの舞姫」の出だしから、聴く者はその夢幻の世界の中に完璧に引き込まれ、虜にさせられる。数分後にはもうその世界から抜け出すことは絶望的に困難になる。「西風の見たもの」の強烈さ。「亜麻色の髪の乙女」の艶やかさ。そして「沈める寺」が呼び起こす荘厳なる光景…。我々はギーゼキングの醸し出す妖しく、そして煌めきわたるドビュッシーの世界に浸りきる他ないのだ。これほど完全に、有無を言わさぬ形でドビュッシーの音楽世界を築き上げたピアニストは後にも先にもいないであろう。

名前からも分るように、ギーゼキングはパリ生まれではあるが、両親はれっきとしたドイツ人である。しかし、フランス音楽の精髄がドイツの血を受けた「天才」によってこのように演奏されるのを聴くと、芸術というものは容易に国境を超えてしまうということを改めて確認させられる。ギーゼキングが亡くなって既に50年を超える歳月が過ぎたが、いまだに彼を越えるドビュッシー演奏家が現れないのは、ギーゼキングが余りに素晴らし過ぎ、また、ドビュッシーの音楽が余りにも深いからなのだろう。

しかし、いま、そのあり得ない事態を生み出しているピアニストが一人だけいる。アルド・チッコリーニ(1925-)である。彼が日本で行った演奏のライブ盤『ドビュッシー:前奏曲集第二巻』(2003)は驚異的な名演であった。この曲は2005年秋の来日公演(於:兵庫県立芸術文化センター)でも演奏されたが、恐ろしいほどの水準の高さに聴衆は圧倒させられた。まさに輝き渡る音が雪の結晶と化し、天から降ってくるかのような感覚…。齢80歳を超えるこの老巨匠は2010年春にも来日を果たし、東京でシューベルトのソナタを演奏したが(於:すみだトリフォニーホール)、これもまたとてつもなく美しく激しい演奏であった。チッコリーニの信じがたい点は、彼がますます進化を続けているということだ。

ギーゼキングを越えられる演奏家はチッコリーニだけかもしれない、とふと思ったりする今日この頃である。




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2010年09月18日

ヒッチコックの正統なる継承者―シャブロルを追悼する―

ヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督クロード・シャブロルが亡くなった。享年80歳。今年は春にエリック・ロメールも亡くなっており、ヌーヴェル・ヴァーグの「5人の騎士たち」(ゴダール、トリュフォー、ロメール、シャブロル、リヴェット)のうち、1984年に夭折したトリュフォーを含め、これで3人が鬼籍に入ったことになる。

ボヴァリー夫人 [DVD]シャブロル逝去の記事を日本の複数の新聞で読んでみると、代表作はデビュー当時の作品と『主婦マリーがしたこと』(Une affaire de femmes, 1989)、『ボヴァリー夫人』(Madame Bovary, 1991)の2作品であるかのように書かれている。しかし、これではシャブロルについて何も説明したことにならない。日本の大手新聞がフランス文化について関心を払わなくなったことの証しが、これらの記事には如実に表れている。そこで、ここでは日本の新聞記事を訂正し、シャブロルを正しく追悼したい。

「今夜はシャブロルだ」という一言は、フランスの家庭では「今夜はミステリー映画だ」と同じ意味を持つ。それほど、シャブロルは「ミステリーの巨匠」としてフランスでは絶大なる信頼と尊敬を集める存在だったのだ。実際、シャブロルのフィルモグラフィーは膨大なミステリー・犯罪もので埋め尽くされている。

ヌーヴェル・ヴァーグの根幹にあるのは「ホークス=ヒッチコック主義」と言われる理論であった。彼らはハワード・ホークスの「明晰さ」とアルフレッド・ヒッチコックの「サスペンス」という映画技法を自らの作品の根幹に据えたのである。実際、映画批評家時代の彼らはホークスやヒッチコックに直接インタビューを敢行し、彼らとの対話によってその技術を習得しようとやっきになったものである。この点に関しては、トリュフォーが行った50時間に亘るインタビュー『ヒッチコック=トリュフォー 映画術』(山田宏一・蓮実重彦訳、晶文社)、ゴダールらによるインタビュー集成『作家主義―映画の父たちに聞く―』(奥村昭夫訳、リブロポート)を紐解けば詳しい。

定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォーその中でヒッチコックを最も敬愛してやまなかったのがシャブロルであった。他の多くの映画監督がそれぞれの作風を確立して行く中、犯罪、探偵、ミステリーだけを一途に撮り続け、その分野の頂点を極めたのがシャブロルである。その彼の最高傑作が『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』(La Cérémonie, 1995)であった。荒んだブルジョワ家庭とその使用人、そしてそこに絡んでくる郵便局員の心理が巧みに描かれる。女主人はジャクリーヌ・ビセット、使用人はサンドリーヌ・ボネール、郵便局員はイザベル・ユペールである。抑圧されていた使用人の心が、最後になって爆発し、殺人事件へとなだれ込んでいく過程の描写は凄まじい。

実際、ミステリーというジャンルはフランス文化の中でも中枢に位置するほどのものであるが、そこに君臨するシャブロルは単なる映画監督でなく、現代フランス文化の精髄を牽引した存在なのだと言っても過言ではないのだ。そうした面が日本の報道では全く無視されてしまうのは残念という他ない。

『ジャガーの眼』(Marie-Chantal contre le docteur Kha, 1965)を始めとする映画を撮っていた時期、シャブロルは商業主義に傾斜したのではないか、と批判されたこともある。実際、ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの多くはその実験精神に翳りが見えた時期を経験したが、シャブロルの「ヒッチコック主義」は停滞するということを知らなかった。批判に対して、「それでも私は映画を撮る」Et pourtant je tourne (1976)という著書まで出したシャブロルに迷いは全くなかったようだ。

石の微笑 [DVD]『愛の地獄』(L’enfer, 1995)、『嘘の心』(Au coeur du mensonge, 1999)、『石の微笑』(La demoiselle d’honneur, 2004)など、90年代から晩年に至る彼の作品群は、その「ヒッチコック主義」がもっとも洗練された形で開花したものと言っても間違いないであろう。彼はヒッチコックの精神を受け継ぎながら、紛れもなく彼でなければ撮ることのできないミステリー映画の世界を完成させたのである。

映画監督を離れた実際のシャブロルは、しかし陽気な人間であったようだ。フランスのテレビ番組に出て来て滑稽なパフォーマンスを披露し聴衆の爆笑を誘う姿は、日本の映画監督でいうと鈴木清順のあり方に近い。そういえば、清順も日本よりも国外での評価の方が圧倒的に高い存在であった。その作風からも、シャブロルと清順には似た部分があるかもしれない。

シャブロルの本当の評価はこれから始まるだろう。ヌーヴァル・ヴァーグの貴重な一員としての評価もさることながら、「ミステリーの巨匠」として彼が映画史に残したものは決して侮ることの出来ないほど重要なものなのである。





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2010年03月05日

新旧フランス女優列伝(3)ヴァレリア・ブルー二=テデスキの巻

嘘の心 [DVD]ヴァレリア・ブルー二=テデスキという女優が気になりだしたのは、クロード・シャブロル監督の『嘘の心』(1999)という作品を観た辺りからだ。物語は例によってフランスの片田舎で起きた殺人事件。犯人は一体誰なのか。たまたま通りかかっただけの女性に疑いがかけられるのだが、真相は分らない。この映画でヴァレリアは冷静沈着な刑事を演じており、次第に真犯人を追い詰めていく。

ポーカーフェイスの表情と洗練された立ち居振る舞い。そして、抑制が効いた低いハスキーな声。無機質なようで鋭いまなざし。一目見ただけでは悪玉なのか善玉なのか、全く見当がつかない。しかし、圧倒的な存在感でそこに佇む女…。そんな役をやらせたらこの人の右に出る者はいないだろう。彼女の出現は、確かにフランス映画に新しい風をもたらしたといっても過言ではない。いま、彼女のような実力派女優を抜きにしてはまともなフランス映画を作るのは難しいのではないだろうか。

彼女はある意味で、フランスで最も有名な女性の姉でもある。妹はサルコジ大統領夫人のカーラ・ブルー二だが、彼女の演技力に魅せられてしまった者はそんなことを気にすることはまずないだろう。妹が大統領夫人であろうがスーパーモデルであろうが、そんなこととは無関係に、ヴァレリアは間違いなく映画史に名を残す名女優であるからだ。

ぼくを葬る [DVD]そんな彼女の才能を世界の映画作家が放っておくはずがなく、誰もが好んで自分の映画に彼女を使おうとする。『愛する者よ、列車に乗れ』(1998)のパトリス・シェロー(もっとも、彼女はシェローの演劇学校で学んだ経緯があり、この起用は当然なのだが)。『二人の五つの分かれ道』(2004)、『僕を葬る』(2005)のフランソワ・オゾン。『ミュンヘン』(2005)のスティーヴン・スピルバーグなどがそれだ。『プロヴァンスの贈り物』(2006)のリドリー・スコットの名を加えても良いかもしれない。日本人では諏訪敦彦が『不完全なふたり』(2005)で彼女を主演に据えたことが記憶に新しい。この映画はロカルノ映画祭で高い評価を受けたことで知られている。

余りにもフランス映画で活躍しているので、彼女がイアリア人とフランス人の混血であるということを忘れてしまいそうになるが、ある映画がそのことを思い出させてくれた。日本で『明日へのチケット』(2005)という題で公開されたその映画は、ケン・ローチ、アッバス・キアロスタミ、エルマンノ・オルミという三人の名匠が撮った短編によって構成されるオムニバス映画である。三本の短編はどれも、ある特急列車に乗った人物を主人公にしている。

明日へのチケット [DVD]エルマンノ・オルミが監督した作品の中で、ローマに帰る大学教授を駅まで見送る企業秘書の役をヴァレリアは演じている。教授は列車の中でも秘書の面影が忘れられず、回想に浸る…。この映画でヴァレリアは当然ながら終止イタリア語を話すのだが、これまでフランス語を話す彼女ばかりを見ていた観客に、これはいささかの驚きをもたらしたと思う。フランス語を話すときは冷徹な雰囲気を醸し出すヴァレリアの声が、イタリア語では何とも艶めかしい響きになるのである。彼女は間違いなくイタリア女優―ステファニア・サンドレッリやモニカ・ヴィッティのような―の官能的な血を受け継いでいるだということを改めて思い知らされた。と同時に、この作品は短編ながら、彼女の演技の幅の広さを強く印象付ける作品ともなっている。

最近、彼女はActrice『女優』(2007)という映画で、監督・主演を果たしている。映画監督としては二本目であり、女優としてはコメディエンヌとしての側面もこの映画ではクローズアップされている。いまではソフィー・マルソーまで監督をやるような時代だから、誰でも監督をやれると言えばその通りなのだが、ヴァレリアにかかる期待はソフィーにかかるそれとは同じものではないだろう。ヴァレリアの次の作品を期待しているのは私だけではないはずだ。







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2010年03月01日

クラシック音楽、究極の一枚を探せ!(1)ミュンシュの『幻想交響曲』

ベルリオーズ:幻想交響曲いまやダウンロードの時代でCDも売れないようであり、クラシック音楽などはむしろ、コンサートを聴きに行く人の数の方が増加しているらしい。確かにどれほどオーディオ機器の性能が向上したとしても、生(なま)の音楽は(それも弦楽器や木管楽器などのマイクを通さない音は)再現のしようがない。コンサートで直に聴かなければその演奏の本当の価値を知ることは出来ないのだ。

しかしながら、世を去ってしまった指揮者や演奏家、もはやかつてのようには演奏していない管弦楽団の音に少しでも近づくためには、やはりCDというものを聴くしかないであろう。そして、クラシック音楽の世界にもジャズやロックと同じように「伝説的名盤」というものが数多く存在していることもまた確かなのだ。これは、これからクラシック音楽を聴き始める人の為にそのような名盤を紹介して行くコーナーである。

その第一弾がベルリオーズ作曲『幻想交響曲』。演奏はシャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団。録音は1967年、EMIレーベル。

1967年、フランスの文化大臣アンドレ・マルローはある決定を下した。それは、フランス音楽の伝統を後世に伝えるために、世界的水準の演奏能力を持つ管弦楽団を設立するという決定である。こうして既に存在していたパリ音楽院管弦楽団が解散され、新たにパリ管弦楽団Orchestre deParisが誕生する。問題はこのオーケストラを統率する指揮者だ。そこで白羽の矢が立ったのが、当時、ボストン交響楽団を率いてアメリカで華々しい活躍をしていたシャルル・ミュンシュCharles Munch (1891-1968)である。

アルザス地方のストラスブール生まれのこの指揮者は、ドイツの名門オーケストラであるライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でヴァイオリンの首席奏者まで務めた経験を持つ、独仏双方の音楽に通じた音楽家であった。既にボストン交響楽団と共にブラームスの『交響曲第一番』の名演を録音し、破竹の勢いで活躍を続けるミュンシュに目を付けたマルローの審美眼に狂いはなかったと言えよう。ミュンシュは急遽、アメリカからフランスに呼び戻される。

そのミュンシュが誕生したばかりのパリ管弦楽団と共に録音したのがベルリオーズの『幻想交響曲』である。1830年に作曲されたフランス・ロマン主義音楽を代表するこの曲は五楽章構成。「夢、情熱」、「舞踏会」、「野の風景」、「断頭台への行進」、「ワルプルギスの夜の夢」という具合に、各章に標題が付いていることでも知られている。また、のちにワーグナーが多用するライトモチーフの先駆けとも言うべき「固定観念」(ある一定のメロディを曲中に何度も登場させる方法)を使用するなど、当時としては極めて斬新な方法が取られた管弦楽曲の傑作であった。

