2011年02月12日

夏時間または失われた1時間のこと

ヨーロッパや北米、オーストラリアに1年以上暮らした人なら、夏時間を経験したことがあるはずだ。アメリカ英語で daylight saving time と言うとおり、日照時間を活用するのが主旨で、時計の針を1時間進めることで、朝早くから活動し、夕方も早く帰宅して、まだ日のあるうちに家族と過ごせるのが利点である。蚊の少ないヨーロッパでは、庭にテーブルを出して、日が暮れていくなか、屋外で夕食をとることがある。これはなかなか気持ちいいし、多少は照明代の節約にもなるだろう。庭があればの話だが。

このたび、ロシア政府が夏時間を取りやめる方針を発表した。正確には冬時間の廃止と言ったほうがよい。3月に夏時間に切り替え、そのまま戻さない、ということらしい。したがって、時差は標準時より常に1時間進んでいるということになり、時差計算は多少ややこしくなる。ニュースによると、「季節によって時間を切り替える生活は国民の健康に好ましくない影響を及ぼす」というのがその理由らしい。これに対して、慣れ親しんだ時間を変えないで欲しい、という不満の声が挙がっているという。http://bit.ly/fEefWw

北欧で白夜になるように、緯度が高いほど、夏の日照時間は長くなる。モスクワの日照時間を調べてみると、夏至の日の出は5時前、日没時刻は22時頃である。これに夏時間を加えると、夜は23時に訪れるということになる。ちなみに冬至は日の出が10時、日の入りが17時となっている。僕はロシアを訪れたことはないので、いまいちイメージできないのだけれど、夏と冬のこの極端な日照時間の差が、そこに住む人々のメンタリティに大きく影響するだろうということは容易に想像できる。北欧では冬の自殺率が上昇すると聞いたことがある(いわゆるSAD=季節性情動障害)。

フランスに住んでいたとき、夏時間が終る直前の11月下旬、大学へ行くのがとてもつらかったことを思い出す。授業は8時30分からスタートするのだが、これは実際には7時30分であり、家を出るのはさらに30分前だったので、外はまだ真っ暗だった。白い息を吐きながら、うつむき加減で地下鉄の階段を足早に下りていく人たちにまぎれながら、ひしひしと孤独を感じたものだ。逆に夏時間に入る日を忘れていて、しっかり1時間遅刻してしまったこともある。

ちなみに、日本では過去に4年間だけ夏時間が実施されたことがある。第二次大戦直後、米軍占領下にあったとき、アメリカ流に夏時間が導入された。しかし、日本人には馴染まなかったのか、占領終了とともに廃止された。終戦直後の日本人には余暇を楽しむ余裕などなかっただろうし、日本の夏はむしろ夜の方が過ごしやすい(『枕草子』の「夏は夜」から久隅守景の「夕顔棚納涼屏風」まで)ため、昼を延ばすのは、労働効率から言っても、あまり意味がなかったのかもしれない。

夏時間を経験して強く感じたのは、時刻というのは、結局は人間が太陽の出没を基準に目盛りを付けて区切っているに過ぎない、という当然の事実である。ベルクソンは、時計は時間を空間化して表現しているに過ぎず、本当の時間体験は持続性のなかにこそある、と説明した。それはそうなのだが、その批判は、空間化する必要が人間の歴史を貫いていることまでは説明してくれない。

時刻とは慣習である。24進法に従っているのは古代メソポタミアに倣ってのこと、中国では長らく12進法で1日を区切っていた。フランス革命期には、有名な革命暦だけでなく、10進法の時計も作られた。同じく10進法のメートル法は普及したが、10進法の時間はすぐに廃れた。これはいったいどういうことなのだろうか。「伝統」と言ってしまえば簡単だが、不思議なことである。たぶん24進法がフランス人の身体の奥まで浸透していたのだろう。夏時間を採用するか否かという問題も、結局はそれが身体化されれば、誰も文句を言わなくなるはずだ。

しかし、ロシア政府の言い分には、少し疑問が残る。ロシア人の健康を蝕んでいるのは、「季節によって時間を切り替える生活」よりも、アルコールであるような気がするが。いずれにせよ、政府が強引に廃止した場合には、最初は朝の日射しの違いに違和感を覚えるだろう。しかし、結局は慣習なのだから、ちょうど明治の人々がだんだんと24分割された1日に慣れていったように、ロシア人も夏時間から離れていくだろう。

ところで、標準時より進めた際に失った1時間はどうなるのだろうか。深夜零時のはずが、もう1時になっているわけだから、どこかに1時間を落としているはずだ。この1時間は、冬時間に戻らない限り、取り返せない。その1時間で何ができるわけでもないけれど、そのことが妙に気になる。




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2010年12月01日

「コラ・ジョーンズ」またはクリスマスのフィクション

12月になると聴きたくなるクリスマスアルバムが何枚かある。そのうちの一つが、イギリスの音楽雑誌『Mojo』の付録として出された『Mojo Blue Christmas』、2005年発表のオムニバスだ。ジャズやモータウンの古典的音源から、最新の楽曲まで取り混ぜて、全15曲、とても充実した内容だった。パリのメディアテークで見つけてコピーした音源が、今でも手元に残っている。

とりわけ、ニール・カサールの「コラ・ジョーンズ」(Cora Jones)は、聴くたびに胸を打たれる。カサールはカントリー系のシンガーソングライターで、12歳で殺害されたウィスコンシンの少女を追悼して、この曲を作った。コラはクリスマスが大好きな女の子だったが、ある日自転車で出かけたまま帰ってこなかった。側溝で遺体が見つかるが、「新聞によると、犯人はいまだ捕まらず、行方も知れないままだ」。

  プレゼントはかわいい白いリボンで包まれ
  大きなツリーは輝き、犬は寝ている
  だけどコラがいない今年のクリスマスはいつもと違う
  なぜ彼女が一緒じゃないのか、僕には分からない

そして、最後にカサールは「きよしこの夜」のメロディーを力強いファルセットで歌って曲を締めくくる。だが、慣れ親しんだ賛美歌のメロディーは、慰めである以上に、諦めにも聞こえてしまう。なぜなら、この曲は、ある意味で、神への大きな問いに触れているからだ。このような理不尽な暴力がどうして許されるのか。クリスマスは神の子イエスの生誕を祝う日だが、イエスは本当に世界を救ってくれたのか、という鋭い問いが突き刺さってくる。

コラ・ジョーンズは、1994年9月5日に行方不明になった。地元警察と数百人のボランティアが捜索にあたった。FBIも捜査に乗り出し、5日後にコラの遺体が見つかった。ところが、先日発見したサイトによると、カサールの曲とは異なり、実際には犯人はすぐに判明したらしい。別件の強盗事件で逮捕されたデヴィッド・スパンバウアーの車を調べたところ、カーペットの繊維が、コラの遺体に付着していた繊維と一致したのだった。捜査当局は、コラは何らかの手段で彼の車に連れ込まれて刺殺されたと断定した。

