2010年07月03日

「ジャジーなハスキーヴォイス求む」――ZAZ(ザーズ)

Zaz CDジャケットだけを見て、てっきり「お子様ラップ」か「お子様R&B」のどちらかだろうと思って無視していたが、聴いてみると思っていた音楽とはまったくちがっていた。たまたまyoutubeでJe veux(「ほしい」)のヴィデオクリップを見たのだが、「シャンソン + マヌーシュ・ジャズ」といった感じの名曲で、ハスキーな声の魅力と、スウィング感あふれる圧倒的な歌唱力に快い驚きを感じた。

 今年(2010年)5月に出たファーストアルバムが発売一ヶ月ほどでフランス国内チャートのトップに上りつめ、一躍時の人となったザーズZAZ(本名イザベル・ジェフロワIsabelle Geffroy)。ジャケットの写真はずいぶん子どもっぽく見えるが、1980年生まれの30歳(トゥール出身)。20歳の頃から音楽活動をしていたというから、芽が出るまでにはけっこう時間がかかっている。この間、歌う機会さえあれば世界中のどこへでも出かけていって、歌っていたらしい(カナダ、モロッコ、コロンビア、エジプト、シベリア、はたまた日本まで)。パワフルな人である。2006年以降は本拠をパリに置き、おもにキャバレーやモンマルトルの路上(!)で活動を続けていた。2007年、音楽プロデューサ&ソングライターのKerredine Soltani(ケルディヌ・ソルタニ?)が出した「ジャジーでハスキーな声の新人女性アーティスト求む」という広告に応募したことがきっかけで、彼が主催するPlay Onレーベルからファーストアルバムを出すことになる。

 このファーストアルバム、とてもいいですよ。元気だし、とにかくうまいし、でもそのうまさがイヤミに感じられるところまでは行かず、ほどよい具合に雑だし。いろんなタイプの曲が入っているが、一番良いのはやはりマヌーシュ(ジプシー)・ジャズ風の何曲か(Les passants, Je veux, Prends garde à ta langue, Ni oui Ni non...)。あと、エディット・ピアフの名曲のカヴァーDans ma rueも出色の出来(個人的にはピアフよりいいと思う)。フォーク調の曲とか、ロックンロールとか他にもいろんなタイプの曲が入っているが、あまりいろんな方向に色目を使わず、ジャズ一本でど〜んと構えて活動した方が良いように思う。あと、彼女の歌を聴く人のほとんどはピアフを思い出すだろうし、本人も意識していないはずはないが、いずれひとりのアーティストとしてピアフの呪縛から自らを解き放たなければならない日が来るだろう。それがうまくいくかどうかが少々心配だ。



◆ZAZのプロフィルについては
http://fr.wikipedia.org/wiki/ZAZ_(chanteuse)
http://www.idolesmag.com/interview-34-Zaz.html
を参考にした。


MANCHOT AUBERGINE

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2010年04月07日

「無重力状態」――EN APESANTEUR(2002) / Calogero ヴァリエテ・フランセーズ散歩(4)

Calogero 90年代に三人組のバンド、レ・チャーツLes Chartsを率いて活動していたカロジェロCalogero(本名Calogero Maurici、1971年生、グルノーブル近郊の出身)は、1998年のバンド解散後、ソロ活動を開始。セカンドアルバム(CALOGERO,2002)とサードアルバム(calog3ro,2004)のビッグヒットがきっかけとなり、ロック系ヴァリエテ歌手として不動の地位を築く。


 EN APESANTEUR([アナプザントゥール]。「無重力状態」の意)は、セカンドアルバムからシングルカットされてヒットした曲。メロディも声もサウンドもいいが、むしろ特筆したいのはヴィデオクリップのバカバカしいおもしろさ。閉じかけたエレベーターの扉から滑り込む怪しげな目つきの男。先客は妙齢の女性ひとり(女優メラニ・ドゥテーMélanie Doutey)。彼女に一目惚れした男の妄想は限りなく暴走し...という、ほんとうにどうでもいい内容の歌詞、映像だが、カロジェロのマヌケな表情がなかなかいいし、エレベーター内のあちらこちらの装飾もよく見ると???という感じで、全体的にいかがわしさにあふれた怪作クリップとなっている。何度見ても吹き出してしまう。このオバカクリップでの迷演技が功を奏したのかどうかはわからないが、セカンドアルバムは超ロングセラーを記録、彼は大スターへの道を歩んでいく。


calogero1.jpg だが、セカンドアルバム以降の彼の音楽を、私はじつはあまり評価していない。個々の曲の出来の問題ももちろんあるのだが、どのアルバムも全体を通して聴くと、似たようなマイナー調で重厚なタイプの曲ばかりがならび、どうも単調で重苦しい感じがして退屈してしまうのだ。彼の作品のなかでは、むしろあまり売れなかったファーストアルバムAU MILIEU DES AUTRES (1999)が一番好きである。人気・実力の両面で当時ひとつのピークを迎えていたパスカル・オビスポPascal Obispoをプロデューサーに迎えて制作されたこのアルバムは、幅広い曲調の名曲の数々――DE CENDRES ET DE TERRE, UN MONDE EN EQUILIBRE, LE SECRETなど――、ストリングスをはじめとするアレンジの切れのよい美しさ、カロジェロのヴォーカリストとしての卓越した力量が相乗効果を上げ、ヴァラエティに富んだスケールの大きい傑作になっていると思う。どうしてこの路線を続けなかったのかな。まあ結果的には売れたわけだから、セカンド以降の短調&重厚路線の強化策は間違っていなかったということだろうが。


Hannibal レ・チャーツ時代にも名曲は数多くある。HANNIBAL(1994)というアルバムに入っているTOUT EST POUR TOIとかLES MOUSTIQUESなんかを一度聴いてもらいたい。彼のメロディメーカーとしてのずば抜けた――そして残念ながら最近はちょっと影を潜めている――才能がわかるはずだ。



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2010年03月07日

「アコースティックパワーポップ」LP――Le premier clair de l'aube / Tété

Le Premier Clair De Laube待望久しいテテTétéのニューアルバムLe premier clair de l'aube(タイトルは「夜明けの最初の明るみ」の意。4枚目のオリジナルアルバム)。

一聴してすぐに気づくのは、ギターの音色と歌声の変化。ギターは以前よりもずいぶん硬質に響き、声も、意識して音域を下げた感じで、これまでのアルバムに特徴的だったふわふわしたファルセットがほぼ姿を消している。前作(Le sacre des Lemmings(2006))で目立ったストリングスや管楽器も影をひそめ、全体的にシンプルでタイトなサウンドになっている。フォークやブルースを基調にした音楽性自体はあいかわらず。ただ、マイナー調のメロディに乗せてしっとりと歌い上げる、これまでのお得意パターンの曲は今回見あたらない。

リーフレット(私が入手したのは限定版仏盤)にはテテ自身による長文の自作解説(英文)が載っている。それによると彼は、これまでの3枚のアルバムは「オーバープロデュース」気味で「クリーン」過ぎたと考えており、今回は従来の「フォークレコード」とは違う、分厚くてしかもシャープなギターを伴った「アコースティックパワーポップLP」を目指した、とのことである。また、punchy / earthy / dirty / energy and emotionといった言葉を本作のキーワードとして示している。何となくこのアルバムの雰囲気がわかってもらえるだろうか。さらに、本作制作に際し参考にした他人の曲をずらりとリストアップしている――ライトニン・ホプキンスからグリーン・デイ、ウィーザー、はたまたエミリー・ロワゾーまで多種多様――が、これも「ふ〜ん、なるほど」という感じでなかなかおもしろい。音楽家なら御託など並べず音だけで勝負したらいいという意見もあるだろうが、私はこういう説明好きなひとって好きだな。きっとまじめで律儀なヤツなんだと思う。

この変化をどう評価するか、聴くひとによって意見はさまざまだろうが、私は本アルバムを非常に気に入った。これまでの3枚はどれも好きだが、上で引用したテテ本人の不満と同じような不満を(とくに2枚目と3枚目にたいして)ときに感じてもいたので。個人的にはこれまでの最高傑作だと思う。アーティスティック・テテ、メランコリック・テテのファンの感想はまた違ったものになるかもしれぬが...。


■収録曲L'envie et le dédainのヴィデオクリップ。きりっとした名曲。

■日本盤もまもなく出るもよう。詳しくは発売元のブログを参照のこと。輸入盤を入手するのならジャケットがブック形式で、収録曲のデモ・ヴァージョンが5曲追加された「限定盤」のほうがいいと思う。アマゾン・ジャパンのカタログには輸入盤(仏盤?)が2種載っているが、どちらが限定盤かは不明。


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2009年11月03日

パトリシア・プティボンがまたやってきた!

