2011年01月28日

See you soon, Carine! カリーヌ・ロワトフェルドが Paris Vogue を去る日

「カリーヌ・ロワトフェルドが Paris Vogue 誌の編集長を辞める」− 昨年12月、クリスマス前のにぎにぎしい時期に飛び込んできたヘッドラインに、目を疑いました。90周年記念の絢爛たる仮面舞踏会も成功させ、クリスマスには何をするのかと次の一手を待っていたというのに。

Carine-Roitfeld-01.png業界の人々だけでなく、カリーヌの身近で働いていたスタッフでさえも寝耳に水だったようです。発行元であるコンデナスト社がアナウンスする前にこのことを知っていたのは、リカルド・ティッシ、エディ・スリマン、アズディン・アライア、アルベール・エルバスといった親しい友人だけだったそうです。

辞職の理由について、インターネットではあれこれもっともらしい噂が流れています(ウィメンズラインを起ち上げる盟友トム・フォードともう一度タッグを組むため、最新号の内容がLVMHのトップの逆鱗にふれたせい、などなど)。しかし、どれも噂でしかないようです。カリーヌが最新インタビューで語っているように、「10年やった。もう十分。」というのが本当のところではないでしょうか。

痩せっぽち、ストレートヘアに、強い印象のアイメイク。唇と脚は基本裸のまま(女性版イギー・ポップと呼ばれたりもする)。そして口元にはいつも微笑み。スタッフを従え、彼女ならではの人目を引く着こなしで颯爽と現れるカリーヌは、一雑誌の編集長という立場を超えた存在でした。Tastemaker’s tastemaker と呼ばれ、何を着てくるかが常に話題となり、フラッシュを浴びていたあの人がショーのフロントロウに姿を見せなくなるなんて!

個人的には、カリーヌならではの誌面が見れなくなる事がとても残念です。大枚はたいて Paris Vogue を手に入れてきたのは、ここにしかない「自由」があったから。プロモーションにカタログめいた商品写真、シーン別着回しといったお役立ち情報にまみれた普通のファッション誌に食傷気味の身には、「私は私」を貫いて己の信じるクールネス、美しさを追求する Paris Vogue にはまさに解放区でした。ここまでやるか、という大胆な試みにドキドキさせられたものです。特に写真がすばらしかった。編集長の子供の名付け親でもあるマリオ・テスティーノを始め、有名写真家がこぎれいなファッション写真の枠をこえた作品をばんばん発表していました。

Paris Vogue Covers 1920-2009カリーヌの仕事の中で一番好きだったのが、ブルース・ウェーバーと組んで丸々一冊を作ったプロジェクト。このブログでもご紹介しましたが、プロンドのトップモデルと、黒い肌にあごひげを生やしたトランスベスタイトが、ミニのドレスを着て心底楽しげに笑っている表紙の写真は、まじりっけなしの Free Spirit そのものでした。世の話題になってやろうなんて姑息な計算高さとは無縁、「どう、いい感じでしょ?」という気持の素直な現れなのがありありで、とても気持がよかった。

雑誌での一連の大胆な仕事は、「自分はスタイリストである」というカリーヌの自意識のなせる技ではないかと思います。ハイティーンの頃モデルとしてファッション業界入りしてから、雑誌の編集にたずさわることはあっても、常にスタイリストとして仕事をしてきました。特に有名なのは、トム・フォードとともに、沈みかけていた老舗ブランド、グッチを再生させたこと。この大成功により、Paris Vogue のポストがオファーされたようですが、この時の仕事についてカリーヌはこう語っています。「トムは私を女の姿をした自分の片割れとして使った。デザインした服を、私ならどう着るか聞いてくるわけ。私は自分のことにかまけていればよかった。このシャツはどう着よう、どのバッグを選ぶ? ピアスをするならどんなタイプにする? そんなこと、がファッションの写真には大事なのね。シャツの袖をどうロールアップするか、どんな風にバッグを持つか、どうやって脚を組むか…そういった事がとても大きな違いを生むの。」編集長になっても、自分の雑誌のためのスタイリングをこなしてきたカリーヌにとって、ファッションとはつきつめたところ「素晴らしいもの、美しいものを、自分の感性に正直に装う楽しみ」なのかもしれません。
 
そんなスタンスを持つカリーヌに、Paris Vogue の編集長という肩書きはだんだん重たくなってきたのではないでしょうか。過去にもインタビューで、こう漏らしていました。「世界のファッションはちょっとばかり退屈になっているわね。お金、お金で、ショーに行くと、ハンドバッグをたくさん売りつけようとする空気を感じる。正直、私はハンドバッグが好きじゃない。ハンドバッグは持たないの。ハンドバッグを持った姿って、いいとは思わない。」ファッション雑誌の編集長なのに、そんなこと言っていいんですか!という発言ですが、今回の決断と全く無関係ではないように思います。(対極の存在と比べられてきたアメリカ・ヴォーグの編集長アナ・ウィンターとはそもそも、立ち位置が違う人なのです。世界中で120万部を売り上げる雑誌のトップという責任を負い、ハリウッドやセレブリティ、業界を巧みに仕切り話題と華やかな誌面を作り続けるウィンター女史と、スタイリストとしての自分にこだわり続けるカリーヌとを比べるのはお門ちがいというものでしょう。)
 
「ファッションとは、服のことじゃない。スタイルなの。」そんなモットーを掲げ、56年間の人生のほとんどをファッションの世界で生きてきたカリーヌ。編集長の職を辞したからといって、ファッションから離れることは決してないと信じています。片腕だったエマニュエル・アルトが後任に決まりましたが、任期が終わる1月末までの編集長カリーヌ・ロワトフェルドの仕事に触れてゆきたいと思います。




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2011年01月24日

チュニジアのジャスミン革命とその影響

チュニジア暫定首相退陣デモ、警官数百人も参加
l'express01.jpg■チュニジア暫定内閣のガンヌーシ首相の即時退陣を求める圧力が強まり、首都チュニスでは首相らベンアリ前大統領の与党・立憲民主連合(RCD)出身者の一掃を求める1000人規模のデモが23日も続いた。
■AFP 通信などによると、22日には、ベンアリ前政権下で独裁体制を支えた警官たちが数百人規模で反政府デモに加わった。最大労組のチュニジア労働総同盟(UGTT)も、引き続き暫定政権の解体を求める方針だ。
■街頭のデモ隊には、「首相や暫定内閣のメンバーはみんなベンアリの仲間よ。次の選挙まで待てないわ」(23歳の女子大生)などと主張する若者らが次々に加わっている。22日夕には、ロウソクの火をともして治安部隊との衝突で死亡した犠牲者を悼む集会も路上で行われた。
(1月23日、読売新聞)
★チュニジアの暴動に対する連帯がフランスでこれだけ広がったのは、チュニジア政府に抗議する市民の焼身自殺の映像が youtube で流れた影響も大きい。http://bit.ly/i6GH4M チュニジアでは路上で果物などを売ることが禁止されていたが、それで何とか生計を立てている人々も多い。事の始まりは警察が強硬手段に出て、行商人を逮捕し、商品を没収したこと。絶望したひとりが政府官邸前で焼身自殺を図り、その映像がネット上を流れた。http://bit.ly/gRJQl7
★チュニジアの検察当局は政権崩壊直後から、ベンアリ前大統領や親族の不正蓄財の捜査を始めた。観光業や不動産開発、銀行などを所有する一族の強欲ぶりと不正は、政権崩壊前から国民の怨嗟の的だった。特に夫人の親族の不正蓄財疑惑は、内部告発サイト「ウィキリークス」が暴露した「チュニジアの腐敗 お前の物は俺の物」と題された米公電(08年6月)でも詳述されている。一族が「マフィアまがい」とまで酷評され、政権崩壊の引き金のひとつになった。
★オバマ米大統領は「チュニジア人の勇気と尊厳を称賛する」との声明を発表。ベンアリ政権と強固で友好な関係を保っていた旧宗主国フランスも、デモによる政権転覆を支持する姿勢に転換した。その過程で、ミシェル・アリオ=マリ仏外相の発言が物議を醸した。アリオ=マリ外相はチュニジアの民衆の暴力を嘆きながら、治安維持とデモの管理にフランスが協力しようと申し出たのだった。「世界中に知られた私たちの治安力があればこの種類の治安上の問題を解決できる」とまで提案したのだ。フランス政府がフィヨン首相の声によってチュニジア警察の一方的な暴力の行使を強く非難したのはベンアリが失墜した翌日の木曜(1月13日)になってからだった。しかし土曜(15日)まではチュニジアのデモに対する明確な支持はなかった。フランス政府の反応は後手後手に回ってしまった。
★チュニジアの民衆蜂起が各地に飛び火している。周囲の独裁的な為政者たちが最も恐れていたことだ。中東のイエメンで23日、大統領の退陣を求める反政府デモが行われ、数千人が参加した。イエメンでは、20年余りにわたって、サレハ大統領による事実上の独裁体制が続く。大統領を名指しした大規模な抗議活動は初めてとみられ、当局は警戒を強めている。サウジアラビアでは、チュニジアの青年の焼身自殺に触発され、焼身自殺を図った60歳代の男性が21日、死亡した。アルジェリアの首都アルジェでは22日、野党勢力の民主化要求デモがあり、治安部隊との衝突で約40人が負傷。
★一方、イラン当局は23日、インターネットを利用した反政府活動やウイルス攻撃への監視を強化するため「サイバー警察」を発足。イランでは、09年6月の 大統領選での不正開票疑惑を機にネット上の呼びかけを通じて政権批判が活発化した。またチュニジアの反政府デモの動きがネットで拡大し、政権転覆につながったことが、「ネット」への警戒感を強めている。