このスパンバウアーは連続殺人犯で常習的レイプ犯だった。すでに数十年を監獄で過ごし、出所したばかりだったが、即座に強盗と強姦と殺人に手を染めた。まさにnatural born criminalとしか言いようのない男である。最終的に懲役403年という途方もない判決を下されるが、2002年に61歳で病死した。

僕が疑問に思うのは、なぜカサールは「犯人の行方は分からないまま」と歌ったのかということだ。「コラ・ジョーンズ」の制作年が、手元にCDがないために判然としないのだが、もし2005年のコンピレーションのために制作されたとすれば、あまりに杜撰である。もし事件の直後に作曲したとしても、わずか数ヶ月後には犯人が逮捕されているのだから、カサールは曲を発表するまでには、スパンバウアーの存在を知っていたはずだ。

もし事実を知ったうえで、このような歌詞を書いたのだとすれば、その意図は何だろうか。そこには、一人の少女の死を悼む気持ちと、クリスマスらしい感傷的な気分に訴えたい気持ちが、混在していたのかもしれない。連続殺人犯の仕業だった、では、生々しすぎて、歌の焦点がぼやけてしまう。というのも、この「コラ・ジョーンズ」が感動的なのは、子供を殺されるという誰も納得のできないこの世の不条理と、幸福感を押しつけるようなクリスマスの雰囲気との間にある緊張を捉えているからだ。

歌の力は、フィクションの力と言っていい。ニール・カセールの歌は、子供の無差別殺人に象徴される世界の理不尽さにテーマを絞ることで、クリスマスの意味を考えさせてくれる。映画では、最近「実話を基にした」ことを感動の根拠にするようなコピーが目立つが、「基づく」ということは「事実である」ということではない。観終わった後に、本当にこんなことがあったのか、という感慨に浸りがちだが、自分の感動の理由を分析するためにも、あくまでフィクションとしての出来映えを評価しなければならない。今年のクリスマスをひかえて、新たに判明した事実を前に、僕はあらためてそんなことを考えている。

http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/predators/david_spanbauer/8.html



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2010年10月07日

レストランとは何か

初級フランス語を教えるときに、誰でも知っているフランス語の好例として、僕はよく「レストランrestaurant」を引き合いに出す。この単語がいいのは、フランス語の発音に欠かせない規則が三つも含まれていることだ。
1)rは、英語のように舌を巻くのではなく、喉をうがいするときのように鳴らしてください。
2)anは「鼻母音」です。口を閉じてしまわずに鼻から音を抜いてください。
3)語末の子音字tは発音しません。
さあ、これでみなさんもフランスのレストランに入れますね。というような口上をつけて、学生の興味を惹こうと努力するわけである。

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というわけで、誰でも知っていて、かつ発音も決して簡単ではない「レストラン」だが、この言葉の意味も、よく考えてみると、なかなか興味深い。これは restaurer という動詞の現在分詞形で、本義は「元の状態に戻すこと」。たとえば、明治維新は Restauration du Meiji と訳されるのが普通だ。これは「維新」という言葉にはそぐわないように思われるかもしれないが、「大政奉還」、すなわち「まつりごとをおおもと(天皇)に還す」という意味をうまく訳している。ちなみに19世紀前半のブルボン王朝の王政復古も Restauration と言う。一方、小文字で始まる普通名詞の restauration は「修復」という意味で日常的に用いられるが、restauration rapide といえば、「早い修復作業」ではなく、「ファストフード」のことである。

つまり、レストランには、空腹で活力を失った身体にエネルギーを補填して元の状態に戻す、というニュアンスがあるわけだ。逆に言えば、ガソリンのように「満タン」の状態が「基本状態」と見なされている、とも言える。フランス料理辞典によると、「1765年頃、パリのブーランジェという料理人が、自分の店のスープを『元気を回復させる』という意味でレストランと名づけ、『素敵なレストランを売ります』と看板に書いたこと」が、レストランの語源だという。ホッチキスやキャタピラーみたいに、商標名が一般化したものだったのだ。

CIMG5060.JPG

ミシュランの旅行ガイドには、où se restaurer ? という項目がある。「お薦めレストラン」ということだが、直訳すれば「どこで自分自身を立て直すか」という風になるだろう。これをあえて拡大解釈すれば、フランス人は空腹で倒れそうになるまで食事をしない、ということかもしれない。大量のサラダやスープの後に、肉とポテトを平らげ、チーズでワインの残りを流し込み、クリームのたっぷり詰まったデザートを食べる人たちを見ていると、レストランというのは、美食のためではなく、まずは空腹を徹底的に駆逐する場なのだ、と思わずにはいられない。空腹が満たされるという前提があったうえで、それをいかに愉しく満たすか、という付加価値が成立する。

これを日本の誇る懐石料理、つまり「懐に温かい石を入れた程度に空腹を和らげる料理」と比較したとき、そのコンセプトの違いの対称性に、思わずため息が出てしまう。禅宗を背景にもつ禁欲的な茶席の食事は、そもそも自分自身を立て直すためではなく、自分を忘れるためにある。自分を取り戻すどころか、「自我の放下」が問題であり、茶席という「場」における一期一会の流れに身を委ねるのが、茶の道である。満たされるべき自分を忘れたとき、わずかな舌先の味が場全体と呼応し、自己の輪郭が場の全体へ溶け出すような境地が訪れる。そこには、デカルト的な個人を規定する自意識と、日本の武道にも通じる無我の境地が鮮やかに対比されている…。

CIMG5062.JPG

などというのは、大袈裟な文明論のパロディーでしかない。なぜこんなことを思いついたかというと、フランスに仕事で1ヶ月ほど滞在して、3キロ近く肥ってしまったからだ。「元の状態に戻る」どころか、過剰を抱えて帰国した。その理由は、明らかにレストランにある。自炊設備の貧弱なレジデンスにいたものだから、結局は外食に頼らざるを得なかった。フランス料理ばかり食べていたわけではないが、と言い訳しても仕方ない。この秋はせいぜい運動に励むことにしよう。と決意したところに、フランスから郵送したジャムや菓子類の箱が届いた。レストランから離れても、煩悩の秋は去りそうにない。

□写真は上から「鴨の砂肝のサラダ」「鴨のコンフィのチーズ漬け・フォアグラ添え」「プロフィットロール」



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2010年06月22日

マラドーナに見る英雄の条件

ワールドカップが始まった。僕はいまテレビのない家に住んでいるので、今回はよく分からないのだが、アルゼンチンが好調だという。監督はディエゴ・マラドーナ。それだけでなぜかわくわくしてしまうのは、彼がすでに神話上の人物に等しいからだ。マラドーナなら、たとえ作戦らしい作戦を立てられなくても、優勝してしまうかもしれない。そうなったら面白い、と思わせる。そうなるために、選手が努力するだろう、と思ってしまう。

神話の世界に生きる英雄であるためには、ある条件が必要だ。それは、自らの役割を反省しないということ。マラドーナは、自分がマラドーナというポップアイコンであることに無頓着である。だから、自分の人生に対してアイロニカルな視点がなく、いつでも自分自身を生きている。マラドーナがときにバカだと思われてしまうのは、まさにこの「他人の眼に映る自分を想像してみる」という反省意識の欠如のためだ。