 昨年の初来日に引き続き、パトリシア・プティボン Patricia Petibon がまたやってきた。今年はなぜか大阪に来てくれないので、しかたなく山積する雑用を放ったらかしにしたまま、のこのこ東京まで聴きに行ってきた。私が観たのは、10月31日の東京オペラシティコンサートホールでの公演。

恋人たち この日のプログラムは、東京フィルハーモニー交響楽団(デイヴィッド・レヴィ指揮)との共演。歌なしのオーケストラ曲とプティボンの歌唱がほぼ交互に並ぶ構成である。前半はモーツァルトとハイドン。もちろん悪かろうはずはないが、お茶目なプティボンが好きなミーハーファンの私から見ると、少々正統派的におすまし気味という感じ。見どころはむしろ、圧倒的に後半だったように思う。バーバーとバクリでしんみりとさせておいて、バーンスタインの「着飾ってきらびやかに」(「キャンディード」)で大爆発! こういう、いろんな感情が高速度で切り替わっていくようなタイプの曲が、やはり彼女の魅力を一番引き立てるようだ。フロラン・パニー Florent Pagny のライブDVD(Baryton(2005))でのパフォーマンスをはじめて見たとき、この曲はまさに彼女のためにある!と強く感じたものだが、今回目の前でいっそうパワーアップした名演を見せられ、その感をさらに強くした。最後の曲はハロルド・アーレンの「虹の彼方に」。とてもよかったが、オーケストラの音がほんのちょっぴり大きすぎ、彼女の声がその中に埋もれ気味だったのが少々残念。アンコールの Everytime we say goodbye(コール・ポーター)は洒脱で自然体でいうことなし。プティボンの間口の広さを改めて認識させられた。

 この日はサイン会もあり、アンコールが終わるやすぐにロビーに出て行列に並ぶ。サインをしてもらうとき至近距離で見た私服姿のプティボンは、思っていたよりも小柄な、可憐な感じのひとだった。


■以前当ブログで書いたプティボン関連の記事はここ

■上記フロラン・パニーのライブDVD Baryton(PAL盤)には、プティボンのソロ(「着飾ってきらびやかにGlitter and Be Gay」を含む)が2曲、パニーとのデュエットが3曲収録されている。

L'Integrale Du Spectacle Baryton [DVD] [Import]
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2009年06月28日

くまちゃんの彼女は酔っぱらい――Ours / Quand Nina est saoule(2007) ――ヴァリエテ・フランセーズ散歩(3)――

Mi cyberbloomさんがボサノヴァのことを書かれていたので、私もそれに便乗し、フランス語で歌われるボサノヴァタッチの名曲をひとつ紹介することにする。

 ウルスOurs(「熊」の意)は本名シャルル・スションCharles Souchon、フランスを代表するシンガー・ソングライター、アラン・スションAlain Souchonの次男(1978年生)。2007年、ファーストアルバム Mi を発表。冬の間ながらく部屋にこもってこのアルバムの準備をしていたことが、ウルスという芸名の由来だそうだ。

Quand Nina est saoule(「ニナは酔うと」)はこのアルバムのなかの一曲。酔ってすぐ寝てしまう、人生に退屈し、気まぐれで、高飛車で、でも愛すべき女の子のことを歌った歌(歌詞はここ)。ウルス自身が奏でるボサノヴァギターと彼のハスキーヴォイスが耳に非常に心地よい。

 この曲のヴィデオクリップは必見。



アメリカの西海岸で撮影されたらしいが、ニナ役で出ている女性(オドレイ・トトゥと間違える人が多いと思うが、実はノーラ・ゼートナーNora Zehetnerというアメリカ女優。「HEROES」という人気ドラマに出演しているらしいが、私は全然知らなかった)がじつに魅力的だし、ヌーヴェル・ヴァーグ的味付けのきびきびとした演出も好ましい。さわやかで不思議な後味を残す映像である。

Mi は優れたアルバムだし、この曲のほかにもボサノヴァの影響を感じさせる曲はあるが、全体としてみるとボサノヴァアルバムとは言えぬ。そのあたりはお間違えのなきよう。

ウルスの公式ホームページ(仏語)

ウルスのインタビュー動画(仏語)


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2009年05月30日

アマゾン・フランスで本やCDを買う

 1〜2ヶ月に1回、アマゾン・フランスから書籍、CD、DVDを購入する。今回はこの通販サイトamazon.frでの買い物がどんなものか、ちょっと紹介してみようと思う。

けさ、頼んでおいた本とCD(計4点)が届いた(注文してから9日目)。

1.イヴ・タンギーYves Tanguyの画集。
2.ルナン・リュースRenan LuceのRepenti、DVD付限定盤(すでに持ってるアルバムだが、DVDにつられて買い直し)。
3.ケベックのロックバンド、Malajubeのニューアルバム、Labyrinthes
4.Holdenのニューアルバム。Fantomatisme

amazon34.jpg

 Tanguy 28.82ユーロ、Renan Luce 18.34ユーロ、Malajube 14.80ユーロ、Holden 8.93ユーロ。合計70.89ユーロ。日本までの送料(通常便RAPIDE)は、一発送につき13.00ユーロ、さらに商品ひとつ(重量は関係ない)につき1.90ユーロかかる(特急便ECLAIRだとそれぞれ19.00ユーロ、1.85ユーロとなる)。今回の送料は、

 13.00 + 1.90 × 4 = 20.60ユーロ。

 代金+送料  計91.49ユーロ。

 日本円での請求額は12386円。1ユーロ135.4円程度の計算になるが、これは購入日の為替レートよりも数円割高だ。手数料が上乗せされているのだろう(ちなみにこの文章を書いている2009年5月末現在、1ユーロは135円前後)。

 フランスの付加価値税(日本の消費税に相当)は19.6%. 「CD,DVD」を買うときは本体価格にこの税率が加算される。「書籍」は低減税率の適用品目で、税率は5.5%となる。アマゾン・フランスの商品ページに示された価格(Prix)は、この付加価値税込みのもの(フランス国内での購入者は当然税込みの価格を支払う)。日本から購入するときはこの付加価値税がかからないので、商品の値段は、書籍の場合、表示価格のほぼ95%(つまり1 / 1.055)、CD・DVDでは、ほぼ84%(1 / 1.196)となる。購入手続きのさい、日本からの購入ということが判明した時点で、自動的に価格が「付加価値税抜き」の額に変更される。

 オーダーが完了してから実際に配達されるまでにかかる日数は、「通常便Rapide」でおおむね一週間〜10日程度。アマゾン・フランスの説明では「12〜15日」とあるが、だいたいいつもそれより早く着く(日本国内の居住地により多少の誤差はあるかもしれない)。「特急便」は、以前CHRONOPOSTが配送を担当していた頃は、非常〜に早く着いた。頼んだ2〜3日後には到着していた記憶がある。その後配送業者が代わり(いまは「ドイツ郵便局」が担当)、代わったあと「特急便」を使用したことがないので、現状については何とも言えない。