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2011年01月19日

Radiohead "OK Computer"

当サイト管理人さまに言われた締切りをひと月も過ぎてしまい、さらには2011年を迎えてしまい誠に恐縮なのですが、わたくしの「2010年のベストCD」を今ごろ挙げさせて頂きます。

OKコンピューター選んだ基準は、「2010年の夜を最も多くの過ごしたお相手」です。それがコレ、Radiohead の "OK Computer"でございます。おぉ我が徹夜仕事のお供、…いや我が心の友よ、くらいの勢いでこのアルバムをエンドレスでかけながら、独りパソコンちゃんに向き合ったあの夜この夜そんな夜…(年が明けてもそれはあまり変わらんが)。

Radiohead が何年のデビューでどういう流れを汲むグループで、とか、これが何枚目のアルバムで、この時代は音作りがなんちゃらだから云々…的な音楽通のコメントはわたしにはできん。とにかく、眠気もピーク、心の荒み具合もピーク、…いまどきノーエアコンの住環境で暑さ寒さもピーク(ちょっぴし生命に危険すら感じるし〜)…そんな極限状態の深夜労働の脳と身体に、コレが効くのだ、沁みるのだ。

このアルバムが出たの1997年。日本では若者の間でピッチ(PHS)がブームで、数十文字のメッセージがカタカナで気軽に送れて「画期的よね♪」ってな時代ですよ、あぁた。インターネットなんてまだまだぜんぜん一般に普及しておらず、「コンピューター」というものに脅威や違和感を感じることができたおそらく最後の(?)時代ですよ。そのせいかどうかは不明ですが、まるで日進月歩のハイテクワールドや電光石火に流れゆく現代人の時間に抗うかのように、このアルバムはどの曲もぜんぜんピコピコっとしていないのだ(*ピコピコ←流行の電子音ばりばりで軽快なテクノポップサウンドのことを差してるつもり)!うーん、タイトルは“OK Computer”なのにぜんぜんコンピューターぽくないっ! だいたい“OK Computer”って意味もよくわかんないけどさ?

いくつかの曲でシャンシャンシャン…と小気味よく入る鈴のような音なんて、こりゃもうローテク感たっぷり(褒めてるんだ!)。わたしゃあ図らずも、保育園のお歌の時間に、「ジングルベール!ジングルベール!…… ほら!みんなが大きな声で歌うからサンタさんのそりが近づいてきましやよぉおぉお!!」と保母さんがハイテンションに声を張り上げて、自らの背後に回した手に隠し持った鈴を必死こいてシャンシャン振っていたのを思いだしたよ(クラスメートの半分以上は気がついてたんだよ、せんせ…)。いやぁ、こんな音を秋以降に聴いちゃったら、ちょっとしたクリスマスソング気分だわね。特に5曲目の Let down なんか、シャンシャンと優しく繰り返される音が、まるで街にしんしんと降りつもる雪のよう。やーん、ラブリーちゃんとのハッピーなホワイトクリスマスのデート気分を(殺風景な仕事部屋で)イリュージョンして独り遊びしちゃうぅぅぅ〜。

…しかしながら、ひとたび歌詞に耳を傾けてみると、けっこうイメージが違うのである。アルバム全体の流れとしては、おおまかに 【1. 世界への違和感・慟哭】 「たすけてくれ〜!オラぁもうだめだ〜!」→ 【2.やけくそモード】 「いーよいーよ。もぅ落ちるとこまで落ちますから」→ 【3.諦念・悟り】 「だけどオレら、なんとかかんとかこんな世の中やり過ごすんだよね」…である(わたしの解釈は間違っているかもしれんが、そんなことは知らん)。これを一晩中ノンストップで部屋中に響かせてご覧なさいよ。もう脳みそが眠ってる暇なんかないですよ。お蔭で、2010年もなんとかかんとか期限に間に合わせて仕事に勤しむことができました(この原稿は大幅に遅れてしまいましたが…)。

さて、どうでもいい話でここまでスペースを取ってしまったが、最後にひとこと言わせてほしい(←こういうことを言う奴は、だいたいひとことじゃ済まないんだぜ)。

わたしはトム・ヨークの声が好きだ。あの絞るような、ちょっと普通の精神状態すれすれな感じの危うい声がたまらん。痛みや官能に不意をうたれてつい出てしまった声や、無垢な赤ん坊がこちらの予想外にあげる歓喜の声なんかに共通する、一種のエロティックさを感じてしまう。三省堂神保町店の音楽本コーナーに行くたびに、ひそかに『トム・ヨーク すべてを見通す目』(シンコーミュージック刊)をぱらぱらしては買おうかどうか悩んでいることもここに告白しちゃうぜ。

…そして、トム・ヨークに思いを馳せるときにきまって蘇ってくる。当サイトの「2009年のベストCD」企画で、ロリー・ギャラガー賛を寄稿した奈落亭凡百がわたしにくれたメールが…(おうおう!やっぱりひとことじゃ済んでねえよ)。

奈落亭凡百は、音楽ど素人のわたしをバンドの世界に引きずり込み、絶叫アメーバ系(?)ボーカリストにしたてあげた人物である。怪人とも渾名されたドラマーであった彼は、いつもその個性的なすっとこビートで超ビビリな性格のわたしをうまいこと高揚させ、ライヴの間じゅう背中を押してくれたものだ。ぼろぼろに疲れきった肉体を抱えた癌闘病の末期も、ほぼ毎月のペースでライヴに出演していた愛すべき音楽狂いであった。2009年初秋のこと、当時はRadioheadの"In Rainbows"ばかり夜中にエンドレスで聴いていたわたしに奈落亭はこうメールをしてきた。

「トムはチビでヤセだけど、印税のせいか、すごくオシャレなの。歌詞はみんなトムが書いているから… 貴女も、ソングライターなどおやりになるがよろし…貴女のことばには拍動があるよ」

嬉しかった。奈落亭もおなじく Radiohead が好きだった。そして我々のバンドの全ての曲は彼が歌詞を書いていた。

2010年5月、彼は逝ってしまった。生前に一度も歌詞を書いて見せなかったことが悔やまれる。あのメールの前も後も、なんども歌詞を書くように言われていたのに…。

目下、奈落亭最後のバンドで共に活動してきたギタリストと新ユニットの準備をしている。
「あたしチビでもヤセでもないし、印税も入んないし、トムみたいにエロスたっぷりの声も出ないけど、いまは全部の歌詞を書いてるのよぉー」時どき、そんな届かぬことばをつい虚空に呟いてしまう。

…なんちゅう、おセンチモードにもしてくれるのが、わたしの「2010年のベストCD」“OK Computer”である。




Mlle.Amie

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2011年01月18日

村上隆のヴェルサイユ展(写真付で再掲)

18世紀の巨匠ダヴィッドの絵画を背景に小さな王冠を載せたかわいいポップな王様のフィギュアがたたずむ。この光景を許せない人々がフランスには存在する。現代アートで最も値のつくスターのひとり、村上隆の作品が9月14日から12月12日までヴェルサイユ宮殿で展示されることが公表されたとき、「ベルサイユ、モナムール Versailles mon amour 」と「マンガにノン Non aux mangas 」というふたつの保守系の団体がそれに真っ向から反対した。マンガやアニメにインスピレーションを受けた、村上の22点のフィギュアと絵画が―そのうちの11点はこの美術展のために特別に製作された―宮殿の大居室群、鏡の間、そして庭園に展示される。反対者たちは2008年のアメリカ人作家、ジェフ・クーン Jeff Koons の宮殿での展示に反対したメンバーと同じで、彼らはクーンの作品の展示を禁ずることを求めたが、ヴェルサイユの裁判所と国務院 Conseil d'Etat に却下された。しかし2009年のグザヴィエ・ヴェラン Xavier Veilhan ときには彼らは動かなかった。彼がフランス人だったからだろうか。ヴェルサイユ宮殿の館長、ジャン=ジャック・アヤゴンは「彼らは単に外国人が嫌いなだけだ」と切り捨てる。

