最近、アマゾンの「なか見!検索」が登場し、本の目次や一部が読めるようになった。ネット上で立ち読みが可能になったということだろうか。一方で、世界中の本を全部スキャンしてネット上に公開するというプロジェクトをグーグルが進めている。グーグル・ブックサーチは10年以内に世界中の図書館に眠っている本をほぼスキャンするという(おそらくそこにも広告が貼り付けられるのだろう)。もちろんリテラシーによる情報格差は存在し続けるだろうが、アクセシビリティーに関しては万人に開かれる。グーグルの意図は、世界中に眠る情報をインデックス化するだけのことのようだが、著作権で守られているものを無償でライブラリーに提供しようとしているとしか見えない。そういう状況では小説家を始めとする表現者は「守られるべき弱者」ではないのか、平野氏は言う。つまり自分の作品のコピーが流通し、タダで読まれてしまうのではないかという疑念だ。
ところで、今の著作権は18世紀に成立したもので、それは印刷技術を前提にしている。それが21世紀にそのまま適応されるということはありえない。今やインターネットによって配布コストが著しく下がっている。画面上で読めれば、製本する必要は全くない。それにもかかわらず、今のシステムを維持することはコストを度外視することになり、消費者の利益に反することになる。そこで、それぞれの立場の人間が納得し、極端に不利にならないような合理的な折り合いが必要になってくるわけだ。
新しい条件のもとで、表現者に利益を還元するやり方を考えなければならない。例えば、韓国では著作権を印税方式(ページごとに印税を払う)ではなく、バイアウト方式(丸ごと買い取る)するやり方が進んでいる。また、著作権というとクリエーターの保護に焦点があてられるが、実際に著作権がなくなると本当に困るのは、作家やミュージシャンではなく、それを取り巻く出版業界やレコード業界なのだという意見もある。
読める、読めないで線引きするのが今の著作権だ。しかし、今は複数の端末があり、これらからも新しい便利なものが出てくるだろう。その利便性の高さに対してお金を払うというシステムもありえる。携帯性や一覧性などのパッケージ化の方法がコンテンツよりも重要になってくるということだ。
例えば、ブログは長い文章を読むのに向かない。長くて構築性の高い文章の全体を見渡すには適していない(これも慣れや習慣の問題にすぎないのかもしれないが)。深く読み込んだり、全体的な視野を求める場合は、本が相変わらず必要になる。本のように読めて、かつ携帯に便利な端末が出てこない限り、本がなくなることはないだろう。じっくり読む場合は本、とりあえず内容を押さえる場合はネットというふうに、情報に対する態度によって使い分けられていくのだろう。最近、新書本が売れ、分厚いハードカバー本が敬遠されているのも、携帯志向が高まっている現れで、それが逆にコンテンツを規定するのだ(つまり知も軽くなる)。
とりわけネットは存在の認知ということに大きな役割を果たす。有料コンテンツはお金が入るけれど、中身が検索エンジンにひっかからない。外に開かれていない。無料だということは、外に存在を知らしめやすいということなのだ。梅田氏は、本にするものとネット上で公開するものに別の性格を持たせると言う。ネットでタダで見れるから本を買わないという人たちは放っておいて、ネットで知らしめて本を買ってもらうという方向に賭けるべきなのだろう。ネットでは製作の断片やメイキングを紹介し、ブログで得た認知度をリアル世界で金に替えるのだ。
「なか身!検索」については、ロングテールの部分、つまりほんの少ししか売れない多くの本は、中身を見せ、情報化したほうが出版者、著者、読者の利益になるというコンセンサスが生まれ、出版社もアマゾンに協力を始めているようだ。アマゾンが出てきて、アメリカでは本が売れている。これは驚くべきことだ。それまでアメリカでは本はあまり読まれなかった。なぜなら自分の関心と本を結び付けることができなかったからだ。今は検索エンジンがナビゲートしてくれる。
その検索結果はすべてグーグルが用意するアルゴリズムによって決まるわけだが、アルゴリズムの背後に潜む恣意性を嫌う人もいる。しかし、出版社のビジネス、著者の収入可能性、などを総合的に考えて、アマゾンやグーグルと、出版社や表現者との提携はいずれリーズナブルなゾーンに落ちつくと梅田氏は楽観的に述べている。
また、フローで読んでもいいが、ストックしなければ著作権的にOKという方向も模索されている。Youtube はその典型で、違法コンテンツも見放題だが、ダウンロードはできない。梅田氏は、Youtude を街角の電気屋でテレビを見るようなものだと言っているが、そこに一種の立ち読みの効果が期待できるのだろう。最近、大きな本屋でも、立ち読みOKどころか、「座り読み」のための椅子やテーブルまで備えてある。立ち読みを厳しく禁じるよりも、その方が本が売れるという計算だ。
従来より情報はコピーされやすく、著作権はゆるくなるので、物書きだけで生活していくのは難しくなるかもしれない。だから個人多角経営の才能が求められる。原稿料、ネットの広告料などで複合的に収入を得ていくという(ついでにアフィリエートやネットトレードなんかやったりして)、よろずやスタイルだ。このネットを活用した生き方は物書きでなくとも、だんだんとリアリティーを持ってくるだろう。「昔は何をしても、リッチになるということが、その実現のための前提になるようなところがあった。…金がなくてもどうにかなるという可能性はネットによって大きくなった」と平野氏が言っているが、「金がなくても」というよりは、ひとつの会社から給料をもらうサラリーマン的な生き方とは違った、収入源を多様化していく生き方だ。これはリスクヘッジにもなるだろうし、現代人の複合的なアイデンティティーにも対応するのだ。
小説も新たな実験を促されるだろう。現実の細分化、価値の多様化にともなって、多くの人々に共有される大作が生まれにくく、小説の価値はそれに比例して下がっているように見える。もはや19世紀的な形(幅広い公共性を結ぶ形で)で小説が読まれることはありえないだろう。一方で、小説は本という紙媒体が小説(あるいは文学)に許している形式的・技術的な限界を超えて、デザインやレイアウトを作家本人がコントロールし、さらに画像や動画を絡めていくことを可能にしている。これまで編集者や出版社がやっていたことや、他ジャンルへの横断を自分でコントロールできるのだ。また小説が、作家-読者という固定した関係において読まれるものではなく、よりコミュニカティブな形に展開する方向もある。ここには新しい公共性の模索もあるだろう。
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