 一度にたくさん買うと関税(日本の)がかかることがある。25000円ほどの買い物をしたとき、国内の配送業者から関税500円、通関代行手数料500円、計1000円の請求をされた。そのときその業者の問い合わせ窓口に電話をして聞いたところでは、送料込みで15000円程度なら関税がかからないことが多い、ということだった。はっきりとした仕組みはいまだによくわからないのだが、この件のあと、買い物をするときには総額が15000円程度に納まるようにしている。その後何十回もアマゾン・フランスを利用しているが、関税を請求されたことは一度もない。

 数十回の注文のうち、一度だけCDが一枚足りなかったことがある。メールを書いたら丁重な返事が来て、商品もすぐ送ってきた。個人的な印象としては、信頼性は十分あると思う。

サイトでの購入のしかたについて詳述しようとも思ったのだが、ネット検索をしてみたら、アマゾン・フランスでの買い物の手順をまことに懇切丁寧に説明した、ある方のページを発見したので、そちらへのリンクを張っておくことにする。

Amazon.fr(アマゾン・フランス)でお買い物(初めてのお買い物)



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2009年05月17日

「アメリカ風のシャンソン・フランセーズ」――クレール・ドナミュール

Claire Denamur ボルドーのレストランで給仕係兼歌手として働いていたクレール・ドナミュールClaire Denamurは、MySpaceのページで公開した自作曲が関係者の関心を引いたことがきっかけとなり、Source ETCレーベル(ローズRose,イェールYelleなどが所属)と契約。ベンセBensé、ルナン・リュースRenan Luce、エミリ・ロワゾーEmily Loizeauなどの前座としてライヴ活動をするかたわら、2009年2月、ファーストアルバムClaire Denamurを発表する。

 1984年生まれの彼女は、5歳から15歳までの10年間をアメリカで過ごした。そのせいもあり、好んで聞いてきたのはもっぱら英語圏のポピュラーミュージック。好きなアーティストは、フランク・シナトラ、ビリー・ホリデイ、ビートルズ、マリリン・モンロー、ナット・キング・コール、バッファロー・スプリングフィールド....(フランス人の名が全然出てこない)。「私のiTunesにはアングロサクソンのアーティストの音楽しかはいっていない」、「シャンソンやヴァリエテ・フランセーズはちょっと苦手。アレンジが嫌い」、「アメリカ風にアレンジされたシャンソン・フランセーズ、それが私の音楽スタイル」ときっぱりと語る彼女のファーストアルバムは、たしかにアメリカっぽい。

 このアルバムに収録された曲(作曲はすべて彼女自身が手がけている)は、おおむね2つの音楽的傾向に分かれている。ひとつはアコースティックギターをフィーチュアしたフォーク調の曲(Le prince charmant, Ah les hommes, Il y avait...)。もうひとつはブラスを多用したジャズ調――もう少し厳密にいうと、ヴォードヴィル調というか、ミュージックホール的というか、とにかくそういう雰囲気――の曲(L'amour éphémère, In the mood for l'amour, Je me sens nue, Mon bonhomme)。

 この後者の数曲が出色の出来である。まず、曲が抜群にいい。スタンダードが持つ特別の輝きをすでに帯びているといってもいいくらいだ。また、ミニマルながらセンスのいいアレンジも好ましい。だがなによりも素晴らしいのは、これらの楽曲における、少しだけハスキーで個性的な彼女の声である。内に秘めた大いなるパワーを十分予感させつつノンシャランに歌い流すヴォーカルテクニックもなかなかのものだ。

 それに比べると、フォーク調の数曲は―― Le prince charmant などの佳曲はあるものの――全体的に少しインパクトが弱いかなという気がする。決して悪くはないが、際だった個性もない。聴いたのがこのタイプの曲だけなら、私も「アコギを抱えたヌーヴェル・セーヌの女性歌手」がまたひとりふえた、という印象しか持たなかったと思う。

 アルバムを一枚出しただけの新人歌手の将来など予想できるはずもないが、あえていえば「アーティスト」というよりはむしろ「エンターテイナー」の方向で大成するひとかもしれない。お酒の飲めるライブハウスでその歌声をじっくり聞いてみたい歌手である。


In the mood for l'amourの弾き語りライヴ映像。ギターがあまりうまくないのはご愛敬。




Le prince charmant のヴィデオクリップ。「ステキな王子様」と思って結婚したらじつは蛙のようなヤなやつだった、ア〜ア、という辛辣な歌。歌詞はココ





クレール・ドナミュールの公式ホームページ(仏語)


クレール・ドナミュールのインタビュー動画(仏語)




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2009年04月12日

「西」への視線――1800 désirs / Martin Rappeneau

1800 Desirs 当ブログで以前に紹介したマルタン・ラプノーMartin Rappeneauの3年ぶりの新作が出た。タイトルは1800désirs(1800の欲望)、彼にとっては3枚目のアルバムである。もともととてもいい曲を書く人だったが、今回のアルバムでも、タイトルチューンの"1800désirs"やシングルカットされた"Sans Armure"(よろいをぬいで)をはじめとして魅力的なメロディを持った名曲が並んでいる。サウンド面では、前作に比べファンキーでダンサブルな感じは弱まり、代わりにアコースティックギターが前面に出たフォーク色の強い作品になった。アルバム全体の雰囲気は以前よりうんと地味だが、そのぶん、ひとつひとつの音、一拍一拍のリズムにまで神経の行き届いた、落ち着いた雰囲気の作品に仕上がっている。

 プロデュースはラプノーとレジス・セカレリRégis Céccarelliが共同で担当。セカレリはもともとジャズ畑のドラマーだが,ヴァリエテ系のアーティストのアルバムにも多数参加、最近ではアブダル・マリックABD AL MALIK(進境いちじるしいフレンチ・ラッパー/スラマー)の近作GIBRALTAR(2006)、DANTE(2008)のドラマー兼プロデューサーとして優れた仕事を残している。ラプノーはGIBRALTARでのセカレリのプロデューサーとしての手腕を非常に高く評価しており、そのことが今回、共同作業を依頼するきっかけになったらしい。アブダル・マリックの上記二作ほど切れ味鋭いジャズ感覚はないものの、本作の随所で感じられる絶妙のグルーヴ感は、セカレリ(ドラムも担当)の存在に負うところが大きいと思う。

 アルバムの最後には"A l'Ouest"(西へ)という曲が置かれている。イーグルスのバラードを思わせる甘く切ないワルツで、歌詞は「パリで日々を生きてるぼくだけど、カリフォルニアの和音をひとつ聞くだけで、いつだってすぐに「西」にいけるよ」といった内容。聞いているほうが少々気恥ずかしくなるような、だが真摯で率直なアメリカのポピュラーミュージックへのオマージュソングである。この曲だけではなく、あるインタビューでの本人の発言によれば「70年代のフォーク、たとえばジェームス・テーラーやキャロル・キングなどのソングライター」をお手本にして制作されたというこのアルバム全体が、まっすぐに「西」を向いている。

 いわゆる「フレンチっぽさ」はあいかわらずほとんどないが、「ポップの職人」が作り上げた心にしみる名作。フランス音楽のマニアだけではなく、もっと幅広い音楽ファンに聞いてもらいたいアルバムだ。