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「ヴェルサイユ、モナムール」は3000人分の署名の入った手紙をアヤゴン館長とフレデリック・ミッテラン文化相に送り、デモも行う予定だ。スポークスマンは「ヴェルサイユの館長は、金を儲けたいなら村上の作品をオランジュリー美術館に展示すればいい。スペースがたくさんあるのだから。王家の居室に展示する必要はない」。また村上のセックスを暗示するいくつかの作品を槍玉に挙げる。今回は展示されないが、例えば射精している少年のフィギュア「ロンサム・カウボーイ」という作品だ。それもアヤゴン館長は極右の典型的な性の妄想だと退ける。

「マンガにノン」はフランス作家国民連合のアルノー=アーロン・ユパンスキ Arnaud-Aaron Upinsky が中心になって結成されたが、ルイ14世の子孫であるシクスト=アンリ・ブルボン=パルム公 prince Sixte-Henri de Bourbon-Parme の支持を受けている。村上隆は何か大変な人たちを敵に回している感じだが、彼らには保守らしい言い分もある。「私たちは文化的な遺産を外国人の利益のために使うべきではない。フランスには4万人の恵まれないアーティストたちがいる。それなのに、宮殿はニューヨークの公認アートのプロモートをしている」とユパンスキは告発する。「ニューヨーク、今度は日本の村上だって?」

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彼らはかつてのヴェルサイユの城主のことも気にかけている。「ヴェルサイユの傑作はルイ14世が理解できるものでなくてはならない。宮殿を村上の引き立て役のように使うことはルイ14世に対する冒涜だ」と反発する。これに対してアヤゴン館長は France 2 のインタビューで次のように反論していた。「ルイ14世は彼の時代のすべての革新と創造を見てきて、欧州全体で起こっていたこと全てを知りたがっていました。だから私はルイ14世が村上氏の作品により的確に心を動かされると思います。なぜならこれらのアプローチは何よりも適切で楽しいものだからです」

しかし興味深いことにアヤゴン館長は次の現代アート展を大居室群で行わないことを告知した。「小さな勝利」を歓迎する反対者たちをよそに館長はそっけなく答える。「私は彼らを喜ばせようとしているわけではありません。マンネリを避けるために宮殿のオペラ座のような別の場所が考えられるでしょう」。論争を避けるためじゃなくて?

この記事は下記の記事を参照した





ガーディアン(英)に掲載された美術展の様子

村上隆、フランスのラジオ、France Cuture に出演
★なぜかメアリー・ノートンも出演していて村上を絶賛していた。「私は何より彼のサイケデリックなところが好きで、特にキノコのイメージが大好き」。それに対して村上氏は「自分はドラックをやらないけど、ドラッグがもたらしたサイケデリック・アートは大好き」と。フランス人のインタビュアが村上氏に「今回の作品は、あの日本のカルト漫画『ベルサイユのばら』の幻想や記憶に呼応したものなのですか?」と聞いていた。フランスで「ベルばら」は「レディ・オスカル」というアニメによって知られているようだ。
★興味深かったのは「私はヨーロッパのアーティストたちとアイデンティティの在り処が違う」という発言。彼の場合、クライアントの依頼が最初にあり、それにいかに答えるか、いかにそれを超えるものを出していくかが問題なのだと。また村上氏のチームは100人くらいいて、彼らのコミュニケーションをとりながら作品を作ると。「芸術企業家」ならではの発想だ。また竹熊健太郎氏のツィート「今回のベルサイユ宮殿での村上アートに対する反発は、オタクの村上批判と真逆の立場からの反発だが、構造がまるで同じなのが興味深い。オタクはアートだから村上隆に反発し、フランス右翼はアートではないから反発している」も印象的だった。





cyberbloom

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2011年01月11日

2010年の映画 『こまどり姉妹がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』

2010年の日本映画は、東京基準より1年遅れとなるが、片岡映子の『こまどり姉妹がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』を1番に挙げたい(大阪では10年にならないと見ることができなかった)。これは、こまどり姉妹の歴史を映像でたどりながら、その合間合間に現在の二人のインタビューが挿まれるドキュメントなのだが、テレビでその姿を見かけなくなって久しい姉妹の今を知るとともに、「こまどり姉妹」とは何であったのかを知らしめてくれる、昭和世代の人間にとっては、非常に興味深い映画であった。

komadori01.jpg姉妹の芸能界デビューは1959年(昭和34年)。最初は浅草姉妹という芸名で、「こまどり」姉妹(鳥の名前が取られているのは、美空ひばりからの連想)となるのは、翌60年のことである。筆者もこの頃は幼くて、さすがにデビュー当時の姉妹のことは知らないが、その後、大きくなるにつれてテレビで二人の姿をよく見かけるようになった、と言うよりも、親がテレビをつけるといつも歌っていたと言った方が正確かもしれない。もちろん、他にも橋幸夫(1960年デビュー)や仲宗根美樹(同)といった歌手もいたはずなのだが、何故か記憶に残っているのは、こまどり姉妹なのである。どうしてだろうか。親がファンだったから。もちろんその可能性は否定できないが、さらに親の世代(1930年前後生まれの世代)が、世代として支持したからと言いたい。それをこの作品は教えてくれる。

釧路の貧しい炭鉱夫の家庭に生まれた双子の姉妹は、門付けをして歩く母親の後をついて回り、やがて子供ながらに歌うようになる。そして、13歳で上京(1951年)、21歳でレコード・デビューをはたし、その後は紅白にまで出場する人気歌手となる。この略歴を見てわかると思うが、二人のメジャー化の軌跡は日本の高度経済成長の過程とほとんど重なっているのである。貧しいときは、貧しい生活の歌を歌い。生活に余裕が出てからは、それをまた歌のテーマとする。こまどり姉妹とは、日本の経済成長を地で行くデュオだったのである。しかもそれをメロディーに乗せて歌い続けていたのである。ここに、私の親たちの世代がこまどり姉妹を聞き続けた(支持し続けた)理由があったのだということを、片岡の作品は教えてくれる。

映画は、二人の昔の写真や記録フィルムを映し出すだけでなく、その時代、時代の彼女たちの持ち歌を聞かせてくれるのだから、高度成長する日本とともに育った世代の人間にはたまらないノスタルジーである。ましてや、今のおじいちゃん、おばあちゃんの世代においては、こうした感傷はなおさらのことであろう。作品の枠としては、1組の芸能人の軌跡を追うことによって、そこに当時の日本の姿を浮かび上がらせるという形式が取られているのだが、この映画は人間の創造行為が時代の流れとは切り離せない営為であったことをひしひしと感じさせてくれる作品であった。

人の営為が時代を作り出してゆくという意味においては、年末に封切られたミヒャエル・ハネケの『白いリボン』(2009年、ドイツ/オーストリア他)は、両大戦間のドイツのある村で起こった不可思議な事件(農夫の妻の死、村医者の事故、少年の虐待など)を描いて、それらの事件が来るべき次の時代(ナチスの時代)を準備するものであったということを描き出す秀作であった。

劇中で次々と事件が起こるその村は、一見ミス・マープルの登場しないセント・メアリーミードを思わせてのどかなのだが、ハネケはいつもの通り、それらの事件に解決を与えるつもりは毛頭なく、映画はカフカの作品世界を思わせて幕を閉じる。

ハネケを未発見の人にぜひ見ていただきたい1本である。




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2010年12月31日

12月の一曲 Lhasa “I’m going in”(2009)

Lhasa2010年の締めくくりに、この年の始まりの日に37才で他界したLhasa(ラサ)のこの曲を選んでみました。
 
乳がんを告知されてから約2年。繊細さと土の香りが同居する独特の声と英語、フランス語、そしてメキシカンである父の言葉であるスペイン語によるユニークな歌世界が評判を浴び、モントリオール発の新しい才能として世界的に知られるようになった矢先の死でした。
 
亡くなる前の年にリリースされたサードアルバムに収められているこの曲で、Lhasaは、遠からず訪れる自分の「死」について率直に歌っています。嘆きでも、お別れの歌でもありません。「生」の世界から、未知の「死」の世界へ向かうことを前向きに捉えています。自分を囲む人々の事を切り捨ててしまった訳ではない。しかし、今の私は旅立つ事に心を傾けたい、と。たんたんとしていて、それでもこちらの顔をしっかり見ているような歌声に、はっとさせられます。
 
この曲のことを教えてくれたのは、同じカナダのシンガー・ソングライター、ルーファス・ウェインライト。彼は今年1月に最愛の母、ケイト・マクギャリグルを病で失っていますが、この曲を聴いて死に引き寄せられつつある母の立場がどんなものかを感じることができた、とインタビューで語っています。家族の事を思ってか、「死」について口にせず「生きる」ことに前向きな姿勢を取り続けていた母の、表に現れない内面について思いを巡らせることができたのは、この曲のおかげだと。

