2008年02月12日

パリで観るクリント・イーストウッド〜懐かしの70年代の名優を探して(6)

2007年12月22日夜7時過ぎ。筆者は寒風吹きすさぶパリで、ある映画館の入場券売り場の前に並んでいた。場所は Rue des Ecoles にある映画館 Action Ecoles。ここでは12月中旬からクリント・イーストウッドの監督作品の特集上映が行われていた。1970年代の初期作品から最新作に至るまで、ほぼ全ての彼の作品が上演される画期的な企画である。東京の京橋にあるフィルム・センターでもこれほどの特集上映はまだやっていないのではないだろうか。「パリで観る映画がイーストウッドとは…」と思われるかもしれない。だが、果たしてこれは特殊なことなのだろうか。

恐怖のメロディ 【ザ・ベスト・ライブラリー1500円:2009第1弾】 [DVD]ここで、一般のフランス人に最も愛されている映画作家は誰だろうか、と問うてみる。私見によれば、フランスのテレビで最も頻繁にその作品が放映される映画監督は恐らく以下の三人だ。フランソワ・トリュフォー、ロマン・ポランスキー、クリント・イーストウッド。私がパリに滞在していた頃、彼らの映画は月に一本は確実に放映されていた(それも芸術系のチャンネルでなく、国営放送で)。既にフランス映画の父と看做されているトリュフォーは当然としても、残りの二人については意外に思う方もおられるかもしれない。

しかし、ポランスキーはもう長くパリに住み続けている映画作家であり(彼は暴行事件の容疑者とされて以来、アメリカへの入国は出来ない)、フランス人にはお馴染みの存在となっている。10年ほど前にはパリの劇場でカフカの『変身』の一人舞台をやるなど、俳優としての活動にも余念がない(思えばトリュフォー、ポランスキー、イーストウッドは三人とも監督権俳優である)。一方、イーストウッドもフランスで発見された映画作家と呼んでも過言ではないほど、フランス人には高く評価されている。1992年、『許されざる者』で米国アカデミー賞において監督賞を受賞したイーストウッドが壇上に上がるなり「フランスの批評家に感謝している」と述べたことを覚えている人もいるはずである。

いまでこそイーストウッドの映画作家としての力量を疑うものは皆無だ。『許されざる者』と『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)で二度アカデミー監督賞を受賞するという快挙を成し遂げたのみならず、『パーフェクト・ワールド』(1993年)、『マディソン郡の橋』(1995年)、『ミスティック・リバー』(2003年)や硫黄島二部作(2006年)など、常に世界の映画ファンを瞠目させる作品を撮り続ける監督として、いまやその映画作家としての地位は不動のもののように思われる。だが、1971年に彼がその監督第一作『恐怖のメロディ』を世に問うたとき、それを真面目に取り上げる者はどこにもいなかった。

特にアメリカでの評価の低さは決定的なものだった。ポーリン・ケールをはじめとする大新聞の有力批評家はイーストウッドの作品に罵詈雑言を浴びせ続け、それは『許されざる者』を発表するまで20年以上の長きに亘って続いた。アメリカは確実に一人の優れた映画作家の誕生を認めることが出来なかったのだ。イーストウッドを俳優として使った映画監督のセルジオ・レオーネでさえ、あるインタヴューで「(デ・ニーロと比べれば)イーストウッドは単なるスターに過ぎない」と述べ、その映画監督としての力量を認めないどころか、俳優としての資質すら軽視する発言をしていたのだ。

ところが、フランスの映画批評家は全く違っていた。『カイエ・デュ・シネマ』誌を中心とする批評家たちは早くからイーストウッドの作家性を見抜き、この「映画作家」の全作品を分析することに余念がなかった。それはイーストウッドが『許されざる者』を撮る遥か以前からである。さすがにトリュフォー、ゴダールを生み出した映画批評誌であり、その先見の明には驚かされざるを得ない(もっとも、蓮実重彦によると世界で最初にイーストウッドを発見したのは日本だとのことである。確かに蓮実と山根貞夫は70年代初頭からイーストウッドの監督作品に対して熱烈な批評を書いており、作家の金井美恵子を呆れさせていた・・・)。また、中条省平の分析によれば、あのゴダールまでもがイーストウッドを存命の映画作家の中で最もライヴァル視しているというのだ(『クリント・イーストウッド―アメリカ映画史を再生する男』、ちくま文庫、2007年)。このようにフランスにおいては、イーストウッドは商業的成功を収めるのみならず、芸術的な面でも常に高い評価を得てきたことが分かるであろう。

さて、筆者がその日に観た映画は『ペイルライダー』(1985年)という作品だった。既に繰り返し観ている作品であるにもかかわらず、今回観直してみて、イーストウッドの才能には改めて唸らされた。彼の映画の中でも5本の指に入る傑作ではないだろうか。この作品は彼自身の旧作『荒野のストレンジャー』(1972年)のリメイクと呼んでもいい作品だが、映画自体の雰囲気は全く別物になっている。性根の汚い荒くれ者たちによって支配された西部の小さな町。保安官すら悪の手に染まっている。そこに、どこからともなく男がやってくる。彼は名前を持たず、しかも牧師の姿をしている。だが、ある家族が極限の状況に陥っていることを知ると、男はガンマンとしての本性をついに表す・・・。とこう書くと、「どこにでもある西部劇ではないか」、と思われるかもしれない。しかし、聖書の祈りと共に男を乗せた馬がゆっくりと現れる場面。男の過去を物語る、背中に刻まれた6発の弾痕。極悪の保安官がつぶやく「あいつは死んだはずだ」という不可解な言葉。山の向こうから響いてくる「過去の声」など、この映画には神秘的な要素が数多く含まれている。とても西部劇とは思えないほど、この作品は形而上学的な高みを目指しているかのように感じられる。

イーストウッドの作風はこの『ペイルライダー』の頃から確実に変わったような気がする。それはもはや単なるアクション映画などでは有り得ない領域に達したかのようだ。その映画は常に「死」と「生」の狭間を、「悪」と「正義」の狭間を凝視している。そして、このテーマが究極的な場所にまで辿り着いたのが『ミリオンダラー・ベイビー』と『硫黄島からの手紙』なのだと言えよう。前者では尊厳死、後者では戦争での際限のない暴力をこれ以上ないほどの峻厳さで描き出している。決して一作でそのテーマを解決させることはなく、飽きることなく繰り返しながら、イーストウッドはその問題に挑み続けているのではないだろうか。「本質的な思想家は唯一つの問題にだけ立ち向かう」とはハイデガーの言葉だが、まさにイーストウッドの新作映画は常に一つの「思想」として観客の前に到来してくる。このような映画が商業映画として大劇場で上映されているという事態は、100年を超える映画史の上でも奇跡的なことではないだろうか。



不知火検校

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posted by cyberbloom at 23:19| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画とクラシックのひととき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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