クストリッツァのドキュメンタリー映画『マラドーナ』は、その点でとても面白かった。欧米の考え方に違和感を覚えながらもヨーロッパで成功した二人だが、カストロとチャベスを称賛する天真爛漫なマラドーナに対して、クストリッツァは何重にも屈折した表情を見せる。麻薬とアルコールの中毒者となり、胃を切除するほどの肥満を経験し、数々の過激発言で物議を醸してきた末に、ついにアルゼンチン代表監督となったマラドーナと、映画と音楽の両方で成功しつつも、祖国を戦乱で失い、亡命者となってパリに住むクストリッツァ。いろんな意味で似ており、かつ対照的な二人の出会い自体が、このドキュメンタリーの主題であり、マラドーナという人物を理解する助けにはほとんどならない。クストリッツァは、結局マラドーナがなぜあのような言動をするのか、理解できなかったのではないだろうか。それは、クストリッツァが、派手な作風にもかかわらず、基本的にはインテリで、アイロニーに囚われているからである。

マラドーナは違う。ライブハウスのマイクを前にして、娘を両脇に抱きかかえて、涙ながらに、その名も「神の手」という自分の半生の歌を歌えてしまうのだ。そして、離婚した妻がそれに手拍子を打ち、合唱する。それを最後列から見つめるクストリッツァは、彼自身が言うように、まるで自分の映画の登場人物を見ているような気分だっただろう。

http://www.youtube.com/watch?v=_FMkL7ulkJ8

映画のラストで、マラドーナは街角でギターを弾いて歌う二人組に出会う。じつは歌っているのは、あのマヌ・チャオなのだが、「マラドーナになりたい/何もかも乗り越えて」というその歌を聴いて、マラドーナ本人がサングラス越しに涙ぐむ場面は、この人物が心の底に抱えている孤独を垣間みた気がして、印象的だった。彼の孤独とは、マラドーナにしかなれないということ、どんな困難に直面して、どんなにみっともない状態を晒しても、自分が生きてきた以外の生き方を考えることができないということなのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=4nCPA3-HURw

『イーリアス』の英雄たちは、自分が英雄であることを知らないわけではない。むしろ武運無双を誇り、大言壮語を並べ、にもかかわらず、敵に倒れていく。だからと言って、その英雄ぶりが地に落ちてしまうわけではない。英雄とは不敗の者ではない。最初に述べたように、英雄とは、自分が英雄であることをアイロニーなしに受け入れる者なのだ。その意味で、宗教家に似ているところがある。教祖は自分の説く教義を心底信じていることで、他人を惹きつける。マラドーナにも、そのような素質を感じる。そして、映画によると、実際にアルゼンチンにはマラドーナを神と仰ぐ「マラドーナ教」が存在し、結婚式でサッカーボールを蹴って愛を誓っているらしい。

英雄マラドーナ。監督として、どこまで伝説を作るのか。その結果も楽しみだが、たとえ敗れても、彼の英雄としての地位に揺るぎはないだろう。そんな人物が登場するのも、またワールドカップの面白さの一つである。




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2010年03月27日

『未来の食卓』または未来に食卓はあるのかという話

僕は日本で献血ができない。それは「1980年から2004年までの間に通算6ヶ月以上フランスに滞在歴がある」(日本赤十字社による定義)からだ。つまり、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(狂牛病との関連が疑われる病気)の原因物質を血液が含んでいるかもしれない危険人物ということである。

未来の食卓 [DVD]このような予防措置は当然必要だし、僕の血液が危険ではないと、僕自身も言い切れない。しかし、僕はそのような危険を賭して、フランスに留学したのではなかった。そこに問題がある。いつの間にか、巻き込まれてしまった。だからといって、僕が無辜の被害者だというわけでもない。というのは、狂牛病の場合で言えば、肉骨粉を飼料にして安くあげようとする社会のシステムの恩恵を十分に蒙って、貧乏学生の身分でもたまには肉を買って食べていたからである。

環境汚染もまた同様である。映画『未来の食卓』を観て、その思いを強くした。このドキュメンタリー映画の原題は”Nos enfants nous accuseront”、直訳すれば「私たちの子供たちはいずれ私たちを告発するだろう」。南フランスの農村地帯では、小児がん患者が増加の一方をたどっている。それは明らかに農薬と化学肥料の直接・間接摂取の影響だ、とモンペリエ大学の医学博士は証言する。除草剤と殺虫剤を散布すれば、少人数で大規模な農地の管理が可能になり、それだけ収穫と収入を増やすことができる。だが、土壌は汚染され、やがては不毛の地となるだろう。

http://www.uplink.co.jp/shokutaku/
http://www.nosenfantsnousaccuseront-lefilm.com/

恐ろしい映像を見た。30年間、有機栽培(フランス語では有機栽培の農作物や製品をひっくるめてビオbioと呼ぶ)を続けてきた葡萄畑と、農薬散布を続けてきた葡萄畑が、ちょうど隣り合わせている。春先、ビオの畑は畝の間に雑草がびっしり生えているが、農薬散布の畑は、まるで墓標のように葡萄の苗木が並んでいるだけで、草一本生えていない。土を掘り返すと、ビオの畑の方は、土塊は湿気をたっぷり含みながらもばらけず、中にはミミズが数匹這い回っている。農薬散布の方は、煉瓦を重ねたように粘土質の階層状に分離してしまう。もちろん生物は皆無だ。どちらがまともか、一目瞭然である。だが、僕たちが口にするフランスワインの大半は、この煉瓦状の土から育った葡萄で作られていると思ってよい(ちなみに、「AB (agriculture bio)」というビオの認定マークを受けるには最低3年間の無農薬栽培が必要)。

こうした現状に危機感を抱き、南仏のバルジャック村では、村長のイニシアティブで学校給食の完全ビオ化を実行した。農薬を使い続ける家庭もあるなか、その意義をめぐって村では議論が巻き起こる。健康が大事なのは分かるが、ビオは作るのに手間がかかり、買う側としても値段が高い。しかし、村の映画館で開催された討論会で、村長は言い放つ。「すぐに金の心配をするな、まずは自分の良心に問いかけろ」。実際、ビオ給食は赤字予算なのだ。それでも、これは必要なことなのだから、他の予算を削ってでもやらなければならない、と村長は確信している。

良心の問題は、労働現場にも影響する。給食をビオにしてから、調理人の意識が変わった。かつては殺虫剤まみれの缶詰を使っていたが、今では自分が責任をもてる食材を子供たちに提供している。そのことが、調理人にとっても誇りとなる。学校の片隅には畑が作られ、子供たちはビオを食べるだけでなく、野菜の栽培と収穫を通して、ビオのサイクルに自ら関わることを教えられる。教師も、子供たちの前で、消費社会の矛盾をはっきりと口にすることができる。

僕はと言えば、まさに殺虫剤まみれの缶詰を3年間もフランスの大学の学生食堂で食べた人間であり、今さらながらぞっとした。しかも、それが自分の子供に間接汚染を惹き起こすかもしれないということになれば、まさに僕は次世代への犯罪に加担したことになる。知らなかった、では済まされない。と言うよりも、まさにそんなことも知らずに、生産と消費のからくりも知ろうとせずに、汚染された食品を摂取し続けたことが罪状となるのだ。それは逃れようのない罪と言うべきだろう。僕は子供たちに告発されるのを待つしかない。