世の中が、当然の事のように、2011年へと脇目もふらず突き進む今このときに、Lhasaが残したこの歌を聴くと、違った景色が見えてきます。

“Don’t ask me to reconsider
I am ready to go now”

http://youtu.be/6CEjujV8FtM



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2010年12月30日

FRENCH BLOOM NET 年末企画(4) 2010年の重大ニュース

■1月27日のサリンジャーの訃報には、文学史的にはすでに故人になっていた作家が公式に亡くなった、という思いを抱きました。大学の仕事で、朝鮮籍の学生がフランスの入国ヴィザを取得できないことを知り、国家と個人の関係について、あらためて考えさせられたのも、大きな事件でした。個人的には、9月にパリで友人と会ったとき、フランス留学時代に知り合いだったアルゼンチン人学生が、大学寮にわざわざ戻ってきて飛び降り自殺したという話を聞いたのが、大変ショックでした。彼はベンヤミンの研究中でした。身近なところで起きた死は、いつも自分が生きていることの意味を問い直すきっかけになります。
(bird dog)

■頭の片隅にずっと残り続けているのは、ハイチのことです。エドウィジ・ダンディカが今は亡き父と叔父について書いた本を読む機会があり、地震前のハイチが背負っていた気の遠くなるような現実には頭を抱えたくなりました。ゼロに近いことしかできませんが、遠くから見守りたいと思っています。
(GOYAAKOD)

■サッカー日本代表のW杯ベスト16進出は、日本サッカー界にとって中長期的な観点からもたいへん意義深かったと思います。日本サッカー協会が中心となって、1980年代から本格的に「国際化」を目指した日本サッカー界は、

1993年:Jリーグ発足
1996年:28年ぶりのアトランタ五輪出場
1998年:フランスW杯初出場(3敗)
2000年:シドニー五輪ベスト8
2002年:W杯自国開催&ベスト16進出(2勝1分1敗)
2006年:W杯3大会連続出場(1分2敗)
2010年:W杯他国開催で初のベスト16(2勝2分(PK負けを含む)1敗)

と、着々とステップアップを続けています。世界的にみてもこれほど強化が順調に進んでいる国は稀であった&あるといえるでしょう。「坂の上の雲=W杯優勝?」まではまだまだ時間がかかるかもしれませんが、来年度以降も地道に日本サッカー界を応援していきたいとところです…。
(superlight)

■今年気になったのはやはり中国の台頭。フランスのニュースにも中国が話題に上ることが多くなった。2009年にフランスを訪れた中国人観光客による現地での買物額はロシア人観光客を上回り、フランスでの「ショッピング王」の座に輝いた。フランスのブランド品を買い漁り、ボルドーのシャトーを買収するのは、経済的な勢いのバロメーター。それはまさに80年代の日本の姿だ。
■1月末に、中国人がボルドーワインの蔵元を次々と買収しているというニュースを紹介した。ワインだけでなく、高級な肉や魚の旺盛な消費を牽引するのは、中国都市部に住む中産階層の人々。現在、約3億人に達し、年700-800万人のペースで増えている。今や世界経済はこれらの人々の消費に支えられている。
■フランス国内に目を向けると、パリだけで50万人の中国人が住んでいる。彼らは徐々に同化し、移民の第1世代に比べると経済活動も多様化している。第2世代の若者たちはフランスで生まれ、彼らはコンプレクスも持っていない。親の世代は中華料理の総菜屋だったが、2代目になると教育をきちんと受け、しかるべき仕事についている。公務員もいるし、プログラマーもいるし、ファション関係の仕事をしている者もいる。
■1年半前からパリの不動産に明らかな傾向がある。中国人の資金が入ってきている。中国人は最近では高級住宅街で知られる16区の建物にも興味を示し、ボナパルト一族所有の建物が香港のホテル経営者によって買収された。ニュースの映像を見る限りでは「シャングリラ」のようだ。現在ホテルに改装中だが、買収と改装の費用の総額は1500万ユーロ(約20億円)。108の部屋、35のスイートルーム。3つのフランス料理と中国料理のレストランが入る。中国本土でも中国人はますますお金持ちになり、フランスに旅行に来る。彼らを迎え入れるホテルを作っているわけだ。
■中仏両国は昨年12月、サルコジ仏大統領がチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談したことに中国側が反発し、関係が急速に悪化したが、中国はその後も「フランス無視」を続けてきた。しかし、今年4月初めの金融サミット(G20)で中仏外務省が共同で 「フランスはいかなる形式でもチベット独立を支持しない」という声明を発表、同日晩に首脳会談が実現した。11月にはフランスに国賓として招かれた中国の胡錦濤国家主席がサルコジ大統領と会談し、旅客機や原発分野などで巨額の売買契約に合意した。総額を約160億ユーロ(約1兆8千億円)と見積もられている。最大の契約は、エアバス社の旅客機102 機(総額約98億ユーロ相当)の売買。また、仏エネルギー大手アレバが今後10年間で、中国の電力大手に計2万トン(約25億ユーロ相当)のウラン燃料を供与することでも合意した。
(cyberbloom)

T.サルコジ、ピンチか?! ドミニク・ドヴィルパン前首相に無罪判決!
■1月28日、クリアストリーム事件に絡んで虚偽告発などの罪で訴追されていたドミニク・ドヴィルパン前首相に対して、パリの軽罪裁判所が無罪を言い渡しました。ドヴィルパン前首相は、1991年にフランスが台湾に売却したラ・ファイエット級フリゲート艦(台湾海軍の名称では康定級フリゲート艦)にからむ収賄疑惑で、当時彼の最大のライバルで、与党・国民運動連合(UMP)内部で2007年の大統領選挙における有力候補と目されていたサルコジ財務・経済大臣(当時)が関わっているかのように装い、サルコジ氏を失脚させようとした疑いがかけられていました。
■この事件は、台湾へのフリゲート艦売却に関して、一部の政治家が受注した企業から仲介手数料を受け取り、それをルクセンブルクに本店を置くクリアストリーム銀行の隠し口座に預けていたのではないかという疑惑をめぐり、2004年7月に、クリアストリーム銀行に隠し口座を持つとされるフランスの政治家のリストを含んだ匿名の告発状が、捜査を担当していた予審判事に提出されたことがそもそもの発端でした。そのリストにはサルコジのみならず、野党・社会党の大物政治家であるドミニク・ストロス=カーンなど与野党の有力政治家の名前があったのですが、捜査の結果隠し口座は発見されず、このリストは偽物だという結論が出されました。
■ところが2006年に、当時シラク大統領の下で首相を務めていたドヴィルパンが、04年に告発状が提出された際に、諜報機関・対外治安総局(DGSE)の局長であったフィリップ・ロンド将軍を呼び、リストに関する調査、特にサルコジ氏に関する調査を密かに行わせていたことがロンド将軍の証言から明らかとなったのです。さらにロンド将軍は、サルコジにあまり良い感情を持っていないとされたシラク大統領も同様の調査を依頼していたと証言したことから、ドヴィルパンとシラクというフランスのツートップが揃ってサルコジの失脚を企んでいたのではないか、という疑惑が持ち上がりました。このロンド将軍の証言に加え、告発状を提出した人物がエアバスなどを傘下に持つ航空・宇宙関係の大手企業、欧州航空防衛宇宙会社(EADS)のジャン=ルイ・ジェルゴラン副社長であると明らかになったことも、ドヴィルパンを窮地に追い込みました。なぜならジェルゴラン副社長はドヴィルパンと親しい関係にあり、さらに告発状と共に提出されたリストは、ジョルゴランが偽造した物であったことが判明したのです。このためドヴィルパンは、偽造リストの情報を得ると諜報機関に依頼してサルコジを捜査し、さらにはそのリストを公開することでサルコジの失脚を図ったと疑われてしまったのです。
■しかし、今回こうして無罪判決が出されたことにより、一応はドヴィルパンの無罪が明らかになったわけです。検察が翌日に控訴したため、まだまだ予断を許さない状況ではありますが、この無罪判決は2012年の大統領選挙で再選を目指すサルコジ大統領にとって、大きな脅威となりそうです。現にドヴィルパン氏は、新政党「共和国連帯」を立ち上げるなど既に大統領選挙を視野に活動を始めていて、5月に行われた一部の世論調査ではサルコジ大統領の支持率が38%だったのに対してドヴィルパン氏の支持率は57%と、不人気が噂されるサルコジ大統領の支持率を大きく上回りました。サルコジ大統領も脅威を感じているのでしょうか。11月に実施されたフィヨン内閣の改造では、野党・社会党からの入閣で注目を集めたベルナール・クシュネル外相や、中道派のジャン=ルイ・ボルロー氏が外され、シラク大統領派の大物であるアラン・ジュペ元首相が国防大臣に就任するなど、サルコジ大統領がかつてドヴィルパン氏と考えを同じくしていたシラク派(シラキアン)の懐柔・取りまとめに懸命な様子がうかがえます。
■しかし、支持率があまり芳しくなく、2012年の大統領選挙での再選は難しいとも言われるサルコジ大統領にとってドヴィルパン氏は意外な強敵となるかもしれません。2007年の大統領選挙では、第1回投票で与党のUMPでも、最大野党の社会党でもない中道派の第三政党・フランス民主連合(UDF)のフランソワ・バイル党首が、UMPにも社会党にも飽き足らない層の得票をつかみ、意外な健闘を見せたのは記憶に新しいところですが、ドヴィルパン氏も「第二のバイル」的な存在になるかもしれません。来年以降も、ドヴィルパン氏の動向から目が離せません。