ミュンシュによって演奏、録音された『幻想交響曲』は類い稀なる精度を持つ仕上がりとなった。それから40年以上が過ぎた現在、例えパリやベルリンやロンドンに行っても、これほど高度な水準の演奏でこの曲を聴くことは殆ど出来ないといっても過言ではない。細部に至るまで精緻に演奏され、一切の揺らぎがなく、それでいて、最初から最後まで煌めき渡り、迸るような音楽の流れ…。これほど鮮やかな水準でこの曲を演奏することが出来た発足当初のパリ管弦楽団とミュンシュの能力は、演奏家・指揮者が望みうる最高の地点に到達していたと言うべきであろう。

『幻想』と同時に、ミュンシュはブラームスの『交響曲第一番』もパリ管と録音し直し、これもボストン版に勝るとも劣らない名演となる。しかし翌年、アメリカへの演奏旅行に向かったミュンシュは何とその地で急死してしまう。享年77歳。というわけで、ミュンシュがパリ管弦楽団の音楽監督をしていたのは1967年から68年のたった一年限りということになる。その後、このオーケストラはカラヤンの暫定的在任を挟み、ショルティ、バレンボイムといった錚々たる面々を首席指揮者として運営されていくのだが、やはり、発足当初の輝かしい一年には例えどれほどの指揮者が登場しても、まだ、敵わないのではないだろうか。それほどミュンシュの仕事は巨大なものに思えるのである。

現在、ボストン時代のミュンシュの録音が続々とCD化されている。『幻想交響曲』と合わせて、それらを聴いてみるのも面白いのではないだろうか。


ベルリオーズ:幻想交響曲
ミュンシュ(シャルル)
TOSHIBA-EMI LIMITED (2007-06-20)
売り上げランキング: 2086
おすすめ度の平均: 4.0
5 幻想・幻覚・妄想交響曲
ミュンシュの熱い演奏
5 異様な熱気溢れる名演
4 幻想交響曲と言えば
まずこの盤でしょう
5 ゴッホの絵を思わせる、
強烈な色彩が渦巻く演奏




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2010年02月26日

「昔々、西部の街で」…懐かしの70年代の名優たち(11)

ウエスタン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]『昔々、西部の街で』なんてそんなタイトルの映画はあったろうか、とお思いの方はいるかも知れない。この映画の英語タイトルはOnce upon a time in the West。日本では単に『ウエスタン』(1968)というタイトルで公開されたセルジオ・レオーネの最後の西部劇である。英語タイトルを見ればわかるように、実はこれは『夕陽のギャングたち』(1971)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)(レオーネの遺作)と三部作をなしている。『夕陽〜』の仏語タイトルはIl était une fois la Révolution(『昔々、革命がありました』の意)であって、仏語ではこの三本は全てIl était une fois…で統一されている。

『ウエスタン』という映画を初めて観た人は面喰ったことだろう。もともとレオーネの映画は型破りな作風で有名だが、この思わせぶりで勿体ぶった展開は一体何なのかと思ってしまう。クリント・イーストウッドが降板した結果、チャールズ・ブロンソンが主演を務め、ヘンリー・フォンダ、クラウディア・カルディナーレが脇を固める、という具合にキャスティングの点では申し分ない。しかし、何といっても、ヘンリー・フォンダが凄まじい。ネタばれになるので残念ながら詳細は明かせないが、ジョン・フォード監督『いとしのクレメンタイン―荒野の決闘―』(1946)で颯爽とした保安官を演じたあのフォンダが、この映画では極悪非道の人物を演じている。こんな役を彼がやっていいのか、と誰もが驚かされたのではないだろうか。

夕陽のギャングたち (アルティメット・エディション) [DVD]『ウエスタン』という映画は実は60年代の映画であり、70年代の映画を扱うこのブログにはふさわしくないかもしれない。だが、そうとばかりは言えないだろう。レオーネ+イーストウッドのコンビは60年代に数多くの西部劇の傑作を世に送り届けてきたが、『ウエスタン』はそのレオーネによる最後の本格的西部劇といえる作品である。その為か、この作品は妙に哀愁に満ち満ちている。モリコーネの音楽にしてからが、もう、西部劇の音楽とはとても思えない。これではまるでオペラの音楽であり、じっと聞いていると葬送行進曲のようにも聴こえてくる。レオーネは60年代の映画と西部劇というジャンルに、この映画で自ら終止符を打とうとしているようだ。実際、レオーネは『夕陽〜』以後13年ものあいだ映画を撮らなくなる。

西部劇というジャンルは1930年代から50年代にかけ(いやもっと以前から)、もっとも「映画的な」ジャンルであった、ということを否定する人はいないであろう。ジョン・フォード、ハワード・フォークスらによって鮮やかに切り開かれた裾野は、そのマニエリスム的再現といってもいい、レオーネを中心とする60年代のマカロニ・ウエスタンにおいてもその映画的魅力に衰えはなかった。もちろん、そこに投影されたネイティヴ・アメリカンの表象や暴力描写に関しては、現在の観点からは批判されても致し方ないものであろう。しかし、このジャンルに関わった者は純粋なる映画的楽しみ、アクションの追求という考えから西部劇を生み出していったのであり、そこに何らかの高邁な思想や社会に対する眼差しを取り入れようという気は初めからなかった。せいぜい「兄弟愛」や「仲間意識」といった程度の思想が盛り込まれる中で、これらの映画は作られていったのである。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ [DVD]だが、『ウエスタン』には、鉄道の建設というテーマが挿入されている点が特徴的である。アメリカの東部と西部を結ぶ大陸横断鉄道の建設が徐々に進んで行き、相互に孤立していた幾つかの町が一つに結ばれ、アメリカが一つの国になろうとする過程が映画の端々で暗示されるのだ。しかしながら、誰もが分かるように、そのようなテーマは全く西部劇的ではない。それはこのジャンルの中心をなす「アクション」を完全に封じてしまうような鈍重なテーマなのだ。このようなテーマを西部劇に持ち込めば、このジャンルが崩壊することは目に見えているのだが、レオーネはそれをせざるを得なかった。理由は「ネタが尽きた」からである。こうして、歴史学的、社会学的方向への転換を契機に、西部劇というジャンルは自己崩壊を起こしていく。

そういう意味で、この映画は西部劇というジャンルに惜別の思いを綴った作品であるといえよう。70年代以降、本格的な西部劇は姿を消す。幾ら、再起を図ろうと様々な試みをしたとしても(ローレンス・カスダン『シルバラード』(1985)など)、それらはことごとく失敗に終わらざるを得なかった。そして、数々の傑作に主演してきたイーストウッド自身が監督・主演した『許されざる者』(1992)によって、虫の息で生き延びてきたこのジャンルは完全に葬り去られることになるのだ。






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2010年01月23日

エリック・ロメールを偲んで―「映画とクラシックのひととき」番外編―

ヌーヴェルヴァーグの巨匠でフランスを代表する映画監督エリック・ロメールがこのほど亡くなった。享年89歳。大往生である。フランス映画を観ることに多くの歳月を費やした者ならば、ロメールを偲ばない訳にはいかないであろう。

エリック・ロメール コレクション 海辺のポーリーヌ [DVD]あれは2002年の5月頃だっただろうか。私はパリ第8大学哲学科の事務所の前に立っていた。隣には、背の低い、品のよさそうな老人がいた。私は尋ねた。「ルネ・シェレール教授をご存知ですか?」老人は微笑して答える。「もちろん、知っていますよ。私がルネ・シェレールです」私はいささか驚き、つまらないことを口走ってしまった。「あなたが、あのエリック・ロメールの弟なのですか?」しかし、シェレール教授は少しも嫌な顔をせず、満足そうな笑みを浮かべ、頷いてくれたのである。彼にとってもロメールは自慢の兄なのだ。私はシェレール教授のゼミ生になったが、その後、ロメールの話はしなかったように思う。

ルネ・シェレールは故ジル・ドゥルーズやジャック・ランシエールらと並ぶパリ第8大学哲学科の名物教授であり、その著書も何冊か翻訳されている哲学者だ。だが、彼がロメールと兄弟であり、なぜ、苗字が違うのかということは余り知られていないかもしれない。映画監督ロメールの本名はモーリス・シェレールであり、エリック・ロメールというのは全くの芸名(偽名?)なのである。何故、彼が名前を隠したのかといえば、映画を作り始めた学生時代、両親には「自分は医学を学んでいる」と告げていたためだ。その後も、親には医者になったと偽り続けたのだが、エリック・ロメールという名前はどんどん有名になっていく。その有名な映画監督が自分の息子と同一人物であるとは親はいつまで経っても気がつかなかったのだという。

実際、ロメールは医者にはならなかったが、高校(リセ)の教師になり、定年まで働き続けた(途中からは大学教授として)。その点では親を安心させたのかもしれない。世界的に知られるようになっても兼業を続けていたのは親に対する配慮からか。その職業ゆえ、在職中の彼の作品は当然ながら学校がヴァカンスになる夏休みと春休みにしか撮影されなかった。しかし、そのおかげでフランスの最も美しい季節がフィルムに収められることになったのであり、そしてそれらが1970年以降のフランス映画を代表する傑作の数々となっていったのである。われわれはロメールの「兼業」に感謝しなければいけないだろう。

レネットとミラベルの四つの冒険/コーヒーを飲んで (エリック・ロメール コレクション) [DVD]ロメール映画は日本にはかなり遅めに入ってきた。あくまで前衛を突き進むゴダールや、フランス映画の「伝統」に回帰し、良質の映画を提供するトリュフォーと比べて、ロメールの映画は長いあいだ分類するのが難しい類いの映画だったのだろう。彼の新作がリアルタイムで日本に輸入されたのは、『海辺のポーリーヌ』(1983)辺りからではないだろうか。このような瑞々しい感性の映画を撮る人間がフランスにはまだいたのか、ということで、俄かにロメール・ブームが日本のシネフィル達の間で巻き起こった。実際、この頃のロメールは最良の作品を生み出していたように思う。『満月の夜』(1984)、『緑の光線』(1986)、『友達の恋人』(1987)、『レネットとミラベル/四つの冒険』(1987)…。いずれもテーマなどはあってなきがごとしであり、男と女、女同士のたわいのない日常が描かれるばかりだ。しかし、その何も起きない中でのささいな出来事が、信じられないほどの驚きと悲しみと喜びを生み出すことがあるという展開。そういう映画をロメールは撮り続けたのだった。

二年ほど前、大阪の女子大学でのフランス語の授業で、久しぶりにロメールを観た。それは、『レネットとミラベル〜』の中の1エピソード「青い時間」だったのだが、久々に体験するロメール的世界に授業であるということを忘れ、酔い痴れてしまった。田舎で偶然出会った二人の女子学生が、「冒険」とはとても言えないような他愛もないことを経験するだけの物語なのだが、途中から虚構と現実の境界がなくなってくるところが面白い。例えば、散歩の途中に偶然出会った農家のおじさんが農業の話を延々と始めるのを、二人は黙って聞いている場面。あれは、現実にその場にいた農家の人をそのまま登場させたとしか思えない。そうでなければ信じがたい名演である。そして、ふいに吹き始める風、降り始める雨。自然のあらゆる偶然的要素がロメール映画には奇跡的に入り込んでくるのだ。

モード家の一夜/パスカルについての対談 (エリック・ロメール・コレクション) [DVD]ロメールが最も成熟した作品を撮っていたのは80年代後半から90年代後半までの10年間、「四季」をテーマにした作品群を撮っていた時期であろう。実際、『春のソナタ』(1989)にはロメール映画のすべての要素が凝縮されているように感じる。いまでも人気が高い『パリのランデブー』(1995)もこの頃に制作された作品だ。しかし、私がもしも一本だけロメールの作品を挙げるとしたら、『モード家の一夜』(1969)ということになろう。初期の作品ではあるが(と言ってもこの時すでにロメールは49歳なのだが)、およそ映画的緊張感というものをここまで漂わせる「恋愛映画」は滅多にない。ある謎の女との「近付きがたく、また離れがたい関係」をジャン=ルイ・トランティニャンが見事に演じている。この映画はアメリカでも高く評価されたようだ。

それにしても、2000年台になってもロメールが三本も映画を撮ったということは奇跡的なことではないだろうか。『グレースと公爵』(2001)、『三重スパイ』(2004)、『至上の愛』(2006)。それも、旧態依然たるやり方ではなく、一作ごとに新しい作風によって。この衰えを知らぬ創造のパワーには恐れ入るしかない。ロメールの両親も、ここまでやれば、医者にならなかった息子を咎める気にはならないであろう。ロメールは失われても、彼の映画は失われない。「ロメール映画を観る」という喜びは常にそこにあるのだ。





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2009年12月12日

クラシックなひととき(4)―ドキュメンタリーの巨匠、再び:『パリ・オペラ座のすべて』―

La-Danse-Le-Ballet.jpgドキュメンタリー映画の巨匠、フレデリック・ワイズマン(1930年〜)の新作が再び、日本の映画館のスクリーンにかかり始めた。『パリ・オペラ座のすべて』と題されたその作品はタイトル通り、パリのオペラ座のダンサー達、スタッフ達の日常風景を84日間にわたって丹念に追い、その芸術活動の核心部分に迫ろうとするドキュメンタリーである。この題材と手法はワイズマン映画の真骨頂であろう。

ワイズマンといえば、様々な作品の中でも『コメディ・フランセーズ−演じられた愛−』(1996年)が取り分け日本の観客には良く知られているのではないだろうか。全編で3時間半以上に及ぶこの映画によって、フランスの国立劇場の実態を余すところなく抉り出したワイズマンの手腕は、演劇関係者のみならず映画関係者をも驚嘆させるものであった。日本でもドキュメンタリー映画としてはかなり数の観客を動員したようである。