■以前書いたラプノー関連のエントリー
「マルタン・ラプノー――「シャンソン」でも「フレンチ」でもない「グッドミュージック」」

■ラプノーのmyspaceのページ
上記"Sans Armure"を初めとする彼の曲がいくつか聴ける。



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2009年03月20日

アラン・バシュングの死を悼む

bleu petrole.jpg 2009年3月14日、アラン・バシュングAlain Bashungが、肺ガンのためパリの病院で亡くなった。享年61歳。

 彼は2007年秋ごろから化学療法を受けるなどして闘病生活を送っていたが、そのかたわら、2008年3月にはアルバムBleu Pétroleを発表、ライヴ活動もコンスタントにこなしてきた。この1月にはレジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)を授与され、また2009年ヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュージック(日本のレコード大賞の如きもの)において、ノミネートされた4部門中3部門で受賞。2月28日のセレモニーには病をおして出席し、挨拶とパフォーマンスを行い万雷の拍手を浴びた....。だがそのたった二週間後、彼は家族に見守られ、静かに旅立った。

 プレスリー以降ニューウェイヴに至るまでの英米ロックのエッセンスを幅広く吸収し、才能あるふたりの作詞家、ボリス・ベルグマンBoris Bergmanとジャン・フォークJean Fauqueの助けを借り、まことに独自な音楽世界を築いてきたアラン・バシュング。彼をフランスロック界の最重要人物と呼ぶことに異議を唱える人はおそらくおるまい。40年以上のキャリアにおいて彼は多くの――そして、ヴァラエティに富んだ――傑作をものしてきたが、その中でもとびきりのアルバムを3枚紹介しておこう。セルジュ・ゲンスブールSerge Gainsbourgが詞を担当したPlay Blessures(1982)。ブリクサ・バーゲルト(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)、コリン・ニューマン(ワイヤー)等が参加したニューウェイヴの大傑作Novice(1989)。ピアノとストリングスと低音のヴォーカル(というよりほとんど「つぶやき」)が絶妙の調和を見せるL'Imprudence(2002)。いずれも冷たく、暗く、重く、強度に満ちたマスターピースである。

 セルジュ・ゲンスブールの死後、彼が占めていた場所を20年近くにわたって埋めてきたバシュングの死。この穴を今度はいったい誰が埋めることになるのか。少なくとも私には思いつかない。


play blessures.jpgnovice.jpgl'imprudence.jpg


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2009年03月08日

「ロメールの若さ」 ――エリック・ロメール『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』

astree.jpgエリック・ロメールEric Rohmer(1920- )という映画監督について私たちは異なったふたつのイメージを持つ。ひとつは「ヴァカンスと恋愛の作家」(『海辺のポーリーヌ』『緑の光線』『夏物語』...)。もうひとつは「へんてこなコスチュームプレイ(時代劇)の作家」(『O侯爵夫人』『聖杯伝説』『グレースと公爵』)。彼の作品のふたつの系統ははっきりと区別されており、これまで両者が混じり合うことはなかった。一方には現代に生きる普通の人間の普通の生活と、とりとめのない(ように見える)会話と、恩寵のような自然がある。もう一方には過去を舞台にした原作と、すべてを統御する厳格な演出と、きわめて人工的な空間がある。

彼の最新作『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』Les amours d'Astrée et de Céladon(2007)は、初めてこのふたつの系統の境界を飛び越えた作品である。原作は17世紀に書かれたバロック小説『アストレ』(オノレ・デュルフェ作)。舞台は5世紀のガリア。若い羊飼いの恋人同士の、誤解と別離と和解の物語である。これまでの彼の映画作りの原則から行けば、当然ふたつめの系統の映画になってもよさそうなものである(そして、それはそれでおもしろいものになったろう)。だが彼はこの映画を、『聖杯伝説』のようにではなく、むしろ『海辺のポーリーヌ』のように撮った。そして出来上がった作品は、初々しさと、生々しい感情と、またその感情とシンクロするかのように豊かな表情を湛える自然の美にあふれるものになった。さらには軽妙な艶笑譚的趣もある(とくに後半)。なぜ彼がここにいたって「原作もの」の演出ポリシーを変更するに至ったのかはよくわからぬが、この新機軸から生まれた結果は非常に好ましく、ロメールが齢九十近くにして新たなる境地に達したことをはっきりと示している。聞くところによると彼はもう長編を撮らないつもりらしいが、こんな若々しい傑作をまだ撮れるのになんともったいないことか、と思ってしまう。
 
ロメールの映画は総じてシネフィル的な記憶をあまり喚起しないのだが、本作はその自然描写――川、森、陽光!――と生の(そして官能の)喜びの横溢によって、ある映画作家の一本の作品を私たちに想起させる。ジャン・ルノワールJean Renoirの『草の上の昼食』Le Déjeuner sur l'herbe(1959)である。若いころから一貫してルノワールの熱烈な信奉者であったロメール――彼は1959年に『草の上の昼食』を称揚する「ルノワールの若さ」なる文章を発表している――が、老境にいたり、改めて自作によってルノワールへの大いなる共感を表明しているように私には思える。溺れたセラドンが救助されて運ばれたニンフの居城に掛かる絵のなかに、エドゥアール・マネÉdouard Manetの有名なタブロー「草上の昼食」Le Déjeuner sur l'herbeと同様のポーズをとる群像があったことを指摘しておこう。ルノワールの映画と同じ名を持つマネの絵の引用。これが偶然のはずはなかろう。半世紀前に作られた名画にたいするロメールのまわりくどいオマージュに違いあるまい。


■上記の城に掛かっていた「絵」自体は、マネが「草上の昼食」を制作するときに参照したライモンディの「パリスの審判」(ないしはそれの模写)だったようにも思うが、なにぶん一瞬見ただけなので記憶が曖昧である。いずれDVDなどで確認したいと思うが、詳しいことをご存じの方がおられたらご教示願いたい。

■私はロメールの前作『三重スパイ』をまだ見ていない。この文章は当作品をふまえたものでないことをお断りしておく。


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2008年09月29日

世界との和解のアルバム――WINE&PASTA / Salsedo

Wine and Pasta 6月にフランスで出たダヴィド・サルセードDavid SalsedoのWINE&PASTAというアルバムが気に入って、最近よく聞いている。

 彼はシルマリルスSilmarilsのリーダー兼ヴォーカリスト(正確な年齢はわからないがたぶん30歳代半ば)。トールキンの『シルマリルの物語』から名前をとったこのバンド、以前日本でもセカンドアルバムOriginal Karma(1997)が紹介されたことがあったので、ご存じの方も多いだろうと思う。アグレッシヴな歌詞と音楽性を持ったフレンチ・ミクスチャー・バンドである。

 だがサルセードにとって初のソロアルバムであるこの作品には、いわゆるミクスチャー的な色合いはほとんどない。全体を通して感じられるのは、意外なことに60年代から70年代前半にかけての英米のフォーク、ロックの香りである。ブリティッシュ・ビート、サイケデリック・ミュージック、フォーク・ロック、ウェストコースト・サウンドなどのさまざまな要素に、曲によってはマリアッチ風の哀愁を帯びたブラスまでもが加わり、ごった煮的ではあるが、伸びやかで印象的なメロディをもった佳曲揃いのアルバムになっている。中期ビートルズをなんとなく思い出させたりもして、ポップ・ミュージックとしての水準は相当に高い。

Original Karma といってもこのアルバム、昔のロックの遺産を懐かしく振り返るだけの、ノスタルジーに彩られた作品ではない。あくまでも彼は、60年代から最近に至るまでの多様な音楽から受けた影響を咀嚼・消化したうえで、自分なりの、今のロックを提示しようとしている。方法論として近いのはBECKあたりだろうか。音の感触にもいくぶんかの共通点がある。サルセードもBECKのことはかなり意識しているようだ。実際彼はあるインタビューで、このアルバムの方向性に示唆を与えた同時代アーティストとして、グランダディ、エリオット・スミスと並んでBECKの名を挙げている(ベースのジャスティン・メルダル=ジョンセン、ドラムのマット・マハフィー、ミキシング担当のマリオ・カルダートJRなどBECK人脈の人たちが参加していることも付記しておこう)。