U.劉暁波氏がノーベル平和賞受賞、フランスはしたたかな外交を見せる
■10月8日、今年度のノーベル平和賞の選考を行っていたノルウェーのノーベル賞委員会は、中国の民主主義運動活動家である劉暁波氏に対して平和賞を授与することを発表しました。
■劉氏は現在、「国家政権転覆扇動罪」という罪で有罪判決を受けて投獄されており、現在の中国共産党政府からすれば「民主主義を主張することによって、共産党政権を転覆させようとした犯罪者」というわけです。そのため中国政府は、劉氏が候補となった時点からノルウェー政府に対して圧力をかけていたのですが、委員会がそれを事実上無視して授賞を決めると猛反発、ノルウェー政府に対して猛烈に抗議・批判したほか、あらゆる方面で事実上の報復と思われる措置をとっています。変わったところでは、10月30日に中国の海南島で開催されたミス・ワールドのコンテストで、中国側から選考委員に対して「ミス・ノルウェーは低い点に抑えるように」という露骨な圧力がかけられたという話もあります。
■また、中国政府は授賞式に劉氏本人はもちろんのこと、公安当局に命じて妻である劉霞氏が住む自宅の周りに厳しい規制線を張ったり、電話回線を遮断するなど劉霞氏が外部と接触できないような状況に置いたほか、日本やフランスを含む各国に外交ルートを通じて授賞式に出席しないよう求めました。この欠席要求に対しては、ヴェトナムやロシアなど17カ国が応じました。わが日本政府はというと迷いに迷ったあげく、ノルウェー側が出欠を知らせなければならない期限に指定していた11月15日が来ても結論が出ず、その2日後の17日に、ようやく城田安紀夫・駐ノルウェー大使が政府代表として出席することで決着させました。日本からはこの他に、中国の民主化運動を独自に支援し、劉霞氏や支援者による人選で劉氏の「友人」として招待された民主党の牧野聖修衆議院議員が出席しましたが、菅総理大臣など首脳・閣僚クラスは1人も出席しませんでした。その一方で、フランスはこの欠席要求を一蹴する形で11月9日にサルコジ大統領本人が出席することを発表、予定は変更されることなく大統領が出席しました。フランスは、特にサルコジ政権になってから中国とビジネス・商業分野で関係を深めていて、特にこの時は、大統領の出席が発表された前週に胡錦濤国家主席が訪仏し、エアバス機102機の売却を筆頭とする総額約200億ドル(約1兆6000億 円)の契約を結んだばかりだったこともあって出欠が注目されていました。
■迷いに迷ったあげく総理大臣などの首脳クラスが出席せず、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件などとあわせて「中国に対して遠慮している」、「中国の顔色をうかがっている」と批判される今の日本政府。その一方で、巨額のビジネスを成立させた直後、普通ならビジネスへの悪影響を恐れても不思議ではない状況でも平然と大統領の出席を決めたフランス政府。今の日仏両国の外交スキルの差、特にフランスのしたたかさが明らかになった瞬間だったように思われます。

V.イギリスのウィリアム王子結婚へ!
■11月16日、イギリスのチャールズ皇太子(王太子)の長男であるウィリアム王子が、かねてより交際が噂されていたケイト・ミドルトンさんと2011年に結婚する予定であることがクラレンス・ハウス(ウェールズ大公チャールズの公邸)から発表された。
■ウィリアム王子自身はフランスとはあまり縁がないのですが、彼の母でチャールズ皇太子の前妻であるダイアナ妃はフランスと浅からぬ縁があることはよく知られています。チャールズ皇太子と離婚してからほぼ1年後の1997年8月31日、ダイアナ妃はパリで、当時の恋人で当時イギリスの老舗百貨店・ハロッズのオーナーだったモハメド・アルファイド氏(エジプト系イギリス人)の息子であるドディ・アルファイド氏と共に交通事故に遭い、36歳の若さで帰らぬ人となりました。アルファイド氏と共に乗車していたハイヤーがパパラッチに追跡され、その追跡を振り切ろうとした際の事故だったと言われています。当時、イギリス国内のみならず世界中で人気のあった「永遠のプリンセス」の急死は、世界中に大きな衝撃を与えると共に、この事故をきっかけに有名人を執拗に追いかけるパパラッチに対して強い批判が集まったことや、バッキンガム宮殿に半旗が掲げられないことから「王室はダイアナの死を悼んでない。」との非難が上がり、当時の世論調査で王室廃止賛成派が反対・存続派を上回ったことは有名な話です。
■あれから12年余り、ウィリアム王子は弟のヘンリー王子と共に成長し、今ではチャールズ皇太子を上回る人気があります。チャールズ皇太子のカミラ現夫人との結婚も大きな要因とされていますが、何と言っても彼の顔、最近でこそ髪の毛が若干後退してきていますが、彼の顔に残るダイアナ妃の面影も、彼の人気の1つの要因でしょう。さらに、この結婚報道を機にウィリアム王子(さらにはケイトさんも含めて)に対する人望は高まっているようで、イギリスの新聞「サンデー・タイムズ」が行った世論調査の結果によると、調査に答えた人の56%が「次期国王はチャールズ皇太子ではなく、ウィリアム王子がふさわしい。」と考えているとのことだそうです。ダイアナ妃の死で批判を浴び、何とかカミラ夫人と再婚にこぎ着けたものの、国民からあまり良く思われていないチャールズ皇太子や、本来であればチャールズ皇太子(ウェールズ公)の夫人であるので「ウェールズ公夫人(プリンセス・オブ・ウェールズ)」という称号を名乗れるはずのところを、国民感情に配慮して別の称号「コーンウォール公爵夫人」を名乗らざるをえなかったカミラ夫人とは対照的な印象です。
■ウィリアム王子&ケイトさんカップルの動向には、今後とも目が離せません。それにしても、どうもチャールズ皇太子夫妻は再婚後不運なのでしょうか?先日(12月9日)には観劇に向かっていたチャールズ皇太子&カミラ夫妻が乗る専用車が、大学の学費値上げに反対するデモ隊の一部と遭遇し、暴徒化したデモ参加者によって襲われたそうです。幸い夫妻にケガは無かったものの、2人の結婚式の際にも使用された専用車は窓ガラスを割られたりペンキをかけられたりで散々な有様だったそうです…お気の毒としか言いようがありません。
(Jardin)



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2010年12月27日

FRENCH BLOOM NET 年末企画(3) 2010年のベスト本

『意識に直接与えられているものについての試論』
意識に直接与えられているものについての試論 (新訳ベルクソン全集(第1巻))■今年、本当に驚かされた一冊は竹内信夫訳ベルグソン『意識に直接与えられているものについての試論』(白水社)である。何と個人全訳による『新訳ベルグソン全集』の第1巻だそうで、全7巻+別刊1の構成になるとのこと。これから恐らく10年くらいに亘って続々と新訳が刊行されることになるのだろう。竹内氏は東京大学教授を務められたフランス文学者であり、マラルメ研究の泰斗として、長く後進の指導に当たって来られた。と同時に、仏教・インド哲学の研究者としても知られ、空海に関する著書もある。その竹内氏が、今度はベルグソンの個人全訳に挑むというから驚かされない訳には行かない。実は竹内氏は遥か昔からベルグソンを愛読していたそうで、この仕事は彼の集大成になるのかもしれない。まさに彼ならではの翻訳が生み出されて行くと思われ、いまから全集の完成が期待される。
(不知火検校)

■今年もいろんな本を読みましたが、ウェルギリウスとかジョイスとか、古典的な書物が大半です。比較的新しい本では、ヴィクトル・ペレーヴィン『チャパーエフと空虚』とオルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』が印象的でした。前者はソ連創成期のロシアとソ連崩壊後のロシアを時空を超えて繋げたうえで、そのすべてが妄想=フィクションであることまで見せてしまう、現代小説らしい力業です。後者はポーランドの女性作家による、キノコ的エクリチュールとでも呼ぶべき、中心をもたない不思議な小説。ずっと愛読者だった詩人の長田弘さんと仕事でお話する機会を得たことも、嬉しい思い出として付け加えておきます。
(bird dog)

チャパーエフと空虚昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)