『コメディ・フランセーズ』という映画は、このフランス最古の劇団の役者達の稽古の様子、劇団の運営を巡る延々と続く会議、練達したスタッフ達の鮮やかな仕事ぶりを、幾つかのフランス演劇作品(ラシーヌ、モリエールなど)の実際の上演場面と交互に映し出すことによって、この劇団の活動がその背後にある様々な葛藤から成り立っているという事実を鮮やかに浮き彫りにしていた。中でも、『ドン・ジュアン』に関わる俳優、スタッフ達がその主人公の思想に関していつ果てるともなく議論を繰り広げる場面は秀逸だった。彼らは狂気の縁に迫るほどの真摯さで作品の哲学に迫ろうとするのである。その凄まじさは実際の演技以上の迫力であった。日本の国立劇場の楽屋でこのようなシーンがあるのだろうか。

バレエの宇宙 (文春新書)『パリ・オペラ座のすべて』は、作品の題材としては『コメディ・フランセーズ』の姉妹編ということになるであろう。この作品は特にバレエ・ダンサーの生活に密着取材を行っている。バレエ・ダンサーといえば、大変な体力と技術が要求される仕事であり、栄光を掴むことのできる時間は俳優よりも遥かに短い。定年は40歳であるという。しかしそれだけに、彼ら彼女らはその栄光を掴むために狂気的な稽古を果てしなく続ける。バレエの指導者はダンサーに言う。「世界一過酷なこのオペラ座だからこそ、あなたたちは世界一輝くことが出来る」と。このようなバレエに関する最近の入門書としては、佐々木涼子『バレエの歴史』(学研マーケティング、2008年)、『バレエの宇宙』(文春新書、2001年)、鈴木晶『バレエ誕生』(新書館、2002年)などが読みやすく、映画の参考になるかもしれない。

実際にエトワールになれるのは一握りであり、その期間も極めて短い。そんなものを目指すなどというのは常識的感性からすれば狂気の沙汰だ。にもかかわらず、彼ら彼女らが辞めることなく続けていられるのは、まさに他の誰も決して味わうことのできない「瞬間の輝き」に執り憑かれているからなのかも知れない。『パリ・オペラ座のすべて』は狂気に執り憑かれた人間達の姿を理性的に、そしてリアルに捉えた作品であると言えよう。狂気を眺めている者は、しかし、知らず知らずのうちに狂気に執り憑かれてしまうかもしれない。







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2009年12月10日

役者としてのポランスキー、あるいは迷宮としてのパリ〜懐かしの70年代の名優たち(10)

2009年9月、映画監督ロマン・ポランスキーが滞在先のスイスで身柄を拘束されたというニュースが流れた。このブログでも以前に触れた、32年前のアメリカでの暴行容疑の為である。マーチン・スコセッシら世界の映画人たちが彼を支援する声明を発していたが、どうやら釈放される見通しである。新作の完成も控えているということで、気になるニュースであった。さて、ここではクリント・イーストウッドと同様に、フランスで最も愛されている映画作家の一人、ロマン・ポランスキーについて語ってみよう。

戦場のピアニスト [DVD]最近のポランスキーといえば『戦場のピアニスト』(2002年)が米国アカデミー監督賞を受賞したり(しかしもちろん授賞式には出席していない)、ディケンズ原作の文芸大作『オリバー・ツイスト』(2005年)を世に出したりと、妙に巨匠じみた振る舞いをし、またそのような扱いをされているのが目につく。しかし、昔からのポランスキー愛好者は最近の作品には到底満足していないだろう。ポランスキーの真骨頂は彼の60年代後半から70年代の活動にこそあるのだから。

むろん、『マクベス』(1971年)がシェークスピアの史劇をおどろおどろしい恐怖映画に変貌させたとか、『テス』(1979年)が女優ナスターシャ・キンスキーを世に送り出し、トマス・ハーディの原作を映画史に残る傑作に仕上げてしまった、という程度の話ではない。これらの作品でもまだポランスキーらしさが完全に発揮されているとは言えないのだ。むしろポランスキー自身が役者として出演する作品にこそ、彼の映画の真髄があるのではないだろうか。例えば『吸血鬼』(1967年)。このオカルトなのかコメディなのか分類不能の映画の中で、頼りない生真面目な青年を嬉々として演じているポランスキーは実に素晴らしい。そして『チャイナタウン』(1974年)。ジャック・ニコルソン主演のこのフィルム・ノワール史上に残る傑作の中で、突然、主人公にナイフで切りかかる男として登場するポランスキーは自分の映画が孕む衝撃を完全に掌握しているという印象を与える。この頃の彼の映画が持つ強度を我々は忘れることが出来ないであろう。

しかし私が一番問題にしたいのは、日本では未公開の『下宿人』(1976年)という映画だ(『テナント/恐怖を借りた男』という邦題でビデオ発売あり)。この作品こそ、その後のポランスキーの世界を決定付ける作品になったといっても過言ではない。パリに住む会社員の男(ポランスキー)が、あるアパートに引っ越す。若い恋人(イザベル・アジャーニ)も出来て、新しい生活が始まろうとする。だが、どうやらその部屋の以前の住人に何か悲惨な出来事があったらしいのだが、詳しいことを知ることが出来ない。しかし、ことあるごとに以前の住人の影が男のそばにしのびより、次から次へと男の身辺に奇怪な出来事が起こり始める。男は精神的に追い詰められていく。これは現実なのか、それとも男の単なる妄想に過ぎないのか…。

こういう人物を演じるとき、ポランスキーは実に巧みな俳優となる。これはポランスキーがパリに住み始めたころの作品だが、まるで彼自身がパリという都市の中で彷徨っている様を捉えたかのようにも思えてくる。この作品はこの年老いた都市に住む魔物、その迷宮的感覚を見事に捉えた傑作であると思う。魔術的幻惑を生み出すことに長けたポランスキーの映画術にかかればパリがこのように不気味な街に変わってしまうのかと誰もが唸らされるのではないだろうか。

フランティック [DVD]実際、このあとのポランスキーの映画はこの『下宿人』を反復しているのではないかと思える。例えば、『フランティック』(1988年)では学会の為にパリに滞在しに来た医師(ハリソン・フォード)のもとから妻が忽然と姿を消す。彼女を探していくうちに理由の分からぬ犯罪の中に巻き込まれ、男はパリという見知らぬ都市の中で彷徨い続けることを余儀なくされる…。また、『赤い航路』(1992年)では謎めいた美女の魅力に憑かれた初老の作家がパリの街で果てしなく転落していく様が描かれる。そして、『ナインスゲート』(1999年)では廃墟に残された古文書の解読を任された探偵(ジョニー・デップ)が、行く先々のパリの街角で奇怪な殺人事件に巻き込まれ、いつのまにか狂信的組織の犯罪に絡め取られていく…。まさに、『下宿人』のテーマをポランスキーは繰り返し映像化しているのだ(主人公を幻惑の中に誘う女が常にエマニュエル・セニエというポランスキーの妻でもある女優によって演じられることも興味深い)。

ポランスキーにとってパリは常に自身のアイデンティティーを揺るがされる迷宮に他ならない。自分が信じていたものが消え去り、自分が確かだと思っていたものの根拠が瞬く間に失われていく場所。いかなる人物もそこで安息を得ることは出来ない場所。それこそがポランスキーにとってのパリなのだ。彼はそれ以外の形でパリを捉えることはできないし、そうする気はさらさらないであろう。

このようなポランスキーの映像感覚は彼がポーランドという地図上から三度姿を消した国の出身であることと無関係ではあるまい。国家ほど彼にとって不確実であるものはこの世にはないのだ。いつ自分の住む場所を奪われるのか。いつ自分が自分であることを否定されるのか。これこそがポランスキーが常変わることなく持ち続けている感覚なのだ。こうした感覚は彼がどのような名声を得たとしても変わることはないだろう。そしてこれは一人ポランスキーだけのものではなく、実は誰もが感じてもおかしくない普遍的な感覚なのではないだろうか。





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ラベル:ポランスキー
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2009年09月29日

名も無き役者たちの美しさと恐ろしさ―『木靴の樹』と『かつて、ノルマンディーで』―〜懐かしの70年代の名優たち(9)

かつて、『木靴の樹』(1978年)という印象的なイタリア映画があった。切り倒してはいけないことになっている樹から子供のために木靴を作ってしまったために村を出て行かざるを得ない男とその家族のエピソードが表題の元になっているのだが、それはこの映画の中で起こる多くの出来事の一つに過ぎない。エルマンノ・オルミ監督によって作られたこの『木靴の樹』という映画は、北部イタリアのベルガモ地方のある村の中で起こった様々な物語を殆どドキュメンタリー的な手法でカメラに収めることに成功した稀有な作品である。オルミはこの映画で監督、脚本、撮影を一人でこなすという離れ業を演じている。

arbreauxsabots01.jpg何よりも特徴的なことは、この映画には職業俳優が一切登場しないことだ。すべての俳優が演技経験の無い素人であるため、そこに劇的な表現などはありようも無い。不思議な事件も奇怪な人物によってもたらされる騒動も何も起こらない。あたかも、どこにでもある村のごく普通の日常的な風景を捉えたかのようにすべての物語が進行していく。村人の食料となる家畜を殺す場面と、それを恐々と見つめる子供たち。長い並木道を歩く村人を遠景から捉える場面。そして、緩やかに進行して行く若い男女の婚礼の場面。こうした場面に一切の劇的処理は施されていない。

このような映画はハリウッド映画に慣れた観客には最初は苦痛に感じるであろう。しかし、そのゆったりとした時間の流れに浸り続けていると、我々がこれまで観ていた映画が何と騒がしく、何と仰々しいものであったかが痛感されてくる。この映画を観ていると、日常とはこれほど何もないものだったのかと思わされる。そして、だからこそ何もない日常こそがかけがえのないものなのだと思わされてくる。それゆえ我々はこの何もない日常の場面を、いささか恐怖を心に感じながら見つめ続けることになる。本当にこの幸福な日常は続くのだろうかと怯えながら…。

そうした点からこの映画と微妙な位置で近接しているのが『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(ルネ・アリオ監督、1976年)という映画だ。この映画も全員が素人俳優によって演じられるが、ただしこちらは日常の中に非日常が起こったという設定である。19世紀フランスのノルマンディー地方の寒村で起こった尊属殺人事件を取材した哲学者ミッシェル・フーコーの著書『ピエール・リヴィエールの犯罪』(岸田秀、久米博訳、河出書房新社)を元に映画化されたこの作品も、すべての役がその村の住人によって演じられている。残念ながら私はこの映画をこれまで観ることが出来なかったが、昨年、ニコラ・フィリベール監督の『かつて、ノルマンディーで』(2007年)というドキュメンタリー映画でその全貌を知ることが出来た。

かつて、ノルマンディーで [DVD]『かつて、ノルマンディーで』は30年前にこの映画(『私、ピエール・リヴィエールは…』)に助監督として参加したフィリベールが当時の出演者を訪ね歩くというドキュメンタリーである。『私、ピエール・リヴィエールは…』はパスカル・ボニツェール(多くのジャック・リヴェット作品の脚本家で本人も映画監督)、ジャン・ジュルドゥイユ(現パリ第10大学教授の演劇研究者)、セルジュ・トゥヴィアナ(元『カイエ・デュ・シネマ』編集長で現シネマテーク・フランセーズ館長)といういまから見れば豪華なメンバーによって脚本が書かれたが、当時としては徹頭徹尾マイナーな企画であった。この映画がいかに資金難で苦労したか、そして素人俳優たちがどのような気持ちでこの物語を演じたのか、などの率直な証言がフィリベールのインタビューの中で淡々と綴られていく。

この映画『かつて、ノルマンディーで』は観ていて不思議な気分にさせられる作品である。現在の村人たちのインタビュー場面と、30年前に彼らが演じた『私、ピエール・リヴィエールは…』の場面が交互に映るのだが、現在の場面に比べて30年前の場面があまりにも嘘くさく見えるのである。それは彼らの演技が下手だからではない。それは『私、ピエール・リヴィエール…』が所詮は脚本に基づいて演じられたフィクションであるために(例えその脚本が事実に基づいているとはいえ)、現在の彼らを捉えたドキュメンタリー場面の持つ強度には到底太刀打ちできないからだ。その為、この映画は不思議な構造を持つ事になる。100年以上前にあった現実の殺人事件の記録。それをもとに30年前に書かれた脚本と素人俳優によって演じられた映画。それを振り返る現在の村人たちの映像。この三つ、あるいは四つの時間が入り組み、観ているものは迷路のような空間に迷い込んだ気にさせられるのである。

こういう映画を観ていると「演じる」ということが一体何なのか分からなくなってくる。演技経験の全く無い素人によって100年前に「現実に起こった出来事」を「出来る限り真実に近く」演じようとしたとき、そこに表現されているものは一体何なのだろうか。演技が示そうとしているのは「虚構」なのか「真実」なのか。そして、どこまでが演技でどこまでが演技ではないのか。彼らにとってその場面を演じるということにいかなる意味があるのだろうか。徹頭徹尾、演技ということについて考えさせる不思議な映画がいま作られることの意味は何なのだろうか。

albero degli zoccoli(film completo bergamasco)
Retour en Normandie - bande annonce





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2009年09月24日

新旧フランス女優列伝(2)エマニュエル・ベアールの巻

愛と宿命の泉 PartII 泉のマノン [DVD]エマニュエル・ベアールが一躍その名を知られるようになったのは、クロード・ベリ監督の文芸大作『愛と宿命の泉』の第二部『泉のマノン』(1986年)によってである。南フランスのある土地の権利を巡って壮絶な争いを繰り広げる人間たちを描くこの映画(原作はマルセル・パニョル)の中で、ベアールは主人公の愛娘を演じていた。彼女の出現は『シェルブールの雨傘』でのカトリーヌ・ドヌーヴ、『アデルの恋の物語』でのイザベル・アジャーニの登場に比肩される出来事だったと言える。マスコミは「久々の大スターの出現か」と色めき立ったものである。それほど彼女のフランス映画界への出現は鮮烈なものだった。

