13区に林立する高層マンション群は大きなショッピングセンター(中国資本の陳氏兄弟 Tang Frères が有名)や商店街とつながっていて、ひとつの迷宮のような世界を作り上げている。パリで最もミステリアスで、最もご飯が美味しいスポットのひとつだ。コンクリート製の箱庭のような外観とは裏腹に、その内部には商店街が地下茎のようにはびこっていて、それを伝ってどこまでも入っていける。この地区の通奏低音といえば、チープなアジアン・ポップと、強烈なドリアンの匂いだ。ベトナム系ギャルたちが集う、ココナッツミルクベースのデザートが美味しいフルーツ・パーラー(死語?)にもよく通った。めぐりめぐった果ての行き止まりに小さな寺院があったり、ガラスで隔てられた向こうにボーリング場が見えたりする。旧正月を祝う春節祭に一度足を運んだことがある。カラフルな祭壇の前に集まっているお爺さんたちに話しかけてみると、中国語(らしき言葉)で返され、「同胞よ」って感じでハグされた。移り住んで以来パリの奥深い場所で外界と接触なく生活してきたのだろう。この生活感の全面化と現れるイメージのとりとめのなさはアジア的猥雑さと言ってもいいかもしれないが、そこは紛れもなくパリなのだ。
一体自分がいつの時代にいるのか、どこの国にいるか、わからなくなってくる。同時に何だか懐かしい感じがする場所でもある。生活臭がしみつき、そして時間の止まったような学生寮の中に現れた68年のサイケな光景は、この13区に迷い込んだときのキッチュな眩暈を思い出させたのだった。
「ノルウェイの森」の映画化は単にヨーロッパから日本を見るという問題ではない。トラン監督の中にすでにアジアが折りたたまれているし、今私たちが生きているのは歴史性が希薄で、60年代も、70年代も、80年代も同一平面状に浮遊している時代だ。グローバリゼーションとはこういう時代感覚の、無時間的な共有でもある。私たちは音楽や映画やマンガを通して時代を共有する。村上春樹が小説の中でうまく音楽を使うように、トラン監督の音楽の使い方もうまいし、私たちもその音楽を知っていて、それをちゃんと評価できる。また世界は同時的につながっているが、未曾有の金融危機を経て世界がどこに向かうのかわからない(高度成長だのバブルだの同じことを繰り返すのか、新しい価値を見出せるのか)という方向感の無さも同時に共有している。
上に動画を貼り付けた「ショワジー門 Porte de Choisy 」はオムニバス映画『パリ、ジュテーム』の中に収録されている。クリストファー・ドイル監督が13区を舞台に撮ったもので、その独特の雰囲気をうまく伝えている。イメージのとりとめのなさに比べて、この短編のテーマはすっきりしている。つまりは白人男性のアジア女性への幻想である。アジア女性の髪の問題を解決するヘアケア製品を美容室に売り込みに来た Henny氏(名前をフランス語式に読むと、Je t’aime の中国語「アイニー」と音が似ている)に向かって、マダム・リーが「アジア女性の髪の問題って何なのよ?」と聞き、すかさず「問題があるのはアンタの方よ」とつっこむ。白人のオッサンはやはり黒髪が好きなのだ。□「ノルウェイの森」のロケを見学!(1)
cyberbloom
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