映画の冒頭、ユネスコの会議でアメリカの科学者が警告する。「近代が始まって以来、子供の健康が初めて親のそれに劣るであろう」と。医療技術の発達が乳幼児の死亡率や疾病率を下げてきたとすれば、環境汚染が今度は子供たちをゆっくりと殺していくことになる。「そんなことがあってはならない(That should not be.)」と科学者は付け加えた。本当にそうだ。野菜が虫に食われる方が、人間が薬品に蝕まれるより、どれだけ平和な光景かわからない。『未来の食卓』とは、一見希望に満ちた邦題だが、この映画の原題が伝えているのは、むしろ「未来に食卓と呼べるものがあるのか」という危機感である。これからどんなものが食べられるのか、というよりも、安全に食べられるものが何かあるのか、という問いに、僕たちは直面しているのである。




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2010年03月22日

『アンヴィル!』または半端な才能に恵まれることについて

トロント出身のバンド、アンヴィルのことは、名前さえ知らなかった。1982年に発表されたアルバム『メタル・オン・メタル』は、ヘヴィーメタルの領域では名盤として名高いらしい。日本のロックフェスティヴァルでは、ヴァイブレーターを使ったギタープレイが話題になった(僕はのちにミスター・ビッグが電気ドリルにピックを装着して弾いたことを思い出したが、あれもアンヴィルの影響なのだろうか)。アンスラックスやメタリカといった僕でも名前くらいは知っているバンドのメンバーが、アンヴィルのステージを見たときの衝撃を語っている。ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュに至っては、「僕らは彼らから盗み、そのうえで見捨てた。もっとリスペクトすべきだったんだ」とさえ言っている。

http://www.uplink.co.jp/anvil/

映画『アンヴィル!』は、そんな伝説的バンドの現状を取材したドキュメンタリー映画だ。「伝説のバンド」は、よく数枚の名盤を残して解散する。しかし、アンヴィルは解散しなかった。ヴォーカル&ギターのリップスとドラムスのロブは14歳からの付き合いで、「この世でいちばん近い存在」と呼んではばからない。彼らにとって、いちばん大事なのは、音楽を続けることだった。しかし、バンドでは食えなくなり、現在、リップスは給食の配達係、ドラムスのロブは内装工事現場で働いている。なんだかシルヴァーの名曲「ミュージシャン」を彷彿とさせるが、あれは若い下積みの辛さを歌った曲。50代に差し掛かった二人にとって、「ミュージシャンの人生は楽じゃない」ことは、あまりにも厳しい現実である。

http://www.youtube.com/watch?v=geMC_LDXt1Y

そんな彼らの往年のファンだというルーマニアの女性が欧州ツアーを企画してくれるが、各地のバーやライブハウス巡りは散々な結果になり、プラハでは遅刻を理由に支払い拒否までされてしまう。失意のリップスは、かつてのプロデューサーにデモテープを送る。すると意外にも色よい返事があり、プロデューサーが所有するドーヴァーの個人スタジオで13枚目のアルバム録音に取りかかる。レコーディング費用を稼ごうとリップスは、地元トロントの熱狂的ファンが経営するコールセンターでアルバイトしてみるが、嘘をつけないたちでうまくいかない。結局、彼の姉が200万円相当を貸してくれて、ようやく渡英する。しかし、レコーディングが始まると、プレッシャーを感じたリップスは癇癪を起こして、ロブを罵倒してしまう。プロデューサーが仲裁し、なんとか音源は完成するが、カナダEMIをはじめ、どのレコード会社も出してくれない。「こんな音では、今は出せませんよ」と、糊の利いたシャツを着た社員にあっさり断られてしまう。

Metal on Metalこのあたりを見ていると、バンドが成功するためには、楽曲や演奏の質だけでなく、優れたマネージャーも必要なのだということを痛感する。ビートルズは、ブライアン・エプスタインという青年がマネージメントに乗り出してから、ヒットチャートへの道を歩み始めた。1980年代以降のヘヴィメタ事情に関しては、僕はまったくの無知だが、アンヴィルが時代の潮流に乗れなかったこと以上に、主流に対してアンヴィルを位置づけてくれる助言者が皆無だったことが不幸だったということくらいは想像がつく。

とはいえ、映画『アンヴィル!』がよかったのは、凋落したスターの痛々しい物語ではないところだ。二人には、ちゃんと妻や子供がいて、家庭をまともに営みながら、少年の夢を追っている。そんな彼らを家族たちは温かく、多少のあきらめも込めて、見守っている。セールスというかたちで報われなくても、やり続けること自体が彼らの人生を支えてきたと言える。「人生で一番大切なのは人とのつながりだ。音楽でいろんな人と出会えたことに感謝している」というリップスの言葉は素敵だ。その音楽自体は、残念ながら僕には魅力的には思えなかったけれど、やはりリップスが言うとおり、「人生はいつか終わるのだから、たとえアホな夢でも、今やるしかない」という覚悟は、とても潔く聞こえた。

ドーヴァーで自費制作した13枚目のアルバム『これが13番目だ』をネット上で発売したアンヴィル。すると、日本のプロモーターがアンヴィルをメタルフェスに招待してくれることになる。30年ぶりの来日。幕張メッセで満員の客を前に演奏したところでフィルムは終わる。おまけに、この映画のおかげで、日本ではソニーからアルバムが発売される運びとなった。日本人メタルファンはすごいな。英米ポップスファンの僕は、長門芳郎が、引退してアンティーク家具店を営んでいたアルゾのアルバムをひそかに日本で復刻し、それを知った本人が仰天して連絡してきたというエピソードを思い出した。

大きな文脈で考えてみると、結局のところ、英語圏のバンドであるということが、アンヴィルを完全な忘却から救い出してくれることになったのではないか、と思ってしまう。英語で歌うということは、単にアメリカやイギリスで聴かれる可能性を生み出すだけでなく、英語を母語としない聴衆にも訴えることになる。それは、英語とともにやってきたロックという音楽形式において、英語で歌うことが、もっとも屈折の少ないスタイルだからだ。そうでなければ、僕自身も含め、歌詞を十分に聞き取れない英米ロックをなぜこれほど熱心に聴き続けるのか、うまく説明できないだろう。その背後には、やはり文化的な刷り込みがあると考えるべきである。リズムがすでに身に染みついてしまっているのだ。

それはそれとして、『アンヴィル!』は、人生の目的とは何かということについて、かなり真剣に考えさせられてしまう映画だった。かっこ悪くても、誰も褒めてくれなくても、やりたいことがあるなら今やるしかない、というのは本当だ。と同時に、そんなことは時間の無駄だ、もっと有益なことをすべきだ、という批判に立ち向かうためには、盲目的なまでの自己への信頼と、能天気とも言えるほどの楽観性を備えていなければ、とても続けられるものではない。それもまた才能の一部だと思う。これは、いろんな意味において、誰もを説得する圧倒的才能には恵まれず、しかし人を少しだけ動かすことのできる半端な才能に恵まれた人の勇気の物語である。そして、おそらく、契約や成功に恵まれない多くのミュージシャンや、創造に係わる人にとっても、まったく無縁の話ではないはずだ。