 サウンドと同様、歌詞もシルマリルスとはずいぶん趣が違う。直接的な社会批判やルサンチマンを投げつけるような感じのシルマリルスの詞とはうってかわって、もっとナイーブで内省的で――ロックアーティスト、ソングライターとしての自分のあり方を問い直すような言葉もあちこちに出てくる――しかもそこはかとないユーモアの漂うものになっている。

 このソロアルバムの内容の充実ぶりと、サルセードの余裕たっぷりのリラックスぶりをみると、彼はどうもシルマリルスでかなり無理をしてたんじゃないかという印象を持ってしまう。と同時に、アーティストとしての彼の未来はこっち方面にしかないという感じを強く受ける。彼は最近、テレビの音楽番組TARATATAに出演した際、こんな内容のことを言っていた。「これは世界との和解のアルバム(l'album de la réconciliation avec le monde)だ。ぼくはどちらかというとネガティヴなものの見方をする人間だったけど、このアルバムのおかげで建設的な態度でいろんなものごとに立ち向かうことができるようになった...」。この言葉を素直に受けとめるなら、今後彼がシニカルで攻撃的なシルマリルスの音楽世界に再び戻っていくのはなかなかむずかしいことのように思える。あるいはこのソロプロジェクトでの成果をもとに、バンドの音楽自体が変化していくのか...気になるところだ。実はこのアルバムにはシルマリルスのメンバーとの共作・共演曲が一曲だけ収録されている("Populaire")。アルバムの他の曲と従来のシルマリルスのサウンドの中間的な傾向の曲である。もしかしたらこの曲は今後のバンドの音の進化を予告しているのかも知れない。


myspace.comのサルセードのページで本アルバム収録の2曲のヴィデオクリップを見ることができる。

■サルセードは、ドリーDollyやジョニー・アリデーに楽曲を提供している。また今をときめくシュペルビュスSuperbusの初期作品のプロデュースも担当している。

■上記の音楽番組TARATATAは、日本でも2008年9月現在、金曜日の深夜(毎週ではない)にTV5で視聴可能。フランス語圏および英語圏のスター歌手、注目の新人が出演する非常におもしろい音楽番組である。
TV5は、フランス語によるテレビの国際放送チャンネルで、私は「ひかりTV」で見ているが、ネット配信もされている((いずれも2008年9月現在)。


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2008年06月15日

Clémence & Johnny Hallyday 「On a tous besoin d'amour」 (2001) ―ヴァリエテ・フランセーズ散歩(2)―

besoin2.jpg 「ふたりの天使」という曲がある。曲名に覚えがなくても、冒頭の数小節を聞けばおおかたの人は「ああ、あの曲ね」と思いあたるはずだ。女声のスキャットで歌われる、メランコリックで印象に残るメロディを持った曲である。作者はサン=プルーSaint-Preuxというフランス人作曲家で、彼は1969年、弱冠19歳のとき、音楽フェスティバル参加のため滞在中だったポーランドでこの曲を作曲した。原題はConcerto pour une voix (一声のためのコンチェルト)、ダニエル・リカーリDanielle Licariという女性歌手が歌ったこの曲は短期間のうちに世界的な大成功を収め、サン=プルーの名は一躍有名となる。

このときからほぼ30年後の話。彼はあるとき、シングル用の自作曲を歌う少女歌手を探していた。小さいころから音楽の道に進みたいという希望を持っていた彼の末娘クレマンスClémence(1988年生まれ)がそれを聞いて父親に「私なんかどう?」と自分を売り込む。彼女が吹き込んだデモテープをジョニー・アリデーに聞かせたところ、彼女の声に惚れ込んだこのスーパースターは、ぜひこの少女とデュエットしたいと申し出る。50歳近い年齢差の奇妙なデュオの誕生である。

 ふたりが吹き込んだサン=プルー作On a tous besoin d'amour(みんなが愛を求めてる)は、曲自体の良さ、人類愛を歌った歌詞の格調の高さ、はかなげで透明感あふれるクレマンスの声の魅力などが相まって、非常に質の高い作品となった。彼女にとってデビュー作になるこの曲は、2001年末、仏ヒットチャートの4位まで上昇する大ヒットとなる。このとき彼女は13歳の誕生日を迎えたばかりであった。ヴィデオクリップでは、仲良く手をつないでデュエットするふたりの楽しげな姿を見ることができる(アリデーがやたらとタバコを吹かすのには少々閉口するが)。天使のような女の子と野獣のようなロックンローラーの意外な組み合わせが楽しい。

Concerto Pour Deux Voix クレマンスはこのあと約3年間のブランクを経て、2005年、音楽シーンに復帰。大ヒット映画Les Choristes(『コーラス』,2004)に主演した美声少年ジャン=バティスト・モニエくんとのデュオで、父親作のConcerto pour une voixConcerto pour deux voixと改題)を取り上げ、ヒットさせる。(ヴィデオクリップはここ。曲の良さは当然なのだが、アレンジが少々シツコイ感じがする)


その後彼女はソロシングルを三枚リリース。2007年にはダウンロード販売限定でファーストアルバムをリリースしたらしい(残念ながらまだ聞く機会には恵まれない)。まもなくCDの形でのアルバムも出るらしく、こちらは彼女の公式ホームぺージで一部を試聴することができる。歌はうまいし、声にも魅力はあるし、いい曲もあるのだが、正直言ってデビュー曲のすばらしさに比べれば決定的に物足りない。いつまでも少女歌手の面影を引きずっているわけにも行かないだろうし、今後の展開はなかなか難しだろうなという気がする。





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2008年05月26日

Shelby「1+1」(1999) ―ヴァリエテ・フランセーズ散歩(1)―

4.jpg ケレン・アンKeren Ann(本名Keren Ann Zeidel)は、1974年イスラエルに生まれ、オランダで育ち、11歳でパリに移住。19歳の頃から自作曲をたずさえレコード会社回りをしていたらしいが、結果ははかばかしいものではなかった。その後彼女はバンジャマン・ビオレーBenjamin Biolay(1973年生)と出会い、共同で曲を作り始める(私生活でも彼は彼女のパートナーとなる)。ビオレーの発案で彼女はシェルビーShelbyという3人組のユニット(ビオレーはメンバーに入っていない)を結成、1999年1月、シングル「1+1」でデビューする。

 ストリングスとギターをフィーチュアし、フランス語と英語半々で歌われるこの曲は小ヒットを記録する。ケレン・アンとビオレー(およびほか2名(詳細不明))の共作曲だが、発表の時期からいってふたりのコラボレーションの最初期に位置する作品だろう。名曲である。ケレン・アンといえば、張りつめた冬の空気を思わせる、低音で歌われるクールなフォークといったイメージが強い。だがこの曲は、どちらかというとアンチームな感じのスローなギターポップ。翌年に出る彼女のファーストアルバム中の「Décrocher les étoiles」や「Aéroplane」などと若干タッチが似ているが、その後の彼女の音楽にはあまりみられなくなる雰囲気の曲である。この曲はとても歌いづらかったと彼女はのちに述懐している――「ロック調」の曲が自分の声に合っていないと思っていたらしい――が、そういう感じはまったく与えない。浮遊感のあるヴォーカルはむしろとても魅力的だ。冬の夜に望遠鏡で天体観測をするメンバーたちがでてくるヴィデオクリップもなかなかいい(私は発表当時MCMで放映していたのを録画して持っていて、折に触れて見ている)。画面に映っているケレン・アン以外のメンバーは、グザヴィエ・ドゥリュオーXavier Druaut(ギターの男性)とカレン・ブリュノンKaren Brunon(ヴァイオリンの女性)。カレンはビオレーの音楽学校(リヨンのコンセルバトワール)時代の友人。のちにKaren Aprilの名で歌手としてシングル盤を出す。またヴァイオリニストとしてビオレーやケレン・アンを初めとする多くのアーティストのアルバムに参加している。グザヴィエのその後はよくわからない。