ところで、私はベアールの演技を直に見たことがある。あれは15年前(1994年)の春。南フランスの地中海沿いを一人旅した際、モンペリエの帰りにふと立ち寄ったセート(詩人ヴァレリー生誕の地として知られる)という港町でのことだった。ベアールはその街の古い劇場で僅か一晩だけ上演された劇作品に出演していた。作品は19世紀ロマン主義の作家アルフレッド・ド・ミュッセの傑作『戯れに恋はすまじ』。演出は中堅のジャン=ピエール・ヴァンサン。前年にパリ郊外のナンテール・アマンディエ劇場で上演された演目の地方巡業の一環であるが、土地の人はパリの人気女優を一目見ようと大勢詰め掛けていた。

ベアールは当時28歳。すでに『泉のマノン』の好演で映画女優として知られてはいたが、舞台は恐らく初めてだったのではあるまいか。もちろん、声は確かに劇場に響いてはいるものの、舞台女優としての存在感は感じられなかった。どうしても違和感があり、何か大切なものが欠けていると思わされる。この辺が同じ映画女優でもコメディ・フランセーズ出身であるイザベル・アジャーニやジャンヌ・バリバール、国立演劇学校出身であるイザベル・ユペールなどの女優たちとベアールとの違いなのかもしれない。格の違いだろうか。彼女はその後、舞台では余り活躍していないと思う。

美しき諍い女 無修正版 [DVD]やはりベアールは映画女優なのであり、彼女の魅力はスクリーンの中でこそ全開する。彼女がフランスでも日本でも一番注目されたのはジャック・リヴェット監督の『美しき諍い女』(1991年)に出演したときであろう。四時間に亙る映画の中で、殆ど最初から最後まで全裸のままスクリーンに登場する女優などといえば、マスコミ的には好奇のまなざしで見られてもおかしくはない。だが、現実にこの映画を観たものならば誰でも分かることだが、リヴェットはまさしく裸体の奥底にあるものを抉り出しており、映画の中でベアール演じる女と同様、この映画はむしろ「おぞましいもの」を観てしまったという感覚を観客に与えることになる。その意味ではエロス的な快感を与える映画では全くなかったことだけは確かだ。その後、ベアールは『Mの物語』(2003年)でリヴェットと再び組むことになる。

ベアールが出た映画の中で私が最高の出来だと思うのはクロード・シャブロル監督の『愛の地獄』(1994年)という映画だ。余りにも魅力的なために実は浮気をしているのではないかと夫に疑われる妻の役をベアールは演じているのだが、夫の妄想の中でのベアールの悪女ぶりが堂に行っていて、観客も「間違いなくこの女は悪女に違いない」と思ってしまうほどなのだ。ベアールの持つ暗い、悪魔的な面が見事に炙り出されていて、リヴェットとは別の意味でシャブロルはこの女優の仮面を剥いだと言えるだろう。未見の向きには是非、お勧めの一本である。シャブロルの演出も冴え渡っている。

それ以降、リヴェットやシャブロルほどベアールの魅力を引き出すことの出来た監督は残念ながらいないのではないだろうか。現在、彼女は型にはまった美女役でしか映画に登場していないような気がする(『とまどい』(1995年)、『恍惚』(2003年)など)。このままではアジャーニの二の舞になりかねないと気がかりなのだが、アジャーニほどのカリスマ性もないのもまた問題である。

とはいえ、ベアールの持つ華やかな美しさというものがいまの映画界で貴重なことは確かだ。ブライアン・デ・パルマが往年の人気テレビ・ドラマをスクリーンに蘇らせた『ミッション・インポッシブル』(1997年)があれだけ鮮烈な印象を観客に与えたのは、トム・クルーズやジャン・レノの演技のおかげというより、ベアールの持つ他に類を見ぬ艶やかな存在感にあったのではあるまいか。確かにベアールは儚さと典雅さを兼ね備えた稀有な女優であって、その意味では彼女の代わりを務めることのできる女優は存在しないと言えるだろう。

ベアールも今年で43歳。容色に衰えは全く見られないけれども、この辺りで一作でもいいから彼女のもう一つの代表作を観てみたいと思うのは私だけだろうか。





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2009年09月19日

私の好きなビートルズ 不知火検校編

ビートルズを初めて聞いたのは1975年です。ポールが解散後に結成したWingsというバンドが全米ツァーを行い、その模様を収録した「USAライヴ」と呼ばれる三枚組のLPレコードが発売された頃です。当時、ポールの人気は最高潮に達していました。考えてみればビートルズが解散してまだ5年しか経っていない頃です。そんなわけで、ビートルズは子どもの頃の思い出と結びついています。当時、8歳だった自分がビートルズを理解できていたのか分かりませんが、とにかく250曲以上の作品をカタカナで歌えるようになりました(笑)。その後、15歳くらいで聴くのをパタリとやめてしまったのですが、街なかで時々流れてくるメロディーには今でも胸を熱くさせられることがあります。

ベストアルバム:BEATLES FOR SALE
Beatles for Sale 芸術的な完成度から言えば、『ラバーソウル』、『サージェント・ペパーズ』、『アビーロード』などが上位に来るものでしょう。これらの素晴らしさはもはやだれもが認めるものです。しかし、For Saleというこのアルバムも渋い出来の作品ではないでしょうか。チャック・ベリーやバディ・ホリーなど、収録曲の半分近くが他人の曲です。しかしこれらは、彼らがメジャーデビュー前にキャヴァーン・クラブで歌っていた曲目で、ビートルズ以前のビートルズを聴くことが出来るアルバムと言えます。キャヴァーン・クラブ時代のライヴ録音ではかなり下手(歌も演奏も)だった彼らが、メジャーデビューを果たした後には往年の名曲を完全に自家薬籠中のものにしている様がこのアルバムでは窺えます。ビートルズが初期から中期へと変貌していく最中に、過去と決別する瞬間を捉えた奇跡的なアルバムのような気がするのです。

ベストソング:Something
本当はA day in the lifeと言いたいところなのですが、既に選ばれてしまっているのでこれを選びました。ジョンとポールの影に隠れて才能を発揮できなかったジョージが、While my guitar gently weepsを経て、ついに自分自身の世界を確立した曲。その壮大な構成は一曲の交響曲にも匹敵するもので、ロック音楽がついにクラシック音楽に勝るとも劣らぬ世界を築くことができることを証明したと言えます。その意味ではYesterdayやLet It Be以上の完成度を持つ曲ではないでしょうか。しかし、この曲によってジョージがジョンやポールと並ぶ才能を開花させた結果、ビートルズはもはやこれまでの体制を維持できなくなり、解散することを余儀なくされたとも言えるのです。






不知火検校

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2008年07月04日

クラシックなひととき(3) エレーヌ・グリモー、大阪に登場!

2008年の関西地方は春から初夏にかけ、興味深い演奏会が数多く開かれた。そのうちの幾つかをリポートしてみよう。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(初回生産限定盤)(DVD付)まず、何といっても圧倒的だったのはパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団演奏会である(5月31日、フェスティヴァル・ホール、大阪)。このコンサートは1958年から始まった大阪国際フェスティヴァルの第50回目を彩る20ほどのプログラムの一つであり、後半のメインといえるものだった。フェスティヴァル・ホールは本年12月から改装されるため、この音楽祭自体も休止されるという。最期にもう一度、このホールの音響を確かめておきたかったという聴衆も多かったのではないだろうか。実際、数多くの熱い音楽ファンが詰め掛けているように感じられた。

プログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番変ホ長調op.73「皇帝」とブラームスの交響曲第2番ニ長調op.73というオーソドックスな組み合わせ。いずれも心地よい、溌剌とした演奏であったが、特に今をときめくエレーヌ・グリモーをソリストに迎えた前者は極めて水準の高いものであった。それはひとえにソリストの実力ゆえとも言えるが、それを引き出した指揮と管弦楽の演奏にも端倪すべからざるものを感じる。

エレーヌ・グリモーはいまや飛ぶ鳥を落とす勢いのピアニストである。エクサン・プロヴァンス生まれのフランス人であるが、ドイツ音楽を好み、ベートーヴェンやブラームスの協奏曲をプログラムに選ぶことが多い。実はこういうフランス人はかつてもいた。ブラームスのヴァイオリン協奏曲の伝説的ライブ録音(伴奏はハンス=シュミット・イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団)を残したのち、不慮の事故のため僅か30歳で帰らぬ人となった天才ヴァイオリニスト、ジネット・ヌブーである。楽器の違いがあるとはいえ、私はグリモーの現在の活躍ぶりに往年のヌブーの姿を重ねてしまうのである。

野生のしらべグリモーはまた、狼と共に暮らすという生活ぶりでも話題になっている。幼い頃から周囲と溶け込めず、自閉症に近い性格を持っていた彼女を変えたのが狼との出会いであった。20歳からアメリカに移り住んで動物生態学を学び始めた彼女は、狼との交流を通して世界に向かって心を開き始める。と同時に、彼女の音楽家としての魂は目覚しく成長を遂げたという。詳しくは翻訳も出ている彼女の自伝『野生のしらべ』(ランダムハウス講談社)を参照されたい。

実際、グリモーの奏でるピアノの音は素晴らしかった。弱音から強音まで、迷いのあるタッチは一切なく、曲を完全に手中に収めている。「皇帝」は数々の名演があるピアノ協奏曲であるが、グリモーはその演奏史に新たな一ページを付け加えるのではないだろうか。煌びやかでありながら、決して派手ではない。そして、その軽やかな音には紛れもなく揺るぎのない芯のようなものがある。これは本物のベートーヴェン弾きである。ありふれた言い方で恐縮だが、私は「皇帝」が世界で始めて演奏される瞬間に立ち会ったかのような新鮮さを感じた。何はともあれ、これからもグリモーの演奏会には必ず駆けつけなければならないと心に決めた演奏会であった。

その他、アンサンブル・ウイーン=ベルリンの演奏会も素晴らしいものだった(5月18日、兵庫県立芸術文化センター、西宮)。これはウィーン・フィル、ベルリン・フィルの首席奏者を中心に25年ほど前に結成された管楽器だけの5人編成のグループ。憂慮されたのはリーダー格のフルート奏者ウォルフガング・シュルツが急病で来日不可能になり、プログラムが大幅に変更されたことだった。しかし、代わりに演奏に加わったピアニストの菊池洋子が素晴らしい演奏を披露し、メンバーとも抜群の相性の良さを見せてくれた。特にモーツァルト作曲ピアノと木管のための五重奏曲変ホ長調K.452はそのまま録音しても良いと思えるほどの高度な演奏であったのではないだろうか。観客も大満足であったようだ。

特に創立メンバーの二人、ハンス=イエルク・シェレンベルガー(オーボエ)とミラン・トゥルコヴィッチ(ファゴット)の演奏は神業とも言える水準。かねてから一度は生で聴いておきたいと思っていた二人の演奏であるが、期待を裏切らなかった。既にオーケストラの首席奏者の位置からは退き、後進を指導する立場にいる二人だが、その演奏の質は現役バリバリで他の追随を全く許さない。彼らの黄金時代は恐らくあとしばらくは続くのではないだろうか。その様なことを感じてしまうほど、その日の彼らの演奏には圧倒されてしまった。

さて、この夏は一体どのような音楽が聴けるだろうか。






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2008年07月02日

新旧フランス女優列伝(1)イザベル・ユペールの巻

huppert01.jpg「イザベル」とくれば「アジャーニ」と答えるのが普通のフランス映画ファン。そこでもしも「ユペール」と答えてくれると、「お、この人は映画をよく観ている」ということになり、映画好き同士の話も弾むというもの。実際のところ、アジャーニと比べればユペールは地味で前者のような華々しさはない。だが役者としての実力は段違いであろう。もちろん、ユペールのほうが遥かに上。彼女は本当に様々な役を演じていて、その演技の幅は計り知れない。まさに「職人」と呼ぶに相応しい女優の一人である。

ユペールが一躍有名になったのはやはりゴダールの『勝手に逃げろ/人生』(1980)、『パッション』(1981)に出演した辺りからではないだろうか。特に後者で演じた口数の少ない工場労働者の役では共演したドイツの名女優ハンナ・シグラに勝るとも劣らぬ存在感を示し、観客に強い印象を残した。その後、彼女の演技をもっとも開化させた監督は同じヌーベル・ヴァーグ出身でありながらゴダールとは全く別の道を歩んだクロード・シャブロルである。『主婦マリーがしたこと』(1988)、『ボヴァリー夫人』(1991)などで見せた達意の演技によってユペールは一躍フランス映画界の中心人物の一人となる。その後の活躍は誰もが知るとおりである。同じシャブロルとは『沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇』(1996)でも組み、ブルジョワ家庭を破壊する野卑な郵便局員役を演じきっている。

彼女の作品は枚挙に暇がないが、一つ日本未公開の作品を紹介しよう。L’Inondation(「洪水」)というタイトルで1995年にフランスで公開されたこの作品はロシアの作家ザミャーチンが原作。物語は夫の浮気のために妄想に取り付かれた主人公が最期に夫殺しを敢行してしまうというまさにユペールならではのもの。だが何よりも特徴的なのはユペール以外のこの映画のスタッフ、キャストがすべてロシア人であるということだ。そしてユペール自身も当然ロシア語をしゃべっている。彼女は演劇の勉強をコンセルヴァトワール(国立演劇学校)で始める前にソルボンヌでロシア文学を学んだという経歴の持ち主で、この作品ではプロデュースまで務めており、パリでの公開時には舞台挨拶までするほどの入れ込みようであった。さすがは「職人」、中途半端なことはしない。