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2009年08月20日

「お笑い日本の実態」または「どうせ分からないフランス語」

いよいよ衆議院選挙です。どの党の誰に投票しようか、「普通選挙」の定義の一つが「秘密選挙」である以上、ここでは言わないでおきましょう。たいていの人と同じように、僕も選挙前になって、どの政党がどんな主張をしているのか、あらためて確認しようと思い、ネットを眺めてみました。あいかわらずの中傷合戦が繰り広げられていて、うんざりします。

ところで、そんななかから「フランス国営テレビ お笑い日本の実態!」という動画を発見しました。題名と裏腹に、日本のお笑いブームについてではなく、この時期に合わせて作られた民主党批判、というか、説得的な根拠を示さないデマゴギーの類いですが、面白いのは、それをフランスのニュース画像に合わせて、字幕とハメコミ合成で編集してみせた点です。いわゆる「MADムービー」と呼ばれるものですね。



面白いと言ったのは、内容がよく出来ているからではありません。内容は、どちらかというと、趣味の悪い冗談にすぎない。同じような批判動画は、たぶんどの政党を取り上げても、作ることはできます。僕が興味を惹かれるのは、ここでフランス語がどのような言語として機能しているか、という点です。フランス語を聞き取れる人には、内容が日本の政党に一切関係ない話であることはすぐ分かるでしょうし、フランスのニュース番組を多少なりとも知っている人なら、そもそもZone interditeを放送しているM6は国営放送ではないことに、すぐ察しがつくでしょう。このような動画を編集しようと思うためには、日本人のほとんどはフランス語を理解できないという前提に立たなければなりません。英語で同じことをやったら、デタラメすぎる、と非難されるでしょう。たぶん。

動画に付けられたコメントで興味深いのは、「翻訳は正確ではなくても、内容は真実だ」というもの。翻訳とは、ここでは字幕を指すと思われますが、上に述べたように、一行たりともキャスターの言葉と字幕は対応していません。このコメントは、そんなことはどうでもよくて、政党批判の字幕が正しければよいのだ、と言っているようです。どうせ分からないフランス語だから何でもいい。逆にフランス語がちょっと分かるからと言ってこの動画を批判するのは野暮な奴、ということになるのかもしれません。

どうせ分からないフランス語。しかし、これがフランス語であるのは、偶然ではないでしょう。作成者が誰かは知りませんが、この言語に何らかのオーソリティーを認めているような気がします。アル=ジャジーラのアラビア語のニュース画像や、フィンランド国営放送の画像を使って同じ編集をすることだって可能でしょうが、それではジョークの意味が変わってしまう。日本人が気になる「世界の大国」の報道である必要があります。しかも、アメリカや中国のように日本の政治的利害に直接関係がある国では、さすがにリアリティがなさすぎる。そこでフランス、ということになったのではないでしょうか。もしそうだとすれば、やはりフランスはいまだに「遠い国」なんだな、と思います。

ところで、メリッサさんが、本当は何を言っているか、みなさん分かりますか。ルポルタージュの紹介部分を切り貼りしているので、全体を通じた話題はありませんが、字幕やハメコミ動画をあえて見ないで、じっと聞いてみるのも、フランス語の練習としては面白いかもしれません。



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2009年05月15日

グラン・トリノはいい車なのか

grandtorino01.jpgクリント・イーストウッドの最新作『グラン・トリノ』は、移民問題、家族間の対話、友情と無理解、銃器と暴力の蔓延、法律や宗教の限界など、さまざまなテーマをコンパクトに織り込んだ脚本も素晴らしいが、何よりもイーストウッド本人の圧倒的な存在感を確かめるための映画でもある。そのことについては、もはや贅言を要さないだろうから、ここでは別のことに注目したい。それは、題名にもなっている車、グラン・トリノ(Gran Torino)のことだ。

グラン・トリノはイーストウッド演じるウォルト・コワルスキーが働いていたフォード社の誇りである。日本製の自動車を乗り回す彼の息子やその家族にはとりわけ譲りたくない品だ。そんな風に状況が説明される。だが、僕にはその思い入れが共有できない。映画を見ながら、そもそもグラン・トリノってそんなにいい車なのか、という疑問がずっと頭にこびりついていた。

まず、僕自身も含めて、日本で育った人のほとんどは「グラン・トリノ」がフォード社の車名だということに、すぐには気づかないだろう。サンダーバード(ビーチ・ボーイズの歌でお馴染みのいわゆるT-Bird)やムスタングならまだしも、トリノはこれまで、映画やドラマなどでも、さほど脚光を浴びてこなかった。映画のなかで、モン族の不良集団が盗もうとしていた、ウォルトの所有する72年型グラン・トリノは、見るからに素敵なクラシックカーだが、それはきれいに保存されてさえいれば、別にこの車でなくてもよかった、と言えるかもしれない。事実、Wikipediaによると、トリノという中型車のシリーズは、たとえば同時期に発売されたシヴォレー・シェヴェルと較べても、さほど人気のある車ではなかったらしい。

http://www.youtube.com/watch?v=KoLMLFz2Hg8
http://en.wikipedia.org/wiki/Ford_Torino#Popularity

ヌーヴォー・ロマンの作家として有名なミシェル・ビュトールに『モビール』(1962)というアメリカ旅行記がある。横長の変形判に印刷されていて、作家の目に映った外的世界の断片的記述と、作家の意識に捉えられた対象の描写と、通過中の土地の歴史や雑多な情報が、同時進行的に表れるという、複雑な構成をもつ。『グラン・トリノ』を見て、なぜこの旅行記の話が出てくるのかと言えば、ページの左端に、作家が車で旅しながら道路上ですれ違ったり、追い抜いたりした車の種類をいちいち書き留めていて、かつて読もうとしたときに、この固有名詞の羅列がどうにも分からなかったことを思い出したからだ。よほどアメ車を趣味にしていないと、この本に出てくるMercury, Nash, Oldsmobile, Packard, Plymouth, Rambler, Studebaker, Willysといったメーカーが、そもそも現存しているかどうかさえ、言い当てることができないだろう。同時代のフランス人読者にも、どのくらい固有名詞として認識されていたのか、疑問に思う。

固有名詞は、その指示する対象を知らない者には、謎の言葉でしかない。だが、車種を熟知していなくても、これらの車の名前が、それぞれの乗り手の記憶と結びついているだろうということには思い至る。今では誰も乗らない車の名前は、誰かがそれに乗っていた時間と結びつく。忘れられた固有名詞は、忘れられた歴史と結びついているのだ。