La Biographie de Luka Philipsen シェルビーでの活動についてケレン・アンは、あまりいい思い出を持っていないようである。彼女自身の言葉を引用しておく。「私たちはこの曲を、チャレンジのつもりで、また、仲間うちの楽しみのために世に出してみたいという気持ちは持っていた。(…)でも、レコード会社のグループの売り出し方には腹が立った。知らないあいだに写真や記事が勝手に出て、自分たちで管理することがまったく出来ず、耐えられない気持ちになった。あの連中は音楽のことなんか全然わかってなかった。私たちが出したのはシングル一枚っきり。でも、それだけの契約しかしなくてよかった。発売日の前日にはもうやめたいって思ってたし、みんなは私の決心を尊重してくれた。もちろんビオレーとの曲作りはそのあとも続けたけど」。

 だがこの曲は、ほどなく彼女とビオレーの未来に大きな影響を与えることになる。この曲を耳にしたことがきっかけでケレン・アンに関心を持ったラジオ・フランスの社員コリーヌ・ジュバールが、翌2000年に出た彼女のファーストアルバム「La biographie de Luka Philipsen」(大部分の曲がビオレーとの共作、またプロデュースもビオレー)を半ば引退状態にあった旧知の大御所歌手アンリ・サルヴァドールに送ったのだ。ケレン・アンの音楽にすっかり魅了されたサルヴァドールは彼女とビオレーに自分の新作への協力を申し込んだ。彼らの作品5曲を含むサルヴァドールのアルバム「Chambre avec vue」(2000)はミリオンセラーを記録し、ふたりは一躍スポットライトを浴びる存在になる....。

 彼らの公私両面にわたるパートナーシップは、ビオレーのファーストアルバム「Rose Kennedy」(2002)、ケレン・アンのセカンドアルバム「La disparition」(2002)まで続いたあと途切れるが、別れたあともふたりはそれぞれ、アーティストとしての(またビオレーはあわせて音楽プロデューサとしての)キャリアを着実に積み重ねている。


Nolita■「1+1」のCDは、現在入手不可。歌詞はここ(ただこの歌詞、ちょっと間違いあり)。ヴィデオクリップはここ。youtube のコメント欄では、このクリップの監督を名乗るRégis Fourrerという人が撮影時の思い出を語っている。

■Shelbyのデビューの詳細およびケレンアンの発言はLudvic Perlin, Une nouvelle chanson française : Vincent, Carla, M et les autres, ÉDITIONS HORS COLLECTION, Paris,2005.に依る。この本、昨今のフレンチミュージックシーンを知るには好適な書物。

■ケレン・アンのアルバムは間単に手にはいる。オススメしたいのはファーストアルバム「La Biographie de Luka Philipsen」と「Nolita」(2004)。

■バンジャマン・ビオレーについてはいずれ詳しい紹介をしたいが、とりあえず一枚オススメするなら、ファーストアルバム「Rose Kennedy」。

■アンリ・サルヴァドールの「Chambre avec vue」は国内盤(邦題「サルヴァドールからの手紙」)があるが、出来たらフランス盤を聴いてみてほしい。というのも国内盤ではケレン・アン=バンジャマン・ビオレーによる冒頭の2つの名曲Jardin d'hiverとChambre avec vueが、それぞれBRAZILIAN VERSION、ENGLISH VERSIONに差し替えられているため。やはりオリジナルの仏語ヴァージョンで聴きたいところだ。





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2008年05月05日

ジョニー・アリデーあるいはギターの弾けない(?)ロックンロールスター

jeanphilippe02.jpg ジョニー・アリデーはフランスで最も人気のある歌手のひとりである。「ロックンロールの帝王」である。還暦をとうに越えてはいるが、現在でもアルバムを出せば必ずチャート初登場一位だし、コンサートも老若男女でつねに満杯だ。しかも、60年代前半以降ほぼ半世紀に渡ってトップスターの座を守りつづけているという、とてつもない存在である。だが一方で、彼を嫌うフランス人もたくさんいる。その理由は、ロックアーティストというよりは芸能人的な音楽にたいするスタンス、マッチョな外見や態度、政治的な立場(サルコジスト)、税金逃れのための国外移住などの行為...とさまざまだ。それでもとにかく彼は、フランス最高のセレブリティのひとりであることに間違いはない。ただ、フランスおよびフランス語圏の国以外ではまったくといっていいほど無名であるが...。

 彼は少なくない本数の映画に役者として出演もしてきた。古いところでは「アイドルを探せ」(1963/ミシェル・ボワロンMichel Boisrond)などが思い出されようし、「ゴダールの探偵」(1985)にも出ている。最近では「列車に乗った男」(2002/パトリス・ルコントPatrice Leconte)が話題になった。「ジャン=フィリップ」Jean-Philippe(2006/ロラン・テュエールLaurent Tuel)は彼の最近の主演作(日本未公開)である。

 このコメディ映画で彼は「ジョニー・アリデーになれなかった男」(!)を演じている。以下、あらすじを少し紹介してみよう。ジョニー・アリデーの熱狂的なファンである中間管理職の男ファブリス(ファブリス・ルキーニFabrice Luccini)が、ある晩殴られて意識を失う。気がついてみるとそこはパラレルワールドだった。その世界は元の世界とほとんど同じだが、最大の違いは彼の生きがいであるジョニー・アリデーがいないということ。ジョニーの不在に耐えられないファブリスは、ジャン=フィリップ・スメットJean-Phillippe Smetという本名を手がかりに彼を探し回る。ついに見つかったジャン=フィリップ(演じるのは当然ジョニー自身)は、人生のある時点まではもうひとつの世界のジョニー・アリデーとまったく同じ道を歩みながら、ある運命のいたずら(詳細は言わないでおく)のせいでスター歌手になることはなく、ボーリング場経営者になっていた。その彼をジョニー・アリデーに変身させるべく、ファブリスは奮闘を始める...。

100% Johnny Live a La Tour Eiffel バカみたいな話だと思われる向きも多いだろうが、じつはこの映画、娯楽作品としてはけっこうよくできている。ファブリス・ルキーニのいつもながらの芸達者ぶりは言わずもがなだが、人生に疲れた初老の男を演じるアリデーの演技だって悪くない。アリデーにかんする伝記的事実(多くのフランス人にとっては常識に属する)をうまく織り交ぜたシナリオもよく練られたものだし、細部のギャグも秀逸、最後のオチも楽しい。欠点といえば、ジョニー・アリデーが――またファブリス・ルキーニが――フランスにおいてどういう存在であるのかを知らない人間からすれば、この映画のおもしろさの多くが理解しにくいと言うことだろう。

 ただこの映画を、スーパースターが気軽に出演したコメディとだけ見てしまうと、どうも大事なポイントを見落としてしまうように思える。というのも、注意深く見るとこの映画は、ジャン=フィリップのジョニー・アリデー化を物語ることを通じて、現実のジョニー・アリデーの理想化、神話化を企てているようにも思われるからだ(それがアリデー自身の意向によるものなのかどうかはよくわからないが)。