夫殺しや狂気に憑かれた役などが今となってはユペールの十八番だが、彼女にはもともと喜劇も演じられる要素があった。いまのように注目される以前、二十歳代の駆け出しの頃は、彼女もB級映画でドタバタ喜劇を演じていたこともあるのだ。そんな彼女の一面が窺える作品がハル・ハートーリー監督『愛・アマテュア』(1994年)だろう。元尼僧で現在はポルノ小説作家の女性が、記憶喪失の男と共に訳の分からぬ犯罪に巻き込まれ、最終的には元居た修道院にかくまってもらうというハリウッド映画によくあるストーリー。こんな役を嬉々として演じられるユペールはやはり天性の役者なのだ。

ピアニストユペールはまた、映画のみならず舞台女優としても高い評価を受けている。1995年のパリの演劇界最大の話題はユペール主演、ヴァージニア・ウルフ原作、ロバート・ウイルソン演出の『オーランドー』(オデオン=ヨーロッパ劇場)であった。世紀を超え、性別をも超える人物を主人公とする「奇書」として名高い小説をウイルソン流にアレンジしたこの作品は上演当時頗る評判となった。そこで舞台女優としての自信を得たユペールは、続いて2001年にはエウリピデスの『メデイア』でもタイトル・ロールを演じ、2002年にはサラ・ケイン作『4時48分 サイコシス』(ブッフ・デュ・ノール劇場)でも大いに話題をさらった。偶々パリに住んでいた時期であったために、幸運にも私はこの舞台を観ることが出来たが、最初から最期まで舞台に立ち尽くして狂気に陥っていく主人公を演じるユペールの鬼気迫る姿には文字通り戦慄させられた。私はこのとき「職人」ユペールの真骨頂を見た思いがする。

そんなユペールの円熟した演技を観ることが出来たのはカンヌ映画祭のグランプリを受賞したミヒャエル・ハネケ監督『ピアニスト』(2001年)とオリヴィエ・アダン監督『いつか、きっと』(2002年)であった。特に後者で演じた娼婦役は彼女の演技の最高峰であろう。前者は若く才能溢れるピアニスト(ブノワ・マジメル)に恋に落ちた中年ピアニスト(ユペール)が乏しい恋愛経験のために彼に対して奇怪な行為を繰り返した挙句、殺意まで抱いてしまうという物語。この映画、その過激な描写のために好き嫌いはかなり分かれると思うが、ユペールの演技の質だけはやはり評価せずにはいられない。一方、後者は娼婦として生きる女がある男(パスカル・グレゴリー)との出会いをきっかけに自分の過去を振り返る旅に出る物語で、味わい深い印象を残すドラマであった。実際、この二つは対極的な作品であるけれども、これほど求められる表現が異なる役を同時期に演じ切ることの出来る女優は世界的に見てもあまりいないのではないかと思われる。

ただ、そんなユペールにもしも弱点があるとしたら「限界」を知らない、というかやり過ぎてしまうことだ。数年前、ジョルジュ・バタイユ原作の『我が母』の映画化作品(クリストフ・オノレ監督『ママン』、2004年)に出演したそうだが、観た友人の意見ではかなり酷い出来であったそうだ。自分で観ていないので評価は控えるべきなのだが、ユペールとバタイユではちょっと毒があり過ぎるのかもしれない…。だがそれでもユペールは、「彼女が出演しているならば観てみようか」と思わせてくれる、今日では数少ない女優の一人であることには変わりはない。





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2008年04月06日

ライアン・オニールの栄光はいまどこに〜懐かしの70年代の名優たち(8)

ある愛の詩 [DVD]ある愛の詩』(1970年)という映画を語る人はいまや皆無に近いのではないだろうか。一昔前まではテレビでもよく放送されていたが、最近は観ることはまずない。忘れられつつある映画の一本である。しかし、今にして思えばこれこそ究極の70年代映画と呼ばれてよい作品かもしれない。主人公はハーバードに通うエリート大学生。しかし、恋に落ちた相手が白血病のため余命幾ばくもないということを知ると、周りの反対もよそに献身的に彼女に尽くし、その愛を貫く…。

こうして書くと殆ど近年流行した韓国ドラマの設定であるが、この映画を世界中の人間が深い感動と共に観たというのだから、まこと70年代というのは良い時代であったと思う。アメリカという国はかつてこういう映画を作ることも出来たのだが…。さて、この映画で主役の青年を演じ、一躍世界に名を知らしめたのがライアン・オニールという俳優であった。そう、1970年代とはまたライアン・オニールの時代でもあった。

その後、オニールが愛娘テイタム・オニールと共に出演したピーター・ボグダノビッチ監督『ペーパー・ムーン』(1973年)も娘の天才的演技も話題となってこれまた大ヒットとなり、ライアン・オニールは飛ぶ鳥を落とす勢いとなる。娘のテイタムも様々な映画に出演し(懐かしの『がんばれ!ベアーズ』(1976年))、一時オニール父娘はアメリカ映画界の命運を握る存在とまでもてはやされた。そんなライアンが何かの間違いで出演してしまったのがキューブリックの『バリー・リンドン』(1975年)であった。

キューブリックとライアン・オニール。片や映画界の鬼才。片や実力よりも人気が先走る若手俳優。これほど不釣合いな組み合わせも珍しい。しかし、天才キューブリックにとっては役者が誰であろうが問題はなかった。彼の世界に染まれるものならば、ジャック・ニコルソンであろうが、トム・クルーズであろうが役者は誰でもかまわないのである。そして作品は大方の予想を超えて傑作として仕上がるのである。

バリー・リンドン [DVD]2007年の冬、パリのMax Linder Panorama(9区、ポワソニエール大通り24番地)その他の劇場においてニュープリントで再公開された『バリー・リンドン』はいまでも伝説的な映画として語りつがれる一本である。18世紀のヨーロッパが舞台。片田舎で生まれたバリーは軍隊生活や貴族の執事など様々な運命の変転を繰り返す。何の因果か美しい貴族の未亡人と結婚をし、人も羨む裕福な生活を手に入れるが、運命は過酷な最期を彼に突きつける…。サッカレーの小説を自在に作り直したキューブリックの映画は、その映像の美しさで常に賞賛され続けてきた。当時の技術では不可能であった蝋燭の灯りの中での撮影を、NASAの機材を借りて実現したという話は映画ファンならば誰もが知る有名な話である。

とある貴族の館の晩餐会でのトランプ遊びの場で主人公バリーがリンドン夫人と劇的な出会いを果たす場面は、その類い稀なる美しさゆえに映画史上に名を成す場面であり、マーチン・スコセッシを始めとする映画監督をも驚嘆させてきた。確かにこの場面を見るだけでもこの映画を観る価値はあるかもしれない。また、リンドン夫人を演じるマリサ・ベレンソンの美しさには誰もが息を呑むのではないだろうか。彼女はこの作品を超える作品にその後出演していないのだが、それでも十分なのではないかと思わせるほど、この映画は彼女にとって究極の一本となっている(それでも1990年のイーストウッド監督作品『ホワイトハンター・ブラックハート』で彼女を見ることが出来たときは感動したものだ。さすがクリントである)。

『バリー・リンドン』は『博士の異常な愛情』(1964年)や『2001年宇宙の旅』(1968年)、『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)などと比べれば、キューブリックの映画としては地味な方かも知れない。しかし、歴史公証の正確さと細部へのこだわり、前編にちりばめられたユーモアと皮肉、あらゆるショットの完璧さ、美へのこだわり、そして一人の人間の生き様を飽くまで突き放したように描こうとする点からして、やはりキューブリックの映画にしかない独自性があるといわざるを得ない。ライアン・オニールはこの奇跡的な物語の主人公を見事に演じきっている。彼はこの映画に出たことにより、映画史に名を残すことになったと言ってもいいだろう(かつてフランスの歌手ジョニー・アリディがゴダールの『探偵』(1985年)に出たときにつぶやいたと言う。「これで俺の名前も永遠になった…」)。

あの頃の栄光に比べて、最近のライアン・オニールの凋落振りはどうしたことだろう。昨年、オニールが自宅で息子に発砲したというニュースが流されて、悲しい気分になった。最近はテレビで活躍しているそうだが、どうかもう一度、スクリーンの中であの姿を取り戻してもらいたい。




不知火検校

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2008年03月23日

ジャン=ルイ・トランティニャンを忘れたくない〜懐かしの70年代の名優たち(7)

1970年代を代表するフランスの男優はだれか?いまだ健在振りを見せていたジャン・ギャバンは50年代の俳優だし、ジャン=クロード・ブリアリはむしろ60年代のイメージが強い。人気という点だけから言えばギャンク映画で一世を風靡するアラン・ドロンが代表かもしれない。だが、私は別の俳優の名前を挙げたい。それがジャン=ルイ・トランティニャンだ。

男と女 特別版トランティニャンといえば、確かに1970年代を代表するフランスの俳優の一人だった。クロード・ルルーシュ監督の『男と女』(1966年)の驚異的な成功のために、主演のトランティニャンとアヌーク・エーメの名前はフランシス・レイのテーマ曲と共に世界中に知れ渡った。いま観直してみれば全ての場面が甘すぎて、殆ど出来のいいビデオクリップにしか見えないこの映画も、70年代には世界観を変えるほどのインパクトを観客に与えたようだ。主演の二人はこの映画でのイメージをいまだに引きずっているようにも見える。いまだに「フランス映画」といえば『男と女』とつぶやく人がいるくらいだから、一つの映画がもつイメージの大きさとは不思議なものである。

しかし、トランティニャンといえば忘れられないのはベルトルッチの『暗殺の森』(1970)であろう。原作はアルベルト・モラヴィアの『順応主義者』。舞台は第二次大戦前のパリ。少年時代の不幸な経験が引き金となってイタリアのファシストの手先となったある男が主人公。反ファシストとして活動するかつての大学時代の恩師を暗殺するために彼は新婚旅行を装い、妻とパリにやってくる。教授夫妻と親しくなった男は暗殺の機会を伺うが、その機会はいつになっても訪れない。ついに、別の組織が暗殺を決行することになったため、それを妨害するために彼らを追跡に森へと向かうが、暗殺の場面で教授夫妻を見殺しにする。その数年後、イタリアのファシスト政権は瓦解。ついに彼は何もなすことが出来ず、何者も助けることも出来ず、何者も信じることが出来ず、ただ「順応主義者」でしかなかった自分自身の姿を知ることになる。

自らのなすことに決して自信を持ちえず、ただ与えられた使命に従って彷徨い歩くにすぎない病的な主人公。この複雑な役を演じられるのはトランティニャンを措いて他には考えられなかっただろう。それほど彼はこの役の中に同化していた。この映画はベルトルッチの演出、ストラーロの撮影が完璧と言ってもいいほどの高度な出来栄えを見せた映画だったが、それ以上にトランティニャンという俳優の存在は大きかった。彼を主役に得て、この映画は初めて実現可能になったと思える。これ以外では、エリック・ロメールの『モード家の一夜』(1969年)、フランソワ・トリュフォーの遺作『日曜日が待ち遠しい!』(1983年)なども彼ならではの作品となっている。

近年、我々が久しぶりにトランティニャンの姿を見ることが出来たのは、クシシュトフ・キエシロフスキ監督の『トリコロール』の中の一作「赤の愛」(1994年)であったから、それももう10年以上前のことになる。主人公の女性(イレーヌ・ジャコブ)に絡む、謎の老人の役をトランティニャンが演じていた。もう相当に顔に皺が増え、顔つきも幾分変わってしまったように思えたが、トランティニャンはやはりトランティニャンであった。

一見、とっつきにくそうな気難しい老人のようでありながら、様々なことに思いをめぐらし、深い人間性を湛えている男。しかし、その男の真の姿はやはり謎に包まれている…。こういう人物はやはりトランティニャンでなければ演じきることが出来ないだろう。トランティニャンが画面の中に現れるだけで、作品内の空間自体が奥行きを増して行き、物語は観客のあずかり知らぬ遥かかなたへと向かっていくように思われる。そこにいるだけで映画自体を変えてしまう男。それがジャン=ルイ・トランティニャンなのだ。「赤の愛」が『トリコロール』三部作の中で最も不可思議な魅力を持つ作品になったのは言うまでもない。

近年のフランス映画がつまらないのは彼のような俳優がいないからではないか?ドパルデューはもちろんのこと、ダニエル・オートゥイユらの演技は余りにも分かり易すぎるのだ。ヴァンサン・ペレーズやブノワ・マジメルにトランティニャンの境地を目指せというのは酷かも知れないけれども…。




不知火検校@映画と音楽のひととき

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2008年03月09日

クラシックなひととき(2)〜関西地方3月のおすすめ演奏会

JR神戸駅から歩いて10分ほどのところに神戸文化ホールという音楽ホールがある。財団法人神戸市演奏家協会の運営する建物で、クラシックのみならず伝統芸能やポピュラー音楽のコンサートなど様々な出し物を催す市民会館である。

しかし市民向けホールといっても決して侮ってはいけない。ここは時折、海外の演奏家を招いた質の高いコンサートを企画する。例えば、昨年(2007年)1月8日に開かれたベルリン・フィル八重奏団のコンサートは秀逸なものだった。ベルリン・フィルの管弦楽器の首席クラスのメンバーにて構成されるこの楽団の演奏が、東京や大阪の大ホールではないところで鑑賞できるというのは素晴らしいことである。このクラスの楽団は場所がどこであろうと手を抜いた演奏はしない。上原彩子をピアノ独奏に招いたシューベルト作曲ピアノ五重奏曲イ長調『ます』も優れた出来であったが、やはりフルメンバーによる演奏は出色のものであった(シューベルト作曲八重奏曲ヘ長調D803)。この演奏家たちによる類い稀なる音色は確実に観客の心に刻み付けられたと思う。このコンサートは、同年の5月17日、大阪のシンフォニー・ホールで「ストラディヴァリウス・サミット」と銘打たれたベルリン・フィル弦楽合奏団(ヴィヴァルディ作曲『四季』など)の演奏をも超える鮮やかな出来栄えであったと思う。