そうした車の歴史に関して印象深いのは、ジャン=ポール・デュボワの小説『フランス的人生』の主人公の父親が、Simcaの整備工場に勤めていた、というエピソードだ。シムカは1970年代にクライスラーに吸収されてしまったフランスの自動車メーカーだが(そのクライスラーも先日ついにGMに吸収されてしまった)、現代のフランスの若者にとって、それはオオタ自動車やプリンス自動車同様、馴染みの薄い、あるいはまったく聞いたこともないメーカーになりつつある。その意味でも、シムカに勤めていたという経歴自体が、「かつてのフランス」的なのである。

そういう意味では、グラン・トリノ72年型は、「かつてのアメリカ」のアイコンなのだろう。主人公ウォルトも、まさに「かつてのアメリカ白人労働者」のカリカチュアのような、ごりごりの人種差別主義者として振る舞う。そして、ポーチで日がな缶ビールを飲む。ポーチという空間も、缶ビールというアイテムも、どちらも極めてアメリカ的だ。『キネマ旬報』の小林信彦と芝山幹郎の対談によると、ウォルトが飲むビールも、労働者階級が好む典型的な銘柄だそうだ。

だが、それだけなのだろうか。グラン・トリノが中年以上のアメリカ人のノスタルジーを掻き立てるという、それだけの理由で、イーストウッド監督作品中、アメリカで最大のヒットとなったこの映画のタイトルに選ばれたのだろうか。

本作のストーリーを詳しく語るつもりはないが、多少ぼかして言えば、ウォルトが血の繋がりのない隣人に、グラン・トリノを譲る、という結末である。ラストシーンは、この車を隣人が運転して湖のほとりを走っている場面だ。そこにイーストウッド作曲(彼はここ最近の監督作品には自らスコアを書いている)の主題歌が、珍しくイーストウッド自身の歌声で始まる。さすがに年老いて、呟くような声だが、それが何ともいえない味わいを出している名曲だ。2番からは、もっと若い歌手が歌い継ぐ。そして出てくるのが、「あなたの世界は、あなたが残してきた小さなものすべてを集めたものでしかない」(Your world is nothing more than all the tiny things you’ve left behind)という一節だ。

http://www.youtube.com/watch?v=HEXF7U5TYV8

映画を見終わった後、この歌が忘れられず、iTunesストアで購入した。そして、繰り返し聴くうちに、僕はようやく意味が分かった気がした。やはりグラン・トリノは大した車ではないと考えてもいいのだ。それは「小さなもの」でしかない。といっても、それはグラン・トリノという車に価値がないのではなく、人が人に遺せる物品は、しょせんそこに込められた気持ちに較べれば、大したものではない、ということである。逆に言えば、気持ちのこもった物なら、何を遺しても、それはあなたの世界をかたちづくるだろう。ただ財産として車を受け取るのと、広い世界へ出て行くチャンスを与えるものとして車を譲られるのとでは、同じように運転しても、その意味は違ってくる。結局は、人の思いというものをどのように測り、受け止め、表現していくか、ということが、この映画の題名が問いかけていることなのだと思う。

アメ車といえば、子供の頃、テレビドラマ『ナイト・ライダー』シリーズのKITTのモデルが、GMのポンティアック・ファイアーバード・トランザムだということを調べて以来、ずっと興味を失ったままだったが、久しぶりにアメリカ人と自動車のつきあいがどんなものであるかを考えさせられた。そのアメ車企業は、今まさに倒産の危機に瀕している。そのことも、この映画がアメリカ人の琴線に触れるタイミングをもっていたことに含まれるのかもしれない。車をめぐる孤独な人たちの物語は、同時に車のたどった寂しい歴史の物語でもある。だからきっと、主題歌は夜を駆けていく車のエンジン音を歌って終わるのだろう。It beats a lonely rhythm all night long…

http://www.youtube.com/watch?v=oc_0SK2BKUI




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2009年02月18日

日本語が亡びるとき、英語が亡びるとき

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で昨年出版されて、周りでも話題にする人が多かった『日本語が亡びるとき』を、ようやく手に入れて読んだ。著者は水村美苗。副題は「英語の世紀の中で」。その論旨は明快で、ほとんど戯画的である。

曰く、日本語は「叡智を求める人」(要するに学術研究者をはじめとする知識人)が発する「読まれるべき言葉」(要するに論文や研究発表に用いる言語)としての資格を失いつつある。日本語だけでなく、フランス語もドイツ語も、英語以外のすべての言葉は、どの学界でも流通しなくなりつつある。英語だけが「普遍語」としての地位を占め、日本語はせいぜい「国語」、悪くすると「現地語」に成り下がってしまうだろう。

この指摘自体は正しい。学問の世界では、英語を読めないということを言い訳にすることができない。たとえば日本文学研究でさえも、英語で書かれた研究書をまったく無視することはできない。なぜなら、それは現在、世界中の高等教育を受けた人が共通に読める唯一の言語だからだ。日本文学研究者は日本語が読めるはずなのだから、論文は日本語で書けばいいのに、と思うが、そうはいかない。日本語を読めることと日本語を書けることは、別の能力である。だから、日本語が書けなくても読める人が、日本に関わりのあることを世界に向けて発信したいと思うなら、英語で書くのが最も効率がよいのである。また世界はそのように英語で発信されたものを中心にして、自らの像を定義していくことになる。

水村美苗自身は、英語と日本語のバイリンガルである。家庭の都合で12歳で渡米し、英語で高等教育を受けたが、英語嫌いで、少女時代に日本の近代文学を耽読し、大学でフランス文学を専攻した。漱石の『明暗』の続編パスティッシュでデビューした彼女にとって、日本近代文学こそは「読まれるべき言葉」だった。彼女が日本語が亡びると言うとき、それは近代日本文学の言語が亡びるということである。「自分がその一部であった文化がしだいに失われていくのを知りつつ生きる一人の人間の寂しさ」(p.224)が、彼女にこの本を書かせた。

加藤周一が夙に指摘したように、『浮雲』以降の言文一致とは、誰もが小説を書けるようになった時代の到来を意味する。それまでは、書き手になるためには、特別な訓練が必要だったのだ。具体的には漢籍の教養である。漢語の知識なしには、手紙さえ書くことはできなかった。読めることと書けることの落差は、江戸時代の方がはるかに大きかった。

そう考えると、日本近代文学の日本語自体が、じつはそれ以前の「読まれるべき言葉」を犠牲にして成立したものであることに思い至る。明治の懐古的な読者にとっては、漱石の近代的な日本語さえもが読むに耐えぬものだったことを想像するのは難しくない。しかし、日本人は漱石の日本語を選び、それをスタンダードにしてきた。だから、ここ数年の「日本文学」の日本語が、漱石の日本語と似ても似つかぬものだとしても、それは知的エリートが英語に吸い取られ、英語のできない残余者が貧しい日本語を書いているからではなく、文学的言語のスタンダードが改編されつつあるということを意味していると考えた方がよい。

漱石が専門家以外には読まれなくなるのではないか、と水村美苗が危惧する気持ちは分かるが、すでに私たちのほとんどは、上田秋成の『雨月物語』さえ注釈なしには満足に読めない。まして秋成のような日本語を書くことは、もはや専門家にも無理だろう。言語は、大衆化すれば、それだけ平易に、あるいは貧しくなる。中国の簡体字の導入や、韓国の漢字廃止は、確かに識字率を上げただろうが、同時に読める中国語や朝鮮語は、同時代のものやリライト版にほぼ限られることになった。言語の大衆化とは、言語の歴史を剥奪することである。