 アリデーには、ロック歌手にとっては明らかにマイナスイメージとなりうるふたつの弱点がある。まず彼が基本的に「他人が提供した曲を歌う歌手」であり、アーティストとしての個性が希薄であるということ。自作の曲もあるにはあるが、代表作はほぼ他人の手によるものである。(彼のアイドルであるプレスリーも作詞作曲はしなかったし、自作曲を歌うのでなければロック歌手としてはダメだ、というつもりはさらさらない。あくまでもビートルズ以降のロック界のスタンダードの話ということでご了解願いたい)。もうひとつは、彼は「ギターが全く弾けないか、弾けるにしてもさほどうまくないに違いない」こと。彼の弾き語り映像のどれを見ても、指使い(とくに左手)と曲調が合っているようには見えない。頭のてっぺんからつま先まで自信に満ちあふれているように見えるアリデーだが、なぜかギターを弾くときの両手の指だけは、自信なげな空虚感を漂わせている。私は長年彼のギター演奏能力について疑念を持ってきたが、フランスでも気になる人はたくさんいるようで、この点を問題にしている掲示板やブログをネット上でよく目にする(たとえばこれ)。

ゴダールの探偵 このふたつのマイナスイメージを、映画は巧妙に修正しているように見える。まず前者について。アリデーのレパートリーには、娘の誕生を題材にした「Laura」(1986)という曲があるが、この曲はじつはジャン=ジャック・ゴールドマンの作品である。ところが映画の中では、その事実は伏せられたまま、現実の世界で「Laura」が作られた頃、パラレルワールドのほうでもジャン=フィリップが息子の誕生に際し「Laurent」(!)という全く同じ内容の詩を書いていた、というエピソードが示される。要するにさりげなく、アリデーが自作派の歌手であるかのようなアピールがされているわけである(これは一種の「歴史修正主義」ではないか?)。また後者に関しては、まず、アリデーが若いころギターを習っていたという経歴がファブリスによってわざわざ語られる。さらにファブリスから「Quelque chose de Tennessee」(アリデーファンに最も愛されている曲のひとつ)のギターコード付きの歌詞を示されたジャン=フィリップが、初見で、ギターを弾きながらその歌を完璧に歌い上げるシーンがある。このときの彼の左手は、不思議なことにきちんと曲のコードに対応した動きをしている! ここでも「ギターが弾けないかもしれないロックンロールスター」というマイナスイメージが巧妙に修正されている(この場面は彼とこの曲の作者ミシェル・ベルジェの間にあった実話を元にしたものだという話もあるが)。

 映画のクライマックスで、ジャン・フィリップはギターを抱えてステージに現れる。そして自分にブーイングを浴びせかけるスタジアムを埋め尽くした観客たち(彼らのお目当てはほかにいる)を、その歌声であっという間に魅了する。ここにいたって彼はついに「ジョニー・アリデー」になるわけだが、その「ジョニー・アリデー」は、現実のジョニー・アリデーを越え、むしろ現実の彼がなりたいと考える――また、彼を嫌う人たちにも愛されるような――完全無欠のロックンロールスターに変身を遂げている...。さらにひとこと付け加えておくと、歌声ひとつで自分を知らない大観衆を征服する「ジャン=フィリップ―ジョニー・アリデー」の姿に、彼が熱望したにもかかわらず実現できなかった「アメリカ征服」という夢の残像を見るのも、あながち的はずれなことではないと思われる。

ジョニー・アリデーは昨年末、2009年に予定されているツアーをもってライブ活動から引退すると発表した。ステージ上の彼の姿が見られるのもあとわずかのあいだである。


■「ジャン=フィリップ」のDVDは仏盤/PAL方式のみ存在する。字幕は付いていない。

■ジョニー・アリデーのディスコグラフィは膨大すぎて、ベスト盤を紹介することさえ困難である。彼に興味を持たれた方には、まず最近のライブ盤DVDを視聴することをおすすめする。ゲストの多彩さ、選曲の良さ、野外コンサートの開放感を味わえる点などからいって「100% Johnny Live à la Tour Eiffel(2000)」(仏盤/PAL方式)が一押しである。アマゾンジャパンのカタログではリージョン1となっているがこれはたぶん2の間違いだと思う(確証はないが)。

■誤解のないように申し添えておくが、私はジョニー・アリデーが好きである。




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2008年04月13日

パトリシア・プティボンがやってきた!

Airs Baroques Français パトリシア・プティボン(Patricia Petibon)は、近年高い評価を得ているフランス人ソプラノ歌手である。1970年生まれの彼女は、トゥール大学やパリ国立高等音楽院で学んだあと、ウィリアム・クリスティやニコラウス・アルノンクールの薫陶を受けつつ、バロックオペラを中心とした、メインストリームからはいくぶん離れたレパートリー群で少しずつ評価を高めてきた。ここ数年はヨーロッパ各地の大劇場のオペラ公演に重要な役どころで出演するようになっている。だがこのプティボン、たんに歌や演技がうまいオペラ歌手というのとはわけが違う。実は彼女、かなり規格外のパフォーマーなのだ。

 私は6年前、F2のニュースで彼女を初めて見た。フランスのある地方都市で開催された音楽祭についてのルポの中で、髪を中華風シニョン(いわゆるおだんご頭)に結った、少女めいてはいるが年齢不詳の女性歌手が、安っぽいサングラスをおでこにのせ、亀を模した子供用の浮き輪を首にかけ、ものすごい形相で、しかもどたどたはね回りながら歌っていた(あとからわかったことだが、そのとき彼女が歌っていたのは「プラテー」(ジャン=フィリップ・ラモー)のフォリーのアリアだった)。一度見たら決して忘れられない衝撃的なパフォーマンスで、歌の場面はほんの数十秒だったが、その短い時間に、私はその女性歌手――パトリシア・プティボンの圧倒的な魅力にすっかりまいってしまった。

petibon01.jpg CDを探していろいろ聞いてみると、彼女が思いのほか筋の通った、そしてまた幅広い音楽性を身につけた非常に優れた歌手であることがわかってきた。だが音を聴いているだけでは、最初の衝撃に比べやはりなにか物足りなかったことも事実である。その後、パリのサル・ガヴォーでのリサイタルを収録したDVD「French Touch」(2004)を見るに及んで、私はプティボンの歌手としての実力を、またコメディエンヌとしての並々ならぬ才能を再確認した。いろんな小道具を使い、数々の楽しい演出を施したステージは、クラシックの歌手のリサイタルとしてはずいぶん型破りのものであったが、くすくす笑いとともに、大いなる芸術的感興とカタルシスを私に与えてくれた。

 そのパトリシア・プティボンの初来日公演に行って来た(4月6日、大阪、ザ・シンフォニーホール)。ピアニストとふたりだけの簡素な構成で、DVD「French Touch」に比べれば地味な舞台であったが、それでもステージに様々な小道具・小楽器類を持ち込み、あるときは情感をこめて、あるときは茶目っ気たっぷりに、またあるときはベタなギャグ(それも日本語で!)を披露しつつ、ほんとうに楽しいステージを展開してくれた。コープランドの何曲かや「フィガロの結婚」のアリアなど見どころはたくさんあったが、白眉はやはり、彼女の十八番といっていいアブルケルの「愛してる」とアンコールで歌われた「ホフマン物語」のオランピアのアリアだろう。プティボンの最大の魅力は、天上の聖性と地上の下世話さのあいだを一瞬にして往還する表現の自在さにあると思う。この二曲にはそんな彼女の一番素晴らしい部分が十全に現れていて、鳥肌が立つほどの感動を覚えた。

今度はぜひオペラの舞台に立つ彼女の姿を見てみたいものである。


■プティボンのCDはオペラの全曲盤を含めればかなりの数が出ているが、まず一枚といわれれば、彼女の多様な魅力が堪能できる「フレンチ・タッチ」(国内盤あり)だろうか。また、彼女の出発点を示す「AIRS BAROQUES FRANCAIS」(フランスバロックアリア集。国内盤なし)の明るく親しみやすい世界もすばらしい。