今年はこのホールは春から秋にかけて海外の歌劇場によるオペラ作品を三本上演するという(ロッシーニ作曲『シンデレラ』[6月、スポレート歌劇場]、『リゴレット』[9月、ウィーンの森バーデン私立歌劇場]、プッチーニ作曲『トゥーランドット』[10月、ウクライナ国立歌劇場])。もちろん、これらに兵庫県立芸術文化センターの企画するプログラム(メトロポリタン歌劇場、パリオペラ座)ほどの豪華さはない。だが、それでもこうした大胆かつ多彩な企画を実現してしまうこのホールの熱意とそれを支える市民の音楽熱には感動させられる。神戸とはこういうことが許される街なのだ。

さて、そんな神戸文化ホールであるが、この3月は注目すべきリサイタルが数多く開催される。まず、3月9日(日)は森麻季(ソプラノ)と横山幸雄(ピアノ)のデュオ・コンサート。曲はドニゼッティ、プッチーニの歌劇からアリアなど。森は近年最も注目を浴びるソプラノ歌手で、その透き通った、そして伸び上がるような歌声は一度聞いたら忘れることは出来ないだろう。最近はテレビなどでも彼女の歌声を使ったメロディが流れることもあるので、それと知らずに聞かれた方も多いのではないだろうか。その彼女が横山という手練のピアノの弾き手を伴奏者に得てリサイタルを開くのだから、聞きに行かない手はないだろう。恐らく、素晴らしいコンサートになるのではないだろうか。

Viva!Rodrigo加えて、3月20日(木)は村治佳織のギター・リサイタルが開かれる。曲はロドリーゴ、タレガなど。神戸では10年ぶりのコンサートだとのこと。情緒的なアンドレス・セゴヴィア風ではなく、理知的なジョン・ウイリアムスの系譜に属すると思われる彼女のギターは、それでいて端正できらめくような音を響かせる。また、彼女の演奏会スケジュールは大変なもので、海外のオーケストラとの共演を何度も挟みながら、日本全国を巡るコンサート活動も留まる事を知らない。それだけでも大変なものだが、同時に彼女は常に新たな可能性を追い求めて演奏を続けているという印象を与える。

あれは10年ほど前だったろうか。当時、パリに留学中だった村治が作曲家ロドリーゴを訪ねるというドキュメンタリーがテレビで放送されたことがある。ギター音楽の珠玉の一品、『アランフェス協奏曲』の作曲者もこのとき既に90歳を越えていて、コミュニケーションも容易ではない状態であったのだが、カメラはこの作曲家から何かを感じ取る村治の姿をはっきりと捉えていた。この撮影の数ヶ月後に亡くなったロドリーゴから村治が何を受け取ったのか、それは演奏を聴いてみれば分かるであろう。村治はそれ以来、ロドリーゴを重要なレパートリーにしている。

これ以外にも3月の神戸文化ホールは熊本マリのピアノ・リサイタル、山形由美のフルート・リサイタルなど、中堅、ベテランの女性演奏家によるリサイタルが数多く開かれる。多彩で魅力的な演奏会を次から次へと開くこの音楽ホールは、神戸市民のみならず関西の音楽愛好家には極めて重要なホールの一つと言えるのではないだろうか。このような市民ホールも決して侮ってはならないのだ。


□神戸文化ホール http://www.kobe-bunka.jp/hall/

□Kaori Muraji / Viva! Rodrigo(Amazon.co.jp で詳細を見る)
Kaori Muraji / Concierto de Aranjuez(from youtube)




不知火検校

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2008年02月12日

パリで観るクリント・イーストウッド〜懐かしの70年代の名優を探して(6)

2007年12月22日夜7時過ぎ。筆者は寒風吹きすさぶパリで、ある映画館の入場券売り場の前に並んでいた。場所は Rue des Ecoles にある映画館 Action Ecoles。ここでは12月中旬からクリント・イーストウッドの監督作品の特集上映が行われていた。1970年代の初期作品から最新作に至るまで、ほぼ全ての彼の作品が上演される画期的な企画である。東京の京橋にあるフィルム・センターでもこれほどの特集上映はまだやっていないのではないだろうか。「パリで観る映画がイーストウッドとは…」と思われるかもしれない。だが、果たしてこれは特殊なことなのだろうか。

恐怖のメロディ 【ザ・ベスト・ライブラリー1500円:2009第1弾】 [DVD]ここで、一般のフランス人に最も愛されている映画作家は誰だろうか、と問うてみる。私見によれば、フランスのテレビで最も頻繁にその作品が放映される映画監督は恐らく以下の三人だ。フランソワ・トリュフォー、ロマン・ポランスキー、クリント・イーストウッド。私がパリに滞在していた頃、彼らの映画は月に一本は確実に放映されていた(それも芸術系のチャンネルでなく、国営放送で)。既にフランス映画の父と看做されているトリュフォーは当然としても、残りの二人については意外に思う方もおられるかもしれない。

しかし、ポランスキーはもう長くパリに住み続けている映画作家であり(彼は暴行事件の容疑者とされて以来、アメリカへの入国は出来ない)、フランス人にはお馴染みの存在となっている。10年ほど前にはパリの劇場でカフカの『変身』の一人舞台をやるなど、俳優としての活動にも余念がない(思えばトリュフォー、ポランスキー、イーストウッドは三人とも監督権俳優である)。一方、イーストウッドもフランスで発見された映画作家と呼んでも過言ではないほど、フランス人には高く評価されている。1992年、『許されざる者』で米国アカデミー賞において監督賞を受賞したイーストウッドが壇上に上がるなり「フランスの批評家に感謝している」と述べたことを覚えている人もいるはずである。

いまでこそイーストウッドの映画作家としての力量を疑うものは皆無だ。『許されざる者』と『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)で二度アカデミー監督賞を受賞するという快挙を成し遂げたのみならず、『パーフェクト・ワールド』(1993年)、『マディソン郡の橋』(1995年)、『ミスティック・リバー』(2003年)や硫黄島二部作(2006年)など、常に世界の映画ファンを瞠目させる作品を撮り続ける監督として、いまやその映画作家としての地位は不動のもののように思われる。だが、1971年に彼がその監督第一作『恐怖のメロディ』を世に問うたとき、それを真面目に取り上げる者はどこにもいなかった。

特にアメリカでの評価の低さは決定的なものだった。ポーリン・ケールをはじめとする大新聞の有力批評家はイーストウッドの作品に罵詈雑言を浴びせ続け、それは『許されざる者』を発表するまで20年以上の長きに亘って続いた。アメリカは確実に一人の優れた映画作家の誕生を認めることが出来なかったのだ。イーストウッドを俳優として使った映画監督のセルジオ・レオーネでさえ、あるインタヴューで「(デ・ニーロと比べれば)イーストウッドは単なるスターに過ぎない」と述べ、その映画監督としての力量を認めないどころか、俳優としての資質すら軽視する発言をしていたのだ。

ところが、フランスの映画批評家は全く違っていた。『カイエ・デュ・シネマ』誌を中心とする批評家たちは早くからイーストウッドの作家性を見抜き、この「映画作家」の全作品を分析することに余念がなかった。それはイーストウッドが『許されざる者』を撮る遥か以前からである。さすがにトリュフォー、ゴダールを生み出した映画批評誌であり、その先見の明には驚かされざるを得ない(もっとも、蓮実重彦によると世界で最初にイーストウッドを発見したのは日本だとのことである。確かに蓮実と山根貞夫は70年代初頭からイーストウッドの監督作品に対して熱烈な批評を書いており、作家の金井美恵子を呆れさせていた・・・)。また、中条省平の分析によれば、あのゴダールまでもがイーストウッドを存命の映画作家の中で最もライヴァル視しているというのだ(『クリント・イーストウッド―アメリカ映画史を再生する男』、ちくま文庫、2007年)。このようにフランスにおいては、イーストウッドは商業的成功を収めるのみならず、芸術的な面でも常に高い評価を得てきたことが分かるであろう。

さて、筆者がその日に観た映画は『ペイルライダー』(1985年)という作品だった。既に繰り返し観ている作品であるにもかかわらず、今回観直してみて、イーストウッドの才能には改めて唸らされた。彼の映画の中でも5本の指に入る傑作ではないだろうか。この作品は彼自身の旧作『荒野のストレンジャー』(1972年)のリメイクと呼んでもいい作品だが、映画自体の雰囲気は全く別物になっている。性根の汚い荒くれ者たちによって支配された西部の小さな町。保安官すら悪の手に染まっている。そこに、どこからともなく男がやってくる。彼は名前を持たず、しかも牧師の姿をしている。だが、ある家族が極限の状況に陥っていることを知ると、男はガンマンとしての本性をついに表す・・・。とこう書くと、「どこにでもある西部劇ではないか」、と思われるかもしれない。しかし、聖書の祈りと共に男を乗せた馬がゆっくりと現れる場面。男の過去を物語る、背中に刻まれた6発の弾痕。極悪の保安官がつぶやく「あいつは死んだはずだ」という不可解な言葉。山の向こうから響いてくる「過去の声」など、この映画には神秘的な要素が数多く含まれている。とても西部劇とは思えないほど、この作品は形而上学的な高みを目指しているかのように感じられる。

イーストウッドの作風はこの『ペイルライダー』の頃から確実に変わったような気がする。それはもはや単なるアクション映画などでは有り得ない領域に達したかのようだ。その映画は常に「死」と「生」の狭間を、「悪」と「正義」の狭間を凝視している。そして、このテーマが究極的な場所にまで辿り着いたのが『ミリオンダラー・ベイビー』と『硫黄島からの手紙』なのだと言えよう。前者では尊厳死、後者では戦争での際限のない暴力をこれ以上ないほどの峻厳さで描き出している。決して一作でそのテーマを解決させることはなく、飽きることなく繰り返しながら、イーストウッドはその問題に挑み続けているのではないだろうか。「本質的な思想家は唯一つの問題にだけ立ち向かう」とはハイデガーの言葉だが、まさにイーストウッドの新作映画は常に一つの「思想」として観客の前に到来してくる。このような映画が商業映画として大劇場で上映されているという事態は、100年を超える映画史の上でも奇跡的なことではないだろうか。



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2008年01月05日

『天国の門』、あるいは1970年代を閉じる映画 〜懐かしの70年代の名優たち(5)

天国の門『天国の門』(1980年)という映画が語られなくなって久しい。というか、この映画はまともに語られることの非常に少ない映画であり、もっといえば公開される前から語られることを禁じられた映画であった。

監督はマイケル・チミノ。前作、『ディア・ハンター』の世界的成功で一躍スターダムに伸し上がったこのイタリア移民の監督が、満を持して取り掛かった映画であった。しかし、人気があるというのは恐ろしい。監督が望む限りの制作費がつぎ込まれ、湯水のごとくお金が使われるのだが映画はいつになっても完成しない。1970年代の映画史はこういう場面を何度も経験している。『トラ・トラ・トラ』(1970年)では製作者との軋轢のため、日本側監督である黒澤明の解任にまで至った。『地獄の黙示録』(1979年)のコッポラもまた、物語同様、ジャングルからいつになったら帰れるのかと思われるほどの迷走を続けた。『天国の門』はそうした例の極まった例といえよう。

結果、この映画は完成したときには既に失敗作の烙印を押され、あたかも見ることが許されぬような扱いを受けることになってしまう。この映画が記憶されるのは、その興行成績の悲惨さにおいてである。制作費の十分の一の興行収入しか収めることができなかった史上最低の映画として長く語り伝えられることになってしまうのである。監督のチミノはそれ以後ハリウッドから干されることになり、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985年)で復活するまでに数年を待たなければならなかった。

ディア・ハンターだが、と私は断言したい。この映画は紛れもない傑作であり、『ディア・ハンター』をも凌ぐ、マイケル・チミノの代表作である。これほどの傑作が無視されてしまったのが今となっては信じられないと思えるほど、この作品には映画の面白さが詰め込まれている。主役はクリス・クリストファーソン。その友人にジェフ・ブリッジス。主人公と絡むフランス人娼婦にイザベル・ユペール。圧巻は放浪のガンマン役のクリストファー・ウォーケン。また、イギリスからはジョゼフ・コットンが特別出演しているのが素晴らしい。この作品が忌み嫌われたのは19世紀末のワイオミング州で実際に起きた東欧系移民の虐殺事件という、アメリカ史の恥部を扱ったからであり、映画自体の出来とは何の関係もないということが、このキャスティングを見ただけでも分かるであろう。

中でもイザベル・ユペールは素晴らしい。この頃のユペールはまだゴダールの『勝手に逃げろ/人生』(1980年)にも『パッション』(1983年)にも出演していない、いわば駆け出しの女優で、フランスではむしろお嬢さん女優として知られていた程度であった。しかし、この映画でのユペールはそうしたイメージをかなぐり捨てる演技を見せている。食卓で突然全裸になり、主人公に抱きついてくる場面。水面に反映する光が眩ゆく煌く小川の中で水浴びをする場面。ユペールはどの場面でも最高に輝いており、この映画は恐らくユペールが最も美しく撮られた映画といっても過言ではない。そして、この映画を通して、ユペールがいま我々の知る演技派女優へと変貌していく瞬間に立ち会えるだろう。彼女を見るだけでも、この映画を見る価値は十分にある。