だから、英語の覇権を憂いて、シェークスピアは読まれ続けるだろうが、ラシーヌは忘れ去られるだろう、と水村美苗が言うとき、私は首をかしげてしまうのだ。ラシーヌが忘れられることについてではなく、シェークスピアが読まれ続けることについてである。彼女の言う「普遍語」となった英語は、そんなに高級なものにとどまってはいないだろう。”O Romeo, wherefore art thou Romeo ?”などという台詞を理解できることが、これからも教養として求められていくだろうか。別の言い方をすれば、シェークスピアの読解が「文化資本」として機能し続けるかどうか。私は多分に疑わしいと思う。

普遍語としての英語の時代、それはまさに日本語ネイティブの知識人が日本語の存亡に直面しているのと同じように、英語ネイティブの知識人にとっては、貧しい英語がのさばり、それまで英語圏で「読まれるべき言葉」だった文学作品さえ読まれなくなる時代なのではないか。英語圏が拡大するにつれて、英語は簡単にならざるを得なくなるからだ。ここでcyberbloomさんが書いていたユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』のエピソードを思い出す。司教補佐クロード・フロロは、印刷術が建築を殺すだろう、と言った。そのときユゴーがイメージしていたのは、単に聖書の内容が民衆に直接行き渡ったという史実だけでなく、書物によって思想が蓄積されて出来上がる、「未来という深い霧の中にその巨大な頂を隠した」「人類の生んだ第二のバベルの塔」の姿だった。だが、それはまさに高い頂をもつ塔であり、特別な訓練なしには最上階への登り方さえ判らないような塔である。

英語の普及によって、確かに漱石のような「近代日本文学の日本語」は衰退するかもしれない。だが、英語もまた亡びるだろう。グローバルな流通は、かえって英語を殺すだろう。もし日本語の破壊を憂うならば、英語の破壊も憂えなければならない。なぜなら、グローバル化によって本当に亡びつつあるのは、情報伝達以外を目的とする言語の使用そのものだからだ。一読して即座に内容が理解できるようなテクストしか、もはや存在価値がない。そうでなければ、消費効率が悪いという話になる。

シェークスピアが「読まれるべき言葉」であり続けられるならば、漱石もまたそうなるだろう。それは社会の価値観の問題であって、英語が学術やビジネスの現場で「普遍語」になっていることと密接な繋がりがある。誰も英語以外の言語を骨折って、不自由ながら使ってみようとしないということは、理解の精度とスピードを上げることが至上命令だということだからだ。バベルの塔は、単一言語で建てられたとされる。だが、それは英語のような普遍語による世界の建設を意味するのではない。私は、バベルとは無数の言語が同じ未来を目指している状態、と定義したい。そうでなければ、私たちは限られた言語で、世界に向かって何かを言うことはできないだろう。語を超えて分け合えるものがあると信じていなければ、私たちは本当のグローバリゼーションを生き抜くことができないだろう。



日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村 美苗
筑摩書房
売り上げランキング: 244
おすすめ度の平均: 4.0
1 読む必要はない
3 主張に至る論理展開がいまいち
5 なるほど、戦に敗れるといふことは
かういふことだったのか‥。
5 読み出したら止まらなくなる
4 グローバルな世界に生きているということ





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2008年08月22日

アルバムジャケットの終焉?

ウィズ・ザ・ビートルズ8月17日付の『インディペンデント』紙に、「ロック・アートよ、安らかに眠れ?」と題された記事が載っていた。内容は、もう何度も言われて今さら誰も話題にしなくなった「アルバムアートの縮小化」についてである。ビニール盤からCDに移行したとき、ジャケットサイズは4分の1以下になってしまった。いまiPodの普及によって、ジャケット画像はもはや切手サイズである。これでは、ジャケットのアートワークに力を入れる意味がなくなるだろう。実際、ジャケットに使われる費用の平均は、ビニール盤時代の10分の1である、云々。

この記事を読みながら、ビニール、CD、iPodの三世代を経験した僕は、いろんなことを考えさせられた。1分間45回転で聴くビニールのシングル盤(いわゆるドーナツ盤)は、通常厚紙の包装紙の中に収まり、それを両面印刷の紙と一緒にビニール袋に入れて包装してある。紙の表には、歌手の写真やイメージを刷り、裏面には歌詞が印刷されているのが、いちばん標準的なタイプだろう。オールディーズに凝っていた頃は、よく昔のシングル盤を中古で購入した。洋楽の日本盤には音楽評論家による「解説」が付いていて、ときには訳詞しか載っていない杜撰なものもあった。逆に特典のシールやポスターが折り畳まれて入っている場合もある。

クール・ストラッティン+2これがLP(long play)盤となると、表紙と裏表紙があり、さらに中開きになっていて、歌詞が載っていたり、写真が載っていたりする。見開きで歌詞を見られることから「アルバム」という名前が付いた。もちろん、開けない、厚紙を合わせて綴じ合わせたタイプのLPも数多く存在する。ジャケットのアートワークは、このLPサイズで花開いた。誰もがシンボルとして挙げるのが、ビートルズのアルバムだ。すでに2枚目の『ウィズ・ザ・ビートルズ』でロバート・フリーマンによる陰影豊かなバンドフォトを起用した4人組は、『ラバー・ソウル』でわざと間延びした写真を使い、『サージェント・ペパーズ』や『マジカル・ミステリー・ツアー』でコスプレに挑戦し、『ホワイト・アルバム』では一転して純白のジャケットに通し番号を打った。『アビー・ロード』に至っては、「ポール死亡説」の伝説を生み出すほど、喚起力があった。ビートルズのアルバムは、まさにジャケットによって一つのまとまりを得ている、とさえ言える。

ロックにおける名ジャケットを延々と列挙することは慎むことにする。ただ、ロックよりも前に、ジャズのスリーブ・デザインはすでに洗練されていたことを言い添えておこう。とりわけ、レタリングと色調の選択において、ブルーノート・レーベルのジャケットは、一目見ただけでそれと判る特徴をもっている。クラシック音楽のジャケットはと言えば、基本的には作曲家または指揮者の写真やイラストを載せるだけで、あまり凝った作りはない。もちろん、宗教音楽にはルネサンスの宗教画をジャケットに用いるなど、多少の工夫は見られるが、とりたててオリジナリティを競う場ではない。カルロス・クライバーのように、被写体がかっこよければ、『ベートーヴェン交響曲第4番』のような躍動感あふれる個性的なジャケットも可能だが、たいていは緊張した面持ちの顔写真に終始している。