■プティボンの姿を見ることのできる映像作品はさほど多くない。比較的簡単に手にはいるのはジャン=フィリップ・ラモーの「優雅なインドの国々」のDVD(日本国内対応のNTSC盤)。酋長の娘ジマに扮するプティボンの最高にキュートな姿を堪能できる。仏盤DVD(PAL盤)では、上記「French Touch」が絶対のオススメ。ほかにはフロラン・パニー(フランスの超人気男性歌手)のライブDVD「BARYTON」中の数曲で彼女の姿を見ることができる。フレディ・マーキュリーの名曲「Guide me home」をパニーとデュエットしているほか、「キャンディード」(バーンスタイン)の"Glitter and Be Gay"(名演!)やオランピアのアリアをソロで歌っている。彼女が出演している「オルフェオとエウリディーチェ」(グルック)の仏盤DVDも存在するが、現在は品切。

■ちなみにフランスも日本もDVDの地域コードは「2」。したがって仏盤DVDを日本国内で視聴しようとするとき、地域コードがネックになることはない。ただ、仏盤DVDはカラー方式が日本のNTSCとは違うPALなので、国内用の普通のDVDプレイヤでは再生できない(NTSC/PAL両方式対応のプレイヤなら再生可)。パソコンなら、DVD再生環境(DVDドライブ+再生ソフト)が整っていれば、ふつうはPAL盤も再生可(保証は出来ませんが)。



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2008年03月29日

マルタン・ラプノー――「シャンソン」でも「フレンチ」でもない「グッドミュージック」

La Moitie Des Choses 日本にはフランスのポピュラーミュージックについていくつかの固定的なイメージが存在する。まず昔ながらの「シャンソン」のイメージ、ついで60年代から70年代前半にかけてよく聞かれたいわゆる「フレンチポップス」のイメージ、さらにはジャズ趣味やボサノバ趣味などと結びついた「おしゃれ」で「ハイセンス」な音楽のイメージなどである。「フレンチ」という語が音楽を形容するために使われるとき、それはたんに「フランス産」ということを示すにとどまらず、上記イメージと結びついた音楽的意匠を指す場合が多い。だが、これらのイメージはフランスの現実の音楽状況とはあまり関係がない。フランスではもっともっと多種多様な音楽が生み出され、また聴かれている。その中にはきわめて良質なものもある。だが、日本で紹介されるフランスの音楽は、上記のイメージに沿ったものにかたよる傾向があり、いくら良質でもこのイメージのフィルターに引っかからない音楽はなかなか日本に入ってこない。これは本当にオシイ。そういうオシイ音楽の一例が、今からお話しするマルタン・ラプノー。

ビートルズとスティーヴィー・ワンダーにとりわけ大きな影響を受けたというマルタン・ラプノー(Martin Rappeneau 1976年生。ちなみに父親は映画監督ジャン=ポール・ラプノー)は、大学を出たあとひとりで音楽活動をしていたが、ある日偶然カフェのテラス席でサンクレール(Sinclair)を見かけ、声をかける。この、フレンチファンクの若きスターは、興奮状態で話しかけてきた見知らぬ若者に優しく接し、昼食に誘う。そのとき渡されたデモテープを聴いた彼はすぐにそれを気に入る。翌日彼はラプノーに電話をかけ、ふたりは親交を結ぶことになる...。この出会いがラプノーにとってミュージシャンとしての転機であったことはいうまでもない。2003年、彼はサンクレールとの共同プロデュースによるファーストアルバム La moitié des choses を発表する。初々しさと洗練、躍動感と静謐が絶妙に共存した、名曲揃いの佳作である。

Age D'or 彼はまず自己表現ありき、といったタイプのアーチストではない。むしろ幅広い音楽体験を出発点に自らの音楽を知的かつ批評的に形成していくタイプの人だと思う(そのへんはサンクレールとも共通している)。一聴してわかることだが、彼はミシェル・ベルジェ(Michel Berger)とエルトン・ジョンに非常に多くのものを負っている。ゴリッとした感じの力強いピアノの響き、軽快に動き回るストリングス、甘いけれど芯のある高めの歌声はふたりの偉大な先達の若い頃の作品を思わせるし、メロディセンスも彼らとどこか似かよっている。もちろん彼が影響を受けたのはこのふたりだけではない。彼の曲のひとつひとつには、ほかにもいろんなアーティストの音楽の残響が聞き取れる。彼が影響を受けたと名指すミュージシャンやグループの名をいくつか挙げておこう。プリンス、ホール&オーツ、スティーリー・ダン、ジャクソン・ブラウン、アンドリュー・ゴールド、ジェームス・テイラー、クリストファー・クロス、マイケル・マクドナルド...。アメリカ人ばかりずらりと並んだが、私の感じたところではこのほかにザ・スタイル・カウンシルを初めとする80年代イギリスのブルー・アイド・ソウルにもかなり影響を受けていそうである。

 このアルバムの発表後、彼はルイ・シェディド(Louis Chédid あのMくん[Mathieu Chédid]のお父さん)、ガッド・エルマレ(Gad Elmaleh)などのステージのオープニング・アクトをつとめると同時に、自身のライブ活動も精力的にこなす。2006年にはセカンドアルバム L'âge d'or を発表。エルヴィス・コステロやマッドネスなどのプロデュースで知られるクライヴ・ランガー&アラン・ウィンスタンレーをプロデューサーに迎えイギリスで制作されたこのアルバムは、曲によってはブラス・セクションや女性コーラスをフィーチャーするなど音に厚みが増し、ゴージャスな造りになった。だが、アルバム全体の雰囲気に変化はさほど見られず、またソングライティング能力の高さは相変わらずで、前作と同様、珠玉の名曲がならんだチャーミングな傑作に仕上がっている。

Pour Me Comprendre 公式ホームページの質問コーナーで、ベルジェとの類似を指摘するファンのコメントに対しラプノーは次のように答えている[長い話を適当に再構成してある。ご了承願いたい]。「ぼくはベルジェの足跡を一歩一歩追いかけるつもりはない。ベルジェと同じスタジオを使ったのはそれがパリにある最良のスタジオだったからだし、ベルジェと同じアレンジャー、ベルンホルクも起用したけど、ぼくが最初に彼に注目したのはジュリアン・クレールのアレンジの仕事だったんだ。レコーディングの間、ぼくたちがベルジェを意識することはほとんどなかった...。ベルジェと比べられるのは仕方ないし、うんざりするってこともないよ。彼のことは大好きだからね」。いや、彼はおそらくかなりうんざりしているはずだ。近い将来彼は、ベルジェやほかの先人の名前を引き合いに出さなくてもすむような、オンリーワンの個性を持った偉大なアーティストになれるのだろうか。それは、今後いい曲をどれだけたくさん書き続けられるかにかかっていると思う。次のアルバムが楽しみである。



■ラプノーの2枚のアルバムは今のところ国内盤はない。ヴィデオクリップはファーストアルバムの限定盤(残念ながら現在品切)に付属したDVDで2曲見ることができる。彼のほほえましい大根役者ぶりが楽しめる"Encore"のクリップがとくにおもしろい。これはYou Tubeで探せば見つかる。

■ラプノーの経歴や発言はすべて公式ホームページの記述に依拠している。
http://www.martinrappeneau.net

■ミシェル・ベルジェ(この人についてはいつか詳しく書きます)を聞いたことがない人には2枚組のベスト盤Pour Me Comprendre(仏盤)をとりあえずオススメしておく。この夭逝した才人――フランス・ギャルの夫であり音楽上のパートナーでもあった――の代表作がおおむね網羅されている。同じタイトルで一枚物および3枚組のベスト盤、さらに12枚組のコンプリートボックスがあるので購入に際してはご注意を。




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