そして、クリストファー・ウォーケン。いつもながらの影のある役柄であり、いつになっても正体のつかめない男を演じている。だが、いざその時となると全身に弾丸を浴びながらもまだふらふらと立ち上がり、決して戦うことを止めない男。こういう人物がウォーケンによって演じられるとその圧倒的な風貌と眼力ゆえにあらゆる悲劇性までをも吹き飛ばしてしまうように感じられる。この演技はこの役者の魅力が存分に味わえるという点で、『ディア・ハンター』でのそれと並んで、ウォーケンの中では出色の出来ではないかと思われる。

他方、主演のクリス・クリストファーソンは自ら望むわけではないのに、戦いの中に否応なしに巻き込まれていく男を味わい深く演じている。これほど静かな主役が70年代にいたろうか。クリストファーソンの役柄は例えばイーストウッドが演じる主人公像の対極にある。全身から怒りを爆発させ、着実に復讐を成し遂げていくのがイーストウッドの典型的タイプとすれば、クリストファーソン演じる男は「何か分からぬまま」争いの中に入っていき、「何か分からぬまま」戦いを続けざるを得ない主人公である。これは全く新しいタイプの主人公像ではないだろうか。そしてこれは1970年代の映画に慣れた観客には受け入れがたいものであった。

その意味で、この主人公は70年代と80年代を繋ぐ分岐点にいると言える。80年代になるとブルース・ウイリスにせよ、ハリソン・フォードにせよ、そこに登場する主人公たちは何と単純化された、内面のない、明るい男たちになってしまうのだろうか。彼らは自分の置かれた「訳の分からぬ」状況を解釈することはなく、ただ笑い飛ばしてしまう。90年代のトム・ハンクスに至って、その平板化した登場人物像は極限にまで達するように思われる。この「中身のない」人間の姿はそのままアメリカの姿を現しているように思われる。映画はそれ自体が望む以上に時代を映しているのかもしれない。

『ディア・ハンター』に引き続き撮影を担当するヴィルモス・ジグモントはスピルバーグの『未知の遭遇』(1977)の撮影監督として知られているが、この映画のほうがはるかに良い仕事をしている。いつ果てるともなく続く民衆たちのダンス・パーティー。これをぐるぐると回転するカメラで捉えた場面は、『暗殺の森』におけるタンゴの場面を捉えたヴィットリオ・ストラーロのカメラをも越えて、憂いを帯びた相貌を見せる。加えて、全体に茶色のフィルターをかけた濃淡色の映像によって、歴史の中に浮かび上がる悲劇を見事なまでの詩的感性で引き出すことに成功している。これほど美しく撮られた映画はヴィスコンティという稀有な例外を除けば70年代には存在しなかったのではないか。その意味でもこれは70年代に属することの出来ぬ映画なのだ。

巨額の制作費を投じて、歴史の一幕を壮大なスケールで描くという1970年代の映画手法はこの作品で終わり迎えたと言っていい。いや、実際には制作費はその後はるかに昂騰しているのだが、膨大なエキストラ、膨大な撮影日数、そして撮影自体が様々なドラマと危険を孕むという映画はもうなくなってしまったのではないだろうか。80年代以降は役者のギャラと特撮・CG技術に制作費が割かれることになるだろう。

まさに70年代映画とは、『天国の門』という一本の映画によって、その「幸福な時代」の扉を閉ざしてしまったのだった。


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2007年12月18日

クラシックなひととき(1)〜2007年秋の関西の音楽シーン

チャイコフスキー:交響曲第4番、ピアノ協奏曲第1番東京には及ばないが、関西地方も重要なクラシック音楽向けのコンサート・ホールを擁している。大阪のフェスティヴァル・ホール、シンフォニー・ホール、京都の京都コンサート・ホールなどではこれまでも重要な演奏会が行われてきた。他方、兵庫県では神戸新聞松方ホール、国際会館などが充実したプログラムを組んできたが、西宮市に一昨年オープンした兵庫県立芸術文化センターの出現により、関西のクラシック音楽シーンは大きく様変わりしたといえる。この枠ではこれらの劇場での演奏会を中心にリポートをしていく。

兵庫県立芸術文化センターは昨年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場が来日公演を行ったことで大いに話題をさらった(関西では唯一の公演)。音楽監督のジェームズ・レヴァインこそ怪我のため来日できなかったが、アメリカの名門歌劇場が引っ越し公演をこの劇場で行ったことは特筆に値する。座席は即日ソルドアウトだったということで、この熱狂振りはこうした歌劇場の公演がいかに関西で待ち望まれていたかを示している。さらに驚くべきことに、これに引き続いて2008年夏にはパリ国立歌劇場も引っ越し公演を行うという。これも関西では唯一の公演となる。

演目は一つ目がワーグナー作曲『トリスタンとイゾルデ』、二つ目がバルトーク作曲『青ひげ公の城』とヤナーチェク作曲『消えた男の日記』の二作連続上演、三つ目がデュカス作曲『アリアーヌと青ひげ』とのこと。演出にはピーター・セラーズ(『トリスタン〜』)、指揮にはセミオン・ヴィシュコフ(『トリスタン〜』)、グスタフ・クーン(『青ひげ〜』、『消えた男〜』)、歌手としてはデボラ・ボラスキ(『アリアーヌ〜』)その他という本格的な布陣である。これだけの公演を実現させるこの劇場の企画力には驚かせられる。

もちろん、こうした公演は相変わらずチケットが高い。現地まで観に行くことに比べれば安いのだが、しかし簡単に観に行ける値段ではないことは確かだ。これがもう少し手ごろな価格で観られるようになれば日本のクラシック音楽シーンも大きく変わると思うのだが、それを望むのは無理なのだろうか。

シベリウス:交響曲第1番オペラには手が出ない我々庶民が出向くとしたら、この秋はオーケストラ公演ではないだろうか。実際、この11月だけでも関西では実に多彩で充実した公演が行われている。準・メルクル指揮のリヨン国立管弦楽団(シンフォニーフォール)はフランス音楽プログラムを組み、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(京都コンサートホール)も数度目の来日公演をしているのに加え、マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団が来日公演を行った(11月22日、フェスティヴァル・ホール)。以下、この公演の印象を述べることにする。

曲目はリヒャルト・シュトラウス作曲『ツァラトゥストラはこう語った』、ブラームス作曲『交響曲第1番』の2曲編成。前者もそれなりの水準の演奏をしていたが、圧倒的であったのはブラームスである。それほど、この夜のこの曲の仕上がりは完璧だったと言えよう。実際、これほどの精度でこの曲が演奏されることは珍しいのではないだろうか。金管、木管、弦の音量のバランスもよく、細部に至るまでいささかの乱れもなく演奏されているのはもちろんのこと(特に木管は絶妙な響きを出していた)、ヤンソンスはこの曲の解釈に新しい地平を開いたといえる。カラヤンを筆頭に重々しく演奏されることの多いこの曲が、これほど軽やかに演奏されるとは誰も予期していなかったのではないだろうか。作曲されて130年になるこの曲がまったく別の相貌を見せ始めたと感じたのは私だけではないはずだ。

しかしこの演奏はただ軽いだけではない。そこに確かな技術、確かな思想、確かなハーモニーがあるからこそ、これほどの水準の演奏が出来るのである。今のバイエルン放送交響楽団はニューヨーク・フィルの若々しさ、ライプチヒ・ゲヴァントハウスの重厚さ、シカゴ交響楽団の技術、そしてウイーン・フィルの高貴さを全て兼ね備えている。これほど多彩な面としなやかさをもったオーケストラは世界でも稀有な存在といえる。今夜のブラームスの演奏はこの交響楽団の実力をまざまざと見せ付けたばかりでなく、この楽団が一体どれほどのことをこれから成し遂げてくれるのだろうかと夢想したくなるような演奏であった。ヤンソンスと共にバイエルンはまったく別の時代に突入したとの印象を聴衆に与えたのだ。

バイエルン放送交響楽団は創立されて50年ほどであるから、数百年の歴史を持つオーケストラと比べればまだまだ若いオーケストラである。ラファエル・クーベリックが首席指揮者を務めていた時代が長かったため、ドヴォルザークなどを演奏する印象が強い。2003年から首席指揮者に就任したヤンソンスはレニングラード・フィルでムラビンスキーの助手からそのキャリアを開始したという経緯もあって、バイエルンとの録音でもチャイコフスキーなどをやることが多いようだ。だが、今回の来日公演ではブラームスの他、マーラーの1番、ブルックナーの7番など、実に多彩な曲を披露している。これらの演奏もいずれ録音されると思うが、ますますレパートリーが広がっていくのではないかと思われる。まさに今乗りに乗っている指揮者とオーケストラといえよう。

オーケストラは5年から10年の時間でまったく別のものになる。バイエルン放送交響楽団のような変貌振りは珍しいかもしれないが、音楽とは本当に「生もの」であるということを再認識した一夜であった。




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2007年12月01日

D・サザーランド in イタリア〜懐かしの70年代の名優たち(4)

1970年代を代表するヨーロッパ映画といえば何だろうか。異論はあるだろうが、筆者はベルナルド・ベルトルッチの『1900年』(1976年)を挙げたい。1900年の同日同時刻に生まれた小作頭の息子と大地主の息子の60年に及ぶ友情と葛藤をファシズムが吹き荒れるイタリア現代史の中で描きあげたこの作品が必ずしもベルトルッチの最良の作品ではないことは確かだ。作品の質としては『暗殺の森』(1970年)のほうが遥かに上だろうし、ひょっとしたら『ラストエンペラー』(1989年)や『シェルタリング・スカイ』(1992年)にすら及ばないかもしれない。

novecento02.jpgしかし、当時無名のロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューというその後のアメリカとフランスの映画界の中心人物となる二人の俳優を主役に抜擢した監督の先見の明。また、ドミニク・サンダとステファニア・サンドレッリというフランスとイタリアを代表する若手美人女優を準主役に起用するという商売の上手さ。そればかりか、バート・ランカスターとスターリング・ヘイドンという1950年代を代表するアメリカの役者をイタリア人として演じさせる配役の巧みさ(B・ランカスターの場合、既に60年代にヴィスコンテイの『山猫』に出演した経歴があるとはいえ)。加えて、いまやベルトルッチの手足と化した撮影監督ヴィットリオ・ストラーロの鮮やかなカメラワーク。そして一度聞いたら忘れることの出来ないエンニオ・モリコーネの叙情性きわまるテーマ音楽。こうした点を数え上げていくと、やはりこの作品の映画史における位置は不動のものに思えてくる。

ところで、前後編あわせて5時間25分(5時間16分のヴァージョンもあり)という破格の長さを持つこの映画を一挙に上映したのは日本が初めてなのだということはご存知だろうか。公開当時、「大河ドラマを一年分見せられた気がする」(池澤夏樹)とまで扱き下ろされたほどの長尺の映画だが、ヨーロッパでは前編を先に公開し、その数ヵ月後に後編を上映するという形がとられた。アメリカの場合は悲惨で、監督の意向を無視した3時間ほどの短縮版が製作者アルベルト・グリマルディ(何と本業は弁護士)の独断で作られ(「アメリカ人が5時間25分の上映に耐えられるわけがない!」という考え)、ベルトルッチはその映画をめぐってその後数年間、裁判を続けることになる。この詳しい経緯に関してはベルトルッチ著『クライマックス・シーン』(筑摩書房)を参照されたい。

確かに5時間25分という時間は長すぎるように思えるかもしれない。しかし、60年に亙る愛憎のドラマをスクリーンの中で作り上げるにはこの長さはどうしても必要だったような気がする。我々はこの5時間を越える映像の洪水に浸ることで、初めてヨーロッパの歴史の暗部が持つ、他と比肩することの出来ぬほどの重みを体験できるような気がするのだ。今にして見れば、この長さはむしろ適度な長さであったと思えるのではないだろうか。淀川長治も「この映画を見ることはドストフスキーの大長編小説を読むことに等しい」と語っていたが、まことに1970年代でとは大長編作品を作ることが許された時代であったと思う。

novecento03.jpgしかし、この映画の本当の魅力は先ほど挙げたいずれの俳優をも凌ぐ存在感を見せた、一人の俳優にあったといっても過言ではない。それがドナルド・サザーランドである。彼が演じたのはアッチラという不気味な男だった。大地主の屋敷のしがない使用人にすぎなかったこの男はファシスト党に入党すると共にその残忍な本性を表し、その土地の至る所で悪逆の限りを尽くす。猫を殺し、子供を殺し、女を殺すばかりか、その罪を小作頭の息子(ドパルデュー)に着せようとする。我々はこのアッチラの姿を通して、およそ「悪」と呼ばれるあらゆるものが限界に至るまで描き出されるのを見ることになる。それにしても、この狂気的な役を演じられるのはサザーランド以外にはいなかったのではないだろうか。というのも、この圧倒的な演技の為、主役の二人は完全に見せ場を奪われてしまったのだから。デ・ニーロとドパルデューがその後役者として急成長するのはこのサザーランドの演技を見たからなのかもしれないと今となっては思える。

その証拠がある。サザーランドとデ・ニーロはロン・ハワード監督の『バックドラフト』(1991年)で久方ぶりに共演することになるが、この共演シーンがこの映画の大きな見せ場となっていることを思い出してもらいたい。デ・ニーロは放火犯罪の捜査官、サザーランドは獄中にいる放火魔という設定。飽くまで過去の放火の罪に対して白を切ろうとするサザーランドをデ・ニーロは言葉巧みに追い詰め、放火魔にその異常な性向を白状させるというあの場面だ。15年前は全く対打ちできなかったサザーランドに対し、デ・ニーロはここでは見事に対峙しており、一方のサザーランドも相変わらずの怪演で応じている。まさにこの場面は役者と役者の演技が激しくぶつかり合う、映画ファンには堪えられない場面となっている。『1900年』からの彼らを知る我々は、二人の間に流れた時間の長さを改めて確認することになるのだ。