ベートーヴェン:交響曲第4番さて、CD化によって、アルバムジャケットはアートというよりも漫画っぽくなった、と僕は感じている。ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』を、LPサイズで見るのとCDサイズで見るのでは、感じられる毒の濃度が異なる。コールドプレイがドラクロワの絵をパロディーにしても(10年ほど前にドラゴンアッシュがしたように)、元が大きな作品なだけに、10センチ平方ではさほど強烈なインパクトはない。アートの力が発想や図柄だけでなく、サイズにも依存していることは、このことからも分かるだろう。思うにCD時代になっても、デザイナーはまだどこかでLP時代のインパクトを懐かしんでいるところがあるようだ。よくある「限定盤」は、たいていLP的発想に貫かれた厚紙ジャケットで、小さな文字を無理やりに並べたデザインもよく見かける。いい加減に発想を変えて、小さな画面とプラスチックケースを前提に遊ぶことを考えるべきである。

と思っていたら、iPodが出現した。iPodでアルバム画像を取り込むことには、もはやアイコンとしての意味しかない。写っているものの細部はiPod上では判然としないからだ。さらに言えば、iPodはそもそもアルバムという概念をほとんど成立させないオーディオ機器である。シャッフルやプレイリストによって、曲は元のアルバムから切り離され、別の文脈に載せられる。そのときアルバムは、単なる音情報の集合体でしかなくなる。ビニール盤ならば、リアルタイムで、1曲につき何センチの幅という風に、音楽の消費を時間的・空間的に把握できる。10分近い曲は、盤面を見るだけで判る。CDからは、そのような空間性が奪われ、ダウンロード可能なiPodからは時間性も失われた。実際、iPodでは収録曲の総時間よりも何MBなのかが問題なのである。それはもはや「作品」としてのまとまりに無関心な媒体であると言えよう。

Nevermindこう書いてくると、「作品」から「テクスト」へという、構造主義者が好んで語ったテーゼを思い出してしまう。確かにiPodは徹底したテクスト主義を強いる。音に付随してくる画像や厚紙の手触りや演奏者からのメッセージなどの外部情報−文学理論の用語で言えば「パラテクスト」−を無視して、ただ音だけを聴く。ひょっとしたら、そこには音との純粋な交わりのチャンスがあるのかもしれない。ちょうど作曲家も歌い手も知らない曲をラジオで発見できた時代のように。

ただし、ラジオと違って、iPodには使用者があらかじめ選んだ曲しか入っていない。音との交わりには、常に情報による選択が先行している。また、iPodの音質が悪いことはよく指摘されるところだが、そもそもiPodは基本的に屋外で聴くために作られており、最高の音質など望まないところから出発しているので、この批判にそれほど意味があるとは思えない。むしろ、そうした聴き方が個々の「テクスト=曲」の意味合いを薄めてしまうことが問題なのである。音楽における大量消費とは、単に音源の情報量の大きさを意味するのではない。いつでもどこでも聴ける状態を作り出すことで、「わざわざ」音楽を聴く時間を生活から奪っていることを意味している。

かつてビニール盤を聴くということが、特定の時間に特定の場所で特定の音に耳を傾けることだったとすれば、iPodとは任意の時間に不特定の場所(移動中も含めて)で音を聴く経験にほかならない。それが良いか悪いかということではなく、そうなっているのだということを認めざるを得ない。駅に着いたら、会社に着いたら、アルバムは途中で終わる。あるいは曲に飽きたら、すぐに写真や動画やゲームに切り替えられる。それを残念とも思わずに、当然と思うような感性こそが、大量消費を支えているのである。

そのような断片的な音の連なりに、もはやジャケットがまとまりとしての意味を付与しないことは、誰にでも分かるだろう。アルバムジャケットの終焉、それは必然的な状況で音を聴くことの終焉なのかもしれない。だが、嘆くことはない。そもそもビニール盤にしたって、CDにしたって、所詮は複製品なのだ。ある時ある場所である音を聞くことの必然性は、本質的にはすでに失われているのである。iPodはただ、そのことをあまりにも剥き出しのかたちで、そして高速で提示しているにすぎない。





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2006年07月29日

フランス語を話せれば

「何年くらい勉強したら、フランス語がペラペラになりますか」という質問をよく受ける。「ペラペラ」という漫画の擬態語みたいな表現がおかしくて、僕はいつも笑い出しそうになるが、相手はいたって真剣だ。ただ流暢に暗誦するだけなら、数ヶ月あれば十分だ。言いたいことをすぐに言える能力となると、話は違ってくる。外国語で話す際に必要なのは、むしろ手持ちの語彙でやりくりする力だと思う。最低限の表現を覚えた後は、どれだけそれを使いこなすかだ。その場合、何年という期間が問題なのではなく、フランス語とどれだけ頻繁に接するかが大事なんだと思うよ、と答えることにしている。

さらに留学中の日本人からは、「フランスに何年いたらペラペラになりますか」と訊かれることがある。それで思い出したのが、最近読んだ新聞記事。サルコジ内相は移民政策の一環として、不法滞在者でも就学児童のいる家庭については、6万人程度の正規化(régularisation)の措置を考えている、という情報が、先月パリ市内に流れた。これがなぜか「先着6万人に滞在許可証が与えられる」というデマに変わり、大量の不法滞在者が警察署に押し寄せた。
 
押し掛けた移民は、ほとんどが中華系だった。これには理由がある。サルコジの新しい移民法には、「フランス語会話能力をもたない移民」を狙い撃ちにしている。フランス語を話せない外国人はフランス社会に参画する気がない者と看做し排除する、というのだが、これに反応したのが華僑だった。イベリア半島出身者や北アフリカの旧植民地出身者は、訛りはきつくても、それなりにフランス語を操ることができる(ペラペラ喋ると言ってもいい)。だが、中国人には難しい。母語との隔たりが絶望的に大きいことに加えて、彼らは中国人コミュニティの中で暮らす傾向がある。だから、何十年フランスにいても、フランス語がまったく話せないというケースは稀ではないのだ。

もちろん、年齢によって学習能力は異なる。中華系でも、フランス育ちの子供たちは、ネイティブとしてフランス語を使いこなす。そこに目をつけて、バイリンガル教育というものが登場する。母語もろくに確立していない頃から外国語(おもに英語)を教えて、将来「ペラペラ」と話せるように育てるのだ。父親がラテン語で話しかけてきたモンテーニュや、家族が四カ国語で会話していたチャールズ・ベルリッツのような極端な例を引くまでもなく、家庭が多言後環境であれば、子供が複数言語の使用者(polyglotte)になる可能性は高い。

パリの学生寮で、隣りの部屋にアルメニア人の女の子が住んでいた。ソ連領だった小学校では、ロシア語が必修だった。11歳のときに彼女の家族はドイツに移住し、ドイツの学校では英語が必修になった。それからギムナジウムでフランス語を勉強したので、今は五カ国語が話せるという。また別のアルゼンチン人の友人は、中学時代をオランダのアメリカンスクールで過ごしたため、スペイン語と英語とオランダ語に堪能なうえ、フランス語も流暢で、ルーヴル美術館で学芸員の研修を受けていた。

こういう人たちに会うと、ようやくフランス語で話が通じるようになった程度の自分が情けなく思えてくるときがある。しかし、何も恥じることはないのだ。それこそ育ちが違うのである。僕たちは、日本にいるのが当然だという前提で生きている。だが、母国で一生を全う出来るというのは、じつはそんなに自明のことではないのだ。

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