『天国は水割りの味がする−東京スナック魅酒乱』
天国は水割りの味がする~東京スナック魅酒乱~■今年も様々な本との出会いがあり、至福のひとときも味わいましたが、今年出版された本の中でお世話になったのがこの一冊。One and Onlyな感度で未知の世界への扉を開く都筑氏(広島での企画展もおもしろかった)ですが、今回はスナックです。ミシュランと銘打たれている通り、48軒ものお店が粋なコメント、写真多数で紹介されていて、ガイドブックとしても十分楽しい(会社四季報よりぶ厚いのが難点ですが)。しかし、都筑氏がカウンター越しに聞き出したマスター、ママ達のとわず語り、昔語りがなんとも酔わせてくれます。スナック開店までのいきさつも本当に様々、「波瀾万丈」という滅多に使いたくない四文字言葉がぴったり。(昔はお酒が全然ダメだった、という人が多いのはオドロキでした。)営業している街の変遷・時代の移ろいが透けて見えるのもおもしろい。何より、この商売を選び毎晩店を開けるマスター、ママの「人が好き」なホスピタリティーが通奏低音になっていて、読んでいる方も相づちうちながらなんだか元気になってしまうのです。これも、あくまで「お客さん」の立場で、でしゃばらず聞き役に徹した都筑氏のいい仕事のおかげかと。
■なんだかやる気がなくて、という時に気に入ったお店、まだあまり「訪問」していないお店の頁をめくってました。しんどい時にはいつでもおいでヨ!っていうこの本のスタンスこそ、スナックそのものでしょうか。カットに使われているオトナの漫画家 小島功の『まぼろしママ』がこれまたいい感じ。
虹色ドロップPlus 1
『虹色ドロップ』
■昨年紹介した夏石鈴子さんのエッセイ・書評をまとめた本がでました。エッセイを読むと、書き手の生活と意見を通じて良くも悪くも書き手に「触れ」てしまうものですが、いろいろあった日々(かなりな事態が進行してゆくのです!)をさらりとユーモラスに綴る文章から、夏石鈴子という心底気持ちのいい人がくっきりと浮かびあがります。読むといつのまにか気持ちがぐっと明るくなる、元気の出る一冊。
(GOYAAKOD)

『フレンチ・パラドックス』
フレンチ・パラドックス■今年最も話題になったフランス関連本のひとつに榊原英資の『フレンチ・パラドックス』が挙げられるだろう。「フレンチ・パラドックス」はもともとフランス人が肉や脂肪をたくさんとっている割には肥満が少なく健康的である医学上の不思議のことを言うらしい。この言葉が最近使われたのは2001年にITバブルが弾けたとき、ほとんどその影響を受けなかったフランスを評するために米『フォーチュン』誌が「フレンチ・パラドックス」というタイトルで特集を組んだ。当時のジョスパン首相は「フランスは今や世界経済の機関車になった」と息巻いていた。
■一方榊原氏の「フレンチ・パラドックス」は大きな政府で、公費負担が大きいのに(さらにあれだけの大規模なデモやストをやってw)なぜ文化的にも経済的にもうまくいっているのか、という経済上の不思議だ。折りしも米の中間選挙で共和党が躍進したが、我々日本人の「小さな政府」信仰は本当に正しいのだろうかと問うている。「ミスター円」と呼ばれた元財務官の「大きな政府」礼賛論なので、多少は割り引く必要があるのかもしれないが、日本とフランスを比較した興味深いデータや指摘も多い。例えば、国が再分配する前の相対貧困率はフランスが24%、日本は16%。市場段階では仏の方が格差が大きい。しかし日本の所得再分配後の貧困率は13%だが、フランスは6%と半分以下になる。日本は市場ベースで欧州の国々よりも貧困率が低いにも関わらず、再配分後にはアメリカに次ぐ最低の貧困国家になる。経営者や金融機関のトレーダーが莫大な報酬を受け取る一方で、その日の食事にも事欠く人々が数千万人もいる国に追随しているわけだ。
COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2011年 01月号 [雑誌]■フランスではGDPの3分の1に相当する4000億ユーロの年間売上高が仏の上位50の大企業に集中している。つまり再編で大型化した企業が国の経済を牽引しているわけだが、政府が出資して発言権を確保しているからこそ、男女差別の禁止や産休制度、企業の保険料の大きな負担など、様々な規制がスムーズに実施できた。そういう大企業は国際競争力が弱いのかと思いきや、最近、日本の高速道路の建設や運営に仏建設最大手ブイグ Bouygues や仏高速道会社エジス Egis が進出しようとしているニュースがあったし、すでに千葉県・手賀沼の浄水事業を水メジャー、ヴェオリア Veolia が受注したり(これに対し石原都知事が「フランスごときが」と発言)、「親方トリコール」企業は海外にも強いことが証明されている。
■社会保障が整備されていない状態で雇用を流動化している日本は、一旦解雇されると裸で放り出されることになり、個人にかかるストレスが非常に大きい。それを見てビビりあがった既得権益者は、既得権益にいっそうしがみつくようになってしまった。それが今の状態で、そうなるとますます変化に対応できなくなる。競争によって効率性を高めるためにも、スムーズな産業転換のためにも社会保障は必要なのだ。フランス社会は低所得者の比率が高く、少し前に森永卓郎氏が言っていた年収300万円時代がとっくに到来している。それでも生活に豊かさが感じられるのは社会保障が充実しているからだ(この豊かさをフランス人の具体的な生活において実証すべく Courrier Japon も特集を組んでいた)。フランスの「やや大きな政府を持ちつつ、子育てと教育に予算を傾斜配分し出生率を高め、国力を伸ばすという戦略」は日本でも可能だと榊原氏は言うのだが。
■榊原氏は今年『日本人はなぜ国際人になれないのか』も上梓。明治以来の翻訳文化が日本人を内向きにしているという議論である。翻訳文化は欧米に追いつけという段階では合理的なシステムだったが、外国に情報発信していくという観点からは弊害になると。
(cyberbloom)




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2010年12月25日

FRENCH BLOOM NET 年末企画(2) 2010年のベスト映画

■今年の一本、それは若松孝二監督の『キャタピラー』です。ベルリン映画祭で寺島しのぶが主演女優賞を受賞したことでも話題になりましたが、私の関心はむしろ彼女の相手役の演技でした。戦争で四肢をもぎととられたその夫は村の中でお国のために戦った「神」と崇め奉られます。パロルも奪われ、ただ本能のまま生き続ける彼の姿は奇妙な事に「滑稽さ」と「グロテスク」を融合させ、純粋な「狂気」へと昇華されます。パロルから遊離した純粋な身体表現がこれほど衝撃的だったとは!何回も見てみたい映画です。60年代、70年代の若松映画の中の身体表現は私の興味のひとつで、女体だけではなく男の身体表現に於いてもこの問題の映画で完成の域に達しています。もし若松映画に興味を持たれた方は、『ゆけゆけ二度目の処女』(1969)や『犯された白衣』(1967)や『水のないプール』(1982)を是非みて下さい。先日、監督に直接伺った話では、(高齢にもかかわらず)「俺はまだまだ映画を撮るよ。次は三島をテーマにした映画だよ」と豪語していました。私は、彼が映画の中でいかに身体の可能性に挑戦するか、つまり先鋭な身体の皮膚感覚の表現に密かに注目しています。
(里別当)

息もできない [DVD]■今年もいろんな映画を見ました。こちらはほとんどが映画館で見た新作です。このFBNでも何作か感想を述べたので、それは省くと、『息もできない』を挙げたいと思います。暴力が惰性になるのは、人間としていちばん悲しい光景です。リヴァイヴァル上映の『動くな、死ね、甦れ!』も衝撃的でした。とくにラストシーン、こんな映画は見たことがありませんでした。あとは『SRサイタマノラッパー』も、意外に心に残っています。『アンヴィル!』と見比べると面白いかもしれません。
(bird dog)

1.三池崇史『十三人の刺客』
2.クリストファー・ノーラン『インセプション』
3.クリント・イーストウッド『インビクタス―負けざる者たち』
■今年は話題作が目白押し。イーストウッドの上記新作の他、ティム・バートン監督『アリス・イン・ワンダーランド』、リュック・ベッソン監督『アデル―ファラオと復活の秘薬』などのベテラン勢が健在ぶりを示し、ジブリからは米林宏昌監督が『借り暮らしのアリエッティ』でデビューを果たすなど、明るい話題もあった。その一方、邦画は相変わらずテレビ番組からの派生物が多く、竹内美樹監督『のだめカンタービレ最終章(後篇)』、本広克行監督『踊る大捜査線3−やつらを解放せよ!』、波多野貴文監督『SP野望編』などが次々に公開されたが、これらには新しい観客を獲得しようという意気込みが欠けているように思われた。そんな中、フランス映画ではパスカル・ボニツェール監督『華麗なるアリバイ』が久々に見ごたえのある演出を見せてくれたのが嬉しい。さて、本来なら鬼才C・ノーラン監督の最新作『インセプション』が文句なしでBEST1になるべきところなのだが、最終段階で三池崇史監督『十三人の刺客』をどうしても推したい気分になった。実際、これまで挙げた10本の中で最も強烈な印象を受けたもので、とりわけラスト30分以上に亘って続く戦闘シーンは日本映画史の上でも記念碑的なものとして長く語り継がれることになると思われる。
(不知火検校)

インビクタス / 負けざる者たち [DVD]インセプション [DVD]ニューヨーク, アイラブユー [DVD]