思えばこの頃、サザーランドはフェリーニの『カサノヴァ』にも主演している。なぜ、イタリア映画ばかりに出演していたのかは謎である。そのエキセントリックな風貌がイタリアの映画作家の想像力を刺激したのだろうか。最近(といっても10年近く前になるが)のサザーランドのフィルモグラフィーの中では『スペースカウボーイ』でのクリント・イーストウッドとの久々の共演がファンには堪らない出来事であった。ふと思えば、イーストウッドもセルジオ・レオーネによってイタリアから歩みだした俳優だった・・・。




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2007年11月05日

若かった頃のハーヴェイ・カイテル〜懐かしの70年代の名優たち(3)

1990年代以降、最も活躍している映画俳優は誰か、と聞かれたら皆さんはどう答えるだろうか。大方はブラッド・ピット、レオナルド・デカプリオ、トム・クルーズ、ジョニー・デップ、 ジョージ・クルーニーなどの名前を挙げるのではないだろうか。どれもそれなりに説得力のある答えだし、恐らくそれは正しいのだと思う。しかし、ここで仮に「ハーヴェイ・カイテル」と答えてみればどうだろうか。

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確かにここ15年ほどのハーヴェイ・カイテルは大車輪の活躍をしている。タランティーノの『パルプフィクション』(1994年)ではこともなげに難題を解決する「掃除屋」を嬉々として演じていたかと思えば、その一方、テオ・アンゲロプーロスの『ユリシーズの瞳』(1995年)では失われた映画のフィルムを探しながら歴史の悲劇の中に翻弄されていく主人公を重厚に演じ、観客を深い感動へと誘う。その傍ら、ポール・オースターと手を組んで『スモーク』(1995年)、『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(1998年)などの小品に連続的に出演する。決して派手な活躍ではないが、どの映画もカイテルがいなければ成立しないと思えるほど、圧倒的な存在感を放ってスクリーンの中に佇む彼がいることを誰も否定することは出来まい。

そんなハーヴェイ・カイテルであるが、若いころの彼がどのような映画に出ていたのかを知る人は少ないのではないだろうか。カイテルがマーチン・スコセッシと共に世に登場した『ミーン・ストリート』(1973年)という映画を覚えている人がいまどれぐらいいるだろう。いまやアカデミー監督賞も受賞し、押しも押されぬ大監督と看做されているスコセッシだが、37年前にこの映画を撮ったときは駆け出しの映画青年に過ぎなかった。ほとんど実験映画に近い映像も混じるこの映画は、まだ映画撮影の方法も編集の仕方も習得していない監督が撮った映画であり、それゆえにいま観ても宝石の原石を眺めているかのような不思議な瑞々しさと不安を観客に与える。

物語は一言でいえば青春群像である。ルーカスの『アメリカン・グラフィティ』(1973年)のスコセッシ版といえば分かりやすい。だが、ルーカスが伝統的ヴィルドゥングス・ロマンの形式を採用し、主人公の成長を着実に描こうとしたのに対して、この映画は完全に物語を構築する意志を欠いている。カイテルが演じる主人公はどういうわけだか常に「罪」の意識に怯える実直な青年を演じている。その傍ら、街中で拳銃をぶっ放すなどの放蕩の限りを尽くし、周囲を苛む気の振れた若者役を当時無名のロバート・デ・ニーロが演じている。物語は結局何の解決も見せぬまま唐突に終わりを告げ、一陣の風が通り過ぎていったかのような余韻だけを残すという映画であった。結局、デ・ニーロのインパクトのあまりの強さゆえ、カイテルは全くかすんでしまった。その為か、次の作品『タクシー・ドライバー』(1975年)では主人公と脇役が逆転し、デ・ニーロが主役へと躍り出る。この映画がデ・ニーロを一躍世界に知らしめることになり、スコセッシもまた世界的映画監督として記憶されるようになったことは人も知るとおりである。一人取り残された感じのカイテルがこの作品で演じた役は「ポン引き」であった。

だが、スコセッシはカイテルに非凡の才能を見出していたようだ。特に「罪」の意識に苛まれる『ミーン・ストリート』の主人公役は、そのままスコセッシ自身の姿と重なり合うように思われる(主人公は自分の手を蝋燭で焼くという象徴的な行為を繰り返す)。というのも、スコセッシにおける「罪」の意識のテーマは『タクシー・ドライバー』にも受け継がれ、最終的には『キリスト最後の誘惑』(1988年)へと結実するからだ。ウイレム・デフォーがキリストを演じたこの映画は上演中止運動まで起こった問題作であったが、カイテルはこの映画ではなんとユダを演じているのだ!イエスの弟子でありながら、師を裏切り、捕らえさせるきっかけを作ったあのユダである。スコセッシがカイテルにかける思いがこの配役を見るだけでも十分に伝わってくるではないか。

いまや、深いしわが額に刻まれ、実に渋い役者となったハーヴェイ・カイテル。だが、『ミーン・ストリート』の頃の彼は端正な顔立ちの美青年であり、そこにはその後の彼の映画人生を髣髴させるものは何もないように思える。まだ何も魅力がなかった頃の彼を知るものから見れば、最近のカイテルの活躍ぶりには目を見張らされざるを得ないだろう。だが彼の現在の活躍の根源は、間違いなく37年前の演技の中に密かに醸成され始めていたのではないだろうか。それを思うと、私はカイテルがこれからさらにどこに行くのか、いまだに気になるのである。


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2007年10月11日

マイケル・ケインからトム・クルーズへ〜懐かしの70年代の名優たち(2)

前回、マイケル・ケインの話が出たのでその続きをしてみよう。

eagle01.jpgかつて、ケイン主演の映画に『鷲は舞いおりた』(1976年)という作品があった。原作はジャック・ヒギンズの同名小説(邦題は『鷲は舞い降りた』、ハヤカワ文庫NV)。監督はジョン・スタージェス(『荒野の七人』(1960年)、『大脱走』(1963年))。舞台は第二次大戦下のヨーロッパ。ケインは危機打開のために「チャーチル首相暗殺」という特殊任務を任されるドイツ軍の中佐を演じている。これに、アイルランド独立運動のためにケインに協力する活動家の役にドナルド・サザーランド、作戦全体を指揮するドイツ軍将校役にロバート・デュバルという布陣だから面白くないわけがない。戦争映画といえばナチスを愚劣な狂者の集団として描く傾向が強かったなかで、この映画では例外的にドイツの兵士たちを人間味溢れた者たちとして描いている(もっともドイツ兵がみな英語をしゃべるという時点で、既にリアリスムがないのだが)。夜明けのイギリスの海岸にポーランド軍の軍服を着たドイツ空挺部隊の精鋭と共に中佐はパラシュート降下を敢行する。イギリスの田舎町に静養に来たチャーチルを護衛を装って密かに消し去るという作戦・・・。だが、完璧なる計画を立てたにも拘らず、思わぬ不手際の為に正体が露見し、舞台は全滅に近い打撃を被ることになる。それでも一人生き残った中佐はチャーチルの別荘に侵入し、庭に現れたイギリス首相に向かって夜陰に紛れて拳銃の弾丸を発射する・・・。

ケインはこうした映画で抜群の魅力を発揮していた。こういう無謀な作戦の指揮官役をやってなお説得力がある俳優といったらマイケル・ケインをおいて他に見当たらないであろう。今は亡き淀川長治が「イギリス一の美男俳優」とケインを褒めちぎっていたことが懐かしく思い出される。また、共演のドナルド・サザーランドもこの頃は乗りに乗っていた。ベルトルッチの『1900年』(1976年)での狂気のファシスト党員役やフェリーニの『カサノバ』(1979年)でのタイトル・ロールといった具合に、大作への出演が矢継ぎ早に続く中で、こういう渋い映画の助演を嬉々として演じているときのサザーランドは本当に輝いていた。他方、ロバート・デュバルもこの頃が全盛期であろう。もともとジョージ・ルーカスの劇場用映画第一作『 THX-1138』(1970年)に主演した縁で、コッポラ・ファミリーに絶大なる信頼を得ていたデュバルはその後『ゴッドファーザー』正続編のコルレオーネ家の番頭役、『地獄の黙示録』(1979年)では狂気のヘリコプター攻撃を指揮するキルゴア中佐役など重要な役を次々と任されるようになる。

ところで、私が『鷲は舞いおりた』という映画を思い出したのも、トム・クルーズが新作でシュタウフェンベルク大佐を演じるという情報を入手したからかもしれない。この名前をご存知の方はかなり第二次世界大戦の歴史に詳しい向きかもしれない。シュタウフェンベルク大佐とはナチス政権下において「ヒトラー暗殺」という作戦を実行に移したドイツ軍人である。ナチス内部にも反ヒトラー勢力というものが隠然と存在しており、元帥から下士官に至るまで一つの別の軍隊のようなものを見えない形で組織していた。そのグループが「ヒトラーに任せていたらドイツは間違いなく滅ぶ」ということを危惧し、暗殺作戦を実際に計画したのだ。シュタウフェンベルクは書類鞄に爆弾を潜ませてヒトラーの出席する会議に臨むことによって、暗殺作戦を遂行しようとしたのである。残念ながら作戦は失敗し、シュタウフェンベルクら反乱グループは粛清されることになるが、彼はいまでもドイツの英雄的人物の一人と看做されている(詳しくはロジャー・ムーアハウス著『ヒトラー暗殺』、白水社、2007年を参照)。

今にして思えば『鷲は舞いおりた』という映画が語る物語はこの作戦の「陰画」だったような気がする。ケインが演じた役名はシュタイナー中佐という、シュタウフェンベルクと似たような名前であったし(ありふれた名前ではあるが)、何よりも主人公以下のドイツ軍人がみな高潔な人格に描かれていたのが特徴的であった。しかし、あの当時はまだ「ヒトラー暗殺」作戦などいうことを決行する英雄的ドイツ軍人などというものを小説や映画が描き出すということは倫理的に許されない時代であったような気がする。あくまでドイツは「悪」であり、彼らはそうした振る舞いしか小説でも映画でもすることが出来なかった。それゆえに彼らの暗殺対象が「ヒトラー」から「チャーチル」にすり替えられたのではないのだろうか。とはいえ原作者も監督もそうした傾向に疑問を持っていたに違いない。「ドイツにもまともな人間が(当然ながら)いたはずだ。」『鷲は舞いおりた』の主人公たちがみな高潔な人間であることに作り手のそのような意図を感じずにはいられない。それを考えるとこの映画の意味がさらに増してくるように思える。未見の方は是非ご覧いただきたいものである。

さて、問題はクルーズが演じるシュタウフェンベルク大佐だ。私はこの映画が『ミッション・インポッシブル』(1997年)のような映画になってしまうことを深く危惧する(もっとも『 MI:III 』(2006年)が近年稀なる傑作であることを否定するつもりはないが)。果たして、クルーズにこの救国の英雄を演じることが出来るのだろうか。



不知火検校

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2007年09月05日

懐かしの70年代の役者を探して

オーシャンズ11 特別版先日、『オーシャンズ13』を観に行った。『オーシャンズ11』(2001年)から始まったシリーズの第三弾。批評は賛否が分かれているようだが、私自身はとても楽しむことが出来た。このシリーズは常に独特のリズムを持っており、始まったとたんにそのリズムに浸ることが出来る。これが実に心地よいのだ。そんなこの映画の最大の売りはアル・パチーノが敵役として出ていることだろう。実際、憎憎しいホテル王を迫力たっぷりに演じており、パチーノとしては久々に存在感を示したと言えよう。加えて、『オーシャンズ』シリーズの常連アンディ・ガルシアとの対決場面もあったりして、『ゴッドファーザーPart V』(1990年)を髣髴とさせる映画ファン垂涎の場面も用意されていたりする。

しかし私が今回語りたいのはパチーノではない。この『オーシャンズ』シリーズにレギュラーとして出ているエリオット・グールドに私は世間がもっと注目してほしいと思うのだ。先ごろなくなったロバート・アルトマン監督の『 M★A★S★H』(1970年)で圧倒的存在感を放っていたグールド。『ロング・グッドバイ』(1973年)の探偵グールド。『カプリコン・1』(1977年)の新聞記者グールド。『遠すぎた橋』(1977年)の鬼軍曹グールド。70年代にあれほど輝いていた俳優が今は脇役として、映画を内側からしっかりと支えているということに注目してほしい。ジョージ・クルーニーもブラッド・ピットも確かに良いが、まだまだ彼の域には到底達していないのだ。グールドのような俳優の存在がなければ現在の映画は実は立ち行かないのだ。

バットマン ビギンズ 特別版こういう俳優はグールドだけではない。マイケル・ケインの最近の活躍ぶりも往年の映画ファンには嬉しいことだろう。もともとイギリス映画には執事役の系譜があり、最近ではカズオ・イシグロの原作を映画化した『日の名残り』(1993年)のアンソニー・ホプキンスの執事役が有名であるが、ケインが『バットマン・ビギンズ』(2005年)で演じた執事役も秀逸なものであった。同時期に公開された『奥さまは魔女』(2005年)での父親役もコミカルで良かったが、『バットマン〜』での演技は特筆すべきもので、主役を完全に食っている。比較して申し訳ないが同じ映画に出ていた渡辺謙では到底太刀打ちできないと思う(最もこの映画の白眉はリーアム・ニーソンの怪演にあり、愁いを帯びたまでに美しい悪役ぶりについては稿を改めて論じなければならない)。

昔、Ex‐fan des Sixties『思い出のロックンローラー』という歌をジェーン・バーキンが歌っていた。懐かしの1960年代の歌手の名前をだらだらと繋げただけのゲンスブールならではのいい加減な歌なのだが、このいい加減さが実に良いのだ。それに倣い、このコーナーでは懐かしの1970年代の俳優の名前をだらだらと挙げながら、かつて輝きを放っていた映画を振り返っていく予定である。



不知火検校

PROFILE:普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人


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