”New York, I Love You”
■パリを舞台にしたオムニバス「パリ、ジュテーム」の続編。ニューヨークの街角で出会う様々な男女、恋人たち、夫婦たちのそれぞれの小さくて静かなドラマはより人間臭く感じました。様々な人種、宗教、文化、言葉が交錯するニューヨークを舞台に、いろいろな国の監督たちが撮ったこともあってか、「パリ、ジュテーム」とはまた一味違う愛の形を見せてくれます。
■個人的なお気に入りはブレット・ラトナー監督のセントラルパーク(モテない君のプロムの夜編)とジョシュア・マーストン監督のブライトン・ビーチ(老夫婦のお散歩編)です。ちなみに岩井俊二監督が撮ったオーランド・ブルームはある意味『テッパン』と言ってもいいでしょう(笑)。女子にとっては王子さま…なんですね。
(mandoline)

冷たい雨に撃て、約束の銃弾を [DVD]ペドロ・コスタ『何も変えてはならない』
ウニー・ルコント『冬の小鳥』
ジョニー・トー『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』
■映画。とりあえず3本。
(MANCHOT AUBERGINE)

『海の沈黙』 
■ジャン・ピエール・メルヴィル監督の人と作品に惚れ込んでいるものとして、幻のこの作品をついに劇場で見ることができたのは、何よりの収穫でした。代表的なレジスタンス文学で、戦中密かに読まれた小説の映画化。自らもレジスタンスであったメルヴィルにとって、重い意味を持つ作品です。
海の沈黙 HDニューマスター版 [DVD]■ドイツ占領後のフランスの片田舎。突然同居人になったドイツ軍将校に、まるで彼が存在しないかのように振る舞い、完璧な沈黙で抵抗する叔父と姪。しかし、知的で好人物の将校は、毎晩炉辺の二人に流暢なフランス語で真摯に語りかけます。私はフランスとその文化を深く愛している、こういう形になったけれどもドイツとフランスが結ばれればきっと豊かな収穫がある。無視を決めこんではいるものの、二人の気持ちは揺らいでゆきます…。
■結局何事も起こらず将校は去ってゆくのですが、この沈黙の下のせめぎあいがとてもスリリングでおもしろい。姪に対し、将校はあきらかに好意を持ち、その優しい一瞥を心待ちにしている。姪の方も、こういう状況でなければ非礼な振る舞いを受けるに値しない紳士を拒絶し続けることが苦しい。しかし、沈黙を捨てることは許されない。表情一つ、仕草一つに、見る方はドキドキさせられっぱなしです。
■出来事らしいことは何もなく、若い二人の間にも何も生じず、地味この上ない映画です。しかし、その削ぎ落とした設定と濃密な時間は、これでもかという派手な展開と作り込んだ画面の最近の映画に曝されている身には、とても新鮮でした。
■姪を演じる女優に、家族ぐるみの友人で映画未経験のニコル・ステファーヌを起用したことも、メルヴィルの偉いところ。将校があこがれるフランスの美を暗に象徴する姪に、わかりやすい美人女優が扮していれば、別の映画になっていたかもしれません。繊細で澄んだ眼差しの彼女が将校に見せる横顔は、映画に静かな興奮と緊張感をもたらしてくれています。
(GOYAAKOD)

0655&2355
■映画作品ではありませんが、今年一番多く観た「映像」ということで選ばせてもらいました。NHKの洒落た時報じみた番組で、朝の6時55分と夜23時55分から5分間放送されています。なんともほのぼのとした映像で、「0655」だと『忘れもの撲滅委員会』『2度寝注意報発令中』などの「おはようソング」や「日めくりアニメ」、読者投稿の犬や猫の写真、「がんばれ weekday」という写真映画(この作品の蒼井優がめちゃくちゃかわいい)、そして「2355」だと番組構成は「0655」とほぼおなじですが、たとえば「おはようソング」が「おやすみソング」にかわり1日の終わりをテーマとしたものになります。ぼくはどちらかというと「2355」をおもに視聴していますが、みなさんもぜひ一度ご覧ください。1日の疲れがどっと抜け、ふにゃっと全身の力が抜けて、すっと眠りに入りこんでしまいます。なお、公式HPはこちらです。http://www.nhk.or.jp/e2355/
 
『トイレット』
映画「トイレット」オリジナルサウンドトラック■私の今年一番印象に残った映画は、『バーバー吉野』『かもめ食堂』でおなじみの荻上直子監督、3年振りの新作『トイレット』だ。私は荻上監督の映画のファンの一人である。私が、荻上監督の作品に興味を持ったのは、母の影響である。私が高校生のときだったと思う。夕方家に帰ると、真っ暗な部屋の中でTVを見つめる母がいた。それは私にとって異様な光景だった。というのも、母は普段、せかせかしている。朝から夕方まで仕事でバリバリ働き、夜は5つくらいある習い事を日替わりで通っていた。その年になって馬みたいによく動いているなぁと関心するほどの人だった。しかしそのときの母は、普段のせかせか母とは明らかに違っていた。母はTVの画面をただただじっーと見つめていた。私は怖くなって、急いで電気をつけ、母の隣に座った。TVでは、子供たち吉野刈り(いわゆる坊ちゃん刈り)にされることに激しく抵抗するシーンが流れていた。その映画は荻上監督の作品『バーバー吉野』だった。この出来事は荻上監督の映画を見る大切なきっかけになった。
■『トイレット』は、友達を誘って平日の映画館で見た。月曜日の昼だったので、人が少ないことをかなり自信を持って予測していたが、満席に近い人がいた。若い男女もいたが、ほとんどが年配の奥様、オジ様達だった。上映が始まると、すぐに映画の世界に引き込まれていった。ふと客席から笑い声が聞こえてくることに気がつく。この映画では、客席の人たちが躊躇せずに笑う。しかもその声が聞こえても、嫌な感じが全くしない。むしろ笑い声によって客席の人たちと映画を共有している感じがした。この映画は、コメディでもなく、シリアスなものでもなく、一言でいうと、「シンプル」な映画である。余計なものが一切ない。だから、素直に心に入ってくる。今自分自身に足りないものを上手に補ってくれるような映画だった。
(よーちる)
http://www.cinemacafe.net/official/toilet-movie/




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2010年12月20日

FRENCH BLOOM NET 年末企画(1) 2010年のベストCD

マニフェスト■今年もいろんな音楽を聴きましたが、新譜はほとんどありません。ふだんの生活圏にCD屋がないせいでしょうか。近所のレンタルショップで借りたCDをiPodに入れて、通勤のバスで聴いていました。今年出たものの中では、ライムスターの新作『マニフェスト』が面白かったです(「K.U.F.U.」とか)。あとは「キャベツ頭の男」さんに音源を貰った数百曲を楽しませてもらいました。エグベルト・ジスモンティの音楽は、嬉しい驚きでした。
(bird dog)

■CDではないが、ピアニスト小山実稚恵の活動を今年のベストに挙げたい。小山は1982年チャイコフスキー・コンクール3位、1985年ショパン・コンクール4位という快挙を成し遂げ、今年デビュー25周年を迎えるベテランのピアニストである。10月にショパン・コンクールの審査員を務めたことも去ることながら、2006年から『音の旅』と題した全24回、12年間に亘って続く壮大なシリーズもののピアノ・リサイタルを続けていることに喝采を送りたい。今年は秋に第10回目のリサイタルが開かれたが、素晴らしいものだった。毎回のコンサート毎にテーマが決められ、それに沿った曲目が選ばれている。今回は「究極のロマンティシズム」と題し、シューマンとショパンが演奏された。来年は春が「研ぎ澄まされる耳・指先」と題し、ドビュッシーなどが演奏され、秋が「音の洪水」と題し、ラフマニノフなどをやるらしい。24回目のリサイタルが開催されるのは2017年の秋。その時、小山はどんな音を聞かせてくれるのだろうか。
(不知火検校)

Peter Wolf "Midnight Souvenirs"
Midnight Souvenirs■告白します。ロックは所詮若いもんが作る音楽と思ってました。ローリング・ストーンズという絶対の例外は別として、いい年になったロックの人の作るものは、Good Musicであってもロックじゃないよなと。
■そんな私をとっても恥ずかしい気分にさせてくれたのが、ピーター・ウルフのアルバム。今はなきJガイルズ バンド(Centerfold!)のフロントマン、フェイ・ダナウェイの元旦那という、絵に書いたようなロックスター。まだレザーパンツが似合う姿ながら65に手が届かんとする彼が、久しぶりに放ったこの一枚は、いやーカッコよいです。ほどよい抜け感があって、これでもかというくらいロックのツボをスパーンと押してきます(こんな絶妙なタイミングで放たれた”C’mon!”を聞くのは久しぶり)。しかしベテランの味、年寄りの役得とレッテルを貼るのは大間違い。いい日も悪い日もあったけど自分の本当に好きな音を大事にしてきた人が、ふっと肩の力を抜いて気の向くままにやってみたら凄いことになりましたよ、という感じです。豊穣とかコクという大げさな言葉より、軽やかさとひとつまみのストイシズム、が相応しい。
■説教なし、自讃なしの気負わない歌詞も、素直に耳に届きます。カントリー界の大兄イ、マール・ハガードと低音で囁くラストナンバー、Is it too late to love? なんて、人生の穴ぼこを覗いているようです。(日本ではこういうことは望めないもんかね、と嘆いていたらこの曲を耳にしました。http://youtu.be/5vEwXCwvA0Y 作者は若者みたいですけれど、Julie with The Wild Onesがプレイすることで、同年代の千々に乱れる心もようの歌になっていて、身もふたもなくて、すごくおもしろい。)
(GOYAAKOD)

Chateau RougeLa Demarrante

■CD、とりあえず3枚。
□Diving with Andy,"Sugar Sugar"
http://youtu.be./KV5A2fuZnVo
□Abd Al Malik,"Chateau Rouge"
http://youtu.be/06S7oMLvl2w
□Marie Espinosa,"La demarrante"
http://youtu.be/F-AP7Id4Tjc
(MANCHOT AUBERGINE)

アニメンティーヌ~Bossa Du Anime~■なんやかんや言って2010年は『アニメンティーヌ~Bossa Du Anime~』がいちばん話題性があったのではないか。クレモンティーヌは何か吹っ切れた感じがする。「ゲゲゲの鬼太郎」のカバーが入った2枚目ももう出ている。7月にリリースされ、オリコンの週間アルバムランキング(全体)で18位まで浮上したのは9月6日。洋楽チャートでは1位の快挙。忘れてはいけない、このアルバムはフランス語で歌われているのだ。ポルナレフ以来の出来事かもしれない。学生と一緒に聴いたが、これほど世代を超えて共有されているネタはないだろう。いつしかイントロ当てクイズ大会となっていた。アレンジも悪くない。クレモンティーヌは来日して「ほぼ日刊イトイ新聞」で Ustream ライブも配信していた。今年は坂本龍一や宇多田ヒカルのように大掛かりなライブを中継するというのもあったが、「ほぼ日」内の小さな会議室で気軽に演奏して、その映像を Ustream で流してしまうというのも、今年の象徴的な風景だった。
■今年から Twitter を本格的に始めたが、TL 上ではいろんな人が #nowplaying! していた。毎日レアな音源をアップする人をフォローしたり、ピンポイントで音楽の話が出来たり、昔同じシーンを共有していたことを確認したり。それは明らかに音楽の新しい共有の形だった。
■日本では平沢進の名前が目についた。『けいおん!』とかいうアニメのサントラをやっていたり、今年亡くなったアニメ作家、今敏とは親友だったり。8月にやっていたNHK・FMの12時間特別番組「プログレ三昧」でP-Model の前身バンド「マンドレイク」が最高得票数を獲得していたが、それは若い平沢ファンの投票によるものだった。
■ときどき youtube には思いがけない動画が見つかる。今年最も萌えたのが ”Mika plays Tarkus”。この若くて美しいマリンバ奏者のことはよく知らないのだが、ELP の組曲「タルカス」に合わせてマリンバを演奏している。やる気がないのか、楽しいのかよくわからない表情も良いが、マリンバの軽やかな、かつ呪術的な響きがこの曲にすごくあっている。プログレのカバーアルバムを作って欲しい。
(cyberbloom)

Lisztomania: Remixes [12 inch Analog]■今年の一枚?に出会うまでの短くも膨大な道のり:「今年の一枚、ということでおすすめの音楽について書いてみませんか?」2010年11月、cyberbloom さんからのお誘いに喜び勇んで「ぜひ!」と名乗りを上げたはいいけれど、そういえば今年はほとんどCD買ってなかった…エディタを前にハタと困ってしまった私。さてどうしよう。振り返ってみれば今年はネットラジオと音楽紹介サイトの恩恵を享受し続けていた1年でした。
■今年の1枚、を語れないのでその辺のご紹介を少し。洋楽(主に踊る系)が好きな私が今年特によく活用していたのは海外のネットラジオステーションの http://www.filtermusic.net/ です。CMとMCは一切なし、厳選した音を流し続ける局が世界中から集められているのですが、その数およそ340局。セレクトがツボにはまれば好みの局は一日中でも聴いていられるのですが、ほとんどの局がリアルタイムのプレイリストを公開していて、流れている曲名、アーティスト名をすぐにチェックできるのも魅力の一つです。
■音楽紹介サイトについてはこちらも海外のものになるのですが、http://www.etmusiquepourtous.com/ こちらのサイトをよくのぞいていました。ほぼ毎日のように更新され、美しいビジュアルイメージとテーマに関する記事、そしてMP3音源がアップされています。「最新の音楽、素晴らしい音楽をお届けするために日々奔走している」と述べる彼らのピックアップしている曲は多少の偏りがあるように思えるもののエッジが効いたクールなセレクト(私見です。スミマセン)。どっぷりはまる音がしばしば上がっていてダウンロードもできるため時々チェックしています。ちなみに「Et musique pour tous」は訳すと「そう、みんなのための音楽」みたいなニュアンスでしょうか。大らかで自由な雰囲気の、音楽好きにはありがたいタイトル。こんなふうにフリーの音源をどっぷり満喫していた偽物音楽ジャンキーの私なのですが、とはいえフリーで楽しめるものばかりを駆使する愛好家が増えると「CDが売れない」→「アーティストが食っていけない、アーティストが育たない」→「音楽好きも困る」、ということにならない?という疑問は浮かびます。
■また、上記のような大規模なネットラジオアーカイブや音楽紹介サイトは海外のものばかりで日本で同様なものは見つけられませんでした。音源をダウンロードできる後者にいたっては著作権法でNGがかかって訴訟沙汰になりかねない。では日本の音楽は著作権法によるプロテクトが厳しいけど海外は無法地帯だからこうなっているの?そうだとすれば、日本の方が音楽業界の成長的には望みがあるといえる?うーん…。どうもそうではないように思えるのです。
■Et Musique pour tous、また同様の音楽紹介サイトでは「ミュージシャンをプロモートする」というコンセプトをあげています。このようなサイトにとりあげられる最近のアーティストを見ていると、アーティスト自らが音源をアップロードし、最初から最後までを聴く事ができるようにしているものもしばしば見られます(ダウンロードできる場合も有り)。有名アーティストではありえないかもしれませんが、プロモーションのために音源をアップすることを厭わないアーティストがやはり増えているように思えます。Youtubeであれ、http://soundcloud.com/ であれ、最後まで聴ける音源がどこかにあがっていればリスナーとしては嬉しいし、口コミもしやすい。気にいった音楽をよりよい音質で聴きたければiTune storeで探して1曲単位で買うこともできるしもちろんCDだって買うかもしれない。私について言えば今ライブに行きたいと思っているアーティストはほとんどがネット経由の情報によるものだったりします。
■音楽を売るために、プロダクションが宣伝するだけではなく、アーティスト自らがリスナーに向けて情報発信し、それらを世界に向けてプロモートするサイトがどんどん増えてきている、こんな土壌がじわじわと広がってきているように思います。2000円のCDが1万枚売れなくなっても、100円の1曲が世界中で20万枚売れれば良い。ライブに来てくれるファンが増えれば良い。そんな環境を整えるために出し惜しみせず音を紹介するサイトが存在するというと理にかなっているように思えます。
■音楽を「モノ」の形で所有するメリットが薄れ続けている今、人々が情報に恵まれた環境下でより音楽を知って気軽に曲をバラ買いする、アーティストへの敬意をこめてどこかからコピーするのではなくきちんと買う(もちろんコピーは違法ですが。)、そんなリスナーの変化が目に見えて変化(弱体化?)している音楽業界にとっての生き残りのキーとなるかもしれません。偉大な過去の音楽のアーカイブが膨大にあることを考えると、アーティストだけでなく業界全体にとっても悪い話ではないように思えます。音楽がデータになった時点で「買わないと聴かせないように囲い込む」のは法律があっても到底無理!なんですから。
■一見どうやって採算をとるのかわからないフリーの音楽紹介サイトですが、サイトのファンの数が膨大になり、無名アーティストを有名にするようなムーブメントを作ることができるのであれば収益のモデルは捻出できるはず。情報サイトはとかく長続きしないと言われますし、データが削除されたらしき跡などもしばしば見られ違法ギリギリ?な感も否めないものの、「良いと思う音楽、最新の音楽、を紹介する」スタイルで(スポンサー色がついたりしないで)がんばって欲しい、と思う1ファンなのでありました。さて、この動き、日本においてはどうなるのかしら…
■今年一番のヘビーローテーション:今さらながら、このリミックスで Phoenix にハマりました。
Phoenix - Lisztomania (Shook Remix)
■今年一番はっとした Music Video : ちょっと懐かしいアナログな手描きのアニメーションはめくるめく色彩と展開に目を奪われっぱなし。Breakbotは11月に日本に来てたけど(そして行けなかったけど)今一番聴きに行きたいアーティスト。アルバムが出たら買おうっと。
Breakbot - Baby I'm Yours
(Tatamize)




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posted by cyberbloom at 21:23| パリ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 投稿−WEEKEND CAFE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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